第四三話 ~クマリだって怒ることはある~
「いいわよ、全然。
お小遣いは倍渡すわ。私の立場からすればはした金ですし」
「遠慮せずに済むよう言ってくれるのはわかるけど響きが傲慢」
「むしろ今日、筆場があってあなたとクマリちゃんが会う機会があるってわかっているなら、私の方からそういうのもどうかしらって言うべきだったわね。
そこまで思い至れなかった辺り、私も耄碌が始まっているのかしら」
クマリを神社で待っていてくれたタケスエに預け、玉依御殿に訪れたアンズ。
二つ返事で了承を得られたことはたいして予想外ではない。こういう人だもの。
むしろ、若い観点で何か面白いものを見つけてきて欲しいと頼む側として、アンズと親しいクマリの同行を自分から言い出さなかった悔いが勝っているらしい。
慧眼を以って山波村を治めるべき長として、自らその発想に辿り着けなかったことの方が、ナルミにとっては反省事項であり重要であるようだ。
「でもちょっと不安もあるんだよねぇ。
ほら、摂泉国って別に治安が悪いわけでもないけど、所々に濃ゆいとこあるじゃん。
あんまりクマリのような幼い子供と一緒に行くのは、ちゃんと守ってあげられるのかなって思っちゃう」
「あなたもっと危険な場所を通りながら色んな人を護送してきたじゃない。
悪漢や賊はおろか、妖すら退けられるあなたのそばが一番安全よ。
自負もあるでしょうにそう思う辺り、あなたもそれだけあの子に入れ込んでる証拠なのでしょうけれど」
「いや、それはそうなんだけどね?
何というかその、新しいものを目の前にして、クマリも思わず勝手な行動しちゃうかもしれないでしょ?
私のそばにいる限りなら命に代えても護り通すけど、ちゃんとあの子の手綱を完璧に握れるかなあっていうのもあるからさ」
「結構具体的なところまで想像してるじゃないの。
あの子にせがまれて、一緒に行けたらいいなって本心では思ったでしょ」
「うん、まあ、隠さないけどね」
発言一つするたびに色々看破されてくすくす笑われるとアンズもなんだか恥ずかしいのだが、自分のわかりやすさは自覚もあるからもういいとする。
どうせテンジン様を除けば、他の誰よりも自分のことをよくわかっているお母さんなのだ。
今さらこの人に何もかもお見通しされてもいつものことである。
「ちゃんとあの子の手を引いてあげて、きちんと護り抜いてあげるのも、あなたの甲斐性次第でしょう。
今までに培ってきた自分のそれを信じなさいな。
神様の力をお借りするあなたが、あなた自身のことを信じるのもまた信仰よ」
「いいこと言った気になって得意顔のお母さん、嫌いじゃない」
「む、むぅ……
それに、摂泉村には"ソウサイ"さんもいらっしゃるじゃない。
私は少し噛み合わない人なんだけど、あなたは懇意にして貰ってるのでしょう?
ご協力を仰げば面倒は見て下さるんじゃないの?」
決めの一言を発せたと思ったのに、手厳しい寸評を頂いたナルミは、ちょっと頬を赤くして膨れっ面。
話は進めるのだが。用意していた助言は与える。
拗ねたのか、目線は横に逃がしがちで投げやりさが伺えるが。
「そっか、あの人に頼めば間違いないか。
……っていうかお母さん、ソウサイさんと折り合い悪いの?
あの人、話もわかるしいい人だよ?」
「それは私もわかってるし、嫌いな人ではないのよ?
