第五三話 ~本当この国には色んな奴がいる~
(は~、なんだか仕事が増えていくなぁ。
最初に思ってたほど、旅行って感じじゃなくなってきてます)
『人付き合いも相手次第では難儀よのう。
頼もしい女傑との繋がりは心強いが、やはりただというわけにはいくまいて』
朝を迎えて摂泉村を練り歩くアンズ。
脳裏でテンジン様とお喋りしながら、物見気分で村を見渡しながら行く。
昨日とは違う場所を歩けば、店模様を主に景色もがらりと変わる摂泉村、肩の力を抜いて観光すれば何日でも楽しめそう。
流石は商人の村と呼ばれるだけあり、個性が埋没しないよう店の出で立ちを工夫している店も多く、客の取り合いの激しさもほのかに伺える。
昨日は散々な目に遭ったアンズだが、一日明ければ気を取り直し、今朝から既にいつもの元気を取り戻している。
ただし、ちょっとだけ気が重い。彼女自身も内心で呟いていたとおり、仕事が増えている。
それはいつもアンズと一緒だったクマリが、今は彼女のそばにいないことも少し関係のある話。
(大商人のソウサイさんが満足できるようなお土産を、私のような余所者が探して見つけられますかねぇ……
あの人、この村のことなら何でもご存じでしょ)
『そんなことはあちらも承知であろうよ。
その上でお前がよく考えて選び出した感性を見たいだけであろう。
贈り物とは気持ちが重要なのだぞ?
諦観は捨てて、よく考えて選んで差し上げろ』
(こども祭りへのお土産も探さなきゃいけないっていうのになぁ。
まあ、考えようによっては一緒に探せばよくもあるか)
アンズはソウサイに無茶振りを食らっている。
重い悩みではないのだが、些か知恵を絞る必要があるのだ。
以下、今朝のアンズとソウサイの会話である。
「ヤシマんとこの小僧どもに絡まれたか。
本当あいつら最近調子乗ってるからね。
あたし相手にはへぇこらする雑魚どものくせに」
「まあ、私が喧嘩を買ってしまったのもあるんですが……」
「そりゃしょうがないさ。
女がみだりに触られそうになって、抗う力がありゃ抗うに決まってんだろ。
あんたを見てやばい奴だと見極められないあいつらが馬鹿なんだよ」
「私ってそんなに見るからにやばい奴ですかねぇ……?」
「で、そんであたしに連れ子をしばらく預かって欲しいってか。
あたしの格を知って託児なんてしてくる怖い者知らずはあんただけだよ。
充分やばい奴じゃないか」
「うぅ、幾分厚かましいことは重々承知なのですが……
またあんなのに絡まれ得る土地柄だと判明した以上、頼れる人に護って頂くのが一番だとしか思えなくて」
「それはそれはもう、確かに厚かましいねぇ。
そんな気を揉むような頼みごとをしなくても、あんたが護ってあげればいいじゃないか。
本気を出して神様の力をお借りすれば、あんたなら何人束になってかかられても負けやしないだろ」
「それはそうですけど、クマリを捕まえて人質にでも取ろうとする奴が出てきたら終わりますよ」
「それって終わるのは相手の命の方って話だろ。
やっぱりやばい奴じゃないか」
「無理ですよ私、自分が傷つけられたり触られたりするのは超怒るで済みますけど、クマリを狙われたら絶対我慢利きませんもん」
「そういうとこだけ真顔で言うんじゃないよ、まったく。
まあいい、引き受けよう。
あの子は私と身内で面倒を見、せっかくの遠出をしてくれてるようだし、あんたと一緒に村を回れない不憫も補ってもてなしておいてやるよ。
この話を突っぱねて、あんたのような獣の逆鱗を晒したまま地元に解き放つよりは良さそうだ」
「あの~、私も一応女の子ですので、出来ればもう少し柔らかい例えで言い表して頂きたいのですが……
獣とか逆鱗とか」
「その代わり、あたしに頼みごとをする以上は手ぶらじゃいけないよ。
もちろん、銭なんかで解決させる気はないからね。
そんなもんは腐るほど持ってんだから、あたしはね」
「いえ、まあ、ソウサイさんを満足させられるお小遣いなんて私めにはとてもとてもですけどね……」
「あたしに土産を一つ見繕って持ってきなよ。
それであたしに、これはいいねって言わせてみな。
それさえ出来れば良しとしよう」
「えぇ……?
目が利いて肥えた大商人さんを満足させる品ってことですか……?」
「ま、判定はだいぶ甘くしてやるよ。
あんたが一生懸命あたしを喜ばせるために考えて選んだ品ならそれでいい。
そういうの、わかるからね? ま、頑張っておくれよ」
(別にソウサイさん、お高いものじゃなくてもいい風でしたよね?)
