第四一話 ~お祭りに向けて~
朝が寒くない季節になってきた。
桜が満開であった日々を過ぎ、木々の緑が深みを増す頃、農民の流す汗もひと月前より如実に増える。
いかに寒い冬であってさえ、一日の間でも長い時間を占める農作業に身を呈していれば、流れる汗に風邪を引かぬよう気を遣うものだ。
すっかり温かくなってきた日中に、畑仕事に精を出せば、間もなくして滴る汗で誰もの肌が光輝こうというもの。
そんな汗臭い光景が散見され始めるのも、農民達にとっては毎年の風物詩であり、かつ良い眺め。
遠き収穫の日のため、辛抱しながら農業に勤しんでいた冬よりも、収穫期が近付きつつある中での農作業は、暑さに愚痴を零しながらも夢見が良いからだ。
後はふた月み月後に増える台風さえ加減してくれるなら言うことなし、なんて心の片隅で考えつつ、農民が収穫期を思い描いて色めきだす時季である。
夏に至ればその暑さに嫌気が刺すこともあろう数ヵ月前、すっかり暖かくなった春は本当に過ごしやすい。
誰もが言う。今のうちにこの満ち溢れた温かさを堪能しておこうぜと。
寒かった冬を過ぎ、やがて訪れる暑い夏の前、ぬくぬくの陽気に晒されて外で眠くなることすらある、気を抜けばだらしなくすらなる季節。
大人も、子供も、春が大好き。暑がりも寒がりもこの季節だけは幸せ。
この幸福季が去ってから、暑さの中であの心地良さを惜しんだ経験は誰しもある。
そんな経験を五年も覚えれば、意識してでもこの暖かさをありがたく堪能しなけりゃ勿体ない、という思想が根付くのも当然である。
さて、そんな春爛漫の晴れた今日も心地良いある日。
山波村の長であるナルミがお住まいの、玉依御殿に足を運んだ一人の巫女。
たいした用事が無くとも実家感覚で気軽にここを訪れる彼女であるが、今日はナルミ様あるいはナルミお母さんから呼び出しがあって訪れている。
本来お偉い様の呼び出しとあれば、何かあったのだろうかと多少は緊張しても良いところだが、招かれた巫女はわざわざ懸念を抱いたりはしない。
ご招待の手紙の文脈は柔らかく、たまにはうちに来てゆっくりお話しましょうという程度のお誘いでしかなかったからだ。
山波村の民草にとっては、帝の親族で雲の上の人物でしかないナルミも、山波神社の巫女にとっては大好きなお母さんでしかないということである。
「はい、おしまい。
そろそろちゃんとお話しましょ?」
「やだ。
もっとやって」
「これ以上何をどうしろっていうのよ。
あなた膝枕から離れたくないだけじゃない」
「や~だ~。
もっとこしこししてぇ~」
玉依御殿の謁見の広間に二人きり、山波村の村長ナルミと、山波神社の巫女アンズ。
姿勢よく座った貴人の膝枕に耳を預けたアンズは、もう耳掃除はいいでしょうと言うナルミに、我が儘全開で母の太ももにしがみつく。
三日に一回ちゃんと自分で耳掃除しているくせに、耳垢も無い綺麗なそれをお母さんに掃除してとせがむ、困った幼い甘えん坊である。
誰も見ていないからって本当にだらしない。
後でテンジンに呆れたお小言を言われる可能性が存分にあると理解しながらも、この快感に心も体も蕩ける時間だけは捨てたくないらしい。
「そろそろ足が痺れてきそうなのよ~。
もう充分でしょ? 駄々をこねないで」
「くそぅ、そう言われちゃうと起きるしかない」
甘えてくれる愛娘が可愛いからナルミもつい甘やかしてしまうのだが、招いた本題の話もしたいので、流石にどこかで切り上げねば。
アンズの望むままにさせているときりがない。
渋々アンズは身を起こし、ずぼらな姿勢で寝ていたせいでよれた襟を正しつつ、ナルミと向き合う形で座る。
