第六六話 ~一夜明けた眺め~
大きな災害に人間社会が見舞われた時、本当に大変なのは、その災いから生き延びること以上に復興だ。
地震にせよ大火災にせよ、それによって命を奪われる危機から生き延びることは確かに大変。
実際のところ、死の危険から逃げ延びることが出来なかった人々を差し置いて、生き延びた側のこれからの方が大変だという理屈は通りにくい。
それを踏まえて、危機から免れることが出来た人々は、命あるだけでも儲けものだと自戒して亡き者を悼む。
すべてを失って尚、生きていくしかない苦しみに目を伏せてでも弔うその精神は、語られにくいだけで尊ばれるべき倫理観だと言って相違無い。
オオムカデが火を放ち、踏み荒らして形を失った家屋や店の数は、百では利かぬ数である。
その上で、迅速な避難勧告により死者が一人もいなかったことは、もはや奇跡的なことだと断言してよいほどだ。
そう、奇跡的。あまりにも幸運かつ幸福なこと。
死ねば終わりの人生、ここで無念にそれを終わらせられる者は一人もいなかった。
不幸中の幸いであったことは間違いなく、最悪の事態は避けられたと、村全体としては喜ぶべきことに違いあるまい。
他人事ではなく我が事だと思えばすぐにわかることだが、大いなる災いによって我が家や店、畑が奪われれば人はどうなるだろう。
雨を凌ぐ屋根も無い、貯えていた食べ物も無い、それを買うためのお金もない、それを自分で稼ぐための元手も場所も無い。
人は野草や虫、生きた獣を喰らって生存できる生き物ではない。
誰かの情けに縋ることでしか生きていくことが出来なくなるのだ。
たとえそれほどの窮地に追い込まれようが、他者のものを強奪することで生きていく選択肢は許されない。容赦なく裁かれる結末を迎えるのみ。
救いの手を差し伸べられること無くば、物乞いとして恵まれる日を待つばかりの惨めな生き方を、いつまで続けられるかもわからず繰り返すしかない。
自分だけならまだしも、親や兄弟姉妹、我が子も同じように飢え、衰弱していく姿を毎日眺めることしか出来ないとなればどれほどの地獄か。
己が商売の失敗による破産や、悪行への報いとしての財産剥奪によってそうなるのであれば、身から出た錆として己を悔やむべきですらあろう。
災害によって全てを失うというのは、何の罪も咎も無き人々にそれほどの不幸をもたらす、極めて理不尽かつ哀れな事象である。
復興そのものの大変さを語るのは極めて簡単だ。
一日にして失われた家屋とは、元はどれほどの時間をかけて建てられたもの?
それが村単位でいくつもあるとなれば、元通りにするまでどれほどの時間と資材が必要となる?
住む所だけでもそうなのに、それ以上の時間をかけて培ってきた、住み慣れた安息の家庭や、かつてと同じだけの商売基盤を取り戻すまでどれほどかかる?
一度失ったそれを、ついに天寿を迎える日まで取り戻すこと叶わぬことなど珍しいことだろうか?
支援する者達の限界は? 自分も客を失って食い扶持を稼ぎにくくなり、明日も見えない日々の中でどれだけ苦しむ人々に手を差し伸べられる?
