第四十話 ~明日を祈る~
「じゃあ、明日も来るよ。
今日と同じぐらいの頃でいいか?」
「うん、待ってる。
ご飯も用意しておくから、何も食べずに来ていいよ」
「あんまり世話になるのもどうかと思うんだけどなぁ」
「それはほら、きっつい目に遭わせるのは確かだし……
ねぎらいみたいなものだと思って、受け取ってくれていいよ?」
苦笑しながら頬をかくアンズと、見送られるコナツが、ちょうど鳥居の境を挟んで対面する形になっている。
どのみちこれからアンズも朝の村に繰り出すつもりなので、しばらく進む方向は一緒なのだが。
どこかで道を分かつ前に、明日のことを少し話して、互いに予定を確かめ合う。
「なんかそれ言われると遠慮しなくていい気がしてくるわ。
あれ本っ当に痛ぇんだよ、アンズは経験ないんだろうけどさ」
「わかるよ~、見てれば。
あのコナツが泣いて歯を食いしばるぐらいなんだから」
「やめろその言い方、負けた気になる。
ちゃんと耐えきっただろが」
「あわわ、ごめんなさひ」
涙を流したことを女の子に見られるのは、男の子としては格好が付かない気がして、コナツも一歩詰め寄って意地を言い表す。
そこはあまりいじらないで欲しいと、ちょっとは強調しておきたい。
アンズも良くないところを言っちゃったかなとちょっと反省するが、あくまでもちょっとである。
親しい仲にも礼儀ありとは言うものの、親しい友達同士なので、過剰に気に病まず少しの反省で済ませておく程度でちょうどいい、なんてのもよくある話だ。
「最後、つまんない話しちゃったけど、あまり重く捉えてくれなくていいからな。
一蓮托生を誓ってくれたお前を除け者にするつもりはないけど、あくまであれは、俺の問題だ。
こんなことまで背負わせたくはないし、俺が自分で何とかしたいとも思うからさ」
「うん、わかってる。
だいたい聞いたのは私みたいなもんだよ?
つまんない話なんかじゃない、大事な話だったよ」
別れる前に、これだけは念押ししておきたいと発するコナツの言葉に、アンズは首を振って柔らかな笑みで応えた。
神力を注ぎ、コナツの腕を癒す処置を施した、少し後のことだ。
きつかったら毎日来たりしなくていいよ、と言ったアンズに、脂汗まみれの顔でコナツは、いや明日も来たいと即答した。
戦う力を求める動機が動機だけに、予想外の突っ張りようではなかったが、やっぱりどこかその愚直さに、心配せずにはいられなくなるのだ。
無茶せず何日かおきでも、と自愛を勧めるアンズであったが、コナツはしばしの沈黙を挟んで、ちょっと聞いてくれるかと別の話を切り出してきたのである。
コナツはその時の話を、"つまんない話"だと言う。
でも、アンズにはつまらない話には聞こえなかった。
復讐の一念のみで戦い抜いていると見えたコナツも、きっとその心の奥底にあるものは、ただそれ一つだけの想いだけではない。
そうだと知れば、明日も明後日もそのまた明日も、激痛に耐えし果ての一日でも早い完治を望む、コナツの願いは遮れない。
彼が切実に望むものをちらつかせた身分として、最後までそれに寄り添う覚悟もすぐに固められた。
「私は絶対、何があってもコナツの味方だよ。
頼みたいことがあったら、何だって言ってね?
私に出来ることだったら何でもする。約束するよ」
「……はは。
でっかい恩を積みに積んで、いつ返しきれるかわかんねえようになりそうだな」
「復讐もいいけど、それが終わった後のことも、少しは考えておくんだよ?
どんなに、生涯を懸けてでも、果たそうとした夢があったって、叶えた先にも、まだまだ人生は、続くんだからさ」
アンズは朗らかに笑う表情でありながら、聞き流して欲しくない言葉として、幾度も文節を敢えて切る話し方によって強調した。
長い人生、それさえ果たせるなら他には何も要らないと、刹那的であろうとも強く願うことが何度だってあるだろう。
一生のお願い、という言葉があるように。
それを、二十歳にも満たぬうちに、たった一度のそれを使い切ってしまいたくなることなどざらにある。
恋するあの人と結ばれたい、先の人生を左右するであろう試練を突破したい、己でも家族でも命を危ぶめる悪しき病に打ち勝って欲しい。
コナツにとっての復讐に相当するそれ、人生で一度だけ願いが叶う権利があるとすれば、貴重なそれを使いたくなる瞬間は誰にだって訪れ得よう。
だけど、それが果たされたとしたって、その後の人生は何年も、何十年も続くのだ。
切望や悲願の成就は、人生の終着点ではない。新たな希望を探し求め、またそれに手を伸ばす日々は必ず繰り返される。
いま定めてある最終目標に、他の何一つすら顧みず真っ直ぐに進むことで得られる、一途な力に拘り続けることは、美徳か、偏狭か。
何一つ備えられぬまま、新たな人生を再出発する日が訪れようものなら、きっと友人に心配されてやまぬ日々が幕を開けることになる。
そんな懸念を抱いてくれているアンズの想いもまた、今のコナツには響いている。
肯定され難い復讐という大願の背を押してくれるだけでなく、その後の人生まで案じてくれる友の言葉を察せぬほど、決してコナツは愚かではない。
「果たせぬままでは生きていけないのなら、果たして新しい人生を切り拓くしかないもんね。
その先にあるものが、何も無い暗闇じゃよくないよ。
私はお爺ちゃんになるまで長生きして、満足できた人生に目を閉じるコナツを見送れる方が幸せだって思ってるからね?」
「気の遠いこと言うよな」
「だって同い年だよ?
