第四九話 ~因縁の始まり~
「う~む、やはりこちらも売り切れか」
「へぇ、カムロさんのご紹介ともあれば、多少の融通も考えるんですが……
いかんせん、品そのものが出回っていないんですよ」
アンズとクマリを先導し、摂泉村を回ってくれるカムロ。
どんな品が欲しいかとカムロが尋ねたところ、クマリは膨れっ面で顔を背けながらだが、平独楽と答えた。
やっぱり本音を言えば欲しいのだろう。最近の子供達の憧れ。
品薄の気配は子供ながらに感じ取っているようだが、それでも素直に我が儘を言う子供の姿に、カムロは嫌な顔一つせず探すことを快諾してくれた。
厳しい探し物だとわかっているはずの商人が、いっちょやるかと鼻を鳴らす姿に、やっぱり人の良いお方だとアンズは思ったものだ。
しかし、これで八軒目の店を回ったところであるが、平独楽の在庫を持つ店には巡り会えていない。
カムロが案内してくれている意義は決して小さくない。
一目でわかる玩具売りの店だけでなく、見た目は呉服屋であったり飲食店であったり、独楽など置いていなさそうな店にも声をかけてくれているからだ。
商人は流行りものに敏感で、余裕があるなら本業とは違えど、子供向けの玩具を少しは仕入れて、常連客に勧めてみたりもするのである。
そうした傾向のある店を取りこぼさず寄ってくれるカムロだから、アンズ達だけで回るよりは、目当ての品を扱い得る店を多く巡れているのも確かなのだ。
それでも、見つからない。
流通していないわけではないはずなのだ。
人気商品である以上、職人も今が売り時だと、精を出して作ってくれるはず。
流行りが廃れるまでは供給が途絶えるなど、素材がこの世から失われてしまうような極端な理由が無い限り、そうそうある話ではない。
「なかなか厳しいですなぁ。
ご期待にはお応えしたいのですが」
「いいえ、本当にお世話になってます。
こらクマリ、カムロさんに少しは感謝しなきゃいけないよ?」
「……がんばってくれてるのはみとめる。
だがみとめない」
「いえいえ、結構。
少しは柔らかく接してくれるようになった気がします」
地図も無く、見知りの店へと迷わず向かい、そこで品が見つからねば情報を集め、かすかでも見込みのある場所を聞き出して。
経験と手腕を活用して、効率的に無駄無く品探しをしてくれているカムロの姿には、苦労の色が垣間見えづらいためその献身が見えにくい。
それでもカムロが頑張ってくれているのは明白であり、アンズがそれをクマリに言えば、クマリも心を開ききっていないだけで理解はしてくれる。
子供だが、話のわかる子だ。態度が尖っていることなど、カムロにとっては些事である。
誤解があるようだとはわかっているので、誤解が解ければこの子はきっと素直に謝るだろう。その時笑って許す算段までもう立てている大人だ。
長く歩いて様々なところを回り、今はそろそろ真昼時。
一旦休憩しましょうか、というカムロの提案に乗って、近場の茶店に落ち着いた。
赤い布が敷かれた長椅子、床几に三人並んで座るが、クマリはアンズとカムロの間に陣取った。
お姉ちゃんは私が守る、という意思表示である。喧嘩で勝てない大人が相手だとわかっていても、命と身体を張る覚悟がもう出来ているらしい。
懐かれているのは嬉しいが、この極端さはアンズにとって時々心配になる。
「それにしても、どうしてこんなに品薄なんでしょうね。
出回ってないわけじゃないんでしょう?」
「ものはありますよ、確実にあるはずです。
幕府や山波京、大奈村に出荷したのもつい最近ですから。
そちらで抱え込まれているのは仕方ないにせよ、あれはあれでどこから真っ先に仕入れているんでしょうねぇ」
アンズの問いにふーむと顎をこねながら思索するカムロ。
余所の国に売るぶんはあると。それも、ちゃんと財があるような場所に。
品薄を理由に多少は値を吊り上げても、流行りものということで奮発した支払いもしてくれそうな売り先とも考えられる。
有るところには有るのだ。市場に出回らないだけ。
「やはり、どこかの誰かが買い占めているのでしょうねぇ。
買い占めた誰かが売りに出さなければ、ものが有っても出回らないわけで」
「あ~、それで値段を吊り上げて、高く買ってくれる相手だけに売るんだ。
なんかやだな~、限られたお金持ちになんでもかんでも独り占めされるの」
