第三五話 ~積年の怨みを晴らせ~
「ぐは、っ……!?
この……小僧が、っ……!」
この展開は、まずアンズには予想外だった。
カネグマにしてみれば尚更そうであろう。
ほんのついさっきまでの、強大な鬼に非力な人の子が挑み、どうにか勝利をもぎ取ろうと攻めあぐねていた光景は何だったのかとさ思える。
何が変わって、こうなった?
アンズにも、カネグマにも、いくら頭をひねってもわからない。
コナツの鉄拳がカネグマの横っ腹をぶん殴る。
痛烈な一撃に息が詰まりながらも、カネグマは反撃の拳を振るっている。
身をかがめて躱すコナツだが、明らかに先ほどまでと比べて余裕があるのだ。
攻めるにせよ躱すにせよ、ひとつひとつの動作が速い。
そこには一時的な敵の攻撃から逃れるための挙動こそありながら、それらに一つとして"逃げ"は無く、回避すら"攻め"の過程に過ぎぬほど反撃も速いのだ。
「っ、ぬ゛ぅあああああっ!!」
好き放題に攻め込まれている心地のカネグマは、激昂さながら狂ったように腕を幾度も振るい、コナツを無理矢理に退けさせる。
それに伴い、コナツから離れる方へと二歩退がるカネグマの方が、今は逃げていると言っても過言ではない。
「な、何故だ……!?
貴様、その腕はもう使い物にならぬのであろう!?
何故そんな貴様が、拙者を相手にここまで立ち回れる!?」
「てめえの動きはもう見切ってんだ。
さっきまでの俺よりも、今の俺が速く動けるなら、てめえの攻撃なんぞもう当たりようがねえだろ。
それだけの話だよ」
力無くだらりと降ろした腕を携えながら、堂々とした立ち姿で言い放つコナツは、まだ全身を使えるはずの赤鬼の心すらも呑み込んでいる。
いったいどちらが優勢なのだかわからない。片腕不全の決して背丈も高くない人間の若者と、頭ひとつはそれよりも大きい巨体の鬼。
返された言葉が何ら大言でもないことを既に痛感しているカネグマの方が、胸が僅かに後退するほど、精神的にも押されている。
「ず……ずっと、様子見だったっていうの……?」
「そう、なのだろうな……
憎しみに身を任せて挑んでいたように見えたのも、敵の目を欺くための芝居だったのかもな……
恐ろしき若者よ……」
圧倒し始めた根拠を口にしたコナツに、愕然とするばかりのミズタマとゼンドウだが、それは半分正解で半分間違いである。
コナツが鬼を心底憎むのは間違いなく真実だ。カネグマとの戦いの中でその激情をあらわにしていたのは、芝居でもなく本心の表れ。
ただし、それでも戦いの場において、頭は冷静だったというだけ。
絶対に負けられない戦いにおいて、勝ち筋を見出すための思考力まで、感情によって奪われては話にならない。
コナツはここまでの戦いで、しっかりとカネグマの動きを常に見極め続け、勝てる相手だと確信を持った今、攻勢に転じているというだけの話である。
「き、傷ついた身体で何故いま最も速く動けるというのだ!?