『お前がこの村に来た経緯からして、無駄遣いはしていられないことぐらいは承知でいてくれているさ。
同じものでも高級品なら尚良し、とは思っておられまい。
そう難しく考えるな』
(ですよね。
よしっ、お世話になってるし、元々好きな人ですしね。
いっちょ頑張ってみます!)
『うむ、良い意気だ』
外目には特に表情を変えることなく脳裏のみで主神と語らうアンズだが、伝わる思念にはそれなりに気合も込められている。
悩ましい要求とは知りながらも、頑張る理由は自分で見つけて、前向きに挑む心持ちに切り替えるのもまた早い。
何事にだってそうして臨めるアンズだから、彼女の前に訪れる試練の数々というものは、アンズの心を挫くのにまず一苦労する。
人の幸せを買ってでも見たいと言うカムロをお人好しだと呼ぶアンズだが、彼女もまあまあ似たようなものである。
対立しない相手を喜ばせることは自分の幸せでもあることを、無自覚であることが、せいぜい自覚のあるカムロと違う程度であろう。
(いらぱっよ、って馬鹿馬鹿しい文字列ですねぇ。
クマリが村の子供達につけてる変な名前に匹敵する)
『でかでかと太い文字で暖簾に強調してな。
一度見たら今夜までは忘れんであろうのが良いな』
さて、積極的に山波村への土産とソウサイへの贈り物を探してもいいのだが、気を張り詰めぬ観光歩きも並行して嗜むアンズ。
せっかくなのにクマリがいないのは寂しいが、異国の地をこれまた大好きなテンジン様と、二人きりで歩くのもまた得難い一日だ。
アンズもどことなく足取りが軽い。摂泉の地にて奇異の目で見られるのはもう慣れており、二度見されてもひそひそ声が聞こえてもどこ吹く風。
なんなら先日のようにごろつきに絡まれても即時対応できるよう、最低限の自衛意識が当たり前のように頭の隅にあるのが、僅かな雑念という程度である。
無数の店が立ち並ぶ摂泉村は、同業者がそばに店を構えていることも多く、客を取られっぱなしになると我が家が傾いてしまう。
扱う商品そのものの質にも気合は入っているであろうが、一見さんの目を惹く努力も怠ってはいない。
こうした商売の激戦区は、看板や軒先を見ただけでも面白い店が多く、店は多くも慎ましやかな山波村生まれのアンズには、見ていて飽きない眺めが続く。
右から左にではなく左から右に文字を並べて、"よっぱらい"と暖簾に表記した酒屋。
正しい読み方どおりに"いらぱっよ"と読むのが正解だろうか? それとも敢えて逆読みして"よっぱらい"とでも読むのが粋だろうか?
きっとこの店を初めて訪れた客は、店主にそんな質問をする。客と話せる取っ掛かりがあれば、口が達者な商人はその時点で勝ちだ。
アンズも、用も無いのに店に入って訊いてみたい。でも入って話すきっかけを与えたら、上手いこと調子に乗せられて何か買わされそうな気がする。
(やっぱり官位六色はいいですねぇ。
綺麗な色使いの店頭にするだけでも投資に気合入れたんだろうな)
『ふふ、鬼ですらその格式を表すのに用いる六色だからな。
妖の感性すら刺激するなど、相当に完成された鮮やかさの基礎と言えよう』
暖簾が紫、青、赤、黄、白、黒の六色で彩られた店は目立つ。
ただ、場所を選ばずそんな主張の強い店構えにすると、周囲の景観を損ねて悪目立ちするばかりになることもある。
その点、アンズがテンジンとの話題に出した店は、様々な色使いの玩具を並べる店と、八百屋の間に店を構えており、上手く溶け込めている。
その上で鮮やかな暖簾が、少し目立つねという程度で周囲の視線をささやかに集め、存在感を放っている。ちょうどいい塩梅だ。
決してお安くもない多色染物の暖簾、先行きわからぬ開店時の初期投資としては大きな出費であるはずだけあり、よく練られたものということだ。
ちなみに、店は畳屋である。そんな売り物をこんなぎらぎら暖簾で売るのか、と、一部の人には可笑しがって貰えるかもしれない。
(あっ、生け簀がありますよ。
きっと日替わりなんでしょうよね)
『ほぉ~、大物の赤魚ではないか。
あれは旨いぞ、今のうちに買わねば昼過ぎには売り切れておろうな』
テンジンが言う赤魚というのは雉羽太の俗称だが、生け簀に泳ぐこいつがまあでかい。
普通は水を掬う形にした両手に少し余って乗るほどの大きさが一般的とされるものが、明らかに両腕で軽く抱きしめられそうなほど大きいのだ。
元より旨い魚として名高い、摂泉湾の名物である赤魚だが、ここまで肥えたものはその味を知る者には垂涎の御馳走であろう。
人目を惹くには充分であり、朝っぱらから泳がせているということは、昨日仕入れて明日の我が家の売りは盤石だと店主も胸が躍ったはずである。