「お金持ちになれればそういうことだって出来る、というのもまた、みんながお金持ちを目指す大事な動機ですからねぇ。
商人としての立場からは、心情的にも批判したくはなかったりもします」
「やってることは悪事ではないですもんね、きっと。
でもな~、もにょもにょするな~」
「たとえ理念とて感情はまったくの別物ですから。
頭ごなしに批判されぬだけでも、アンズどのは寛容でいて下さっている方だと思いますよ。
誰が買い占めてんだ、買えないじゃないか、と憤る庶民の感情もまた自然なものではありますしね」
いつの世でもも寡占は程度によって是非を論じられるが、なかなか決着がつかないものだ。
どちらにも言い分がある。可能な限り、道理に則って論じたいが。
とりあえず、摂泉国では御法度とまでは認識されてはいないようだが、誰がそれをやっているかが表沙汰になれば沢山の敵を作りそうではある。
「聞いてる感じだと、誰が買い占めてるかとかは不明なんですね。
商人さんが力を合わせれば情報いくらでも集められるから、そういったことなら何でもすぐ調べられそうな気もするのに」
「いやぁ、奴さんも上手いこと隠れおおしているようでしてね。
他国への出荷を担っているのも、外から雇われた行商人であったり、尻尾が出ないやり方がよく練られているのですよ。
行ったっきり帰ってこないようでは問い詰めることも出来ないでしょう?」
「そんな人脈持ってるってことは、けっこう大きい商人さんの気配?」
「それは間違いないと思いますよ。
どのみちこのような隠れて商売するのは限度があると思いますし、近いうちに収束する頃に逃げ切る形になりそうですがね」
資本の多い商人が、その気になって人脈を駆使すれば、企みごとの核心を知る者を、探す者の目から隠し通すことは難しくない。
木を隠すなら森の中だ。やりようはいくらでもある。
商人達とて本業で忙しい中、手がかりも取っ掛かりも散らされている中で、毎日躍起になって真実究明のためには動いていられないという現実もある。
所詮はおもちゃの一つが手に入りにくくなっているだけであり、無駄な時間を費やして追うほどの出来事かと言われれば。
それにこんな商売がいつまでも続くわけがないし、黒幕もそろそろ手を引いて逃げ切るであろう頃合いなので、待てばいい現実の前で急ぐ者もいまい。
銭にならない正義感で動けるのは一握りだ。カムロは一握りの側にもなり得るが、彼も彼なりの理念から積極的ではない様子。
「まあでも、品切れ自体はよくあることですもんね。
人気商品なら尚更。
やっぱり他のものを考えることに時間を向けた方がいいかなぁ」
「短い滞在期間で解決する話ではないでしょうし、その方が賢明かと思……」
「よお、カムロ。
女侍らせていいご身分だな」
「ぶひっ!?!?!?」
話の内容はわざわざ明るいものでもなかったが、気持ち良い青空の下で団子をついばみながら、まったりとした会話で身も心も休めていたところである。
ふと三人の足元に影を差す形で現れた人物は、まさしくこの晴天に訪れた霹靂そのものだ。
「や、ヤシマさん……
お、お珍しいですね、私め如きにお声を掛けられるなんて……」
「お前に用はねぇよ。
俺が用があるのはそっちの変態巫女だ」
相手が誰だかわかるや否や、座ったままで話すことなど出来ず、慌てて立ち上がって腰を曲げるカムロである。
自分の目線を絶対に相手よりも高いものにしない。傍目から見ても、恐ろしくて絶対に逆らえない相手への対応そのものである。
アンズにはイナリ姫、クマリには怒った時のアンズという、絶対に逆らえない相手がいるのだから、それと直面した時の自分と重ね合わせずにいられない。
先程まではいくつもの商店で、立派な商人の横顔を見せてくれた年長者の、ここまで怯えた姿を目の当たりにすると衝撃性も高かろう。
「……そういう失礼な言い草はやめて頂けますか。
どう思われようが、これは山波神社の巫女の正装……」
「おう、小娘」
ごちゃごちゃうるせえぞ、と不機嫌な眼光を向けて低い声を発するヤシマに、かのアンズですらひゅっと息が詰まる。
クマリは既に蛇に睨まれた蛙のように凍り付き、カムロもおろおろするばかりで何の助け舟もアンズに出せない。
妖魔を相手に、それも赤鬼ほどの大物相手でさえ怯まず挑めるアンズに、ただの人間がここまで冷や汗を流させるのは、異常なほどの気魄である。
……この人は、一体何者なんだろう?
