第三三話 ~赤鬼カネグマ~
「お前、本っ当に名乗りが好きだよな。
和良村で聞き飽きてんだわ」
「ほう、貴様は麓の村の者だったか。
であれば、我らを目の敵にすることにも得心がいく」
心底うざったそうに頭をがりがり掻きながら言い放つコナツと、文脈からコナツの生い立ちを知り己の顎をこねる赤鬼カネグマ。
悪逆非道の鬼を絵に描いたような相貌でありながら、たいそう上機嫌なことだけは伝わってくる。
アンズは正直、既に外道認定した相手が嬉しそうにしているだけで、なんだか胸の奥がむかむかしてくる想いである。
「あの村には……」
「黙れ」
カネグマの口上など一つも聞きたくないとばかりに、コナツの切り捨てた一言が静かな盆地に響く。
ミズタマとゼンドウを残し、この場にいた動物も妖もすべて散り去った後だ。
ほんのささやかな風が鳴らす木々の葉の音でさえ、今この場に残った者の耳には鮮明に聞こえただろう。
「邪険にされたものだな。
だが、拙者は貴様と相見えられて嬉しいのだぞ?
しばしばこの山に侵入し、鬼を狩る、人の子とは思えぬ実力と胆力の持ち主のことを耳にするたび、戦ってみたいと恋焦がれたものなのだからな」
「くだらねえな。
てめえは強者と戦うのが好きなんじゃねえ。
勝つのが好きなだけだろうが」
「そうとも。
力有る者との戦いの末に勝つことでこそ、我が力を高めていける。
貴様のような強者と戦い、勝利することで、拙者は更なる高みに上り詰めていける」
もううんざり。
対峙して言葉を交わすのは初めてだが、案の定、こいつは話が通じない。
話すだけ時間の無駄だ。コナツは天を仰ぎ、はぁ~っと呆れ倒した溜め息を吐かずにはいられなかった。
「いつも拙者が駆けつけようとした頃に、貴様は既に去った後だ。
そうした自信の無さも、お前の冷静な知恵の証左には違いない。
そして今、貴様は逃げずに拙者の前に残っている。
この一戦をようやく叶えられる拙者の喜び、わかるかな?」
「あぁあぁ結構、もう喋るな。
今日は逃げも隠れもしねえよ、お前とやり合えるなら望むところだ。
お前の傲慢な鼻っ柱へし折って、這いつくばらせた末に葬ってやるからよ」
「なるほど、今日は自信満々というわけか。
根拠はその、初めて見る珍妙な出で立ちの連れか?」
「珍妙とか言われたんですけど~」
『珍しくはある』
(褒められてないなぁ)
アンズは決して肩の力が抜けているわけでもないし、かつて無いほどの敵との戦いを目前にして、普段以上に緊張してすらいる。
だが、行儀の悪い口様が思わず出る。むかつく相手と喋る時のように。
こいつは嫌いだ。発する言葉を聞けば聞くほど、こいつは身勝手な屑っぱちだと、先入観を抜きにして理解が深まっていく一方である。
「気に障ったなら詫びよう。
二対一、おおいに結構。拙者を……」
「どうでもいいんですけど、一つお尋ねしてもいいですか?」
「む?」
よく喋るカネグマは、アンズにさえも言葉を遮られる。
アンズも嫌なのだ。こいつの勝手な喋りをいちいち聞かされるのは。
一人称が"拙者"という時点で、そこですらアンズはカネグマの人格に対する評価を下げているほど。。
「山の麓に和良村っていう村があるんですけど。
あなたも、そこを襲撃したことはあります?」
「勿論だが」
「はい、わかりました。
容赦なくかかります」
もうわかった。改めて確信するばかり。
こいつは口ぶりと行動が一致していない。
百害あって一利なき外道だと、今改めて断じたアンズは臨戦態勢を取る。
コナツも早々にそうだと理解してくれたアンズの挙動に、ほんの少し、小さく笑って、開戦に控えた握り拳を作っていた。
「随分な言われようだが、拙者は貴様らにとって討つべき敵には違いないからな。
よろしい、滅ぼしてみよ。
ミズタマも、ゼンドウも、余計な手出しはしてくれるなよ?」
「うぅ……」
「……ミズタマ、大丈夫だ。
お前のことだけは、私が守り抜く」
強者の余裕を口にして、手のひらをごきごきと鳴らすカネグマの強さは、それをそばで見てきたミズタマとゼンドウはよく知っている。
消えて欲しい侵略者だ。それでも、自分達で挑むということは出来ない。勝ち目が無いからだ。
それほどまでに、闘争の世界に生きる赤鬼の強さは尋常なものではない。
ゼンドウとミズタマも、アンズとコナツ、カネグマが睨み合う両者間から離れた場所に移る。
戦場となるであろう場所から一歩ぶん退いた、この戦いを見届けられる部外者の立ち位置。
心の底ではどちらの勝利を願っているかなど語るべくもなく、カネグマは二人の姿を見届けて小さく嘲笑する。
「拙者に逃げず挑む人間は久しぶりだ。
どれほどのものか、見せて貰おう。
きっと、楽しい戦いになるであろうな」
「アンズ」
「うん、潰そう。徹底的に」
構えたカネグマ、既に一瞬で動ける姿勢の二人。
大和龍山に跋扈する鬼を掃伐するためには、決して避けては通れぬ敵。
コナツも、アンズも、決して落とせぬ戦いだと強く認識し、その瞳に宿る闘志は燃え盛っている。
「いざ、尋常に勝負!
