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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第参章  摂泉国で大わらわ
48/64

第四六話   ~ソウサイ~



「お~、やってんねぇ。

 天下の往来でいい年こいてやんちゃなこった」


「うわっ!? 女将さん!?」


「なんだい、いちいちびびるんじゃないよ」


 アンズとごろつき四人が大喧嘩をおっ始めた周囲は、遠巻きにそれを眺める人々の輪がまばらに出来上がっている。

 野次馬根性よりは、誰か止めろよとはらはらして見守る目である。流石に自分で止めに入る勇気は出せないので、みんな考えることは一緒。

 そうした人だかりを、ちょっと失礼するよとずいずい割って入った人物は、大暴れする若造と小娘を見て手を叩いて笑っていた。


 ふくよかな身体を割烹着で包んだ、どこにでもいそうなおばちゃんである。

 目の前の喧噪に怯える周囲とは一線を画し、なかなか見られぬ華のある喧嘩にお楽しみの顔。

 むしろ、袖が落ちないよう襷の締まり具合を確かめている辺り、場合によっては乱入していきそうな気配すら漂わせている。

 挙動に反して、快活に笑う表情は荒事とは無縁そうな人物であり、物騒な挙動も冗談めいて見えるのだが。


「女将さん、止められませんかね……?

 女将さんなら一声で……」

「ん~?

