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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第参章  摂泉国で大わらわ
59/63

第五七話   ~結局あなたはそちら側?~



「くしゃくしゃになってきた」

「練習用には柔らかくて丁度いいと思うんだよ、私はね」


 日も沈みきって外も暗くなった頃、夕食を食べたアンズとクマリは、宿の一室で皺だらけの紙を使って遊んでいる。

 真四角の一枚の紙を折り、色んな形を作る遊び。折り紙、とでも名付けられる遊びであろうか。

 紙は基本的にお高いものであり、庶民の間に浸透する遊びではないが、ナルミに引き取られたアンズは紙に触れることも多い育ちである。

 発端は京からの土産の包み紙を、ナルミお母さんが折って鶴の形にして見せてくれたのが始まりだったが、幼いアンズはその遊びがたいそう気に入った。

 一人で退屈な時は、一枚の紙を折ったり開いたりを繰り返し、色んな形を作れるよう手順を研究していたものだ。


 お小遣いで和紙を一枚買ってきたアンズは、それで適度な大きさの正方形を二枚作り、クマリと一緒に遊んでいる。

 一枚を何度も折って開いて、新しく面白い形を作り出す技を編み出せないか、節制しながら研究していく。

 折り目だらけになった紙はすっかりへなへなで、いつ破って駄目にしてしまわないか慎重にもなるが、新品の時よりも折りやすくはなる。

 予備の和紙ももう一枚は買ってあるのだが、だからと言って手元の紙を破って無駄遣いにはならないよう、クマリも農民よろしく節制には前向きだ。


「えーと、こうだっけ……

 お姉ちゃん、できたよ~。やっこさん!」

「お、ついに折り方覚えたんだね。

 ちょっと待っててね、こっちもすぐに……はい、袴の出来上がり。

 これを、クマリが作ってくれたやっこさんの足に付けると?」

「すごい! もっと人のかたちになった!

 うでが短いけど!」

「うーん、上手い具合にちょうどいい長さの腕のやっこさんは、私もまだ作れないなぁ」


 呑み込みの良いクマリは、アンズが教えた折り方をすぐ覚え、教えられたものの形を再現するまでにも時間はかからない。

 本当に学習が早いのだ。今日はじめて折り紙をした指先とは思えない。

 山折り谷折りは勿論のこと、中割り折りまでならともかく、案外難しい外割り折りやつまみ折りなども、既に軽々とこなしている。

 海辺にて砂で作ったものもやたらと完成度が高かったし、クマリは造形に関しては本当に天才肌なのかもしれない。


 一人遊びでアンズが編み出してきた、舟の形や蛙の形など、どれを見せてもクマリは目を輝かせてくれる。

 さあやってみよう、と一緒に折り方を教えてあげれば、クマリもアンズの指の動きも紙の形の変化もよく観察し、多少の時間をかけて模倣する。

 なんだか弟子に己の築き上げてきた技術を継承する、師匠にでもなった気分。

 もしもいつか、クマリが自分よりも凄いものを作ってきたら、うむうむ、もはや師をも超えたな、とでも言ってあげたい。既に今から楽しみだ。


「はゎ……ねむくなってきた……」

「そろそろ寝る?

 お姉ちゃんも、そろそろ出発しなきゃいけない頃合いだし丁度いいかもね」

「どろぼうたいじだよね。

 お姉ちゃん、むりはしてはいけないのだぞ。

 お姉ちゃんがしんだらわたしもしぬ」

「うんうん、わかってる。

 そりゃ私だって死にたくはないですよ~」


 目をこすりながら眠たげに言うクマリは、別に神妙な顔をして言ってくるわけでもないのだが、この子はアンズを喪えば本当に自死しかねないのが怖い。

 かつてミノヤマに捕まり、自分を人質にされた時、自分はどうなってもいい顔を本気でしていたのが洒落になっていない。

 重い空気にしないようアンズもへらへらとした態度で応じるが、ある意味で本当にしくじれない圧を己に課してもいる。

 自分の命は自分だけのものではないことなど昔からわかっているが、クマリのことを考えると、自分含め二人ぶんの命を背負っていることを忘れようがない。

 

「お姉ちゃんはこないだ鬼すらも調伏してきたからね。強いぞ~?

