第五十話 ~博打巫女 戦慄編~
「どうだ? だいたい流れはわかったか?」
「はい、とりあえずは」
料亭の地下室にあたるこの場所は、ヤシマが仕切る賭場の一つ。
徹底的に、参加者以外の目の届かぬ場所にて博打をするために空間である。
賭博は取り締まられる対象ではないが、そもそも生粋の博徒というものは、一般観衆の目にも届く場所で鉄火場を開くことを、かなり、かなり嫌う。
痛くも痒くもない外野から知った風な口を叩かれると鬱陶しいからだ。
博打の恍惚も悲哀も、狂喜乱舞も発狂悶絶も、当事者だけのものである。安全圏から知った風な口を利かれてたまるか、とのこと。
「よし、そろそろいいだろ。
――おう! 次は俺が親を張るぞ!」
アンズはしばらくこの賭場にて、場から離れた場所にてヤシマの横に座らされ、これから強いられる博打の流れを見るよう促された。
遊び方はアンズも知っているが、こうして実践の場を目の当たりにするのは初めてだ。
ヤシマもこれからアンズに挑ませる博打に対し、流れの無理解があるようでは面白くないとし、ひとまず勉強させた形の計らいである。
概ねアンズが流れを理解した上で、今度はヤシマが"親"を張る実演に入るようだ。
これもまた、この後アンズがヤシマに挑む上で、非常に重要な意義を持つ流れである。
四季札。
非常に単純な遊びであり、博打としても人気を博している。
銭を賭けずとも子供同士ですら遊べるが、やはりこの遊びがひりつくのは大金が動く時だ。
ありとあらゆる博打の中でも、やはりこれが一番だと言う博徒も多く、経験者ほど必ず口を揃えてそう断言するそうな。
この奥深さを知ってしまうと、他の博打がつまらなくなり、やるならこれしかないとさえ言う博徒が経験者を占めるとさえ言われる。
はてさて、如何なる博打か。流れは実に簡単である。
「さあ、張った張った!
俺が相手だろうが遠慮はするなよ!
毎度言ってるが博打の世界では上も下もねぇ! この俺も例外じゃねえぞ!
きっちり俺からでかい銭を巻き上げて、得意顔して持ってけ泥棒ども!」
段階、一。
今回の場合はヤシマが務める"親"を囲う、他の参加者すべてが"子"。
それらが"参加料"の小銭を一つまみと、それとは別に"張り"となる銭を自分の前に置く。
参加料は気持ち程度で良いのだが、張りが高額になればなるほど参加料はそれなりに大きくつまめ、という暗黙はある。
重要なのは"張り"の方。大金を置けば置くほどに、勝てば大儲け出来るが負ければ痛手を負う。
どんな博打にもある醍醐味であり、射幸心の核心だ。
「くははっ、様子見か?
ま、一回目は端金にも目を瞑ってやるよ。
ゆっくり盛り上がっていこうかね」
段階、二。
親であるヤシマが、四枚の木札のうち一枚を選び、それを手ぬぐいをかぶせた上で自分の前に置く。
四枚の木札というのは、春・夏・秋・冬の彩色ある絵が描かれた札だ。
ヤシマはこのうち一枚を提出した。もう撤回は出来ない。
補足すると、手ぬぐいで隠すのは木札の裏面を隠すため。
札の裏面の木目や汚れを見れば、表が何の札なのかも透けてしまうからだ。
そんな細かいものを人の目で見極められるかと思うかもしれないが、大金が懸かった勝負となれば、やれる奴は必ず出てくる。
一発勝負で一年分の稼ぎを得られる博打となれば、人間誰だってその程度の努力は怠るまい。
目の良い悪いだけで有利不利が決まる博打はつまらない。公平感は必須である。
「おいおい、初手でそんなに悩むなよ。
今日の俺がいつもの俺と同じ気分とは限らんぜ?
