第五一話 ~博打巫女 失禁編~
唐突だが、博打で勝つためにはどうすればいいのだろうか。
考えて、考えて、考え抜けば勝率を高められるものだろうか。
現実的な話をすると、それはある意味で正しく、間違いでもある。
たとえば札を揃えて役を作るような遊びでは、手作りの合理性や、自分が欲しい札が来る確立を加味するなどして、勝率を高めることは出来る。
技術を要する博打であれば、総合的にはやはり経験者の方が素人より強い。
運や紛れで素人側が勝ちを拾うことは多々あるが、長く続ければやはり知恵の深い方が勝ち込むだろう。
技術を要しない賽子を使った博打でも、銭を張る側が考えるべき余地は山ほどある。
出にくいぞろ目に敢えて張って高配当を目指すか、出やすい偶数か奇数の目に張って的中そのものを目指すか。
最後は勝ったか負けたかのみが全てなのが博打だが、何も考えずにぞろ目にしか張らない、極端な勝負の仕方ではなかなか勝てもしまい。
どんな博打にも参加者が頭を使う余地が必ずあり、だからこそそうした博打は長く愛されるようになる。
天運のみに命運を預けるのは籤引きで充分であり、やはり自分で考えて勝利を掴み取れた実感を得られる博打の方が、やり甲斐はあると言われるのだ。
人気を博している博打があるとすれば、それらには大概、そうした要素が何らかあるのだろうと決め付けてもよさそうなほど。
それを踏まえた上で、一つの問いがある。
博打というものは、仮に無限の時間を与えられ、考えて、考えて、考え抜けば勝てるものなのだろうか。
答えは否だが、それを断言するにあたって、非常に便利な格言もある。
"それで勝てるのなら誰も苦労はしねえよ"と。
大事な身銭を賭けて博打に挑む者達は、誰だって必死に知恵を絞っているはずだ。それでも負ける時は負ける。
たまに負けても考えることで勝率を高めてるから、次は勝てる、その次も勝てる、必ず取り返すことは出来るはず?
なるほど、それなら博打はもっと流行っていい。
勝率が勝るなら普通に働くよりも稼ぎが良くなるのが博打なので、考え抜きさえすれば勝てるのなら、博打だけで食っていけるようになるだろう。
別に博打に限った話ではないが、徹底的に考え抜くことで必ず成功が約束されているなら、誰も苦労はしないのだ。
失敗する者は努力が足りなかったのだろうか?
農民はどれだけ毎日必死に働いても、努力しても、飢饉一発で死んでしまう。
順風満帆だった商業が、自分の全く手の届きようのない場所で起こった事件に巻き込まれる形で、ついに立て直せずぶっ潰れることなんて珍しくもない。
どれほど完璧に成功を収め、どれほどの事件に巻き込まれても生き延びる周到さを持ち合わせていても、ある日雷に撃たれて死んだら終わりである。
天運は実在するのだ。人が、どれほど抗わんとしても敵わないもの。
まして運という要素をおおいに含む博打という概念が、徹底思考により必勝となり得るという考えは、根本的に間違いである。
「おいおい、勝負としてはつまんねえぞ?
俺はお前の顔が引き攣っていくのが面白いが、それがなけりゃあ退屈極まりねえ勝負だよ」
さて、四季札。
アンズは今しがた、五本場を負けたところである。
アンズは初戦から数えて、春、夏、夏、夏と出してきて、この五本場も夏を出して、ヤシマが出していた札は春。
四本場でもヤシマが出してきた札は春だったため、アンズはこれで五連敗である。
残り四戦。
二回までは負けてもいいし、二回勝てればいいだけなので、客観的に見れば決して絶望的に追い込まれた状況ではない。
ここまで五連敗しているという事実が無ければだが。
「どうする? 一旦休憩でも挟むか?
一息入れて、心機一転気を立て直してくれてもいいんだぜ?」
「け……結構、です……」
ヤシマは気丈な女の顔が崩れていくのが面白いと悪趣味なことを宣っていたが、今はまさしく彼の望む展開の佳境である。
一勝も出来ないまま、いつの間にか折り返し地点を過ぎ去っていることに、アンズが流す冷や汗は目に見えて多い。
膝の上に置いた手も握りっぱなしで、息遣いも普段より心なしか荒く。
問われた言葉に返答するにも、相手の顔を見据えて言い返す余裕も無く、目線がヤシマの示した春の札に向いたまま動いていない。
なんなら、ヤシマがその札を手元に戻した後も、目線はそのまま上がらない。
今からでも二回までは負けられることは、アンズだってわかっている。
しかし、五連続で負け続けている相手、言い換えれば五連続で自分を負かしている相手に、二勝も拾うことが簡単なことだと思えるだろうか?
