第五二話 ~博打巫女 嘔吐編~
「はぁ、ぅ……」
アンズは前のめりに崩れ落ちた。
正座したまま上半身だけ。手の位置次第では土下座にも見える姿勢。
それほど、一度でも負ければ終わりの状況で、ようやく一勝をもぎ取れたことは、それほど体に力が入らなくなるほど大きかったのだろう。
まだ終わったわけではないのですが。
「完全に潰したと思ったんだが、なんとかぎりぎりで踏み止まったな。
お前が何をきっかけに、夏の札に思考が寄ったのかが極めて興味深いんだが」
「しりません……」
「ま、それを聞くのも野暮ってもんだわな。
よし、最終戦といこうぜ。
一矢報いてきたお前さんに、今度こそきっちり引導を渡してやらねえとな」
そう、本当にまだ全然終わっていない。
今からもう一戦ある。これで勝てなきゃアンズは結局負け。
今のようやく勝ち取れた一勝も水泡に帰す。
もっとも今のアンズは、今を勝てたことへの安堵の感情で胸いっぱいだが。
今は他のことなんて考えられない。よかった。あぁよかった。ちびりそう。
「俺の最後の札はこいつだ。
さあ、己の命運を懸けて後悔の無い選択をしな」
『こらアンズ、持ち直せ。
まだ終わったわけではないのだぞ』
(……テンジン様。
最後の札は、私が決めてもいいですか?
テンジン様には、これ以上責任を押し付けられません)
『む? 意外と思考力は残っているな。
しかしいいのか? お前が決めて負ければ、自責も相応のものとなるぞ』
(そうあるべき、です……
冷静に考えて、主神に己の命運の責任を委ねることなど、あってはならぬことだと思えてなりませんから……)
テンジン様の助言を授かって、ようやくの一勝を得られた直後だが、やはり頭が回り始めれば、巫女としてこれは駄目だと感じたのだろう。
良くも悪くも責任感の強い巫女である。追い込まれ過ぎて思考力すら潰れていた中では、つい甘えてしまったけれど。
しかし、それほどの例外でも無ければ巫女としての本懐を忘れぬようでなければ、やはりこの厳しい時代で主神に信仰を集める巫女は務まるまい。
『わかった。
最後の勝負は、口出し一つしないようにしよう。
それでいいということだな?』
(はい。
恐れ入ります)
『それはそうと、相手はもう札を出しているぞ。
彼奴が札を出す際の挙動も見逃したくせに、大きく出て大丈夫か?』
「ゑっ!?!?!?」
疑似土下座状態だったアンズが、声まで出して顔を上げる。
前方には既に手ぬぐいに隠された札が置かれている。
なんだ、今さら気付いたのか? と呆れ気味の顔をするヤシマに、己の体たらくを自覚したアンズの顔がかぁっと赤くなる。
まあ真っ青にならないだけ、気持ちはある程度持ち直せているのだろう。
精神的にもぎりぎりであるなら、肝心要の最終決戦で相手の挙動を見逃したとなれば、私ほんと何してるんろうと顔面蒼白になって妥当であろうから。
「いや、俺はちゃんと宣言したぞ?
最後の札はこいつだ、って。
勝手に崩れ落ちて見逃してるお前が悪いとしか」
ぐうの音も出ない真っ当な主張に、アンズも口をはくはくさせるのみ。
やり直して下さい、という切実な主張が喉まで出かかって、しかし言っても明らかに無駄なので黙るしかない。
いかにもそういう顔なので、ヤシマとしてはそれはそれで面白い。
「一回この札引っ込めて、出し直してやろうか?