仮に時間をかけてすべてが元通りになったとしても、失われた日々の中、年若く何だって出来たはずの頃の貴重な時間はもう返ってこない。
ほんの少し考えただけで、長い時をかけて築かれてきた人間社会の、真の意味での復興の難しさなど、これほど簡単に羅列することが出来る。
我が身にそれが降りかかった時、具体的にどうやってその後を生き延びていくのか。
きっと、すぐには答えは出ない。考え付くことの数多くは、実質的には不可能であるか、続けていくことの困難さで選びたくなくなる。
選択肢も無きままに緩慢な死だけがゆっくりと近付いてくる実感ばかりが鮮明な日々。
大いなる災いに財産をすべて奪われるというのは、何ら誇張なくそんな話である。
伝説の大妖魔、オオムカデの牙と炎に晒されながら、死者無く悪夢の一夜を免れた摂泉村。
それを幸運なことであったと、勝手にそれ以上の不幸と比較して宣う妄言は、その深い傷跡の本質を知れば許されざるべきことである。
一度山波神社にひとっ飛びし、新品の巫女服に袖を通し、痛々しい火傷や怪我を癒して人前に出やすい姿となったアンズは、一睡もせず摂泉村に戻ってきた。
災害によって全てを失った人の涙や苦しみなど、彼女は経験でも伝聞でも幾度となく目にしてきたものだ。
人の世に仇為す妖魔調伏に関わってきただけあり、それに関して言えば一般人以上だとすら言っていい。
勝利の瞬間に力尽き、海に落水するほどの死闘を経てなお、ひと眠りする時すら惜しんで摂泉村に戻った行動理念とは、たとえ微力でも復興に尽くすためだ。
断じてそこに、善行による信仰の獲得などといった打算的な感情は無い。
すべてを失い、悲嘆に暮れる人々の姿を幾度と無く見届けてくれば、出来ることなら何かしたくなるのが人としてのごく普通の感情だ。
それを誰しもが持っているから、和大国は、この国々は、何度膝を挫かれても立ち上がり、きっと千年後もその歴史を途絶えさせずに存続していくのである。
人は忘れる。アンズであってもだ。
災害によって多くを失った人々の哀しき姿を幾度となく目の当たりにし、その凄惨さだけは決して忘れまいと心に刻み付けたとしても。
いざその地に赴いて改めて現実と直面すれば、己の記憶していたはずの残酷ささえ、この現実には遥かに劣るものだと痛感せざるを得ない。
その都度アンズは、喉元過ぎればいつしか熱さを忘れていた己を恥じる。
だからこそ、何かしたくなるのだ。きっとその行動原理には、愚かな自分への贖罪めいた感情もまた、かすかに実在するのだろう。
朝日に晒され、黒焦げになって背丈を失った家屋の数々を目の当たりにしただけなら、記憶と大きな隔たりはないだろう。
問題は、人々の姿である。
オオムカデがもたらした大火災により、家を失った人々は無数にいる。当然、百や二百では利かぬほどに。
摂泉村は豪商ソウサイやヤシマをはじめとした、財ある者達の支援により、そうした人々にもこれからの日々を生きるための土地は提供される。
それだけでも摂泉村は恵まれている方だ。それすら出来ぬ村などごまんとあろう。
しかし、摂泉村北部、火に晒されなかった空き家や広場に集められた、家を失った老若男女が幸福であるのかと言えば、それは断じて否だとアンズは断言する。
親に身を寄せ、家を失った悲しみに泣く子供達を見て、かける言葉を紡ぎ出せる者などどれだけいるだろうか。
その悲しみとは、明日からどうやって生きていけばいいのかといった、将来を見据えられる大人の目線によるものばかりではない。
家を失ったのだ。そこにあった、思い出を含む宝物もすべて。
たとえ遊んで怪我をして、痛い痛いと泣くことがあったって、帰り着けばどこか安心できる我が家。
お父さんやお母さんが迎えてくれる、見慣れた我が家の景色はもう無い。
大事にしていたおもちゃも、お気に入りの服も、大好きな両親が買ってくれた、子供心にずっと大事にしようと思った宝物も。
お腹が空いても何かちょうだいと親にねだることすら出来ないことだって、これほどの現実と直面すれば子供でもわかる。
悲しみと苦しみから免れるすべ一つ無く、泣くことしか出来ぬ幼子の姿をいくつも前にして、アンズが胸を引き裂かれるような想いに駆られるのも当然だ。
そんな我が子を慰めながら、明日の見えないこれからの日々に沈む親の表情もまた、無垢な悲しみに暮れる子供達とは違う悲壮感に満ちている。
可愛い我が子の悲しみを癒すことが出来ぬ現実、そしてそれはこれからずっと付き合わねばならぬつらい日々の幕開け。
最愛の息子や娘が、これから長く苦しむ姿を免れぬことほど、親にとってつらいことはない。
無論、そんな我が子や兄弟姉妹もおらぬ天涯孤独の独身男女とてそう。
大切な人がそばにいないだけでも身軽なものだと言えるだろうか?