理に合わ……」
「馬鹿かてめえ、自分で考えろよ。
ちゃんと見てりゃわかる程度の話だろうが」
『随分と動転しているな、赤鬼の奴』
(自分でも口にしてたはずなんですけどね……)
コナツに危うい局面があれば手を添えられるよう、常に立ち位置を調整して構えているアンズだが、あまりに危なげない戦況に無駄口すら叩く余裕がある。
今はそばにテンジンのいないアンズだが、二人は離れていても多少の神力を投じれば疎通が出来る。
敵であるカネグマに同情はしないが、急に追い込まれて動転し、判断力が鈍っていることにだけはアンズとテンジンも理解できなくはない。
カネグマ自身も言っていたことではないか。
"神の力を賜った二人"と。
アンズの稲妻の力を神に賜ったものと認識したのと同様に、似たようなものをコナツも賜っていると。
そこまで考えが至っているなら、今のコナツをよく見れば、答えも自ずと導き出せるはずである。
それが出来ないほどにはカネグマも、経験の無い追い込まれ方に狼狽えているということなのだろう。
「わかんねえなら答え合わせは死んでからやってくれ。
てめえは舐め腐ってきていた人間にぶちのめされて消えてくれるだけでいい」
「ぬ、ぐううう……!」
今一度、片腕不足でも腰を落として構えるコナツの全身を、渦巻き纏わり付くように風が吹く。
彼の纏うものの端をはためかせ、しかし足元の砂一つ揺るがない風の螺旋は、見るも明らかに風がコナツの全身にのみ纏われるように吹いている様を表す。
コナツとて、わざわざ相手に手の内を晒さぬためにも、隠せるものなら隠したい風の動きには違いないのだが。
それほどまでに、目の当たりにさえすれば、色を持たぬ風の動きがそうであることすら、カネグマの目にも明白なはずなのだ。
風を纏う。それにより何が起こるのか。
雲を我が身に纏うことで、宙にて自分の動きを引っ張って貰うことも多いアンズには、特に容易く想像のつくことだ。
「いくぞ、外道」
「っ……舐めるなよ、人間風情が!
人の子が鬼の四天王を討ち取れろうなどと、その傲慢を叩き潰してくれる!」
圧されかけていた心を吠えて奮わせ、攻め気を取り戻すカネグマの対応は、ある程度の正しさを擁している。
だが、決定的に今のカネグマに欠けているものは、劣勢に陥っている根拠を打ち払い、この戦局を覆すための解答だ。
コナツは既に、人に勝る力を持つ赤鬼と、己の間にある敗北の根拠を潰し果たし、勝利に手を届かせるための道筋と解答を完成させている。
馬鹿でも戦うことだけは出来るが、馬鹿ではいよいよという時に勝てないとはよく言われる話である。
カネグマに駆け迫るコナツがあまりに速く、迎え撃つように前進しようとしていたカネグマもそれが出来なくなる。
直ちにその場での反撃の拳を突き返す動きに切り替えられる能力は流石なのだが、知れた苦し紛れの抵抗はコナツに読まれ、潜るように躱される。
蹴飛ばそうにも、カネグマが次の動きに移る前になお前進したコナツは、カネグマの腹部を裏拳で殴りながら敵の後方まで回り込む。
ぐほ、と息を吐いた矢先、振り返ろうとするもまたコナツの方が速く、飛んできた高い回し蹴りに二の腕を打ちのめされる。
「か、風の、力……!
まさか、この山の、神の……」
「もう遅ぇ。
今さらわかってどうにもなんねえだろ」
答えにようやく辿り着き、口にしながらも必死の防御に徹するカネグマを、コナツは防戦一方と化した相手への猛攻に切り替える。
纏う風。コナツの身体を、彼が望む向きへと常に追い風によって押し出すような、そんな力がずっとコナツを支えている。
生身でもある程度はカネグマを相手に渡り合えていたコナツが、そんな力によってさらなる速さを得れば、カネグマが対応しきれなくなるのも当然だ。
我が身を守るように構えたカネグマの腕に、コナツの連続の拳が突き刺さる速さも、カネグマが想像した倍以上の数。
拳を突き出すも引くも、風の力で倍速にでも化したコナツの拳の速さが、想定以上の手数となってカネグマに襲い掛かる。
「ぐう、があああああ……っ!