出す時の俺の挙動、見直してえんだろ?」
「………………それでもよければ……」
「ばぁか。
阿呆かてめえは」
はい、からかわれましたとさ。
別にヤシマはやり直したとて出す札が変わらないので結構なのだが、一瞬縋りかけてきたこいつを突っぱねる方が面白い。
うまうまと敵に甘えかけてしまい、馬鹿にされて突っぱねられて、悔しさと己の馬鹿さ加減に涙目になり、頬を膨らませるアンズを見られて満足。
ひっひっと悪い笑いを浮かべるヤシマに、アンズは何一つ言い返せない。
「遊びは終わりだ。
いつでもいいから札を出しな。
一勝した程度で浮かれてるかもしれんが、ここで負けりゃあお前は結局、俺達の犬になるんだからな」
やはり、ヤシマは四季札で大勝ちするだけあり心理戦の達人であり、望む空気に引き戻すことも思いのまま。
違う空気でアンズから肩の力が抜けていた中、半ば突然に博徒の親玉の眼光に戻り、低い声でアンズを現実に引き戻す。
そう、負ければ終わりだ。
アンズは負けても、すべてを捨て去り暴れて操を守る選択肢もあるとわかったが、それをしてしまえば彼女はもう胸を張れる巫女には戻れない。
冷静に考えて、やはり巫女をやめることもまたしたくはない。
父のように慕う主神の信仰を集め、もっと笑って欲しいという子心を捨てて、この先の人生に新たな生き甲斐など見つけられる気はしない。
再び、だくっとアンズの全身から汗が噴き出る。
やっぱり負けられない。たとえその後どう立ち回ろうが、負けたら巫女として終了も同然。
約束も守れない巫女など、アンズが思う理想の巫女ではない。理想から離れた自分の人生に妥協していては、この険しい道は歩み果たせまい。わかっている。
「せいぜい頑張れ。
俺は一晩中でも待つからよ。
決断から逃げられると思うなよ」
頬杖をついた姿ながら、アンズに注ぐヤシマの眼差しは鋭い。
逃げ場など無い。わかっていたことだが、一度弛んだ空気に触れたアンズの肌に、いま改めて突き付けられるこの空気は肌すら痛い。
十七歳の若い女がヤシマに負け、遊郭に身を並べることを期待していた周囲の荒くれどもも、今さらひっくり返して逃げるなよという厳しい目線で威嚇する。
改めて四面楚歌の空気を今さらながらに実感するアンズは、追い詰められているこの現実に嫌でも引き戻されてしまう。
大丈夫、勝てばいいんだ。
私が出した札があいつの出してきた札と一緒であればいいだけの話。
それだけで終わりだ。全部解決する。
二分の一じゃないか。不利でもなんでもない。適当にやっても当たる時は当たる。
さっきも勝ったじゃないか。テンジン様に助けて貰ったのは確かだけど。
絶対に勝てない相手じゃないはず。
正解を出せば勝てる勝負に過ぎないはずなんだ。
でも、もしも負けてしまったら……?
「………………ぅ…………」
やばい。やっぱり怖い。
勝てればいいけど負けたら人生終わっちゃう。
約束反故にして操を守り通したとしても、私には巫女以外の生き方が出来る自信が無い。
幼い頃からそうやって生きていくと決めてここまで来たのだ。
負けたら全部吹っ飛ぶ。私のこれからの人生も含めたすべてが。
何ら誇張無く、博打に負けて負けて負けまくって借金背負いまくって、ここで負けたらもう完全に返済不可能という状況に追い込まれた者の立場と一緒。
正座した足先、いや、足の甲までが宙に浮いている気がする。
断崖絶壁の端の端に座っている気分。後が無く、一押しされると落下して死ぬ状況。
無性に壁に背中を預けたい気分。現実逃避は承知の上で、後ろが崖っぷちでないことを、せめて背中で物理的に感じてみたい。
全身の毛穴から汗がなお噴き出す実感すらあり、肌がちくちくするほどである。
なにせ、もはやテンジン様にも頼れないのだ。
私って本当に馬鹿、なんであんないいかっこしちゃったんだろう。
自分一人だけで、七連敗した相手に勝たなきゃいけない状況になっている。
春と夏の二枚の札を持つ手が震えている自覚はあるが、どう足掻いてもその指先の震えを止められる余力は無い。
「おい、固まるなよ。
今お前、なんにも考えてねえだろ。
札を選ぶことに思索を巡らせるのは結構だが、何も考えずに時間潰しするような馬鹿には付き合いきれねえぞ」
「あっ、う……えぅ……」
流石に最終戦とあってか、ヤシマも揶揄ひとつない厳しい態度でアンズを追い立ててくる。
真っ当な理屈で叱られるとアンズは弱い。敵対する相手の言葉でもだ。
確かにいくらでも待つとは言われたが、それは勝負の中の話であって、何も考えない時間を許容するわけではないことぐらいアンズにもわかる。
言葉尻だけ捕らえての下らない屁理屈でごねたところで、何らこの状況は改善されやしないのだ。通用しないとも言う。
気を引き締め直して考えろ。
結果的に私は夏の札を七回連続で出している。これは読み合いの大きな要素になり得るはず。
流石にそろそろ私も春に変えるはずだと相手も読むだろうと……いや、これさっきも考えたことじゃなかったっけ?