一発目なんぞさっさと決めて出せっつの」
段階、三。
ヤシマを囲う子らは、四枚の木札のうち一枚を選び、それを自分の前に置く。
こちらは親の持つ札と違い、季節を描いた色鮮やかなものではなく、春・夏・秋・冬の文字が書かれた簡素なもの。
親よりも、手を伸ばすよりも少し遠い場所に置く。結果を見てからすり替えられないようにするため。
これで、場は整った。
「よし、全員揃ったな。
じゃあ、開こうか!」
段階、四。
子が全員札を出し揃えれば、親のヤシマが自分の出した札を隠していた手ぬぐいを取る。
ここまでが一連の流れである。
子が張りとなる銭を出す。
親が札を表が見えぬようにして出す。
子が全員札を出す。
親が出した札を明らかにする。
流れはこれだけだ。
「くはははっ!
俺の"冬"を当てたのは、十人近くいてハタノ一人か!
やるじゃねえか、今日は冴えてんな!」
「頂戴します」
段階、五。あるいは結果。
部屋の隅で待機していた使いっ走りの若者が、子が張った銭の数々を回収し、親であるヤシマのそばへと持っていく。
そして、今回一人だけ子で"冬"の札を出したハタノのもとへ、彼が張った銭の、四倍の額の銭を持っていく。
これで場が一つ終わった。
親が出した札を、子は四分の一で当てることで、張った銭が四倍になって返ってくる。これが四季札だ。
子がやることは単純である。親が出した札を予想して当てるだけ。
親がやることは単純だが、かなり深い読みが必要になる。突き詰めれば、子に予想されぬ札を出すだけ。
しかし子の数は多いから、誰にも当てられぬようにすることははじめから諦めても妥当。
大金を張った相手には当てさせず、少額張った相手には当てられても構わない札を出すことが目標となる。
例えば子が全員"秋"と予想する時に、親が"秋"の札を出していたら、張られた総額の四倍を親は払うことになる。錦秋どころか懐が一瞬で厳冬。
子の張り額を見渡して、総合的に自分が得するように、複数人の相手から読みきって、予想をはずさせることをあらかじめ果たす。
四季札の親とは、勝とうと思えば相当な読みと観察眼が必要となるわけだ。
「さて、アンズ。
あと十回、場を回してやるよ。
じっくり俺の癖を見極めておくことだな」
親として、博徒達を相手取った四季札を楽しみながら、ヤシマはアンズに釘を刺す。
きちんと情報を自分の眼でかき集めねえと、後で泣きを見るぞ、と。
彼の真意を充分わかっているアンズは、膝の上に置いた拳をぐっと握りしめ、ここからヤシマの挙動すべてを刮目するようになる。
ヤシマはアンズに、塩を送っている。
負けた時に、言い訳をさせないためとも言う。
この後訪れる真の鉄火場、一騎打ちに向け、アンズの一瞬たりとも気を抜けぬ、長い観察の時間が始まっていた。
「ありがとよ、お前ら。
お生憎様だが、今日も俺の大勝ちだわ。
無礼講っつってんのに遠慮してくれたのか?
それじゃあ摂泉じゃ成り上がっていけねえぞ」
十一回の場を回し、終わってみればヤシマのそばには、山積みになった銭が集まっている。
決してヤシマも、すべての場で儲けるだけの結果になったわけではないが、総合的には当人が言うとおりの大勝ちだ。
決して大金を張った奴には札を当てさせず、少額張ってきた相手には当てられても構わぬように札を選び。
たまに、少額張ってきた奴らが揃って同じ札を出してきて、それを当てられたら大賭けした奴を躱しても損になる局面でも、その群れを躱すのを優先させ。
まるで数人相手の心をすべて読み切って、一度一度の結末を完全に操作しきったような展開続きに、彼の親としての強さは圧巻のものだったとも言える。
その割に、たまには負けるのが子からすればいっそう嫌らしい。
あれで読めなくなるのだ。大金張った奴が出した札を見てから、小銭を張っている奴らはそれ以外の三択を考えるという手もある。
そうしたらそうしたで、三択のすべてと違う札が出てきたりもする。
いかさまを疑いたくなるほどのヤシマの強さには、アンズも何なのこの人と空恐ろしいものを見る目で眺めざるを得なかった。
なにせ自分はこの後、そんな相手と読み合いの一騎打ちをするのだ。
「さて、もう流れはわかったな?