神や妖でなくとも、それに匹敵する気魄を持つ人間がいることはアンズも知っている。
ソウサイもそう。いよいよとなればナルミだってそう。ナルミに仕えるナベ爺やトキ兄、タケおじさんもそうだろう。京の大将武士ミツサダさんもそうだ。
それらの人物というのは、その気になればアンズが最も恐れるイナリ姫さえ、足元に及ばぬほど"でかい"人物に違いない。
そんな方々との接点も多いアンズだから、自ずと育った肝の強さというものもあるはずだ。
この人物、ヤシマは今までに見たどの人物とも違う。
カムロに声をかけた時の薄ら笑いからも、今の自分を凝視する冷徹な瞳からも、まったく同じ気配がする。
意に添わぬ者には決して容赦せず、従わせるためならば手段をも選ばぬことが、その人相にまで日常的に表れるのは悪党の面構えである。
だが、そんな型に嵌めた言葉で言い表して適格なものなのだろうか?
野盗も落ち武者も悪辣な妖魔とも、これまで何度も直面してきたアンズをして、この人物は過去に見てきたどの悪党とも違う。
底知れぬ深い闇を伴うかのようなその眼には、いざ敵対することあろうものなら、自分の想像を超えた悲劇をこの人物が引き起こす予感さえする。
己のこれまでの人生観では推し量れぬことが明確な、その上で非道をも躊躇わぬ人物だとも明白な相手というのは、これほどまでに直面して背筋が凍るものか。
「ちょっと面貸せや。
返事は速やかに寄越せ」
「…………わかりました。
ただ、連れの子は信頼できる人に預けてからでいいですか。
私は、逃げも隠れもしませんから」
「おう、ソウサイかそいつの下の名有りにでも預けとけ。
俺もわざわざソウサイの庭を荒らすことはねえからよ」
返答を少し間違えただけで相当まずいことになる相手を前にして、条件を突き付けたアンズは上手くやれている方だ。
こんな人物に連れられて向かう先に、クマリのような子供を連れていけるものか。
腰を抜かしたわけでもないのに、立ち上がるための足に入れる力も怖さで入りにくいまま、相手の眼を見て言い切ったアンズにヤシマは面白げににやつく。
「いい度胸してるよな、小娘。
俺に物言いしてくる奴なんぞ、ソウサイの他では久々だわ」
ヤシマが伸ばしてきた手に、本来のアンズならば、望まぬ男に触れられることを拒み払いのけるはず。
だが、ヤシマを見上げて座るアンズの頭を撫でるその手に、アンズは一切の手が出なかった。
女の命である髪に触れられ、膝の上の拳をぎゅっと握り、まばたき一つ挟む余裕も無く、ヤシマの顔から目を逸らさぬことに注視することしか出来ない。
底知れぬほどの危険性を本能的に感じる相手を前にして、粋がった虚勢や空元気を微かでも見せれば、どうなるかなどわかったものではないのだ。
まして今は、誰が相手だろうと一歩も退かぬ巫女、などという格好だけ付く肩書きよりも大事な妹が、アンズに体を寄せて震えている。下手なことは出来ない。
「おいカムロ、この小娘を預けられるソウサイの小間使いを呼んでこいよ。
俺を待たせるなよ?」
「た、ただちにぃ!!」
十歳以上も年上の商人を顎で使うヤシマの一声に、カムロは一文字も無駄の無い返答と共に駆けだしていった。
周囲の人々も、ヤシマがいることを知ってからは口数すら少なく、足早にそのそばを離れていくばかり。
カムロが帰ってくるまでの間、ものも買わずに茶店の床几に座ったヤシマに、茶店の店主もせめて何かご注文を……と声をかけることもしない。
自分の隣に座ったヤシマから、この後アンズは一瞬たりとも目を切らなかった。
自分にしがみついて震える、ヤシマの恐ろしさを本能的に感じ取ったクマリだけは、絶対に護り切るという強い意志を込めてだ。
ヤシマはそんなアンズの、一抹の怯えを擁した強い瞳を真っ直ぐに向けられながら、飄々とした薄ら笑いでその眼差しを迎え入れているばかりだった。