一緒に年を取っていくんだもん。
ちゃんとお互い長く生きて、思い出積み重ねて、色んなことあったねってたまに笑い合って生きていこうね」
長寿は難しい。死を招くものに溢れたこの時代は殊更だ。
だからこそ、共にその道を行こうよと、手を引いて歩こうとしてくれる同い年の友達の姿が、今のコナツには胸に沁みる。
刺し違えてでもあの鬼どもだけは殲滅する。
そう誓った幼き日々の決意が、短慮なことだったと考え改められたのは初めてだ。
「わかった、よく考えておく。
お前は俺の恩返し、たくさん期待して待ってろよ」
「んふふっ、甘えるよ?
コナツは気が利いて優しいから、あなたの恩返しってきっと素敵なんだろうな」
二人は歩きだし、境内の外へ、村へと踏み出していく。
やがて、どことない場所で俺はこっちに、私はこっちに、と行き先を違えた所で、二人はそれぞれの行く先へと分かれていく。
じゃあね、と、またな、を交わし合い、しばし歩いた所で、コナツは何かを期待する自覚あって、アンズの行った先を振り返った。
やっぱり、あいつも、遠い場所からでも振り返ってこちらを見ていた。
離れて目が合い、大きく手を振ってくれるアンズの姿が、衆目に腋を晒す羞恥心も顧みず、体いっぱいの親愛を伝えてくれている。
彼女と同じようには出来ないが、コナツも小さく、しかし小さな笑みを浮かべ、大きな仕草ではなく短くなれど、手を振り応じずにはいられなかった。
きっと俺は今、救われている。
隣人の幸福を心から願い、言葉と行動をによってそれを叶えんと心血を注げる、出会って間もない新しい友人に。
この出会いを、もしも神様がもたらしてくれたのだとしたら、母を救ってくれなかった神に対し、今一度わずかにでも信心を抱き改めてもいいと思う。
神様はいる。今なら信じられる。
あんな奴を育てられるのは神様だけだと言われれば、今のコナツにこれほど納得できる話は無い。
「あれ、クラマさん?
珍しいとこで会いますね」
「おお、アンズか。
おはようさん」
「おはようございます~」
アンズが向かう先は、母のナルミが待つ玉依御殿である。
二日の外泊に加え、昨夜も遠き地から疲れた身体でゆっくり歩いて帰ってきて、神社に帰って寝ることを優先した身分。
今朝はナルミのもとへ顔を出すというのは、昨晩のうちに決めていたことで、アンズは土産のお団子を買うために行き着けの茶店に寄っていた。
店先での買い食いを控えがちな修験者でありながら、茶店にて団子串を口に咥えたクラマと、こんな場所で会うのは確かに珍しい。
それだけ驚いたからこそ、日ごろから礼節を大事にしているはずのアンズでさえ、第一声がおはようございますではなかったとも言える。
そうした貴重な経験を前にすると、この機にこの機にとばかりに、クラマの隣にすぐ座るアンズもまた早い。
元々話せる大人というのもあるが、根本的にアンズは人懐っこいのだ。年上に対しては特にそれが顕著でもある。
「些か思い詰めた顔をしているな。
いや、もう解決はしたのかもしれぬとも見えるが」
「え、そう見えます?