かかって来い!」
拳を胸の前で打ち鳴らして吠えたカネグマに呼応するように、アンズとコナツは同時に地を蹴った。
コナツは真っすぐにカネグマへ、そしてアンズはカネグマの側面に回り込むように。
黒鬼如き何匹でかかって来ようが三下扱いで軽く一掃する二人が、たった一人の鬼に全霊の連携で以って挑む死闘の始まりだ。
「くふふふ、強いな!
徒手でこれほどの力を発揮する者と、拙者も初めてだ!」
「その面構えが歪むのが楽しみだわ……!」
踏み込み正拳を幾度も突き出すコナツの連撃を、カネグマは余裕いっぱいに腕を構えて受けきっている。
一撃受けるごとに一歩退がるのは、その一撃一撃の衝撃を後方に逃がすためだ。
人間如きの肉体が生み出す打撃に、我が身が砕けるとは微塵も思っていないにも関わらず、勝負の出だしは慎重な立ち回りである。
見方を変えれば、現時点では様子見段階ということ。
「っち……!」
「ほほう、頭に血が上っているように見えて冷静だな!
やはり良い、貴様は良いぞ!
力だけの馬鹿とやり合う興醒めは免れさせてくれるようだ!」
「いちいちうるせぇな……!」
コナツの拳を掌で受けようとしたカネグマの動きを感じれば、コナツはその拳を止め、その手首を振り上げた足で蹴る動きに変える。
鬼に捕まれたら終わりなのだ。力いっぱい握りしめられたら、人の体はさぞ柔らかく砕き潰される。
葉に包まれた枝を人の手が容易に握りつぶせるように、鬼の握力を以ってすれば、肌に包まれた骨も小枝の如く粉砕するも一瞬。
鬼の掌に体の一部を捕らえられるというのは、その部位が欠損することと同義と捉えるべき。
「しかし、何よりも気になるのは貴様が連れてきた切り札だ。
今のところ動きは見せぬようだが……?」
「火鼓、蒲公英!」
「くはっ、来たぞ来たぞ!
さあ、どんな芸を見せてくれるのか楽しみだ!」
よく口が回るカネグマだが、それもコナツの猛攻を捌きながらだ。
アンズからも目を切らず、彼女が"火"の字の太鼓を叩いて生み出した無数の雷球が、カネグマの周囲を包囲する様も胸躍る目で見渡している。
今が様子見で攻勢に出ず、生存と防御に徹しているとはいえ、初見の技に余裕たっぷりに笑う敵の姿は、アンズも長丁場の戦いを意識する。
あの余裕を崩すまでには時間がかかりそうだ。
「お前本当にお喋りだな……!」
「くははは、黙らせてみるがいい!
今のところ、取るに足らぬ人の子が二人いるだけにしか感じぬぞ!」
「さあ、どうでしょうねぇ……!」
「ぬぐっ!?」
今も攻め込むコナツの重い連撃を受け続けるカネグマの前に、まばゆく強い光が発せられてその目を眩ませられる。
コナツの後方に浮かんでいたアンズの雷球が、強い発光と共に消え、その一瞬で以ってカネグマの目を潰しにかかったのだ。無論、コナツには何ら悪影響無い。
アンズが生み出した雷球の数々は、仮に妖魔に触れても強い雷撃で敵に深い傷を与えるものではない。
だが、任意の雷球に強い発光を伴う消滅を命じることで、敵の目を潰すことは出来る。
一対一の場面ではアンズも使いどころの少ない技であるが、こうして頼もしい仲間と共に戦うにあたっては、有力な支援技として活かしやすい。
それによって視界が悪い瞬間を挟み、アンズの雷球の真意と、今後またこれが再現されると見たカネグマが、一度防戦一方の構えとなる。
構えた腕にコナツの重い一撃を何度も受けるのは、蓄積する傷という観点からも、戦いが長引くのであればカネグマにとって望ましい展開ではない。
「姑息よなぁ、極めて姑息よ……!
