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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第弐章  大奈国の鬼退治
25/27

第二四話   ~妖調伏遠征依頼~



「よー」


「ん?

 あっ、コナツ! おはよー!」


 朝の日課、境内の掃除に勤しんでいたアンズ。

 朝食、湯浴み、正装への着替え、全て済ませてなお朝早く、今日も綺麗に結った後ろ髪の、結び目近くが朝日に煌めいている。

 箒を握る彼女に鳥居の方から声をかけてきた若者に、振り返ったアンズはぱあっと明るい笑顔で小さく手を振り、嬉しそうに歩み寄ってくる。

 朝っぱらから明るい奴だなとコナツも思う。いつ会ってもまず笑顔で迎えてくれる友達は、会えるたびに心地良い。


「コナツ、朝ごはん食べてきた?」

「宿で食ってきた。

 何も食わずにここ来たらお前、うちで食べてけどかどうとか言ってきかねないし」

「え、嫌?」

「気持ちは嬉しいけどそんな甘え方できねえよ。

 巫女さんが一人暮らしの家に余所者が上がり込めるわけないんだから」


 出会って短く、顔を合わせた回数も十度に満たない間柄ながらコナツは既に、アンズの言いそうなことがある程度わかるようだ。

 自分の言いそうなこと、やりそうなことを言い当てられ慣れているアンズもアンズで、てへへと頬をかいて照れ臭く笑うのみ。

 こうやって言葉を無くすことが、読まれやすいアンズは月に何度もある。


「来るのわかってたからお米多めに炊いてあるんだけどな。

 食べていっても別にいいよ?

 もっと身体を大きくしないと」

「なんだこの、俺より背が高いからって調子乗りやがって」

「あっ、こら、髪をさわるなっ!

 乱れると結い直さなきゃいけないんだぞっ!」


 他人の身長のことをいじるのはあまりよろしくない。

 アンズも相手と自分の関係を加味して言っている。

 コナツも親しいアンズに言われるなら別に構わない。

 その代わり、近付いてアンズの頭を自分より目線を下にさせるかのようにぐぐっと押さえつけるが。

 アンズも甘んじてちょっとは黙って押さえつけられてから、後ろに退がって躱したら、髪を結ぶ紐をほどいて、頭の上の髪を梳いてからもう一度結い直す。

 毎日やっていることなので手慣れたものだが、手放した箒を自分の腰に立てかけたまま、倒さずにやっている辺りが随分と器用である。


「私はずっと一人暮らしだから、たまに家で誰かとご飯食べれると楽しいんだけどな。

 別にコナツ、ほんと上がっていってくれていいよ?

 それで変な誤解が立っても、私はきっぱり否定できるから」

「俺はともかく、そんなこと異性に言ってたら仕舞いには勘違いさせるぞ。

 最悪、魔性の女まっしぐらだわ」

「え、そういう解釈も出来ちゃう?

 じゃあやめとこ。コナツ、さっきの話は無しね」


 へらへらっと談笑するアンズに、こいつ案外脇が甘いんじゃないかと思うコナツだが、見守るテンジンなど余計にそう思う。

 確かに今日はなんだか多めに米を炊いて、晩まで食べても余すのではないかと思っていたが、まさかそんな意図で多めに炊いていたとは。

 愛娘が同い年の男を家に上げようとしていたことに、貞操観念をもっと厳しく躾けるべきだっただろうかと本気で悩ましくなる。

 そもそも男親として、複雑な想いもあるからいっそうだ。


「コナツ、ちょっと待っててね。

 余っちゃうからおにぎりにしてあげるよ。

 お昼にでも食べてくれればいいから」


「あ、おい……別にそんな……」


 箒の片付けついでに家へと向かう足取りで、アンズはコナツの制止をも聞かずに小走りで去る。

 あいつ、誰にでもあんななのか?