やっぱり夏のままにしておいた方が……いや、それで負けまくってきたし……
あれ? 結局私、どうしたらいいの?
負けた六本場と七本場と今は同じ思考回路で、だったら結局は同じ結果に……
「………………ぉぇっ……」
「んあ!?
ちょっと待て、吐くなよ!
きったねぇもん撒き散らされたら掃除が大変だろうが!」
「だ……だいじょぶ、です……ぅぇっ……」
顔色が悪くなってきたアンズを前にして、ヤシマは別の意味で焦ってきた。
追い込まれた女の表情が歪んでいくのは面白いが、げろげろを撒き散らされたら流石にかなわん。
どうせ片付けるのは自分ではないが、換気性の乏しいこの地下空間を、そんなものの匂いで一度いっぱいにされると当分使い物にならなくなる。
かつて、博打で度を越した大負けをして人生破滅した奴が、いい年こいてお漏らししたこともあったが、げろげろの匂いはきつさもしつこさもその比じゃない。
あの時でも大変だったのに、吐くのだけは勘弁して欲しい。おっさんの尿というとびっきり汚いものよりも、げろげろの方が確実に、遥かに始末に負えない。
札を持たぬ方の手で口を覆い、目をがん開いて、ふぅ~ふぅ~と荒い呼吸を繰り返すアンズは、本当に吐いちゃう寸前なのだろう。
博打で負けが込んでくれば――仮にこのまま終わったら人生終わりだというところまで追い込まれると、人間は本当にここまでやばくなる。
一戦前はテンジンが声をかけてくれたのがまだ早かったので、こうなる前にアンズは留まれたのだが。
今度はもうテンジンにも頼れない。彼女の心を救えるものは何も無い。
負ければ誇張無くお先真っ暗の現実で、二分の一という高確率でそうなるとなれば、心労が体調にまで影響を及ぼすのも当然である。
「……早く出せ!
これ以上粘られると、お前本当に吐きそうだわ!」
「わ、わかってま……うぷっ……
に、逃げませんよ……ちゃんと、出しま……っ、ぐぇ……」
こいつこれ以上喋らせるとやばい。
ヤシマはもう話しかけないことにした。つまり惑わされることもないのでアンズにとっては良い流れだろうか。
いや、恐らく関係ない。アンズはもう、相手のことなんて見る余裕も聞く余裕も無い。
負けたら人生終わっちゃう、その一念で決断するしかない中で、もはや周りはおろか真正面に目を向ける余裕も無い。
というか、本人的には今もう死んじゃいそう。
賭博で負けまくるのって、ここまでつらいのか。
ここで勝とうが負けようが、私はもう二度と博打なんかしない。
ばくち、こわすぎる。
「も……も゛ぅ、いいでぅ……
これで、いきまぅ……」
「……お前それ、一応はちゃんと考えて出した札なんだよな?
それなら俺も、勝とうが負けようが納得できるんだが」
「か……かんがえ、まひた……
これで、いいでふ……うぶぅっ……」
ああもう駄目だこいつ。考えきれてない気がする。
心理戦をやりきるほど余力が残っていない。流石にいじめ過ぎたか。
春の札を出してきたアンズが、何を思ってそれを選んだのかはわからないが、深い読みの末の結論などではあるまい。
とりあえず、前のめりな姿勢で札を出し、上目遣いでこちらを力無く睨み、口の端から涎が溢れている顔に、これ以上のものは求められない。
女がこの顔を隠しきれていない時点で、まともな頭じゃなくなってる。
「……あ~、もういいわ。
焦らす意地悪して本当に吐かれたら洒落にならん。
春だよ春、お前の勝ちだ」
ヤシマは投げやり気味に札を隠していた手ぬぐいを取り去って、アンズが出した春の札と、自分の出した春の札が一致していることを示した。
つまり、アンズの勝ちである。二連勝は果たされたのだ。
九戦やって二勝という成果を成し遂げ、アンズとヤシマの勝負はアンズが生き延びる結果となったのである。
これにて、二人の勝負には決着がついた。続きは無い。
勝者にとって、もうこの結果を覆し得る続きが無いのは何よりの朗報だ。
「…………うぶうっ……!
