第六五話 ~邪悪な友情~
東の空が明るくなってきた。夜明けも間もなくだ。
そろそろ夏を意識する季節柄となり、体感的にも夜明けが近くなってきた頃である。
普段から早起きかつ、夜の妖魔調伏に赴くことも多い仕事柄のアンズは、日の出前の東の空を目にする機会も、他の人より多いから尚更だ。
明らかに、冬や初春よりも日の出が早くなってきていることを感じながら、建水大社へと向かっていく。
「お疲れ様でした、ミズハ様。
この度は本当に……」
『はひっ!?
ど、ど、どうも……アンズさん……お疲れ様です……』
さて、小さな建水大社の賽銭箱の上にちょこんとお座りであった水の神様は、アンズのご挨拶に肩を跳ねさせて驚いていた。
雨を降らせて村の大火事を鎮めてくれたことへの感謝を第一声としたかったアンズだが、言葉も半ばで慌てたようなミズハからの返答。
しかもミズハは賽銭箱から飛び降りて、アンズの前まで駆け寄ってくると、ちっちゃな体で跪いて平伏の姿勢。
「ちょちょちょ、ミズハ様!?
畏れ多いのですが如何なさいました!?」
『い、いえ、特には……
はるばるお訪ね下さった異国の巫女様、最大限の感謝で迎えたく……』
『お前の怒鳴り声がここまで聞こえて怖がられているのではないか?
異国の神様にまで恐れられるとはたいしたものじゃないか』
「ええ~……」
浜辺でイバラギに怒鳴りつけるアンズの声は、離れた建水大社まではっきりと届いていた。
アンズは声が大きいだけでなく、本気で怒った時の剣幕には迫力がある。
それこそ、遠くから聞いていてもわかるほどにだ。
すっかりアンズの怖さを知り、怯えて平伏するミズハはもっともらしい理由を付随しているが、先日久しぶりに会った時にここまでしていなかったではないか。
言いたいことを全部言ってもう怒っていないアンズに手を引かれるクマリですら、どこか緊張気味の表情が残っているのも色々とお察しになれる要素である。
「あのぅ、どうか普通にして頂ければ……
私も神様を見下ろすなんて不敬なことは出来ませんし……」
『ふえっ!? ももも申し訳ありません!
差し出がましい配慮でした! 何卒、何卒お許しを……!』
『ミズハは臆病過ぎるのがどうもな。
まあお前はあまり気にするな。
昔からこうなんだ、神格はかなり高いはずなんだがな』
「はぁ……」
アンズを困らせてしまったと思ったら、慌てて顔を上げてぱたぱた賽銭箱の上に座るミズハ。
未だに頭はそれほど上がっていない。びくびくしながらアンズを見つめている。
尊敬する一柱の神様にこうも怖がられてしまっては、アンズも溜め息ひとつ吐きたいぐらいへこむというものである。
自分の生き方や、感情に素直なところを恥じたことは無いし、胸を張って私はこうだと誰に対してもアンズは言える。
だけど、こんなに大人をもびびらせるほどの奴になっているのかと思ったら、私ももう少しお淑やかになるべきなんだろうかと悩みもしよう。
気の強さと親しみやすさの両立は案外難しい。
人々の信仰を募る巫女は、それが求められるから大変なのである。
ひとまずミズハの前に跪き、村を焼け野原の窮地から救って下さった水の神様に、感謝の言葉と共に祈りと信仰を捧げたアンズ。
クマリもアンズに倣って同様だ。アンズがミズハに捧げた言葉とは別に、彼女は彼女なりの言葉遣いで。
敬語もしっかり使えており、神様に向けた厳かな言葉としては本職のアンズと比べれば拙いが、ある意味で等身大で真っすぐでもある。
心からの感謝と敬意を捧げる信仰ならばたった一人分であっても、神様にとっては形だけの信仰百人分にも勝るほど、温かくて胸が満たされるものだという。
勿論、そんな感謝と敬意を余さず伝えるため、普段から作法を学び尽くしているアンズの信仰など、それにも勝る極上の信仰心である。
『うぅ……ほんとにあったかいです……
お二人は本当に、私のことを神様として信仰して下さっているのですね……』
「今宵あなたに救われた命は百でも利きませんよ。
偉大な神様です。主神、テンジン様に並び立つほどで間違いありません」
「ミズハさま、わたしのお願い聞いてくれて、ほんとにありがとう!
