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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第参章  摂泉国で大わらわ
62/63

第六十話   ~伝説の大妖魔~

奇数日だと思ってうっかりしてました。



 大百足(オオムカデ)


 かつては山波国の東に隣する、近滋国にて名を馳せた大妖魔の名。

 伝説上では山にすら巻き付く巨体であったと大袈裟に語られるが、実物と対峙したことのあるテンジンは、それが誇張された逸話であるとも知っている。

 ただ、見上げるほどの巨体であるのは確かだ。

 実際その太い身体の全長は、立ち上がろうものなら人の背の十倍をゆうに越すほどで、規格外の巨体であったのは間違いない。

 その巨躯だけで見る者を圧倒する存在感は、それだけでかつて近滋の民の心を、恐怖に染め上げるには充分なものに違いなかった。


 大顎は人の胴体をひと噛みで真っ二つにする切れ味にして、巨体の足はその一本一本が、その先端が人の肉はおろか骨をも貫くほど鋭く硬い。

 鎧や兜を身に付けた武士ですら、林檎を噛み砕くような豪快な音を立てて喰らうため、人類が用意した防具はこの怪物の前に意味を為さない。

 有する毒も非常に強力で、大きな口から唾のように吐き出した人の拳大の毒液が、浴びた者をたちまちどろどろに溶かしたという逸話も史実として残る。

 巨体によって踏み潰して息絶えた人間を、頭蓋をも貫く足先で突き刺して、口元へと持っていきむしゃむしゃと咀嚼する姿は実に恐ろしく。

 溶かされた者をずるずると啜りながら、次はお前だとばかりに次の獲物を睨む眼は、それだけで次の獲物の腰を抜かさせて逃げ道を塞ぐ。

 それでいてその赤き全身に纏う甲殻と頑丈な足は、力自慢の武士が刀を振り下ろしても、傷こそつけられても貫けず斬れぬというのだから始末に負えない。

 かつてこの存在に、どれほどの人間が為すすべもなく屠られてきたかなど、数えることも馬鹿馬鹿しいことが容易に推察できるというものである。


 まあ、そんなことはたいしたことではないのだ。

 ここまででも充分たいした話だが、オオムカデが最も恐れられた最大の根拠と比べれば、こんな話も些事である。

 オオムカデはひとたびその怒りに火がつくと、文字通り全身の熱を上げ、その口から燃え広がるような豪火を吐いたことで知られている。

 焼き焦がしてしまった亡骸は、不味いゆえなのか目もくれぬというのだから、食事を度外視するほど本当に怒った時だけの大技として知られる。

 一度オオムカデが怒って火を放てば、山を禿げさせ人里をも焼け野原にしたというのだから、もはやその存在は災害の権現とさえ言い表せよう。

 ひとたび暴れれば人命はおろか自然すら破壊するそれは、妖魔の枠組みを超えて神の如く畏れられたとしても、何ら違和感無きほどだったはず。

 伝説的妖魔。そう称して相応しい大妖(おおあやかし)である。


 今の世にそれが存在しないのは、百年以上前に討伐されたからだ。

 名高いゆえに、討ち取られたこともまた歴史的な事実として、妖魔調伏に携わる者なら誰でも知るほど、それは連綿と語り継がれてきた。

 だから、アンズも知っているのだ。自分が生まれるずっと前に討たれ、今やこの世にいないはずのその妖魔の名を。

 ゆえにこそ、イバラギの口からその名が出たに際し、あまりにも衝撃的でアンズが耳を疑ったのも、極めて妥当な反応である。






「待って! 最後まで聞いて!

