第三九話 ~雷神太鼓~
「おはよー、コナツ。
思ったより早いね、待たせちゃった?」
「いや、今来たとこ。
俺の方がびっくりだよ、お前自慢してたけど本当に早起きだな」
明朝の山波神社。まだ日が昇らぬ春の朝は、未だ若干の肌寒さがある。
鳥居のそばに立っていたコナツも、既に巫女服のアンズも、袖の無い服でこの涼し過ぎる風を肌に受けながら、寒がる素振り一つ見せない。
夏も冬も過酷な環境に身を置く修行を繰り返してきたコナツは、そもそも暑さにも寒さにも強いのだ。
アンズは単に暑がりなだけである。寒さには強い。冬場この巫女服は流石につらいが、それでも耐えきってきたのだから強いのだろう。
「コナツ、ご飯食べてく?
来るのわかってたからご飯多めに炊いてるよ」
「……ん~、まあ、甘えるわ」
「遠慮しなくていいってば。
私も朝を一人じゃなく過ごせるのは楽しいから」
用意してくれているものを断るのは勿体ないのでコナツも断りはしないが、流石に気が引けているようだ。
アンズは気にしないで欲しいと笑顔で本音を伝えるだけだが。
テンジン様がいらっしゃるとはいえ、家族はおらず我が家での食卓はいつも一人。
慣れてはいるが、やはり家族と一緒にご飯を食べたあの頃の思い出が、たまには誰かと一緒にご飯を食べたい想いを蘇らせるのだ。
コナツが男の子だからやらないだけで、相手が同性なら手を引いてでも我が家に招くほどには、アンズは親しい来訪者との朝食が楽しみだったほどである。
「ご飯の前に、朝の大事なお勤めだけ済まさせてね。
それからご飯だから、先に家に上がって待っていて」
「ん、わかった」
既に湯浴みも朝食の準備も済ませているアンズだが、まだ朝太鼓が終わっていない。
一昨日大和龍山で神力を消費し、昨日の朝は和良村で迎えたので、費やした神力の全快がまだである。朝太鼓は朝起きてすぐでないと効果が薄い。
コナツを我が家の方へ送り出し、アンズは本殿から太鼓を持ってきて、境内の真ん中での朝太鼓に勤しむのであった。
アンズの家に上がり、境内の方から聞こえてくる朝太鼓に耳を傾けるコナツだが、気になることが一つ。
なんだかいい匂いがするような――しかも、妙にそわそわする匂いだ。なんだこの匂い?
年頃の女の家に上がったこともあるコナツだが、こんな得体の知れない匂いは嗅いだことがない。
アンズの炊いた米の匂いを放つ釜の傍に寄れば、その匂いに上書きされてこの匂いは意識せず済むようになるが、離れるとまた鼻をくすぐってくる。
つまり、この屋内の香りそのものなのだろう。
朝太鼓を聞きながら座って待つコナツだが、妙に落ち着かない匂いに、知らず知らずのうちに貧乏ゆすりに近く膝が動いていた。
毎朝、湯上がりのアンズが着替えている家屋内である。
綺麗な身体と髪が放つ女の子の匂いが、戸締りのしっかりしたこの家には溢れていて当たり前。
こんな例えをされるとアンズは激昂しそうだが、高級な色町の褥を敷いた一室は、身綺麗にした女の匂いで充満している。
どうやらアンズはおわかりでないようだが、彼女の家は健全な男の子を上げない方がいい密室なのである。
やがて朝太鼓が終わったアンズが、おまたせとばかりに手早く朝食を並べてくれた。
お米の匂いがすぐ近くに。鼻をくすぐっていた香りが上書きされる。
なんだかよくわからないが助かったという思いで、コナツはアンズと一緒にいただきますの手を合わせるのだった。
「そういえばさ、アンズ。
お前の雷太鼓について興味があるんだけど、話せる限りでいいから教えてくれないか?」
「ん? 別に隠すようなこと何も無いよ。
教えてって言われたら何でもお話しますとも」
ご飯を食べながらであるが、コナツがアンズに話しかけてきた。
米や味噌汁を食べ続けていると、食べたものの香りが鼻を満たすため、コナツもこの家の空気が気にならなくなってきたようだ。
『食事中のお喋りは本来感心しないが、友人同士で黙々と食事というのも味気は無いな。
いい機会だ、これからも共に戦うこともあるだろう。
手の内を理解して貰うためにも話しておけ』
(わざわざありがとうございます~)
アンズも線引きは理解しており、話して困ることは無いのでそう返答したが、テンジンも敢えて言葉を添えて問題無さを強調してくれる。