こうでもしなければ我らを討てぬか!?」
カネグマは、一度大きく跳び退がってコナツから距離を取る。
同じ程度に同じ方向に位置を移し、同程度の距離を保ち続けるアンズの姿も確かめつつ。
迂闊に追撃するわけにもいかず、一度足を止めて構え直すコナツと、己を囲ってついてくる雷球との距離感を今一度見渡すと。
「それでは、叩き潰してやろう!
斯様な小賢しい戦い方ばかりで、拙者を葬れると思われては堪らぬからな!」
様子見もここまでだ。
ここまで積極的な攻め気を見せず、アンズ達の手の内を暴かんとしてきたカネグマも、心の底ではもう焦れ始めていた頃だ。
こちらが攻めればどう返してくる? 楽しみだ。
足元の岩を踏み砕き、ぶはぁと息を吐く口の端が上がったその表情は、いよいよこの闘争を愉しみ始めんとする鬼の顔付きそのものである。
「っ、ちぃ……!」
直後、自ら稼いだ距離を今度は一気に詰め返し、コナツに迫るカネグマの突き出す拳がコナツの髪を掠めた。
キドウマルをはじめとする、人外黒鬼の強襲さえ余裕の無表情で凌ぎ、反撃を返すことすら容易のコナツが、身を傾けて躱す回避行動も大きい。
速いのだ。目だけでは捉えられなかったほどに。歴戦の勘混ざりの反射神経で、どうにか直撃を避けることに注力した結果である。
続けざまに顎下から殴り上げてくるかのようなもう片方の拳を、大きく跳び退がることで躱すコナツの動きの大きさは、"避け"より"逃げ"の挙動に近い。
ひとまず生存だけを最優先にし、すかさぬ反撃を繰り出すことが出来ない回避からでは、決して相手を突き崩すための展開を次に紡げない。
「くははは、さあ来いさあ来い!
逃げてばかりでは拙者は討ち取れんぞ!」
「っ、いちいちうざって、ぇ……!」
「コナツ! 見逃さないでね!」
隙をだ。私が作るから。
いくら強いコナツでも、人の身で受ければ一撃で致命傷となり得る鬼の鉄拳を、カネグマがコナツの攻撃を受け凌いでいたのと同じようには捌けない。
繰り出されるカネグマの連続攻撃。拳と膝と肘を振り回し、コナツがカネグマを猛攻していた時以上の速さで追い詰めてくるカネグマはやはり強い。
まともに受ければ終わりの猛攻を、コナツも今は凌ぎきることに注力する。それで精一杯とさえ傍目には見える。
この窮地に打開を試みるべきはアンズだ。
短い時間で妙手を導き、たった一人の友軍に逆転の切っ掛けを。それが頼られ声をかけられた相棒の為すべき使命。
アンズはカネグマに目で追われながらも、その立ち位置をカネグマの右側離れた場所に移している。
「火鼓っ、春告草!」
「その程度か!」
コナツの背後に浮かせる雷球に強い光を放たせ、カネグマの目を眩ませるとほぼ同時、その側面から撃ち込む稲妻の砲撃。
一瞬ながらも目を潰された中、迫った強烈な一撃を後退して悠々と躱すカネグマの動きは、アンズの支援攻撃が稚拙だったことを物語るかのよう。
アンズ自身もわかりきっている話なのだ。目くらましの手の内をこれだけ明らかに晒した上で、それを併用した奇襲など奇襲にもなり得まい。
退いたカネグマとコナツの間に、アンズの放った太い雷撃が、虚しく何一つ捉えることなく駆け抜ける光景がそこにあるだけだ。
「なに……!?」
「え、うそ!?」
そんな瞬間に相手の想像を、あるいは味方の想像すら超えてこそ、アンズの言葉に応えられる。即ち、隙を見逃すなという言葉に。
アンズの放った稲妻砲撃がコナツとカネグマの間に残るうちから、コナツは迷いなくカネグマの方へと勢いよく前進した。
つまり、味方の放った雷撃の残光に自ら横から突っ込んでだ。