足先はお尻の左右に逃がしてぺたんと座った、これまた崩れた座り方。帝の親族相手にこんな座り方が出来るのもアンズだけである。
「ねえアンズ。
毎年そろそろこの時期になると、こども祭りを執り行うでしょう。
準備はもう進めてる?」
「うん、演目の祭太鼓はほぼ仕上がってるよ。
今年は結構速めで明るく、賑やかにいこうと思ってるんだ」
「ふふ、それはいいかもね。
隣国にもこのお祭りの風習は知れ渡るようになってきたし、去年も摂泉や大奈からのお客様が多かったですもの。
今年は去年よりも盛況になるでしょうし、そんな祭太鼓でお任せしたいところだわ」
山波村では、年に何度かお祭りを催している。
間もなく訪れる端午の節句、子供達の健やかな成長を願う意味も込め、こども祭りと呼ばれる祭を開くのだ。
十日後にはその日ということもあり、村長であるナルミもそろそろ、祭の準備の最終段階に入ろうという頃合いである。
そんな彼女の身近にて育てられたアンズも、祭の開催と共に叩く太鼓の演目を任される身であることもあって、準備は早くから余念が無い。
念のために尋ねておいたナルミであったが、やはり信頼していたとおりの返答であり、念を押す必要の無かった自慢の娘だと微笑みを浮かべるばかり。
「実は今年は、アンズにもう一つ頼みたいことがあるの。
聞いてくれる?」
「なんでもやるよ!
任せておいて!」
内容も聞かずに即答。大好きなお母さんに頼まれたことなら何でもやる。
巫女の本業、時間が余れば村の農作業の手伝い、普段から忙しくしている身でありながら、珍しくナルミからのお願いがあるとなれば更なる多忙も上等。
甘えん坊ぶりで母を困らせることも多い十七歳だが、それを補ってこの当然のような献身性は、母もたまにはと甘やかしたくなるのも納得である。
「毎年いつもは、私やナベツナが村のお飾りを決めているじゃない。
今年はあなたも、あなたなりに考えてくれたものを何か飾って欲しいのよ。
忙しいでしょうけど、考えてみてくれないかしら」
「お飾りってつまり、菖蒲の仕入れとか兜の折り紙とか、いつも用意してるもの?
そこに、私の考えたものを加えるってこと?」
「ええ、若いあなたの意見も取り入れてみたいわ。
筆場で子供達に案を集めてくれてもいい。
私達だけで毎年考えてきたけれど、たまには新しい風を入れていった方が、一風変わって去年と違った色が出ると思うのよ」
端午の節句のお祭りには、いくつか定番と言える風習があり、今アンズが例に挙げたものなどはその最たるものだ。
祭で賑わう村の所々に、鎧や兜を飾る。やんちゃな男の子達が、怪我も少なく健やかに育っていくことを祈って。
菖蒲などの多種の薬草を厄除けの象徴とし、酒に入れたり、湯に浮かべてその身を沈めたりする。健康を祈願して。
それらの発案者とはナルミやその腹心である辺綱であり、幾度か開かれてきたこども祭りでは、そろそろ定番のものとして憶えられ始めている。
すべてがすべて、何らかの物を物理的に飾ることを差すものではないが、それらの総称を"お飾り"という言葉で括っている。
「ほら、あなたは筆場でも札を使った遊びをしながら子供達に文字や数字を教えたり、面白いことを考えてくれるじゃない。
その発想力を活かして、今までにないお飾りを考えて欲しいのよ」
「う~ん、期待されるとそれに応えられるか不安になっちゃうけど……
でも、考えてみようかな。
引き受けた以上は、必ず何か用意はするから」
「ふふ、頼もしいわ。
急にした話だから不安にさせるかと思ったのに、そう言ってくれるなんて」
「お母さんに頼まれたら何でもやるし、行き詰まっても諦めないよ?