自分の命が数日後までもたぬやも知れぬ現実は、もはや目の逸らしようもない眼前にある。
そんな独り身にとっても、最大の財産であったはずの、仕事疲れの体を迎えてくれる我が家はもう無い。
今ですら喪失感に暮れているのに、日々が過ぎればいっそう実感を深め、毎日の悲嘆は大きくなっていくに違いあるまい。
打ちひしがれた人々の姿を前にするたび、アンズは慰めることも出来ず、唇をぎゅっとして逃げるようにそんな人々の前から去るばかりだった。
直視するのもつらい。そして、何も出来ない己の無力が悔しい。
いったいどうしてこの人達が、これほど悲しみ、苦しみ、涙に暮れねばならぬのか、神職者でなければ救いをもたらさぬ神様を詰りたくすらなろう。
それに、今や討ったはずのオオムカデに対する、そしてそれを蘇らせたミノヤマとイバラギに、強い憤りを思い返すことで蓋をすることしか出来ない。
理不尽。それに勝る短い表現はきっと無い。
自業自得でもなく不幸に晒される人々を前にして、理不尽そのものに憎しみを抱く感情は、どんなに我が身を苦しめるものであっても失うべきではないのだ。
それを自衛のために捨ててしまったが最後、きっと人はそれ以降ゆるやかに、人の痛みがわからなくなっていく。
眠気を押してでも復興に手を添えたくなるのは、けしてアンズの人が良いからではない。
誰かが理不尽な悲しみに暮れた時、力になりたいと思えるのであれば、それは人として普通のことである。
「おう、アンズ。
布教活動はいいのかい」
「あっ。
こんにちは、ソウサイさん」
「こんにちは~」
「はいこんにちは、クマリちゃん」
今朝から風変わりな風体の女の子が、村のあちらこちらで復興活動のお手伝いをしていることは既に知れ渡っている。
些か目立つせいもあり、世間話の種に飢えた村人達の間では、あっという間に話題となって広まっていった模様。
なにぶんこの惨状、一にも二にも復興のためにすべきことが山積みで、他のことなど考える暇も無い村人にとっては、良い閑話材料にもなったことであろう。
明日への不安が何にも勝って強い現状、妙な子が復興の手伝いしてくれてるぞ~、なんだそれ座敷童か~、あはは~、なんて笑えるだけでも気は楽になる。
「あんた本当に子供達と遊ぶのが上手いね。
そういうの、本当に助かるからさ。
その子達の親に代わって、あたしからも礼を述べさせて貰うよ」
「いえいえ、好きでやってることですので。
皆さんそうでしょう?」
「ふはっ、確かにね。
生意気な奴が多いうちの村だけど、こういう時に迷わず手を動かせる奴らだから、あたしもたまには甘やかしてやりたくなっちまうよ」
摂泉村の北部に位置する、オオムカデの火からは免れていた広場。
今はアンズとクマリが村の子供達と遊んであげていたのだが、現在ここは家を失った人々に食事を提供する、炊き出しの場として開かれている。
未曾有の災いによって深い傷を負った摂泉村だが、復興に向けて動き出したのは実に早く、お日様が顔を出す少し前からソウサイ達の行動は早かった。
夜闇が晴れて、南部の惨状が目視できるようになった時の滅入りは相当なものでありながら、現実から逃げていては復興は始まらない。
危機が去ったとはっきりした今、避難民らに一度家に帰るよう伝え、家を失った者はひとまず家人のいない長屋や小屋へと移動させて。
それが出来るというのも、村全土に余るほど土地と不動産を掌握している、ソウサイやヤシマだからこそ容易に叶えられた話である。
焼け野原を再び元の形へと戻していくのは時間をかけて進めていくとして、何と言っても重要なのは財産を失った人々の空腹の解決だ。
これに関しては、ソウサイはさほど大きな仕事はしていない。
村長やヤシマと意志を統合した上で、村の広場を炊き出しの場として指定したのみである。
場さえ整えておけば、人は勝手に集まるという見込みがあったからだ。
現にこの広場には今、充分な人手が集い、腹を空かせた大人も子供もいない。
困った時はお互い様。山波国だろうが摂泉国だろうが、どこの国でも変わらないことだ。
「あんたをこの場から連れ出すのは子供達に少々悪い気もするが、ちょっとこれから付き合いな。
腹もそろそろ減ってきたろ、あんたはどうせ炊き出しなんてものには遠慮してきてんだろうしさ」
「晩ご飯、ですか?