神様のことを知りたいと言う相手に神職者が言い淀むことなど何も無い。
あるとしたらせいぜいのところ、悪党や敵対者相手に手の内をべらべら明かすことはないという、特殊な場合ぐらいのものである。
「アンズはいつも、雷の太鼓を八つ背負ってるよな。
一つ一つ何か字が書かれてるけど、それぞれが別の力を持ってるのか?」
「そうだね、ちゃんと使い分けてるよ。
わかりやすいように出してあげる」
「そんなひょいひょい出せるものなんだな」
「出すだけなら神力もそんなに使わないしね」
裾が短いため誰かと対面する時は正座しか出来ないアンズは、そのまま背中に雷神太鼓を顕現させる。
ご飯を食べながら刀を抜くような所業である。なかなかに非日常的。
神様の力を説明するにあたって、可視化した方がわかりやすいとし、アンズがそうするのもまた早かった。
彼女は神様について語るに際し、たいへん気乗りし、饒舌である。
「一番使うのはこの"火"の太鼓かな。
これが雷をどかーんと撃ったり、ばちこーんと落としたりする力を司る太鼓。
コナツも何度も見てたと思うけど」
「よく叩いてたな。
印象に残ってるよ」
アンズの右手側、肩の横少し上に位置する第壱の太鼓、火雷鼓。
テンジン様にこの力を授かった時から使える太鼓の一つであり、妖魔調伏の要である。
これまでに使ってきた頻度も最も高く、きっとこれからもそうだろう。
「次によく使うのがこの"伏"の太鼓。
私が乗って空を飛ぶ雲は、この太鼓の力で生み出してるんだ」
「いいんだけど箸で指差すようなことしていいものなのか、それ」
「あ~、まあ、行儀悪かったね。
でもうちの神様はお優しいので大目に見てくれると思う」
『くふふっ、見ないぞ?
いつか適当な時に説教する貸しにしておいてやろう』
(そんな~)
アンズの右手側、腰の横で床に着いてしまっている第弐の太鼓、伏雷鼓。
立っていれば腰より低い位置で浮く太鼓も、座ったままで顕現すると床下にめり込んでしまいそうなので、普段よりも高い位置にある。
どんな時にでも叩けなければ意味がない太鼓なので、位置は多少の融通が利くようである。
「とりわけ私がいつもお世話になってるのがこの"若"の太鼓。
怪我を治す神力を行使する力が込められてるんだ。
コナツはこないだ、山林で傷だらけにされた私のこと見てたよね?」
「傷跡ひとつ無いもんな。
別に神様の力ってやつを疑ってるわけじゃないが、綺麗な肌のお前と再会した時は、やっぱ普通じゃねえなって思ったよ」
「綺麗な肌、って言い方はなんかやらしくない?」
「お前そういうのに対する反応が敏感すぎねえか。
俺からすればお前の発想の方がなんかやらしいぞ」
「んなっ……!?
だだっ、誰がすけべかっ!」
「言ってねえ言ってねえ」
アンズの左手側、肩の横少し上に位置する第参の太鼓、若雷鼓。
火雷鼓とは左右対称の場所に位置する。
妖魔との戦いの日々では火雷鼓に並んで最も重要な太鼓の一つであり、それと共々叩きやすい位置にあるのも、力を授ける神様の配慮なのだろうか。
「こないだコナツを助けたのがこの"咲"の太鼓。
病や毒を打ち払い、健康な身体を取り戻す力が込められてる。
どんな即効性の毒も、これのおかげで怖くないんだ」
「毒だけじゃなくて病まで払えるのか。
そんな力が使えるなら、引く手数多で休む暇も無いんじゃないのか?」
「う~ん、病を払う力については難しくてねぇ……
なんでもかんでも取り除けるわけじゃなく、天寿に関わるものや、侵されて長い病は取り払いきれなかったり、実は万能じゃないんだよね。
どれに通用してどれに通用しないのか、見極めが難しいからあまりあてにし過ぎると期待を裏切るし、あんまり周りにはこの力のことは語ってない。
毒とか軽い風邪なんかには大抵抜群の効果だから、そういう認識でちょうどいいと思うよ」
「そっか。
まあ、不意に命を奪ってくる毒への有効な対処法になってるなら、充分なほど役に立つ力だよな」
『いかに神の力とて、定められし命運を覆すことは出来ぬし、すべきではない。
曖昧ではあるが、納得して貰うしかないな。
神の力は、不老長寿といった叶えべからざる不条理を叶えるための力であってはならぬのだ』
(必ず、人の心を狂わせますからね。
神様の力が、人の世を乱すためのものであってはいけませんよね)
