第三十話 ~鬼の棲む山~
黒鬼だらけの鬼の巣窟、大和龍山。
本来、人が足を踏み入れれば自殺行為と呼ばれる世界であり、そこに二十歳にも満たぬ若者が歩を進めていくのは、命を捨てていると称される行為だ。
山頂へ向け、急ぐでも駆けるでもなく前進していくコナツとアンズの後ろ姿というのは、本来誰もが手を合わせずにはいられぬはずのもの。
それはそうなのだが。間違いなく、そうなのだが。
「なあアンズ、お前の行使する神力ってのには底があるんだよな。
連戦想定だけど大丈夫か?
大物とぶつかる時に、神力尽きてて何も出来ないって言われると困るぞ」
「大丈夫大丈夫、一日ぐらいなら大抵の場合はもつから。
今までだって、妖の跋扈する森を抜けて難敵と戦ってきたことあるしね。
自分で露払いしながら最後に大将格との戦い、っていう形で神力尽きたこと無いよ。
大抵最後がぎりぎりになるってだけ」
「だったらいいけど、上手いこと余力は残しておいてくれよ。
今日は俺がいるんだし、露払いなんて俺に丸投げでいいからさ」
「うん、すっごい頼りにさせて貰ってる。
っていうか今までで一番楽々。
余力が想定以上すぎてびっくりしてる」
なんだか世間話のような口ぶりで軽く語らう二人であるが、そこだけ切り取らずに二人の周囲の光景まで目を広げれば、俗説の重みもがた落ちだ。
転がる転がる、倒れて動かぬ黒鬼の亡骸。数え切れぬほどある。
絶命した黒鬼はコナツが仕留めたものであり、アンズが神力で以って調伏しいて霧散したものも含めるなら、死屍累々の黒鬼の数以上の葬られた鬼がいる。
無傷で軽口を叩く二人の姿には、鬼の巣窟に人が立ち入れば一巻の終わりという通説が、案外そうでもないのかなと勘違いされそうなものですらある。
この二人だから通用しているに過ぎないのだが。
「こないだ京の武士様や陰陽師様の前で姫様の護衛を果たしたのもあるんだろうけど、以前よりも信仰が集まってる気がするんだよね。
調子には乗れないけど、コナツ抜きでも今まで以上の余裕を感じるよ」
「やっぱりお前に同行を依頼したのは正解だったな。
頼りにしてるのはこっちの方だし、その調子で頼むぞ」
「もっと褒めて」
『皮肉な話だが、キドウマルと呼ばれていたあの黒鬼にはいっそ感謝しても良いぐらいだな。
あいつとそれが率いる屍人を、お前が八面六臂の活躍で撃退したことにより、信仰の獲得が進み以前以上の力を振るえるようになったわけだ』
(動乱をもたらす悪意を介して得られた利を好意的に受け取るのも、あまり納得したくはないんですけどねぇ。
御冗談だとは存じてますけど、討つべき存在とて時には利を生む必要悪であるかのように語るのも考えものだと思うのですよ)
『ふふ、あまり主神に説教臭いことを言うものではないぞ。
思考放棄してそうですね、仰るとおりです、と返答されるよりは、自分の考えがしっかりしていると見えて良い傾向だがな』
(叱られているのか褒めて頂けているのか、たまにわかりにくいんですが)
一戦終えて周りに敵がおらず、余裕のある状況ではあると言っても、脳裏で主神との会話を嗜める程にはアンズも精神的な余裕があり過ぎ。
命のやり取りを終えてすぐの時なんていうのは普通、よかった生き延びた、と多少の時間は胸を撫で下ろす想いが勝り、口も心も余裕が残らないものだ。
とっくにそんな経験に慣れていて、ちょっと間違えば命を失う局面すら、済めばあっさり忘れるアンズの歴戦ぶりはテンジン目線でも頼もしい。
愛娘がこうなっている辺り、親心としてもどかしくもあるが。
「にしても、山も奥に迫りつつあればでかいのが出てくるな。
わかってたことだけど」
「単体だね。私どうしてればいい?」
「どうもしなくていいよ。
あんなの俺一人でどうとでも出来る」