考えてみたけど何も思い付かなかった、なんて意地でもそうはならないから」
自信があるわけでもないであろうに、言い切って誓えるのはたいしたものだ。
何が何でもやり遂げる決意を固めるのが早い。相手を不安にさせないための笑顔を浮かべて返答することも怠らない。
巫女としての本業に努める時の心構えと何ら変わらぬものであるのは、これが彼女にとっては元からの自然体であるからだ。
「ええ、頼りにさせて貰うわ。
だけど、そうは言っても何の取っ掛かりも無い所から、今までに無い発想を導き出すのも大変じゃない?」
「それはまあ、ちょっと思ってるけど」
「だったら、たまには地元を離れて隣国にでも赴いてみない?
摂泉国なんて、常に新しいものが溢れていて良いと思うわ」
「摂泉かぁ。確かにそうかも。
でも私、何日も神社を離れるのは良くないんだけどな」
アンズの新しい仕事の一助として、ナルミも提案を用意していたようだ。
山波国の西に隣する国、摂泉。
和大国最大級の港を擁し、商人が最も集うとされるその国は、商いにおける大陸内最大の盛況を誇るとされている。
京を擁する山波国や、幕府を擁する東国すら差し置いて、これに関してのみは和大国一と断言されるのだから相当なものであろう。
海の向こうから得られる、和大国には無き発想すら一番早く仕入れられるその国に赴くことは、新たな発想を得るにはうってつけにもなり得るはずだ。
「地元に根差した地道なお仕事も大切だけど、あなたも見識を広げなきゃ。
私だって、こうして山波国から出ることも少ない身分だから、なかなか新しいことが思い付かなくてあなたに頼ってるのだとも思ってるのよ?」
「う~ん、そうかぁ。
お母さん、お飾りの仕入れで摂泉の商人様と関わることも多いはずだけど、現地に赴いてるわけではないもんね」
「商人様から他国の話を聞く機会は多いけれど、やっぱり、その目と耳で実際に見て聞いて得られるものには必ず劣るはずよ。
ね? あなたには、そういうことも任せてみたいのよ」
こうして聞くと恐らくは、端午の節句に新たな風を招き入れるためだけではなく、アンズが他国で新たな見識を得てくることをも視野に入れていたのだろう。
それも仕事のためではなく、根底は、彼女自身の成長のため。
頭を下げる頼みごとをする立場でありながら、頼む相手にも得るものがある道をあらかじめ用意している辺り、やはりナルミは指導者として傑物だ。
単なる報酬を用意することは誰にでも出来る。形無き財産をもたらすことで恩に報いる発想は、それ以上に難しく偉大だ。
「路銀も用意させて頂戴。
遠慮なんてしないでね? あなたには、行ってみて欲しいの。
それも含めて私のお願いだと思って、それを手に楽しんできてね」
「うん、わかった。
ありがとう、お母さん」
「ふふ、お礼を言うべきは私の方であるはずなのに」
頼む側だとか頼まれる側だとか、感謝という概念はしばしばそれを超えていく。
お願いを受け入れ、全力を尽くすと誓ってくれる愛娘にも。
そのためならばと新たな提案を挙げ、協力を惜しまず、良い経験を積ませてくれる心算の母も。
お互いが、お互いに感謝し合える。上も下も無い。
自ずと相手の幸せを考えられる者同士が、相手がそうした人物であると信頼し合えてさえいれば、こんな一幕も何ら珍しいことではない。
親子だと互いを認識し合うアンズとナルミだが、そもそも二人は血が繋がってるわけでも何でもない。
二人の絆をよく知る者であればあるほどに、しばしばそれを忘れてしまうほどである。
「そんなわけだから、明日から私、神社をしばらく留守にしちゃうんだよね。
申し訳ないんだけど、しばらく神力での治療は出来なくなっちゃう」
「いいよ別に、今日まででも散々世話になってるし。
おかげで信じられねーぐらいこの腕が早く治ってきてるわ」
翌朝の山波神社、アンズの住まい家。