 あたしに貸しを作ってみたいのかい?」

「いや、それはご勘弁願いたいですが……」

「はっはっは、そうだろそうだろ。

 軽い口で人様に厄介事を押し付けるもんじゃないよ」


 天下の往来が激しい喧嘩で塞がってしまい、困っている人はそれなりにいる。

 それほどの喧嘩を止めて欲しいと頼られるのは、彼女がそれ相応の力の持ち主であると周知されている証拠だ。

 しかし女将さんと呼ばれた彼女はすぐには動かない。すぐにでも止めた方がいいのは、色んな意味で確かではあるのだが。

 普通の喧嘩ならさっさと止めているが、喧嘩している両陣営のうち、孤軍奮闘している女の子の姿を見ると、女将さんはもうちょっと眺めていたい気分になる。


「ま、ヤシマんとこの馬鹿どもにはいい薬だよ。

 せいぜいこてんぱんにやられちまっておくれ」


 腕を組んで静観の構えになった女将さん――摂泉国の名士の一人、摂泉叢斎(せずみのそうさい)は動かない。

 徐々に周囲の人々も、彼女がこの場を見守っている姿を見るにつけ、血をも流れる大喧嘩を前に焦っていた気持ちが落ち着き始める。

 喧嘩は長続きすると泥沼化し、刃傷沙汰になることも多いので、ああいう多人数の喧嘩は見ていて本来おっかない。

 しかしこの場にソウサイがいるなら、そうなる前に喧嘩も終わるだろうという保険があれば、周囲も多少は胸を撫で下ろせるのだ。


 あっ、女の子の方が殴られた。

 大人げなく容赦ない大人達の乱暴ぶりに、アンズを心配する者達の目が注がれるが、ソウサイはくふふと笑うのみ。

 やればやるだけ危ないのは男達の方だと、ソウサイは知っているのである。






 思いっきり頬をぶん殴られたように見えたアンズではあるが、実のところは少しだけ頭を沈め、こめかみに拳をぶつけられるようにしている。

 余計に痛いのだが、それでも顔だけは殴られたくない。

 怪我は神様の力で治せるが、頬が腫れた顔を短時間でも人前に晒したくないほどには、やはりアンズも女の子であることを捨てられない。

 そして、大人数人を相手に喧嘩しながらそんなことを行動に出せる程度には、その実まだまだアンズには余裕があるということでもある。


「っあ゛ーーー!! むかつく!!」

「ぶ、ッ……!?」


 普通の女の子は痛ければ怯むが、普段から妖魔との戦いで痛い目に遭いまくっているアンズは怯みもしない。

 むしろ痛みに怒りをいっそう燃やし、相手の顔面を肘で横殴りにしてふらつかせ、膝を草鞋の裏で蹴り、体勢が崩れた相手の首の後ろを両手で持つ。

 そのまま引きつけると同時に振り上げた膝を、鼻っ柱に叩き込んでぶっ倒れさせる始末である。

 それに留まらず、殴られたこめかみを押さえながら、よくもやってくれたなとばかりに、倒れた男の頭を横から蹴っ飛ばして失神すらさせる。

 これでまた(・・)一人戦闘不能である。


 四人がかりの大人が一人の女の子を取り囲んで始まった喧嘩だが、いつの間にかこの場に立っているのは二人だけである。

 一人はアンズ、もう一人は男達の中でも年長者と見える、口ひげの濃い中年の男性のみだ。

 ほか三名は、既に倒れて立ち上がることが出来ていない。意識があるのもそのうち一人だけ。

 アンズの重い蹴りで腹を打ち抜かれて未だ息が出来ずにうずくまる者と、顔面を五連発で殴られて泡を噴いて倒れた者と、先程蹴られて失神したばかりの者。

 神様の力など一切借りず、アンズが一人で積み上げた死屍累々である。


「……なんなんだよ、てめえは。

 これでも、それなりに腕を鳴らした奴らだぞ」

「言いたいことはそれだけですか」


 アンズも決して無傷で戦い抜いてきたわけではなく、残った一人と睨み合いながら、少し前に殴られた脇腹を押さえて息を整えている。

 髪が乱れているのは一度掴まれたからでも頭を殴られたからでもあり、蹴られた太ももは腫れ、拳を刺された二の腕に出来た青あざは痛々しくもある。

 それでも少し前かがみな彼女の姿勢は、傷の多さに弱った少女ではなく、ぎらいついた眼光で敵を見据える獣の前のめりさのみを彷彿とさせる。

 弱っていない。むしろ喧嘩が始まった時よりも凶暴性を増している。


 こんな細身の女の子に殴られて、喧嘩慣れした男が三人ものされている光景そのものが、まあまあ異常事態である。

 当たり所が良ければ、女の子でも全力で殴れば勝てるものだろうか? いやいやいや。

 相手は喧嘩慣れした大人と言ったが、それはつまり殴るだけでなく殴られることにも慣れているということ。それも、男同士の喧嘩でだ。