きっと村のみんなも、とってもよろこんでくれてます!」
『ああ、なきそう……
これほどまでに感謝されることなんていつ以来でしょうか……』
人々が神様に頼らずとも生きていけるようになるにつれ、神様への信仰もまた薄れていく。山波国のテンジン様の現状もそう。
それ以上に人の手による発展も著しい摂泉国は、建水大社に仕える神職者すらいないことからも、テンジン以上に深刻な実態である。
いや、そうであった、と言えるほどには此度のミズハの献身は大きかっただろう。
あれほど突然の晴れた夜空から降る天恵は、どんなに鈍い者でも神様の思し召しだとわかるはずだ。
流石に、神様が昔ほど崇められなくはなったとは言っても、神様という概念そのものが忘れ去られるほど時代は進み過ぎていない。
明日以降、多少は建水大社へ参拝に訪れる人も増えるかもしれない。いや、アンズもクマリはそうなるよう、少しは促しもしよう。
甚大な傷跡の残る村は明日から復興作業の毎日となろうが、アンズはそれに協力しながら世間話で、あの日の雨は凄かったですねと印象付けるつもりだ。
忘れられなければそれだけでいいほど大きな出来事だったはずだ。
本当に久方ぶりの篤い信仰に、えぐえぐと袖で何度も目を拭うミズハだが、明日以降も嬉し泣きすることになるのは間違いあるまい。
『ぐすっ……
アンズさんは、一度神社にお帰りになるのですか?』
「あ~、はい……流石にこの格好で村をうろうろするのはちょっと……
ひとっ飛びして、せめて着替えてきます。
新品の巫女服は沢山ありますから」
「ひわいだもんね」
「なんちゅうこと言うのよあんた」
オオムカデとの激戦で、焼かれて所々が炭になって焦げ落ちたアンズの巫女服は、ぼろっぼろであられもない姿を晒している始末。
いかんせんこの巫女服、動きやすさだけは抜群で戦う際には最高の機能美なのだが、こうも隠す所が最小限だと、ちょっと破れただけで大変だ。
襟元が崩れ落ちて胸の谷間も覗き、腋の下は破れて横っ腹も丸見えで、何よりひどいのが只でさえ短い裾がもっと短くなってその下が――
こんな格好で天下の往来は絶対に歩けない。今だって、親しい女性二人と神様しか見ていないから耐えられるだけで、その上でなお恥ずかしさは残る。
そもそも神力による治癒も若干間に合っておらず、爛れた肌も多少残る今の状態を、女として人に見せたくない気持ちだってあるのだ。
名誉の負傷と女心は別物。治らぬ傷なら諦めるしかないが、治せるものなら治してから人前に出たいとも。
「明日もまた来ますね、ミズハ様。
きっと明後日にはもう帰る運びとなりますので、参じられるのも明日でしばらくとなります。
もしも参拝する方々でいっぱいになっていても、並んでだって必ずご挨拶に参りますからね」
『はい、お待ちしています。
神は信ずる者を分け隔てなく迎え入れるものですが、あなた達はやっぱり私にとっては特別です。
ありがとうございます、忘れずにいてくれて。
私のことを、そして私が果たしてきたことの数々を』
「ふふっ、勿体ないお言葉です。
気安く笑っちゃいけない場面ですが、嬉しくって我慢できませんよ」
「ミズハさま、なんていってるの?」
「クマリちゃん、ありがとうって。
大好きですよ、って」
「わたしもすき~!