 異性の友達が握ってくれたお弁当って……と、なんだかむずむずしてくるコナツの反応、十七歳の男子としてごく真っ当。

 誰彼構わずあんなことをしていると、そのうち本当に誰かを勘違いさせる、罪作りな女になるんじゃないかとコナツまで心配になる。

 まあ、あれで案外アンズも相手を選んで行動することを知っているテンジンは、そういう意味ではアンズを心配していなかったりするのだが。


 しばらく待っていたら、アンズが弁当用に備え置いている笹の葉で、三つ纏めて綺麗に包んだ握り飯を持ってきた。

 しかも、それとは別にもう一つ、丸裸のおむすびをもう片方の手に持ってだ。

 裸おむすびを差し出して、食べてみてと言ってくる、握り立てのおむすびを受け取って口に運ぶコナツも、なんだか意味もなく緊張する。


「うわ、塩利いてんじゃん。

 すげえ美味いけど贅沢だな」

「へへ~、悪いけど塩利かせたのはそれだけ。

 お弁当の方は塩利かせてないよ、ごめんね。

 そのぶん梅を入れてるから」

「いやいや、それでもだいぶ贅沢だよ。

 ありがとなアンズ、これ本当に嬉しいわ」

「よかった!」


 塩は高級品だ。おにぎり一つに充分に利かせるのはかなりの贅沢。

 アンズも普段は、梅干しをはじめとした自前の漬物を作る時などに使うのが最もであり、おにぎり一つにそんな贅沢なことはしない。

 手っ取り早く作られるおにぎりではあるが、それがよく塩が利いているというのは、小銭一つを具に入れてくれたかのようなもてなしに値する。


『ほほ~、お前は思ったよりもこの男に入れ込んでいるようだな。

 修行中の身でありながら、案外と婿探しにも余念があるようだ』

(んなっ!? そういうのじゃないですってば!

 普段は会えない友達がたまに来てくれたんだから、ちょっとぐらい思い切って接待したいって思うじゃないですか!

 それだけですよ! それだけ!)

『ふふ、どうだかな。

 そういうことにしておくか』

(も~! 邪推はやめて貰えますかね!

 私はちゃんと清き巫女として努めてますよ!)


 好意的すぎる握り飯を食べながら、いや~でも勘違いしないようにしなきゃ、こいつ絶対そこまで考えてねえわ……と悩ましく耽るコナツ。

 おかげで意識が手元に向いたことで、神様とのやりとりでいじられて顔を赤くしているアンズのことは見逃していた。

 神様の御言葉に思わず声が出そうになり、それを堪えて口をもにょもにょさせて赤面する女の子、なかなか可愛らしい顔であったのだが。


 見逃したのである。勿体ない。

 女の子に貰ったお弁当にうつつを抜かすばかりでなく、くれた相手の嬉しそうな顔を見逃さないようにするのもまた、立派な男の甲斐性である。

 そういった機微を見逃していると、親しき女の子に向けるべき最善たる言葉というものも、いざという時に出てこないのだから。






「あ~、やっぱり鬼退治かぁ。

 大奈国での妖調伏を私に依頼するなら、やっぱりそういうことだよねぇ」

「まあ予想はつくよな。

 大奈の山が鬼どもが跋扈する魔境なのは、山波村でも有名みたいだから」


 場所を移して山波村中央区の茶店(ちゃみせ)

 短く纏めるには込み入った話なので、腰を落ち着けられる場所でのアンズとコナツの話し合いである。

 仕事の内容自体は簡単でも、荒事前提ともなれば事前情報をアンズも可能な限り得たいので、立ち話だけで済ませようとする軽挙はしたくなかったようだ。


 お団子をつまみながら、世間話でもするかのような軽い声と、穏やかな表情でで語らうアンズとコナツの両名。

 見慣れない男子が、山波村一番の華である女の子と、二人きりで茶店で語らっているのを、周りがいちいち二度見して通り過ぎていくのが気になるが。

 アンズも先ほどテンジンに言われたこともあって若干意識してしまい、なんだかちょっとやりづらい。

 確かにコナツの言うとおり、異性には違いない相手との距離感は、周りの目も考えてもう少し考えた方がいいのだろうかとも思う。巫女として。


「どこ行くの?