対話一つ無く、カムロが人を連れて戻ってくるまでの、長い時間の睨み合い。
楽しい旅行の時間はここで終わりだ。
アンズがそう肚を括るには、あまりに充分なひと時だった。
カムロが若者を連れ、それと共に駆け足で帰ってきて。
ソウサイの下で働く料亭の小間使いの若者、つまり彼もまたソウサイの下。孫の孫みたいな下の下ではあるが。
その若者にクマリを預け、わざわざソウサイと対立を好まぬヤシマからの安全圏に逃がしたアンズは、ヤシマに言われるまま摂泉村を行く。
元よりアンズの風貌は人目を惹くのだが、そんな彼女を引き連れて尚、アンズは自身に向けられる眼差しの気配をさほど感じなかった。
天下の往来の真ん中を行くヤシマに、誰もがその道の真ん中を空け、邪魔者ひとつ無く悠々と歩くヤシマの背中に戦慄を覚える限りである。
一緒に歩いているだけで、どれほどこの村の人々すべてから恐れられているのかを、ここまで目に見える形で理解できる相手はそう多くない。
畏怖の念を抱かれて道を譲られる皇族や貴人とは違う。その根幹にあるのは民衆の恐怖だと、考えるまでもなくわかる。
やがてアンズはヤシマに連れられ、屋敷のような大きな料亭の敷居を跨ぐ。
普通の飲食店ではなさそうだ。迎えた店主がかなりの強面。
それすら四十を超えた歳のいかつい中年で、しかもヤシマの来訪を迎えるや否や、ご来店恐れ入りますとばかりに腰を曲げる始末。
財も商才も腕っぷしも一目であるとわかる、生意気な小僧など秒で踏み躙るであろう職人すら、若きヤシマに頭が上がらないのだ。
異常である。傑物にも限度というものがあるのではないのか? いや、想像を超えるほどだからこそ傑物と評して相応しいのか?
十七歳のアンズには想像も及ばぬほどの世界はまだまだある。
真昼時から宴席が埋まっている、それもそんな時間から馬鹿騒ぎする、人相の悪い酒乱が集う店内を進む中、普通の女なら身を縮めそうなものだ。
しかしアンズは怯まない。
肌の露出が多い彼女に、劣情の眼差しを向けてくる酔客の視線に、舌打ち寸前の不機嫌な眉の形を浮かべるのみ。
人によっては、このようなヤシマの庭に招き込まれた時点で呑まれ、もはや肝を縮めることも多い中、アンズは堂々としたものである。
それはヤシマも振り返って眺めながら、流石は名高い雷神巫女だなとほくそ笑んでいるが、同時に、そうでなくちゃ面白くないとばかりの笑みでもある。
「おう、どうしたよ。
さっさと来いよ」
「いや、冗談でしょ?
私に死ねって言ってるんですか?」
しかし、そんなアンズですら足が止まる一幕があった。
店の奥、地下へと続く階段を前にして足が止まったアンズを、一段降りて振り返ったヤシマが悪辣な笑みで眺めている。
ヤシマの息がかかる、荒事に慣れた者達が真昼から店内に屯する店の奥、さらに逃げ場無き地下へと繋がる下り階段。
もはや目に見えて、猛獣の口の中に飛び込むようなものである。
これを降りろとは私に死ねと言うようなものだ、というアンズの主張とは、なんら大袈裟なものでもない。
怖いはずの相手に対し、いよいよ敵愾心を隠さぬ目で言い放ち始めたアンズに、ようやく調子が出てきたなとばかりにやはりヤシマは面白げ。
「それはこの先でのお前次第だろ。
いいから腹を決めて来るか、今さら引き返すかさっさと決めろよ」
ここまで来て、今さら引き返す選択肢はもはや無い。
無理に撤退を選び取ることは出来るだろう。その後、何が起こるかはわからない。
大事なクマリの顔に、癒えぬ傷を付けられる可能性も含め、それ以上の想像を超えた惨劇が起こる可能性を否定できない。
ヤシマという人物から匂う言い知れぬ危うさは、その要求を退けることにより生じる悲劇を、自ずと誰もが想像せずにはいられぬほど濃い。
「……言っておきますが、あなたがどのようなつもりであろうと、私も只ではこの身を差し出しはしませんよ」