その身にアンズが作った電撃を少なからず受け、全身にひびが入るような感覚を得ても関係無い。
光に目をも潰されそうな中をくぐり抜けた瞬間には、もう目の前に怨敵の姿がある。
敵と己の間に横切った雷光が消えた瞬間に敵が来る、そう常識的に読んで構えに入ろうとしていた矢先のカネグマに迫ったコナツは、予想より遥かに早かった。
一度相手に距離を作らせるから、それを反撃の切っ掛けにして欲しかったアンズの想定を、コナツは良い意味で越えたということだ。
それでも咄嗟に相手の顔面を掴みかかろうと、開いた手を突き出してきたカネグマの反射的な反撃は、虚を突かれたとは思えぬほどのものだった。
コナツは怯まない。全身を電撃に晒された痛みすら、何事もなかったかのように、無駄無き動きで潜り込むようにしてそれを躱す。
さらには続いてカネグマが、低姿勢で駆けるコナツの頭を打ち抜く膝を振り抜いてきても、極めて無駄無く滑り込んで凌ぐのだ。
背中を地面に着けてでも滑り込み、カネグマの側面背後まで逃げ延びて、そこに至れば即座に立ち上がり。
一瞬背中合わせになった瞬間に、カネグマがコナツに振り返ろうとする中、コナツは既に今日一番の一撃を振り抜いていた。
「ぜえあっ!」
腕の振り、腰の捻り、それにより生み出す我が身の回転により繰り出す回し蹴り。
踵をカネグマの横っ腹に全力で突き刺す、全力かつ最も己の硬い部位の一つを打ち込む会心打は、赤鬼の腹筋に守りきられていない場所に直撃する。
鍛え抜かれた彼が繰り出すその一撃は、小さいものなら岩すら砕き、すなわち人が相手ならば、骨はおろかその内側まで潰すほどの破壊力。
刀を持たぬ若獅子の、徒手にして殺人をも一撃で叶える一撃は、防御すら許さず的確に入ったはずだった。
「ぬぅ、ぐ……っ!
見事だ……人の子にしては、な!」
「っ、づぅ……!」
その破壊力が、丸ごと自分に返ってきたかのような手応えもまたある。
例えるなら巨木。それも、十数人で手を繋いで囲うほどの、雄大なる古樹の幹を全力で蹴ったような。
洪水に巻き込まれても折れないそれを、無謀にも人の子が全力で打ち据えて、敵うはずもなく自傷することを彷彿とさせる、あまりに不動の赤鬼の肉体。
息を堪えたカネグマの反応からも、まったく効かなかったわけでもないのだろう。
それ以上に、踏ん張ったカネグマが、自らの横っ腹を蹴ったコナツの脚を、脇に抱えるようにその腕で捕らえてきたことが問題だ。
そのまま絞められただけでも脚の骨を折られると、鬼の腕力を知っているコナツの次の行動は早かった。
逆の脚を踏み切って、カネグマの顎を蹴りにいく。体が逆さまになってもだ。
これも痛打、怯んで上を向いたカネグマの腕から、捕らえられかけた脚を引き抜くコナツだが、滑らかに抜けなかったぶん空中姿勢は乱れる。
どうにか無理にでも宙で後方に回りきるも、足を下にして落ちるのが精一杯で、両手と片膝と片足の、しゃがみこむような姿勢の着地が限界だ。
無双の怪力を持つ相手の目前、すぐに動けぬ姿勢は死に体そのもの。
「受けてみよ!」
「ぐう、が……!?」
うずくまる子兎を人が蹴飛ばすような乱暴な一撃がコナツを捉えた。
辛うじて構えた両腕でカネグマの足の甲を受け、重心を後退させ、不充分だが後ろに跳ぶ方に足にも力を入れて。
可能な限りのことはすべて尽くした。
その上で、両腕が砕け散ったかとすら思えるほどの重みと痛みを受け、コナツがカネグマに蹴り飛ばされる結果がその後に続いた。
「こ、コナツ……!」
「くははは、他愛も無い!
