第二八話 ~大和龍山へ~
大和龍山の麓に位置する、和良村。
その村を出て、大和龍山へと向かう道のりとくれば、さしものアンズやコナツも微かな緊張感を抱き始めている。
鬼の巣窟、目と鼻の先。
誇張無く戦場目前ともなれば、斬った張ったに慣れた二人とて、そろそろ無駄口を叩く気分にもなれなくなるのも妥当である。
「あのさ、コナツ」
「ん?」
当たり前ではあるが、どの地点からが大和龍山で鬼の巣窟、危険地帯、という明確な線など存在しないため、実際に山に入る前から緊張感は高まる。
口数の少なくなっている二人ではあるが、それでもアンズはコナツに話しかけてきた。
旅道中のような世間話ではないだろうというのは、コナツにも予測がつく。
「セイカって人、お友達?」
「ん~……微妙なとこだなぁ。
同い年の腐れ縁というか……まあ小さな村で、家が近けりゃ勝手にある程度縁は出来てしまうんだけどな。
友達かって言われると……基本は嫌な奴だから、あんまり友達とは言いたくない。
ぎりぎり、悪友ってぐらいには呼んでもいいけど」
いや、世間話だろうか?
緊張感をほぐすために、軽い話題で口を回すぐらいのことは武士でもやることだが、流石にここまで戦場目前ではあまりやるようなことではない。
その辺りのことはわかっているはずの相手だと、コナツもアンズのことは信用しているので、かえって意図が掴みにくい。
ひとまず話に付き合ってみる。どんなつもりで今頃こんな話を振ってくるのか、ある意味で興味が沸く。
「なんていうか、好きではないんだ」
「ま~好きか嫌いかって言えば、印象良くない方だな。
別に引きこもってるからってわけではないんだけど」
「うん、それはわかる。
村の実状考えたら、出歩くのが嫌になる人いたって当たり前だもんね」
「あいつ俺と同い年なんだが、子供の頃は俺の弟のこといじめてたからよ。
それで俺とよく殴り合ったもんだ。負けたことは一回もねえけど」
「……そういう人だったの?
喧嘩なんて出来る人には聞こえなかったんだけど」
「昔はむしろ腕っぷしの強いお山の大将だったぐらいなんだけどな。
色々あってああなっちまった。それ自体は俺もいきさつ知ってるし、それは仕方ねえとも思ってる。
お袋さん一人にいつまで苦労しょい込ませてんだよ、ってのがあるからどうしても肯定してやるのは出来ねえってだけでな」
悪友認定する相手の話だからか言葉遣いにも若干の棘を感じるが、声色自体にはさほど憤りや恨み節も感じない。
俺の弟をいじめていた奴だよ、という内容を話す時でさえもそう。
彼のことを快く思わない根拠の中でも大きそうではあるが、昔のことだからある程度は水に流してもいるのだろう。
辛辣に言う割には、当人が言うほど嫌ってもいなさそうな微妙な距離感を、コナツとあのセイカという若者の間には感じる。
「……弟さんっていうのは、アキヒコ、っていう名前の人?」
「名前出したっけ?