しばらく前に、アンズと共に大和龍山で鬼と戦ったコナツは、誇張無く毎朝この神社に通っていた。
もの凄い痛みを伴う、神力によって傷の癒しを早める処置に、一日でも早い全快を望むあまり連日耐えてきたのである。
毎朝コナツの顔を見るたびに、大奈国に恐れを振り撒く鬼の根絶に彼がどれほど懸けているのか、アンズも痛感するばかりであった。
襟を噛んででも歯を食いしばって激痛に耐えるコナツの執念もあり、想定以上の治療を幾度も受けた彼の腕は、もう手を結んで開いて出来るほど回復している。
今もその左腕は添え木を当てて吊っているが、もうそれをはずしても問題無い域には達しているだろう。
今日なんて稲妻の神力を怪我したその腕に流しても、多少眉が動く程度でさほど痛がってもいなかったのがその証拠だ。
神力稲妻による治療が凄まじい痛みを伴うのは、怪我した箇所を雷撃が攣らせるからであり、完治に近い状態なら重傷時ほど痛くもならないのである。
「普通に完治を待てば何ヵ月もかかっただろうし、変な骨のくっつき方して腕の形も変わりそうなものだったのにな。
すげえ助かったよ。俺が思ってた以上に神様の力って頼もしいや」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの、コナツさんや。
でも、そこまで良くなったからって、完全に治るまではまだ無茶しちゃ駄目だからね?
過ぎると忘れがちだけど、本当に重傷だったんだからさ」
「ああ、わかってる。
焦って軽率なことして向こう何年もを棒に振るようなことはしねえさ」
悲願のためなら無理をしそうな友人だからアンズもそれを懸念していたのだが、どうやらわかってくれているようで一安心。
一日でも早い目的達成を強く望む一方で、そのために万全を尽くすためなら辛抱も利く、それがコナツと信頼してよさそうだ。
心配している相手が賢明と知れるというのは、なかなか嬉しい話である。
それにしても、お互い肩の力を抜いた座り方で、友達同士の気軽いお喋り。
神力治療を終えた後のお決まりになりつつあり、つまり毎日やっていること。
今やコナツも、女の子の一人暮らしの家に招かれて抱く若い緊張感すら無く、すっかり気楽に過ごしているものである。
アンズ本来の貞操観念からすればあり得ないほど、彼女も当たり前のようにこの毎朝を愉しんでいるのだが、それを目の当たりにするテンジンも指摘はしない。
知らず知らずのうちにこうなっているなら、放置した方が絶対に面白い。
「コナツも一緒に来る?
摂泉国、きっと楽しいよ」
「誘ってくれるのか。
嬉しいけど、ちょっと遠慮しておこうかな」
「あら即答。
ちょっとしょんぼり」
「摂泉国は何度か行ってるしな。
あそこ案外、喧嘩になりそうな瞬間が多いんだよ。
身体を大事にしなきゃいけない時に行くべき場所じゃないんだわ。
元気な時に行く限りだと面白いんだけどな」
「ああ、行ったことはあるんだ?」
「血の気の多い奴が多いからな~。
変な話、行く場所次第では喧嘩が強くなるんだよ」
「動機おかしいよ」
「いや、別にそれ目当てで行ってるわけじゃないんだけどな。
俺もたまには息抜きしたくなることはあるし、摂泉国はそういう意味ではうってつけの場所には違いねえさ」
ほぼほぼ冗談で言っている話ではあるし、二人とも談笑しているだが、アンズも今の話全てが笑い話だと思っているわけではない。
アンズも摂泉国に行ったことはあるし、風土もよくわかっている。
そもそも有名な話だが、摂泉国にはなかなか血気盛んな大人が多いのだ。
良くも悪くも皆様感情には素直であり、優しい時はわかりやすく優しいが、一度怒ると怒鳴りはおろか手が出る人も多い。
美徳でもなく悪習でもなく、摂泉国の個性である。
その地特有の事情もあるので、知識人には否定されない。アンズもコナツも理解には及んでいる。
「っていうか、アンズは大丈夫なのか?