 あたし達は、オオムカデをこの世に解き放つつもりはないの!」


 そんなオオムカデを、現世に蘇らせることが目的であると言い放ったイバラギ。

 いくつもの村が滅ぶことになるであろう災いを招かんとするその野望に、一瞬でかっとなったアンズの目に蒼い炎すら宿る。

 許すまじ存在をただちに調伏せん勢いであった彼女に、その反応を予想していたイバラギも、強い声でどうにか宥めようとする。

 敵対も対立も最後には免れない相手だとはわかっているが、今だけは誤解されたままこの話を終わるわけにはいかない理由がある。


「きっとこんな想像をされてちゃったと思うのよ。

 あたし達がオオムカデを味方につけ、あなたをはじめ、妖を討つ者達に対抗する勢力を作ろうとしている。

 果てにはオオムカデと共に、妖として人の世を乱そうとしていると」

「…………そうではない、って?」

「ええ、これだけははっきり否定させて。

 というかそもそも、オオムカデを従える自信なんて無いしさ」


『まあ、そうだろうな。

 奴の世界観には敵や味方という概念は存在しない。

 食えるものと食えないものだけだ』


 アンズが想像した、イバラギとミノヤマがオオムカデと手を結ぶという展開は、かの大妖(おおあやかし)を知るテンジンに言わせればあり得ない。

 知性そのものは高いはずのオオムカデなのだが、あれには何者かと共闘するという発想が無いのだ。

 たとえイバラギが、復活させたオオムカデに恩を着せるなりして協力を求めたとしても、オオムカデがそれに従うことは絶対に無い。

 あれは正真正銘の孤高の暴君だ。テンジンにはそう断言できる。


「……だったら、何のために?」

「復活させ、討ち滅ぼすのみよ。

 私に話せるのはここまでよ。

 借りに報いられるほどのことは話せたと思ってる」


『オオムカデを蘇らせる、か……

 そんなことが、本当に出来るのか?』


 テンジンが、呟くようにながらややはっきりとした口調で尋ねた声に、アンズはその意図をすぐに理解できる。

 テンジンがイバラギにそう直接尋ねてみたいのだろう。

 アンズ以外とは直接的に対話できぬテンジンなので、アンズは自分の言葉遣いで、今のテンジンが発した言葉と同じ問いかけをイバラギに投げかけた。


「あたしには出来ない。だけど、ミノヤマには出来る。

 あいつは、そのための手段と過程、必要なものや手順を知っている。

 オオムカデの復活は不可能なことじゃないって、あたしは信頼しているわ」


「……わざわざ復活させて、自分達で討ち取るの?」


「放置すれば、あらゆる方面に甚大な被害をもたらすでしょう。

 確かにあたし達は人に仇為す妖という存在ではあるけど、けして望まぬ混沌というものだってあるのよ」


 穴を掘って埋めるだけ、しかも埋めるのが死ぬほど大変。

 そんなことをしようとしているイバラギ達の最終目的がアンズには想像つかない。

 意図のわからぬ、壮大さだけは一丁前のイバラギ達の行動。

 これ以上は語られぬような口ぶりに、ここから先はアンズも自分で推理、想像、推察していくしかないのだろう。


『こいつらは本当に食わせ物だな。

 私の想像どおりなら、こいつらは最後、もっと恐ろしいことを引き起こすぞ』

(……御想像がつくのですか?)

『あくまで推論ゆえ、今はまあよい。後でゆっくり話せる時に話してやろう。

 だがアンズ、今はこいつにこう尋ねて貰えんか?』


 またもテンジンはアンズに言伝を求める。

 耳打ちするような小声でその内容を伝えてくるのは、ここが肝心だという表明手段の一つに過ぎない。

 どのみちテンジンの声はアンズにしか聞こえないため、他者に聞こえぬようにするためのひそひそ声ではない。


「ねえ、イバラギさん。

 もしかして私にも、オオムカデの調伏に協力しろと仰る?」


「あ~、や~、まぁ~……それは、そう……かな。

 せっかくなので手伝ってくれると嬉しいけど……

 たいへん厚かましいのは重々承知ですが……」


「ふ~ん……それは確かに、些か厚かましいですよねぇ」

「いだだだ!?

 ごめんごめん、わかってるって!」


 露骨にいらっとした顔になったアンズが、イバラギの二の腕を撥の先端でぐりぐり突く。

 そもそもそんな大妖魔が本当にこの世に再び顕れるというのなら、頼まれようが頼まれまいがアンズは調伏に臨む他無い。

 そういう立場の巫女だと恐らくイバラギはわかっているであろうし、それで気まずそうなのはまあ許せるが、そもそも種を蒔いたのはこいつらなのだし。

 やるしかないよなぁ、と思う一方で、伝説の大妖魔オオムカデが相手か……という不安も膨らんでくる。


「別にいいですけど、イバラギさんも戦ってくれるんですか?