……ああ、フユナと喋ってた時に言ったかもな。
俺の一つ年下の弟で、フユナからすれば兄ってことになる。
俺ら兄妹は、俺とアキヒコとフユナの三人で全員だよ」
「んー…………」
「お前なんとなく、あの話が嘘だってわかってるだろ。
良くも悪くも、お前って察し良過ぎそうな気がするからな」
「その話って、私が聞いていい内容?」
「別に聞かれれば隠す気も無いけど……
そう言う割には結構踏み込んでくるよな、知りたいって気持ちを隠さずに。
だいぶ勇気出して踏み込んできてるように見えるけど、そんなに気になるか?」
コナツと出会って一度目二度目ぐらいの時のアンズは、お喋りにコナツとよく話す割に、彼の身の上にだけはあまり触れてこなかった。
僭越となる可能性を少しでも感じたら、最初から一切その話題には近付きもしない、そんなアンズの意識の付け方はコナツにしても印象強かったぐらいだ。
よりにもよって敵地を前にした、こんな時に好奇心を露わにするアンズが掴み切れず、コナツも踏み込んで尋ねてみる。
「だって、きっと、どこかにコナツの戦う理由があるでしょう。
一緒に戦う以上は私だって、そういうことを知りたいよ。
もしも許してくれるんだったら、それを一緒に背負うのも、共闘する戦友に出来るまず最初の使命なんだから」
「…………お前、いつもそんな気構えで妖調伏に挑んでるのか?」
「他人のために戦う時に、一つしかない命を懸けるのって限界がある。
私は私と神様の力を頼ってくれた人のことを、他人だとは思いたくない。
私のような女の子に、頭まで下げて救いを求めるほど困っている人が、どれだけ今を苦しんでいるかを知るのは、大事なことだと思ってる。
そうすればきっと、最後のもうひと踏ん張りが必要な局面が訪れることがあった時、私自身の大きな心の支えになるんだって私は信じているからさ」
よくわかる。コナツにも。
困った時はお互い様だ。苦しむ誰かを助けるために理由はいらない。
いざそのために苦難に挑むことあらば、挑むと己で決めた以上は全身全霊を尽くすのも当然だ。
だけど、所詮は他人事だから。
全力は必ず出せる。しかし、全力以上のものは出せないかもしれない。
いよいよ己の命が秤に下がることが訪れた時、真の意味で命を懸けることを厭わず、明日をも顧みぬ全身全霊を投じられるだろうか?
他人事だと思っているうちは、そうは出来ない無責任な危うさが必ずついて回る。コナツだって、常々強く自戒することだ。
主君のために己が生涯を尽くすと定めた武士でも忠臣でもない、十七歳の少年少女が命を捨てて挑むことに慣れているなら、それは単なる命知らず。
命尽きて果たせる責任など、忠義の世界の外にはほぼ無い。
私の命は自分だけのものではないのだ。たとえ知らぬうちにでも、幾人もの人に支えられてここまで生きてこられた命に、断じて無責任であってはならない。
「…………ふはっ。
刺し違えてでも鬼の奴らだけは根絶やしにしてやろうと、ずっと思ってきてたんだけどな」
「コナツぅ……」
「いや、もうちょっと考え直すことにはするよ。
泣かせる相手が増えちまったような気がする。
死地にも挑まんとする覚悟を、そうやって邪魔されるのも迷惑な話だけどな」
前だけ向いて顎を引き、くつくつ笑いながらそう言うコナツから、少しは重荷を預かることは出来たのだろうか。
鬼などという、本来関わるべきですらない存在を、人の子が根絶やしにせんと挑むようなことを志すこと自体が異常なのだ。
只ならぬ想いがあるに決まっている。余人が口出しすることすら、本来ならば憚られるほどの事情もだ。
アンズも決して、その覚悟や決意を改めて欲しいとは思わない。
友達として、死んで欲しくなんてないことは、わかって欲しいけれど。
つまり、あなたは一人じゃないということをいま改めて理解してくれるならば、アンズが今コナツに望みたいことはすべて解決する。
最も簡単なこと一つ通じ合うだけで、複雑なはずの事情すべてまで片付くというのは特に珍しくも無い。簡単な話の方が根本であることが多いのだから。
「お前に依頼してよかったよ。
一切怖がらず、お前にだったら背中を預けられる。