値札は既に貼られているが、かなり強気な価格である。それでも売れるだろう。
お高いからしばらくの間は売れ残って人目を惹き、それでも今日中には必ず売れるであろう大物ゆえ、店主の絶妙な価格設定が光ったものと見える。
ざっくりこれらを一例に、アンズの目を惹く店がいくつもある。
激戦区での埋没を避けるために知恵をはたらかせる商人が密集する摂泉の店並びは、アンズのような外来者にはたまらなく映えて楽しい眺めだ。
(それにしてもこういう商業区画にも、占い屋さんや案内所のような、商品を扱わないお店も結構あるんですね。
なんでも仕入れられそうな港村の中枢にも、そういうのがあるっていうのがちょっと意外です)
『そういえばお前は占いやまじないにも凝っていたな。
占って貰ったらどうだ? 好きだろう、そういうの』
(いや~、またの機会でいいですよ。
そそられますけどね)
商売の盛んな場所で売られるものは、なにも物品には限らない。
アンズにはソウサイのような伝手があるが、初めてこの村を観光に訪れる者なら、案内してくれる地元の人がいれば頼もしかろう。
占いはどこにだって愛好者がいる。銭の価値が他の国より明らかに強いこの国ですら、占いを商売とする店が潰れていないのがその証拠。
商売の形とは多種多様だと、自給自足の村で生まれ育った庶民には、改めてそう感じられるのもまた摂泉国の色である。
(……おやっ?
あれはもしや、旅芸人というやつでしょうか)
『ふむ、そのようだ。
一目見ていくか?』
(いいですね、楽しみ楽しみ)
歩いていった先に、少し開けた場所で人だかりが出来ている。
集う人々の後ろ姿の壁で遮られて、何が人だかりを作っているのかは目視できなかったが、可能性の一つをアンズが挙げてみるとテンジンが肯定した。
アンズの頭上にいつも座っている主神が身を浮かせ、高い場所から人の壁の向こう側を見て断言したところである。
芸に身を委ねる者達の一芸は、今時の庶民には魅力的な娯楽だ。
なかなか見られぬものが見れそうだと、少し小走りでその人の輪に駆け寄っていくアンズの姿は、まだまだ意外に幼いなとテンジンも微笑ましい。
立派な巫女として振る舞うため、背筋を正すことも多いアンズだが、まだまだ子供心の残る十七歳である。
(すっごいですね~。
どうやってるんだろ、あんなこと)
『ふふふ、私にはすべて見えているぞ。
神の眼を侮ってくれるなよ?
まあ教えてはやらんが』
(え~、いじわる)
上手いこと回り込んで、人混みの向こう側で芸を披露する芸者の技を見たアンズは、初見の芸にうっきうき。
ちなみに彼女は、人混みをかき分けて、ということはまずやらない。徹底的に身持ちが固いので、自分から見知らぬ誰かと触れ合うことはまず無いのである。
芸者は色鮮やかな着物を身に纏い、笑顔のおたふく面で顔を装い、赤く長い髪というかぶりものという奇抜な出で立ちだった。
そんじょそこらにいるだけで万人の二度見を誘うだろう。一目で芸者とわかる。
その催し芸は単純なものだったが、客をも巻き込み驚かせる形でなかなか凝っている。
少なくともこの時代、こんな芸を見せる者はなかなかいない。色んな意味で。
一例として、手招きした子供の前に五枚の札を見せる。
裏面は木目だが、表面は赤、青、黄、緑、黒の五枚の木札だ。
明らかに相手にもわかるよう、裏向けにしたその札を繰る。
さて、赤の札はどれ? と尋ねる。子供は勿論、裏向けでもわかる赤の札を選ぶ。
やはりそれを表返せば赤の札だ。しかし、他の札も裏返せばすべて赤。
いつの間に? 袖の長い着物なので、何らか仕込みはあるのだろう。
しかしそれと似たようなことを、他の客を呼んで繰り返しても、誰もいつすり替えたりしたのかを見抜けない。
何か種があるんだろう、とはどの客も思っているが、どうやっているんだと感心しきりに心が移り、常に喝采を集めるという形である。
要は手品である。種も仕掛けもある。
人より見極める力が遥かにあるテンジンは、神力などに頼らずとも、あの芸者がどのようにして札を操っているかは見抜けている。
敢えてアンズにそれを教えないのは、わからない楽しみというものを存分に楽しめという心遣いでもあろう。
アンズも芸者の手品を子供心さながらに楽しむ身として、種や仕掛けを教えてくれないテンジンに、その方が嬉しいと内心でも思っている。
意地悪な神様~、というくだりも家族間の団らんに近い。
『とはいえ、しかし……うぅむ……
まあ、別にこの場合は良しとしていいか……』
(どうかされました?)