 泥棒なんかに負けたりしないから、安心して待っててね」

「わかった~。

 そろそろわたしもげんかいだぜ。ねるぞ」

「布団は自分で敷きなさい。

 そういう甘えは許しませんぞ」

「くっ、じひをもとめてもつうじぬか」


 時々クマリが積極的に使う、武士をはじめとした大人を真似る言葉遣いは何なのだろうか。

 山波村の筆場に遊びに来る際、クマリを迎えに行ってくれる武者タケスエの喋りを真似でもしているのだろうか。

 タケスエは寡黙な人として有名だが、クマリの武士口調の模倣先がそれであるなら、案外あの人もクマリ相手には口数を増やしてくれているのかもしれない。


 布団を敷いて、クマリを寝かせ、高坏(たかつき)灯台の火を消して部屋を暗くすれば、アンズもクマリが寝付くまでは隣に添い寝する。

 身を寄せるだけで幸せそうな顔をするクマリが、目を閉じてから、深い眠りについた息遣いになるまで待ち、それからアンズはゆっくりと離れる。

 暗い部屋の中では可愛い妹の寝顔を見ることは叶わないが、心休まる夢を見ていると思しき息遣いさえ聞ければ、アンズとしては充分だ。

 んふ、ふふ、としばしば小さく笑うような声にも近い息が溢れる音からは、きっとアンズか今は亡き両親と、夢の中で楽しく過ごしているのだろうと思える。


 クマリを起こさぬよう忍び足で部屋から出て、宿の外へ草鞋を履いて出たアンズは、雲一つ無い星の多いそらを見上げてふうと一息吐く。

 さあ、切り替えていこう。名高き泥棒をとっ捕まえる仕事のはじまりだ。

 相手は人の子、妖魔ほどは怖くないはず。だが、窮地に陥った鼠の抵抗はしばしば、油断した猫の顔を傷つけることもある。

 驕りも慢心も一切無く、悪漢に挑まんとする時を控えたアンズの眼差しは、既に戦う雷神巫女のそれに変わっていた。

 良い心がけだ。テンジンも、そうしたアンズの切り替えの良さはよく褒めている。











 ここしばらく摂泉村を騒がせている夜盗、五右衛門(ゴエモン)