よく善戦した方だとは思うがな!」
小石が蹴飛ばされるほどの速度で人の体が吹っ飛ばされ、盆地の端、砂利混ざりの斜面にコナツが背中から叩きつけられる。
砂地に大きなものが激突し、舞い上がる砂煙がコナツの体を一度は覆い隠したことが、彼の身を貫いた衝撃を物語っている。
相棒の死すら現実的な光景にアンズが青ざめ、カネグマが充分な手応えに笑う、そんな二人の前でゆっくりと砂煙は晴れていく。
そこには砂地の斜面に背を預け、投げ出した両手両足でぐったりと、口さえ小さく開いて天を仰ぐコナツの、力無く倒れた姿があった。
「……火鼓、春告草!」
「っと……! 単調な飛び道具だな!
貴様一人でそれを拙者に当てる見込みがあるのかね!」
気を失っているようにしか見えず、最悪既に事切れて――そうとさえ見えるコナツの姿を目の当たりにしながら、アンズの目に宿る闘志は萎えない。
立ち位置を足元が平坦な場所に移し、未だ戦う意志があるアンズの姿には、まだまだ楽しめそうだとカネグマも口角が上がっている。
独りでも立ち向かってくるというのなら歓迎だ。逃亡されて仕舞いでは、勝利には違いないものの味気無い。
果敢にして暴勇なる小娘だ、とアンズを評価するカネグマだが、それは半分正解で半分間違ってもいる。
アンズには、信じられるものがあったから。
コナツはあの赤鬼に蹴られ、それを防いだ腕に尋常でない傷を負ったはずながら、砂地の斜面に叩きつけられる瞬間、確かに地面を両腕で叩いていた。
あの受け身はアンズにもわかる。むしろ難敵との宙空戦で地面に落とされること、落ちることもあった私だって、あれは何度もやってきたことだ。
少なくともコナツにはそれが出来たのだ。それを、彼が死んでいない根拠とするには不確かではあるけれど。
時間を稼げば立ち上がってくれるかもしれない。それも充分に信頼できる。
アンズが今為すべきことは、カネグマの目を惹いてコナツに立ち直るための時間を与えることだ。
「それでも来るというなら受けて立とうではないか!
いいだろう! かかって来……」
「……う゛ぇ!?!?」
肚を決めた矢先、アンズが発した素っ頓狂な声。
だが、そんな声も出る。一部始終を目の当たりにすれば、声が出るかどうかは別にして、誰でも驚愕はするだろう。
アンズは見た。
少なくとも気を失っていると見えたコナツが、カネグマが自分に背を向けてアンズに意識を集中した瞬間、顎を引いて凄まじい形相でカネグマを見据え。
そこからはもう、まさしく間もない。力無く倒れていたような姿勢から瞬時に上体を起こす勢いで、背を預けていた斜面をその足で踏み切って。
さながら死人が蘇ったかのように始まりながら、完全に敵の虚を突いた、矢のような速度でカネグマに迫ったのだ。
これは無理だ。仮にこの時のコナツの狙いがカネグマでなくアンズであれば、私には反応も出来ず一撃で仕留められていたとアンズも断言できる。
「ガグア、ッ!?」
アンズの発した声を根拠としてではなく、背後からの殺気にはっとして振り返りかけたカネグマも、迎え撃つには間に合わなかった。
体ごと向き直ろうとしながら、向き直ることすら間に合わなかったカネグマの左脇腹に、コナツの、拳ではなく掌底が突き刺さる。
彼の全力の蹴りを受けても、少々息が詰まる程度であったカネグマが、開いた口から唾液の飛沫を散らすほどには、その一撃は痛烈で。
筋骨隆々、鋼のような肉体の赤鬼が、その一撃に押し出されるようによろめくばかりか、片膝をつきそうなほど前のめりになる。
「こ、の……!
死んだふりなどとは、つくづく卑しい……!」
「くたばれ……!」
それでもカネグマは、もう一撃を放たんとするコナツに向け、体を巻き捻るようにして側面位置のコナツに右拳を差し向けた。
コナツは一歩も退かない。もう片方の手で打ち込む掌底に迷いは無い。
カネグマほどの上位の鬼の拳と、人の身の掌が激突すれば、一方的に破壊されるのがどちらかはわかりきっているはずなのに?