『いや、別になんでもない』
(それだけぶつぶつ仰って、何も無いってことはなさそうにしか思えませんが……)
手品を披露する芸者を眺めながら、テンジンがどうにも複雑な顔をする。
なんでもないわけなさそうにしか思えないが、お話しされないのであれば重要なことではないのかな、とアンズも一応は考える。
ちょっと気にはなるが、話したがらぬ主神に詮索し過ぎるのも気が引ける。
(あっ、もう終わっちゃうんだ。
間に合って良かったような、もっと早く見つけてもう少し長く見たかったような)
『ふむ、おひねりを断っているのが面白いな。
修行中の身、ということか』
(お金を取ったらしょば代も面倒ですもんね)
集まってくれた客の拍手を浴びながら、声は出さず身振りで全方位に感謝を告げる芸者は、見物料をすべて遠慮している。
ここは摂泉村、ハタノのような強面ごろつきが領分を主張することも多く、流れ者の道端小遣い稼ぎには厳しい。
現にアンズが目聡く見渡せば、集まった客の輪から離れた場所で、腕組みして監視するかのように立っている強面もいるのだ。
あの芸者が客から銭を受け取ることあらば、誰に断ってここで商売してるんだ、とでも即座に絡んできそうな輩である。
土地の所有者でも無い者達が主張する場所代というのも理不尽だが、それによって保たれる秩序も実在するので、この辺りは難しい。
誰でも好きな所で好きに商売していいですよ、という風潮が当たり前になると、外来者が群がってきて土地を席巻する危険性がある。
財力と頭数で地元民を勝る勢力が押し寄せれば、侵略者による実質的な土地の乗っ取りも果たせてしまう。本当に大袈裟でも何でもない。
必要悪とは言うべきでないが、ああした排他的で強硬な勢力が、流入者も多い地元の秩序を守っているのも事実、という側面もあるのだ。
まあ、だからと言って……という話も山ほどあるのだから、大人がこういう話を突き詰めたがらないのもまた必然である。
本当に世の中は、知れば知るほどおかしなことだらけだ。
何故これでなんだかんだ上手く回ってるのか訳がわからなくなるぐらい。
(テンジン様、あの人をソウサイさんに紹介するのってどうでしょう?)
『……んっ?
あ奴を雇って、ソウサイの前で芸を披露して貰う、ということか?』
(はい。
ソウサイさんってお芝居がお好きだそうですし、見世物を提供するのは悪くないと思うんですよ。
別にお土産を物品に限るとは言われてませんでしたよね?)
『……………………』
(……あの、テンジン様?)
『ふむ、面白いかもしれんな。
良い結果になるかはやってみねばわからん。
やってみよう、私も同意する』
なんだろう、今の少し長く感じられた沈黙は。
ちょっと真剣に長考して下さった間と解釈してもいいが、テンジン様は頭の回転が速くお喋りだから、会話を繋ぎながらでも結論への考察が出来るお方だ。
完全沈黙で長くお考えになる時というのは、会話での間稼ぎに思考を割くのも惜しくなって、思考に専念したものと見立てていい。
そんなに神様が悩むほど難しい質問だっただろうか?
(すいませんテンジン様、私には思い至れない大きな問題があったりします?
でしたらやめておきますが……)
『いいや、面白い。
それより私との会話に耽っていていいのか?
あの芸者、荷物を纏めてもう行ってしまったぞ』
(あわわっ?
