第五六話 ~知らない所で不穏なことに~
「うう゛……さすがにきもちわるい……」
「よく頑張ったね。
おんぶしてやろうか?」
「け、けっこうです……
あまりにも恥ずかしいので……」
アンズの倍ほど飲んでいたソウサイだが、足元がふらつく気配一つ無く、素面のように元気に歩いている。
恰幅の良い彼女の腕に片手を添え、半ば支えとさせて貰うように歩くアンズたるや、千鳥足にならないよう歩くので精一杯だ。
今日も吐きそう。クマリと一緒に楽しい旅行のつもりで訪れたはずの摂泉国、どうしてここまで連日つらいのやら。
「ほら、もう少しだよ。
あたしらも宿が近い店を選んでやったんだ。感謝するんだぞ~?」
「ええ、存じてます……
出来ればここまで飲ませないで欲しかったですが……」
「あっはっは、無理無理。
酔っ払いに理性を求めんな」
「や、やめてぇ……もどしちゃう……」
ばしばし背中を叩かれて死にそう。うぷ、ってなる。
本当はおんぶして欲しい。でもこの裾の短すぎる服で誰かに背負われて、足を開く姿を衆目に晒すようなこともしたくはない。
こんな巫女服で酔っ払いに背負われたら、最悪めくれた裾の中身、褌まで丸見えで天下の往来を進むことになりかねまい。
今だけは股引が恋しい。それだったらお言葉に甘えてソウサイにおんぶして貰っている。
「ご、ごめんなさい、もう少しゆっくり歩いて下さい……
人通りが多いから、支えが無いと……ほんとこの村、人が多いですね、この時間になっても……」
「夕時は買い物客が一番多くなるからね、この村は。
理由は見回して貰えればすぐにわかると思うが」
「ええ、わかりやすいです……
夕時安売りって誰が最初に考えたのか知りませんが、何気に偉大な発想ですよね……誰が最初にやりだしたことか知りませんが……」
ちょうど村も海も真っ赤に染まるこの時間帯、摂泉村の各商店の多くが、わざわざ幟を出している。
全品一割引き、とか、半額、とか。閉店前の、在庫一掃安売り狙いだ。
特に食品を扱う店にその傾向は強く、売れ残ってしまえば腐るだけの鮮魚や果物は、安く売ってでも利益に変えてしまいたい。
今や概念として何ら珍しいものではないが、確かにアンズが言うとおり、誰もが真似するこの手法を、初めてやり始めた者達とはなかなか偉大であろう。
「安売り目当てで夕時まで買わず粘る客もいるからそこは勝負なんだが……
っとと、ちょちょ、大丈夫かい?
相当足にきてるねぇ」
「ううぅ……ごめんなさい、ほんとにしんどいんです……」
商人らしいことを言って話題を繋ごうとしてくれるソウサイだが、生憎アンズはもう限界寸前。
もつれそうになった足で、大事を取ってソウサイに抱き着くようにしてでも寄りかかる。
いい年こいてこのざま、アンズも恥ずかしくて仕方ないのだが、人にぶつかったり転ぶよりはましなので背に腹は代えられない。
それもこれも元を正せばこの人のせいな気もするが、言ってもしょうがない。
「あぁ、でもいい景色ですよね……賑わっていて……
こういう眺めが一番ですよ……」
「ま、平和だもんね。
たまに喧しくも感じる人通りだが、失われることになれば必ず懐かしくも惜しくもなる眺めさ」
酔ってぐわんぐわんする目の前の光景でありながら、ソウサイに寄りかかるアンズの目に映る眺めは美しかった。
母に手を繋がれて、今日は何が食べたいと主張する男の子。
アンズ達と違って今ほどに飲み始めた若者三人が、さあ次の店に行くぞとばかりに上機嫌な足取り。
売れ残りそうだった鮮魚を纏めて三尾買っていってくれる贅沢な客に、本当に助かったよと接客以上のご機嫌顔でまいどありと言う店主。
安売り目当てで敢えてこの時間に行き着けの店を訪れたおばさんが、生憎すでに目当ての品が売り切れで、たはーと額を叩いて店主と苦笑いしながら語らう姿。
