第四五話 ~摂泉村~
「た、高っか……!?」
「お姉ちゃんがあせっている。
きんきゅうじたいか」
「緊急事態です。
想定外が過ぎる」
クマリと共に、桑原村の子供達への土産として、平独楽なるものを探し求めていたアンズ。
おもちゃを扱う店を二件三件回ってきて、どこも売り切れという時点で、アンズも若干の暗雲は感じていたのだが。
四件目、平独楽が売り切れていない店にようやく巡り合えたアンズは、その平独楽の単価に目を剥いた。
これは高い。高額にも程がある。
アンズが知る独楽の相場の十倍ほどはする。
桑原村の子供達の間で取り合いになり過ぎないよう、最低五つぐらいは土産にしたかったアンズをして、この価格では手が出ない。
この値段でその数を買って帰ろうとしたら、小遣いを使い尽くすことはおろか、ナルミに頼まれた公費にまで手を出さざるを得ない。
「お、お姉さん?
これ正味のお値段ですか?
余所者だからってふっかけてないですよね?」
「そうなのよ~、品薄でどうしようもないの。
仕入れ値自体が相当凄くて、私もこのお値段じゃないと元を取れないのよ」
礼を重んじるアンズにしては失礼な物言いである。
しかし、これを言っても許されるであろうと確信してそう言ったほどには、たかがおもちゃの独楽にしては高額が過ぎる。
実際、土産物屋の子供好きそうな若い店番のお姉さんも、こんな風に言われても仕方ないよねとばかりに溜め息混じりである。
「人気商品なのは御存知でしょうけど、需要に供給が追い付いてないの。
ものが無いから値段は吊り上がる一方で、これ以上値を下げると赤字になっちゃうのよ」
「品薄かぁ……
充分あり得る話ではあるけれど……それにしたってこれは……」
理屈はアンズにもわかるのだ。
貴重なものほど値段は高くなる。農作物だってその年に、豊作か不作かによって仕入れ値は変動する。
本来庶民がその本質を真に理解する機会は限られるが、アンズは山波村の長であるナルミのそばで育っているので、自ずとそれを学び取れた背景もある。
その上で、目の当たりにした平独楽も相場は異常である。
独楽は子供達に幅広く愛されたおもちゃであり、よほどに貧しい農村にすら存在するほどのものであるから、これを知らぬ者などこの世にはいまい。
数百年に渡り、人々に親しまれた歴史を持つ独楽であるが、近年ここに新たな概念が参入してきた。
それがアンズやクマリのような、今の若い世代の興味を惹いてやまぬ、新たな形の"平独楽"だ。
木製の独楽と違い、金属製で重みがあるというだけで少し新鮮なのだが、平独楽には子供達の心を掴んだ大きな要素がある。
それは木製の独楽とは異なり、かなり小さく平たいが、金属製ゆえ重い上に、独楽同士のぶつけ合いで強いという特徴だ。
独楽は回すだけでも面白いが、競い合いが好きな子供達の間では、回した独楽をぶつけ合い、最後まで転ばなかった独楽が勝ちという遊びがある。
勝てる独楽の回し方が出来る子は"上手い"ということであり、独楽のぶつけ合いで連勝できることは、子供達の間では誇りにもなり得る。
そんな界隈に新たに参じた平独楽は、上背が低く、木製の独楽の軸に潜り込んで一本足を払える形であるため、独楽相手のぶつけ合いには滅法強い。
独楽同士のぶつけ合いに勝負を懸ける子供達の世界観において、平独楽は、既存の老兵にひたすら強い新興勢力として子供達の心を鷲掴みにした。
最強の手駒を配下に置き、あらゆる勝負に無双できるという万能感は、子供達にとっては堪らなく夢のある響きに違いない。
平独楽の面白いところは、小さい上に形も違うゆえ、今までの木製の独楽とは異なる複雑な紐使いで回さざるを得ないという点だ。
手にしたところで、今まで使い慣れた独楽と同じようにはいかない。下手糞だと回すことも出来ない。
その代わり、上手く回せるようになれば木製の独楽にはかなり強い。負けなくなる。