確かにちょっと考え事はしてましたけど」
「それほど露骨ではないよ。かすかに垣間見える程度だ。
だからこそ、もうある程度は結論が出た後なのかな、とも」
「凄いですねぇ、クラマさん。
ぱっと顔合わせただけでそこまでわかっちゃうなんて」
アンズは心情が顔に出やすいので、わかりやすい方ではあるが。
とはいえ、彼女がここに至るまでにすれ違い、挨拶を交わしてきた人々は、愛想の良いアンズの表情の裏にあったものまでは読み取れてはいなかった。
アンズの言うとおり、クラマの目がよく利くものなのも確かであろう。
「巫女のお仕事も大変ではあろうが、まあそんなに気負うな。
人事を充分に尽くしているであろうお前なら、あとは天命を待つだけだ」
「んへへへ、日々頑張っております。
値打ち謳うべきことではないですけど、認めてくれる人がいるとやっぱり嬉しいですね」
「そうしてよく頑張った後には近いうち、親しい誰かと楽しい時間を過ごせる日々が待っておるものよ。
天とは案外、そうした褒美をいみじくも授けてくれるものだからな」
「え、なんかわくわくしてくるんですけど。
仰ることがよく当たるクラマさんにそんなこと言われると、ほんとに何か楽しい時間が待ってそう」
眉唾ものでしかないが、クラマが先のことを語るとよく当たると定評だ。
彼の言うことが当たるまでの時間にばらつきはあるが、少なくともアンズはこれまでに、先のことを語ったクラマの言葉が的外れだった経験が無い。
付き合いが長いにも関わらずだ。なんとなく、信じちゃう。
「まあ、お前の行く先に厄介事が待っているのもいつものことだがな」
「あっ、やめて。
それで一気に楽しみじゃなくなってきた」
「とはいえ、お前の頑張りが天に評価されるなら、過去の数々の苦難ほど厳しいものではあるまいよ」
上げて落とされた。
もっとも、仕事柄アンズも苦難との直面は日常茶飯事なので、仮に必ず予言としてそんな未来を暗示されたとしても気にはならない。
クラマもそのよく当たる口で以って、悲観し過ぎるほどの苦難ではあるまいと補足してくれるので、そこを重視するならアンズは気が楽にもなる。
「きっとお前なら乗り越えられるさ、どんなものが道を遮ってこようともな。
今も、神社を留守にしてまで赴いてきた先では、決して忘れぬほどの経験もしてきたのであろう?
それに向き合い、力に変えていくお前である限り、誰にだって負けはしまい」
「ほんとクラマさん時々、見てきたように語りますよね。
実はこっそり見に来てたわけじゃないですよね?」
「あほ抜かせ」
「あははっ、こりゃ失礼」
くっくっと笑うクラマと、あり得ぬことを言った自分の額をぺしんして笑うアンズ。
今のもよく当たる予言だったらいいな。そんなことをちらっと考えながらも、アンズはクラマとの談笑を愉しむのみだ。
「わざわざ離れた地で身を粉にしてきたお前を目の当たりにしなくても、久しぶりに顔を合わせるだけでもわかるよ。
男子三日会わざればと言うが、そんなものは男も女も関係ないと、お前と再会するたびにしみじみ思うさ。
会うたび、一つ一つの経験を糧にして、大きくなっているお前と何度も顔を合わせていればな」
「な、なんだかむず痒いですね……
流石にそこまで言われると照れ臭いですよ……」
「今までに出来なかったことが出来るようになり、それによって叶えられなかったはずのことをも叶え、また新たな力を養い、繰り返していく。
お前としばしば会うのは私の楽しみの一つだよ。
やはり伸びていく若者の姿にこそ、どんな雄大で胸を打つ大自然の景観を目の前にするにさえ勝り、何より輝かしく心躍る」
べた褒めしてくれるクラマの言葉に、どんな顔をしていいかわからなくなるアンズだが、感情に素直な彼女だからやはり口元は緩む。
クラマさん、子供を作る予定は無いのかな、とアンズはふと思う。
きっとあなたを父親に持つ子供は、幸せな人生を送れるんじゃないかなって思うから。
「考えるべきことも多い神職の道ではあるが、まあたまには肩の力を抜け。
そう張り詰めて日々を送らずともよい、楽しいことの方が苦労に勝るような日々も、お前にだって必ず訪れるさ」
甘味に舌鼓を打つ上機嫌そうな表情でありながら、そんな表情で明るい未来を暗示してくれるクラマの言葉は、アンズの耳に心地よい。
仰ることがたまたまよく当たる人であることを一切抜きにしても、こうして先行き晴れた日々を前向きに語ってくれる、見識深き大人の言葉はやはり嬉しい。
重くはしないものの、やはり厳しい現実と直面することの多いアンズは、肩肘張って突っ張る生き方を繰り返してきて心労も溜まる。
優しいテンジン様がそばにいてくれなかったら、どこかで潰れていたかもしれないとは時々自分でも思うだけに、優しい言葉はいつ誰に聞いてもありがたい。
「神様を信じるのもよいが、お前自身のことももっと信じるんだぞ。
お前は必ず、もっと大きくなれるんだからな」
「……えへへ。
ありがとうございます、クラマさん。
なんだか、すごく元気にして貰えた気がします」
「そいつは何よりだ」
腰かけついでに店主に注文した、土産の団子が折に詰められて持って来られるまでのお喋りの時間は、さほど長いものではなかったはず。
そんな短い時間でありながら、心の隅にもやりと残っていたものが、クラマとの会話の中で砕けて溶けていった。
不思議な人だ。なんだか、私以上に私のことをよく知っていそうな人。
修験の道を歩んでいれば、やがては見えぬものも見えるようになるとはよく言われるが、それだけでは片づけられない神秘性がこの人にはある。
なんだか、神様とお話しているみたい。
神職者としてテンジン様と同列に語ることだけは絶対にあり得ないが、きっとアンズは巫女でなければ、率直にそう思っていただろう。
『う~む』
(クラマさんのことですか?)