いけない、見過ごして着替えられちゃったらもう見つけられないかも。
すいませんテンジン様、追いかけますね)
『うむうむ、そうしろそうしろ』
主神もどうやら乗り気でいてくれるようではあるので、アンズは遠目の位置まで歩き去り始めている芸者を駆けて追いかける。
妙なテンジン様の反応が気にはなったが、あれこれ考えてあの人を見失ってはたまらない。
せっかく思い付いたことというものは、不本意な形で機を逃し、試すことすら出来ず諦めるというのはしたくないものだ。
最終的にどうするかは後で考えても間に合う。
今はあの芸者と接触できる機会を落としたくない。
思索も大切だが行動も大事である。
「あの、すみません」
「!?」
アンズに駆け寄られて声をかけられた芸者は、それに反応して振り向くや否や、大袈裟なほど上半身を逸らしてたじろいだ。
一声も発さずその反応を見せた芸者だが、すごくびっくりしたことだけは挙動から読み取れて仕方ない。
そんなにびっくりさせるとは、不意の上に声が大きすぎたかなと、アンズも少し気まずくなるのだが。
「え、えっと、びっくりさせちゃって申し訳ないんですが……
実は、お願いしたいことがあるんです」
「……………………!?
……!? ………………!?!?」
芸者はきょろきょろ周りを見渡して、アンズの眼差しを今一度確かめる素振りで、自分を指差して首をかしげる。
私に? 私に言ってるの? と、信じられないといった風で確認する仕草。
お面をかぶったまま、かつ声も出さずの対応だが、その上でこの人物の思うところは素直に表現されており、アンズにもちゃんと伝わっている。
「え、ええ、あなたへのお願いなんです。
実は……」
言いかけたアンズの前に、芸者は掌を出してきて、一旦それ以上はまだ言うなとばかりの仕草。
それによって言葉を止められたアンズだが、芸者は仮面越しに額を押さえた横顔で俯き、何らか参っているかのような態度である。
え、私なにかおかしなこと言った? 気付かず失礼なことでもした?
黙らせられたアンズも戸惑うが、どう見ても相手の方が戸惑っている。
芸者はしばらく考え込むかのような態度を見せた後、顔を上げず、アンズをちょいちょいと手招きした。
そうして背中を丸めて、こそこそっとした足取りで歩き出す姿に、ついて来て欲しいという主張をアンズも感じ取る。
そのまま芸者は立ち並ぶ店の間、狭い路地裏へと進んでいき、人目を憚るかのような場所へとアンズを導いていくのであった。
人払いを望んだかのような行動にアンズも疑問を感じながらも、路地裏半ばの日陰にて、立ち止まって振り返る芸者と向き合い立つ。
アンズよりも少し背の高い芸者は、腕を組んで首を大きく傾けて、う~んどうしよう、という内心を見せつけてくる。
気になる態度だが、何をどう尋ねればこの人の真意を聞き及べるかもわからないアンズは、向こうからの発言を待つ他無い。
「……………………あの、さ。
今からお面をはずすけど、騒がないようにしてくれない?」
「…………?
ええ、まあ……わかり、まし、た……?」
要求そのものも珍妙ではあったが、それ以上にアンズには気になることが新たに生じた。
今、初めてそばで聞いたこの人の声、どこかで聞いたことがあるような?
知り合い? いや、芸者の知り合いなんてそうそういないぞ、私。
だけど、確実に記憶に引っかかるのだ。気のせいではないはず。
絶対に聞いたことのある声である気がするのだが……その上で相手の顔が思い出せないというのは、人付き合いを軽視しない巫女として前代未聞の経験。
「……大変失礼で申し訳ないのですが、お知り合いでしたでしょうか?」
「知り合いっちゃ知り合いだね……
やっぱり、あたしが誰だかわからず声をかけてきてたんだな」
芸者が顔を隠していたお面を取り、ものすごく気まずそうな苦笑いをアンズの前に晒した。
日に焼けたような褐色肌で、アンズよりも少し年上と見えるお姉さんの面立ち。
真顔であれば気の強そうな眼差しも、今のアンズを前にした中では、なんでこんな状況になってんだいと参り気味な色が勝っている。
その顔を間近に見て尚、アンズには予想外すぎる相手の正体に、数秒頭が凍り付いていた。
が、相手が誰だかわかった瞬間、なんらか大きな声が出そうになったところを、芸者が伸ばしてきた掌がアンズの口を物理的に塞ぐ。
慌てて後ずさってその手から離れるアンズの前、お面をはずした芸者は口の前に指を立て、しーっ、しーっ、と息を吐きながら静かにして欲しいと訴える。
「あんたやあんたの身内に危害を加えようとする気なんか無いんだ。
お願いだから、いたずらに騒ぎを起こすようなことは勘弁しておくれよ」
知り合ったのはごく最近である。
初対面の場所は大和龍山。敵対陣営同士としての初顔合わせ。
そんな相手と、この摂泉国で――緑鬼茨木獣士と相見えることなど全く想定していなかったアンズに、この正体はあまりに衝撃的だった。
それこそ、静かにしてくれという頼みに応えてではなく、今改めて絶句して声が出なくなったほどに。