 ちょっとやそっとの打撃では、怯むどころか痛みに対する怒りが勝って、獰猛性を増すばかりの人種である。ちょうど、今のアンズと同じように。

 素人は粋がって、喧嘩なんて本気出して不意を突ければ勝てるものだとよく言うが、こういう手合いは素人の不意打ち一発二発でどうにかなってはくれない。

 それで余計に怒らせた挙句、三倍も四倍もの自分より重い攻撃を返されて、血塗れにされるのが関の山である。この手のごろつきというのはそういう相手だ。

 アンズのような女の子が、そんな大人を三人ものしているのは随分と異常な結果であり、たまたま急所を突けたまぐれでもないということである。


「……もういいわ。

 てめえは殺す」


 しかし、舐め腐られたままでは終われない。暴力の世界に生きる者は舐められたら終わりだ。

 男は懐から小刀を取り出し、鞘を投げ捨ててその切っ先をアンズに向ける。

 やってしまえば彼の人生も先行き暗いものになり果てるが、もうそんなことはどうでもいい。後先なんて考えて喧嘩が出来るか。

 そもそもの話、女相手に四人がかりでのされたと後ろ指を差されて生きる屈辱と比べれば、恐れられて死んだ方がまし。


「あなた本当むかつきますね」

「黙れ。偉そうにするんじゃねえ」


 で、衆目は青ざめているというのに、アンズは余計に苛つくのみである。

 刃をちらつかせれば誰でも怯むとでも思ってるのか、と。舐めんなよと。

 こっちもこっちで、頭に血が上ってしまったら退くことを知らない。恫喝されればされるほど余計に反抗心に火が付く子。

 もっとも、それぐらいでなければここまで強くはなれないのだろう。

 喧嘩が強いから気が強いのではなく、気が強いから何度も戦ってきて喧嘩に強くなってきたわけで。


 男は小刀を握る右手に左手を添え、武器を取り落とすことなく相手を確実に貫くための構えを取る。

 あんなもので刺されたら流石に死んじゃうというのに、つかつか自分から距離を詰めて歩み寄るアンズ。

 どちらもすっかり頭おかしい。後先考えずに喧嘩が出来てしまう者同士がぶつかると最後はこうなる。

 だからやはり、素人は喧嘩などすべきではないのだ。

 意外なほど、こんな奴は世の中に山ほど潜伏しているから。どんなに粋がっても、いざとなれば自分がこのように腹を括ることなどそうそう出来ないのだから。


「覚悟し……」


「こるぁ」


 あわや刃傷沙汰といく危険な結末に流れが真っすぐ向かい始めた、その時である。

 男の背後から歩み寄ったソウサイが、男の尻を草鞋の裏で蹴飛ばした。

 完全な不意打ち、しかも重い一撃に男がつんのめって膝を着く中、アンズも敵対する男を蹴飛ばした人物の顔が不意に目に入る。

 この瞬間、熱くなっていたアンズのぎらついた眼も、まずい相手に見つかったと少し我に返った。


「っ……何しやが……」


「女相手に刃物まで出してどういうどういう了見だい、格好の悪い。

 だいたい、いつまでやってんだ。周りに迷惑だろうがよ」


 振り返って立ち上がった男の前には、体当たりすれば物理的に威力の高そうな胸を張って、ぷんすか怒った女将さんの顔。

 横槍を入れてきた奴に怒鳴ろうとした男の口も、この人物を前にすると声が半ばで止まってしまう。

 力で相手をねじ伏せる世界に生きる者は、確実に敵わない相手にだけは逆らえない。消されるだけだと本能的にわかっているからだ。 


「アンズ、あんたもだ!

 大人の顔を潰すんじゃないよ!

 相手が引けなくなることぐらいわかるだろうが!」


「……だって、胸触られそうになったもん」


「言い訳すんじゃないよ!!

 それで済む話ばかりじゃないっていうんだよ!!」


 ソウサイは男の手から小刀を取り上げて、アンズの方にも怒鳴るようにしてお叱りの声を発する。

 ぶっすーと膨れっ面になったアンズからは、不機嫌ながらも先程までの、目の前の相手を叩き潰してやろうとする獰猛性が消えている。

 アンズもこの人には逆らえない。いや、理不尽に責められたらアンズも退かない。

 だが、ソウサイの言い分もまた確かである以上、これ以上はアンズもさらに事を荒立てる方へは突っ走れなくなった。

 売られた喧嘩は買ってしまうアンズだが、不条理に対して立ち向かわずにはいられぬだけなので、正論で詰められると彼女は戦えなくなる。


「さっさと失せな!

 こんな道の真ん中でわやくちゃやられちゃ迷惑なんだよ!