 私に任せて眺めてるだけとかびっくりしますよ?」

「無い無い! あたしもミノヤマもちゃんと協力させて貰うわ。

 オオムカデの調伏は、あたし達の目的からも逸脱してないんだからね?」


(……テンジン様。

 オオムカデって、今の私でどうにか出来る相手なんですか?)

『どうであろうなぁ……

 本当にこの緑鬼やあの黒装束が、他意無く協力してくれるならあるいは、というところではあるのだがな』

(この人達を手放しで信用するのも怖いんですよねぇ……)


 だけど、やるしかなさそうだから困る。

 以前ミノヤマと戦った時もそうだったが、今も他の選択肢を全部奪われた上で、結局向こうの思惑どおりに動くしかなくなっているのが癪に障る。

 イバラギの偽りなく申し訳なさそうな態度を見ていると、この状況の絵を描いたのもミノヤマの方な気がしてならない。

 またあいつの掌の上に乗せられているような気がしてくると、無性にむかむかしてくるというものだ。


「……はぁ。わかりましたよ。

 どうせそうすると決まってることなら決断は早いに越したことないですしね」

「ごめんね、必ず何らかの埋め合わせはするから。

 鬼族として以外での形なら、何か頼んでくれたって構わないわ」

「それどういう……ああ、いつか必ず対立するからか。

 流石にその辺りはしっかりしてますね」

「あなたに義理が出来たとしても、今の身内を裏切る不義理は流石にね」


 巫女アンズの命はアンズだけのものではないように、緑鬼イバラギの命もまたイバラギだけのものではない。責任のある立場だから。

 いつかは再び二人がぶつかり合う日は訪れるのだろう。アンズがコナツに協力する以上は確実な未来だ。

 アンズに借りが出来たイバラギだが、自分の命を蔑ろにすることをはじめ、鬼族に不利益になるような行動は取れないということである。

 もっともアンズとて、いくら貸しが出来たからといって、無茶でも何でも言うことを聞けと言って通じるとは思っていないので想定内。

 埋め合わせとやらにわざわざ期待するつもりも無いが、負い目があるゆえにちょっかいを出してくることが無くなるなら、充分それで結構なことである。


「よしっ、協力体制を結べたわね。

 色々あったけど実戦の中でだけは忘れてね? 一旦、恨みっこなしよ?

 あたし達も、流石にこの協力体制の中にあってあなたを裏切ることだけは絶対にしないから」

「一応信用しますけど、疑わしく思えるような紛らわしい挙動も控えて下さいね。

 こっちも命懸けですから、神経質にはなっちゃいますからね」

「そうね、そこは努めて意識するようするわ。

 ミノヤマにもその辺りは念押しさせて貰うわよ。

 あいつ察しはいいから言わなくてもわかってくれるかもしれないけ……」


「イバラギーーーーー!!!!!」


 さあ行くぞ、と気合を入れたイバラギと、釈然としない想いを封じながらも気を引き締めていたアンズ。

 遠方から割って入ったその声は男の絶叫だ。

 静かな野においてよく響き渡ったその声は、遠方からゆえ二人を驚かせる大きさではなかったものの、発した者の必死さだけは妙に伝わるものだった。


「あっ……しまった、ちんたらし過ぎた……」

「今のがミノヤマさんの声?」

「うん、そう」

「またカムロさんと同じ声だ……

 ご本人じゃないだろうとは信じてるけど……」


 摂泉村でカムロと再会してからの数日間で、やはりかつて戦った黒装束の男とカムロは別人だと結論付けたアンズである。

 もう惑わされない。地声が似過ぎているか、あるいは似かしているだけと見る。

 全身あのような姿なのだから、正体を隠すために声を作るぐらいのことはするだろう。

 声のした方から全速力で駆けてくる、黒装束の男の姿を目の当たりにして、つい迎撃したくなる気持ちをぐっと堪える。


「ミノヤ……」


「ばかたれーーーーー!!」


「まぶべっ!?」


 黒装束の男ミノヤマは、夜闇に映える光る雷神太鼓を背負ったアンズに目もくれず、真っ先にイバラギに飛び蹴りをぶっ刺した。

 ほぼ不意打ちで全速力の飛び蹴りを差し向けられれても両腕で防御したのは流石のイバラギだが、威力が凄すぎて吹っ飛ばされていった。

 後転ごろごろ。基礎身体能力では右に出る者無しであるはずの鬼らしくなく、見た目相応に人らしい脆弱なやられっぷり。


「可能な限り早く来いと言ったであろうが!