新たな鬼が続けざまに姿を見せても、二人はさほど緊張感を持たない。
アンズは背負った雷神太鼓を消すような不用心こそ見せないものの、相棒コナツが頼もし過ぎるので、少々の敵が表れても怖くない。
コナツもコナツで、黒鬼なんぞ過去にどうとでもしてきた実績があるだけに、色鬼と対峙でもしない限りは別段身構えもしない。
二人の前に姿を見せたのは、黒鬼の中でも最も厄介な"大鬼"だ。
鬼の中では格を持たない黒鬼ではあるが、その体格により、黒鬼同士でも人類にとっての脅威度は変わる。
子供ほどの体格の小鬼は一番弱い。それでも人間の大人顔負けの怪力だが。
人の青年相応の背丈と体格を持つ中鬼は、この時点でも人の手に余るとされる。
小鬼を凌駕する剛腕と脚力の持ち主で、人がそれと対峙すれば、力でも勝てぬ上に逃げても必ず追い付かれる、充分この時点で遭遇したら終わりの存在。
先のテンジンが口にしていたキドウマルも、恐らくこれに相当するのだろう。
アンズもコナツも、かのキドウマルの実力をかなり軽視していたとおり、中鬼でも二人にとっては難敵でもなんでもないのだが。
「グウゥゥゥ……!」
「なぁに憎らしげに睨みつけてくれてんだ。
てめえらにそんな資格はねえからさっさと殺しに来いよ」
二人の前に現れた大鬼とは、大人よりもさらに頭ひとつぶん大きい、人の目線では見上げねば相手の顔も窺えぬほどの巨体である。
腕や脚の太さも筋肉質ぶりも、見ただけで中鬼のそれを凌駕するものであり、仮に人類がこの体格であっただけでも睨み合う相手を怯ませる体格だ。
それでいて鬼には違いなく、見た目以上の力の持ち主なのだから、振り抜く拳で岩をも砕き、駆ければ人の倍にも近い速度を発揮する。
これから起こることの前に語るべきことであるが、間違いなく、絶対に、人の子が敵うような相手ではないと断言できる。
それこそ人の側が、為すすべも無く一方的に蹂躙されて当然と言うべきほどに。
「グガアアアアアッ!」
「うるせえな」
血気盛んな闘志のみではなく、身内と思しき黒き小鬼と中鬼を何人も屠られた怒りを咆哮に乗せ、大鬼がコナツへ駆け迫る。
アンズも初見の大鬼である。迫力満点。
修羅場慣れした彼女だから委縮もしないが、普通はこの気迫だけで身が竦み、身動き一つ取れぬうちに叩き潰されるのが普通の人の子であるはずだ。
コナツは顔面を貫き砕かんと放たれた大鬼の鉄拳を余裕ありありに躱し、沈めたその身を前進させながら、振り抜く足払いで黒鬼の片足を浮かせる。
片脚を浮かされた程度で転びはしない大鬼ではあるが、浮かせた側の脚の太ももに腕をかけたコナツの早さは、転ぶまいとした大鬼の想定を遥かに上回る。
それを両腕で抱え込んだまま、もう片方の軸足までかつんと踵で蹴飛ばして、コナツは相手の身体を一瞬宙に浮かせてしまう。
あとは抱えた相手の脚を一気に引いて、自分よりも体格の大きな相手を前のめりにすっ転ばせる結果をあっさりと叶えるのだ。
思いもしなかったほどの早さで倒されたことに驚愕を禁じ得なかった大鬼とて、それでも両手で地面に手を着き、若干胸を地に打つもさほど痛くはない。
だが、飛び乗るようにコナツがうつ伏せの大鬼の背に乗っかり、その両手を大鬼の顎に背後からかけてきた瞬間が決着の時。
大鬼も、まずいとは本能的に思っただろう。それでもコナツが全力を込める方が遥かに早い。
うつ伏せの相手の背中を己の腰で押さえ、容赦ない力で相手の上体を乱暴な力で、それもコナツの怪力で引き上げればどうなるか。
えげつない音とともに、大鬼の背骨から首にかけての骨が砕け、反ってはならぬほど大鬼の巨体が曲がり折れて。
その一撃で泡をも吹いた大鬼が意識すら遠のく中、立ち上がると同時に蹴りを放つコナツの一撃が、大鬼の後頭部に直撃する。