い、忌々しい、神の力めぇ、っ……!」
打ちのめされながらカネグマが後退する。
胴を踵で全力で蹴られても、一切動じなかったはずの屈強な赤鬼が。
それもそのはず、人の拳で殴られて、折れるどころか傷つきもしない鬼の肌が、一撃一撃を受けるごとに裂けるような傷を負っている。
手数で勝負しているコナツは一撃ごとの重みを出せていないが、それでも一打が鬼の腕にはっきりと血を流させている。
一秒に三度か四度、浅かろうとも小刀で切りつけられるような傷を負わせられれば、鬼の腕とてやがては使い物にならなくなるだろう。
それこそ傷が深くなってくれば、骨すら断たれておしまいだ。
(まるで鎌鼬のようですね……)
『妖とは異なる方のな。
渦巻く鋭い風が、人の衣服はおろか肌をも裂くというのは古来よりあることだ。
神の司る風の力を自在に操れるならば、左様な風を拳に纏い、敵を八つ裂きにすることなど容易いものよ』
思い返せば、コナツが死んだふりをし虚を突いて、カネグマの脇腹に掌底を打ち込んだ時もそうだった。
神の力は妖魔に対して劇的な効果を持つ。カネグマにあの一撃が効いた根拠は、それが神力によるものであったから。
そしてその時、カネグマの脇腹が傷つけられて血が噴き出したのも、それが風を司る神の力だったからだと説明がつく。
風を纏い、鬼をも翻弄する速さを叶えること。
そして、人の力では滅すること叶わぬ強大なる妖魔を討つため、決定打としての風の神力をその手に宿すこと。
これがコナツの戦い方だ。そして今、あの赤鬼を追い詰めている。
ただの人間如きがまして単身で我に敵うはずもなし、と、百年来の実績と自負から揺るがず信じていたカネグマの、鼻っ柱をへし折る優勢だ。
『ふふ、それにしてもあいつもなかなか強かだな。
アンズを連れてきたことに、"そんな意図"もあったのだとしたら、なかなか底の知れぬ若者だ』
(私? どういうことですか?)
『まあ気にするな。
それよりお前には、為すべきことがあるだろう?
格好の良い友人の戦いぶりに見惚れるのも結構だが、肝心な局面で目と耳を怠らせるようなことはするなよ?』
(はいっ、存じています!)
しれっと冗談を叩かれたが、アンズは付き合わず集中力を高めることに徹した。それはそれでテンジンも重畳である。
コナツはアンズに言った。よく見ててくれよ、と。
自分の活躍をよく見ていてくれという意味だろうか?
そんなわけがない。そんなどうでもいいことを、こんな大事な局面で彼が望むはずがない。
コナツがよく見ておいて欲しいと言ったのは、先程コナツの命を奪いかけた毒針の使い手をはじめとした、この優勢を覆しかねない横槍すべてに対してだ。
だから、テンジンはアンズのそばを離れて動いている。暗躍していると言ってもいい。
主神にこのようなことをさせることに、アンズは少々気が引けるのだが、テンジンの方は望むところである。
暗躍している奴がいるのは向こう陣営もそうだ。そんな奴らに、大切な愛娘とその大事な友人を取られてたまるものか。
許すわけにはいかない。そのために為せることが己にもあるなら、神らしくないと言われようがテンジンにしてみれば本望である。
「げガ……ッ!」
ちょこまか動くコナツに跳躍回避を強いる攻撃を仕掛け、浮いた彼を捉えようとしたカネグマが、宙から顔面を足を突き刺されて後ずさる。
相手が思惑どおりに跳んでくれた瞬間にはよしと思った矢先、草鞋の裏で顔を足蹴にされるという屈辱を味わわされ、敵は無傷で宙にて体を回し着地。
傷ついた鼻を押さえてコナツを睨みつける怒りの形相も、今のコナツの心に一抹の恐怖心も齎し得ない。
「どうしたよ、尋常に勝負してやってんだぜ。
お前の望んだ一騎打ちだ、もっと楽しそうにやれよ」
「ぐ、グ……きさ、まぁ゛……!」
「鬼は嘘をつかねぇらしいが、つくづく馬鹿馬鹿しい話だわ。
親分の酒呑導獣郎が、捧げものの酒の毒に苦しんだ末に敗れたからだったか。
それでてめえら鬼は、嘘や策略を蛇蝎の如く嫌うんだよな」
傷つき動きの止まったカネグマを前方に見据え、コナツは積年の想いを吐露すべく痛烈な罵倒を紡ぎ始めた。
挑発に前のめりに飛びかかろうとしたカネグマであったが、かつての主の名を聞けば足が一度止まる。
だが、頭に上った血は単純な挑発によって滾るもの以上の熱を帯び、カネグマもまた積年の怨念が燃え盛る。
「そうだ! 卑怯で姑息な人間どもの策略により、我らが敬う御大将は無念のうちに討ち取られた!