ただ、詰めた話をした時には最後の最後で価値観の違いというか、譲れないところが噛み合わずに激論になっちゃうの。
お互いの観点は理解し合えているつもりだし、敬意も払っているのだけどね」
「ふーん。
まあ大きなところを治める人同士だし、そういうこともあるのかな」
摂泉叢斎。
摂泉国でも最も大きな港町、摂泉村において最も大きな力と存在感を持つ人物として有名だ。
随分と大仰な名であるが、御貴族様でもなければ村長でもない、ただの一介の豪商である。
しかしその圧倒的な人脈の広さと当人の器から、摂泉村においては最も尊敬される人物と断定され、彼女に逆らえる人物はごく一部を除いて摂泉村にはいない。
摂泉村にはちゃんと別に村長もいるのだが、村全体を治める最終決定権を持つその者よりも、間違いなくソウサイと呼ばれるその人物の方が発言力は強い。
普通、村一番の権力者以上の人物がいると摩擦が生じるものであるが、村長目線では彼女に任せておけば自分が楽できるので、一切やっかみもしていない。
何せ何事も丸く収める辣腕と知恵の持ち主が、しばしば最終決定だけを促してきて、それに応えるだけで村長としての仕事は万全に果たせるのだ。
さながら関白である。しかも勝手に実務に勤しんでくれる村の最大有力者の手腕が、全幅の信頼を寄せるに値する知恵者ときたもんだ。
やっかまれるわけがない。摂泉村の村長は、寝てても偉くいさせて貰える非常に幸せな立場である。
古くから女将さん女将さんと呼ばれ続け、あまりに力が大き過ぎるようになってからは、摂泉守なんちゃらとさえ呼ばれた人物である。
本人の遠慮から守などという御大層な字は省かれたが、周囲や村長の強い推奨と軽口を経て、国の名を関する姓みたいなものを押し付けられた。
名も本名をかすかに意識した、画数の多い格好付く新たな名をつけられる始末。ご本人からすれば未だにむず痒いらしい。
身内からは今でも女将さんと言われ、ナルミも含めてそれ以外の皆様からはソウサイと呼ばれて長い人物。
おかげで彼女が本来持つ短い本名は、当人の名高さに反し、定着したソウサイの名のせいで忘れ去られかけているほどである。
「あなたがあの人に気に入られているって聞いた時、私の娘も大きくなったんだなぁって思ったもの。
あんな人に目をかけて貰えるようになるなんてね。
あの人もあの人で立場上、目にかける相手は私と同じで厳選するはずなんだから、あなたも自分にもっと自信を持つべきよ」
「絶対そんな大袈裟な話じゃないって。
あの人と比べたら私なんて小者でしょ。
誰にでも優しい人だし、優しくされてるからって私もそんな驕れないよ」
「そう?
あの人けっこう過激よ?」
「知ってるよ、あの人絶対、怒らせたらほんとにやばいよ。
普通にしてれば優しいけど、私も対面した時は内心いつもびびってる」
国内最大の港町一の豪商というだけあって、本気を出したらおっかない人であるのは、諸々の情報無しでも充分察せる話である。
それ以上に、アンズ目線でもう一声加えるなら、女同士だからその潜在的な恐ろしさがひしひしと匂うとも感じる。
世に大物は少なくないが、それがいかに大きくて強いかというのは、同性であれば尚のこと敏感になれる。というか嫌でも敏感にならざるを得ない。
男の世界をよく知っているのは男の方。女の世界をよく知っているのは女の方。
正直アンズに言わせれば、理屈抜きで本能的な恐れを抱く相手と言えば、帝やテンジン様を差し置いてでもソウサイの方が上である。あとイナリ姫。
「お願いだからお母さん、私がこんなこと言ってたこと、絶対ソウサイさんに口滑らせないでよ?
私そんなことされたらちびるよ?」
「あらやだ、釘を刺されちゃった。
次の機会にあの人と話すことがあれば、それを話して大笑いできると思ってたのに。
後日あなたが、あたしのこととそんな風に言ってたのかいってソウサイさんに詰め寄られて、腰を抜かして謝る可愛い姿を想像できて面白かったのに」
「ねーお母さん、ちょっとは本性を隠してくれてもいいと思うんだけど」
冗談なのは重々承知だが、告げ口だけは本当にやめて欲しいのでむくれ顔を隠さずにアンズは訴える。
その流れは心底勘弁である。ソウサイのことだから、ナルミにそんな話を聞いたら、笑いながら詰問してくるだろう。ちゃんと冗談だとわかる顔でだ。
それでもアンズにはその冗談はきつい。本当に怖い相手なんだから。
心底おっかない上司に、お前俺にこんなこと言ってたのかへっへっへ~、とからかわれたら、平常心で冗談相応の返答が出来る筈がないのと同じである。
とはいえ、クマリと一緒に摂泉国に赴くとして、向こうで彼女の安全を確約するために頼る相手としてこれ以上の人物もいない。
怖さと頼もしさは表裏一体だ。保護を望んで受け入れて貰えるなら無敵である。
接点を求めるだけでも躊躇する相手というわけではなく、人物的には尊敬する相手なので、アンズもソウサイを頼る知恵を貸してくれたナルミには感謝する。
おかげで摂泉国において、たとえクマリが子供なりについ奔放な行動に出たとしても、大事にはならぬ保険は確保できたと断言できるのだから。
元はクマリを連れていってもいいか尋ねに来ただけであったアンズだが、やはりナルミは慧眼名高きとおり、話せば言外の悩みすら解きほぐしてくれる人物だ。
「ふふ、私も小さい頃のあなたには手を焼いたからさ。
やんちゃなあの頃のあなたに、少しでも貸してたものを返して貰わなきゃ」
「え~。
あれだけ慈しんで貰った私は親孝行すべきだと思うけど、そういう形での楽しみを提供するのは負債が勝ち過ぎると思うのです」
「だって最近はあなたと顔を合わせられる機会も少なくなってるのよ?