 大和龍山(やまとりゅうざん)?」

「うん、まあ……というか、そこしか無いんだけどな。

 国全体で言えば、大奈国はそんなに妖で溢れてるわけじゃないし。

 妖の巣窟としてはっきり恐れられてるのなんて大和龍山だけだぞ」

「え、そうなんだ。

 鬼の話ばかりよく伝わり聞くから、鬼が色んなとこに現れるものかと」

「あいつら強いからそんなわんさかいられたら人の世が成り立たねーよ。

 っていうか、山波国に妖が多過ぎるんだよ。

 どこの山林歩いてても夜になったら約束どおり出没するだろ」


『う~む、耳が痛い』

(お気になさらずに……)


 大奈国生まれで故郷の実状をよく知るコナツと、赴いたことの少ない隣国の近況をしばしば聞く限りのアンズでは、認識にずれが生じるのも已む無しである。

 山波国は、和大国全土で見てもずば抜けて妖魔の出没例が多い国で、夜に人里を離れた場所を歩くなどもっての外、というのが徹底されし常識だ。

 そんな環境で育ってきたアンズの地頭だと、鬼に人々が脅かされることの多い大奈国というのは、妖そのものの出没例が多い国だと連想してしまう。

 実際のところは、大奈国の妖魔の出没例というのは、二人が言う大和龍山とその近辺に偏っており、国全体で言えば妖魔の出没など少ない方。

 むしろ南北に広い大奈国、大和龍山のある北部から離れた南部など、妖魔の気配一つ無きのどかな農村が点在する、平穏なものというのが実態である。


 ちなみに山波国に妖魔が多いのは、山波国で最も神格の高かったテンジン信仰が薄れ、その霊験が行き届いていないことも深く関係する。

 コナツは悪気なく仰るが、山波国が妖魔の多い国だと言われると、テンジンとその神職者たるアンズにとって、そこそこへこむ話だったりする。

 顔に出さずに脳裏だけで溜め息を交わせるのは、両者ともその手の愚痴にはもう慣れているからだ。不甲斐ないけれど。


「まぁしかし、大和龍山での妖調伏かぁ……

 そこが鬼の巣窟なのはわかってるし、もはやそれって妖の総本山への城攻めみたいなものだよねぇ」

「俺も一人でやれる気はしてないよ。

 出来るものなら、山波京の陰陽師の皆さんを雇いたいとさえ思ってる。

 やっぱりそれは、現実的でないけどな。お高いし遠過ぎるし」

「他にも協力者はいるの?」

「いねえよ、こんなこと頼める相手、お前しかいねーもん。

 この内容に挑める能力的にも、命を懸けろって頼めるほどの相手も」


「まあ、そうだよねぇ。

 わかった、引き受けるよ。

 気合入れなきゃな~」


 アンズは両手の指を絡ませて腕を伸ばし、空に向けようとしたところで、腋を隣のコナツの目に晒すと気付いて再び降ろす。

 胸より一番遠い場所に両手を伸ばし、うーんと身体を伸ばす仕草である。

 誰も見ていない所であれば、両手を頭の上まで伸ばし、大きくけのびしたかったところなのだろう。


「…………ん。

 コナツ何その顔」

「あ、いや……自分でも、かなり覚悟を求める依頼なのはわかってるからさ。

 そんなにあっさり快諾して貰えるとは全然思ってなかったし……

 断られるのも想定内だったし、ちょっと考えさせてって言われるのが普通だろうって思ってたから……」

「困ってるんでしょ?