 オオムカデはもう目覚めたぞ!

 大暴れしとるわ!」

「だ、だあってしょうがないじゃないの!

 アンズをなんとか引き込めって頼んだのはあんたでしょ!

 難しい立場から一生懸命説得して、ようやく協力体制も結べたのにひどい!」

「そんなもんは走りながらやれ!

 お前なら駆けながらでも喋れるしアンズにだって出来るわ!

 こっちはずっと一人でオオムカデの対処で死ぬかと思ったわ!」


 傍目からでも無茶なことを言っているのが明らかなミノヤマだが、彼の纏う黒装束は所々が焦げている。

 火を操るオオムカデと交戦でもしてきたのだろう。

 死ぬかと思ったというのは恐らく誇張ではないであろうから、今は極端に気が立っていたとしてもおかしくない。

 命懸けの局面で、数少ない味方があまりにも話と違う動きをしていると、穏やかでいられぬというのは至極当然のことである。


 アンズには知ったこっちゃない話だが。

 そうか、死にかけたのか。ざまあみろとしか。

 いっそ死んでいてくれればとまではアンズも思いはしないのだが、ひどい目に遭ってくれるなら願ったり叶ったりである。

 ついでにイバラギが蹴られた時も少し溜飲が下がった。渋々協力体制を受け入れたが、基本的には二人とも怨敵だ。昨日のことを忘れたとは言わせない。


「……しかし協力体制は結べたのだな?

 うむ、アンズ。すまんかった! 色々と!

 謝ってすぐ許されるとは思っておらぬが、申し訳なかったとは思っている!」


「とりあえず呼び捨てにするのやめて貰えます?」


「いだっ、いだだっ!?

 待て待て、わかっている、わかっているんだ!