玉依御殿に向かう中、アンズの頭の上に腰かけたテンジンが、声を漏らして考え込んでいる。
付き合いの長い主神のことなので、アンズにも今のテンジンの思考の真ん中に、何が、誰があるのかは容易に察せる範疇である。
『アンズ。
お前も薄々とは心当たりがあるはずだ。
今まで使うことの出来なかった雷鼓の一つが、今ならば使えるのではないかという直感に』
(……驕りたくないから考えないようにしてましたが、間違いではない?)
『今のお前ならば、恐らく"土雷鼓"はもう使えるはずだ。
今宵にでも伝えようと思っていたのだがな。
今日は今日として過ごした後、家で落ち着いてじっくりという形でな』
これまでアンズが使えてきた雷鼓に加え、新しく彼女の手中に収まっていた第伍の雷神太鼓。
いつ、使えるようになったのか。アンズには確信が持てない。
だが、テンジンの言う直感というものを、アンズが得たのは少なくとも今日だ。
それは、コナツと別れて少し後、一息吐いた後にふと感じたこと。
その瞬間とは、新たな力が解放された瞬間と、さほど大きくは離れていない。テンジンは知っている。
『コナツの話が、きっかけになったのだろう。
お前は内心で、今まで普段から思っている以上に、心の奥底から新たな力を求めたであろうからな』
(……そうかもしれません。
いや、きっとそうなんでしょうね。
私も、足踏みしてなんていられないって思いましたから)
アンズは今も脳裏に焼き付いているし、今後も一生忘れることはあるまい。
コナツが話してくれた、"つまらない話"。
あれが自分の心境に何らかの影響を与えたと言われれば、そんなこと、言われるまでもなくそうだと自分でも思っていたことなのだから。
「……なあ、アンズ。
ちょっとだけ、昔の話を聞いてくれるか」
一日でも早く完治するなら、涙すら流すほどの苦痛を毎日でも耐えると主張するコナツには、アンズも心から案じて待ったをかけた。
それに対して、しばしの沈黙を挟んで、コナツが話を切り替えてきたのだ。
それが彼にとっての、一日でも早く傷を癒したい、力を培いたい、そして鬼を掃伐したい根拠を語る話であるとは、アンズもすぐに理解できた。
「セイカの奴、背が高いんだぜ。
しゃんと背筋を伸ばして歩けば、村のその辺の大人よりでっけえぐらいだ」
「……そうなんだ?
座って丸まってる姿しか見てないから、そうだなんて信じられないな」
「あれでも昔は、村の子供達の間ではお山の大将だったんだよ。
同い年の背が低い俺に対しても偉そうで、二つか三つ年上の男相手にも平気で生意気な口叩いてさ。
その調子で大人にも乱暴な口答えするもんだから、よく拳骨食らって拗ねてたよ」
「やんちゃだったんだねぇ」
「セイカのお袋さんは、いつも生意気な口を叩くセイカについて、ちゃんと躾けろって村の大人達にぼやかれてたよ。
その都度お袋さん、申し訳なさそうにぺこぺこ頭下げてさ。
あいつ本当、昔っから親不孝者なんだよなぁ」
「お母さん、結構セイカさんのこと甘やかしちゃう人?」
「年を取ってから産んだ一人息子な上に、大好きだった旦那さんも些細な事故で喪っちまってな。
たった一人の可愛い家族なんだ。どうしても厳しく出来ずに甘やかしちまったんだろうな。
今でも引き籠って穀潰しになったセイカを、あの老体に鞭打って甲斐甲斐しく世話してるのもそれでなんだろうな」
コナツの口から語られる、今のセイカの姿からは想像できない、幼き頃の彼の姿。
小さな村で共に過ごしてきた、同い年の男の子同士である。関わり合いになった時間は多いはずだ。
大和龍山に挑む前に、わざわざ寄る場所にセイカの家を選んだことも、縁が続いている証拠に違いない。
「あいつ本当、偉そうで乱暴でさぁ。
俺の弟の秋彦をいじめるし、俺の妹のフユナに対しても年が離れてるのにでれでれして言い寄ってくるし。
何回喧嘩したかわかんねえわ。やり合うたび村では、まーたやってるよって言われてたのも知ってる。
そんな風に笑われてんのもむかつくし、発端のあいつのことは本当うざったかったよ」
「けちょんけちょんに言うね……
一緒に過ごして良い思い出はなかったの?」
「それはある。
喧嘩はするけど、向こうがきっかけ作ってこなかったら普通に一緒に遊んでたよ。
昨日殴り合いの喧嘩してお互い生傷だらけなのに、悪びれもせず偉そうに遊びに誘ってくるこいつ、ちょっとどうかしてるなとはずっと思ってたけど」
「っていうか、セイカさんとコナツと喧嘩ってどうだったの?