 で、別にコナツは私のこと騙そうともしてないじゃん。

 じゃあ断るなんてあり得ないよ」


 即決で快諾されたこともそうだが、首をかしげすらして断るわけないじゃんと、コナツの想定が最初から的外れなこの態度が、何よりコナツを困惑させる。

 確かに、困った時はお互い様だけど。コナツも普段からそうだけど。

 鬼の巣窟という、足を踏み入れるだけで巨獣の口の中に飛び込むにも等しい死地へ、迷わず向かえるアンズの性分を、コナツは見誤っていたのだと認識する。


「……あ~、そうか。

 お前は、そういう奴なんだな。

 軽はずみに頼み事できる相手じゃないって覚えとくよ」


「え、ちょっと待って、含みが多すぎる。

 そ、それは私に対してどういう評価?」

「そんな不安な顔向けてこないでくれ。

 見上げてるから。

 呆れてるように見えたなら悪かった、俺の認識が甘かったって反省してるだけだ」


 複雑そうな顔で頭をがりがり掻いて言うコナツだから、アンズもコナツの発言の真意を計りきれなくて戸惑ったものの。

 コナツは自戒しただけである。アンズは困っている人に何か頼まれれば、何でも引き受けるのだろう。

 些細なことでも。命懸けのことでも。

 友達同士になったから初対面の時よりも頼みやすくなった気でいたが、調子に乗ってこいつを軽々しく頼っちゃ駄目だと痛切に感じただけの話である。


 己の悲願を顧みると、自分がこの巫女の命を失わせるきっかけにすらなりかねない。

 国境を隔てて出会えた新しい友達、それの命を自分のために使わせろと言うには、流石にコナツもそこまで傲慢にはなり切れない。


「……なあ、アンズ。

 大和龍山は本当に、鬼が群生する、和大国全土の中でもずば抜けた危険地帯だぞ。

 俺だって、挑むとなれば生きて帰れる保証は無いと思ってる。

 それでも、一緒に来てくれるのか?」

「え~、だってそんなのいつものことだよ?

 神様の力で傷も無く綺麗に癒して頂いてるけど、それが無かったら私、顔も体も傷跡だらけだもん。

 怯まない怯まない、私は巫女を襲名してからずっとこんなことやってきてるんだから」


「麻痺してるな」

「コナツにそれ言う資格は無いような予感もぷんぷんするんだけど?」


 主君や野心のためなら命すら捨てられる武士は確かにいる。

 コナツもそんな人物には幾度か顔を合わせてきた。

 それらは、神妙な面持ちで覚悟を口にする者が殆どであったけれど。

 アンズは今の流れでコナツをいじりながら、ちょっと笑って話すほどである。


 自分の命を軽く見ていそうな女だとコナツには映った。

 確かに現世は、いつどんな形で、明日にでも命を落としてもおかしくない現実が常にあるとはいえ。

 だからこそ、命というものの重みを各々が強く意識する中で、こんなに朗らかな顔で己の命を他者の為に張れる者も稀である。

 同時にコナツも、鬼を根絶やしにするためならこの命も惜しくない己を顧みれば、人のことは言えないなと苦笑もするのだが。


「ねえコナツ、絶対今の笑うとこなかったよ。

 私も笑ってたけどさ。コナツの考えてること不明すぎてこわい」

「いや、悪い悪い。

 信じられねえほどいい奴と友達になれてたんだなって思ってただけだ。

 皮肉とかじゃなくて心からそう思ってる。

 頼んでおいてなんだけど、俺お前のことぜってー死なせたくねえわ」


 きつい頼み事をする前に考えていた様々な想いがすべて晴れたかのように、コナツは天を仰いで笑いながらそう言った。

 その右手で、眩しい太陽に差される両目を覆うようにして。

 やっぱりコナツの考えていることはわからないけれど、アンズは深く考えるのをやめにして、小さくふへへと笑うことでのみ応えた。

 照れ臭く。すなわち、依頼者相手の顔ではなく、友達相手の顔を晒してだ。


 裏の無い善意か好意、それさえ感じられるなら、根拠や思想を深読みする必要は無い。

 死なせたくない友達だと言ってくれたことに対して、素直に喜ぶことこそが、たとえ思考放棄と言われようが正解だとアンズはよくわかっている。

 人を信じるというのはそういうことだ。

 自分にとって理解できることを言う者しか信じられないのであれば、そんなものは自分を信じているだけに過ぎない。

 そもそも、そうでしか他者を信じることが出来ないのであれば、共感を呼ぶ言葉遣いが上手な者に騙されやすいということでもある。

 信ずるべき相手を選ぶ時、そこに正解と呼べるものがあるとすれば、所詮そこに理屈など無い。


「……わかった。

 出発はいつにすればいい?