さらには、回すこと自体が今までの経験上では難しいから、回せるだけでも子供同士では凄いねと言われる。
練習は必要だが、回せるようになれば子供同士の独楽遊びにおいては無敵になれるし、回せるだけでも褒めて貰える。
子供達に人気の商品となるには、充分過ぎるほどの要素を兼ね備えている。
それが、平独楽と言われる新商品だ。
山波村では未だ流通していないが、そういうものが余所の国にはあるのだと、アンズもクマリも知り及んではいる。
言い換えれば、異国に伝わっているほど魅力的な新商品ということだ。
「どこかの商人が買い占めてるんじゃないかしらねぇ。
生産量が少ないのは仕方ないけど、それにしたって卸売の値段があまりにも強気だもん。
品薄なのは、どこかの誰かが占有してるからで、値上げの諸悪の根源はそいつらのせいって噂も絶えないわ」
「まあ金属製ですし、木の独楽と違って作れる人が限られるだろうなってのは私もわかりますけど。
平独楽っていうのが流行り始めてもう随分経ちますもんね。
いくらなんでも未だに品薄ってのは……」
「職人さんに話を聞きに行ったこともあるのよ。
決して、のんびり作ってるわけではないそうだわ。
やっぱり市場価格を操作してる奴がいるんじゃないかしらねぇ」
人気商品が品薄であれば価格も上がるが、時間が経てば商品は世間に数多く出回り、需要の落ち着きと共に価格は下がる。
値打ちものとして値下げが起こらぬこともあるが、一般相場の十倍近くのこの価格が、出回って長く経つ未だに保たれているのは腑に落ちなさもある。
平独楽の価格が普通の木製の独楽の倍の相場と仮定しても、その更に五倍の価格で当然とされるのは目に余る高騰だ。
名高くなり始めた頃の高値とは、まったく違う何らかの要因があることは、商売人でないアンズにも確信できる話である。
「とにかく、理不尽な価格だとは思ってるけど値切りには応じられないのよ。
可愛い子供を前にして厳しいことを言いたくはないのだけどね……」
「いえいえ、商売人さまも生活が懸かっていますから。
ゆっくり、値下がる日を待ちますよ」
「本当にごめんね。
そちらの子にも、上手く納得させてあげて頂戴ね」
実に申し訳なさそうな店番の女性に柔らかく応じながら、アンズはクマリと共に店先を離れる。
悪感情は無い。商人様にも事情はあろう。
高く売りたい本音と、安く求める客に合わせて利を取る商人の悩ましさなど想像に難くないし、その上でこの価格設定はやはり異常である。
納得できない客に詰め寄られる苦労もあったのだろうとまで想像し、アンズはきっぱり平独楽の土産は諦めることを厭わなかった。
「ひらごま、だめ?」
「うん、いくらなんでも高すぎるよ。
他のお土産を探そう。今日でなくても摂泉村でも探せるしさ」
「ざんね~ん……」
肩を落とすクマリの姿から、彼女自身も平独楽が手に入るなら嬉しかった想いが見え隠れするし、アンズに正直がっくりである。
結構いい土産選びだったのにな。でもまさかこんなにお高いとは。
流行りものが好きかつお金持ちの村長ナルミが、平独楽を山波村に仕入れないのはアンズにとっても少し不思議だったが、まさかここまで高価とは。
ちょっと高くて仕入れづらいのよ、とナルミと話して聞かされたこともあったが、ここまで高騰しているなら納得の弁である。
貨幣と経済が人々に密接な、商人の国、摂泉。
人がものの値打ちを定め、それが値段というわかりやすい形にも表れる世界観の中で、異常なほど高騰の域にある平独楽。
アンズもそれを身に染みて経験する形になったが、そんなこともあるか、とこの日は渋く納得する程度である。
商人世界の事情に関しては、異国の巫女に過ぎぬアンズは門外漢であり、それを深く詰めない慎みは持ち合わせている。
『……つまらんなぁ』
(え? テンジン様?)