胴体を真っ二つにされたかというほどへし折られ、頭を蹴られて顔面から地に沈み、既に意識すら失いかけていた大鬼。
放っておいてももう死ぬのに、倒れた後頭部をコナツの足に踏み抜かれ、頭蓋とその中身まで粉砕され、もはや生き抜く未来は完全に奪われた。
痙攣ひとつせず亡骸と化した大鬼に、妖魔はしつこいからと、もう一発横から頭に蹴りという念を入れるコナツときたら、どこまで容赦が無いのやら。
「容赦ないねぇ」
「いいんだよ、こんな奴ら死体を辱められても丁度いいぐらいだ。
身内を殺された恨みで襲いかかって来るあの面構えが余計にむかつくわ」
本心のあまりに意図せずであろうが、含みのある言い回しだ。
コナツは事切れた鬼を見下して、舌打ち混じりに吐き捨てるような様である。
異常なほど鬼への憎しみを抱く根拠に関して、もはやアンズも何があったのか疑いなく答えが確信できる頃合いだ。
「まあまあ、今の戦いは終わったんだしがんがん進んでいこ。
まだまだ色鬼の気配も無いし、先は長そうだし気合保っていかなきゃね」
「おう、そうだな」
(……好きになれる友達なんだけど、鬼が絡むと怖いんだよねぇ~)
『仕方あるまい、怨みだけは儘ならん。
そんな闇を心の奥底に抱えながら、普段はあれだけ快男児であるなら充分なほど好漢だよ』
(それは仰るとおりだと思います)
内心コナツの気魄にびくびくしながらも、アンズは平静の相棒を装ってコナツを前進へと導いていく。
溜め息一つぐらいは吐きたい気分。緊張感があり過ぎる。
そんな想いも、コナツにとっての負けられなさを内心で汲み取り、私も頑張らなきゃという思考に転じられる辺りが、アンズの強みの一つでもあるのだが。
荒事には慣れた巫女である。戦う者達が抱く、私怨すら含む様々な感情に触れ合ったことも多いということ。
他者への共感力や感受性が高いことは、誰かと一緒に戦うにおいて、心を寄り添わせて一つの勝利へ向けて大きな力を引き出せる才能でもあろう。
誰かと共闘する機会など多くなかった巫女ではあるが、その経験の浅さの割に、アンズは志を共にする者との共闘には適したものなのかもしれない。
「………………っていうか、臭っさ……」
「え、俺か?
お前の集中力欠かせたらいけないと思って洗濯もしてきたけど、まさか匂う?」
「へっ?
あ、いや、そうじゃないんだけど。コナツのことじゃないよ?」
山頂に向かって歩いていく山道の中で、アンズがぽつりと呟いた。
しばし敵との遭遇が途絶えて、コナツと交わす会話もなく静かに歩む中、気になっていたことが思わず口をついて出てしまった形だ。
まだ目の前に現れてもいない敵を睨むような眼光だったコナツが、たったそれだけの一言で、歳相応の若者の目になってアンズの方を振り返った。
袖を引いて、己の着るものの腋の下に鼻を押し付け、そこまで汗臭いのかと焦るような仕草さえ見せるほど。
戦いに身を投じる者は汗も流すし、汗臭さとは切っても切れないことなど重々承知であろうのに、流石に親しい女友達に臭いと言われるのは堪えるのだろう。
思わぬ形で、彼のことを修羅から少年の顔に戻してしまったアンズも、その反応にはちょっと驚いたぐらいである。
「えーっと、なんて言えばいいかなぁ……
妖の気配が凄すぎて、匂うといいますか……
なんか最近、前よりもそれがわかりやすくなってきててさ」
「妖の接近を鼻で感じられるってのは俺もあるけど、さっきみたいな顔で臭いっていうような類のそれじゃねえんだがな。
……気を遣ってくれてるなら、少し離れて歩いてくれてもいいぞ」
「いや、違うから違うから。
コナツから匂ってるわけじゃないのは絶対わかる、そんなのじゃないから。
――うん、やっぱり違う」
「ちょ、やめっ……!