……ヤシマさん、いませんよね?」
「いるよ」
「じゃあ勘弁して下さい」
夕時前のこの頃は、平時であればそろそろ夕食の準備をしようと、各家庭のおふくろさんが台所に立つ頃合いだ。
今からどこかの店に赴けば、夕食を取るには丁度いい。
ソウサイなので夕食と言うよりは飲み会であり、しかもあれが一緒となれば、アンズも露骨に嫌な顔をしてソウサイを笑わせてしまうのだが。
ここまできっぱり意思表示しようとも、どうせ無理矢理引っ張られていくんだろうなとも思えてならないから、見せた顔の嫌っぷりたるや相当である。
「いいから来な。
余所者の身でありながら復興の手伝いをしてくれる奴を、接待もせずに帰せるかい。
あんたあたしを道理のわからぬ村の顔にしたいのかい?」
「聞こえませんけどわかりました」
「クマリちゃんも来るかい?」
「あのひとこわいからいや」
だから諦めも早い。いま何を言われたかなんてどうでもよかったりする。
粘って嫌々と駄々を捏ねようが、どうせこの人には通用しない。
初対面の時からとっくにわかっていたことだが、ソウサイは望んだものに対して妥協することは決して無い。だから大物なのだろうけど。
「ごめんねクマリ、先に帰っておいてくれないかな。
カムロさんの言うことよく聞いて宿に帰るんだよ」
「あいつのことはしんじないが、おねえちゃんがいうならしかたない」
溜め息ひとつ吐きながらも従順なアンズを連れ、ソウサイは広場を去っていく。
アンズに遊んで貰っていた子供達は、またねとみんな笑顔でアンズに手を振ってくれる。
まったく、どこに行っても子供達の心を掴むのが上手な巫女だこと。
アンズも振り返って、笑顔で手を振りそれに応えるのだった。
「よう小娘。
今日もすげえ嫌そうな顔してんな」
「か、顔に出てますかね……?
流石にもう、愛想ぐらいは考えるようにはなったんですが……」
「諦めろ諦めろ、あんたは感情を顔に出さないのは無理だ。
それよりヤシマ、先に呑み始めてんじゃないよ」
「俺が誰に気を遣わなきゃいけねえんだよ。
この俺に酒を我慢させてでも待たせてえなら帝でも連れて来いってんだ」
「あんたどうせ帝相手でも一歩も引かねえだろがい」
「ぶっはは、そりゃそうだ。
何の世話にもなってねえしな」
ソウサイに連れられて料亭に入ったアンズだが、とうに一杯ひっかけているヤシマを前にするとやはり緊張する。
顔を合わせたくない相手とはいえ年上だし、今日は嫌な顔なんて見せずにちゃんと愛想の笑顔を貼り付けたつもりなのだが、上手くいかなかったらしい。
いや、ある程度は出来ている。笑顔もちゃんと作れていた。
表情の機微を読むなど朝飯前の豪商らの目線で、目元や頬がかすかに攣っていることを見過ごして貰えなかったというだけの話である。
感情が顔に出やすいとは言うが、アンズも愛想は上手いのだ。相手が悪かっただけ。
「食いもんも酒も先に揃えてやってんだ。
充分気は遣ってやってるだろ。おとなしく感謝しとけ」
「……ふがっ!?