忿恨に満ちた形相と言葉と共に、躊躇一つ無く鬼の鉄拳に迫る禍々しい掌底には、激突の寸前カネグマも嫌な予感は感じただろう。
「ぐう、があ……っ!?」
「っ……、づうぅ……!」
まるで互角の衝突の如く、両者はぶつけ合った武器をはじき返された者同士のように、一歩退き差し向け合った手を引いている。
握りしめていたはずのカネグマの拳は開いている。禍々しい、鬼の青い血すらその手から噴き出す裂傷を伴って。
コナツの手もそう。手首を過剰に曲げられたことでそこが折れたか、もはや指先に力が入っているようには見えない。
「――火鼓、春告草!!」
二人が離れた、ここしかない。
咄嗟と言えるほど最速で"火"の字の太鼓を打ち、その撥の先をアンズはカネグマに向けて振り抜いた。
ここまでも幾度か見せた、太い一筋の真っ直ぐな雷撃をカネグマは躱し続けてきた。
つまりカネグマも本能的に、受ければまずい威力の稲妻だとはわかっていたということだ。
「ぐうぅあああああ……っ!!」
太い稲妻は赤鬼の上半身を丸ごと飲み込むほどであり、二人の目の前からカネグマの頭部が光に包まれて見えなくすらなる。
光の中から聞こえてくる、呻き声であり断末魔とも聞こえるそれに、これで勝負あって欲しいとアンズも強く思えた。
だから、光がやんだ瞬間に、黒煙を全身と口から吐き、呆然としたように天を仰いで立つカネグマを目の当たりにした時、アンズの表情はかなり歪む。
調伏できたなら妖魔は消え去る。
既に死んでいてそのまま倒れてくれる結末は、この一幕から期待できるものではなかったのだ。
「っ……く、く、くくくく……!
まさか、神の力を賜った二人組であったとは、な……!」
生き延びられたことに安堵する笑いを漏らしながらも、コナツとアンズを苦々しく見やるカネグマ。
その、敵が強かろうと弱かろうと闘争そのものを悦びとする鬼とは僅かに異なる反応に、やはりアンズは違和感を禁じ得ないのだが。
いや、今はそんなことに気を取られている場合じゃない。
どこかお遊び混じりだったカネグマから、この勝負を楽しもうという魂胆が消えていく形相の変化は、勝負の激化の前触れでしかない。
強者を本気にさせてしまえば、そこからがいよいよ死と背中合わせの闘いだ。
「いいだろう、もはや容赦はせん……!
真の赤鬼の力を見せてやろう!
冥土の土産とするにはこれ以上無き見世物と自負しようぞ!」
カネグマはがずんと足元の石を踵で粉々に粉砕し、山の麓の和良村にまで届かんほどの咆哮をあげる。
きっと、鬼の恐怖が身近な和良村の者達は、彼方からのこの声だけで身が竦んだに違いない。
そして、近き場所でその爆音に晒されたアンズも、肌がびりびりと震えるほどの波動に一歩後ずさらずにいられなかった。
前のめりな姿勢を崩さないのはコナツだけだ。恐れなど、この憎しみを上回るはずもない。
「お前本当にうるせぇな……!」
「かかって来い!」
ひとつも怯まずこの恐ろしい妖魔に、傷ついた体であろうが駆け迫るコナツの勇猛さは、たじろいでいたアンズの心を締め直してくれる。
再び始まるカネグマとコナツの激しい接近戦。
状況は悪い。アンズも、そしてきっとコナツも切り札を晒した。
その実態を知ったカネグマに、もう一度同じものをぶつけるのは相当に難しくなっている。
地力では人間相手に一つとして劣る所の無い鬼に、自分が知る限りの一番の決定打を当てられなくなった時点で、実状は絶望的に近いものがある。
いいや、元より妖魔は人を超えた力の持ち主。
こんな一見どん詰まりの状況など、今までだって何度もあったこと。
覆すしかない。その為には何を為すべきか。
重くなった足に吸い付いてくる地面を振り払い、再び駆けだすアンズは、勝機を探すことを諦めない。
「コナツ、頑張って……!
私が、絶対に道を拓いてみせるから……!」
はじめから強敵との遭遇が想定されていた大和龍山へ挑む旅。
コナツはきっと、いざこんな状況に陥った時にこそ頼る仲間として、私に声をかけてくれたはずなんだ。
最も身近な人々を守るため、命を懸けて妖魔調伏に挑み続けてきたアンズは、その日訪れた踏ん張り所に対する嗅覚には極めて敏感である。
さあ、今こそが正念場。信じてくれた誰かに応える時。
後悔だけは絶対にしたくないし、それ以上に、頼ってくれた誰かを絶対に後悔なんてさせない。今も昔もずっと変わらないアンズの信条だ。