大人になって色々頑張ってるあなたを想像するぐらいしか、可愛いあなたから得られるものの機会も減っているじゃない。
悪い遊びなのはわかってるけど少しぐらい……けほっ、けほっ……」
「お母さん大丈夫?
最近、咳をすることが増えてない?」
「それはほら、私も年だから。
喉が痛むことだって珍しくはないわよ。けほっ……」
だからというわけでは決してないのだが、アンズはいなくなって欲しくないナルミの不調を感じ取ると敏感に反応する。
軽い風邪をこじらせたことをきっかけに、重い病気に繋がって命すら失うという事例は枚挙に暇が無いのだ。皇族ですら。
病を退ける神力を授かるアンズですら、その神力とて天命に反する延命を叶えられぬことは重々承知ゆえ、年経た母の体調は常に気がかりだ。
病に対する人の命の軽さが如実ゆえ、親や我が子といった高齢や幼年に対する心配は、アンズに限らずどこの世帯でも切なる話である。
「具合が悪くなったら軽視せずすぐお医者様にかかってよね?
お金は山ほどあるんだから、惜しんで身を崩したら馬鹿みたいだよ」
「ふふ、わかってるから。
あなたも言うようになったわね」
「もう~、そういう気を利かせた言い回しは要らないから。
心配してるんだよ?
私、お母さんが早死にしちゃったら絶対泣くんだからね?」
「わかってる、わかってるから。
私、本当に果報者だわ」
婚姻と縁が遠く、我が子を授かることも無くなったナルミが、血が繋がっていなくとも本当の我が子のような愛娘に賜れたことは僥倖に違いあるまい。
本当に真っすぐで、血の繋がらぬナルミの早世を想像しただけで、ちょっと目が潤ませてくれるほどの愛娘に恵まれたのだ。
両親を喪って天涯孤独となった、一子相伝の神職者の子を引き取った時に、これほど愛し愛される親子となることを期待できたはずもない。
身を乗り出してでも案じてくれるアンズを前に、わざわざ己も目に何かを溜めるほど若くもないが、愛娘に恵まれたとナルミが感じるには充分な一幕だ。
「小生意気に私を案じる前に、巫女の本業に勤しみながらもあなたこそ自愛なさい。
親に先立たれる子の悲しみなんて、子に先立たれる親の悲しみと比べれば極めて些末なものなのだから。
そう仰ってくれる以上、あなたも自らの振る舞いには気を払いなさいよ?」
「上手く纏めた気になって得意顔のお母さん、嫌いじゃない」
「こら、あなたそればっかりじゃないの。
照れ隠しもあるのでしょうけど、帝の血族をいじるのは控えなさいな」
「あっ、血筋を悪用し始めた!