 そんな名の人物はこの村はおろか、摂泉国いっぱいを探しても見つからぬらしい。つまり偽名と思われる。

 流石に盗みは悪行には違いないという自覚はあるのだろう。普段は市井に紛れて生きている大泥棒が、偽名を名乗ることにはアンズも納得できるところだ。


 さて、そんなゴエモンを捕らえようと思えばどうすればいいだろうか。

 最も理想的な展開としては、ゴエモンが的にかけた家で待ち伏せし、最強の戦力であるアンズがゴエモンを迎え撃つというものであろう。

 そのためには、ゴエモンが次に狙い定めている的がどこかを割り出さねばならない。これが第一の関門。

 それを推理してくれるのが、摂泉村はおろか摂泉国でも一番の切れ者であるソウサイとヤシマの二人であり、アンズは既にその知恵を授かっている。


 どうやらゴエモンは結構な頻度で事件を起こしているらしく、一つの事件を起こしてから次の事件を起こすまでの間隔もやや短い。

 長くて七日空いたぐらいで、短ければ三日で次の事件を起こす傾向にあるという。

 前回の事件は五日前であり、傾向どおりにいくならば、そろそろゴエモンが次の事件を起こすだろう、という認識は摂泉村全体にも広まっている。

 あくまで過去を前例に見立てたものであり、確実性には欠けるものの、今日か明日か明後日ぐらいには、というソウサイの予測は自然である。


 ソウサイとヤシマの見立てによると、次に狙われそうな家というのはいくつか絞り込めているとのこと。

 必ずしもその予測が当たるとは限らない、とは当人らの言でもあるのだが、下手人捕らえに本腰入れた大物達の見解は、頼るに値するには充分であろう。

 二人が言うには、次の的にかけられそうな家は五軒あるという。

 つまり金持ちで、悪いことをしているであろうという噂に真実味があり、評判が悪く、それが被害者になっても民意を敵に回しにくそうな者。


 ちなみに本当は、五軒だけでなくもっと候補はあるらしい。これでも絞り込んであるそうな。その上で、この五軒ははずせないほど臭いということ。

 そんな商人がそんなにいるこの村は大丈夫なのかなともアンズは思うのだが、商売と屏風は真っすぐでは立たぬという言葉もあるし、気にしないことにした。

 批難されるようなことをした方が儲かるという、露骨に道徳に反するような認識は、この時代から既にあったようだ。憎まれっ子世に憚る、とも言うように。

 今でも現在進行形で、平独楽(ひらごま)を買い占めていると推察される者は、こっそり山ほど稼いでいるはずである。


『ふふふ、ソウサイとヤシマは候補に入っていないのかね。

 あいつらもまあまあ悪い奴らではないか』

(いや~、摂泉の人であの二人の財産に手を付けようとする人がいるなら、現実的でないぐらい度胸あり過ぎでしょ)

『そもそもあの二人の財産を奪って民衆にばら撒くようなことをすれば、確実にゴエモンとやらは民衆を敵に回してしまうだろうしな。

 あれらが怒り狂えば民衆にどんな八つ当たりをするかわからん』

(圧倒的すぎる存在感で敵すら作らないってのは相当凄い話ですよねぇ。

 俗に例えると不敬にもあたりかねませんが、摂泉国のみにおいて言うならば、あのお二人って帝にも匹敵する立場なんじゃないですかねぇ)

『いや、的を射ているぞ。

 皇族も世が思うほど清廉ではないからな』

(ここぞとばかりに裏皮肉を垂れるのは勘弁して下さい。

 反応に困るんですよ)


 強い政権を掌握していると清廉なばかりではいられないというのは、どこの世でもそうである。ある意味では先述の商人世界にも通じる話だ。

 テンジン様はその辺りの事情には非常に明るいので、アンズも多くを聞き及んではいるものの、あまりその手の話を深掘りしたくはない。

 意図せずとも陰口になりやすいし、それで良いことなど何も無い。

 事情も本質もよく知らぬ世界について、知った風な口を叩いてもろくなことがない。いつか必ず恥をかいて終わりだ。

 一番おっかないのは、自覚無きままに浅いことをべらべら喋り、誰にも指摘されぬまま気付かず後ろ指を差されること。本当によくある話である。


『それはさておき、そろそろ持ち場か。

 いよいよという時に向かうべき方向は把握しているか?』

(はい、勿論です。 

 当たりが近ければ、雲に乗ってでも最短で駆けつける心積もりです。

 人と人の争いですが、お力をお貸し頂きますね?)