頼んだからな、アンズ」
「…………んふふっ」
強気で明るい返事をしてもよかった。
勿論でしょ、でも良かった。任せておきなさい、でも良かった。何なら冗談調子に乗って、誰だと思ってんの山波巫女だぞ、と言っても良かった。
柔らかな表情で、心を預けて信を委ねてくれる相手を前にすればするほど、作った言葉など紡げない。
そうしてくれることを嬉しむように、アンズは照れ臭く笑うのみ。
表向きには世間話めいた内容であっても、きっとコナツがはじめに思ったよりも、ずっと、ずっと意義のある対話だったはずだ。
アンズはきっと、より確実に、この戦いに心血を注げるようになった。
たとえ、それがいっそう己の命を危ぶめる覚悟であろうとも。
自らそのきっかけを作らないと、その精神の高みに到達できる自分を無条件には誓えぬほどには、未だアンズが未熟ではあれど。
努めて己の強さにきっかけを作れるのも、それもまた一つの強さである。
「うげ……」
「ん……出たのか?」
地続きの野を歩く中で、どこからが鬼の支配領域である大和龍山と呼べるのか、境界線は目に見えない。
そう、本来なら。
嫌なものを見てしまったアンズが、思わず足を止めて発した短い声は、鬼を見付けたのかとコナツも目を鋭くする。
「いや、それはまだなんだけど……
そろそろ嫌な気配、漂ってきたなあって」
「まあ、うっすら肌に刺すものは感じられるよな。
お前はそういうの初めてってこともなさそうだけど……」
アンズだけに見えたであろうことを、今ここで話しても仕方のないことだとし、アンズは適当に誤魔化した。
言っていること自体は事実であり、"見える"ようになる前でも、このような妖魔の群生地に足を踏み入れれば、直感的に感じられる気配というものはあった。
妖魔調伏の頻度が高いアンズならそんなのいつものことじゃないのか? と見立てているコナツには、若干違和感を感じる反応でもあるのだが。
「……きっとそろそろ、進めば鬼と出食わす所まで来てるよね。
よしっ、お喋りな私ももう、無駄口はしないようにするっ」
「それは好きにしてくれればいいと思うけどさ」
険の抜いた顔で苦笑するコナツと共に、再び山の奥へ向かって進んでいくアンズ。
下手な誤魔化し方ではなかったと思うのだが、コナツも違和感を覚えながら、敢えて気にせず無視してくれたと見える。
深堀りされて困ることを隠したわけではないのだが、話して何かが好転する内容でもないので、聞き流してくれるコナツの態度はアンズにはありがたかった。
(凄いですね、穢れ……
妖に支配された地って、こんなに……)
『現時点の眼でもそう思うのであれば、やはりこの地は想像を絶するほどの穢れに支配されているのであろうな。
恐らく、山波天山と比較しても劣らぬほどにはな』
歩けど歩けど散見する、壺いっぱいに満たされた墨をぶちまけたように、真っ黒に汚されたように見える場所が点在する大和龍山。
近頃、アンズの奮闘もあって山波神社とテンジン様への信仰が集まりつつこともあり、神力を常に預かるアンズの目にも変化が訪れている。
"穢れ"の可視化。
人が生きれば吐く息のように、妖魔がそこに在ればその身から自ずと漂うと言われる、人の身には害とすらなるもの。
妖魔個々が発する穢れそのものは、決してそれだけで世に影響を及ぼすものではないが、大和龍山やテンジンが言う山波天山は違う。
妖魔の群生地となり、人の立ち入ること叶わなくなった、もはや隔絶されし別世界ともなれば、その地に満たされた穢れの濃さは別格だ。
しばしば"瘴気"とも言い換えて強調される、妖魔の巣窟を満たす穢れとは、長くその地を人が歩けば、ただそれだけで体調の不良すら感じるほどのもの。
穢れに汚され、土の色も草の色もわからぬ場所がいくつもある。
アンズの目には、そう映る。それさえ、穢れを可視できるようになったばかりの巫女が確かめられる、ほんの一部も過ぎない。
仮に信仰心に満たされた神が、穢れを完全明白に目視できる目でこの地を見渡せば、その目に映る穢れの様相はこんなものでは済まないだろう。
山波天山を引き合いに出すテンジンの経験則に言わせれば、真なる神の目で見ること叶えば、きっと大和龍山に草と土の色は殆ど残るまい。