お母さん追い詰められたらすぐそれだっ!」
皇族に他ならぬナルミに対し、こんなに忖度無いやり取りを笑いながら交わせる相手など本当に一握りだ。
そんな相手が近しい所にいること自体、ナルミも嬉しく感じるのだろう。
痛い所ばかり突いてくる愛娘の強敵ぶりに、くすくす笑って替え難さを喜ぶ無邪気さも、今やアンズ以外を前にして見せる機会も無い顔だ。
つくづく、四十路を前にしてこんなに素直に笑える機会を、年の離れた相手との対話で得られることの幸せ、それを噛みしめながら心から笑える。
クマリを神社で待たせていることを忘れているアンズではないが、こんなお母さんとの語らいを、人を待たせているから切り上げるということは出来ない。
クマリは可愛いとも。他のどんな年下よりも可愛い。
それでもアンズには、クマリほど愛する者を待たせて後で謝ることになろうとも、母とこれほど話が弾んで楽しい時間を短く切ることは出来ないのだ。
大好きなお母さん。
それこそ、仮に不敬と誹られることあったとしても、主神テンジン様にも匹敵する大切な人だとアンズは言い切って憚るまい。
神職者らしくはないのだろう。
しかし、それを一切咎めぬどころか温かく見守り一声も茶々を入れぬテンジン様に甘え、アンズも決して己の感情に素直なこの想いは否定しない。
後にそれを思い返せば、やはりアンズにとっての一番は、僅差でナルミも抜き去ってテンジン様になるのかもしれないが。
自分にとっての"一番大切なひと"というのは、なかなか完全に定義して、いつでも確たる主張が叶えられるものではない。
神職者であるアンズでもそうなのだから、きっと誰でも、いつだってそうだ。
最も大事な人、なんて甲乙つけ難くて当たり前である。
愛に序列など付けられぬのは、きっと千年経っても変わるまい。
ナルミに許可を貰ったら、山波神社で待っていたクマリに会いに行き、話が望ましい方に纏まったとまず伝える。
クマリの喜びようはなかなかのもので、はじめ彼女を旅の連れにすることに躊躇あったアンズも、この笑顔に見上げられたらまあいいかと思えたものだ。
タケスエに護衛されて桑原村に帰る前のクマリに、ちょっとばかりの約束事を結んだ。
今回のことはみんなに内緒、と。
山波村の子供達を出し抜いた形と言えばそうだし、あまり自慢して周りを羨ましがらせることもあるまい。
クマリも抵抗無く頷いた。むしろ、大好きなお姉ちゃんと私だけの秘密が出来たみたいで、少し楽しそうにも見えたほど。
明日の朝、桑原村に迎えに行くからね、と予定を結び、タケスエに連れられたクマリを見送って。
アンズも、クマリも、明日が楽しみで仕方なかった。
よく言われることだが、明日の生存も約束されていない農民にとって、定まった明日が楽しみというのは贅沢なほどの幸せである。
翌朝、アンズは普段よりも早起きし、朝食、湯浴み、朝太鼓、境内の掃除といった日課を、暗いうちから早々に済ませて。
神力の雲を作り、それに乗ったら山の向こうの隣村、桑原村までひとっ飛び。
巫女としての仕事以外で神力を便利に使うのは普段控えているのだが、滅多に無い機会かつ時間の惜しい、こんな日ぐらいは構わないだろう。
明日の朝からは摂泉国に宿泊するため、朝太鼓が打ちづらく神力を節約したい日々に入っていくわけだが、それを踏まえても許容範囲である。
「…………おはよー、お姉ちゃん」
「おはよう……あれ?
寝坊した?」
「してないけど……」
朝早くから桑原村に辿り着き、村の入り口を守る百姓にご挨拶し、クマリの家へと真っすぐ向かったアンズ。
お姉ちゃんに会えれば、待ち遠しかった思いを満面の笑みで表し迎えてくれるはずのクマリは、眠たげな目をこすって若干元気が無い。
この子は寝起きが良い方であるはずなのだが。一緒に寝たことも多いから知っている。
体調でも悪いのかな? とアンズが少し心配し始めるぐらいには、いつものクマリらしからぬ元気の無さだ。
「お姉ちゃんに謝らないといけないことがある」
「え、どうしたの」
「みんなに、せずみのくにに行くことがばれた。
隠しとおそうと思ったけど、だめだった。
ごめんなさい」
ああ、別にそんな神妙な顔で頭を下げなくても。
山波村の子供達にはばれたくない話であったが、アンズも桑原村の子供達にまでは、無理に隠し通して欲しいとも思ってはいなかった。
どうせこの後、数日クマリは桑原村を離れて外泊するのだ。
村の活気に毎日貢献している明るいクマリがそれだけ長く不在であれば、理由を知りたがる子供達も後から、クマリに聞くなりして事実を知るだろう。
どうせ桑原村の子供達にまで、一生秘密にしておけるはずはなかったはずである。
「まあまあクマリ、それは別にいいんだよ。
山波村のみんなには秘密にして欲しかったけど、こっちは別にさ。