『うむ、それは構わぬよ。

 妖魔調伏のために限らず、人の世の秩序を守るために神の力を用いるのであるなら、私としてもそれは望むところだからな』


 候補を五軒未満に絞り切れない以上、ゴエモンが来そうな家一軒を狙い澄まして張り込むのは博打が過ぎる。

 というわけで、村のとある一角にソウサイが持ち場を指定してくれて、アンズはそこに張り込むこととなった。

 この場所からであれば、ソウサイ達が挙げたゴエモンの次の狙い候補五軒のうち、二軒が比較的近く、あと一軒も少し遠いが駆けつけられる範疇にある。

 ゴエモン騒動が始まって長い中、小金持ちの商人はみな警戒心を高めており、我が家に異変があればすぐにでも鐘を鳴らすようソウサイ達に言われているのだ。

 ご丁寧に、鐘もソウサイとヤシマが配布している。本気で下手人を捕らえることを意識した豪商は投資に糸目を付けない。

 お二人とも、自分達の領分(しま)で名を轟かせて調子に乗っている下手人に対しては、力ずくでも叩き潰したくて気が済まないようだ。こわいこわい。


 無論アンズだけではなく、ソウサイとヤシマも配下を村中に潜ませて、手広くゴエモンが狙いそうな家には睨みを利かせている。

 最有力候補の五軒から漏れたような家も、あの二人なら可能な限り押さえているだろう。

 アンズは三軒も視野に入れて駆けつける構えを任され、単身やたらと広い守備範囲を押し付けられているが、雲に乗って速く空を駆けられるからでもある。

 いざ下手人を追うとなった時、家屋もすべて飛び越えて最速で空を駆ることが出来るというのは、到底常人には真似できぬ強みであるのだから。


 摂泉の大物、ソウサイとヤシマが敷いた策と布陣に、アンズという非常に機動力が高く強い駒まで加わった、怪盗ゴエモン包囲網。

 これで本当に今宵ゴエモンが現れ、お縄を免れれば本当にたいしたものである。

 さて、どうであろうか。噂に名高い大泥棒の底力や如何に。






(あとは待つだけですね~。

 何も起こらないのが一番ではありますが、どうせ事が起こるなら今日の方がいいと思っちゃうのは不謹慎でしょうか)

『今宵何も起こらぬようであれば明日もまた張り込むことになるのだろう?

 仕事を一日でも早く終わらせたいなら自然な発想であろうよ』


 朝から夕までかけて、ほぼ一日中の賑やかさに溢れた港湾の村も、星が瞬く頃にもなれば、打って変わって静かなものである。

 夜の虫が歌い出す夏はまだ遠く、蛙が騒がしくなる梅雨時もひと月後。

 未だ騒がしく、明かりも灯るのはこの村のごく一部の一角、酒場と賭場と色町が固められた区画ぐらいのものである。

 アンズのいる場所はそこから遠く、やや離れた夜の潮騒の音さえも微かに聞こえるほど、雑音無き闇が静謐に満たされていた。


 人目が無いことを幸いに、腋を覗かれる懸念が無いアンズが、両手を結んで空に向けうーんと伸ばす。

 見上げれば星の海。天の川も見える。あれが最も美しい時季は再来月頃だが、今見ても壮大で見物である。

 惜しむらくは今日は新月であり、晴れているのに月が見られないことだろうか。

 そのぶん地上を照らす灯りもお月様ひとつぶん弱く、泥棒にとっては好機寄りの日であるとも言えそう。

 もっとも、闇夜に妖魔と戦ってきた経験も多いアンズは、こうした夜闇に弱い目をしていないため、灯りの乏しさを理由に後れを取ることもあるまいが。


(ただ、人間相手に神力の稲妻を放つなんていうのも、そうそう多い話じゃないんですよね。

 当てるにしたって殺生になっては冗談では済みませんし、加減が難しいなぁ)

『そこは私も加減には手を貸すからお前は気にしなくても構わんがね。

 それより待つだけでは退屈だからといって、主神を暇潰しの話し相手にするのは如何なものかね。のう? のう?』

(え~、不躾なのは承知ではありますがお付き合い下さいよ。

 最悪どれほど待つことになるかわからないのですし……)


『……む、待て待て。

 すまんな、それ自体には付き合ってやってもいいと本心では思っておったのだが。

 恐らく、問題発生だぞ』

(え、ほんとですか。

 まさか妖じゃありませんよね?)