『よもやこれほど、完全に妖に支配されし地が山波天山の他にもあるとなれば、いよいよ世も末だと言っても過言無い。
ここは山波国の外ではあるが、こうした地をも平定すること叶えていかねば、ゆくゆくは人の世そのものが妖に呑まれる日もあるやもしれぬ』
(もしも全国、こんな地ばかりになったら本当に……
想像するだに恐ろしいことですよね……)
人の手ではどうすることも出来ない、妖魔の群生地。
そして、その牙は時に人里さえをも襲う。
それがいつか、侵略という形で妖魔の領土を広げる形で果たされることあらば――という発想は、果たして危惧のし過ぎというものなのだろうか。
人類同士の領土争いでも神経質なほど気を遣うのに、手出しの出来ぬほどの脅威がおとなしくしているだけの現状に、楽観視できる昨今は不思議ですらある。
穢れに満たされた"妖の支配地"とは、それほど恐ろしい未来の可能性すら孕むのだ。
初めて訪れ、目の当たりにして切実にわかる、大和龍山の危うさ。
隣国のことであり、山波村には遠く関係の薄い実状と、心のどこかで甘く見ていた己の認識を、アンズは息を呑み恥じるばかりである。
『もはや早々に、侵入者を察した小兵が近付いてくる気配すらある。
このような浅部でこうともなれば、山の奥地などどれほどの地獄絵図であろうな』
(……コナツとテンジン様と私の力が如何に強かったとしても、一日で攻略できる山ではないのでしょうね。
本当に、巣窟です。山そのものが城塞と言って過言無いほどに)
「アンズ、わかるよな」
「うん」
コナツとアンズが足を止めるのはほぼ同時だった。
目視できぬうちであろうとも、接近する妖魔の気配には敏感な二人だから、感じ取るのもほぼ同じ頃。
この程度の察知すら果たせぬ者が、大和龍山に行き当たりばったりで足を踏み入れるようであれば、はなから生還できる可能性など一握りも無い。
(……さてっ。
テンジン様、よろしくお願い致します)
『軽い声で語りかけてるつもりかもしれぬが、緊張が溢れているぞ。
それで良い』
(んへへ……
それで良いならいじんないで下さると嬉しいんですけどねぇ……)
『揶揄してはおらぬ。本当に、それで良いのだ。
固くなり過ぎるのも勧めぬが、適度な緊張感は必要だ。
実績のあるお前とて、この地においては謙虚であるべき程にはな』
「今気づいたけど、今になってようやく太鼓出すのかよ。
もっと早くてもよかったぐらいだけどなぁ」
「ごめん、私もまだ甘く見てるのかもね。
改める」
「大丈夫だよ、遅くねぇ。
お前のそういう素直なとこ本当に好きだわ」
背負いし輝く雷神太鼓を顕し、両手に撥を握るアンズ。
胸の前で、右の拳と左の掌をばちんと鳴らすコナツ。
ちょうどその折、二人の周囲の木々の間から顔を出す、大和龍山に巣食う闇。
かねてより覚悟していた脅威との遭遇に、アンズとコナツが怯むはずもなく、むしろ腰を僅かに落として身構える。
もう、旅路の中で談笑し合っていた、十七歳の若者の目ではない。
戦場の真ん中で敵を迎え討たんとする、武人の眼差しと何ら変わりない。
そんな二人が百姓とは一線を画した傑物だとも知らぬ妖は、迷い込んだ餌を久々に屠れる喜びに満ちた涎を垂らしながら、続々とその顔と全身を現わしてくる。
「グギギギ……」
「キシッ、キシシシ……」
見渡す限りだけでも、黒い小鬼が七匹。
未だ目に映らぬものもその向こうにいるのだろう。
小柄で腕も細く、餓鬼のように膨らんだ腹はむしろ、強さを匂わせるどころかだらしない身体と弱さを人の目には連想させるもの。
アンズの胸元まで程にしか背丈の無い、十歳に届くか否かの男子のような黒鬼に包囲されたこの実状、恐るべきであろうか。
本来、そうである。これほど小さな鬼でさえ、腕力をはじめとした膂力のみに限って言えば、歴戦の武士のそれにすら決して劣らぬのだ。
同様の脚力ゆえ、その機敏さと小回りは侍のそれにも匹敵するか勝るかだというのだから、これ数匹に包囲された時点で、並の者なら詰みである。
鬼とは小兵ですら、それほどの存在だ。
「よーし、頑張ろっか!