私は今の強いコナツしか知らないけど、ほら、コナツ小柄じゃん。
見た目で言うのはどうかと思うけど、子供の頃も強かったようには見えないよ?」
「俺は誰にも喧嘩で負けたことねえぞ。勿論セイカ相手にもな。
小さいからって見くびんなよ? 俺は昔っから強いぞ」
「わぁ、粋がってるぅ」
「大人になった今さらに威張れることではないけど、一応は胸張って主張できることではあるな。
小さいから見くびられることは多いんだが、でっかい相手にも怯まない根本の自信には繋がってる気はするからさ」
コナツは少し楽しそうだった。背が低いことを話題に触れられても気にも留めない。
セイカと共にいて楽しかった時間について語る時間が少なくとも、そんな時間がもっと沢山あったことは、懐かしみながら語るその態度に垣間見えていた。
笑い合った日々の楽しさの方が思い出して勝るようでなければ、こんな表情で古くからの喧嘩相手について語らうことはあるまい。
「あいつも威張り散らしてるだけあって、強い奴だったんだぜ。
俺も負けたことはないって言ってるけど、あいつには全部きっちり勝ちきれたかって言い切れるかはわかんねえ。引き分け痛み分けもそこそこあったしな。
体もでっかくて太っちょだったし、力持ちで根性だってあるし気も強い。
子供達の間じゃ最強のお山の大将になるには充分だってわかるだろ」
「……おっきな体してたんだ」
「お袋さんに大事にされてたからな。
今にして思い返せば、たくさん食って元気に育ってね、って育てられてるのがよくわかる体格だよ」
何もかもが、今のセイカの人物像と異なり過ぎる。
怪訝な顔を浮かべ始めたアンズに、コナツはいったん一息挟み、歩きながらも空を見上げて、あまり思い出したくないことを鮮明に思い返していた。
「鬼どもがしばしば和良村を襲撃してくるのは、俺が生まれる前から始まってたことだ。
でも、十歳ぐらいになった頃だったか……いや、もう少し前だったかもな。
村を襲った鬼が少なくて、色鬼がいなかったあの日、セイカが黒鬼に挑んだんだよ。
あいつの人生が狂ったのは間違いなくその時だ」
「その年で鬼に喧嘩売ったの?
なんというか、その……」
「無謀だよ。つーか俺も悪いのかもしれねえけどな。
その一つ前の鬼の襲撃の時、黒鬼が小さかったフユナに襲い掛かった時、俺が鍬持ってその黒鬼を叩きのめしたことがある。
普段は悔しくても耐えてたけど、その時ばかりは頭に血が上ってやっちまったんだ。
俺も鬼の爪で大怪我したけど、その時は運良く黒鬼を仕留められたんだよ」
アンズにも話が見えてきた。
コナツは怪我を負いながらも、極めて幸いなことに鬼に打ち勝ったのだ。九歳児の起こした奇跡である。
決してこの快挙にセイカが張り合ったわけではないのだろうが、自分にも出来ることだと幼い子供が勘違いするきっかけを作った可能性が高い。
コナツが『俺も悪いのかもしれねえけど』という言葉が意味するところを考えれば、そうした結論に思い至ることも容易である。
「セイカは上手くいかなかった。
あいつのことを慕ってる年下の奴が黒鬼に襲われそうになった時、あいつも俺と同じようにした。
そんな幼い子供が、鬼に押し倒され、爪で肌を引き裂かれたらどうなるかわかるだろ。
心の折れた子供が泣き叫んで蹂躙され、駆けつけた勇敢な大人が黒鬼を叩き潰してくれなかったら、あいつは本当に死んでただろうな」
喧嘩じゃ負け知らずだった、生意気なばかりのお山の大将が、調子に乗った末路と言えばそれだけの話なのだろう。
同情するに値するような話であるかなど、人によるし答えは出ない。
だが、十歳になったばかりの幼い子供が、血を流して泣き叫ぶ姿を現に見れば、ざまあみろ過去の報いだと嗤うより胸を痛めるのが自然な一幕であるはずだ。
少なくともセイカはコナツが語る限り、共に育った同い年として懐かしく語る程度には、気が強くて乱暴でも"普通の子供"を逸していなかったはずである。
無謀にも鬼に挑んだことだって、その結果、鬼に襲われかけていた、セイカを慕っていた子供は助けられたわけで、極めて誇れる結果も出している。
子供が格好つけたかっただけでなく、そこに正義感は確かに実在していたはずなのだ。