っ、っ~~~……」
「待て! 頼むから吐くな!
この賭場が当分使い物にならなくなるだろうが!」
勝ったのはいいが、安堵よりも、アンズは手元に残った夏の札を投げ捨てて、両手で口を覆ってうずくまる。
ほっとしたらせり上がってきた。人間の身体ってどうなってるんだろう。
追い詰められたら吐きそうになって、その地獄を抜けた安堵感でもいっそう吐きそうになる。
身体が一度逆流を訴えたら最後、耐えに耐えて、気が弛みかけたら抑えていたものがまた一気に来るということなのだろうか。知らんけど。
もっとも、博打で極限まで追い込まれた人間が、冗談抜きの吐き気に襲われ得るのは紛れもない事実である。
流石にこればっかりは、手をつけるべきでない銭まで手をつけてでも博打に挑んだ者にしか、実感を持って理解できない世界だ。
アンズは手をつけるべきでない銭どころか、今後の人生が誇張抜きで懸かっていたのだから、こうなることも致し方ない。
こんな経験は誰もしない方がいい。したら見識は広がるが、現場できつ過ぎる。
「おい、もう大丈夫だよな」
「はぃ……だいじょぶです……」
「なんで俺がお前のような小娘を気遣ってやらなきゃなんねえんだ。
まあ、それだけ追い詰めたのも俺だがよ」
あの後、小間使いに上の店から水瓶と桶まで持ってこさせ、アンズがいつ吐いても大丈夫な配慮までする羽目になったヤシマ。
意地でもアンズは吐かなかったが。人前でげろちょんぱなんて、巫女としてどころか普通の女の子としても無理。
耐えきって、口を手首で拭い、血色の悪い顔でヤシマと対峙するアンズは、目に光が戻っていない。
もう憔悴しきっているのだろう。今日はもう強い巫女の顔は出来そうにない。
勝者の顔とは到底見えぬが、巫女として終わりかけたところから、ぎりぎり生還しただけの身なのだから仕方ない。
恐るべき難敵との死闘を制して生還したそれではなく、潮に呑まれて沖まで流され溺れて死にかけながらも、たまたま浜まで流れ着いただけの生還者。
得意げになって元気を取り戻せる生還劇ではない。
助かった……よかった……死ぬかと思った……という心境で、元気を取り戻せるわけがない。
『お前は普段、もっとえげつない苦境で揉まれているであろうに。
それよりもきつかったか?
負けても死ぬわけではなかったのだぞ』
(つらかったです……
今までの死線とは種類が違います……
どうにもなる気がしませんでしたから……)
『わからんでもないが』
命懸けにさえ慣れているアンズでも、今回の苦境はものが異なった。
一番堪えたのは、どうすればいいのかわからぬままに、死の沼にずぶずぶ沈ませられていくあの感じ。
妖魔との戦いでは、どれだけ追い詰められようが、戦うことさえ諦めなければあとは天命に任せられるし、最悪死んでも納得は出来る。やりきったのだから。
戦い方もわからぬまま、あれよあれよといつの間にか人生終了に向けて一直線という流れだった、今回の窮地はアンズも初体験だ。
博打の熟練でも連敗続きでは胃がきりきりするというのに、賭博初体験の身でこうもどん詰まりまで追い込まれたら、十七歳には酷というものであろう。
「ともかく、この勝負は俺の負けだ。
約束どおり、お前とハタノの件に関しては手打ちとし、今後このことを蒸し返すことは御法度とする。
おうハタノ、まさか文句はねえよな?」
「……承知しています」
「あ? なんだその憮然顔は。
俺が決めたことに納得できねえのか」
「っ、滅相も無い!