基本はコナツに任せるからね!」
「おう、適度に任せるわ」
二人は今さら戦い方、立ち回り方を細やかに確かめ合うことなどしない。
イナリ姫を護送する中、屍人の群れを相手に立ち回った互いの戦い方を見て、二人で息を合わせるならばの基本的な立ち回りは最初から双方わかっている。
迫撃に秀でたコナツを主戦力に、柔軟な支援も可能なアンズがそれを支える。
一度もそんな戦い方にしようと話し合ったことの無い二人でありながら、答えは最初からお互い見えているのだ。
この程度のこともわからないと思う相手に、命を懸けた戦いに臨む中で、運命を共にすることなどあり得ない。
大和龍山に挑む戦い、その緒戦にしてさながら前哨戦。
鬼に挑む者にして、この程度の敵など無傷で一掃できぬようでは今後話にならない、そんな戦いが幕を開ける。
「グキキィーーーッ!」
「ギシャアアッ!」
「鬼ってやつらは、どいつもこいつも例外無くうるせぇんだよな」
襲いかかる黒い小鬼、それも個々が大人顔負けの腕力持ちという中、四匹同時に飛びかかられるコナツも危機感は抱くべき局面である。
無駄口を口にする程には、コナツには余裕がある。今の言葉を言い終わらぬうちに接敵されても、最後まで言おうとしていた言葉を述べきるほどには。
爪を立てた指五本を顔面に突き刺して皮を裂こうとしてきた一撃は、かがんで躱し。
背後から噛みつこうとしていた小鬼には、後ろに振り抜いた右肘で頬を殴り。
引っ掻くように左から腕を振り下ろしてきた小鬼の一撃には、手首を左の掌底で叩き上げる形で凌いで。
右から噛みつこうと口を開けていた小鬼には、沈めながら突き出した頭を振り上げて、その顎を下から叩き上げる。
その際振り上げた足先で、片脚で自らの頭があった場所に爪を空振りさせたばかりの小鬼の腹を、上天高くまで蹴り上げる勢いで突き上げるのだ。
すべてがすべてまったくの同時ではないが、小鬼の連携めいて個々が好き勝手に攻め込んだ同時攻撃も、決して完全な同時攻撃ではない。
個々ら一瞬の時間差を見極め、迫る四匹の小鬼らにたった一人で反撃を返したコナツの表情に、上手くいったという得意顔の色は一切無い。
こんなこと、彼にしてみれば出来て当たり前だ。
「ずっとこんな相手ばかりなら楽なんだけどなぁ……!」
三匹の小鬼に同時に襲いかかられるアンズも、冷静に高い跳躍で躱しながら、その中で"火"と描かれた太鼓を撥で叩いている。
獲物に逃げられそれを目で追う小鬼らが、一度密集したそこへ向け、撥を振るって輝く光球を投げ付ける。
三匹の小鬼が集うそこに飛来するや否や、光球ばばりばりと凄まじい稲光を発し、それに晒された弱い妖魔が調伏されるに値する威力を発している。
小鬼のうち二匹は逃げられずその稲光に呑まれて全身を痙攣させ、やがて消えていく末路に向かうものの、残る一匹はアンズの方を追っていた。
雷球を躱したというよりは、獲物を追う行動が速く、たまたまその雷撃から逃れられる形となった一匹である。
小鬼とてその瞬発力は侮れぬもので、高く跳んだアンズが着地せんとした瞬間に、小鬼が迫ったのがほぼ同時である。
アンズの顔から胸までをかけて一気に引き裂くように、立てた爪を振り下ろすような一撃。
それは彼女が地に足を着けるのがあと一瞬遅ければ、危うかったかもしれないのも事実である。
「もうっ、邪魔!」
たとえ地に足が着かぬうちに来られても対処策があったアンズからすれば、地に足着けて対応できる時点でいっそう怖くない。
彼女の本分は主力であるコナツへの支援攻撃である。