「ふはっ、結構結構。
いつまでその気の強い面構えが続くか楽しみだ」
右手で左の肘をぎゅっと握り、震えを抑える全身で抗弁を発するアンズは、既に気圧され始めていると評価しても問題無い。
ただ、先に階段を降りていくヤシマは、既に精神的な優位を確立したとは思っていない。
追い詰められてからが強い奴なのは概ね読めている。元より人より強い存在、妖魔に挑み続けて今日まで生き残っている十七歳など、そうに決まっている。
長い階段だ。つまり、辿り着く先は地下深く。
灯り無き深き底へと繋がる階段を降りた先に見えた光は、狭いとも広いとも取れる三十二畳の、岩窟めいた空間だ。
地上における一室としてならば贅沢な広さだが、日の光差さぬこの閉塞感ある中では、初めてここを訪れる者に実際以上の狭さに見せるものがある。
「……よう」
「件の方ですね。
ご無沙汰しております」
そんな空間の四隅に立てられた蝋燭――明らかに意図的に太く、握って指が余るほどの太い蝋燭が四本、大きな火を掲げて立ち聳えている。
近くで見るなら眩しいほどの大きな光も、この場すべてを照らすには届きが足らず、見渡す限りでは薄暗い正方形の空間。
そんな中でも、何人か集まっている強面達に視線を注がれる中、とりわけ憎々しげに睨みつけてくる人物の顔にはアンズも覚えがある。
昨日、アンズに絡んできた四人組の乱暴者の中でも、年長者であり纏め役であったと思われる男だ。
名を"ハタノ"という。アンズもここに至るまでの中で、ヤシマにその名を聞いている。
かの人物は、アンズがここに招かれた理由に大いに関わりがある。
「その辺りにでも座りな。
特等席だ、なかなかの厚遇だぜ?」
「……手厚い歓迎、恐れ入りますね」
この一室の中心を空け、広い円形に個々が座布団に座る形で集う場、ヤシマは己の座る場として不文律の円の中心そばへと歩いていく。
彼が座るべき場所に歩み辿り着くより早く、部屋の端に積まれた座布団のそばで正座していた若造が、座布団二枚を持って所定の位置へ敷きにくる。
ヤシマが座って向く対面位置にも、アンズの座るべき場所を示唆する座布団を置いてだ。
例えるなら、土俵の俵のように円形に囲う強面の中心、相撲取りが対面する二点の位置に、ヤシマとアンズが対峙して座る形となる。
短い裾の奥が覗かれぬよう、ぴしりと膝を閉じた正座で背筋を伸ばすアンズ。
片膝を立て、そこに肩肘を置くヤシマ。
己の領の支配者として、存在感溢れる様を自ずと発するヤシマに対し、アンズも気圧されることなく堂々としたものである。
階段を降りる前にはやや萎縮していた割に、ちょっと覚悟が決まればこうなのだから、やはりこいつはただの十七歳ではないとヤシマもほくそ笑む。
「さて、招かれた理由はわかっているな。
緊張して聞き逃していたならもう一度説明してやるが」
「ええ、よろしくお願いします。
この場の皆様にも、今一度はっきりとお話してあげて結構ですよ」
「ふはっ、はははは!
いいねえ、お前! 最高だわ!
今すぐこの場でおっぱじめてもいいかのような言い草じゃねえか!」
膝をばんばんと叩いて大笑いするヤシマ、アンズの言葉に青筋を立てるハタノ、そしてそんな強面の気配を感じつつも、うざったそうに無視するアンズ。
これはアンズの挑発だ。ヤシマに対してではない。
今この場に至って尚、私はあなたあんて一つも怖くないという、ハタノに対する挑戦的な態度である。
「そこにいるハタノは、俺の曾孫ほどにあたる一家の一員だ。
こいつは昨日、お前に大恥をかかされたらしいな。
お生憎様だが、身内に恥をかかされて、俺も黙っちゃいられねえ身分ってわけよ」
「いい年した大人の喧嘩に、さらなる親が出てくるんですか?
気苦労お察しします。幼い大人を身内に持つと大変ですね」
「達者な口だが言い逃れが出来るとは思ってくれるなよ?