来いよアンズ、今日は何と言ってもこれが一番の目玉だからよ」
自身も四季札を楽しんだヤシマは、博徒が囲う円の真ん中にアンズを手招きする。
いよいよ一騎打ちの始まりだ。
立てた片膝の上に肘を置くヤシマと対面する位置に、アンズは緊張した足取りで正座して、深く息を吸って吐いて、背筋を正して相対する。
「はじめに取り決めを確かめておくぞ。
俺が勝てば、お前は俺の要求に一切逆らうことなく従う。
死ねと言われても、操を捧げろと言われてもだ。
お前が勝てば、そうはならねえし、うちの身内との喧嘩も後腐れ無しの手打ちだ」
「……不公平だなぁ」
「くははっ、まあそうだな。俺も言っててそう思ったわ。
お前は負けた時に破滅的で、そのくせ勝っても帰れるってだけだもんな。
だったら、お前が勝ったら追加で一つ、俺もお前の要求を聞こうか。
こっちは既に手打ちも賭けてんだから、何でもと誓ってやれるほどお人好しにはなれねえが、まあだいたいのことは叶えてやるよ」
「…………ああ、いいですね。
でしたら、私が勝ったら一つ言うことを聞いて貰いましょう。
いいこと思い付きましたし、無理な話でもありませんから、お断りせずに従って貰えると思います」
「ほう、面白いな。
今それを明かさないのは揺さぶりか?
まあ、これで少しは面白くなってきたな」
そう言って笑い、ヤシマは膝元に置いてあった四枚の絵札のうち、二枚を己の離れた後方に放り投げた。
誰も予想していなかった行動なのか、博徒もアンズも目を瞠るが。
「では、勝負の決まりを定めるぞ。
俺は、春か夏の札を出す。お前はそれを二択で当てろ。
七回……いや、十回………………そうだな、九回としようか。
それを九回繰り返し、お前が二度当てることが出来ればお前の勝ちだ。
どうだ? 四季札の素人であるお前と、手慣れた俺の勝負としては充分納得できる条件だろ」
「……聞き間違いではありませんよね?
九回やって、私が当てるのは二回でいい?」
「おう、間違いねえ。
二回連続でさっそく当ててくれりゃ、それで最速決着だ」
アンズも裏を読みたくなるほど、破格の有利な条件である。
適当にやっても、二回に一回は当てられそうな勝負を九回もやらせて貰えて、それを二度当てるだけでアンズの勝ち。
先のヤシマの強さを目の当たりにした後だと、それが玄人と素人の勝負として適切な調節なのかとは思うが、それにしたって分が良すぎないか。
必勝のいかさまでも使われるのかと勘繰りたくなる、アンズの疑念も真っ当なところである。
「その代わり、一つだけ制限を設けるぞ。
お前に有利なのは明らかなんだから、それぐらいはいいだろ」
「お伺いします」
「俺が札を出した後、お前はすぐに札を出しちゃいけねえ。
俺は札を出した後、短いが少しの時間を設ける。
その後、お前に"出せ"と言うから、それから札を出せ。
出せと言われてから長考するのは構わないが、出せと言われるまでは出すな。
そして札を出す時は、必ず出す札を見てからだ。
目を瞑って、何を出してるのか自分でもわからぬまま出すのだけはするな。
簡単だろ?」
「……何か、意味があるんですね」
「おう、これが面白ぇんだ。
ただの当てっこ一騎打ちが、こうするだけで驚くほど楽しくなるんだわ」
意味があるとは思えぬほどの要求を、玄人が意義深そうに提出してくることは、素人にとって極めて不気味。
だが、断ることは出来ない。無茶な要求ではないはずだから。
アンズはヤシマが出せと言うまで札を出すのを待てばそれでよく、そして自分が出す札を必ず認識してから出すだけ。強制されて困る内容ではないはず。
露骨なほど有利な条件で勝負させて貰う立場で、この程度の縛りを突っぱねられるはずもない。
「わかりました。
決められたとおりに従います」
「よぉしよしよし、俄然楽しくなってきやがった。
勝ち負け以上に面白いもんが見られそうだ」
ヤシマは立てた膝をばしばしと叩いて、心底上機嫌である。
対立する相手が喜ぶ様は気分が良くない、とまではアンズも思わないのだが。
ただただ嫌だ。薄気味悪い。
これも自分に揺さぶりをかけるために態度を作っているのかもしれないと思えばそれまでだが、演技の気配はまったく感じられない。
視野広く、周囲の者達の表情を伺っても、笑うヤシマに同調するどころか、普段以上に恐れているかのようによそよそしい。
このヤシマの上機嫌さは、身内すらも危うい空気を感じ取るほどのものであるのだと、周りを見渡して知らなきゃよかったとアンズは内心で悔いすらした。
今にわかる。
ヤシマが見たがるものとは何なのか。
それをアンズは、これから嫌でも差し出す羽目になるのだ。
鉄火場の始まりだ。
アンズにとって、一生忘れられなくなる、大人も失禁し得るほど恐ろしい博打の幕開けである。
「さて、まずは様子見だ。
俺はこいつでいくとするか」
一本場。
ヤシマは特段、考える時間を作るでもなく、あっさりと一枚の札を手ぬぐいを乗せた状態で提出した。
春か、夏か。
アンズはこれがどちらなのかを当てれば良いだけ。
現時点では考え過ぎても無駄なので、アンズとしても直感で、適当に一枚選んで出してもいい場面である。
「まだだぜ?