迫る小鬼など自身にとっては脅威ですらなく、振り下ろされた爪を軽く身をひねって避けただけに留まらず、ぐるりと身体を回すついでに頬へ肘をぶつける。
よろめいた小鬼から距離が出来れば、もう一周身体を回して放つ、踵を相手の首横に直撃させる回し蹴りでぶっ飛ばす。
その間、アンズは一度もこの小鬼を見ていない。
コナツの方に何かあったとして、支援が遅れては仕事になっていないという"本業"から目を切らず、迫る一匹の小兵に目もくれず凌ぎ倒している。
ぶっ飛ばされて倒れた小鬼が顔を上げようが、やはりそちらを直視もせず撥を振るったアンズの放った光球を迫らされ、目前で爆裂させられて稲光に呑まれる。
決してコナツほどには接近戦が得意でないアンズとて、この程度の妖魔少数に束でかかられようが、余所を意識しながらあしらう力量はある。
カムロやキドウマルほどの怖く強い相手がいる戦場で、もっと多い妖魔への対処に四苦八苦したあの状況と比べれば楽勝すぎる。
「あ、もう終わってる」
「当たりめーだろ、こんな雑魚どもに手ぇ焼くかよ」
自らに迫った小鬼三匹を消滅させたアンズだが、コナツも似たようなものである。
たった一撃当てただけで悶絶状態とした四匹の小鬼に、追撃一撃ずつで完全に戦闘不能に追い込まれた小鬼らは、やはりというかもう動かない。
アンズも大概、自分なりに自信のある蹴りとぶん殴りで、喧嘩には強い威力を出せる方ではあるのだが。
神力に頼ることもなく、腕っぷし一つで生き延びてきた男の剛拳になど、私の蹴りなんて足元にも及ばないだろうなと言うのは最初から知ったことである。
「合計七匹?
これぐらいなら二人でやれば全然たいしたことないけど」
「まあ、この辺はな。
ここに黒でも中鬼や大鬼が絡んでくると話が変わってくる」
「なるほどね」
こつこつと"火"の字の太鼓を叩いたアンズが、軽く振った撥から細い稲光を放てば、その四筋の稲妻は倒れて動けぬ小鬼らへ向かう。
それを受けるや、びくんと痙攣した小鬼は神力に呑まれ、がくりと脱力した末に灰となり消えていく。
調伏完了。神力も陰陽術も無いコナツには、絶命させるのにひと手間かかる妖魔の完全調伏だが、アンズがいるならそれも簡単だ。
既に力尽きた妖魔に引導を渡す程度なら、アンズも後まで響くことを考えるほどの神力を雪ぐこともなく済む。長い目で見ても負担にはならない。
こんな奴らばかりであるなら、たとえ今後この倍来られても、立ち回りをしくじらない限り一切苦戦しないだろう。
「そうは言っても、さっそく今はそれどころじゃねえ気もするけどな」
「え?」
一息吐いたばかりだったアンズだが、断じて気を抜いていたわけではない。
迫る敵の気配があるなら、彼女もそれは見逃すことなど無いはずだ。
その上で、大きな敵の接近気配が無い上で、かつ、周囲に未だ潜伏する小鬼らの存在からも意識を切っていない。
次の戦いがすぐに始まってもおかしくない中、また先程と同じ三下相手の撃退戦が始まる想定で、足を開いて少し落とした腰は臨戦態勢を解いていなかった。
コナツの低い声と、とある方向を真っ直ぐに見据えた鋭い眼は、アンズにも察しきれぬ何かを先んじて見据えているかのよう。
それを見たアンズが、コナツの眼が向く方に意識を向けた瞬間に、彼がそうしている根拠もすぐに理解できただろう。
彼女の名誉のために言うならば、コナツよりも気付きが遅れたのは、けして恥と言えるほどのことではない。
鬼との戦い、この大和龍山への挑戦を幾度も果たしてきたコナツとでは、この地においてアンズの察敵能力は、コナツに劣るのも致し方ないのだから。
「いやはや、凄いね。