すごく気に入った簪をどうしても買って欲しくて、お父さんに粘って粘っておねだりし、根負けした父に買って貰えて本当に嬉しそうな女の子。
立ち止まって見回すだけで目に入る限りの景色の中でも、多くの人々が過ごす日常を堪能することが出来る。
別に、何ら珍しくもない、普通の光景。それがいいのだ。
災害に怯えることもなく、妖魔を恐れることもない、極めて普通の日常の価値を、戦いに身を投じる者ほどよく知る。
大和龍山の麓、和良村を思い出せば、このありふれた何の特別感もない平常の日々が、如何にありがたいものかなど知れた話であろう。
それをわざわざ人々が痛感していないこともまた、長き平穏という常に望まれ続けたものが、ここに広がる証左ですらある。
「……………………」
「ほら、もういいだろ。こういう眺めが好きなのは知ってるけどね。
でもいつまでもそうしてちゃ、いつまで経っても宿に着かないよ」
「あっ、ご、ごめんなさい、ごめんなさい……
すいませんでした、離れますね……」
じいっと夕時村の景色を眺めていたアンズの目が、貴いものを見るものではなく、いつしか思索に耽るものに変わっていたのだが。
流石にソウサイもそこまでは見ていなかっただろう。こんな眺めが好きな彼女が、足を休めて堪能していたと感じ、背中をぽんと叩くのみ。
それにはっとして、没頭していた思考から目を覚ましたアンズは、ソウサイに手を引いて貰いながら、宿へと向かう足を再び進めていく。
今、何か閃きそうな気がしたのだが。
酔っていても、はるばる山波国からこの地まで訪れた当初の目的を、アンズは忘れきってはいない。
回り切らぬ頭では結論を出しようもなかったが、アンズは明日にでもこの閃きの一歩前から進むべく、改めて村の眺めを見渡しておくのだった。
間もなくして、宿に到着。ああ、やっとだ。
ソウサイに礼を言い、別れて、借りている自分の部屋へと向かっていく。
今日は行水もする元気が無い。早起きして暗いうちにやろうと既に決めている。
一人にさせてしまっているクマリの機嫌を取ることに専念し、今日はゆっくり休もうという心積もりは出来ている。
「た、ただいま……」
「あっ!
お帰りお姉ちゃ……くさっ!?」
駆け寄ってきたクマリ。抱き着こうとした瞬間に足をぴたっと止まり、駆け寄った速度と同じ速さで後退した。
鼻をつまむどころか両手で口ごと鼻を覆ってだ。
アンズの胸にその言葉が鋭くぶっ刺さったのは言うまでもない。
「ごめんねぇ……お姉ちゃん、飲みたくなかったけど飲んできたの……
大人は時々大変なのだよ……わかってくれないかなぁ……」
「お姉ちゃんがそういうならしんじる。
たいへんだったんだね、よしよし。
でも今日はちかよらないで。くちゃい」
「うぅ……クマリが冷たいよぉ……」
わかってるよ、酒臭いよね私。
クマリが苦手な匂いであることも知っている。
今日の疲れを、最愛のクマリに癒して貰うことも期待できない。つらい。
とっとと布団を敷いて寝てしまい、何の楽しみも無い今日をさっさと終わらせたくなったアンズだが、保護者としてクマリを放置して早寝するわけにもいかず。
酒と先ほどの店で食べたもので満腹の眠気を押し、クマリと一緒に夕食を取るまで頑張って起き続け、クマリが眠くなるまで部屋の壁にもたれて待って。
女の子同士の部屋だから、ぐったりもたれて服が乱れて肩がはだけても、ぎりぎり許されるのがせめてもの救いだろうか。
クマリが目をこすり、眠そうな顔をした辺りでようやく布団を敷き、灯りを消しておやすみと言ってから、ようやく眠りにつくに至る。
責任感あっての面倒見の良さであり、どれだけ飲もうがこうして最後まで踏ん張れる姿には、神様であるテンジンですら感心する。