でも珍しいね、喋っちゃうなんて。
クマリは黙っておこうと思うことはちゃんと黙ってられる子なのに」
「アンズさーん、こいつのせいです」
「うぅ……」
しょぼくれたクマリと玄関前で話していたら、村の子供三人ほどが寄ってきた。
かなり朝早い時間であり、子供が外を出歩き始めるような時間帯ではない。
何らかの事情があって、アンズがクマリの家に来るのを待っていたと見える。
「おや、桑原村の自警団の皆様ではございませんか。
お名前覚えておりませんので、皆様お名乗り下さいませ」
「はい、"はみみん"です」
「"あままらま"です……」
「へ、"へこすか"です……」
村の子供達が勝手に結成した自称村の安寧を守る自警団の皆様は、みんな隊長クマリに貰った変な名前を二つ名としている。
もっともクマリ本人は自警団という概念には興味が無く、勝手に隊長に祀り上げられながらも知らんぷりしているようだが。
実質的に自警団を仕切っているのは、何だか今はばつの悪そうに背中を丸めた少年、へこすかである。
「こいつが昨日、クマリに問い詰めて半ば無理矢理に聞き出したんですよ。
クマリは黙っておきたかったのに」
「へこすかは、空気がよめない……」
「く、クマリ隊長、すみませんでした……
どうかお許しを……」
「ゆるさん。
どっかいけ」
しっかり者の女の子、はみみんが説明してくれたのだが、昨日へこすかが軽くやらかしたそうな。
へこすかは、明日みんなで大掛かりな訓練をしようと意気込んで、隊長クマリにそんな話を持ち掛けたらしい。訓練と言っても子供の遊びに過ぎないが。
そんなこと言われても、明日は朝からお姉ちゃんと一緒に摂泉国に行く予定のあるクマリが、そんな話に乗れるわけがない。
みんなと遊ぶのは勿論好きだが、お姉ちゃんとの滅多に無い楽しみな機会を蹴ってまで、そちらを選べようはずもないのである。
クマリも困ったもので、自慢したくないから明日一緒に遊べない理由も話せず、へこすかへの返答を散々濁し、はぐらかし、逃げようとしたのだけど。
事情を知らぬとはいえしぶとく食い下がって、どうにかどうにかとクマリの参加をせがんだへこすか。
いくら言っても引き下がってくれないので、クマリも渋々明日はお姉ちゃんと遊びに行くんだから、と白状せざるを得なかったのである。
お姉ちゃんとの二人だけの大事な秘密だったのに……と、たいそう恨めしげな目で睨まれて、ようやくへこすかも自分の失敗を自覚できたらしい。
幼く前のめりな好奇心で詮索をし過ぎた若き失敗なので、可愛いものに過ぎはしないのだが、クマリは今も怒っている。
すっかりへこんだへこすかが、赦しを求めて近付こうとするが、突っぱねるクマリの目の冷たいこと冷たいこと。
ほんのちょっとしたことなら日を跨げば気にしないクマリだが、お姉ちゃんを裏切らせられたようにさえ感じる発端を作った奴は、なかなか許せない模様。
「一緒に連れていって下さい、なんて言いませんので。
クマリと二人だけで楽しんできて下さいね」
「……一緒に行きたがった子もいたけど、私達がなだめてあります。
うちのへこすかのせいで嫌な気持ちになったクマリに、アンズお姉ちゃんを独り占めさせてあげて下さい」
「なんかしっかりした子達だなぁ」
「へこすかが馬鹿なことばかりやるから、周りがしっかりするしかないんですよ」
「自警団、楽しくはあるんですが……」
はみみんも、あままらまも、十一歳と九歳の女の子なのだが、ちゃんと敬語が使えて立派なものである。
朝早くからわざわざ事情を説明しに来てくれるぐらいなので、この二人は桑原村の子供達の中でも特にしっかり者なのだろう。
突っ走りがちな仕切り屋さんがいると、そのそばで色々支えざるを得ない周りが苦労するというのは、子供同士ですら変わらないらしい。
「なんか知らないところで色々やってくれてて助かるよ。
それじゃあ、御挨拶もあんまり出来てないけど早速出発しようかな。
クマリも、早く行きたいでしょ?」
「うん。
へこすかと顔あわせたくないし」
「はぐう、っ……!」
一生口を利かないというわけではなさそうだが、当分赦す気は無さそうなクマリに、へこすかは後ずさるほど痛めつけられている。
ああ、この子はきっとクマリのことが特別大好きなんだろうなと、付き合いの浅いアンズにもよくわかる。
普段から親しくしているはみみん、あままらまも、当然よくわかっているだろう。
クマリに嫌われて肩を落とすへこすかに、普段から彼のそばで補佐に回っているしっかり者はみみんが、ちょっとざまあみろの顔をしているのも気になるが。
この子もこの子で、酸っぱい口でへこすかを酷評する割に、同い年のへこすかに対して何らか想うところがありそうで若干興味深い。
「それじゃクマリ、雲に乗って。
へこすか君も、ちゃんと反省するんだぞ?