「あいつが家から殆ど出なくなっちまったのはそれからだよ。
鬼への恐怖が心を支配しちまって、鬼がいない時でさえもいつ鬼が来るか、それにばかり怯えて引き籠っちまった。
そうして何年も畑仕事もろくにしてなきゃ、あんなでくの坊の身体になるのも納得だろ」
アンズが見たセイカはすっかり細くなった後であり、威張り散らしていた頃の身体が大きなセイカの幼き姿など想像もつかない。
しかし、働くこともせず、鬼に荒らされ限られた糧を細々と得る毎日で生きていくだけの日々の中、肥えるはずもない。
むしろここまで生き長らえたのも、子煩悩な母が甘やかして食事だけは捻出してくれるからであり、そうでもなければとうに飢えていよう。
それに伴い、骨と皮だけの身体に随分近付いた、老いて枯れし母の姿を思い返すと、あの世帯に明るい未来など無いことはアンズにもわかる。
「俺、言っておくけどあいつのことそんなに好きじゃねえぞ。
くそ偉そうで、俺の弟をいちいちいじめて、どの口で俺の妹にまで色目使ってんだ。
一緒に遊んだこともあるから悪い思い出ばかりじゃないけど、全部ひっくるめれば高く評価してやれる相手じゃねえ。
甘やかされて育った甘ったれって言っちまうとお袋さんに悪いが、鬼が常にそばにいる閉塞した世界でなけりゃ、あんな奴とは縁も切ってたかもしれねえな」
どんなに寄り添い合って生きていくしかない村社会でも、相容れない相手というものは必ず存在する。
コナツが自己分析するとおり、いつ鬼が襲ってくるかわからず震える日々の中、遊べる相手がいたのは、幼い頃のコナツにとっては悪くなかったのだろう。
同時に、そうでもなければ一緒に遊ぶことなどなかった気もしている。
本気で怒りをぶつけ合う喧嘩をした翌日、謝りもせずに遊ぼうぜと誘ってくるセイカを、頭おかしい奴だと思ったというのは彼が先程言ったとおり。
無力でしかなかった子供の頃、そんな相手とでも遊んで気を紛らわせるどん底の日々だからこそ、辛うじて切れなかった縁なのは確かなのだろう。
「それでも、死んじまっていい奴だとまで思ったことはないんだ」
殺してやりたいとまで思ったことはない。
俺の知らない所で勝手に野垂れ死んでくれればと思ったこともない。
生意気で偉そうなだけで嫌いな程度の同い年に、どうしてそこまで思うはずがあろうか。
母を鬼に奪われ、死というものの取り返しのつかなさを痛切に知るコナツをして、その罪を死で償うしかないほどの存在にセイカのような子供は適さない。
絶対にだ。
「あんなに自信家で態度のでかかったあいつが、別人のように臆病になって、痩せ細っちまって。
鬼が和良村から奪っていった命や財産だけでも確かに数知れねえさ。
だが、あいつらは村のみんなの心まで食い散らかして、傷つけて、それを顧みることもなく今もなお山でへらへらと闊歩してやがる。
そんな奴らを一日でも早く、俺達に手を出したことを心から後悔させて、血の海に沈めてやりたいっていうこの憎しみは間違いか?
たとえ誰に否定されたとしても、俺はこの本心に嘘なんてつくことは出来ねえ」
母を奪われた憎しみだけではないのだ。
腐れ縁の嫌な奴すら、もはや喧嘩すら成り立たぬほどに壊れ、かつての日々を懐かしむことが出来る面影ひとつ今の和良村には無い。
諸行無常が自ずと成るものなら誰も文句は言うまい。
すべて、大和龍山に巣食うようになった悪鬼どものせいだ。
思い出の煤を払い磨くことはおろか、たとえ掘り返しても未来無き悲しみだけが指の間を流れ落ちる、絶望の泥濘に村を沈めた憎き鬼ども。
それがこの世に在る限り、コナツが光ある未来を目指して歩いていくことなど出来ないと、アンズは痛切に感じ取るばかりだったものだ。
過去に拘り未来に目を向けぬのは愚かだろうか。
言うだけなら誰でも出来る。近いことを言うばかりで、復讐を諦めてコナツにもそれを求め、保身に走る和良村の大人達こそその最たるものだ。
未来とは、独立してそこに只あるだけのものではない。過去や現在と地続きだ。
親を奪われ、故郷を壊され、思い出までも穢された若者に、誰がそれらを忘れて明るい未来を目指して歩ける根拠を示せる?