なんですかこれ、どぎついんですが!?」
「あほかお前、あたしにまでこんなくっせえの寄越しやがって。
あんたあたしの好きな酒ぐらい知ってんだろうがよ」
「きっちい酒だから手っ取り早く酔えるぞ。
さっさと追い付いてこい。気遣いだよ、気遣い」
待つ身としてソウサイとアンズの酒と料理をあらかじめ用意していた(させていた)のはいいが、酒の匂いがえげつない。
徳利に鼻を近付けるまでもなく、着席してすぐ二人のよく利く鼻に、つんと刺すような酒精を叩きつけてくる逸品。
喉を通したら焼けるほど熱くなるだろう。そりゃすぐ酔えそうだ。明日の二日酔いも約束されていそうだが。
法整備が整った社会であれば、ならはっきりと法で裁かれるような酒の勧め方に間違いないので、良い大人はヤシマの真似は断じてしないように。
「ほれ、酌ぐらいはしてやるよ。
俺様の酌を受けられるなんてなかなか無いことだぜ?」
「うぅ、ご好意の表れであると素直に受けますが……
貸しなんかには絶対しないで下さいね?」
「馬ぁ鹿、こんなもんで貸しにするかよ」
「よく言うよ、めし一杯奢っただけで貸しやら義理やらにして、あれしろこれしろ仕舞いにはあいつ殺して来いまで命じる無法者どもの親分がよ。
そんなことよりあたしへの酌はどうしたよ」
「あ? 自分で勝手に注げ」
「くそが」
「ソウサイさんお待ち下さい、私がお酌をしますから……」
「お? そうかい悪いねえ!」
席に着いて数秒で気を遣わせてきやがる大人達である。
だから来たくなかったとも思うのだが、まあ奢って貰えるのだからこれぐらいは別にいいけど、という道理も理解しているアンズ。
だから年上に好まれはするし、それは誘われやすくもなる功罪とも言える。
さっそく愛想の苦笑い全開のアンズだが、つくづく飲み会適正は高い。
村の現状が現状なので乾杯こそ控えたが、お疲れさんという軽いヤシマの音頭に夕食の場は幕を開けた。
アンズはお猪口のどぎつい酒を一気飲みした。喉が熱くてむせて笑われた。
ええ、結構。私もさっさと酔ってしまいたい。
素面で話すにはしんどい年上との場では、許されるならさっさと酔って気が強くなってしまうのも手だ。
それを容認してくれる二人であるのは、ぎりぎりアンズにとっての救いである。
村が大変なことになった翌日としては少し意外な光景だとアンズも感じたが、この料亭は多数の酔客で満席、実に賑わっていた。
アンズがそれを意識したのは、先日ソウサイとヤシマが揃い踏みした料亭では、周囲が比較的おとなしかったのに対し、今日は明らかに周囲が騒がしいからだ。
実際、この店に限らず今宵の酒場はいずれも繁盛している。
こんな時だからこそ、意識してでもいつもどおりの村の姿を保とうと、羽目をはずす者達もまた多いのだろう。
家を失うほどの不幸に見舞われ、炊き出しを頼るしかない者達もいる同じ地で、日常以上を謳歌するのは不謹慎ではないかという考え方にも一理はある。
確かにわざわざ見せびらかすようなことすれば嫌吉なので、そうした意識を一定持つのは推奨されるべきことであろう。
とはいえ、あれほどの災いの直後で、ただでさえ村全体が陰鬱な気持ちに沈みがちな今、誰も彼もが項垂れて過ごすのが最善かと言えばまたそれも別。
遊びを自粛してもいい。それで浮いた銭を復興支援に充てるのもまた美徳。
ただ、困った時はお互い様とは言っても、そんな滅私奉公が当然あるいは道理とするのも、人情に欠けた観点には違いあるまい。
酒場で騒ぐ者達は、村の復興に一切携わっていない者達であろうか。
村の窮地を目の当たりにして、朝からこの時間まで一生懸命働いて、一日の疲れを癒す夕食時の酒宴に何の罪があろうか。
復興作業は普段と同じ仕事ではない。いつもと違う作業に神経を遣い、不幸に見舞われた者達の心情にも慮る意識を割いて。