横になってから十秒で意識が飛んだ。
つくづく、お疲れ様なことである。
さて、しかしアンズにとっては未だ知らぬ凶兆であるが。
「お、来たかイバラギ。
待ちくたびれたぞ」
「変な所で待ち合わせするからだろ。
なんなんだよここ、何の小屋なんだよ」
「そう言うな、密会は誰の目にも触れぬのが最も重要なんだ。
わけのわからん場所で落ち合うのが一番いい」
明日以降にもアンズにろくなことが無さそうな顔合わせが、摂泉村の夜の片隅にて果たされていた。
月が雲に隠れる真っ暗闇、村の栄え所からも遠い浜のそば、汚く腐った木造の小屋。一晩ここで寝たら顔に虫が這いそう。
遥か昔におっ建てられて、当時は何らかの用途で使われていたのであろうが、今や放置されて誰も近寄らないような建物である。
摂泉村には、訳あってこういった"誰も近寄らない場所"が案外たくさんあるのだが、それはまた別の話である。
イバラギがここで、黒装束を纏う怪しい男と密会するにあたっては、適した場所には違いない。
「ねえミノヤマ、会うたび声が違うの何とかならないかね。
正体を隠すための芸とはいえ、あたしにまで秘匿しても意味ないだろ」
「ああ、すまん、今日のこれが地声だよ。
今日は疲れてるんだ、色々と忙しかったしね」
「今日わかったけど、いつだったかのあんたの声、カムロって奴の真似声だったんじゃないのかい。
何かの都合であいつの真似でもしたことがあったのか?」
「お、流石だな。よくわかったな。
まあその頃は色々あってね。慣らしたせいでくせになっていたんだよ」
山波国の山奥で、多数の妖魔を従えてアンズを包囲、強襲した黒装束の男、ミノヤマ。
キドウマルという黒鬼のみならず、緑鬼の大物イバラギとも面識があり、こちらとは一度や二度の顔合わせでないほど付き合いも深い。
アンズを少しでも動揺させるため、彼女の知己であるカムロの声真似と、服の詰め物をしての体格で化けていたのもミノヤマだ。
今日のミノヤマは服に詰め物をしていないため、山でアンズと対峙した時よりも、痩せた影形となっている。
「さーて、困ったことになったよ。
あの雷神巫女アンズがこの村にいるんだが。不測の事態だよね、これ」
「いやもう、びっくりしたよ。
さあそろそろ決行の日だ、という時にまさかここに来るかね、あれが。
まさか無いとは思うが、お前が何らかの思惑あって誘い込んだとかではないよな?」
「んなわけないだろ、だいたいあたしはあの子を操れるほど切れ者じゃないよ。
そんなの出来そうなのはあんたぐらいだし、みんながみんなそんなこと出来たもんだと勝手に思わないでおくれ」
「いやいや、私も何にもしとらんよ。
完全に偶然だからな。何の運命のいたずらだ」
二人とも声色には笑いが含まれているが、仕草は肩をすくめたり、頭を押さえたりで、望まぬ展開であったことは態度で表明し合っている。
言うまでも無く意図あってここ、摂泉村にて落ち合っている二人だが、両者の望む展開を迎えるにあたって、アンズは色んな意味でややこしい。
自分達がやろうとしていることをあいつが知ったら、確実に邪魔してくる。
そして二人ともアンズの強さも厄介さも、ミノヤマに言わせればしぶとさもよくわかっているので、あれほど居合わせて欲しくなかった奴も他にはいない。
「というわけで、計画を若干変更しよう。
大筋はさほど変わらないんだが、お前に協力して貰うことが増える」
「だろうね、協力者も他にいないんだからあたしが頑張るしかないんだろうね。
で、あたしはどうすりゃいいんだい。可能な限りでは何でもやるよ」
「ありがたいな。
では、一番肝心なのは――――」
「――――めんっどくさ!?