 やりたきゃ時を改めて余所でやんな!」


 ソウサイは倒れている男達にも一人ずつ近付いていって、その尻を蹴飛ばして目を覚まさせる。

 小刀を奪われた男が舌打ちし、苦虫を噛み潰したような表情でこの場を立ち去れば、半ば無理矢理起こされた者達もそれについていく形でこの場を去る。


 周囲の人々がソウサイの姿を見て期待したとおり、本当に、ソウサイ一人が介入しただけで、あれだけ落とし所の失われた喧嘩はあっさりと終わったのだ。

 紛れもなく摂泉国でも一、二を争う名士であるソウサイの持つ影響力の、ほんの一部が垣間見えた一幕だったと言えるだろう。


「まったく」

「いたいっ」

「行儀の悪い奴にしっかり怒れるのは褒めてやってもいいけどね。

 結果として迷惑だ、反省すんだよ」


 頭にごちんと拳骨を貰ってしまい、出来たこぶを押さえて涙目になったアンズは、顔を真っ赤にして不満たらたらである。

 納得は出来る。アンズだって村の子供達が同じような喧嘩をしていたら、両成敗して話をきちんと終わらせる躾を何度もしてきたから。

 男達の方もアンズに大恥をかかされているわけだから、ソウサイがあいつらに何もしなくたって、既に両成敗以上にはなっているだろう。

 不満は残るが、話せばわかる程度の不満なので、アンズもそれを態度に出しながらもおとなしくはなった。


「お嬢ちゃん、もう大丈夫だよ。戻ってきな。

 怖いお姉ちゃんはあたしが成敗してやったからね」


 ソウサイは、隠れていたクマリのこともちゃんと認識していたようだ。

 クマリもこの人がいればお姉ちゃんもおとなしくなると知っているから、ほっとした表情になっててこてこ戻ってきた。

 頭を押さえたアンズを下から覗き込んで、だいじょうぶ? と心配してくれる。


「ソウサイさん、後で私の話も聞いて下さいよぉ……

 悪いのは、ぜったいあいつらなんですから……」

「わかってるよ、あんたが理由も無く喧嘩なんてするもんかい。

 付き合ってやるからあんたも後腐れを残すんじゃないよ」


 さあ行くよ、一緒に来な、とくいと手で招いて歩きだすソウサイに、アンズも従順な足運び。

 クマリもアンズについていくが、二人の背中は対照的である。

 すらっとした腕と脚、帯でぎゅっとした細い胴、それでいて服の上から見ても張りのある腰と、クマリの憧れる大人の女性の身体をしたアンズ。

 横幅広く、上から下まで変わらぬ太さでのしのしと歩く後ろ姿は、アンズには無い種類の強そうな大人の貫録があり、これはこれでクマリも憧れる。

 お姉ちゃんと同じぐらいの歳にはあんな風になれて、もっと大人になれればソウサイさんみたいになれればいいな、とクマリは考える。

 子供は夢があって良い。何に憧れるのかも大人にはなかなか読めない。


「ソウサイさん、お姉ちゃんのおかーさんみたい」


「三人目のお母さんかぁ」

「要らないよこんな子。

 あたしの手にすら余るっていうんだよ」

「ひどっ」


 げらげら笑うソウサイと、もうちょっと包んだ言い方にしてよと口を尖らせるアンズ。

 どちらも軽口を楽しんでいる様子。歳の離れた者同士だが、関係は良好である。


 敵対しない限りであれば、ソウサイは老若男女を問わず、誰に対しても友好的で気さくなものだ。

 その辺りはアンズと一緒。見方によっては似た者同士である。











「ほう、こども祭りの買い出しかい。

 だったらうちの国は品探しにはうってつけだろうね」

「うちの国、ってなんか我が物のように仰いますねぇ」

「あたしのもんだとは思ってないよ。

 あたし達のもんではあるけどね」


 歩きながらアンズでアンズの愚痴は済み、喧嘩に至った経緯はもうソウサイに伝わっている。

 まあ胸触られそうになったらしょうがないね、と大笑いしながら認められた。さっさと流されたようにも感じるが。

 そもそもソウサイ当人も、敵対するに値する者が目の前にいれば喧嘩上等の口なので、あれぐらいのことは別に大事とは思っていない。

 通行人らに迷惑だったから仕切っただけで、済んだ今となってはもうどうだっていいのである。

 アンズも話さえ聞いて貰えればもう満足。自分から喧嘩を売ったという誤解された不名誉さえ被らなければ結構なようで。


 そんな話は短く済ませて、今や世間話の流れとなり、アンズが摂泉村を訪れた経緯などの話題に移っている。

 アンズが大人とお話していると、お姉ちゃんとお喋りできなくて取られた気分になるクマリだが、邪魔せず我慢して黙っている辺りは物分かりが良い。

 はぐれないようアンズに手を繋がれながら、地元じゃ見られない眺めを見回しながら歩けるので、クマリも退屈せずにいられるのが大きいのかもしれないが。


「しっかしあの女狐が主催するお祭りのお飾りかい。

 あまり協力してやりたくはなくなってきたねぇ」

「なんでソウサイさん、うちのお母さんのことそんなに目の敵にしてるんです?