一度でも働いたことがあればわかる話だが、丸一日普段と違う業務を過ごした日というのは、普段以上という言葉では足らぬほど疲れるのだ。
高次な話を突き詰めるなら、普段通りの銭遣いで経済を滞らせないというのもまた貢献には違いないが、そんな所まで視点を広げなくていい。
これから何十日も、あるいは何百日以上も続く復興の日々、その始まりであるこの日の疲れや心労を発散しようとする者達の自由。
それが浅い見解で侵害されればこの村は終わりだ。本当に終わる。
ただでさえ苦境に満ちた村で、働ける者達を無用に束縛するようなことをすれば、最悪その者達が嫌気が差して我が事しか考えなくなったとしても現実的だ。
傷付いた者達を慮るのは不可欠なことだ。傷付いていない者を普通程度に慮ることもまた同様である。
困った時はお互い様という言葉は、不幸に見舞われていない幸運な者達を縛るための言葉ではない。
「まったく、あたし達がいるってえのにうるせえ若造どもだよ。
舐められてんねぇ、あたし達。かっかっか」
「いいんだよ、後で殴る口実が出来るじゃねえか。
ま、今日は気分がいいから今のところは全面的に許してやる」
「もう~、わざわざ物騒なこと言わなくてもいいでしょ。
好かれることに頓着が無いのは存じてますけど、嫌われにいく必要も無いと思いますよ」
「好かれると尻尾振られてうざったいから御免被るよ」
「俺らは嫌われてる方が心地いいんだわ」
「はぁ、そうですか。大物ですねぇ。
皮肉とか抜きにしてそう思いますよ」
ソウサイもヤシマも、うるさいほどの酒席に囲まれた真ん中にあって、その騒がしさに不快感など感じていない。
げらげら笑ってこの騒がしさを楽しむ。わかってる奴らだ、と思いながら。
そもそも、自分達がいるからといって縮こまる者達を実感して悦に入るような、そうした趣味の悪さを持つ二人ではないのだ。
単に気が短いだけ。粗相さえ無ければ別に怒りゃしないので、存在感が大きくなり過ぎて普段は勝手に周りが神経を遣っているだけである。
二人からすればそうしろと匂わせたことも無いし、知ったこっちゃない話だ。むしろ短慮にこちらのせいにされれば、それによってぶちっと切れるだけの話。
「あんたもだよ、アンズ。
そんな眠そうな顔しちゃってさ。
あたしらのこと舐めてる? おん? おん?」
「なにっ、俺のことも舐めてんのか。おん? おん?
賭場にでも行くか? おん?」
「勘弁して下さいよぉ、眠いんですよぉ……
来る前にもソウサイさんには伝えたはずですよ、一睡もしてないって……」
「俺は知らねえ」
「あたしも知らねえ」
「ねます。おやすみなさい」
「あっははははは!
あたしに寄りかかってくる怖いもの知らずは初めて見たわ!」
ヤシマを対面にソウサイと並んで座るアンズは、やけくそ混じりにソウサイに身を寄せて目を閉じる。寝ますよ、と。
いや本当に眠い。昨晩は死ぬほど頑張ったのだ。
復興作業の手伝いをしながら眠くなることはなかったが、腰を落ち着けて酒が入ると本当に眠い。
年上相手の酒の席で寝てしまう粗相など、普段ならば意地でも耐えきるアンズだが、今日は流石に長引かされると堪えきれないだろう。
摂泉村では触れることすら恐れられる二人を前にして、こてんと体重を預けてくるアンズには、ソウサイ当人は元よりヤシマも大笑いだ。
「まあ実際、よく頑張ってくれたのは知ってるよ。
今日だって食糧の搬送を手伝ってくれるわ、気落ちした子供達を広場に連れ出して楽しませてくれるわ、ずっと頑張ってくれてたんだろ」
「村に顕れたあのくそでけぇ妖魔を調伏してくれたのもお前だろ。
流石に俺も、それだけのことをやってのけてくれたお前には感謝してんだぜ?