あれ以来、貴様ら人間は我ら鬼にとって唾棄すべ……」
「なんでてめえらのような最初っから人間以上の力を持つ相手に、俺達人間が馬鹿正直に尋常に勝負しなきゃいけねえんだよ。
策も戦略も無しに、普通にやっても勝てない相手に真っ向から立ち向かい、敗れて平伏しろっつってんのがてめえらの主張だろうが。
お前、本当に好きだよな。尋常に勝負、って言うのがよ」
コナツはずっと、カネグマのこと糞野郎と内心で蔑み果たしてきた。
和良村にしばしば降りてきては、好き勝手に家屋を壊し、畑を踏み荒らし、しばしば人を殺めすらして。
その都度、言うのだ。文句があるならかかってこい、と。尋常に勝負だ、と。
誰も挑めぬ和良村の真ん中で、臆病者どもめと大笑いして、引き連れた黒鬼どもと村を蹂躙した挙句、満足げに帰っていく。
強者の暴力、理不尽、身勝手。何度殺してやりたいと思ったか。
「てめえは俺が毒針を受けた時も、一対一の尋常なる勝負に横槍を入れられたことなんかより、危ない場面で助かったことに満足げだっただろ。
言ってることは表向きだけで、てめえは自分が勝てりゃあ過程なんてどうでもいいんじゃねえか。
尋常に勝負とかほざくのは、それが自分が人間相手に一番有利に戦えるからだろうがよ」
「ぬ……ぐ……!」
「てめえは自分にとって都合のいい戦い方を双方が選ぶことで、自分が有利な上で安心して勝ちたいだけだ。
拙者だの尋常に勝負だの、言外の納得と道理に則った共通の信念を交わし合う武士の、無限の戦乱に一筋の光を差さんとする士道をてめえが嘯くな」
臥薪嘗胆、いよいよこの日それが果たせんとするこの時、コナツは積もり積もったこの想いを吐き出さずにはいられない。
滅してやるだけで気が済むか。何年に渡り、お前らに故郷をぶち壊され、何度立て直してもお前らにまた振り出しに戻されたか。
己の浅ましさを今一度突き付けられ、屈辱に塗れたまま死ね。
一度殺して滅する程度で気が済むか。
出来るものなら三度でも四度でも殺してやりたい相手なのだ。
「都合の悪い相手の戦い方は、姑息だの卑怯だのと非難して認めない。
自分にとって都合のいい勝負しか好まねえくせに、闘争こそが我が生き甲斐と宣ってんのが呆れるわ。
無双の強さを誇った大親分が討ち取られれば、残党なんつうのは生き汚くなるばかりの臆病者に成り下がり、誇りも何も無くなるっつういい見本だわな」
「っ、っ……!
鬼を愚弄するか貴様あああああっ!!」
「舐めてんじゃねえぞ、弱い者虐めに慣れたくそったれが!!
俺達を理不尽に弄んできたどの口が抜かしてやがんだよ!!」
怒りが度を越し半狂乱で襲い掛かってきたカネグマの思考無き鉄拳を、コナツもまた真っ向から全力の拳を突き返した。
生身同士であれば人類の絶対的敗北だ。だが、纏う神風により鬼の拳にも勝る速度と重みを持つ、コナツの拳。
彼の拳を壊されるよりも早く、神力の風はカネグマの拳を押し返し、コナツの拳は痺れこそ得るものの砕けはしない。
ずばずばと拳はおろか腕までもが切り刻まれたカネグマがたじろぐ中、引いた握り拳を胸の前で握り締めるコナツの仁王立ち。
もはや、どちらが格上かなど誰の目にも明らかだ。
「ぐぅ、があ、っ……!