その感じだと日帰りじゃなく、何日か向こうに滞在するんだろ?」
「そうだけど、なんで?」
「神様の力、一日一回毎朝神社で太鼓叩いて回復させてるんだろ。
向こうじゃそれが出来ないだろうけど大丈夫なのかって話」
「ああ、それは別に。
別にあれしなくたって、一晩あれば三割ぐらいは回復するから。
普段やってるのは常に万全にしてるってだけ」
「それ聞いたらちょっと安心したけど、女の子一人で行くんだろ?
強い連れの一人ぐらいは誘った方がいいぞ。
俺は無理だけど」
「あっ、コナツは自分を強い認定してる。
えらそーに」
「当たりめーだろ、人間相手に負けるわけねえわ。
戦争乱ならともかく個人同士の喧嘩で誰にも劣るかよ」
行間を理解し合って話を進めているが、要は喧嘩の多い村に、女の子のアンズが一人で赴いて大丈夫かとコナツは心配している。
神様の力があれば、いかにあれが妖魔相手に特効とは言っても、人間相手にも自衛の意味では有力なのも確か。
保身のためには最後の保険となり得るその力が、何泊かすることで枯渇すればお前危なくないか、と案じるコナツもまあまあ心配性である。
それだけ、アンズのことを赤の他人と見做さなくなった表れでもあるが。
「大丈夫大丈夫。
コナツは神様の力で戦う私の姿しか見てないから知らないと思うけど、私けっこう危機回避能力には自信あるんだから。
これは驕りじゃないと思ってる」
「お前がそう言うならそれでいいけどなぁ。
勘弁してくれよ、向こうで大怪我するとか。
な~んかお前、正義感強いのもあって、揉め事に自分から顔突っ込んでいきそうな気配もあるし」
「え~、そう見える?」
「即否定しねえ時点で自分でもそう思ってんだろ」
「うぎぐぐ」
すぐに大丈夫だよと言わない時点で、多少は自覚があるのだろう。
そろそろコナツも、やりとりからアンズの内心を読めるぐらいには彼女のことがわかってきている模様。比較的わかりやすい子ではあるが。
テンジンも、コナツからは見えないがうむうむと頷いている。
「私だってそこまで賢くない奴じゃないから。
馬鹿にしないでくれたまえ。
無用の揉め事はちゃんと回避する自衛力はあるんだからね」
「近い近い、わかったよ。
お前そうやってずいずい顔近付けてくるの癖になってんのか」
「いや別に癖には……
思い返せばそうだね、コナツにはよくやってるね。
きっとコナツが私をよく怒らせるからだと思う」
「摂泉のおっさんどもと同じこと言うんじゃねえよ」
「あ~、気の短い皆様は確かによく仰るね。
怒らせる方が悪いんだろ、って。
案外、存分に一理あるけど」
「まあそれぐらいに摂泉のこと知ってるなら大丈夫そうな気もするけど」
落としどころが見つかりにくくなった話を、強引ながらも案外無理なく纏めてようとしてくれる辺りも含め、コナツは話しやすい相手だとアンズはよく思う。
お喋りで、歯止めが無ければいくらでも延々話せてしまうアンズは、話の締め所を自分で用意しないとなかなか話が終われないことが多いのだ。
突っぱねるでもなく黙るでもなく、話の節目に線を引いてくれる人というのは優秀な聞き手だが、そんな相手はアンズのような多弁には殊更ありがたい。
「最悪向こうで何かあって、神力空っぽ寸前になっても、宿をほっぽりだして雲に乗って夜だけ神社に帰ってくることも出来るしね。
そしたら翌日、時間はかかってもまた神力満点で摂泉国にはいられるから。
そんな忙しくなるようなことは避けるけど、万一の場合の対策だって考えてはあるよ」
「色々考えてあるならいいけどね。
ともかく、余所の国には余所の国なりの立ち回りがあるからさ。
よく気を付けて元気な顔で帰ってこれるようにな」
「親みたいなこと言うねコナツ。
あなた私と同い年だよね?」
「お前のこと知れば知るほど、誰でも同じようなこと言うと思うぞ。
お前のことを一番ご存知の神様にでも尋ねてみたらどうだ」
「む~ん」
『尋ねんかい』
(嫌です)
『かっはっは』
そうなんですか? と脳裏でテンジン様に尋ねてみようとしたアンズだが、やめといた。
どうせコナツに共感する言葉を返される気がしてならなかったから。
案の定、自分から声をかけてきたテンジンの、コナツの言うとおりだぞという笑い声を聞いて、尋ねなかった私は正しかったとアンズも思うわけである。
「久しぶりに余所の国に遊びに行く機会が出来て、せっかく楽しみになってきてるのに。
コナツもうちょっと明るい気分で行けるように背中押してよ。
心配してくれるのは嬉しいけどさ」
「あぁ、じゃあ俺が知ってる限りだけどお勧めの場所とか教えておこうか?