出す札をきちんと理解して出すなら適当に出してくれても結構だが、俺が出せと言うまではまだ出すなよ?」
頬杖ついてにやにやとした笑みを浮かべながら、ヤシマが空白の時間を作る。
適当に出してくれても結構、とは言うが、こうして思考時間を強制的にでも与えれば、実際にはなかなか何も考えずに適当に出すということは難しくなる。
それが、この勝負の一番の醍醐味のために必要なこと。
実はヤシマの方も、四季札において親は、自分が出す札が何なのか、見ずに適当に出すことは言語道断という不文律がある。
百も承知のヤシマは常にそうなので関係ないが、これも四季札においては極めて重要なことである。
「最初の一回は大事だぜ?
お前が勝てる可能性が一番高いのは緒戦だからな。
言っておくが、ここをはずしちまうと後が相当苦しくなるぞ」
「煽ってきますね。
不安にさせたいんですか?」
「なぁに、勝てば問題ねえじゃねえか。
怖がらせたいだけなら俺だって、お前がはずした後にこう言うさ。
ま、そろそろいいか。出しな」
空白時間は程よく短く、この程度の会話を終えただけで過ぎ去った。
アンズは改めてその手に持つ、春と夏の札に目を落とす。
さて、どちらを出すか。考えても意味がないのだが。
四季札における初顔合わせの一騎打ちとは、概ね実際そうなのだ。
「……じゃあ、こっちで」
「くははっ、やっぱり素人だな。
お前いま、致命的な失敗をしたことに気付いてねえんだろ?」
アンズが出した札は"春"。
それを目の当たりにしたヤシマの笑みたるや、いかにもアンズを愚弄したもの。
言われた言葉も併せて一瞬不安が顔に出そうになったアンズだが、気圧されてはならぬと戒め、強い眼差しを相手に向けるに至っている。
「夏ですか?」
「そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ。
確かに俺の札は夏だ。
お前は千載一遇の好機を逃したわけだが、それは大した問題じゃねえ」
ヤシマが取り払った手ぬぐいの下には、夏の札が確かにあった。
アンズの一敗。とはいえあと八度も挑める中でのたった一回だが。
最も勝ちやすい一戦目を落としたぞ、と言わんばかりのヤシマであるが、彼に言わせればアンズの致命的な失敗とは、この一敗のこと自体など指してはいない。
「お前、出せと言われてからも少し考えただろ。
おかげで俺は、お前がこういった状況で春を選ぶ時、どういう挙動をするのかを観察することが出来たわけだ。
こりゃこの後も楽勝だわ」
「……私の機微を見て、私が出す札を当てられるって話ですか?