『そうではないがな。

 そうであるなら、今頃お前も既に気付き得ていよう。

 問題視するほどではないとは本来思うのだが、別の意味で面倒そうだ』


 テンジンからの警告を受け、アンズはすぐに足を開いて腰を少し落とし、どこから脅威が迫っても動ける臨戦態勢を取る。

 雷神太鼓はまだ出さない。あれはどうしても発光してしまう。

 村中が真っ暗闇という夜の今、ほんの村の一角であれど地上で光る異物の存在を示唆すると、ゴエモンにそれを悟られた場合に敵の動きが変わり得る。

 最悪それで今晩の盗みはやめておこうと慎重になられると、捕らえること自体が不可能になってしまう。

 必要とあれば当然出す雷神太鼓だが、不必要な限りはまだ控えておきたい。


「――よう、生意気娘。探したぜ」


 密度の高い建物の壁は、この宵闇の中ではぬりかべのように彼女を包囲し、臆病な者には圧迫感すら与える闇のしもべ。

 左右をそれに挟まれた大通り、見通しが良い前後のうち片方、振り返った先から人影数人が歩み寄ってくる草鞋の音を確かめる。

 庶民の服は暗色であり、影そのものが立体化して近付いてくるような前方光景は、眺めそのものは妖魔の接近にも似通うものがあろう。

 しかし、アンズに向かって近付いてくる四人の男達は、ある意味でアンズにとって、妖魔よりも余程に面倒で、うざったささえ覚える存在だった。


「げぇ……何の用ですか。

 その目つき、絶対に友好的な接触じゃないですよね」


 アンズの纏う橙の巫女服は、夜闇の中でもやや見えやすい明色だが、そんな彼女が見据える前方、ぎらついた男達の瞳もまた、闇の中で鈍い光を放って目立つ。

 それらと対峙する形となったアンズは、仮にも年上の大人数名を相手に、第一声から不快感を隠そうともしない。

 愛想の良い彼女がそのような態度を取るのは、確実に相手が敵だと断言できる時ぐらいのものだ。

 先日アンズに卑猥な手を伸ばそうとし、彼女に返り討ちにされた男達の筆頭ハタノと、その取り巻きの三人の男達である。


「知れたことだろ。

 借りを返しに来ただけだ。

 あれだけ恥をかかされた俺達が、黙って引き下がると思ってたのか」

「手打ちにしたって話だったでしょう」

「だから今、新しく喧嘩を売ってるんだろうが」


 アンズはいっそ、納得混じりにふーっと長い息を吐く。

 馬鹿みたいな屁理屈で因縁をつけられるのは、獣や妖魔に襲われる以上にむかむかするが、この人達はこういう人種であるというのも重々理解できる。

 暴力に訴える前例を持ち、それに恐怖する庶民に対し、あらゆる面で有利な"交渉"を強いるのが、こうした者達の飯の種。

 それはすなわち、何ら過言無く、まさしくその通りに、舐められたら終わりということ。


 天下の往来でアンズのような女の子にこてんぱんにされた、これまで散々偉そうにしてきた嫌な奴ら。

 噂が村を駆け抜けるのも早かっただろう。四人を取り巻く世界は、それ以前と比べれば、悪い意味で劇的なほど一変したはずだ。

 これまでハタノ達を怒らせたら何をされるかわからぬとし、無理を言われても強く出られなかった者達も、ひそひそ笑って煽ることすら今さら厭うまい。

 ハタノ達がそれを睨み返しても、最悪襲い掛かったとしても、もはや気質(かたぎ)でも気が強い者の多い商人は、今までのようには怯まない。

 これまで自分達を縛っていた恐怖心から解き放たれ、ごく正当に理不尽を撃退する心を取り戻した徒党は、たった四人の敗北者を容易に返り討ちにするだろう。

 たった一回のアンズへの敗北で、ハタノ達はこれまでのような楽に稼げる食い扶持を失った。

 店を潰されたにも相当する大赤字である。


「私を辱めて、血塗れにして打ち捨てれば、人々の恐怖を再び呼び起せるとお考えですか。

 きっと、そうはならないと思いますよ」

「そんなことはてめえに言われなくてもわかってる。

 だが、俺達からそれを奪ったてめえに、したり顔でそれを言われると頭にくる」

「私が口を開いたら、それが全部あなたが私に新しく喧嘩を売る理由になるんですね」

「俺達の商売道具に、お前は泥をぶちまけて使い物にならなくした。

 許せるはずがねえんだよ」


 親分ヤシマに命じられた、あの話はもう終わりという手打ちに背くハタノ達は、実質的にヤシマに弓を引いている。

 それはヤシマが、下っ端の管理すら出来ない奴だと吹聴するような行為そのものであり、ヤシマの顔を潰す行為に他ならないからだ。

 アンズにぶつけたハタノのいちゃもんなどヤシマには通用しないだろう。

 この事がヤシマの耳に入ろうものなら、ハタノも取り巻きの三人も終わりだ。