一応俺も色んなとこ回ってきたから、詳しくはなったつもりだけど」
「あーそういうの頂戴。
そういうとこどんどん出していこう」
「中心地の摂泉村は勿論だけど、あの国けっこう見所多くてさ。
特に神職者のお前にとっては面白いかもしれない場所が――」
コナツの提案に目を輝かせたアンズが、興味津々の顔で座ったままずいと近付いてきて、コナツも近すぎるとばかりに少し後退。
すっかり異性同士であることも忘れた付き合いを重ねる二人であるが、たまにアンズの人懐っこさが、コナツに女の子相手であることを思い出させる。
そんな時にアンズは未だ無自覚だから、眺めるテンジンは面白い。
うちの愛娘が初心な若者を知らず知らずのうちに誑かしているなぁと思うたび、お前の春は近いんだか遠いんだかわからんとばかりに笑える。
春真っ盛りのこの季節、アンズやコナツに限らずみんなどこか、この過ごしやすい温かさの中で解放的になることも多いと神様は知っている。
何ならそうして春先に縁を深めた異性同士が、翌年の梅雨時頃に祝言を上げることも多いということも。
繋がり合ったきっかけが些か特殊で、この二人がそんなよくある前例に当て嵌まりにくいことは、テンジンだって承知の話である。
しかし、可愛い我が子がこうして新しく出会えた友達と、こうも深く、親しくなっていく姿というのは、日々見届けられるだけでも楽しくて仕方ない。
世の男親が、愛娘と四六時中一緒にいられるはずもないし、すべてを見守ることなど出来はしない。どれだけそうしたいと思っていてもだ。
私はいい立ち位置にいるなぁと、テンジンは父性さながら思うわけである。
「えーそれ絶対行く!
外泊長くなって神社を留守にしてでも行く!
そんなの行くの諦めてたら巫女じゃない!」
「食いつきすげえな。
話せてよかったわ、そんな喜んでくれるとは思わなかったもん」
「もっと無いの? 全部聞かせて!
せっかく行くんだから満喫してきたい!」
「おう、まだまだあるぞ。
摂泉村に向かう街道からちょっと逸れるとある市場村なんだが――」
無邪気にコナツの話を聞きたがるアンズと、求められることが嬉しくて饒舌になるコナツ。
本当に、眺めるテンジンをして、これほど楽しい若者の会話はそうそう無い。
あの話したがりやのアンズが、懇意の友人の話を聞くことに夢中な姿も。
そんな女の子にもっと聞かせて聞かせてとせがまれて、なんだか楽しくなってきちゃうコナツが知ってること全部を次々話そうとする無垢な姿も。
若いというのはいいものだと、しみじみ思うばかりである。
神様になる前、人の身であった自分の若かりし日と同じものを、やはり後の世の若者達も同じように歩むのだ。
青春という言葉を初めて作った人物は、本当によくわかっているし、凄い。
過去数千年も、この先数千年も、人の世が続く限り必ず存在するこの輝かしいものを、そんな短くも美しい言葉で集約した感性は見事と言う他ない。