あたしそんなの上手くやれる自信無いよ!?
っていうかそれ、要る!?」
「本当に必要なことかどうかも正直わからん。
ぶっちゃけた話、私もどうすれば一番丸く収まるのかよくわからんのだ。
アンズがそれだけ始末に負えない敵なのはお前も最近知っただろ」
「そうだねぇ、つい最近大和龍山に来たから……
あんたから小耳に挟ませて貰ってたけど、あれほどとは思わなかったからさ。
いや、まあ、あんたが手を焼くと言ってる時点で想定内だった気もするけど」
「こうなれば多少の無茶な展開を用意してでも、あいつの目を眩ませてやらねばどうにもならんだろ。
二兎を追って二兎を狩るなら、武器と頭数を増やすしかあるまい」
「んあぁ~、わかるけどさぁ」
「アンズの連れの少女……クマリという名なんだがな。
あれを利用するという悪辣な手段も無いことはないんだが。
流石にお前もそれには乗り気になれんだろ」
「やだよ、そんなの。卑怯も度を超すべきもんじゃないだろ。
だいたい手段を選ばない奴っていうのは、仕舞いに楽を覚えて弱くなっていくじゃないか。
悪党の端くれとして卑怯を否定はしないし出来なくたって、そんなやり方を否定する理はいくらでもあるよ」
「なるほど、そういう見方もあるか。
まあ言ってみただけだよ。お前の本心が好きなやり方でもなかろうしな」
「頼むよ、本当。
そんなやり方、聞いてるだけでもあたしは面白くないんだから。
アオグマがよく使う手法でもあるんだが、だからあいつは駄目なんだっていつも思ってる」
キドウマルと話していた時と比べ、イバラギに対するミノヤマの言動はかなり砕けている。
手を結んでから長いというのもあるが、対黒鬼と違ってイバラギに一目置いているからでもあり、ものを頼むにしても神妙に請う声使いをしている。
それでも遜るというほどの態度でもない辺り、色鬼相手でも物怖じ一つしていないという表れでもあるが。
「流れは明日、私が上手く導いてみせる。
悪いがさっそく、明日の夜にでも行動に移って貰うぞ。
続いて翌日もだ」
「明日の時点で気が重いんだが、明後日が……
本当、大丈夫かい? あたしが下手を打っても上手く取り返してくれよ?」
「勿論だ。
裏方に徹させて貰えるのは本当に助かるんだよ。
そのぶん、抜かりなく立ち回れるよう手は尽くそう」
「絶対どうにかしてくれるんだろうね?」
「いや、まあ……絶対とは言い切れんかな……
私も正直なところを言うと、今回は相当難しいと思ってるからな」
「はぁ……厄介な巫女だねぇ……」
「あんまり言ってやるな。
旅行気分で異国を訪れたところ、私達のような奴らと鉢合わせることになってしまって、気の毒なのは向こうの方だ」
「わかってるよ、ほんとにそうだよ。
敵ながら、今回ばかりは流石に可哀想だと思ってるよ」
一度はアンズの命を本気で奪おうともしたミノヤマながら、奇妙なことに今回ばかりはと、アンズに同情的ですらある。
イバラギにしてもそう。アンズを葬れた方が、利のみで語れば都合はいいはず。
その割に、望まぬ試練にこれから苛まれることになるであろうアンズに対しては、イバラギまでもが哀れみを覚えている。
もっとも、そんなものは明日以降苦労するアンズにとって、同情してくれるぐらいなら何もするなと言いたくなるような話でしかないのだが。
雷神巫女に安息はなかなか訪れない。
彼女にお疲れ様を言うにはまだまだ早かったようだ。
「うぐごご……あたまいたい……」
『言っておくが咲太鼓の力は貸さんぞ?