 ヤシマは確実にこの四人を只では済まさないであろうし、そんなことはハタノ達こそが一番よくわかっているはず。アンズ以上にだ。


 この手の人種の一番厄介なところは、我が身の進退はおろか、命すら危ぶめるような最悪の選択肢すら、いよいよとなれば後先も顧みないところである。

 さながら、獣。己の生きるか死ぬかに他者をも巻き込む。

 余程の世間知らずでもなければそれが周知の事実であるからこそ、こうした人種の者達は、庶民を恐怖で縛り上げることに成功してきた。

 死をも恐れぬ牙を持つ者こそが最も恐ろしいというのは、武力行使の最高次元、戦の世界ですら基本中の基本として語られる真理である。


「わかりましたよ、いいですよ。

 私はあなた達の積み重ねてきたものと人生をぶち壊しにしたんですものね。

 恨まれるのは妥当なんでしょう」


 アンズは相手を甘く見ているわけではないが、まだ雷神太鼓を出すことはしない。

 私闘に極力神様の力を頼りたくはないのだ。

 自分だけの命ではないのだから、いよいよとなれば止むを得ない選択肢にもなり得るが、極限までは用いないのもまた矜持。

 たとえ一切テンジンに咎められることが無かったとしても、使命のために振るうべき借り物の力を、軽々しく濫用しない意識もまた必要なものである。

 楽を覚えた人間は弱くなる。アンズは、弱くなるわけにはいかないのだ。


「いいですよ、かかってきて下さい。

 そちらの思い通りにはさせませんから」


「ふん、まあそう焦るなよ。

 お前を潰すために、俺達はもはや手段も選んじゃいられねえんだからよ」


 胸の前で掌と拳を、ぱっしぃんと鋭い音を立てて打ち鳴らし、拳闘(すてごろ)一つで迎え撃つ心算を露わにしたアンズ。

 対するハタノ達は、さっそく襲い掛かってくるかと思いきや、薄ら笑いを浮かべている気配がする。

 四人全員が武器を用意していることもアンズは想定済み。流石にそれを構えられたら、アンズも遠慮なく雷神太鼓を出す。

 刃を握ればむしろ不利になるのはハタノ達なのだが、彼らが用意してきた必勝法とはそうではない。


 ハタノが力強く手を振り上げた。

 それを合図としたかのように、近場の建物の屋根から一つの人影が舞い降りてきた。

 ハタノ達の前に立ち、アンズと対峙してみせたその人物とは、一度破った四人をまた返り討ちにするだけだったアンズに、強い危機感を覚えさせるには充分だ。


「……なんですか? 雇われたんですか?


「あまり乗り気にはなれないんだけどね……

 少し借りを作っちまって、一つぐらいは従ってやらなきゃいけなくなった。

 あんたにとっちゃ嫌な展開だと思うけど、付き合って貰うしかないね」


 アンズは迷わず雷神太鼓を顕して撥を握り、強大な妖魔と対峙した時と同様の、本気の構えで敵を見据える。

 長身の背丈にも匹敵する竹竿を槍のように握り立てる、手ぬぐいで覆った頭の下には緑の髪があることをアンズも知っている人物。

 あまりに人らしい姿をしているがゆえ、市井に紛れても不自然無く馴染めるそれの強さは、アンズにとっても未知数ゆえにいっそう怖い。


 初めてアンズの雷神太鼓を見て驚愕するハタノ達のことなど、今やアンズは目もくれなかった。

 まさかこの場所こんな時に、緑鬼イバラギと敵対する形で睨み合うことになろうなどとは、あまりに想定外だったアンズの肌が粟立つのも当然である。

 一瞬たりとも、この相手からは目を切れない。


『むぅ……殺気が無いのがかえって不気味だな。

 それがあれば、私もこいつの存在を察知できたであろうのだが……』

(そう、なんですか……?

 確かに、本気でやろうという気配は私も感じませんが……)


 発光する雷神太鼓のおかげでイバラギの表情も目に見て取ることが出来るが、確かにその表情は気まずそうで、乗り気でないという言葉に説得力を持たせる。

 真剣勝負特有の、相手が発する覇気らしきものも確かに感じられない。

 だからと言って構えを緩める理由にはならないが、どこまで真実かがわからないぶん、かえって不気味であるというのはテンジンの言うとおりだ。


「手っ取り早く済ませるよ。

 本当に申し訳ないけど、少し痛い目に遭って貰うからね」

「……あなたの少しはきっと少しじゃないでしょ。

 全力で抵抗させて貰いますよ」


 ばちばちと火花を散らすアンズの雷神太鼓の音のみが響く、互いの主張を言い終えた後の静寂。

 完全なる一騎打ちの空気に、ハタノ達も数歩退いて、ここはイバラギにすべてを任せる構えだ。

 一度アンズにこてんぱんにされた身として、イバラギの強さをよほど信頼していなければ出来ない動き。

 彼女が実は鬼であることも知っているのだろうか?