『いや、なんでもない。
独り言だ、気にするな』
しかし、この、人気商品の異常な高騰という社会現象。
アンズの頭上で憮然顔のテンジンには、なかなか面白くない社会情勢である。
思わず言葉が漏れるほどのテンジンの本懐は、今のところアンズには伝わりきらない。
出来ることなら、この理不尽に対し、義憤を抱くアンズでいて欲しい。
きっと彼女が、この社会現象の本質を理解できれば、そうなってくれるはずだから。
テンジンの、密かなる願いである。
津河村にて宿を借り、一夜をクマリと共に過ごしたアンズ。
お姉ちゃんと一緒に寝られることで、普段より饒舌になっていたクマリと夜長にお喋りして。
寝付いた後も、ぎゅ~と抱きしめてくる甘えん坊のクマリに、アンズも幸せな気持ちで眠りに付いて――
とまあ、そんな話はもういいとしよう。いつものこと。
これから数日の宿泊が重なる今回の旅行、アンズとクマリが同じ床に眠れば、毎晩繰り返される光景である。
朝を迎えて、アンズとクマリは津河村を出発。
摂泉国では、西の湾に接した摂泉村にどの方向から向かったとしても、やがて一度は長い上り坂に差し掛かる。
これが、元々の自然的な地形に由来するものなのか、それとも意図的に大量の土を盛られたゆえなのか、それは今やもうわからない。
普通に考えて、人為的に広範囲の地形を変えるような、後者の可能性を想定されることなどあるはずもない。
たまたま最初から、そういう地形だったに決まっている。
しかし、そんな地形が古の人々の人為的なものであるのではないかと、実しやかに語られるのにも理由がある。
そんな地形によって生じる、摂泉村の眺めを見れば必ずわかる。
いかに馬鹿馬鹿しく聞こえようが、あまりに出来過ぎた絶景を目の前にすれば、作為的なものを感じるというのも人の性である。
「クマリ、そろそろ摂泉村だよ。
初めて来るんだよね?」
「くわばら村とやまなみ村以外はほとんどはじめて」
「あはは、そうだったね。
期待しててねクマリ、すっごい素敵な眺めだよ」
「きたいする。
でもだいじょうぶ? このたかめられた期待にこたえられるのか」
「ぐふふ~、お姉ちゃんを信じなさい」
足が疲れない程度に、ゆるゆるとした上り坂を上っていく、前方の地平線が遠い摂泉村への道のり。
摂泉国中央部は元々山林の少ない地域であるが、海に面した摂泉村に近付くにつれ、背の高い木々は減り短い草ばかりが生えるようになる。
潮風が届くせいなのだろう。塩が草木の伸びを妨げることは、海に身近な者であれば誰しも知ることである。
結果として、摂泉村ないし海に近付くにつれて、自然的な障害物は減る一方で、地平線ばかりが目の前に目立つ旅路となる。
これがいいのだ。
登りきった後の眺めが良い。
アンズとクマリは、摂泉村へと真っすぐ繋がる泉山街道を歩いている。
あと百何十歩かで摂泉村に辿り着こうというところで、その道は急に上り坂の傾斜がきつくなる。
これは恐らく、意図的に土を盛られているのだろうと確信できる。
地平線が近付きながら、目線よりも高い場所にあるそれが、越えるその時まで向こうの景色が見えない。
この坂を登り切ったその時に、ぱっと目の前に広がる摂泉村の景色が、摂泉国いちの村の最大の売りである。
期待を持たせ過ぎるとそれに応えられなかった時に痛い、そんなことは百も承知なアンズも、初めて摂泉村を訪れるクマリにそれは強く売り込んでおく。
失敗する予感はしない。失敗するわけがない。
上り坂の頂に辿り着く少し前から、向こうの景色が少しずつ目に入り始める。
広く、どこまでも続く摂泉村のほんの片鱗。
それを高い場所から見下ろせる眺めが絶景であるのは、どんな子供でも想像できることだ。
いつしか足早になったクマリはアンズの前を行き、高揚感に満ちた妹の背を追うアンズも、この後に輝くクマリの目を確信できたというものである。
「ふおわあぁぁ~~~~~!!