らしくはねえ自覚もあるが、世話になったなって言わせて貰うわ」
「わぁ、わたしほめられてる……うれしい……
このまま寝ちゃえばしあわせなねむりにつける……」
「よしソウサイ、うたた寝してるこいつに暗示かけてやろうぜ」
「いいねぇ、うとうとしてる奴に口約束させるのは簡単だもんな」
「おはようございます」
しゃんと背筋を正した起き方をして、寝てませんよと目をかっ開くアンズ。
ただ、目をこすってもいる。眠いのは本当だ。
冗談でソウサイに身を寄せたが、本当にそのまま寝落ちしてしまえそうだったので、今一度アンズは気を張り直す。
限界を迎えるのは時間の問題であったとしても、意識ある限りはやはり、呼ばれた酒席で先に寝てしまう失態は避けたい。
美味しいものと定義できるかはわからぬ珍味、しかし刺激的で魅力的ではある、この日初めて食べた蛸山葵を口に運んで、少しでも眠気を覚まそうとする。
流石は海に面した摂泉村、内陸に住まうアンズには知らぬ料理の宝庫である。
「さて、あんたがくたばる前に本題に入るとするか。
こらアンズ、しゃんとしな。
接待なのは本当だが、ちゃんと話があって呼んでんだよ」
「ええ、存じてます……
出来ればもうちょっと早く本題に入って欲しかったですが……」
「あっ、生意気だなこいつ。
飲み過ぎて偉そうになってやがる」
「あんた本当酒が入ると怖いもん知らずだね」
「あぁもうごめんなさい、わかってます、わかってますよ……
んくっ、んっ………………っ、っ!!
~~~~~っ、んはあ、っ……!
んんっ、あっ、はぁ……ゃけ、るぅ……」
「誰も呑めなんて言ってねえだろ」
「こいつ本当、最初はともかく飲まされて飲んでる類じゃないよ。
酔ったら自分からいくらでも飲む奴だからね」
「はあっ、ふうぅっ……ほ、ほんだい、どうぞ……
わたし、もうだめかも……はぁっ……んん、ぁっ……」
ちょっと失礼な態度を取っちゃったかな、と思ったら、詫びとばかりにきつい酒をぐいと煽るアンズ。
喉を焼かれて荒い息を吐く。猫背になって、ご本人は気付いていないようだが、胸の谷間を正面にいるヤシマに見えやすくしている始末。
無駄に艶っぽい声まで出してからに。今は黙っているがテンジンも、たまにはきつめに説教してやろうかとも考える。
ハタノらに絡まれた際、アンズが身体を売れば高く売れると言われた時は業腹だったテンジンをして、アンズにこんな振る舞いをされては立つ瀬がない。
「ほらよ、化け物退治を果たしてくれた礼だ。
ちゃんと忘れず持って帰れよ」
これ以上話を引っ張ると本当にアンズが倒れそうなので、ヤシマは本題に話を引き戻した。
小さな麻袋を、アンズの前にじゃらりと置く。
中に小さな金属製のものが複数入っている音であり、アンズも顔を上げてその麻袋に手を伸ばす。
「お金、ですかぁ……?
なんか重いですね……こんなに受け取れないですよぉ……
はたらきに対するお布施は受け付けてますけど、過剰なものは流石に……」
「違う違う、お前が銭を受け取ることにややこしい立場なのは知ってるわ。
いいから中身を見てから話せ、そんな面倒なものじゃねえからよ」
大妖魔オオムカデの調伏は偉業だったが、ゆえに本来の相場以上の報酬を受け取る資格がある、という考え方にはならないのがアンズの立場である。
妖魔調伏は人々の平穏のためにしていることに過ぎず、相手が強大であろうがなかろうが、その行為の値打ちが増すということはない。
凄いことを成し遂げたら普段より褒めて欲しいという感情はアンズにもあるのだが、それを実益に直結させると、そのために頑張ってると思われても良くない。
お金の大事さは彼女も重々承知しているが、貰い過ぎることを許容しづらい立場なのは間違いない。
信心薄き時代の敬虔な神職者は世知辛い。
おずおずと巾着状の麻袋の紐を解いて、中身を覗いてみるアンズ。
中にあったものが一瞬貨幣に見えたが、よくよく見てみれば違うもので、しかも驚くべき代物であることもわかった。
べろべろ頭のアンズの頭が少し冴え、袋に手を突っ込んで、中身の一つを取り出した。
「あの、これ……極めて品薄だったはずですよね……?」
金属製の、小さくて平たい独楽。
長らく子供達の間で人気を博しながら、何故か流通が少なく品薄、値打ちも高騰していた平独楽だ。
そんなものをいくつもくれるという話そのものより、クマリと共に探し求めていたそれが目の前にあることに、アンズは目を丸くするばかり。
客の驚いた顔を見れば得意顔を見せる商人よろしく、そんなアンズの素直な表情を目の前に、ヤシマもどうだとばかりに満足げな表情だった。