 頼むから今だけは勘弁してくれ! 埋め合わせは必ずするから!」


 くそっ、こいつもイバラギと同じこと言ってきやがる。

 撥でべしべしミノヤマを叩くアンズの表情たるや、なんと不服そうなことか。

 なぁにが埋め合わせだ、今の私の不快感をまずどうにかせえと言いたい。

 緊急事態なのはわかっているから、冷静にこいつらと手を結ぶのが最善なのも理解できるが、そもそもこいつらが発端の緊急事態だから納得が追い付かない。


「……どうしてこんなことしたのか、いつか必ず聞かせて下さいよ。

 埋め合わせと言うならそれぐらいの約束はしてくれていいでしょ」


「う、うむ……すぐにとは言えぬが、必ず何らかの形で白状しよう。

 無論、それで借りを全て返しきるとも思っておらぬでな」


 とにかく落ち着こう。今は本当に揉めている場合じゃない。

 イバラギと対峙している間は気付かなかったが、いざ改めて南の果てに目を向けると、遥か彼方に異常な光景がある。

 今は真夜中。晴天ゆえに無数の瞬く星と、新月に近い月によるかすかな明かりが平野を照らす下、南東の地平線が赤い光を放っている。

 さながら、沈み切った夕陽がその名残を覗かせるかのように。

 日没からは遥かに時が経ち、まして西でもない方角の地の果てが、そのような光を広く発しているのはどう考えてもおかしい。


「……あれ、火事ですよね。

 取り返しのつかないことになってませんか」

「惨事ではあるが、あの辺りは燃え広がるものが限られている。

 元よりどうこう出来る大火ではないが、放っておけばそのうち消えるはずだ」

「他人事みたいに言いなさんな」

「あだだっ、頼む頼む、もう勘弁してくれ。

 私の言うことすべてにいらいらするのはわかるが、そうとしか言えぬではないか」


 オオムカデが火を放ったのであろう南の平原が、今頃火の海であることが遠くからでも見て明らか。

 木々の多い山からは離れている場所であるようで、しばしは延焼を続けるかもしれないが、長い目で見れば無限に広がることはないというのがミノヤマの見解。

 一応、冷静な判断である。アンズが釈然と出来るかは別問題というだけ。

 撥で背中をぐりぐりされて逃げるミノヤマも、こう反応されるのは仕方ないのもわかっているため強くは出られない。


「オオムカデは?」

「じきにこちらへ向かってくる。

 怒らせて私に矛先が向くようにしながら距離を稼いできただけだ。

 あさっての方向に向かわれて暴れられても困るから致し方ない」

「まあその方が良かったのはわかりますが……」


 伝説の妖魔が気ままに徘徊し、人里にでも辿り着いたら大変だ。

 ミノヤマもミノヤマで立ち回りそのものは綿密で、抜かりが無い。

 流石に一度はアンズを山中で手中に取り、今回もアンズの意に反して結託を強いる絵を描いただけのことはある。

 そうした優秀さが、対立する立場のアンズからすると本当に嫌なのだが。


「来るんですね?」

「ああ、もう見えている。

 おいイバラギ、いつまで股の間を晒して座り込んでいるんだ。死ぬぞ」

「うるさいなあ!

 腰を打ち付けて痛いんだよ!

 主張はわかるけどもう少し手加減してくれても……」


「ギシャアアアアアッ!!」


「散れーーーーー!!」

「うをーーー!?」

「うをををを!?」


 本当に、馬鹿みたいなやり取りをしながらどつき合っている場合ではなかったのだ。

 宵闇の向こうから大きな影が真っすぐこちらへ迫ってきて、しかもそれは暗さゆえに実体が見えづらく。

 距離が縮まってきたところで、向こうも獲物を見つけて一気に加速したため、アンズ達の目には闇の開口から突然怪物が飛び出してきたようにさえ見えた。


 頭部だけで子牛ほどはあろうというオオムカデが、ぎらついた眼光で大顎を開いて迫ってきた光景は、この怪物と初遭遇したアンズの度肝を抜くには充分。

 戦い慣れている彼女の胆力でなければ、その金切り声と合わせた迫力に呑まれ、足が動かずその顎に捕まっていた可能性が高い。

 それでもびっくりした。右に逃れたミノヤマ、左に逃れたイバラギとは別、高く跳んで生み出した雲に乗ることでその顎から逃れたアンズ。

 出会い頭に食い殺される寸前であったことに、先ほどまでのミノヤマやイバラギとの諍いも頭から吹っ飛んで、ばくばくと鳴る胸元を手で押さえるほど震える。


「で、でかーーーーー!? こわーーーーー!?」

「やばーーーーー!? でっかぁーーーーー!?」


「お前ら、似ているな……

 密かに前々から思っていたことではあったのだが……」


 空からオオムカデの全容を見るアンズも、地上からその全容を視界内に収めきれないイバラギも、初めて目の当たりにしたオオムカデを前に言うことは一緒。

 夏になるたび見慣れたムカデを、そのまま巨大化したかのような姿ではあるが、その大きさが聞きしに勝ってとんでもない。

 太い胴体は大人が両手を広げたほどに太く、しかもその全長は仮に直立でもしようものなら、二階建ての屋敷を五つ縦に重ねてもきっと足りない。

 山に巻き付くほどの巨体だと伝えられしオオムカデ、たとえ実際にそこまで大きくはないとしても、間近で見ればその逸話に真実味すら感じられよう。

 伝承を記した者は、けして面白がって大袈裟な表現を用いたのではなく、目の当たりにしたことの無い者に伝えるにあたり、的確な例えを探しただけなのだ。

 時を超えて大昔の人々と同じものを目にしたアンズは、恐るべき妖に苦しめられた時代を生きた先人の言葉の迫真を、計らずして知り及ぶ形となった。


『これでも全盛期よりは小さいぞ。

 どのような手段で蘇らせたのかは知らぬが、不完全なようだ』

(これで!?

 化け物にもほどがあるでしょう!?)


「目覚めたばかりでこのオオムカデは力を取り戻しておらぬ!

 だが、糧を食らって腹を膨らませれば、再び力をつけて体躯もこれ以上となるだろう!