"俺の身内とわかった上で"あれだけのことをやってくれたんだからな」
知るわけない。隣国で初対面のごろつきの上役が誰かなんて知るか。
つまり、知らなかったので許して下さいという言い訳は、ヤシマを相手に一切通用しないということである。
ある意味ではそんなヤシマであるからこそ、その傘下に収まることで得られる後ろ盾の権威は絶大でもあるということだ。
絶対に逆らえないほど恐ろしいヤシマにだけは徹底的に服従しなくてはならなくとも、それに見合うどころかそれ以上のものがあるからこそ一大勢力となる。
「……私をこんな逃げ場の無い場所で、痛めつけて辱める心積もりですか?
「ははは、確かにそれも面白い。
そうすりゃ最高に楽しいほどの上玉にも違いねえ。
だが、もっと面白い始末の付け方ってものがある」
アンズも直感的にながら感じ取っているが、恐らくヤシマは喧嘩も強い。
人の中では、という括りはつきそうだが――ただ、しばしば人外相手にも渡り合えるほどの猛者というのは実在するため、想像で底を決めつけてはいけない。
身近なところでは、コナツなんてまさにそれそのものだ。あれの本気と戦えと言われたら、アンズは神様の力を借りてなお勝てる気がしない。
喧嘩自慢そうな周囲の強面どもも、決して侮れる相手ではないが、さらにはヤシマがアンズの想像を超える力の持ち主なら?
今ここでヤシマは、すぐにアンズを傷物にするつもりはないようだが、その気になれば不可能ではないという態度には説得力さえ感じられる。
底知れぬ存在というのは総評であり、現時点で感じ取れる限りでも、ヤシマはアンズ目線、真っ向やり合って只で済む相手でない力量を感じてやまぬのだ。
「ここは賭場だ。
品行方正な巫女様には縁の無い場所だが、俺にとっては故郷よ。
ここの流儀に則って、お前さんは俺との博打に挑んで貰おうか。
お前さんが勝てれば、俺の一存でお前とハタノの喧嘩は手打ちとしてやるよ」
「…………」
アンズはたいそうしかめっつらで、親指で眉間をぐりぐりしながら悩ましい。
断ればどうなるかを尋ねる遊び心は今さら無い。時間の無駄。
どうなるかではなく、認められるはずがない。喧嘩が始まるだけ。
アンズ対ハタノの喧嘩に始まって辿り着いたこの場はもはや、アンズ対ヤシマの新たな境地に至っている。
「私が賭けに敗れれば?」
「好きにさせろよ。
お前の言い分は一切聞かねえ、俺の言い分を通すのみだ。
何一つ、お前に抗う権利は与えねえ」
つまり、なんでも言うことを聞けと。
負けた場合と勝負を拒絶した場合の展開は、恐らく同じである。
それこそきっと、主神に顔向け出来ぬ躰にされ、巫女として自刃して然るべき末路を想定して最も現実的。
全身全霊で抗ったとて、生き延びられる保証からは程遠いこの窮地、主導権は向こうにある。
たちが悪いのは、これほどの状況を完成させておきながら、対面するヤシマからは、アンズの命運を掌握した驕りが微塵も感じられぬところである。
慢心を突いた逆転劇が期待できない。
これはある意味で、強いだけの妖魔と戦う時よりも恐ろしい、真に強い人間を相手取った時の逃げ場の無さ。
人間同士だから、潜在的に人の子を見下す強い妖魔とは違い、展開のあや一つで大番狂わせがあることを、真の強者は忘れてくれぬのだ。
「わかりました。
受けて立ちましょう」
「ふはっ、どんな勝負なのか聞きもせずに受け入れるか」
「私に一抹の希望も無い勝負であれば、起こることは一つでしょう?」
「よくわかってるじゃねえか。
どんなに俺に反抗的でも、肝心な所でさえ物分かりの良い奴は嫌いじゃねえ」
仮にアンズに一切の勝ち目が無い勝負を持ちかけられるなら、もはやアンズも破れかぶれで暴れるだけだ。黙って負けて従うのも馬鹿らし過ぎる。
くどくど言葉を求めること自体が無意味だ。やるべきことなんぞ変わらない。
考えても意味が無いのであれば立ち向かうだけだ。最も理に適っている。
「なぁに、勝てば何一つ問題ねぇ。
お前にとっちゃあ大事起こしたにも関わらず、胸を張って堂々帰れる好機ですらある。