アンズの左手側、胸の横少し下に位置する第肆の太鼓、咲雷鼓。
死に瀕するほどの病に侵された者を救うことが出来ぬなど、可能なことにも限りがあり、アンズも可不可の線引きが難しい神力を司る太鼓だ。
ただし、毒に対する即時療法としての性能は確実に信頼できる。
ちなみに、冬場もこんな格好で外を歩かざるを得ないアンズは、当然ながら風邪を引きやすい。
こじらせかけの風邪ならば、ほぼ確実に吹っ飛ばしてくれる力でもあるため、何気に今のアンズにとっては欠かせない力であったりもする。
こんな寒々しい巫女服を強制される以上、それぐらいの対処はして貰えるようでなければ、割に合わない気もするが。
「今のところ、私が力をお借りできる太鼓はこの四つだよ。
他の太鼓は、もっとテンジン様への信仰が集まって、根底的な神力が回復しないと使えないんだ」
「そういや神様は、信仰する人々の数や信心の強さによって、その存在力や力の強さが変わるって話だったっけか。
アンズはそれで、信仰集めや布教に一生懸命なんだな」
「コナツそういうの知ってるんだ?
私、話したことあったっけ?」
「どうだったっけな。でも元々知ってることだよ。
現に大和龍山の神様は、鬼に敗れたことで信仰を失って、人々やミズタマ達の前に力を見せなくなったって話は理解してたしな」
アンズが背負う太鼓は八つ。
説明されていない、鳴、土、黒、大、の字が書かれている四つの太鼓は、今のアンズには使えない太鼓だ。
見方を変えれば、アンズは神様の力をまだ半分しか借りぬうちに、ここまで幾多の妖魔やならず者と渡り合ってきたということである。
そう考えるとコナツ目線、こいつ場合によっては今よりもっと強くなれるのか、と、つくづく頼もしい奴が味方にいるんだなと感じることしきりである。
「それらの太鼓がどういう力を司るのかはわかるのか?」
「う~ん、テンジン様は御存知のはずだけど、尋ねても敢えては教えてくれてない。
仰ることには、まだ手中に収めていない力を皮算用で使い道を妄じても、慢心あるいは己の力を見誤るかに繋がり得るからとのことです」
「聞くとか尋ねるとか、お前本当に神様と対話できるかのように言うよな。
あながち妄想にも聞こえてはいないけどさ」
「出来るんだけど証明できないから、軽くなら言えるけど、真に信じて貰うために強く主張するのも難しいんだよね。
でも本当に話せるよ? いくつも、知恵を授かってきてるのは間違いないから。
でないと元はただの女の子でしかなかったような私が、巫女になってたったの二年であれほど悪鬼や妖に立ち向かえるほどにはならないよ」
「なるほどな、説得力あるわ」
『あらかじめ残る四つの太鼓の力について教えておいて、やがて使えるようになった時の使い方を構想させることも一度は考えたんだがな。
だがやはり、実践も無く本質を掴んでおらぬものの用途の皮算用は、いざ手にした時に現実との乖離を招きやすい。
意外なほど、それが根深く残るのもまた危険性の一つだからなぁ』
(勝手に想像して出来ると信じ込んでたことが、いざ実地で叶えられなかったとしても、根差した思い込みのせいで何とかなりそうな気がしかねないんですよね。
時間かけて考えてたことが無駄になるのって、いよいよという時になると思ったより未練残っちゃうものですし)
『お前は発想力も柔軟だからな。
いざその力を手にした後であっても、正しい使いこなし方を考えて間に合うはずだ。
好奇心はあるであろうが、良かれと思って黙っておるから我慢してくれ』
(はい、存じてます。
テンジン様ってしばしば意地悪ですけど、こんな大切なことで意地悪しないお方なのは承知していますから)
『ふふ、一言多いなぁ』
アンズはコナツと話しながら、脳裏ではテンジンとも話している。
きっと彼女は、口が二つあれば二人相手でも同時に喋れる。
テンジンとの会話に慣れているのと地頭が良いというのもあるのだが、何気になかなかの芸当だとはテンジンも密かに認めているところである。
太古には七人の話を同時に聴ける偉人がいたという逸話もあるが、恐らくアンズはその半分ぐらいのことは出来るのではなかろうか。
「だったら俺も、自分の力を神様の力とはっきり言い切って、神様への信仰を集めた方がよかったのかな。