ミズハさま、ずっとわすれない! だいすきなかみさま!」
『や、やめてぇ……ないちゃう……』
くしゃくしゃの笑顔でもう一度目元を拭う、ミズハの喜びに最も共感するテンジンも、堪えようの無い笑みで顔に力が入らない。
嬉しいよな、心から慕ってくれる信心深い人々の言葉。
神様にとって、何よりも嬉しくて心温まるものだ。
アンズという、いかに未熟とて信心だけは他のどんな神職者にも劣らぬ巫女に恵まれたテンジンだからこそ、それが如何に幸福であるかを忘れたことはない。
そんな身近にあるべきはずのものにさえ、長らく恵まれてこなかったミズハに、私の愛娘は同じものをしっかりもたらしてくれている。
隣人であり友人でもあるミズハを、これほど幸せな気持ちにさせてくれるアンズには、そのことに対してテンジンもまたひっそりと感謝の想いを禁じ得ない。
未熟でもいい。
どの道どのような達人とて、向上心あらばいつまででも未熟を自称しよう。
目の前の大切なひとを幸せにすることが出来るなら、まして出来続けるなら、大人でも子供でもそれは偉大な功績だ。
それをずっと、いつだって目指し続ける巫女でいる限り、たとえその行動が信仰を集める結果に繋がらずとも、主神はこの愛娘を永劫に誇る。
幸せに満ちたミズハの表情と、それを見られたことを心から嬉しそうに笑うアンズを見て、つくづくテンジンはそう思うのだ。
東の山々の頭から日が昇る。
アンズはクマリをソウサイのもとへ連れて行き、クマリを泊めてあげられる宿はありますかと交渉し。
あれほどの災いの中、もちろん夜分に跳び起きて、火が鎮まった夜明け前から早速復興準備に差し掛かっていたソウサイは忙しそうでもあったのだが。
それでもオオムカデのような怪物が消えたのは、アンズのおかげだとはソウサイも理解してくれている。あんなもの調伏できる奴が他にいるわけがない。
ぼろぼろの焼け焦げた服で、顔を真っ赤にして火傷まみれの彼女の頼みを二つ返事で快諾し、焼け落ちていない村の北部の宿で休ませることを確約してくれた。
あとは雲に乗り、山波神社へとひとっ飛びで帰るアンズである。
明日から――いや、日付けは変わってもう今日か。今日から忙しくなる。
もう今日以降の予定はすべて決まったようなものだ。
山波神社に帰ったらまずはお風呂を沸かして、身体を清めながら火傷を癒し、人前に出られる肌を整えたら新しい巫女服に袖を通して。
そのまま朝のうちにまた摂泉村に帰ってきて、復興作業のお手伝いだ。あれほど傷跡まみれの村で呑気に買い物なんて出来るものか。
だったら山波村を出発する前に、村長ナルミに昨夜の事情を話して、一日でも早い復興支援を願い出ておくべきかな、とも考えつつ。
ともかく徹夜は間違いない。夕時までは頑張ろう。それからたっぷり寝よう。
その翌日はクマリと一緒に摂泉村を出発、そのまた翌日は山波村のこども祭り前日準備、そしてさらに翌日は祭りの当日。
想像以上に色んなことがあり過ぎた、摂泉国への物見遊山の旅だった。
流石のアンズも疲れたが、もうひと踏ん張りだ。
雲に乗り空を北上し、右手より朝日を浴びながら口を押さえ、我慢できない大あくびに暮れながらも、アンズは悔い残らぬよう今日も全霊を尽くす心積もり。
特別なことじゃない。みんな、そうやって一生懸命生きている。大事な時には多少の無理ぐらいは押しながら。
無理し過ぎることは美徳ではないと割り切り、大切なものを守るためには粉骨砕身を厭わぬこともあると知り、その境目をずっと求めて歩き続けていく。
生きていくのはそれだけで大変で、だからこそ、生きているだけでも幸福。
求める何かに手を伸ばして歩み続けることは、世を去ってからでは間に合わない。
巫女という大人を目指すことを志して以降、ずっとアンズが抱いている想いである。
眠くたって、疲れていたって、一度も忘れたことはない。だから、今日もちょっとは頑張ろう。
あくびしたことで潤んだ目を拭い、山波の地を見据えるアンズの目が冴えたのを、テンジンは微笑ましい想いで見守るのみだった。
「……あぁ、疲れた。
自業自得とはいえ、流石に今宵は疲れたな……」
さて。
アンズが一度摂泉国を離れんとするこの朝方、村の南部広くが焼け落ちた摂泉村の、さらに南の無人の浜。
ずぶ濡れ黒装束の男が、重くなったそれを脱ぎ捨てもせず、塩水まみれで唇を乾かす頭巾のままへとへとの足取りで歩いている。
あらゆる意味でオオムカデ騒動の元凶たるミノヤマが疲れているのは、誰がどう見ても身から出た錆であり、今の彼の言動をアンズが聞いたらまた怒りそう。
ご本人とてそれは重々承知であるはずだが、彼も彼で本当に疲れたのだ。
オオムカデを蘇らせる儀式そのものも大変だったが、その下準備も限られた時間で色々と奔走し、村人の避難にも一役買って、忙しかったのは確かである。
悪人って忙しいのだ。下ごしらえがしっかりしていない悪事は、最終的には確実に失敗するのだから。
だからと言って褒められたものでもないし同情の余地も無いが。
「イバラギ、すまんな、待たせたな。
お前もよく頑張ってく……お、おぉ……」
余人の寄り付かぬ朝方の村はずれ。今は摂泉村があの惨状ゆえ、のんのんと村の外へ出歩く者もいないので尚更に静かだ。
この辺りでイバラギと落ち合う密約であったミノヤマだが、一足先にここで待っていたイバラギを発見して近寄れば唖然。
ちっこい岩に背中を預け、足を延ばしてぐったり座り込んだイバラギが、開けっぴろげの口で放心状態。口から魂が漏れ出ていそうに見える。
ミノヤマもお疲れだが、鬼のこいつでさえこんなになるほど疲れたか、と、今回の強行軍に関してはミノヤマも改めて反省し始める。
「おい、イバラギ、しっかりしろ。
流石にこんな所でそんなざまでは風邪を引……うん? なんだ?」
ミノヤマが声をかけて歩み寄ってきたことを認知したか、こてんと首を傾けたイバラギがミノヤマの方を向いて、ちょいちょいと手招き。
充分近付いているミノヤマだが、手招きは止まらない。もっと近寄れと?