お、お前っ……そういう突拍子の無さ、どうにかなんねえかな……」
誤解されて配慮されているようなので、アンズはコナツの胸元まで鼻を近付けてすんすんする。うん、臭くない。
相手を傷つけないための、考え無しの咄嗟の行動だったのだが、汗をかいた異性の匂いがして、アンズも我ながらとんでもないことをした気にはなったけど。
恥ずかしいことをされて一歩たじろぐコナツを前に、アンズは今の想いは顔に出さずに封じきる。
コナツが顔を赤くしている中で、私まで動揺を見せたら空気がおかしくなる。
「ほんとに最近、妖の匂いが前よりわかる気がするんだよ。
コナツが臭いとかじゃないから本当に安心して?」
「神様力か?」
「かもね~」
「本当、なんでもかんでもだな」
『実際、これに関してはそうなんだろうな』
(ほんとにくっさいんですけど……
こんな実際に鼻を刺してくるものですかね……)
コナツに対してはいつもの"神様のおかげ"論で適当に説明するが、テンジンからは当らずとも遠からずの言質を賜る形となる。
墨のような"穢れ"を可視化できるようになったのは、先日の活躍によって信仰が高まったことが遠因であるのが確かだろう。
現に山頂に近付いていくにつれ、アンズの目に映る"穢れ"は多くなり、いかにこの山が、中心に近付くにつれ妖魔の密度が高いかも見るに明らかである。
その穢れが多くなるにつれ、濃い穢れが本当にアンズの嗅覚に不快感を訴えるのもまた、眼に及ぼした影響に近いものが鼻にも表れた形なのだろう。
本当に、眉に皺が寄るほど臭いのだ。
無性にアンズは、かつて野良の狼が食い散らかした旅人の腐乱死体を前にした時の記憶が、脳裏に蘇って仕方がないほどである。
『神に言わせれば穢れというのは、例えは汚いが誇張無く糞尿の匂いに匹敵するほどの不快なものだ。
お前ももしかすると、私や私の力と関わりが深すぎて、同じような感覚を共有してしまえているのかもな』
(やめて下さいよ、畏れ多すぎますから。
ただの人の子に過ぎない私が、そう我が身まで神様にお近付きになれようはずがないでしょう)
真顔の声での返答だ。アンズは神への敬意と畏れが本物なので、この発言も本音に違いない。
しかしこの穢れへの反応の本質は、実際如何なものだろうか。
前例が無いことなのでテンジンも冗談半分で言っているが、絶対に無い話だとは言い切れないから確信には困るところである。
ここまで当たり前のように神たるテンジンと対話を為す巫女というのも前例は少ないし、アンズを人の子の常識的な前例で語っていいものかは時々悩ましい。
「妖の気配が匂いの根拠なら、あれがそうなんじゃねえのか?」
「え、どれ?
あれのこと? 普通の女の子にしか見えな……い、ね。
おかしいね……」
穢れを感知できないコナツは、今にも鼻をつまみそうな顔色のアンズの態度から、敵意ある妖魔の接近を想定したようだ。
歩く中で目に付いた、川べりで腰を下ろす、浅葱色の着物姿の少女を指差すコナツに、アンズもあれがそんなに気になる? と最初は思った。
ただ、気付いて一秒考えれば異常な光景だというのはすぐわかる。
鬼の巣窟たる大和龍山なのだ。
こんな山の麓からも離れた場所に、後ろから見てもアンズより年下に見える女の子がいること自体、あり得ない。
あれが本当に人の子なら、こんな場所で生きていること自体が不思議。
「妖には違いねえだろうな」
「あ、ちょっと、コナツ……
目つきが怖いから……」
「……っひ!?
に、人間……!?」
アンズの懸念どおりである。やっぱり怖がられた。
背後から近付いてくる者の気配に振り返った少女は、コナツのぎらぎらな眼光に即座に怯えた。
身を竦めさせたのも僅かな間で、すぐさま立ち上がって駆けだして逃げていく。
「ったく……!」
「ちょちょちょ、コナツ!?
追っかけるの!?
あれきっと鬼じゃないよ!?」
「そうかどうかもわかんねぇだろ。
さっきみたいな鬼もいるんだから」
逃げていく少女を、コナツが迷わず追って駆けていくので、アンズも慌ててついて走る。
確かにあの少女、人の姿をしているが、鬼か否かは判別しかねる。
現にイバラキと対峙して間もない今、人の形をし過ぎた鬼の実在を知った今、鬼の巣窟であるこの山であの少女が鬼でない保証は無くなっているのだ。
しかも、かの少女は頭に手拭いを巻いており、それで頭に生える角が隠れている可能性が否定できない。
「ってか速いねあの子!?
私けっこう自分の足に自信あるよ!?」
「人の子じゃねえだろ、あの時点で更に。
この山奥にいるだけでも充分そう思えるけどな」
走って逃げていく少女の快速にはアンズもびっくりだ。
これでも危険な相手と戦い慣れており、その戦いの多くは一撃致命傷の攻撃手段を持つ相手の攻めを、躱す機敏さで以って生き延びてきたアンズである。
走り慣れ、瞬発力にも秀でる十七歳の脚が本気を出せば、逃げる子供に追い付けないなどということはまずあり得ない。
クマリのような走れる子供と追いかけっこして遊ぶ時なんかは、アンズも加減しているだけである。それでも長続きすれば疲れるというだけだ。
逃げる少女はこの山の形をよく知るかのように、段のある場所を無駄のない動きで降りて、跳んで、その速度を全く落とさない。
時々ちらちら振り返って、追いかけてくるコナツとアンズを見れば、着々と距離を詰めてくる姿に見るからに怯えた顔。
なんとか振り切ろうと足を速めるが、どのように駆けても追いついてくる二人を三度目振り返った時、疲れたように少しずつ速度を落として立ち止まる。
「はぁはぁ……!