いつの間にか俺に宿ってる風の力が、大和龍山の神"シヅナ"様の力なんじゃないかとは薄々思ってたし」
「確かにその方がもしかしたら……」
『要らん。
わざわざそう周知せずとも、この者の快刀乱麻ぶりが充分にその力の頼もしさを知らしめるには充分だ。
神そのものの力を布教せずとも、そうした形でこの者の手に宿る、戦うための力は大きくなる。
今になって新しいことを始めることに、思考を割く必要は無い』
「……あー、コナツ。
うちの神様が仰るには、必要ないそうです。
今のままでいいから考えること増やさないでいいってさ」
「そんな現在進行形で声かけてくれんの?」
「けっこう日常的に対話してるのよ、実は」
『今のままでは強まるのは、この者が妖を討ち滅ぼすための神力のみだがな。
大和龍山の神シヅナ……志都那古比神だったかな。
それが人前に姿を顕せるようになる、存在力の回復に繋がる信仰は獲得できぬのは確かだ。
だが、大和龍山の鬼を一掃しない限りは、仮にシヅナが顕現できても意味は大きくないのだし、戦う力が強まることのみで良しとした現状の方が無駄が無い。
シヅナへの信仰を取り戻していくのは、次の段階の話だとでも伝えておいてやってくれ』
とりあえずアンズは、今のテンジンの言葉を自分の言葉遣いに置き換えてコナツに伝えておいた。
意味の薄いことに手を広げると、考えても意味の無いことに思考を割くぶんが余計なのだ。
やがては悪鬼どもを掃伐する未来を見据えているのであれば、その先のことはそれから考えればよいである。
「なるほどな、わかった。
今までどおりでいいってことだな」
「ほんとに神様の声を聴いての話だから信頼してくれていいよ」
「わかってるって、今さらお前のこと疑うかよ」
神様の声が聞けて話せるなんて、本来与太話もいいところであり、それを誰かに真に信じて貰うというのはアンズも普段は期待していない。
それでも、今は最も近い友人であるコナツから、信じるよという言質を貰えたことは、やっぱりアンズも嬉しくなる。
ほんとに信じてくれてる? なんて疑わない。信じてくれる相手のことは信じる。
なんでもかんでも信じるほど人の良いアンズではないが、だからこそ、信ずるべきものをしっかり選んで信ずることの重要さは、理解しているし実践する。
「……結局お前と喋ってると、長く続くな。
もう飯食い終わってんだけど」
「ねえ。
お互いごちそうさま言うのもよそにしてずっと喋ってたね」
「はは、ごちそうさま。
美味かったよ、ありがとな」
「いいえ、お粗末さま」
止まらず話が続くので、双方話を途切れさせたくなく、茶碗の中身が空になってもずっとお話し続けていたものだ。
ごちそうさまの一言を全く言わないのであれば若干は考えものだが、最終的に言うのであれば不躾でもあるまい。
「……えーと、それじゃあ早速コナツの腕に神力を行使してみましょうか。
そこそこ覚悟しておいてね? きっと凄く痛いよ?」
「痛みには強いつもりだけど、昨日からその念押しがすげえ怖いんだよな。
甘く見ないつもりではいるけど」
さて、コナツを招いた本題だ。
当たり前のように普通に喋って、当たり前のように箸を持ってご飯を食べていたコナツだが、カネグマに砕かれた左腕は当然今も吊ったままである。
普通にしていれば全治まで、何ヵ月もかかるほどの重傷であろう。その間、コナツは修行に身を入れることも難しい。
一日でも早く治るなら、どんな苦痛が過程にあろうが望むところのコナツだが、やはりどうにもアンズの忠告は気がかりだ。
復讐を志して傷だらけの半生を歩んできただけあり、痛みに強いと自称するのは正しい自信である。
だが、尋常ならざる深手を負った経験もあるからこそ、想像を超えた痛みというのがいくらでもあるというのも、戦う者ならよく知るところ。
驕っていないのは良いことだ。この後、本当にひどい目に遭うので。
「じゃあコナツ、とりあえずここに寝て。
身体を楽にした方が多分いいと思うから」
「……うん、まあ、わかった」
普段はアンズが寝ている二枚畳の上に仰向けになり、女の子の床に身を預ける現状にどこかそわそわするコナツ。
そんなことに雑念を抱いていられるのも、今のうちだけである。
「い゛っっっっっづ……!?!?!?