なあ小僧ども! お前らもよく理解したな!?」
「「応!!」」
年下のヤシマに小僧と呼ばれ、誰一人として返事は遅れない。
そして今の言葉は、集いし男衆に向けた言葉でありながら、ハタノにこそ最も向けた言葉であろう。
アンズがヤシマに敗れれば、恥をかかせてくれた彼女に対し、ハタノは堂々とそれ以上の報復が叶えられよう。
ただし、アンズがヤシマに勝つことあらば、ハタノも手打ちを認めねばならぬということである。
話は纏まった。たった一人の、若き傑物の声のみによって。
摂泉村のみならず摂泉国いっぱいに影響力を持つソウサイ、それと唯一渡り合う摂泉の双頭の一角として、ヤシマがそうだとはアンズにもよく伝わった。
「おう、小娘アンズ。
"四季札"は知ってるか」
「……知ってますよ。
だいぶ怖い遊びですよね」
「お前のような素人にはおっかねえだろうな。
だが、お前にだって充分な勝ちの目がある博打だ。
わかっているなら、よもやこの勝負に不服とは言わねえよな?」
四季札。
決して内容は難しくもなく、素人だって勝ちを拾える遊びだ。
恐らくあらゆる賭け事の中で、最も公平で、最も敗者も言い訳無くその結末に納得できる博打である。
ゆえにこそ、アンズが心のどこかで危惧していた、勝ち目の無い賭け事を強いられる展開とは最も遠くもある。
だが、アンズは知っている。
素人でも勝てる余地がありながら、その可能性は極めて低い遊びだ。
四季札の達人は、人智を越えているのではないかと思うほど強い。何故か強い、その理由がわからぬと言われるほど強い。
そのくせアンズにも勝機が許されているから、これで負ければアンズはもはや、敗者としての運命を受け入れるしかない。
納得し合った賭けに負け、先の近いを反故にするのであれば、アンズの方こそ道理に反してしまう。完全にだ。
「なぁに、勝てば何の問題も無い。
そうだろ?」
「…………そうですね」
先も述べたことをもう一度突き付けてくるヤシマは、たいそう楽しそうである。
負ければぐうの音も出ない現実に直面し、いよいよ本当に逃げ場が無くなったアンズの、気丈な瞳の奥の不安を見透かしている。
心に土足で触れられるかのような不快感を味わいながら、胸を張るアンズの虚勢こそ、ヤシマにとっては最高の見世物だ。
気の強い女の心に少しずつひびを入れ、最後に折れた瞬間へとゆっくり近付けていくこの愉悦は、ヤシマをして敵の無い男社会ではもう味わえない。
不安がいよいよ表に現れ、膝に置いた手にぎゅっとした力の入るアンズの震えを、ヤシマはたいそう満足げに眺めている。
『…………』
それでもアンズは、自分にとっての最大の心の拠り所であるテンジン様に、誰にも聞かれぬ心の声で話しかけることすらしない。
自分が買った喧嘩で生じたこの展開だ。責任を負うべきは自分のみ。
神様に助けを求めることなどするはずもなく、励ましの言葉を請うことすらしない。
良くも悪くもいよいよとなれば、主神への線引きを徹底した愛娘の姿勢には、テンジンも歯痒くならずにはいられない。
それでも敢えて、己からは何一つ言葉を向けずに沈黙を貫くのもまた、決意ある愛娘に対するテンジンの真摯なる反応。
頼ってきても責めはしない。頼ってこない強さを持つ我が子を誇るべきだ。
きっと、それで正しいはず。しかし、それが正解であるかはわからない。
我が子が育てば育つにつれて、親の正しい接し方とは複雑化する。
「四季札の決まりは知ってますよ。
どうすれば私が勝ちなのか、はっきりさせて貰いましょう」
「おう、いい声だ。
その面構えが歪んでいくのが、今から楽しみでならねえぜ」
妖魔との戦いなどでなくたって、生還か破滅かを定めし分け目となり得る人生の分岐点はいくらでもある。
よもや昨日の時点では、このようなことになるとは一抹も想像していなかったアンズ。
覚悟を決めたその上で、あまりにも想定外であった突然の窮地に、潤みそうな目に溜まるものを耐えるのでアンズは精一杯だった。
弱味は見せない。不利になるだけだ。
捕食者と共に籠の中に閉じ込められた兎には、ほんの一瞬たりとも心休まる暇など無い。