あ、あたしをどうしようってつもり……!?
あたし達、何にも悪いことしてないのに、っ……!」
「お前、妖だろ。
その手ぬぐい取って見せてくれよ。
鬼なら潰す。取らねえなら鬼と見做す」
「潰す気にしか見えないんですが……」
鬼には必ず角がある。あの手ぬぐいを頭から取れば、鬼かどうかは必ずわかる。
どうあっても、相手が鬼であったなら見逃すつもりはないコナツ。
怯えた表情で一度は手ぬぐいに手をかけた少女だが、歯を食いしばって目に力を取り戻すと、手ぬぐいから手を離してコナツを強く睨み返してきた。
「……どうせ鬼だろうが何だろうが、妖のあたしを消すつもりでしょ!
ただでやられてたまるもんか……!」
「へえ、じゃあかかってこいよ。
容赦しねえぞ」
「コナツぅ~……」
「……まあ見てろ、確かめるから」
あんなに人の姿を、少女の姿をされてしまうと、たとえ鬼であっても調伏に若干の抵抗は生まれてしまう。
ただ、アンズにはあれが鬼には見えない。イバラキの前例を見ると、あんなに人の形をした鬼というのもあるかもしれないけれど。
どちらにしても妖魔であるなら――という考え方もあるのだが、アンズは少なくともそういう考え方をしていない。
ぼそっとアンズに顔を近付け、鬼じゃない場合なら別の対応もすると仄めかすコナツも、実はそちら寄りの考え方なのかもしれない。
「来ないならこっちから行くぞ」
「っ、この……!」
腰が引けていた少女に、一歩歩み寄って挑発したコナツに応じるかのように、少女が一気に駆け迫ってきた。
喧嘩の得意そうな動きではない。駆け迫るまま、両掌を突き出して、コナツにぶつかり突き飛ばそうとするような攻撃だ。
コナツは決して油断することなく、相手が鬼かそれ以上の力の持ち主である想定で、その掌を自分も構えた掌で受け止める形を取る。
少なくとも、その重みは人間の少女の強さではなかったのだが。
恐らく、大人相手でも吹っ飛ばすほどの威力ではあっただろうとコナツには感じられた。
「こいつ、鬼じゃねえな」
「え、わかるの?」
「腕力と足腰だけは強いが、全身に漲らせるような膂力の塊がねぇよ。
鬼が持つ力のそれじゃねえ」
「そう言われると余計にわかんないんだけど……」
「んぎ、ぐぐぐぐ……!
な、なんなんだよ、あんたはぁ……!
なんであたしの力がっ、通じな……」
人間相手の全力のぶつかりが通じなかったことに、愕然と恐怖が混在する表情でコナツを見上げる少女は、手を掴まれ、それを引き剥がせず腰を引く。
まずいますい、殺されちゃう。逃げなきゃ逃げなきゃ。
今にも泣きそうな顔で踏ん張って退がろうとして、しかし逃げられず、少女は自ら尻餅をつきたがるような姿勢にすらなっている。
「鬼じゃねえなら何もしねえよ。
悪かったな疑って」
「ぇぅ……?」
コナツはゆっくりと少女をその場に座らせ、そっとその手を離して解放した。
涙目の少女は呆然とコナツを見上げるが、もうコナツは少女に興味を失ったかのように背を向けて、再び山頂に向けて歩きだそうとしているところ。
アンズは少女とコナツを見比べながら、座り込んだ少女にごめんねとばかりに目配せと手振りを見せたら、コナツを追って小走りでその横に並ぶ。
「コナツ、鬼以外の妖は別にいいんだ?」
「色々あるだろ、説明しきれないけど。
アンズはその辺、俺よりわかってるんじゃないか?」
「うん、実はそう。
妖だからって全て殲滅するっていうのは、長い目で見るとちょっと違ってて……」
「――"ミズタマ"!」
「ん……?」
コナツとアンズがその場を離れようとしたその時、少女の座り込むその後方から大きな声がした。
思わず振り返ったコナツとアンズだが、ほんの些細な当然のその行為が、この場の空気を一気に急変させる。
「カネグマの領土に立ち入るなとあれほど言っているだろう!