待て待て待て、やめてくれ!?」
これはえげつない。本当に洒落になっていない。
百戦錬磨のコナツですら、神力を注ぎ込まれた瞬間の衝撃的な激痛には、待ったをかけずにはいられない。
アンズも正直、あのコナツが即座にこれほどの反応を見せたことに、そこまできついのかと驚いたほどである。
「え、えっと……そんなにやばい?」
「びっくりするわ!
お前よくこんなもの、あんな軽い感じで提案してきたな!」
"若"の字の太鼓を叩き、傷を癒す神力をコナツの腕に流したアンズ。
いかにそうした神秘的な響きであれど、テンジン様から授かった神力とは、その本質は稲妻だ。
傷を癒す力であるのは確かだが、コナツの折れて砕けた腕に稲妻を流せばどうなるかなど、よくよく考えてみれば知れた話である。
いかに天を劈くほどの強力なものでなく、弱いものであったとしても、稲妻の力というものは人の身体を貫けば、その肌と筋肉を引き攣らせるものだ。
それを、折れた腕に? 惨事になるのは当たり前。
優しく撫でられた程度でも痛む、中身が折れてずたずたの腕を、握りしめてねじり上げられるようなものである。
「お前っ、普段は怪我した時にこんな力を自分に流してんのか!?
こんなの何度もやってたら、絶対頭おかしくなってるぞ……!」
「わ、私はそのぉ……
神様の御力を授かる巫女だからか、そんなに痛くはないんだよねぇ……
私以外にこの力を行使した時は、そうじゃないみたいでして……」
「あ~なるほど、お前だけは大丈夫だってことだな。
どうりで何も知らない顔で軽く勧めてきやがったわけだ……」
痛さだけで涙目になりかけているコナツが、額に手を置いて参った顔をするとおり、若雷鼓の力はアンズに対して、のみ、優しいのだ。
アンズ以外が対象であれば、たとえば切り傷にこの力を流そうものなら、血の流れる傷口を引き攣らせるという拷問的な痛みを伴うことになる。
先日、山奥にてカムロやキドウマルと戦った際、アンズは全身をざくざくに切り刻まれて傷だらけだった。
傷一つにさえ凄まじい痛みをもたらす神力を、容赦無く、それも全身の傷に対して行使なんてしたら、さしものアンズとて一秒で泣いて崩れ落ちるだろう。
そんな彼女が、その傷跡一つ残さぬよう、神力で全身の傷を癒し、塞ぐことが出来たのも、巫女たる彼女にだけは痛みを伴わぬ優しさが神力にあったからだ。
アンズがこの力を他者に行使する際に伴うものを、理解していなかったのはまさしくこのせい。
特別な立場にある、彼女だけがわかっていなかったのである。
「や、やめとく?
コナツですらそこまでだったら、流石に……」
「……いや、いいよ、やってくれ。
我慢さえすりゃ怪我が早く治るんだろ」
気が引けてきたアンズであるが、復讐を決意した人はこうである。
一日でも早く傷が治るのであれば、そうして一日でも早くより力を培う修行を再開したい。
一日でも早く鬼どもを皆殺しにしたいのである。ちょっとやそっとじゃない程のことに直面しても、死なない限りなら折れやしない。
「あの、大事なこと言っておくね?
今日一日で治るわけじゃないからね?
神力を注ぐたびに治るのが早まるだけで、完治に時間のかかる傷を最速で治そうとすると、何回もこの力を注がなきゃ駄目だよ?
だからそのぅ……出来れば、明日も、明後日も……」
「…………あ゛~~~~~……やっべ……」
一秒でもびっくりの痛さだったのに、これを何日もとは。
さしものコナツもちょっと折れそうになる。
静かに待てば何ヵ月も完治までかかる重傷を、早く治すほどの奇跡に付き纏う代償とは、なかなかに安いものではないようだ。
「いや、やるよ……頼むわ。
我慢さえすればいいんだろ」
「じゃ、じゃあいくよ?
これ以上は無理だと思ったら言ってね?