座り込んだイバラギの前に立っても手招きを続けられるので、ミノヤマは膝に手を置いてイバラギに顔を近付ける。
放心状態だったイバラギが、一定以上ミノヤマの顔が近付いたところで覚醒した。
まあ、そんな予感はミノヤマもしたのだが。何かあっても避けない覚悟はしている。
「どらぁーーーーー!!」
「づべあーーーーー!?」
ぐいと身体を起こして手を伸ばしてきたイバラギの手刀が、ミノヤマの脳天に直撃した。
鬼の怪力なので本気でやられたら死んでたと思う。だから手加減はしてくれているのだろう。
その上ですっごく痛い。いや、痛いと言うよりも、今の一撃で病気にさせられたかと思うほど気分が悪くなった。
星が飛び、目の前が歪み、ふらついて膝をつく。なんかしばらく立てない気もする。
「ひっどい目に遭ったわ!
あんた策士気取りも人任せも結構だけど、怨み買わない程度にしなさいな!」
「す、すまぬ……ゆるせ……」
きつめに叱られた。
正論で攻められたからアンズの前ではしおらしくなっていたが、彼女も彼女で怒らせたら、暴力を抜きにしてもおっかない女性である。
和大国の西側の女性は、本気でぶっち切れた時の迫力が特段である。
偏見だろうか。いやぁ、果たしてどうなんだろう。本当に怖いのだ。
「旨いか?」
「まあ悪くない。
あたし海鮮はなかなか口にする機会も無いしね」
「というわけで、出来れば許して頂きたい」
「ま~いいわよ。
許さん許さんで意固地張ってちゃ協力関係も無理になっちゃうし」
浜辺で波打ち際、海に向かって方やミノヤマもイバラギも胡坐座りで並んでいる。
酒でもあれば、大いなる海を前にして夜明け酒が成立しそうな絵図。
ミノヤマがお詫びにと獲ってきて、火で炙った擁剣蟹をむしゃむしゃしながら、イバラギも多少程度には機嫌を直してくれているようだ。
さすが鬼、蟹の焦げた殻ごとがりごり召し上がる。尖った爪が歯茎を引っかいても、痛くも痒くもないらしい。
「ほんと何らかの形でアンズには詫びを返してあげなさいよ?
あの子、本当に今回は気の毒だったんだから。
最後の最後は敵対してあの子を討つことになったとしても、出来ることならあの子とそんな風に事を構える前にさ」
「うむぅ……まあ、確かに。
以前あいつとやり合った時はともかく、今回は流石にな……
出来るかどうかはわからんが、詫びの一つぐらいは必要だろうな」
同じ女として、恥辱を味わったアンズには、元凶が自分達であることを抜きにしても元より同情的なイバラギだが、案外ミノヤマも同意を示している。
イバラギもミノヤマも、はっきりと自分の最終目標を阻んでくる相手としてアンズを認定しているが、意外と敵視しきってもいない。
二人とも、根本的には道理というものを理解している証拠である。
悪は自分達の方だ。立ち向かう相手の方が正しい。わかってはいる。
だからと言って自分達の悲願を諦めるかと言えば、話は別だというだけで。
「成果はあったわよね?