きちんと反省すれば、帰ってくる頃にはクマリもきっと赦してくれるから」
「ほしょうはしない」
「て、手厳しい……よっぽど怒ってるね……」
アンズが太鼓を顕して、"伏"の太鼓を打って生み出した雲に飛び乗ると、高さを下げてクマリに手を差し伸べる。
お姉ちゃんと一緒に雲に乗れるなんて嬉しいことのはずであり、そうして早くクマリの機嫌を取ったアンズであったが、クマリはへこすかを一瞥してぷいっ。
機嫌が直りきっていないまま、アンズに引き上げられると彼女に背中から抱き着いて、またへこすかを睨みつける。
アンズ絡みで嫌な想いをさせられたら、こんなにクマリは怒るんだと、初めて知ったアンズもなんだか複雑にむず痒い。
「それじゃあ、行ってくるね。
桑原村にお土産も考えておく。楽しみにしておいてよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
「お気になさらず……」
「クマリ隊長ぉ~……すみませんでしたぁ~……」
はみみんとあままらまだけに手を振って、へこすかにはしっしっと手を振るう仕草を見せるクマリに苦笑いしながら、アンズは西へと雲を駆けさせた。
しっかり者のはみみんは、背筋を伸ばして手を振って見送ってくれた。
気弱そうに見えるあままらまだが、お土産と聞いて少しわくわくしたのか、しかし慎み深い言葉を敢えて使う器量がある。
普段は元気の有り余った男の子であるへこすかが、クマリに拒絶されるとあれほど落ち込むのだから、内心に抱える想いを想像すれば面白い。
隣村の子供達ゆえ、付き合いは山波村のそれらよりも薄くはなるが、どこの子供にもちゃんと個性があって、久しぶりに会うたび楽しいものだ。
みんな、可愛い。
気心知れたクマリが一番可愛いのもまた、言うに及ばぬ話である。
不機嫌の理由であるへこすかと離れ、顔を出し始めた朝日を背に西へ向かう空、涼しい風を気持ちよく受けるクマリも、きっと機嫌を直し始めている。
落ちないようにするためではなく、大好きなお姉ちゃんともっと密着したい想いで、ぎゅうと抱きしめてくる腕の力がその証拠だ。
「お姉ちゃん、いっぱい遊んでね。
いっしょうぶん」
「うん、わかってる。
楽しい旅行にしようね」
こうした子供っぽい言葉遣いも、クマリがもっと成長すれば、いつかは聞けなくなるのだろう。
幼いクマリと大人と子供で遊べる今という時間も、やがては懐かしくなる日が訪れる。
明るい未来を夢見るのも悪くはないが、しばしば、今という時間にのみ許された幸せというものも、見落とし零さぬようにしないのも大切なことだ。
けして百年も生きられなくても、人生というものはまだまだ長いのだから。
一時はクマリを連れていくことも控えようとしたアンズだが、やっぱりこうして肌を合わせると、この方が良かったような気がしてくる。
巫女としての立場、責任、使命を重んじ、己の行動を律する志は立派だが、それに固執し過ぎず、肩の力を抜いて遊ぶ日が、アンズにあってもいいはずだ。
まだ、十七歳なのだから。
大人にだって、絶えず大人でいなければいけない理由は無い。大事な時だけ、大人としてしっかりしていればいいだけの話である。