今のアンズの精神状態は、最初から四戦と定められて二勝しろと言われた場合の緒戦よりも、遥かに悪い。
「はいよ、六本場。
別にすぐ出してくれても構わんぜ」
そろそろ本当にまずくなってきた実感を得つつあるアンズが、ヤシマの方を改めて見ることも叶わぬうちに、六本場の札が提出されてしまった。
慌ててはっとしたように顔を上げたアンズの前には、とうに札を提出して頬杖つき、にまにまと自分を眺めるヤシマの姿。
四季札においては致命的な失敗である。札を出す際の相手の挙動を見逃している。
それをよく観察し、相手が何を出してきたかを読むのが四季札なのに、アンズはその必要な状況すら半ば放心状態で見落としたのだ。
見逃したものがどれほど重要であったかなど今さら知る由もないが、アンズがその情報を抜きにして相手の札を読まねばならぬようになったのは確かである。
追い詰められた中で、頼りにしたい情報の一つがはじめから欠けていることの心細さは、アンズの胸を強い悔いで抉る。
何してるの私、大事な勝負で呆然として、という後悔は、見落としたヤシマの挙動の価値の重さうんぬんを抜きにして免れない。
「どうせ考えても無駄だがよーく考えて出してくれや。
絞り出した結論が実らなかった時ほど、お前の顔は映えるんだからよ」
言われなくても、ここまで来て考え無しで札など出せるものか。
そろそろ本当に一勝ぐらいはしておかないとまずい。
負けたら洒落にならないのだ。ここまでの状況になっていながら、無思考適当で札を出せる奴がいるなら、きっとそいつは軽く頭がいかれている。
自分が四連続で夏の札を出してきて、その上で相手が何を選んできているのか、必死に考え抜いてヤシマの札を当てるしかない。
相手の思考を考える。
まさか五連続で私が夏を出すとは思っていないんじゃないか?
そろそろ相手も、こちらが未だに夏を出し続けるとは思わず、春を出すと予想して夏の札を置いてくるんじゃないか?
だったら私は夏の札を出すべきだ。今の仮説が正しいとすれば。
実際あいつは、私の四連続の夏を、向こうは四連続の春で躱している。
私だってもう一度夏を出すのは怖い。また同じ負け方をしそうだもの。
四本場も、三本場もそれで負けてきている。似たような思考回路でだ。
私が夏を出し続けるのが怖くなっているのは向こうもわかっているはずだ。
だから私がそろそろ春に切り替えるのを、あいつもそろそろ見越し始めていてもおかしくない。
であればあいつが出してくるのは夏だから、私はやっぱり夏の札を出すのが正解なはず。
いや、でも……
私がそんなことを考えるなんて、あいつははなからわかっていそうな気がする。
そうして私が夏の札を出すことを見越して、あいつは春の札を置いているのでは?
だったら私が出すべきなのは春の札で……
いや、だけど普通に考えれば五連続での夏の札なんて考えにくそうで、相手が予想するなら私がそろそろ春の札を出す方が真っ当なような……
でももしそれを読み切られたら、夏の札を出していた方がよかったってなりそうで……
「ぶはははは! そろそろ春の札に切り替えたいんだよな!
いいぜいいぜ、好きにしろよ。
きっと勝てる、普通はそろそろ切り替えるべきだ、普通はな」
耳を塞ぎたい。惑わされる。
今の言葉は相手の本心? それとも私に夏の札を突っ張らせたい誘導?
一周も二周も思考を巡らせている所に入ってくる横槍は、アンズの頭をぐちゃぐちゃにしてくる。
うるさい相手を睨み返す余裕も無く、目尻が落ちてきて不安と焦燥に駆られるアンズの素直な表情が、ヤシマにとってはひたすら面白い。
逡巡した思考の果て、アンズは考えに考えに考え抜いて、やや長い時間をかけて夏の札を差し出した。
ヤシマの挑発的な言葉は努めて無視した。読みに秀でたあいつは、私が春に切り替えることを呼んで夏の札を出したと思う。
惑わされてなどいない。騙されなければ勝てるはずだとアンズは信じた。
「だから春にしとけっつったろ?