でも、あなたはそれを見てからじゃなく、見すらする前に札を出すんでしょ?」
「それで躱すのが親の強さじゃねえか。
ま、理解できねえならそれも結構。
この後、嫌になるほど思い知ることになるだろうけどな」
アンズは、ヤシマが札を出す前の挙動を見て、彼が何を出すかを予想し、当てにいく。
目の動き、表情の揺らぎ、肩の上下、指先に伝わる力、息遣いの変化。
子が親の全身と空気を見て聞いて感じ取り、何を出したかを全身全霊で読みにかかる。それが四季札。
アンズもまた、今回夏の札を出す前のヤシマの挙動は、眉の動きや微かな呼吸の音までよく観察しており、それが次戦以降で彼を読むための材料にもなり得る。
四季札とは、観察力と思考と読みを突き詰めて、相手の心を解き明かす心理戦というのが本質だ。それが多くの博徒の心をくすぐるのだ。
嘘を見抜き、真相を見極め、他者の心を読み切る。これを達成し、賭けた銭が四倍になって返ってくるとなれば、癖になるのもわかる話である。
だが、親はどうだろう?
ヤシマはアンズが札を出す前に、どんな顔してどんな挙動で札を出すのかを観察して、当てられないように読みにかかることすら出来ない。
親の"躱し"は子の"読み"とは比べ物にならぬほど高次だ。
ヤシマはアンズの、一本場において春の札を出してくる前の挙動、それだけを推察材料とし、次の場の展開を読みにかかるのだから。
親と子の読み合い。それ以外に介入される要素が殆ど無いのが四季札。
運に左右される博打も面白いが、自力感のある博打の面白さは、多くの場合、前者を遥かに上回って博徒の心を射止める。
この手の博打での成功を覚えると、他の博打では物足りなくなるというのも妥当な話である。
「ほらよ、こいつでこの場もお前の負けだ。
お前が何を出すのかは、まだお前が何を出すか決めてもいない今のうちから、俺にしてみりゃ透け透けだからよ」
二本場。
ヤシマはまたもたいした時間を作らずして、自分の札を出してきた。
現時点では本当に、アンズも何を出すかなど決めていない。当たり前だ。
その上でヤシマは、もうアンズが何を出してくるかはわかっていると言う。
まるで、アンズ自身も知らない自分の心の奥底を、既に知っているとでも言わんばかりにだ。
「よ~く考えて出せばいいさ。
春か夏か、夏か春か、春か夏か、夏か春か。
一巡りも二巡りも、何十巡りも考えても、お前が出す札はもう決まってんだ。
あ、もう出しても構わねえぞ?」
アンズに考えさせるための空白時間も、今回は一本場よりさらに短く。
対するアンズは、春と夏の札をまずは一度見て、こちらも考える時間は殆ど作らなかった。
即決の形で夏の札――さっき負けた札とは違うものを出す。
「な?
こうなることはわかってんだわ」
ヤシマは手ぬぐいを上げて春の札をアンズの前に晒して、肩をすくめてやっぱりなという態度を一貫している。
得意顔の気配一つ無い。
最初からわかっていた簡単な問いの答えを知っていたことに、誇ったり自慢したりする価値など無いと言わんばかりにだ。
「さぁて、春、夏、ときて次はなんだろうな?
今度は俺も少し難しくなってきたぞ。
春、春とでも連続して続けて出してくれるなら、今度は夏に切り替えてくるだろうって瞬時に確信できたんだがな」
三本場。
迷わず出してきた二戦と比べ、顎をこねながら少し思考時間を設けるヤシマ。
周囲から見れば、心理戦らしくなってきたと見える。
一対一ゆえわかりやすく、四季札は観戦する側にもそれなりに楽しめる側面がある。
素人解説と参ろうか。
ヤシマは春、夏、と出してきたアンズが、次は交互出しの春で来るのか、続けざまで夏と来るのかを読みにかかっている。
二連敗となっている流れを変えたいという想いはアンズにもあろう。そのために、連続の夏を選ぶか、変えてくるか。
それがどちらで来るのか悩ましいかのようなヤシマの態度は、アンズも自分をどう読んできているのか、ヤシマをよく観察することで見極めんとする。
ただし、ヤシマの態度はすべてが演技かもしれない。実はとっくに結論付けていて、アンズの意識や迷いをヤシマの望む方へと誘導しているだけなのか。