 いい人ですよ、絶対」

「根は良い人でも仕事となれば強かだろ、あたしと一緒だよ。

 商売の関係で睨み合いになりゃ水面下で腹の探り合いばかりさ。

 あいつは強いし面倒なんだよ」

「褒めてんだか批判してんだかわかんないんですが」

「褒めてんだよ、あたしと一緒っつってんだろ。

 余所の名士としては認めるがわざわざ絡みたくはないってだけさ。

 頭下げてあたしの下に付くっていうのなら大歓迎だがね」


 ナルミは山波村の長として、ひいては山波国の代表者として、他国と関わりも多い人物である。

 商談などの場に立てば、いいようにされず最終的には"勝ち"となれるよう立ち回る、そうした強さも持ち合わせている。

 そうでなければ、山波国いちの村を治める長は務まるまい。

 山波国は摂泉国とも関わりが深いため、ナルミとソウサイの商売付き合いも多く、双方の間には大人同士の生々しい思い出も少なくはないのだろう。

 酸っぱい言葉でナルミを表すソウサイだが、どこか楽しそうに話す姿には、ただの難敵ではなく好敵手と認めているような含みもある。


 深読みしたアンズの見解としては、ソウサイとナルミは睨み合う局面が訪れたとして、互角の力で渡り合う間柄なのだろうと思う。

 毎度いてこまされている相手のことを話すのであれば、ソウサイもナルミのことを語るに際して、こうも楽しそうには話すまい。

 一方ナルミも、ソウサイについて語るに際しては同じような態度であった。

 つまりお互い、対立したとしても勝てない相手だとは思っていないということである。

 年長の女傑二人を知るアンズをして、やっぱり強い女っていうのは格好いいなと改めて思う。

 目指すべき大人の姿がそばにあるというのはなかなか恵まれたことだ。


「祭の添え物が欲しいのならあたしが見繕ってやろうかい?