一回ぐらい負けても怖くない立場から、少しは面白くなるように親切で言ってやったんだがなぁ」
「ぁぅ……っ」
だが、ヤシマが出してきた札は春である。
これでアンズは六連敗。残るは三戦。
勝たねばならない数が、いよいよ負けてもいい数を上回ってきた。
はじまりは、七回負けても大丈夫な状態から始まった勝負が、いつの間にかあと一回しか負けられない。
「さて、今度は……」
「ま……っ、待って、ください……」
「なんだ? 休憩か?」
「す、少しだけ、気を取り直します……
さっきそちらから言って下さったことなんだから、いいですよね……?」
「おう、好きにしな。
いくらでも待ってやるよ」
敬語使いは普段通りなので下手に出ているわけではないのだが、六連敗した後の今の立場では、必死で媚びているようにも見える言葉遣いである。
かなり精神的に参ってきているようで眼差しにも力が無く、気の強い巫女の面立ちはどこへやらという姿。
とうとう虚勢も張れなくなってきたアンズを前に、ヤシマも肩をすくめて春と夏の札を前に出し、しばらく触れぬという態度で応じる。
お前が俺から目を切っている間に、こっそり札を出すようなことはしねえよという表明だ。
姿勢を崩さぬ正座でヤシマと相対していたアンズが、許しを得るや否や足を崩した。
足先を開き、お尻を床につけたぺたん座りとなり、両手を自分の少し後ろについて、天井を見上げてはぁ~っと長い息を吐く。
本人だってわかっている。反った胸は襟の間の谷間を正面の相手に見やすくさせ、膝を僅かでも開いたことで、短い裾の奥は覗かれやすくなっている。
人前ではしたない姿。貞操観念の強い巫女として、見せてはいけない姿勢である。
それでも一度、脱力しなければやっていられない。張り詰めたこの息を一度でもいいから吐き出したかった。
負けたらどうしようという危機感は、当初とは比較的にならぬほど膨らんでおり、精神的にも限界が近い自覚がアンズにもあったのだ。
気分が悪い。眩暈がしそう。
ただでさえくらくらする時に、天を仰げば尚のこと目が眩む。
薄暗い天井がちかちかして見える。手に力を入れないと、背中から崩れ落ちて倒れ込んでしまいそう。
博打で負け続けていよいよやばくなって、勝ってなんとか巻き返さないと未来が無い時というのは、ここまで気分が悪くなるのかとアンズも痛感する。
本当に、負けたら終わりなのだ。しかも逃げ道無し。
「おう。もういいのか?」
「……………………あと少しだけ」
顎を引いて背筋を正す姿勢に戻し、お尻も改めて足先の上に乗せて正座。
アンズは汗ばんだ両手をぎゅっぎゅっと握り、改めて汗だくな自分の全身を理解する。
自分でもわかるのだ。腋も、胸の下も、膝の裏も、そして額も。
肌が重なっている所はすべて気持ち悪いほどじっとりしていて、汗をかきやすい場所もまた濡れて雫が肌を伝っている。
このまま乾かせばべとべとになる全身を、今や拭う気力も取り戻せない。今は目の前のヤシマに勝つことで頭いっぱいだ。
「……はい、お待たせ致しました。
よろしければ、再開致しましょう」
「おう、少しは目に光が戻ったな。
いいぞいいぞ、それでこそ勝負は面白ぇ」
僅かな休憩時間を挟めたことで、アンズも僅かに気を持ち直した。
うだうだ言っても始まらない。勝つしかないのだ。
泣き言を頭の中で思い浮かべるのではなく、結果に繋げて生き延びることを考えるべき。
負け続けて気持ちが弱っていたアンズだが、ここにきて一息入れただけで、正しい心理状態を取り戻せるのは流石である。
十七歳でこれが出来るだけでもたいしたものだ。
「気張って次は当ててみな。
一勝取れれば逆転の目も出てくるぜ?」
そう簡単にそうはさせねえけどな、とばかりの挑発的な表情で、ヤシマは春か夏の札を出してきた。
アンズはもう、腹を括っている。ここまでの流れや、夏の札ばかり出してきた自分の展開に自ら翻弄されるのはやめだ。
ここまで見てきたヤシマの姿、札を出す際の挙動を見て、何を出してきたのかを見極めんとする。
元々四季札はそういうものだ。
勝負所での相手の挙動をしっかり見極め、相手の札を読むのが正道とされる。
今ここに至って、原点回帰の思考に至ったアンズの立て直しぶりは、劣勢の流れでよくぞそこまで持ち直したと評価されてもいい。
悪い流れを断ち切るためには、間を挟むこともまたあっていい。
賭博初心者でありながら、案外アンズはなかなか博打の肝とも言える場所を突くことを出来ていた。
「はいよ。
いよいよ、もう後がねえなぁ?」
「んあぁぁ……」
負け。夏の札を出したら春の札を出された。
自分から休憩を申し出て、一息入れて、崩れかけた精神を持ち直し、惑わされていない精神状態まで持ち直したのもいい。
その甲斐あって、相手の態度や姦言に惑わされず、自分の思考と読みに集中して札を出せたのもいい。
だからといって、流れが変わって勝てるようになるとも限らないのが博打というものである。
厳しいことを言わせて貰うと、立て直したのはいいが些か遅い。
追い詰められてから気を持ち直しても、劣勢である戦況は何ら変わっていないのだし。
やばくなってから気持ちを建て直せば逆転の展開の始まり、なんてことが出来るんだったら、しつこいようだが誰も苦労はしないのである。
どうにもならない時はどうにもならない。駄目な時は何をやっても駄目。それが博打。
「凛々しく立て直した面構えもあっさり崩れ落ちたな。
わかってるよな? お前さん、もう一回も負けられねえぞ?