二日酔いは自己責任だ。事情は理解するがくせになってもいかんからな』
「存じておりますぅ……うげががが……」
馬鹿飲みした翌朝は大変。頭がんがんする。
真夜中も同然の真っ暗早朝に宿の裏の水場へ赴き、身体を清めて頭を抱えるアンズ。
病を癒す"咲"の太鼓の力を用いれば、二日酔いぐらいは解消できるのだが、テンジン様はお認めにならないご様子。
そういった手段で楽を覚えると、いつか心の片隅に甘えが残って同じことを繰り返しかねないので駄目、という教育方針のようだ。
もっとも、普段であれば巫女の身分で二日酔いなどだらしないと、長い長いお小言があるところである。
それが今朝は無いだけでも、昨夜のあれは付き合い上やむを得なかったものだったことを、ある程度は汲んでくれている証でもある。
「よくよく考えたら今日は忙しいですからねぇ……
よりにもよってこの日に不調とは……あぁしんどい……」
『昼過ぎからが大変だぞ。
流石に私も、神事を怠ることを構わぬとは言ってやれぬからな』
「はい、勿論です……がんばります……」
クマリもまだ起きない時間帯、神様との会話も声を出してひそひそと。
やることの多い日の朝っぱらから体調最悪は滅入るものだ。
声を出してテンジン様とお喋りするぐらいのことはして、少しでも気力を取り戻したいというのがアンズの本懐である。
朝から真昼時までにかけては平穏なものである。
頭が痛むことはさておいて、二人で摂泉村を練り歩く自由な時間であり、ヤシマ絡みで大変だった前夜と前々夜で疲れた心が癒される時間だった。
連日クマリをほったらかしにしてしまったことも気に病んでいたアンズなのだが、話がわかるクマリは大丈夫だよと笑ってくれるのみ。
その割に、今日はお姉ちゃんと一緒にいられることが嬉しくて、見るからに足取りが軽やかであったのがとにかく可愛い。
本当に、うちに本当の妹として迎え入れたいほど好き。そんなクマリと一緒にお買い物を楽しめる時間は、アンズにとって束の間かつ貴重なものだった。
昼食を食べてからが、アンズの忙しさが加速する。
一度村の外まで出て、クマリと一緒に"伏"の太鼓で生み出した雲に乗る。
雲の上に敢えて胡坐座りしたアンズの、後ろではなく前、自分の足の上にちょこんとクマリを座らせて、両手でぎゅっとクマリを抱きしめて。
普段であれば、後ろから自分に抱き着かせる形にするところ、今日はこのような座り方をさせている。
何故なら、これから遠い所まで向かうために、かなりの速さで空を駆けるからだ。
行き先は山波村である。日帰り算段でびゅーん。
今日は月末、晦日である。
すなわち山波村において、アンズが暮太鼓を打たねばならぬ日。
今月も皆様お疲れ様でした、来月も皆様に幸あらんことを、という祈りを込める月末の暮太鼓は、山波神社の巫女として絶対に欠かすことは出来ない。
夕頃にはまた摂泉村に戻らねばならない事情があるため、空を一直線で駆けるアンズを乗せた雲たるや速い速い。
ばっさばさ髪がはたけて、遠目に鳥が見えたら高さを調整して、万一にもクマリを振り落としたら一巻の終わりなので神経を遣う運転である。
無邪気なクマリはアンズの胸に顔をうずめながら、しばしば地上や雲を眺めて楽しそうなので、肝の太い子でよかったと思うばかりだが。
本当なら宿で待たせておきたかったのだが、毎日ほったらかしにしているのも事実なので心苦しく、クマリも山波村へ連れていく運びとなったのであった。
神社に着いたら寄り道せず、まずは玉依御殿に向かってナルミに途中報告。
屋敷内に余人を入れるのは遠慮すべきなので、クマリは門前でトキガネに遊んで貰っておく。面倒見のいい門番さんなのでクマリも退屈はしまい。
暮太鼓の日付とはいえ本当に帰ってくるとは思わなかったのかナルミにはびっくりされたが、時間があまり無いとわかればすぐ話を聞く構えになってくれた。
「クマリと話しながら色々考えたんだけど、こども祭り当日にやってみたい催し事があって――」
「――ええ、ええ、なるほど。
いいと思うわ、素敵じゃない。
きっと沢山のお客さんが集まってきてくれると思うわ。
それもう決定ね? それじゃあもう今日のうちから、アンズがそういうことしようとしてるって村中に触れ回っておくわ。
みんな楽しみにしてくれるでしょうから準備はしておくのよ?」
「や、まだ決定とまでは……」
「だめだめ、やりなさい。
必要なものはある程度こちらでも用意しておくから。
というか私もそれ参加させて? 楽しみになってきちゃった」
「ま、まあいいけど……
こども祭りに向けた仕入れは進んでる?