 手間賃は貰うが、悪くないものを選ぶ自信はあるよ?」

「今の話の流れでお任せ出来るわけないでしょ。

 目の敵にしてる女狐の催し物に、なんか一物ある仕込みぶち込んでくる気配しかしませんよ」

「くひひひ、そうだね。

 任せて貰えるならちゃんと良い物は選ぶよ。

 まあ、倉鎌幕府御用達の兜も混ぜてやろうかなとも思うがね」

「ほらやっぱり」


 ナルミは山波京の皇族であったため、京を戦で破って政権の半分を奪取した幕府は、親族にとっての苦々しい政敵である。

 幕府が太鼓判を押す兜というのは名品として名高いと共に、ナルミに対して贈るならちょっとした意地悪であろう。

 そりゃあナルミもその程度のことにいちいち目くじらは立てないが、贈られた意図を理解できぬはずはあるまいから、ソウサイが悪い笑いをするには充分だ。

 実現しない冗談の範疇で語る話であるが、元皇族にもそんな無礼をも恐れぬソウサイという人物の、怖い物知らずぶりが垣間見えるばかりである。


 実際この人ならいよいよとなれば、京相手でもばちくそに争える気の強さがあるだろうから、流石にアンズもソウサイとはわざわざ揉めたくない。

 心底かーっとなってしまったらわからないが。

 絶対に許せないようなことにだけは後先も顧みず立ち向かえるようでないと強者にはなれないので、それはそれで立派なことである。常に命懸けだが。


「まあいずれにせよ物は多くなるだろ。

 運送は請け負ってやるから、あたしが紹介してやる奴に任せなよ。

 初対面でもないし、多少は面倒見てやるからさ」

「はい、それはお世話になろうと思ってました。

 ソウサイさん、内にも外にも上手くしてくれそうですし」

「一言多い気がするけど許してやるよ」

「いたたた」


 商売人の言う"紹介"の流れはアンズも理解している。

 ソウサイが選んだ身内に、こども祭りに向けて買ったものを山波村へ運ぶ仕事を任せる。

 運賃はソウサイが値切る。その代わりに埋め合わせとして、何らか他の仕事をその身内に紹介する便宜を図るなどして、値切られた損に勝る利益は与えられる。

 誰も損はしない。アンズが初めからソウサイを頼る気でいた根拠である。

 冗談口を混ぜたことで頭を乱暴に撫でられ、髪が乱れて痛みも生じたが、気心知れた者同士のやり取りの範疇だ。


「買うものが決まったら、あたしの名を出して店に都合を伝えておきな。

 前々日ぐらいまで買うと決まっているものを、纏めて山波村まで届けるよう手配するよ」

「はーい、そうしま……」


 話は歩きながらでも簡単に纏まった。商談というものは、わざわざ向こう正面に睨み合う形ばかりで成り立つものでもない。

 アンズはこれから数日の間に、摂泉村を見回って、欲しいと思ったものをソウサイの名を出して事情を話し、店主に伝えて代金を払うだけでいい。

 そうするだけで店主は、暇を見つけてその商品をソウサイあるいは彼女が管轄する者にその商品を届けるだろう。

 あとは期日、その日までに集まったものを、ソウサイの指示により山波村へ纏めてそれが送られる。

 アンズは最後に、その送料を追加でソウサイに払うだけでいいのだ。後のことは、ソウサイが上手くやってくれる。

 そうしたソウサイの手配が無ければ、アンズはこれから数日間、欲しいと思ったものを手元に置いて纏めて後日送るか、商品すべて自分で持って帰るしかない。

 数々の商売を手広く纏める豪商に、勉強代を払ってでも諸々の手間を委託するというのは、誰もが得を出来るようよく完成された仕組みだ。

 今の時代でも充分通用する概念だが、きっと数百年後でも、こうした形の無い商売というのは必ず健在するはずである。


 まあ、それはいい。

 広い摂泉村の中央大通りを歩く中、真正面から歩いてきた人物の姿が目に入り、アンズも思わずそれを意識してソウサイと話していられなくなった。

 話半ばでこうならざるを得なかったのと比べれば、充分話が纏まった後であったのは、不幸中の幸いだったとも言える。


「よう」

「おう」


 摂泉村の真ん中で、偶然的に対峙しただけで互いに足を止め、数歩ぶん離れた距離で睨み合う両者。

 方や、アンズとクマリを引き連れたソウサイ。