 そうなれば手が付けられぬ! 今この姿のうちに仕留める他ない!」


『おーおー仕切っておるなぁ。

 まあ涙ぐましい努力もしてくれてきたようではあるが』


 言っていることは何ら間違っていないミノヤマだが、どの立場で指揮役を気取っているんだか、とテンジンも皮肉の一つでも言いたくはなる。

 オオムカデは、まずミノヤマを睨みつけた後にアンズとイバラギを一瞥し、獲物の数を確認しながらも再びミノヤマを睨んでいる。

 目覚めたオオムカデにミノヤマがちょっかいをかけて怒らせたのだろう。格別、ミノヤマを敵視している。

 おかげでオオムカデはミノヤマを追ってきて、余所に行ったりミノヤマ以外の獲物を狩るなどもせずここに至り、腹を空かせたままということだ。

 単身しばらくこれとやり合い、死ぬかと思ったと言いながらもある意味では手玉に取り、この状態に保たせたという意味では功労を認めてもいいのだろう。

 そもそもこいつが目覚めさせたという一点を無視すればの話に過ぎないが。


「アンズ! 重要な話がある!」

「なんですか、偉そうに仕切らないで下さい」

「ここはもはや、摂泉村に随分と近い場所になってしまった!

 ここでこいつを追い詰めても、きっとこいつは生存を試みるために逃げ、やがては人の多い摂泉村に辿り着くだろう!

 オオムカデは冷静になると鼻も利くからな!」

「難しい注文出してくれますねぇ……!

 そもそもあなた達がこいつを目覚めさせたくせ……」


「というわけで、私はこれから摂泉村に向かって避難誘導に努めてくる!」


「………………は?」


 冷や汗を流しながらオオムカデから目を離すまいとしていたアンズが、すんと無表情に豹変してミノヤマの方を向いた。

 やばい表情だとはミノヤマも思った。そりゃ怒るよなとも思う。

 殺意すら抱かれて当たり前だとわかっているため、ここはあんまりな発言にアンズの思考が凍っている隙に逃げるが吉。というかそれしかない。


「後はよろしく」


 そしてミノヤマは北へと駆けていった。すげえ速さで一目散。

 アンズとイバラギをほったらかしてである。


「はーーーーー!?

 ……はああああああああああ!?」


 呆れを通り越してぶっち切れたアンズの絶叫は、あまりの声量でイバラギもびくっとした。

 オオムカデも首を動かしてミノヤマの走りを目で追ったが、今は空腹が勝っているのだろう。

 身近にいる空のアンズと地上のイバラギ、獲物がそばに二つもあるなら、まずはこいつらで腹ごしらえしてからだと、二人に牙を向ける構えとなる。


『こら、怒りはわかるが今は目の前の敵に集中しろ。

 余念を抱えてどうにか出来るような雑魚ではないのだぞ』

「……あいつ、まじいつかぶちのめします。

 今はこいつをどうにかしてからですけどね」

『うむ、まあ、それでよいわ』


「アンズ! オオムカデは頭を仕留めないと意味がないわ!

 狙いはきっちりそこに定めてね!」


 ミノヤマへの激怒という余念がありありと残っているアンズだったが、それ消せと言っても消せそうにないのでテンジンはよしとした。

 今すべきことさえわかっているなら、それで妥協するしかあるまい。

 イバラギも地上から重要な声掛けをしてくれている。無視せずイバラギを一瞥した目の動きからも、しっかり戦えるアンズであることは信頼できるのだから。


『私からもいくらか知恵を貸そう。

 忙しくなるであろうが、指示に従ってくれれば悪いようにはせんぞ』

「わかりました、よろしくお願いします」

「来なさい、オオムカデ!

 勝てば鬼が喰らえる好機などなかなか巡り合えないわよ!」


 助力を誓うテンジン、気が立っているゆえ念ではなく声で応じるアンズ、そしてオオムカデを煽るイバラギ。

 かすかなる星明りのみに照らされた夜闇に包まれた平原に浮かぶ、巨大なる百足の影は顎をがちがちと鳴らし、餌の糞生意気な反抗心に苛立ちを覚えている。


「ギシャアアアアアッ!!」


 オオムカデが吠え猛るのは、二人に襲い掛かる直前の威嚇でもあり、我に挑んだことを悔いよという宣告だ。

 歴史に名を残した怪物に、人と神と鬼が手を結んで挑むこの一幕。

 妖の影など気配一つ無かったはずの異国への旅の果て、アンズを最後に迎えたのは、見るからに巨峰の如き大いなる試練であった。

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