皆さんに振る舞う食べ物やお酒、集めきれそう?」
「毎年なかなか苦労するんだけど今年もどうにかなりそうよ。
そうだ、あなたも摂泉で美味しそうなもの見つけたらこっちに送って頂戴よ。
ソウサイさんに頼んだら、五日後に山波村に届くよう手配して貰えるでしょ。
支払いはこちらにものが届いてからやるから、予算に気を遣わなくていいからね? いくらでも出すから。
こちらではなかなかお目にかかれない摂泉の食材、きっと村のみんなにとっても物珍しくて喜んで貰えるわ」
話を早く纏めた方が良いと見るや否や、ナルミはアンズが尋ねたことの、倍も三倍もの言葉で結論まで纏めてくる。
ナルミの言葉はその一部が、この後アンズが尋ねようとしていたことの回答をも兼ねており、アンズは喋ることが無くなってしまった。
結果、話がすぐ終わった。お忙しい本業で時間を無駄にしないことに慣れている村長の、頭の回転の速さは凄まじい。
もう報告することはない? とナルミに確認されたアンズが、ありませぇん、と引き攣った笑いをするのも妥当である。
私は一生、このお母さんには敵わないと思う。尊敬しているのは常にそうだが、その凄味の片鱗を垣間見た時は畏怖すらする。
想像以上に手短に途中報告が終わってしまい、アンズがクマリと共に神社に戻り、暮太鼓を打つ運びになるのも早かった。
せっかくなので神社に戻る道すがら、知り合いに声をかけて今日この村にコナツが来ていないか尋ねてもみたのだが、いないらしい。
たまたまでも、いるなら暮太鼓を見ていって欲しかったのだが。
彼はここしばらく山波村に来ていないようだ。ちょうどアンズが摂泉村に向かった当日、しばらく帰ってこないことを知って以降だそうで。
コナツの真意はわからないが、アンズのいない山波村にはあまり興味が無いようなその足取りは、そう聞かされるとなんだかむず痒い。
嬉しいような、私の大好きな故郷なんだから、もっと積極的に村の良さを見て回って欲しいような。
だけどなんだか、やっぱり嬉しい気持ちが勝ったのだろう。
この日のアンズの暮太鼓は、普段よりも小気味良く短い間隔打ちの繰り返しであり、今日のアンズちゃんは上機嫌かな、と村のみんなに思われたものである。
顔に出やすい、態度に出やすい、太鼓にも出やすい。いつものことである。
お勤めを終えたアンズは、そそくさと雲を生み出してクマリと一緒に乗る。
そのまま摂泉村へと蜻蛉返りである。帰りもびゅーん。
クマリごめんね、村でゆっくりする暇もなかったでしょ、と一言添えても、返ってくる言葉はやっぱり話のわかる子のものでしかない。
ううん、お姉ちゃんの太鼓を見られて楽しかった、と上機嫌な声である。