お姉ちゃんを信じて正解だったぁ!!」
「でしょー?
お姉ちゃん、自信満々でした!」
なにせアンズも、幼い頃にナルミに連れられ、初めて摂泉村に訪れた時は、その絶景に目を輝かせたのだ。
アンズがクマリにしたように、ナルミにびっくりするわよと言われ、その期待値を上げられた上で感動してである。
だからアンズも自信満々に、あるいはこの絶景の価値を信頼し、クマリにそれを強く推していたわけだ。
かつての自らの感動を根拠とする自信ほど、信頼できるものはなかなかない。
まるで高台から見下ろしたような、離れた前方に延々と広がる港村の西端。
彼方の海は色すら見えず、地平線にあたる遠景の果ては、桑原村では見られぬほど大きくて立派な建物の並びで埋め尽くされている。
無論、ここから最も近い位置にあたる村の東端、いわば村の中心部から最も離れた場所にすら、それほど大きな家屋は無数にある。
家屋だけでなく店屋が無数に並び立つことが目に見えて明確で、かつ、実はその中にはこの商人の国で富を築いた者の豪邸も彩りに加わる。
山波村も栄えている方だが、経済の中心地である摂泉村はもっと凄い。
桑原村と山波村しか知らぬクマリをして、津河村の賑わいを新たな経験として加えても、これほどの村を目の当たりにしたのは初めてだ。
和大国でも五指に入るほど栄えし村。
それを、こうしてその半景を高所から見下ろすだけでも圧倒され、しかもそれは村の半分未満でしかないのだ。
初めて訪れた者達をその雄大さで全国一かと思わせるこの眺めを見れば、この村周囲の標高の高さが、人為的なものと疑われるのも納得である。
なんたる素晴らしき見栄か。商人の国、お見事也。
「行こ!
はやくみたい!」
「あはは、クマリはせっかちさん……は、速!?!?
ちょ待って!? すごっ!?」
遠き山の頂が雲に包まれている眺めを見て、そこに立てればどんな眺めがあるだろうと、幼心に感じた記憶は誰しもある。
目の前に絶景があり、駆ければ地続きのその地へ辿り着けるクマリは、生まれたばかりの高揚感に何ら逆らわず走りだした。
緩やかな下り坂を全力疾走。すげえ速度である。後方に蹴る砂煙が形になるほど。
慌てて追いかけるアンズも、妖魔との戦いの中で鍛えた健脚任せに、それ以上の速度でクマリに追い付いていく。
さしものアンズとて全力駆けだが、暴走した子供は大人を焦らせるほど凄い。
油断するとすぐ振り回されるアンズである。でも、心地良い。
両親を喪い、目に光を失っていたあの子が、普通の子供のようにはしゃぐ姿を見るたび、本当にここまで立ち直ってくれて良かったと思うから。
元気が有り余り過ぎていることにはもう、いっそ完全に目を瞑っているアンズである。
摂泉村が、西の摂泉湾に面する港湾村であることは周知の事実。
それに加えて大きな特徴を語るなら、標高が海面に最も近い湾岸から離れるにつれ、この村は極めて緩やかながら標高が高くなるよう整えられている。
これは意図的にそう均されているのだろう。利点が明確だ。
この村のどこの位置からであろうとも、坂を下れば港に近付き、坂を登れば港から離れて村の出口に向かう。
看板などによる村の案内図ぐらい、これほど大きな村となれば当然あるのだが、やはり感覚的に村一番の名物への道のりが理解できる利点は非常に大きい。
地図など誰しもが気軽に所有できない中で、外来者が一言で名物への道を理解できる村の造りというのは、例えようもない魅力である。
何せ和大国有数の名物大港だけあり、その近辺にこそ構える店こそ大きく、遠く離れた地から仕入れた目新しいものを数多く取り扱う。
港村へ観光する上で一番の楽しみとは何か。異国から得られる新鮮かつ、最新のものを目の当たりに出来ることに他なるまい。
港のそばにこそそれは溢れている。さあ、よっといで。緩やかな下り坂に従って。
そうして村を訪れた者達を、地形のみで以って雄弁に導けるだけでも、只ならぬ価値があることは言うに及ばずである。
一方で、港のそばという一等地に店を構えられるのは、余程の豪商だけなのだが。
それを踏まえて想像を膨らませれば、経済を中心に回る社会の縮図のごく一部というものが、この村の造りからも垣間見えるかもしれない。
面白くもあるし、世知辛くもある。
そうした本質というものは、きっと千年後も変わるまい。
「人がいっぱい!