七連敗したお前が、今から二連勝って出来るのかね?」
「あっ、ぅ……あう、あぅ……」
「そうそう、その顔、その顔よ!
あいつらのようないかつい面の大人相手にも怯まねえような奴が、そんな泣きそうな顔になってんのが面白ぇわ!」
さあここからだ、なんとか一勝もぎ取って……という意気込みで挑んだ七本場も、あっさり退けられて崖っぷち。
一敗しただけでどん詰まり、呆然とした顔で姿勢すら後ろに傾くアンズを見るに、やはり一息入れるのが遅かったとしか。
二戦早く、四敗の時点で気持ちを立て直していれば、一敗したところでただちにここまで気が弱ることもなかったかもしれない。
せっかく持ち直した気持ちも、たった一回負けただけで、先ほどよりも深い絶望感に堕ちるようでは、頑張って立て直した甲斐も無いとしか言いようがない。
いくつもの命懸けの戦いを勝ち延びてきた巫女とはいっても、この勝負は今までの一世一代とは種類が違い過ぎる。
どんなに追い詰められたって、諦めず遮二無二挑む心を折らず、結果的に勝って生き延びるその時まで戦い続ければよかった今までとは違う。
考えて、考えて、考え抜いても、勝利に必ずしも結びつかないのが顕著で、それがただちに現実となって襲い掛かるのが賭博というもの。
手を尽くしても、思考を尽くしても、追い込まれる一方の現実に直面し、これ以上どうすればいいのかがアンズにはもはや本当にわからない。
その眼は既に、本人には無自覚ながら、僅かでも手心か慈悲が欲しい、敵わぬ相手に相対した弱い女の子のそれに変わりつつある。
「とはいえまさか、俺がお前を哀れんで、手を抜くような奴だと期待してるわけじゃねえよな?」
「ぅ、ぁ……」
「ほらよ、こいつで終わりだ。
己の末路に覚悟が出来たら、腹を括って札を出しな」
ヤシマは待ってなどくれない。
既に八本場は整っているだろうとし、手ぬぐいに覆った札を提出してきた。
もう、ヤシマは何一つ悩むことはない。アンズを眺めながら待つだけ。
一方アンズは、相手が出した札と同じものを出せねば、負けが確定して暗黒の明日が始まることを確定させられてしまう。
追い詰められたアンズが、死の札を出すまで苦しむであろう長い時間を、眺めて堪能するヤシマの時間だ。
一方的に嬲られる立場となったこと自体は理解できながらも、アンズはもはや眼力でそれに抗う余力も無い。
負けたら終わり、負けたら終わり、負けたら終わり――
目の逸らしようのない現実を前にして、アンズの頭の中はそれでいっぱいになってしまう。
「……………………っ!?」
何かに気付いてはっとしたかのように、目を見開いたアンズが背を丸め、正座した自分の股の間を両手で抑えた。
やばかった。今、実感があった。気付くのが一瞬でも遅れていたら。
勝とうが負けようが、それをやってしまったら私はもう、今すぐ自ら首を掻っ切って死ぬしかないほどの恥辱の一歩手前。
「お、なんだ?
もしかして、ちびりそうになったか?」
「っ、っ……~~~~~っ!