か、神の力を後ろ盾に、粋がる人間の分際で……!」
「そんな相手にてめえは今から消されるんだよ。
生まれ持った強靭な肉体に甘え倒して粋がってたつけを払う時だ。
さんざん見下してきた相手に追い詰められて、今どういう気分か教えてくれや」
はいはい、わかっていた。こいつはそういう奴。
調子のいい時は生まれながらの自分の力で好き放題し、風向きが悪くなれば自分を追い込んできた相手の要因を卑怯と言う。
自分にとって都合の悪いことは一切受け入れず、己の正当性だけを守るための自己完結した思考に、他者も合わせてくれなければ癇癪を起こすのみ。
神の力を借りた人間を卑怯だとばかりに誹るが、こいつの理屈は突き詰めれば、業物の刀を手に挑んでくる人間すら、独力ではないと批難し得る。
自分が不利になるものに、もっともらしい理屈をつけて理不尽であるかのように振る舞っているだけだ。
人類からすれば、どう足掻いても勝てない相手に何年も村を荒らされ続けることの方が余程に理不尽である。
「ぬぐ、ううぅぅぅ……!」
「もう遅ぇ。
死ね」
腰が引けて返す言葉も失ったカネグマの姿に、コナツは一切の爽快感も感じない。
憎き相手がついに敗北と死を意識して、恐れの感情を露わにすれば、ざまあみろと満足できる?
十数年来の憎しみがそんなもので易々と晴れるか。怨みを舐めるな。
たとえ泣いて謝られようが、四肢をもぎ取られた絶苦に泣き叫ばれようが、少なくともその命を葬るまでは絶対にこの憎しみは晴れない。
真の意味での積年の怨みに、ざまあ見さらせという言葉はそう易々とは連なるまい。
再びカネグマに自ら接近し、確定した勝利に向け一切の容赦無き攻勢に移るコナツ。
生まれて初めて直面する、己を命ごと圧し潰さんする怨念にすっかり呑まれたカネグマの心模様も相まって、決着はもはや時間の問題だった。
「馬鹿は痛いところを突かれるとすぐ発狂する。
まあ、言い返せぬほど痛いところを改められぬから馬鹿なのじゃが」
離れた高所からながら、冷めた目と耳で両者のやり取りを見ていたアオグマが、握っていた筒に毒針を装填する。
毒針を発射するための、弓より手軽な矢筒とでも呼べよう飛び道具。
鬼の肺活量と、それを扱うアオグマの知恵を併せることで、戦場外からさえ決定打を撃ち込める強力な武器だ。
「のう、イブキ。これは卑怯かの?」
「…………」
「くふふ、少なくともカネグマはこれを求めておる。
生き残りを懸けた勝負に卑怯も糞もあるか。
上っ面だけ正々堂々を標榜するカネグマの愚かしさを是正するのも、年長者たるわしの務めよ。
まったく、馬鹿を配下に持つと気苦労が増えてかなわんわ」
アオグマは矢筒を咥え、狙いを定める。
がつがつカネグマを片腕と蹴りだけで追い詰める、コナツを狙いに定めてだ。
先はあの巫女が解毒を為したようだが、次の一撃は決定打になるだろう。
頭の悪いカネグマでも、目前で毒矢を受けて一瞬でも動きが止まった敵ならば、鬼ゆえの豪快な攻撃力で必ず葬れるはず。
絶対的優位に立った者をも覆せる一手。毒には、それだけの決定力がある。
『アンズ、今だ! 此処へ撃て!!』
「火鼓! 春告!!」
テンジンは、そのアオグマの背後に回り込んでいた。
アンズと自らの間に、胡坐をかいたアオグマがいる場所に。
そんなテンジンの声を受け取ったアンズは、主神の存在する位置へ向けて稲妻の砲撃を放つ。
毒針の出所を探しようがなかったアンズ、そして巫女のそばを離れて潜伏した敵を探すことが出来るテンジン。
コナツの勝利へ真っすぐ進むこの戦況下、必ず再び毒針の使い手が動くであろうと確信していた両者の思惑は、何ら誤算なく果たされたと言える。
誤算があるとすれば、アオグマのそばにいた黒鬼のイブキが、アオグマを狙い打った稲妻砲撃の間に立ち塞がったことだ。
こんな展開も、決してテンジンは想定外だったわけではない。ただし、あくまでほんの僅かの可能性でしかない。
それでも知恵に乏しい黒鬼が、色鬼を庇うために神力の稲妻を前に身を呈すなど、決して前例が多いことではなかった。
そして、何よりも。
「ぬ、ぐうううぅぅぅぅぅ……っ!!」
『アンズ! 失敗だ!