私は一生、この妹には敵わないと思う。愛おしくてしょうがない。
「それじゃあね、アンズ。
今夜はよろしく頼むよ」
「はい、わかりました。
ソウサイさんも、周りは固めておいて下さいね」
摂泉村に戻ってきたのは夕時である。
時間はかかったが、神様の力がなければ昼から夕で摂泉村と山波村の往復なんて絶対に不可能だ。相当凄いことをやってのけている。
ソウサイはアンズが預かる神様の力に関しては既にご存知であるため、ご苦労様だね、と労ってくれるのみだった。
流石に大物商人、ちょっとやそっとのことで彼女の度肝を抜くことは出来ない。これも充分ちょっとやそっとのことではない話のような気もするが。
「ナルミ様にも確認してきたんですけど、支払いは山波村でして下さるそうです。
ですので出発前に注文しておいたもの、五日後に山波村に届くよう御手配お願い致しますね。
先日のうちにお伝えしていたものも同様で」
「うんうん、あの女狐は対立すると面倒だが、太っ腹だから商売相手としてはお得意様だよ。
思った以上に買い込んでくれるようだし、多少は負けてやるよう口添えしておいてやろう。
その代わり、それなりに恩着せがましくその旨は伝えておくんだぞ?」
「抜け目ないですねぇ。
私ソウサイさんのそういうとこ嫌いじゃないですよ」
「あっはは、だからあたしはあんたと仲良く出来るのさ。
あたしのこういう所が気に食わないと思うような奴とは、同じ空気すら吸いたくないからね」
「……そういえばソウサイさん、ちょっと相談したいことがあるんですが。
ちょっと難しいことかなとも思ってはいるんですが」
「ほう、なんだい?
あたしの手を借りたいのか?
だったらあたしに出来ないことなんてあんまり無いよ?」
「ええっとですね……実は作って頂きたいものが――」
アンズが誰かに何かを相談するなら、ナルミといううってつけの相手がいる。
自分に相談してくるなら、商売上の話だろうとソウサイが理解するのも早い。
この察しの良さと話の早さは、ほんの数刻前にアンズが触れてきた、ナルミの頭の回転の速さとまったく同じものだ。
私は一生、この女将さんには敵わない気がする。する気も無いが、仮に対立したらこてんぱんにされる未来しか見えない。
今日だけで何人に負かされるんだろう、この巫女は。
「――ふむ、面白いかもしれないね。
知り合いの職人に頼んでみよう。三日でやらせるよ。間に合うだろ?」
「そ、そんなすぐに……?」
「出来るからそいつは職人って呼ばれてんだよ。
あたしが認める腕利きを見くびってると、あたしの目をも見くびることになるよ? おん?