そんなわけ、ないでしょう……っ!」
そんなわけある。本当に、失禁する寸前だったと思ったのだ。
人生で初めてである。いま、気付かなければ自分がお漏らしする一歩手前であったと直感して背筋が凍ることなど。
無理矢理ぎっとした眼差しで睨んで言い返すアンズだが、自分でもわかるほど、ヤシマは迫力めいたものなど感じていないだろう。
賭けに負け続け、心が弱り、絶望感に放心寸前で下腹部すら弛んでいた女の子が、本来出せるはずの眼光など出せるはずもない。
一滴も漏らしていないことに内心ほっとする想いでいっぱいで、どうやって気魄を発せるというのであろうか。
「それなら結構だがさっさと出せよ。
どうせいくら考えても無駄なのはここまででもわかってんだろ?
まあ、その情けない面を晒すために長考してくれるのであれば、俺は一向に構わんがね」
馬鹿にしたようなことを言いのけるヤシマに対し、アンズももはや強気の無言を返す気概も保てない。
周囲の博徒、特にアンズにこてんぱんに恥をかかされたハタノなど、どん詰まりに追い込まれて涙目にすらなっているアンズを、さぞ気分良く眺めている。
普段の彼女なら、嫌な相手のそんな態度を一目でも見れば、反骨精神で少しでも心に火をつけることが出来るだろう。
だが、今のアンズは周囲に目を配る暇も無い。
さらには、相対するヤシマの言動に意識を割く余裕も無い。
己の命運が決まる二枚の札、春と夏の札にのみ目線を向け、どちらを出せば自分が助かるのか必死で考えることしか出来ていない。
それさえもだ。
夏を六連続で出した、次はそろそろ……いや、読まれるかも……
考えを捨てていっそ適当に……だめだめ、それって結局直感と一緒で読まれる……
春が正解? 夏が正解? どっちが正解? どっちが、どっちが……
春? 夏? 春? 夏?
やっぱり夏の連続は……いやいや、それを読まれて負け続けてきたわけで……
だったら変えるべき? いや、変えたところで読まれることも……
やっぱり考えるのはやめにして直感で……ばか、それはさっき駄目だって……
は、春が正解なの? それとも夏が……
おんなじことの繰り返し。
きっとアンズは、仮に一日中考えたとしても、千周同じようなことを考え続けて答えを出すしかない。
新たな視点を加えれば活路は見えるか?
博打は考えれば勝てると限られたものではないのは先述のとおり。
アンズ自身とて、そんなことはここ七戦で痛感してきている。
結果、彼女を救えるものは何一つ無い。まだ見ぬ新しいものをも含めて。
読みに秀でた一流の博徒を前に、今あるだけのものを駆使して、二択で正解を選び取るしか生き延びる道は無い。
それを、七連敗した相手だ。
『……………………』
アンズに声をかけられるのであれば、助言の一つでもしてやることも厭わぬテンジンだが、この状況はなかなか参る。
実はテンジン、ヤシマがいかさまをしていないかを、ずっと監視し続けていたのだが、その上で確実に断言できることがある。
ヤシマは絶対にいんちきをしていない。
アンズが出した札を見てから、手ぬぐいの下の札を入れ替えるだとか、相手が何を出してきたとしても必ず勝てる、いかさまの類。
あらゆる観点からここ七戦を見てきたが、ヤシマは絶対にいかさましていない。
つまりここまでのヤシマの連勝は、緒戦を除いてしっかりアンズの挙動から人を読み、彼女の予想をはずしてきたということである。
理屈で博打が勝てるなら誰も苦労はしない、というのは基本的な話である。
では、勝ち続ける博徒はどうやって勝っている?