 方や、連れの一人も無く一人で村の大通りを歩いていた男性。

 ソウサイとその男が対峙しただけで、周囲の人々は急激にぴりついた空気を敏感に察し、誰一人として一声も発さぬ静かな空気が生じてしまう。


 アンズも、ソウサイと話していた声が半ばに途切れるほどには、この人物のことは知っている。

 隻眼なのか、常に布で右目を覆った、着崩れた着こなしを人々に記憶された摂泉国のもう一人の大物だ。

 だらしないように肩にかかる服もよれた風貌でありながら、纏う絹の質は良く、富豪と呼ばれる豪商たることは、違いの分かる者の目には一目でわかる。

 ぼさぼさの長い髪もまた、浮浪者のようでありながら、後ろに流して自らの顔を隠すものとはしない。

 それはきっと、三十路手前ながら端正と見え、男前と評される顔立ちでありながら、唯一の目が放つ眼光が常に威圧感を放てるものであることを自覚してだ。

 それこそ、ごろつき四人相手にも怯まず喧嘩が出来るアンズすら、この男の眼を前にするや否や、雑念を捨てて注視せずにはいられぬほどだから。


「健勝だな、ソウサイ。

 いい年なんだから床の間でゆっくり息を引き取っとけや」

「憎まれっ子世に憚るとはよく言うよね、"ヤシマ"。

 あんたが出歩くたびみんなが怖がるんだ。

 犬にでも喉を噛まれていなくなっちまえばいいのにさ」


 その名はヤシマ。

 流れ者として摂泉村に居付きながら、いつの間にやら摂泉村という気の強い商人ら世界で畏敬の目を集めるようになった、古き経歴すら不明の異色の傑物。

 今や摂泉(せずみの)叢斎(ソウサイ)と並び、摂泉村の顔たる二枚看板として知られ、この国で彼に逆らえる者はソウサイを除いて他には誰一人いない。

 唯我独尊のヤシマがソウサイと対峙した時、それを目にした誰をもが言葉を失うのは、両者の危うい世界に巻き込まれるのを恐れてやまぬからだ。


 あのアンズをお姉ちゃんと慕うせいか、割と気が強く育ったクマリですら、ヤシマを前にするとアンズを壁にして彼女の陰に隠れるのだ。

 アンズにもその気持ちはわかる。抜き身の小刀を差し向けてくる相手にも、妖魔にすらも怯まないアンズでもだ。

 この人はやばい。権力があるからではない。

 対峙してその眼を見ただけで、言葉では表せない、一度敵対すれば想像を超えた惨劇を招く凶悪な人物だと思わせる何かがある。

 本能的にわかる。この人は危険だ。

 初対面ではないのだが、はっきりとアンズは、あれほど恐れているイナリ姫にも勝り、この人とだけは争ってはならぬという警鐘を本能から受け取っている。

 少なくとも、自分から、この人と関わりに行くことだけは絶対に無い。


「小娘二人を侍らせた程度で強気なもんだ。

 そいつは"アンズ"とか言ったか。

 神職者と懇ろとなりゃ、女ごときでも気が強くなれんのかね」

「おい」

「そう気難しい年寄りの顔をすんなって。

 顔だけ上等な世間知らずの小娘の面を眺めたいだけじゃねえかよ」


 へらへらとした態度で、対峙して立ち止まっていた立ち位置から歩み寄ってきて、ヤシマはアンズの方へと歩み寄ってくる。

 この子に喧嘩を売るならあたしに売るも同然、そうたった二文字の恫喝で釘を刺すソウサイにも、ヤシマは一切怯まない。

 据わった目のソウサイの横顔を目にしただけで、周囲の人々は震え上がっているほどなのに。

 ソウサイとヤシマの二人だけが自分の思うままに動ける世界で、アンズですらも近付いてくるヤシマに、無性に危機感を抱いて身構えるに留まるのみである。


「いいねぇ~、外面だけなら一級品だわ。

 うちの賭場で借金抱えて、身売りしてくれれば妓女十人ぶんの儲けが出るだろうよ」

「……やめて頂けますか?

 尊厳を汚すようなことを仰るなら……」

「おう、小娘」


 流石に今の物言いにはかちんときたアンズが、鋭い眼で言い返したその矢先、手の届く距離で低い声をヤシマが発してきた。

 口答え一つ許さないとばかりに眼光と覇気を発してきたヤシマには、さしものアンズですら言葉半ばに口が止まる。

 あまりの気魄に、クマリがアンズの腰にしがみついて、この人の顔はもう見たくないとアンズの背に顔を押し付けるほどである。


「そんな怖い顔するなって。

 可愛い顔が台無しだぜ?