あれだけ方々に迷惑かけまくって、成果無しじゃ洒落にならないけど」
「ああ、手応えは掴んだ。
京の連中を地獄に叩き落とす日が楽しみだ」
イバラギの問いに、ミノヤマは胸の前に握り拳を作って応えた。
その拳が震えるほどの力と、冷静な語り口でありながらも高揚感をかすかに醸し出す声色。
ミノヤマの得た手応えというのは、大願の前夜に最も欲していたものであり、冷静沈着な彼ですらその喜びを隠し切れない。
「"妖魔転生の儀"、ねぇ……
つくづく、人の世に災いをもたらすことしか出来ない、本来ならば忌むべき禁術よね」
「なんだ、心配してくれるのか?」
「あたしはあんたのこと、そんなに嫌いじゃないからね。
手段が非人道的でも、その復讐の念にだけは共感できるから。
筋違いに巻き込まれる人達のことは気の毒だけど、それも仕方ないことだしね」
「お前はかつて人間であった頃の感性が未だに薄れておらんのか?
軽はずみに愚弄するつもりは無いが、やはり鬼の発言とは思えんぞ」
「ん~……よくわかんないわ。
人の心を努めて捨てようとしたことはないし、鬼らしく生きようと努めたことの方がずっと多いもの。
それでも残ってるんなら、あたしにはどうしようもないもん」
「そんなものを抱えて鬼でい続ける方が苦悩も絶えまいに。
色鬼どもの奔放ぶりを見ろ。悩みも無く楽しそうであろう」
「そうね~、あいつら本当そうよね。
でも、ああなりたいとも何故か思わないのよね。
ただ、純粋な人としての感性が残ってるなら、ああはなりたくないって思いそうなところだけど、そこまでも思わないからさ。
突き詰めて考えると、あたし本当、心は鬼なんだか人なんだかわからなくなるわ」
「まあそう深く考えるな。
百年生きて出なかった答えなどそう簡単には出んさ」
「今の葉あんたが考えさせたようなもんでしょうが」
「あだっ!?
か、加減しろ、お前、肉体は鬼なんだぞ……」
「あっ、ごめんごめん」
ミノヤマの二の腕を拳で軽く小突いたイバラギだが、元が怪力なので軽く小突いたつもりでもかなり威力がある。
笑いながらの突っ込みでも骨ぐらい折れてしまえるのが鬼。お気を付けて。
殴られた所を掴んで押さえるミノヤマは本当に痛いのだが、イバラギはへらへらと笑うばかりで悪びれない。気兼ねない間柄である。
「ともかく、次はお前だぞ。
候補は既に見繕っているのだろう?
お前も"妖魔転生の儀"を一度は成功させ、悲願へ向けての手応えを掴まねばな」
「そうね、またその時もどえらい災いを招くことになるんでしょうけど。
悪いけど顧みてなんていられないから、色んな人に泣きを見て貰うわ。
……ま、場合によってはアンズにも迷惑かけそうよね」
「場合によってはな。
……結局のところ、あいつを巻き込んだ方が後始末はしやすいからなぁ」
淡々と話している二人ではあるが、その内容は笑い話にもならない。
ミノヤマが蘇らせたオオムカデは、村に火を放ち甚大な被害を人里にもたらした。
それと同じようなことを、今度はイバラギが引き起こそうとしている。
余人無き所で交わされる密談など、古今東西ろくなものではないのは当然だが、これは特段に恐ろしい未来を予示する密談だ。
仮にアンズここにいて、この話を耳にしていれば、問答無用で一戦始まっている。
「それにしても……アンズかぁ。
あの子が今回のオオムカデ復活の目的を知ったら、きっと今までに見たことのないぶち切れ方をするんだろうなぁ……」
「お前まさか言ってないよな?
あれは怒らせたら怖いぞ?
一度成敗対象に捕捉した相手への獰猛さは元よりだが、殺意が極まれば恐らく追跡や捜索してでも追い回して殺しに来るぞ」
「わかってるわよ、死ぬ気で黙秘したわよ。
かつて調伏された大妖を復活させる、それの実験に過ぎなかっただなんて。
それであれほどの実害をもたらしただなんて、あの子が知ったら発狂して襲い掛かってくるでしょ。
想像しただけでぞっとするわ」
「だからちゃんと我々の手でオオムカデを片付けるだけの後始末をしたのではないか。
あれでも遥かに想定未満に被害を抑えたつもりだぞ?