賭博には、思考や経験のさらに上の次元にあるものが実在し、それは素人解説の世界には決して入ってこないもの。
勘。ただそれだけ。
賭博のような、寄る辺無きもので勝ち続けられる者達にあって、凡人には無いものを探すなら、それをおいて他に答えは無い。
ヤシマは観察眼に秀でるのだろう。心理戦は得意なのだろう。
それでも、ただそれだけで情報無き緒戦を含めた七連勝など現実的ではない。
ヤシマには間違いなく、彼自身が培ってきた経験や思考力、それによって自ずと生じる理屈抜きの勘というものが確実にある。
そんな相手に賭博初心者のアンズが挑んで、勝てるはずがないのは元より明白だったのだ。
だから賭博は理不尽なのだ。
人の手で都合の良い結末だけを引き寄せられると思ったら大きな間違いである。
誰でも最初は初心者だから、やるのは誰でも構わないが、素人が浅い発想で勝算を手にした気になって挑むような、愚かなことだけは絶対に推奨されない。
『アンズ、夏の札を出せ』
「っ……!?」
余程、己に渦巻く思考に囚われていたのだろう。
聞き慣れた主神の声が耳に届いただけで、びくうと肩を跳ねさせたアンズである。
静かな夜に、一人で考え事をしていた中で、そばに誰もいないと思っていたところ急に声をかけられたかのように。
テンジン様にいつ話しかけられても日常的だった彼女が、声の主が誰だかすぐにはわからず、きょろきょろ周囲を見回し動転するほどだ。
それほどまでに、追い詰められていたということである。
『夏の札を出せ。
負けても、お前のせいではない』
(て……テンジン様……)
『負ければ私を末代まで恨め。
お前には、それが赦されるほど、果たしてきた数多くのことがあるのだからな』
声の主が誰かわかるや否や、首を動かすのをやめ、手元の二枚の札に目を落とすアンズ。
その時、アンズの右目から、ほろりと涙が落ちたのは、傍目から見ればどのような感情によるものだかわかるまい。
負けた後で泣くならともかく、勝負が決まるこの時点で泣くのは少しおかしい。
彼女だけが声を聴ける、余裕を失い忘れかけててすらいた、最も頼もしいお方に声をかけられ、心が弛んだゆえの涙であるなど、誰にわかるというものか。
『負ければ約束など反故にして暴れればよろしい。
それで巫女としての立場を失おうと、私はずっとお前のそばにいる。
お前の大切なものが、このような者達に好き勝手にされることの方が我慢ならん』
アンズは生来、約束を破れない。
一度でも約束を守らぬことを己に赦せば、それ以降の己そのものすら信じられなくなってしまうからだ。
そんな彼女は、ヤシマに負けた時、約束を破ることすら想定に入れられず、従うことしか出来なかっただろう。
ゆえに負ければ、神職者である以前に一人の女の子として、下劣な者達に我が身を差し出さねばならぬという、死よりも辛い己の末路から目を逸らせなかった。
主神が、巫女である以前に一人の女の子として、生きやすい選択肢を示してくれた。
そうだ、私は嫌なんだ。
巫女として操を守らねばならぬという使命だけでなく、心を許していない男性には、肌に触れられることすら嫌。
だから喧嘩してこうなっているのだ。そもそもの発端がそうだった。
博打に負けて、約束を破り、道理も守れぬ巫女めがと激しい誹りを受けようと、私にだって死んでも受け入れ難いものはあるんだ。
負けても抗うことをテンジン様は赦してくれた。
我が身を守るためだけに神力と稲妻を行使して、私利私欲に溺れた失格巫女と、それに力を貸す主神の烙印を押されても構わぬと。
結末次第で神としての威厳をも捨て去ることを、主神が告げてくれたことに涙したアンズは、ただそれだけで吹っ切れる。
抗ってもなお叩き伏せられるのであれば、舌を噛んでこの身を穢される前に自死をも厭わぬという覚悟まで固められた。
(……テンジン様。
私、やっぱり、あなたのことが大好きなんだなあって思います)
『ふふ、私も果報者よな。
さて、もう迷うこともあるまい?』
(はい)
涙で頬を濡らしながら、すっかり晴れた顔で夏の札を出してきたアンズの態度には、周囲の観戦者たちが最も驚いた。
あれほど絶望一色だった顔が、ものの短い時間で何があってここまで変わった?
負ければ本当に人生終了のこの勝負で、急にそれだけ開き直れるなら、もっと早い段階で出来ているはず。
真の崖っぷちである今、突然そうなるのは最もあり得ない。
「くはっ、ははははははは!
だろうな! そうだろうと思ったよ!
つくづく何もかもが予想通りというのは楽しいもんだ!」
たった一人、アンズが夏の札を出してきたことに、この場で大笑いするヤシマの態度は浮いている。
予想通りだというヤシマの発言に、やはりアンズは表情が凍り付き、束の間の達観した表情すら崩れはしたが。
ヤシマはこれでこそ博打だと、たいそう上機嫌に自分の札を隠していた手ぬぐいを取り去った。
「俺はお前が、春の札を出すとほぼ確信していたんだぜ?
お前が夏の札を出してきたのは何故だ?
つくづく博打ってやつは、何が起こるかわかんねえから面白え!」
ヤシマが示した札は夏。
アンズはヤシマの札を当て、ようやく、やっと、一勝を拾ったのだった。