でもお姉ちゃん大丈夫?」
「もう大丈夫だよ、開き直ってるから」
そんな社会の縮図などお構いなし、観光地に訪れたアンズとクマリは、人の多さに異国情緒を感じながら歩を進めるのみ。
悪い意味で人目を惹いてしまう服装のアンズは、今日は二度見もひそひそ声も完全無視。言いたい人には好きなだけ言わせとけの鋼の精神である。
昨日は心の準備を怠っていたため、津河村で居心地悪くしていたアンズだが、心構えさえ出来ているなら乗り切れるのだ。
流石にこの正装と巫女人生を共にするのだと、かつて覚悟を固めただけあって割り切りは良い。
自分の頭の上で、うむうむそれでよいと頷く主神の気配は若干むかつくが。
「すごいね~!
人をよけるのがたいへん!」
「あはは~、恥ずかしい奴だなぁ」
人口そのものが多い上、連日のように来訪者で溢れる摂泉村は、広い道幅を以ってしても油断すれば人にぶつかり得るほど人通りが多い。
クマリも地元では味わえない眺めの真っ只中、誰にもぶつからない場所をひらひら舞うような動きで遊んでいる。
いかにも田舎者の動きなのでアンズも一言戒めておくが、幼いのだから仕方ないのだしやめろと本気で咎めはしない。
むしろ人を避ける動きを大袈裟にしながらも、人に近付き過ぎてちょっかいをかける形にはならぬ姿に、大事な教えは守っているなと安心するぐらいである。
人が多い場所ほど、短気な人と遭遇する率は高まるわけで、万一が無いように立ち回りに気を付けるべきだという、アンズの教訓をクマリは順守しているのだ。
とまあ、アンズもクマリの挙動にはよく目を見張っており、案外物分かりの良いクマリだから、彼女が問題を起こす可能性は低いはず。
そんなことより、アンズは自分の心配をした方がいい。
これに関してはアンズも自覚がある。
『おっ、すけべどもがお前を凝視しているぞ。
進め進め、逃げろ逃げろ』
(なんで楽しそうなんですかね、テンジン様は。
おふざけが過ぎるならもうこの巫女服やめますよ)
『はっはっは、すまんすまん、勘弁してくれ。
しかし、私の言いたいことはわかってくれると思う』
(ええ、はい、存じています。
私もこの村のこと自体は好きですが、厄介な人もいますからねぇ……)
クマリとの楽しい出先での旅を堪能したいアンズだが、それにはまだ早い。
実は、摂泉村にはアンズを困らせる、とびきり厄介なものが一つある。
それは、ナルミと共にこの村を訪れた時なら――厳密に言えば、腕っぷしの強いナルミの付き人がいれば、免れる存在には過ぎぬのだが。
今日のアンズにはまだ"後ろ盾"が無い。
これが無いと、アンズに限って言えば、常に引き得る厄がある。
アンズは、後ろ盾と呼べるものを目指して、クマリを誘導しながら村を歩いている。
少しでも早く、あの人の所に辿り着かないとこの村では安心できない。
すべてが目新しい景色に喜ぶクマリには悪いが、実は現時点ではまだ、ちんたらしている場合ではないのである。
「――おっ?