すみません、調子に乗っていました……!」
「すぐに謝るならまあ許してやるよ。
お前もいちいち、こんなくそ面倒な話を持ってくるなっつうんだよ」
許してやるよと言いながら、ヤシマはハタノに歩み寄り、手が届く場所まで辿り着いた瞬間に、ハタノの頬を拳で殴り抜いた。
いい年をした体格のいい大人が、その一撃でぶっ飛ばされる威力である。
ヤシマの腕力がどれほどのものかはさておき、容赦が無かったことだけは確か。
殴って初めて許すのだろう。
大親分のヤシマを不愉快にさせれば、遥か下っ端のハタノなど、罰一つ無く赦されることなどあり得ない。
後ろにいてくれるだけで摂泉においては最強の後ろ盾となってくれるヤシマだが、その恩恵にあやかるのであれば、どんなに理不尽でも服従するしかない。
力による支配者達の一員となって、でかい顔をすることが出来るのは大きな利だが、それに伴う義務もまた重いということである。
「さて、俺に勝ったからには一つ言うことを聞いてやらなきゃな。
ひとまず言ってみな。なんでも聞くとは言えねえが、ある程度なら……」
「あ、もう結構です……
帰らせて下さい……」
博打に勝ったことで、生還できるだけでなくヤシマへの命令権も得られたアンズ。
もはやアンズにとって、そんなことはどうでもよかった。
一刻も早く帰って休みたい。今日はクマリに遊んでとせがまれても寝る。
疲れ果てた。精も根も尽き果てた。今日はもう何もかも無理。
どうでもいいから早く帰らせて下さいと会釈するアンズには、こいつ本当にもう限界なんだなとヤシマも苦笑する。
「ちなみに、元は何を頼むつもりだったんだ?
お前、何か思い付いたような顔してただろ」
「あぁ、こんな所に連れ込んだことを謝って下さいって言うつもりでした……
でももういいです……やっぱり年上の方に、頭を下げろと強制するのも幾分と生意気ですからね……」
「くははっ、お前さんもまあまあ頭にきてたってわけか。
わかったわかった、悪かったよ。
少しは留飲を下げてやれるなら良しとしよう」
「あっ、はい、どうも、恐縮です……」
かなり年上の相手に謝らせているので、今は冷静なアンズも礼を以って応じている。
たとえ憎い相手であっても、勝ってその顔を潰した上に、謝ることを強制して、さらにその顔に泥を上塗りするなんてやるもんじゃない。
会釈程度の頭を下げる仕草すら見せず、笑いながらすまんなと言う程度のヤシマの態度は、アンズからすればそれで充分過ぎますという所感。
もうこれ以上、相手に恥をかかせて再び揉めるような展開は嫌。
しょうもないハタノ相手だったら何度だって返り討ちにしてやるが、ヤシマとこれ以上絡むのはもう御免こうむりたい。
「よし、後は勝手に帰ってくれ。
俺はここで、もうちょっと賭場を仕切ってから帰るからよ」
「はぁい、失礼します……」
「じゃーな、アンズ。
お前の名前、覚えたぜ」
「忘れて下さって結構ですよ……」
信仰を集めるために名高くなることを是とするアンズをして、もう関わらないで下さいお願いします、という弱々しい最後の挨拶だった。
この地下空間に繋がる階段に足をかけながら、振り返って小さく会釈する顔の、なんとまあ疲れ果てたものか。
傷一つ負わずして、妖魔との死闘の後にも匹敵する顔である。
まあ、それはそうだ。望みもしない博打に挑まされて、あれだけ追い込まれたらこれだけずたぼろにもなる。
自分の意志で挑んだ博打でも、大負けすれば目が回るほどの悶絶に見舞われるというのに、勝っても利の無い博打に強制参加させられてあれでは。
アンズはこの後カムロと落ち合って、ソウサイの関係者に保護されていたクマリと再会し、顔色の悪さを心配されながらも、大丈夫と空元気を切って。
お姉ちゃん疲れちゃったからもう休んでいい? と、まだ陽も高い時間帯にありながら、宿に帰ってクマリと一緒にまったりと休み、夕時過ぎに早寝した。
全然大丈夫じゃありませんね。クマリも騙されたとは思っていない。
普段から自分の知らないところでも大変なお姉ちゃんなのは知っているので、疲れているならいたわり、労い、振り回さないように甘えるだけである。
物分かりのいい妹は、けちょんけちょんに精神をやられた今日のアンズにとって、今日だけでも依存したくなるほどの救いだったに違いない。
これで一日が潰れたのは時間が勿体ない。
山波村に持ち帰る土産や品も殆ど決まらぬまま、日数だけが進んでいるのはあまり良くない流れである。