毒針の使い手を仕留められてはおらぬ!』
(うそ!?)
テンジンにとっての想定外とは、アンズの春告で黒鬼を滅せず、青鬼に雷撃が届いていないことだ。
たとえこの黒鬼が身を呈して青鬼を守ろうとしたとて、強い神力を擁したアンズの雷撃は、黒鬼を貫き青鬼に届くはずだと見込めていたから。
いかにその身を盾にしたとて、神の雷撃をそこで防ぎおおすほどの黒鬼こそ、前例など無く想定も出来なかったことなのだ。
アンズの全身からぶわっと汗が噴き出す。
コナツの本懐、求められていた毒針の使い手を封じるという使命を、ここ一番で果たしきれなかったという主神の報告。
イブキの庇い立てにより、何の邪魔もされずに済んだアオグマが、ほくそ笑んでコナツへ毒針を吹き放つ結果を、アンズは止められなかったのだ。
『!?
馬鹿者、それは……』
考えるより体が先に動くアンズだ。
己が撃つべき砲撃方向を認知できた時点で、潜んでいた相手の位置だけはわかっている。
そして、そいつが放つ毒針の発射を止められなかった。
その上で、コナツに致命打となり得るその凶手を食い止めるには、我が身を呈してでもコナツにそれが届かぬようにするしかない。
矢のように駆けたアンズの動きを察したテンジンが、思わず制する声を届けても、動き出した彼女はもう止まらないのだ。それがアンズなのだから。
「いづ……っ!」
「!?
お前、っ……!?」
伸ばした手の甲で飛来した毒針を受けたアンズだが、その際目にしたコナツの反応でむしろ青ざめた。
こ、これはやってしまったのでは……?
コナツはどうも、毒針の飛来には気付いていたと見える。熱くなってカネグマをこてんぱんにしているように見えて、ちゃんと警戒していたのだ。
後から思えば、一度目は奇襲ゆえに受けはしたものの、伏兵とその手の内が割れている上で、無警戒であるはずもない。
思わず動いてコナツを守ったアンズであったが、結果的に彼女がやったことは、コナツを心配、動揺させただけになってしまったらしい。
「っ、があああっ!!」
「づぁ……!?」
カネグマからすれば千載一遇の好機に他ならなかった。
隙一つ無く、自らを一方的に追い詰めていた相手が、思わぬ形で僅かな惑いを見せたのである。
腰の入っていない不完全で即座の一撃でありながら、振り抜いた拳はコナツを捉え、それを已む無く右手添えの左半身で受けるコナツを殴り飛ばした。
やはり鬼の筋力は凄まじい。あまりに咄嗟に繰り出した一撃で万全の力が入っていなくとも、コナツを大きく突き放す力がある。
「うぁ、っ……やば……やば……っ!」
「せめて、貴様だけでも……!」
毒針を受けたのとほぼ同時に"咲"の太鼓を叩いて絞り出した神力で、アンズの身体に回るはずだった毒は即座に浄化されている。
それでも余程の即効性の毒なのか、ぐわりと目の前が歪む気持ち悪さがある。こんなに早くて強い毒だったなんて。
神の力は確かなので、やがて消えるこの毒に殺されることはないが、今がまずい。
まっすぐ立つのもつらいこの短時間に、カネグマが睨みつけたのは一度退けたコナツではなくアンズだ。
もはやコナツを討つことは諦めたのだろう。せめて一人でも敵を葬り、痛み分けの引き分け同然を狙う魂胆だ。
「ひ、火鼓……っ!」
「死ね!!」
もう躱せない上で、受ければ確実に一撃死の赤鬼の攻撃。
アンズは決死の想いで"火"の太鼓を打ち、撥二つを交差させて振り下ろした。
八重咲の技の名を唱える暇も余裕も無く、今この場を乗り切るためだけの悪あがき。お願いだから何とかなれ。
交差させた撥から放出される、やけくそに神力をつぎ込んだ稲妻が一気に爆裂し、蹴り足を振り抜きかけていたカナグマを強襲する。
それでもカネグマは足を止めなかった。火花と神力に全身を、そして何よりアンズを蹴飛ばすための足を最も焼かれながら。
猛火の陰に隠れた相手を、自ら火の中に足を振り抜いてでも蹴飛ばす一撃は、ついぞカネグマの攻撃を止めるには至らなかったのだ。
顕現化させた撥を鬼の足が蹴り、そのままそれを押し込んで、前のめりなアンズの胸を破壊的な一撃が捉えるに至る。
今なにか砕けた。胸の下で何かが。
全部粉々にされてはいないと思う。だが、はっきりと何か折れ砕けた音がアンズの耳には聞こえたのだ。
それを認知するや否や、鬼の痛打により蹴飛ばされたアンズが、盆地の端まで地を擦ること一つせず、斜面に豪快に叩きつけられる結果を招く。
アンズも可能な限りの生存行動は取っていたのだ。せめてもと後ろに体重を逃がして蹴りを受け、地面に叩きつけられる際にも本能的に受け身を叩いて。
それでも叩きつけられた瞬間に持っていかれた後頭部を打ち付けて、毒で一時的に歪んでいた眼前は一瞬で星の光でいっぱいになる。
「はっ……ははっ……!