今のあいつらは……」
「えっ、"ゼンドウ"!?
だめっ、今来たら……!」
「鬼か」
「ちょちょっ、速!?」
少女のことを"ミズタマ"と呼んだと思しき、赤鬼。
"ゼンドウ"と呼ばれたその存在が目に入った瞬間、コナツが踵を返してそれに駆け迫る速度ときたら一瞬の躊躇いも無い。
弓を引き絞ったまま前進していながら、振り返った瞬間に弦を手放し発射された矢を彷彿とさせる速さには、アンズも追うための一歩からして追い付けない。
「ぬぅお、っ……!?
こ、この力は、っ……!?」
「うるせぇよ、黙って死んどけ」
「ひえええどうしよう!?
直感ですけど多分これ止めた方がいいやつですよね!?」
『私もそんな気がするな』
「りょうかーい! コナツー、待っ……」
「だめーーーーーっ!!!!!」
突然襲いかかってきたコナツの拳を交差させた腕で防いだゼンドウがその威力に驚愕するも、コナツは二の撃三の撃を既に打ち込んでいる。
追ったアンズも必死である。神様に話しかける時間があるほど、コナツが早過ぎて置き去りにされている。ついでに声を出して神様に問うたほどには必死。
そうは言いながらどうやって今のコナツを止めたものか、考え至っていなかったアンズだが、彼の動きをまず止めたのは少女ミズタマであった。
「ゼンドウはあたしのお父さんなんだよぅ!
お願いだから殺さないでえっ!」
「いってぇな、この……」
「コナツ待てぇー!
ひとごろしー!」
「痛ってえっ!?」
後ろからコナツに飛びつき気味に抱きついたミズタマは、コナツが一度攻めの手を止めてしまうほどには威力を持っていた。
鬼を目前にした瞳孔の開いた眼で、ぎろりとミズタマを睨みつけるその形相は、傍からそれを目にしたアンズが一番焦った。
しょうがないので、掌でコナツのおでこをばっちーん。
これぐらい強烈な横槍でないと、今のコナツは止められる気がしない。
「あなたも今だけは不意打ちはなりませんよ!
やるなら私が相手になりますからね!
さあもう一歩退がって! いやあと二歩かな!?
今すぐ!! ただちに!! 返事ははいかわかりましたでお願いします!!」
アンズはコナツとゼンドウの間に割って入る形で、勢い任せの剣幕でこの場を取りなそうとする。
理屈や口八丁でどうにかなる局面じゃない。勢いが大事。
相手は鬼だし、しかも先制攻撃されているし、反撃する大義名分はあるのだ。
ゼンドウの気が収まらぬなら再び鉄火場だが、そうなった場合にも自分達の身は守らねばならないというのが、仲裁役のつらいところである。
失敗したら、余計なことをしただけの奴になる。アンズはとても必死だった。
「う、うむ……
これは、助けられているのであろうな……」
「ったく、離せこいつ」
「ひゃああっ!?」
コナツは自分にしがみついたミズタマを強引に引き剥がすと、軽々しくゼンドウの方に放り投げた。
やや高く、放物線を描くような軌道でだ。つまり、赤鬼ゼンドウが受け止めやすいように。
人の形をしたものを、相手の片腕だけ握ってこんなに簡単に放り投げる辺り、やはり根本的にコナツの膂力は怪物的である。
「コナツ、殴ってごめんね?
でも落ち着いて落ち着いて、お願いだからちょっとだけ……」
「ったく、わかってるよ。
どうも普通の妖どもじゃねえみたいだな」
「あいだあっ!?」
勢い任せのアンズの奮闘は功を奏したようで、一旦コナツも刀を収めてくれたようだ。
額をしばかれたことには若干思うところがあるようで、アンズのおでこに額打の指先が飛んできたが。
とても痛かったが、これでおあいこ、水に流してくれるならばよしと、アンズも額を押さえながら納得するのであった。
赤鬼と、それを父と呼ぶ幼い少女。
今や鬼の巣窟としか語られていない大和龍山には、人に知られぬ世界が伏在しているようだ。
憎き仇の如く鬼を追い込むコナツでさえ、一度はその拳を止めて少女を抱きかかえる赤鬼と向き合うほどには、それは不可思議な光景に違いなかった。