敵意も殺気も放ったつもりは無かったが、それでも気付かれちゃうか」
一瞬、アンズはそれが敵だとはすぐには思えなかった。
敵は鬼だとわかりきっているこの地において、自分達以外の、人の形をした者との遭遇には面食らうのも当然か。
しかし改めてその顔を見れば、その額の両脇の少し上から、曲がった角が短く生えている。
頭部に生える二本の角は、鬼が鬼たる最大の特徴の一つであり、それを以ってアンズもこの存在を鬼と認識し、その眼差しを鋭くする。
ただ、それだけはっきりと相手が鬼だと認識した上で――いや、相手が鬼だと確信したからこそ、アンズの心には若干の戸惑いも残った。
あまりにも、人間的すぎる姿形だったからだ。額の角を除けばだ。
仮にあの角がなく、この些か独特な服装さえ改めれば、そこらの村を歩いていてもちょっと目立つ程度で済み、決して人外とは思われはしまい。
人の形をした妖魔自体は少なくないが、こんなにも人の形をした鬼もいるのか、というのが、真っ先にアンズが得た印象である。
日に浅く焼けた肌を思わせる褐色の全身。
アンズやコナツよりは頭半分ほどに背が高く、女性としては長身と見え、屈強で知られる鬼としてはやや細身ながら引き締まった四肢。
真緑の髪は短く、角を隠しはしないものの、後ろ髪だけは首まで届く程度に伸ばされており、意識的な長さに整えられていると見える。
その顔立ちも、身なりを最も意識する、つまりアンズと同じ年頃か、少し上ほどのものと見え、初対面がこうでなければ親しみすら覚えていたかもしれない。
現にその表情は、鬼の地を侵す敵対者たるアンズ達を前にしながら、不敵さと人懐っこさを共に匂わせる笑みであり、先の言葉通り敵意や殺意も感じない。
その着こなしは、ある意味でアンズの巫女服と近い。
袖が無く、裾は太もも半ばまでしかない着物は、髪の色よりも明るさを増した萌黄色で、快活そうな顔立ちにもよく似合う色だ。
細くも引き締まった腕と脚がよく見えるのはそのような着こなしだからであり、さらには裸足。
人の服装と決定的に違うのは、自慢の割れた腹筋を晒すためなのかと思うほど、帯で締めるべき、胸の下から腰の上が乱暴に破り捨てられていること。
その上で、さらしで締めた豊満な胸と、腰に纏った上下二分された着物が崩れぬよう、着たものの破れ端を細い紐でぎちぎちに縛っていることだ。
溢れんばかりの大きな胸の上部は襟元から谷間を覗かせ、実った尻が纏うものをぱつぱつに張らせている様は、密かにアンズに敗北感を覚えさせるほど。
妖魔の発育の良さに妬くなどつくづく無意味なことながら、一瞬でもそんなことを思う程度には、この鬼の身体の全容はあまりに人間的過ぎたのだ。
付け加えるなら、その小高く快活そうな声色も含め、つくづく妖魔のそれとは思えず、角だけ付けて鬼の真似事をした人類と言われても疑い難いほど。
「まずは名乗らせて貰おうか。
あたしの名は、茨木獣士。
酒呑導獣郎さまに仕えていた鬼の一人さ」
かつて討たれたはずの、旧き鬼族の名を耳にしたアンズが、ほぼ反射的にテンジンの方へと意識を傾ける。
目の前に現れた鬼の大物に意識を向けていた時は、気付かなかったけれど。
茨木獣士と名乗ったこの鬼が現れたその時からであろう、憮然としたテンジンの感情がアンズにもよく伝わる。
それだけで、かの伝説的な大妖魔に仕えていたというこの鬼の発言に、信を置くには充分だった。
大和龍山に巣食う鬼、それらを纏める"色鬼"の一体。
小鬼の御しやすさを感じ、真に恐ろしい鬼の強さとは如何ほどなのかと考え始めていたアンズの前に、悪い意味で期せずして大物の鬼が姿を見せていた。