アンズを巻き込んだのはやはり正解だったとしか思えん」
「あんたが蘇らせる大妖にオオムカデを選んだって知った時、こいつ正気かって心底あたし思ったもん。
目覚めたばかりの腹ぺこオオムカデなんてやばいでしょ、どう考えても。
あたし達二人じゃ、まあ最後には征伐できたでしょうけど、摂泉村なんて十中八九地図から消えてたわよ」
「そりゃ私とてアンズを巻き込まずにオオムカデの復活なんぞせんわ。
蘇らせることも難しい大妖を蘇らせ、被害も最小限以下、私は自信をつけることが出来た、最善の結末ではないか。
摂泉の村人にはご愁傷様としか言えんがね」
「ひっどいわねぇ。
あたしはもう少し上手くやれるようにしなきゃいけないんだろうなぁ」
「私が上手くやれてないかのように言うのはやめてくれ。
これでもかなり上手くやった方なんだからな」
実害を被った者達が納得することは絶対にあり得ないが、ミノヤマは目的を最高の形で達成した上で、上手く運んだ方であるのは確からしい。
ミノヤマもイバラギも、自分達の最終目標に対して妥協することは無いのだが、可能な限りでならば無関係な者達への被害は抑えるよう努めている。
あれでも最小限だったのだ。死人が出ていないこと自体が奇跡のようなもの。
重ね重ね、あれで何が最小限だと言われる話に過ぎぬが、それでもミノヤマは胸を張ってあれで最善だと言ってのける。
邪悪である。そして、当人も自覚はある。
復讐に取り憑かれた者の始末の負えなさは筋金入りだ。
「協力、ほんと頼むわよ。
妖魔転生の儀だけでなく、その後の始末も含めて」
「ああ、わかっている。
私とお前の目指すところは似て非なるが、一蓮托生と誓ったのだ。
恐らく、手を結んで行動するのは次が最後になるであろうがな」
「それだけ、あたし達の悲願は目前に迫っているということでもある」
「上手くやれ。そして、成功させろ。
私は、お前が満たされた結末を迎えることを心から願っている。
いい加減、付き合いも長くなってきた頃だしな」
「ええ、あたしも同じことを思ってる。
この長かった関係に終わりが近付いていることを思うと、寂しくも感じるわ」
友情はある。ここに確かな。人の世に仇為す者同士の。
二人はそれを常に自覚し、それを本来あって非ざるべきものであると知りながら、我が道を貫き通す友人同士。
近く道を分かつことを惜しむかの如く、拳を差し出し合い、盃を交わすかのようにこつんと打ち鳴らす様に、双方の深き絆は垣間見える。
それは、美しいものなのだろうか。邪悪さの欠片も無い、純然たる寂寞の想いを交わすイバラギの表情と、頭巾の奥からも感じる情念を声に表すミノヤマ。
描写された光景によってのみ語られる美など、別の側面を語らずしてその本質を表しきれようもないという好例だ。
「あんたがいる限り、アンズはあたし達との悪縁は断ち切れないんだろうなぁ。
あの子が一番、気の毒だわ」
「ふふ、入れ込んでいるな。私もそうだがね。
気持ちはわかるよ、やはりあるべく生きている者こそが、この世に在り続けるべきなのだからな」
「ともかく、借りは忘れないようにね。
それはあなたも望むところでしょう?」
「ああ、当然だ。
あいつが我々との決戦で生き残ろうが、生き残るまいがな」
朝焼けを眺めて酒を求めるかのように、腰の傍を手ですかすかするイバラギに、結局こいつも酒飲みの鬼だとミノヤマは苦笑する。
自ずと出たその仕草を笑われて、ちょっと恥ずかしくなったイバラギが、ミノヤマをはたこうと平手を振るう。
ミノヤマは躱した。怪力鬼の突発的な照れ隠しになど触れてられるか。
座ったまま身を逃がした最低限の回避に、あはっと笑うイバラギの表情には、気心知れた友人との空気を楽しむ率直な想いだけが溢れていた。
鬼と、復讐の化身。
手を結んだ者同士として、これ以上に最悪な組み合わせはあるまい。
そんな二人でさえ、大願を離れて語らう際にはこの程度に穏やかなものだ。
鬼でありながら人らし過ぎるイバラギと、不気味な風体でありながら情を理解する言を心から発せられるミノヤマ。
表面をなぞるだけで、その人物の本質など見えようはずがないという真理を、二人が実践するにはあまりにも充分な一幕である。