それともたいした意味は無く、アンズがそれを見て考えたところで無駄であり、思考に囚われ勝手に転ぶだけの自分になってしまわないか。
先に出すヤシマはアンズの思考を先読みし、アンズはヤシマを見て騙されぬように本質を見抜かねばならない。
親と子の読み合い、これが四季札の醍醐味。
とまあ、これが一般的な四季札という遊びの展開に対する世間の解釈である。
ヤシマは言うだろう。甘い甘いと。
それはそうだが、もっと先があるんだぞと。
真の博徒はみんな言う。理屈で語れるほど博打は甘くないと。
「ま、なんのかんの言っても結局はこっちだろうな。
さて、今回はすぐ出してくれていいぞ。
すぐ出そうが長考しようが、お前が出す札はどうせこれじゃねえ方だ」
ほくそ笑みながらひらひら手を振り、どう足掻こうが無駄だと言わんばかりの態度。
アンズもなんだか腹が立ってくるのだが、いけないいけない、挑発に乗って熱くなっちゃ駄目だと首を振る。
挙動に出し過ぎだが、斯様な心理戦の舞台で、相手にくせを見せ過ぎて良いものだろうか。
アンズはふぅと息を吐き、春と夏の札を一度ずつ見て、少し考える時間を敢えて作る。
直感では春を出す気でいた。勝てそうだという根拠は無いけれど。
相手がそう読んで夏の札を出してきているとするならば、心変わりした方が良い? それとも、変えてくることを相手は狙って揺さぶってきている?
心がまるまる読まれているとは思っていないが、先ほど何人もの子を相手に親を何度もやり切って大勝ちしたヤシマだから、読みに秀でてはいるはず。
その上で、直感を貫くか、曲げるか。
それを真剣に考えた上で、アンズは夏の札を提出した。
「な? やっぱり夏だろ?
どうぞご覧あれ」
手ぬぐいを取って札を明かしたヤシマは、アンズに春の札をひけらかす。
またもアンズの負け。
三連敗という結果に、九戦して二勝すればいいという好条件で挑んだアンズも、そろそろ汗を流し始める流れである。
いやいや、冷静になれ。あと六戦もある。四回負けても勝てる。
まだ焦る頃合いじゃない、と冷静に自分に言い聞かせるアンズだが、そうわざわざ言語化して自らに言い聞かせる時点で、悪い流れを意識している証拠。
「さて、どうかな。歴戦らしい巫女さんよ。
お前さんの勝負勘とやらは、三連敗したこの流れを断ち切れるのかね?
俺はもう、ここから五連勝してお前を潰す未来しか見えねえんだが」
「まだまだこれからでしょ。
大きく出るには早すぎますよ」
「くはっ、結構結構。
その強気な眼差しが、これからどろどろに崩れていくのが楽しみだ。
頼むからその虚勢を、出来る限り長く続けてくれよ?
そんな奴ほど、逃げ場が無くなった時の面は笑えるほど惨めだからよ」
アンズの強気は虚勢だろうか。実際、確かにそうだろう。
アンズは今、勝ち方を見失い始めている。
出会い頭の一戦で、相手が自分を観察した過去の無い最も勝ちやすい緒戦を落とし。
二戦目は直感に任せた早い選択で、望む結果は得られず。
三戦目は敢えて直感を曲げたことによって、悔いるべきような負け方になった。
たったの三戦で、博打の嫌な負け方を様々豊富に経験できている。何にも嬉しかないが。
こうなってくると、どうやって勝てばいいのかを真剣に考えざるを得ない。
そんなものが簡単に思い付いて実践できるなら誰も苦労はしないのだが。
「さぁて、続けようぜ。
気丈な女が、近付いてくる破滅に、心が砕けていく見世物だ。
せいぜい楽しませてくれよ? 隣国のお強い巫女さんよ」
アンズの心はまだ折れていない。
大丈夫、次は勝てる。次は勝てる。次は勝てる…………はず。
博打で追い込まれた中毒者の思考回路に近いものの匂いがぷんぷんするんですな。
博打は楽しい。嬉しいことも起こるには起こるし、手軽に得られる成功体験の割にその快感は格別のものがあるのも事実だから。
だけど、やっぱりやらないに越したことはない。
博打で追い詰められた時にどれほど苦しいか、これからアンズは嫌というほど思い知ることになる。