そんなこと、彼と同じ経験をしたこともない自分に出来るはずもないからこそ、アンズはコナツの復讐の背を押したのだ。
血溜まりしかない復讐の長旅に、親しくなれた友達が進むことなど望もうはずがないアンズですら、彼の想いは否定できようはずもない。
人生には必ずある。ここに決着をつけねば、前に進めぬ何かというものが。
「手間はかける。世話にもなる。その恩は一生かけてでも返す。
俺に、力を貸してくれ」
折れた腕を捻り上げられるような想像を絶するはずの痛みさえ顧みず、宿願のためならば一刻をも捨てぬと訴える眼差しに。
アンズは決して呑まれもせず、神妙な顔で頷くことしか出来なかった。
『かねてよりお前には伝えていることだが、今はまだお前の手に収まらぬ新たな力を解放するには、二つのものが必要になる。
覚えているな?』
(一つは、信仰。
一つは、きっかけ)
アンズが借りている雷神の力とは、確かに所詮は借り物の力。
しかし、今は彼女の手中にある。アンズのものにも違いない。
あり得ぬことだが、テンジンがアンズからその力を剥奪すると見限らぬ限り、人の手に収まったその力はアンズのものと言って相違ないものなのだ。
これまでに行使できなかった、残る四つの雷神太鼓。
土、鳴、黒、大の字が描かれた雷鼓。
それらがアンズが既に使うことの出来る、火、伏、若、咲、の字が描かれた太鼓のように、彼女が使えるようになるために必要な二つのもの。
一つは、神力の源であるテンジンの力を高めるための、今以上の信仰の獲得。
そしてもう一つは、新たな力を求めるアンズ自身の切望、すなわち雷神太鼓の使い手であるアンズと、その力の源泉を結ぶ強い想いである。
今以上の力が欲しいという想いそのものは、常にアンズも抱いている。
明日の生存も約束されていない農民が、漠然と、今以上の能力が自分にあればと、心のどこかで常々思っているのと同じように。
そんな、誰しもが当然に持つありふれたものでは駄目なのだ。
限られた時の中を生きる人間が、ふとした時に心の底から沸き立つように自ずと抱く、今のままでは果たしたい何かを果たせないという焦燥感にも近い熱望。
力を求める己の心情が、新たな力の解放に繋がることを知るアンズが、その打算すら意識せず心底から強く願う不純物一つ無い純真。
充分な信仰が伴った上でそれが溢れた時、主神の力と想いが結び付き、結実となって新たな力の門を開くのだ。
真なる信とは心の奥底からしか生じ得ない。
信心こそを、あるいは信心のみを、その力の源とする神の力の新たなる境地とは、雑念無き心の底からの切願にしか拓かれぬのもまた当然である。
『あの若者には、感謝しても良いのかもしれんな。
よいきっかけになったのだろう?』
(はい。
誰かの力になりたいって思うのは、いつものことなんです。
だけど、あれほど強く思うことなんてそう何度もあることじゃないですから)
『常に意識高ければ常に最高無欠などとは絵に描いた餅よ。
心ある者とはそういうものだ。
百の意識高さも、ある日直面した現実を前にして、その時限りでも千の熱情となることも存分にあろう。
むらのある己の心情をそう気にかける必要は無いぞ』
(あはは……
まあその、私は元々感情に左右されやすい方なので、あんまり楽観視はしづらいところもありますけどね)
『くははは、確かにそれは課題だな。
さりとてその性分のおかげで、しばしば満点の倍の想いで試練に挑めるのであれば、それもしばしば美点となろうよ』
巫女は立場が立場ゆえ、主神を除くあらゆるものに、序列をつけない冷静な目を持つことが理想的とされる。
好き嫌いがはっきりしていて、感情的ですらあるアンズの性格は、神職者としての責務において足を引っ張る性分とさえ言えるだろう。
しかし、己の感情に対して素直であり、正義感が強いことは、守るべき何かを前にした時、迸るほどの強い想いを燃え上がらせる素養としてこの上ない。
人々の安寧を守るため、妖魔と戦い、それを破るための力を必須とする雷神巫女としてならば、この感受性の強さはむしろ利点にすらなり得る。
神様の力をこれほど直接的に借り受けられる立場であることも含め、そしてそれゆえにいっそう、アンズは神職者として極めて特異的ですらあろう。
『……しかし、クラマか。
あれは本当に、人の子か?』
(え?
テンジン様、いま何か仰いました?)