よう、そこの姉ちゃん! 客引きか?」
ああ、駄目だ。間に合わなかった。
アンズが一番嫌な、初対面の男が声をかけてくる展開が訪れた。
単に初対面なだけなら何も問題ないのだが、この手の人達は馴れ馴れしさが過ぎる。
「こんな日中から人目を惹くなんて商売旺盛だな。
俺達が買ってやろうか?」
「あぁ、いえいえ、私はそうではないんですよ。
ちょっと特殊な恰好ではあるんですけど、男の人と遊ぶのを目的としたものではありませんので」
「嘘つけや、そんな煽るような姿で天下の往来をよ。
上から下まで誘ってんじゃねえか」
「ほんとに違うんですよ~。
申し訳ないんですけど、他の人を当たって頂きたいのですが……」
ありふれた服ながら小綺麗で皺や染みが無く、貧しくは無いのだと一目で感じられる四人の男達である。
それなりに裕福でもない限り、庶民の男は一着の服を何度だって使い古すからだ。この男達の服には、使い古されてよれた気配も無い。
見た目に気を遣い、とっておきの余所行きの服をたまに着る女性でもあるまいに、普段着がこうも小綺麗であるのは小金持ちな証拠だろう。
現にその言動も、女遊びに銭を使う余裕があると見えるのだから尚更だ。
しかし、些か人相の悪い中年男性四名だ。
顔で人格を憶測するのは勧められたものではないが、アンズは直感的に、この人たちはどの系統の人種なのかが一目でわかってしょうがない。
勘にびりびりくる。"誰の下に所属しているか"も、なんとなく察しが付く。
わざわざ揉めたくはない相手だが、揉める予感しかしない。この手の人達と接点を作ると、揉めなかった試しが無い。
だから、こうなる前にソウサイに会いたかったのだが。
「まあまあ、そう邪険にしてくれるなよ。
出すものは出すし、若くて可愛い面してるから弾むぜ?」
「んふふ、誉めて貰えると嬉しくはあるんですけど。
でも私、ちょっと用事がありまして。
お金を貰えても今ついていくのは難しいんですよ~」
「お、お姉ちゃ……」
腕を掴もうとしてきた男の手を、アンズはひらっと緩やかな動きで躱す。
拒否感をあらわにし過ぎると刺激するであろうと思い、妖魔との戦いの日々で培った目と読みで、無駄一つ無い穏やかな回避である。
無駄な努力な気はするが、やれるだけのことはやっておきたい。
揉めたら揉めたで仕方ないが、自分も努められるだけ努めた実績があれば、いざ揉めたとしても自分の行動に対しては胸が張れる。それだけ。
それにしても、愛想は全開でにこにこ笑顔、声も淑女らしく振舞うアンズだが、クマリは背筋がぞわぞわして堪らない。
付き合いが長いからわかる。お姉ちゃん、今すごく苛々してる。
どんなに当たり障りなくその場を凌ぐための表情をその面に貼っ付けようが、胸の内で煮え滾る怒りが、アンズのそばに陽炎を生み出しているようにすら。
クマリが思わずアンズから一歩遠のく。あんなに大好きなお姉ちゃんだが、本気で怒った時のアンズのことを知っていれば、今は近くにいたくない。
「おっ、おっ、すばしっこいな。
なんだ、追いかけっこか?」
「捕まえたら付き合ってくれるよな?