無茶し過ぎないでね」
おずおずと"若"の太鼓を叩いたアンズと、その太鼓を叩いた撥から放たれる稲妻が、コナツの腕に複数度折れた光の筋を顕す。
ばちばち、びりびり。折れて砕けた腕に拷問再開。
それはそれはもう、コナツの喉が悲痛な喘ぎ声を溢れさせ、それはもはや文字に書き起こせるものではない。
目の前でそれを聞かされるアンズたるや、同意の上ゆえ哀れみこそしないものの、若干きついものがある。
自分が苦しめているようで罪悪感めいたものがひどい。
うるさくしてしまってはまずいと思ったか、コナツは自由が利く方の右手で、襟をつまんで口元に持っていく。
ぼろぼろの服の襟をがじりと噛んで、さながら自ら猿轡を加え、悲鳴が出ないようにするための措置。
そして、もう一回やってくれと目で訴えるコナツに、改めてアンズは若雷鼓を叩いた。
「~~~~~~~~~~っ……!!
っ、っ……っ、ぐぅ゛ぅぅっ……!!」
口を塞いでも溢れる悲鳴があるのだが、家の外まで響くことはなくなった。
神職者の家から拷問が行われているような悲鳴が漏れていたら、事情はどうあれなんだかまずそうである。
そういう配慮がこの痛苦の中でも意識できるコナツときたら、本当によく出来た人物と評価できるはずだ。
「うう、ごめんねぇ、コナツ。
あなたがこんなにつらそうな目に遭ってるところ、申し訳ないんだけど……」
痛みを紛らわせようとでもしてくれるのか、話しかけてくるアンズの方を見るコナツ。
痛すぎて涙すら出てくる。女の子相手にあまり見せたくない顔。
ふぐぅ、ふぐぅと脂汗まみれの顔で、塞いだ口から喘ぎ声を漏らすコナツを見るアンズは、非常に申し訳なさそうな表情である。
「なんだか、今のあなたを見てるとぞくぞくするんだよぅ」
「するな」
『するな』
変な新しい扉を開けなくてよろしい。
こうして見るとアンズも改めて気付いてしまったのだが、コナツって初対面の時に年下に見えただけあり、ちょっと童顔入ってるような気がする。
そしてアンズは、基本的に可愛いものが大好き。しかもなんだか、歯を食いしばって頑張っているコナツが可愛く見えてきた。
そんなコナツが涙目で喘いでいる姿に、なんでぞくぞくするのかはアンズも今はよくわからないが、一生わからないままでいた方がコナツにとってはいい。
「ごめんねコナツ、頑張って。
やめてって言われたらやめるけど、私なんか今コナツに頑張って欲しくなってる」
「ぐぞっだれぇ……!」
申し訳なさそうな表情に偽りは無いのだろう。
しかし、明らかに歪んだ何かが垣間見える。
一方で申し訳なさそうなのが確かなら、自覚もなさそう。
なんか腹立ってきたコナツだが、身動きとれないほどきついので手も足も出せない。
妙なものに目覚めかけながらも、アンズは適度に長過ぎず短過ぎず、コナツに神力を注いだところで今日の手ほどきを終いにした。
一度に長々とこの力を注ぎ続けたらそれだけ早く治るという話ではないらしく、何日かに分けて短時間のこれを繰り返すのが最適だそうだ。
これはアンズも経験上から学んだことなので確かである。
もっとも、あまりにも痛いので、どんなに短時間であろうとコナツには何倍も長く感じられたし、明日以降もこの繰り返しだと思うと気が滅入る。
「えーと……毎日来てとは言わないけど、出来る限り通ってくれると回復も早くなるよ。
私は神社を出払うことが多いから、朝のうちに神社に来てくれると会いやすいかな」
「……わかったよ。
近場に泊まって、毎朝来るようにするよ」
上体を起こしたコナツは、汗だくの顔を拭う余裕もなく憔悴した表情である。
そんなコナツを気の毒に思いながらも、何故かアンズはコナツの顔から目が離せない。
なんだかどきどきする。断じて恋ではない。
「……一応、強めに確認しておく取っておく。
これで本当に、早く治るんだよな?」
「疑わないでよぉ。
信じてくれるって言ってくれたじゃん」
「お前のぞくぞくするとやらの顔見たら怪しく感じるんだよっ」
世話になっている相手に悪態を吐きたくはないが、目の当たりにしたものの胡散臭さに、言わずにいられぬこともある。
気まずそうに笑うアンズと、朝っぱらから疲れ果てたコナツの顔を見比べ、テンジンは溜め息一つ吐くのであった。
神力を貸した結果、白い目で見られるうちの巫女、どうしたものかねと。
主神をこんなやるせない気分にさせないで欲しい。