『いや、特には。
お前の向こう見ずさも、見慣れて久しいなと懐かしく思い返しているだけだ』
(なんぞぉ。
自覚はありますけど、いざ言われると恥ずかしいですから勘弁して下さいよ)
ちょっとへこんだアンズであるが、テンジンは迂闊に考えてしまったことを少し反省しつつ思索する。
発音以外の形でアンズと対話するテンジンは、アンズに聞こえぬよう伏せると意識せずに考えた思念は、しばしばアンズに漏れ聞こえてしまう。
ぽつりと小さく考えてしまっただけだったので、アンズも聞き逃してくれたのだが、今はまだこんな話をアンズに聞かせたくない。
アンズはクラマに懐いているようだし、そもそも未だ結論の出ようもないことに、今を忙しく生きるアンズの思考を割かせても心労を増やすだけだから。
クラマの言うことがよく当たることは以前からそうだが、それにしてもアンズの土雷鼓が解放されたこの折に、まさしくあんなことを言ってくるとは。
話が出来過ぎている気がしてならない。
あの者はテンジンがアンズに授けた神力のことを、その目で看破しているのではないかという疑いすら立とう。
そんなことはあり得ないはずだが、あれに関して言えばそろそろ本気でその可能性を考えていい頃だとテンジンも思う。
そして、本当にそうであるとするならば、黙っていればわからぬことを隠すこともなく、むしろまるで慧眼を示唆しようとする言動そのものも気にかかる。
『ひとまず、暇が出来れば土雷鼓を打って色々試してみることだ。
癖はあるが、上手く扱えるならお前の戦い方の幅も広がるだろう。
修行に一途なのはあの若者もそうだが、お前も頑張っていかねばな』
(はいっ。
今よりももっと強くなったコナツに置いて行かれて、足手まといになっちゃうようじゃ笑い話にもなりませんものね)
『ふふ、よろしい』
今はまだ、真実に手をかけるための情報が不足している。
今後は今日の仮説を念頭に置くことを決めながらも、テンジンは表面化しかけた今の話を流し、アンズをこの思考の渦には巻き込まない。
しっかりと結論が出るまでは、可愛い愛娘を無為に悩ませることもあるまい。
多くのことをアンズに任せるテンジンとて、あるいはだからこそ、自分だけで背負うべきものもまた選ぶ。
神力だけ授けてあとは見守るだけ、そんな神様ではないことは、アンズを親のように育ててきた姿からも明白である。
『我が子が伸び伸びと育つ姿を間近に見られるのは、良いものだな』
(まだまだですよ。
これからも、ずっと大きくなっていきますから。
私のお傍にいて下さる限り、退屈なんてさせませんから見ていて下さいね?)
『ああ、信じている』
苦難は多い。前に進むことを躊躇うことなど、誰しも何度だって経験する。
独りではないことが、どれほど励みに、支えに、救いになるかなど、言うに及ばずして何よりも貴い。
アンズという、心寄り添える友人に出会えたコナツもきっと、離れた所で今頃それを噛みしめているはずだ。
そんなアンズも、テンジン様がずっとそばにいてくれることが、幾度となく苦難に立ち向かう中で支えになっていたことを忘れた日は無い。
そしてテンジンは、儘ならぬ世に悩み、救いを求める人々の祈りと信心が、神としての励みになってきたことを数百年に渡って実感してきた。
つくづくこの世は、独りでは生きていけないのだ。たとえ、神様であってもだ。
そんなことを改めて考える二人と一柱が、ふと空を見上げた時、雲ひとつ無い晴天であるとは素晴らしい。
救いはこの世に必ずある。些細なことでも、何らかある。
古来より人々は、それを、神様のおかげとして手を合わせてきたのだ。
では神様であるテンジンは、美しく青き空を見て、何に対して感謝するのか。
答えは当然、愛すべき人々がこの世に在り、私をこのような心地にさせてくれて、青空をいっそう美しく感じさせてくれたことに他なるまい。
(……テンジン様?
お手を合わせているんですか?)
『ああ。
あまりにも、眩しくてな』
(んふ、じゃあ私も)
空を見上げて手を合わせるテンジンと、天下の往来で立ち止まり、人目も気にせず空に向けて手を合わせるアンズ。
たとえ主神の本懐を理解するに至れずとも、何らかに感銘を受けたと見えるテンジン様の行動に寄り添い、人目も憚らずそうせずにいられぬ巫女。
使命感ひとつない純真な行動だからこそ、それがいっそうテンジンを嬉しく思わせてくれるというものだ。
最愛の娘だ。
昔からずっとそう。
今もそうで、きっとこれからも変わらない。
アンズとテンジンの結ばれた心は今日も、何人たりとも侵せない強き絆で以って、お天道様の下で燦然と輝いていた。