見たか、人間風情が……!」
舞い上がった砂煙が晴れぬその中には、両手両足を投げ出したまま、首にも力が入らず顎の下を晒したアンズの倒れた姿があった。
この結果に、一矢報いたと満足げに笑うカネグマだが、その悪辣な達成感がこの鬼の命運を分けることになる。
一刻も早く逃げればよかったのだ。本当に、ただそれだけでよかったのに。
自分に都合の良い条件下での弱いものいじめばかりしていると、これほど簡単で明白な最後の決断すら、見失うようになるのだろう。
つけを支払う時は訪れた。自らが積み重ねてきた膨大な負債による応報だ。
「がブ……!?」
さあ逃げるぞとばかりに、コナツの位置を確認しようと振り返った瞬間が終わりの始まりだ。
飛来したコナツの膝がカネグマの顔面に突き刺さり、纏った風はカネグマの頭部に渦巻き纏わり、その全体をずたずたに切り裂く。
打ち抜かれた鼻も同様だ。風の刃は目をも傷つけ、目の前に飛ぶべき星ももはやカネグマの視界には映りようがない。
そのまま倒れたカネグマが後頭部を地面に打ち付けたその直後には、跳ねた頭が再び地面に叩きつけられる。
コナツの踵が、カネグマの顔面を石をも砕く勢いで踏み砕いたからだ。
「オご、ガ……待…………ま……」
命乞いなどもはや通用するはずもない。
カネグマの胸の上に馬乗りになったコナツの拳が、幾度もカネグマの顔面を粉砕する。
目が見えずとも何故かはっきりとわかる、友達を目の前で傷つけられたコナツの憎悪と、鬼にも勝る戦鬼の形相。
抗おうとコナツに手をかけようにも、顔とその骨、さらには中身まで粉々にされていく中、カネグマの手に伝わる力などもはや無い。
浮いた手が痙攣し、やがて力無く地面に落ちても、コナツはカネグマの頭部を削り潰すことをやめない。
神力が鬼の頭部を介して全身に届き渡り、ついにはカネグマの全身、および頭部が灰になって消えていくことで、ようやくコナツは拳を止めた。
座っていたものが雲散霧消し、自ずとその場にへたりと座り込むような形になったコナツが立ち上がる。
彼が見下ろす先に、もはや憎き赤鬼の姿は無い。
それでもコナツは、カネグマの頭があった場所に、ぷっと唾を吐いてその死をも悼むどころか尚も穢すことすら厭わなかった。
「ざまあ見やがれ……!」
故郷を荒らし、弱者を嗤い、罵って、時には村の隣人の命すら奪っていった、十数年来の憎き仇。
私怨の辿り着く先だ。人をも鬼に変える。
友人を救うために夜の森をも駆けた義理堅い快男児が、我が手で葬った者に死体蹴りにも近しい言葉を吐き捨てるほどにだ。
怨みというものは凄まじい。