 笑顔で男に媚を売れば、大金を稼ぐ売り物にもなるものなんだからよ」


 笑っていない目で表向きは朗らかな表情で笑い、ヤシマはアンズの頬にぺちぺちと二度触れた。

 みだりに異性に肌に触れられれば、問答無用で払いのけるアンズが、それほど失礼な態度に対してすぐには動けない。

 ヤシマが軽く触れただけで手を引いたから何も起きなかったが、これ以上しつこくされていたら、アンズも行動に出ていたかもしれない。

 だが、見方を変えれば、触れられた瞬間にその手を払いのけていたはずであろうアンズが、それを出来なかった程度には呑まれていたということでもある。


「躾けられたいのかい」

「おおっと、勘弁してくれ。

 詫びる詫びる、正直すまんかった」


 いつまでも絡まれてもつまらんとばかりに、ソウサイが低い声を発したら、ヤシマも剽軽な態度でお手上げの姿で後退する。

 微塵も、ソウサイの恫喝にびびる素振りは無い。

 今日のところはこの程度にしておく、だから黙っとけ、と不敵な笑みを浮かべるヤシマに、ソウサイは舌打ちを返すのみだ。


「ま、いずれな。

 そのうち酒でも交わそうぜ」

「おう、いずれな」


 ヤシマはソウサイと短いやり取りだけ済ませ、彼女とその連れの横を通り過ぎていく。

 その際、アンズのすぐそばの横を歩いた際に、ちらりとアンズのことを一瞥してだ。

 ただそれだけで、暴言や接触に苛まれたわけでもない上で、アンズの鳥肌は尋常ではない。

 悪意に満ちたその眼差しに触れるだけで、やはり関わり合いになるべきではないのだと確信できる相手とは、余程のものとしか言いようがない。


 神や皇族や妖魔でなくとも、恐るるべき存在というのはいる。

 元々知れた話ではあるが、アンズはヤシマという人物の眼光に触れ、改めてその基本を知ったことであろう。

 たかだか抜き身の刃を差し向けてくるごろつきなど比べ物にならぬ、風格だけで全てを語れる器の持ち主というのは、どこの世にも潜伏しているものだ。

 そんな奴いねぇよと言えるうちはまだまだ世間知らずである。一目見ただけでこいつやべぇと凍れる相手は実在するのだから。


「ったく。

 あんたも随分、まだまだ弱いね」

「……………………まあ、そうですね」


 ヤシマが去り、ソウサイがアンズに話しかけた時のことだ。

 突っ張っているようだがあれほどの相手には強気で出れないだろ、とソウサイがアンズに話しかけたところ。

 困ったことに、アンズの反応はソウサイの読みを超え、若干むかむかしているように見えた。


「こるぁ」

「いたいっ」

「わざわざ揉めるなよ?

 余所者の身勝手な行動で、被害の波を受けるのは地元民なんだからね」


 こつんと額を小突かれて、アンズもちょっと落ち着いた。

 割と太い釘を刺された。アンズも、さっきのような絡みをソウサイがいない所でされれば、揉めてしまい得る自覚がある。

 勝ちとか負けとかどうでもいいから、頭にくればやっちゃう奴の手綱はなかなか握りづらい。

 ソウサイから見たアンズとはそういう子だ。


 これが部下なら反発されても叩き潰せる大儀も立つが、アンズはソウサイの下でも何でもないのだし、彼女がソウサイに必ず従わねばならぬ謂れも無い。

 年長者として叱る程度しか出来ないし、しかもこいつは怒れば全部どうでもよくなって喧嘩できそうだから嫌な予感しかしない。

 ソウサイの見解では、アンズとヤシマは今後一生会わない方がいい気さえする。 


「飯でも食って落ち着きな。奢ってやるよ。

 その代わり、あたしの忠告はちゃんと肝に命じろよ?」

「あ、圧がすごいです。

 ごめんなさい、わかりましたからそんなに睨まないで下さい」


「お姉ちゃんはおばちゃんに弱い」

「自覚あるけど私は年長者の女の人に弱いんだよ。

 なんだろうね、貫録には腰が引けちゃうというか」

「ばちくそ血気盛んな男相手でも喧嘩できるくせになんだい。

 たいそう歪なびびりっぷりだよ」


 失笑するソウサイだが、気持ちはまったくわからないこともない。

 男には男の世界が、女には女の世界がある。男が一番怖いのは格上の男で、女が一番怖いのは格上の女。

 格の差だけで女を怖がらせる男だとか、格の差だけ男をびびらせる女というのは、別格級にずば抜けた格が無いと成り立ちづらいものがある。

 それを思えば、女性は内助の風習が根付き、商人という働き手は男性が多いこの時代、そんな男達に畏怖の目を向けられるソウサイも大概な存在だが。


 摂泉村に留まらず、摂泉国全土にまでその支配力めいたものを広げるソウサイ。

 彼女に唯一、真っ向から争いを挑むことをも厭わぬのがヤシマ。

 摂泉村は、この村で一番偉いと言われるはずの村長をも差し置いて、この二人の男女を頂点として回っている。

 この国で、大きな話が始まった時、この二人と関わることは避けられないのだ。


 もっとも、摂泉国に買い物に来ただけのアンズが、そんな大物二人と関わらざるを得ないような大きな話に巻き込まれることは、本来そうそう無いはずである。

 おとなしくしておけば大丈夫である。大丈夫。

 ソウサイやヤシマの双方と関わるような展開などには、この村に住む者達でも滅多に触れることもない。

 余所者のアンズがそんな展開になるようなことは、まず、あるまい。

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