舐めてるのかい? おおん?」
「やめてっ、ずいずい来ないでっ。
ソウサイさんの圧は冗談だとわかってても怖いです」
「あははは、びびるなびびるな。
従順でいてくれるうちはあんたも家族さ」
じゃあ従順じゃなくなって家族枠から追放されたらどうなるんですかと聞いてみたい。怖くて聞けないが。
だって昔、ソウサイと出会って日が浅く、距離感を計り合っていた頃にこの人の根本的な価値観は聞いている。
ソウサイに言わせるとこの世には、四種類の人間しかいないらしい。
家族か、雑魚か、下僕か、あるいは敵か。
今は家族認定して貰えているようだが、その枠から弾き出された瞬間に、自分は摂泉村から出禁になるも同然な気がしてならない。
ソウサイ相手に限った話ではないが、一度親しくなった相手から切られると、それは敵認定されるにも等しいことが多い。
最近ヤシマの怖さに吐きそうにさえなったアンズだが、この人があれと同格だと間接的にでも痛感した今、本当にこの人が怖く見えてしょうがない。
「まあでも、今晩の仕事に関しては無理をするんじゃないよ。
こればっかりはあたしも、まあまあな難題を強いてると思ってるからね。
失敗しても仕方無いとは思ってる、我が身を大事にして気楽にやりな。
良くも悪くも、所詮あんたは余所者なんだからさ」
「はい、わかってます。
やっぱり私は、山波村の皆様に尽くすためのこの命を、離れた地でそう簡単に捨てるわけにはいきませんから」
「うん、それでいいんだ。
あんたはあたしの下僕ではないんだからね」
しかし、言葉遣いは荒いものの、ソウサイとの会話はアンズも心地良い。
余所者扱いも心遣いゆえ。行間を理解できればその言い回しも味がある。
今まで出会ったどの人とも違う人物との対話というものは、理解に努めればつくづく面白い。少なくともアンズはそう思う。
巫女としてのお仕事で、様々な初対面の人と関わることの多いアンズだが、それを楽しいと思える側面でも、雷神巫女とは彼女の天職なのかもしれない。
人見知りしない上に、距離感を計れる配慮が出来るというのは、人間社会において珠玉の価値ある才覚だ。
周りは敵わない人ばかりだと自己評価に謙虚なアンズだが、十七歳でほぼそれが完成しているのは、他の誰にも負けない強みであろう。
ソウサイと別れ、クマリと共に宿へ向かう。
宿にてクマリと一緒に夕食を食べ、少し遊んであげて彼女が寝付いたら、今宵はアンズは宿から出陣する。
すなわち、敵を討つために。殺めるつもりはないが、懲らしめるために。
敵は義賊と半ば世間に称される、ソウサイに言わせれば調子に乗っている泥棒だ。
アンズも正直、盗みをした先に五右衛門参上と書き置きを残し、偸盗に手を染めながら自己顕示をする輩のことは、あまり気分良く聞けたものではない。
ソウサイとヤシマという、摂泉国でも随一の知識人かつ切れ者から、その下手人を捕らえるための手がかりは既に預かっている。
推測も多いことは免れないが、信用できる情報だ。
アンズはそれを頼りにし、宵の泥棒ゴエモンを捕らえる尖兵となる。
自身の行為に正義ないし大義があるかどうかは、既にもう結論付けた後。
民意に義賊と持て囃されるゴエモンを、筋と道理には確実に秀でた地元の名士ソウサイ達が、多様な観点から総合し、縛に付かせるべきだと断じたこと。
それだけで、信頼できる知識と経験則を持つ大人の理念とし、アンズがそれに身を委ねるには充分だ。
たとえそれが間違いだったとしても、誹りを受けるべきは自分の意志でソウサイの頼みを引き受けた自分だという覚悟も、既に固めているというところだ。
所詮は余所者。ソウサイはきっとその言葉を、責任はあんたに頼んだあたし達にあるんだから気にするな、という意図も含めて言ってくれたのだろう。
アンズはそこにだけは反抗する。私だって既に大人だ。自分の行動に対する責任は自分で取る。
結局どれだけ恐れている相手であろうが、アンズは自分の揺るがぬ信念だけは、一歩も退かず押し通さんとしてしまえるということだ。
ソウサイやヤシマは滅茶苦茶な人物だろうか。
アンズも大概そうである。たとえそんな相手であろうとも、本気を出せば立ち向かえてしまえるのだから。
誤解を恐れず言うならば、きっとそうした者でもなければ、常人には成し遂げられぬ偉業というのは叶えることも能わぬのだろう。
主神への信仰の回復。鬼を筆頭とする圧倒的な力を持つものを含めた妖魔の調伏。
なるほど、凡人には叶えられようはずもないことばかりを常に目標とする巫女である。
誰もが恐れて当然の大物相手であろうとも、ただ怯んでいるばかりの弱い自分であり続ける暇など無いというわけだ。