誘ってんだろ?」
「もう~、違いますよぉ~。
ほんとにもうやめて? 行くとこあるんですよ」
三人がかりで手を伸ばしてくる男達からひらひら逃げるアンズ。
発言にもちょっとずつ棘が出てきた。隠しきれない憤怒の熱。笑顔だが、口角がひくひくしている。
だが、この村では怖いもの知らずの男達はそれに気付かないし、怖いもの知らずだから気付こうとする意義も持ち合わせていない。
まさか目の前の華奢なこの女が、爆発させたらまずい奴だとは、誰も初対面では気付くまい。
「ね? ね? ほんとにごめんなさい。
大事な人を待たせているので、急がなきゃいけないんです。
クマリ~、行こ……」
「おいおい。
そう物分かりが悪いとこの村じゃやっていけねえぜ?」
むかむかする想いを一生懸命封じながら、胸の前に両手を出して、なるべく穏やかにご勘弁をと訴えるアンズ。
だが、男の一人がアンズの横から腕全体を伸ばしてきて、彼女と肩を組む形で腕を回し込んでくる。
ぐいと乱暴に引き寄せられ、中年男性の首から上の匂いを間近で嗅いだ瞬間に、アンズの我慢していたものは一瞬で吹っ飛んだ。
気配でわかる。
こいつの手は、このまま私の胸を鷲掴みにしようとしているのが。
「俺たちは……っ、いでででで!?
お前、っ……!」
相手の手首を両手で掴んだまま、身体を沈めて後退することで、相手の背後に回り込む。
片腕を背中の方までねじり引かれれば当然痛く、男は怯みながらも前に出て、手首を掴んだアンズの手を力任せに振りほどく。
アンズは力負けしたわけでなく、自分から離しただけだが。
生意気な態度を取られた上に腕を痛めさせられた男が、怒髪天の表情でアンズを振り返ったが、その瞬間、目の前には礫があった。
ぶっち切れて目をかっ開いたアンズの表情を目にする暇も無い。
その拳を鼻っ柱にぶち込まれ、あまりの威力に後方へぶっ倒れたその男には、何が起こったのかもよくわからなかっただろう。
「汚い手で触るな!!!!!」
道行く人々も、周囲の商人も、みんなびっくりしてアンズの方を向くほどの大声。
おっ始まってしまう。こんな言葉遣いをするほど頭にきてしまったアンズは、もはや誰にも止められない。
彼女が最も従うテンジン様が彼女を止めたとしても、今すぐは無理ですと返答するだろう。ここまでされて我慢できるか。
そもそもテンジンも止める気などさらさら無いが。
内心、もうやっちまえと思っている。こんな奴らに愛娘に色目使われてたまるか。
「て、てめえ!
誰に喧嘩売ってるかわかってんのか!」
「ちょっとは痛い目に遭わなきゃわから……」
「うっさいわ!!」
あまりの出来事に、男達も怒りより戸惑いが勝っているようだが、アンズはもはやお構いなし。
講釈なんて聞いてられる気分じゃない。踏み込み、男の一人の顔面にまた拳をぶっ刺す。
不意打ちではなかったから相手も倒れなかったが、躱すことも顔を守ることも出来ず、食らってのけ反り膝をつくほどなのだから、威力と速さが窺い知れる。
「っ……くそが! 調子に乗りやがって!」
「もう軽く怪我させて済む問題じゃねえぞ!
後悔させてや……」
「ごちゃごちゃうっさい!!
はよ来いや!! 大恥かかせてやる!!」
摂泉村の真ん中で、激しい喧嘩が勃発してしまった。
クマリはとっとと近くのお店に逃げ込んで、物陰で背中を丸めて小さくなっている。隠れているのだ。
今のお姉ちゃんはやばい。めちゃくちゃする。
大人の男は喧嘩が強いことぐらい、クマリだってわかっている。それでもやばいのは絶対お姉ちゃんの方だ。
お姉ちゃんには最後の最後、神様の力があるのだから、それも踏まえればお姉ちゃんが負けることは絶対無いとまで思えるのだが――
たぶん、お姉ちゃんは神様の力なんて借りないだろう。
それでもきっと、最後に立っているのはお姉ちゃんの方だ。
一度でもアンズがぶち切れて暴れる姿を目にしたことがあれば、彼女が人間相手に喧嘩で負ける姿は想像しづらくなるのである。