 そうした一瞬浮かんだ疑問もただちに投げ捨て、アンズは撥を握る拳に力を入れる。

 来る。そう感じた瞬間にはイバラギが地を蹴っている。

 想定を裏切らぬ速度で迫る緑鬼の接近に、アンズもまた地を蹴り動こうとしたその瞬間。


『アンズ、後ろだ!』

「へっ、あっ!?」


 想定以上ではなかったイバラギの接近速度は、竹竿の射程を含めて尚、アンズは若干の余裕を持って躱すか凌ぐか出来たはずだった。

 だが、アンズの後方から迫ったそれは、事前にその存在をテンジンにすら悟らせずに突如現し、アンズを背後から羽交い絞めも同然に捕らえた。

 それも撥を握るアンズの両手首を後ろから握った上で、太鼓を叩く動きが出来ないようにし、腕を回してアンズの首元を締め上げるという万全の固めぶり。

 これをされるとアンズは何も出来ない。腕力も明らかに相手の方が勝っている。


「すまんな、これは本当に申し訳ないと思っている。

 借り一つとする、それでご容赦頂きたい」

「え……!? その声……」


 アンズも気を取られる、黒装束に身を包んだその人物が発した声。

 カムロの声だ。だが、人格者であるあの商人の顔ではなく、アンズの脳裏に浮かんだのは山奥で激闘を繰り広げた相手。

 がっちりと自分を捕まえた相手がミノヤマであることに驚愕したその時にはもう、竹竿など投げ捨てたイバラギがアンズの腹に掌を押し当てている。

 それではっとしても、もはや完全に手遅れだ。


「ごめんよ、悪いようにはしないから……!」


「はがぅ……っ!?」


 アンズの鳩尾(みぞおち)へ押し当てた掌に、イバラギが鬼の剛力をぐっと込める。

 その一押しで、肋骨が砕けたかと思うかのような重く鋭い衝撃とともに、アンズの腹の中の息がすべて吐き出された。

 アンズの目の前に星が飛び、夜闇の中にて黒の多かった視界が、真っ白に染まっていくのもあっという間である。


「神よ、聞こえるか……?

 巫女を傷つけることにはなるが、決して取り返しのつかぬようなことにはしない。

 畏れ多いが、ご容赦願いたい」

「本当にごめんね、アンズ。

 後で、必ず助けに行くからね」


 ミノヤマに背後からぐいと引かれ、胸を張った状態で意識を遠のかせるアンズの手から力が失われ、撥が地面に転がって消えていく。

 アンズのそばにいるであろう神力の源、主神テンジンの姿を目に捉えずして、イバラギとミノヤマはぼそぼそとそんな声も発している。

 加減はしているのだろう。

 鬼の剛拳で腹を貫けば、臓物まで破壊する致命傷になり得たところを、敢えて気を失わせるだけで済ませる一撃を選んでいる。

 業腹のテンジンも、もはやこうなっては出来ることは殆ど無く、イバラギとミノヤマが望むままにアンズを預けるしかない。

 辛うじて出来る微かな神力による介入も、この状況ではより状況を悪くするだけだという、高度な判断をテンジンも選ばざるを得ない。


 消え行く意識の中、ミノヤマとイバラギがテンジンに向けて発した言葉も、アンズの耳には途切れ途切れながらも入っていた。

 だが、何が起こっているのかわからない。敵の真意も。

 私はどうなっちゃうのだろう、という恐怖が心に芽吹いたのとほぼ同時、目に光を失ったアンズの意識は完全に失われた。


 後ろから支えるミノヤマに全身を預け、両手両足、首からも力を失ってぐったりとするアンズの目は、開かれたまま夜の空に向いている。

 そうでありながら星の瞬きも見ることも叶わぬ、失神した巫女の行く先は、彼女の大敵ミノヤマとイバラギに掌握されていた。

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