 山波村の巫女だったら普段から忙しいだろ。

 日跨ぎの隣国遠征になるだろうし、いつでも構わないぞ」

「えーっと、明後日でいい?

 明日は六日に一度の大事な仕事があるから、その翌日。

 それで、出来ることなら七日後までには帰って来たい。

 そういう感じの計画立てにしてくれればなぁって思ってる」

「わかった、明後日までにはそんな感じで想定しておくよ。

 明後日、神社に会いに行けばいいか?」

「うん、それでいい。

 朝ごはん食べてから出発しよ!」


 話は纏まった。重ね重ね、コナツの想定を遥かに超えて、簡単に。

 頼もしい協力者を得たコナツの嬉しそうな顔と、それに応えられる、頼もしいと感じられている実感にアンズの綻ばせた顔が見合う形でだ。

 数日後には、命懸けの戦いに身を投じることになることを、重々承知の若者同士のやり取りだとは、決して周囲には思えないだろう。

 握手を交わす二人の姿は、楽しみな何かを約束し合った男女のそれにしか見えなくても、見る者の目が曇っていたという話にはなり得まい。


「随分と楽しそうにお話してたなぁ。

 逢引かい?」


「ちっがーーーう!

 私が男の人と楽しそうに話してたらすぐそういうのやめて!

 ぶっちゃけもう飽きてきた!」


 茶店の主人が話が纏まった頃合いを見計らってきていじってくるが、実際そうにしか見えなかったのだろう。

 主神に操を立てる巫女がぷんすかする姿と、神職者相手にそんな僭越な関係作りするわけねえだろと苦笑するコナツの姿は、年相応の少年少女のそれ。

 つくづく、この二人の実績を知らぬ者には、アンズとコナツが血を流すことも厭わず、妖に挑むことを躊躇わぬ英傑だとは見極められまい。


 人の内面など、表に出ていないことの方が多いのだ。

 わかりやすい子だと言われるアンズですら、意外なほど。











「……はぁ~~~~~っ。

 さぁ~て、どうしましょうかねぇ……」

『問題を軽視していないようで少し安心した。

 流石にお前も、鬼の巣窟に挑むことがどれほど危ういかぐらいはわかっているようだな』


 コナツと別れて、アンズは一度神社に帰ってきた。

 ひと休みである。一度、腰を落ち着けて、一人で、あるいはテンジン様と一緒に気持ちを整理したい。


 普段は日中、暇なら山波村の人々の畑仕事などを手伝うことに時間を使うアンズが、それをせずに帰ってきたということである。

 内心、けっこう気が気でない。


「いや、テンジン様?

 私も妖魔調伏に慣れた顔してますけど、別に妖のこと舐めてるわけじゃないですからね?

 テンジン様の御力が無ければ、私なんてただの女の子に過ぎないわけですし、妖相手じゃ手も足も出ないんですから」

『よく言うわ、摂泉国(せずみのくに)でごろつき連中に絡まれて、私の力も借りずに全員殴り飛ばした喧嘩巫女が。

 ただの女の子というのは己のことを可愛く言い過ぎだ』

「それはあくまで対人でしょぉ?

 だいたい私に護身術教えてくれたのもテンジン様ですし、それだって神様のおかげといえばそうなんですよ」


 アンズは今朝片付けたはずの布団を押し入れから出そうとしている。真っ昼間なのだが。

 とりあえず一回、横になりたいらしい。


『私は若干ながら懸念していたんだよ。

 先日戦った、黒装束の男が従えていた黒鬼だったか。

 まさか無いとは思いながらも、お前が、鬼などとはあんなものだと軽んじているのではないかとな』

「そんなことあるわけないじゃないですか。

 そりゃあ確かに、かつて戦った片車輪(かたわぐるま)陰摩羅鬼(おんもらき)と比べれば相当に可愛いものでしたけど。

 そもそも黒鬼って鬼の中では最下級でしょ?

 あんなのが鬼の怖さを体現していると思うほど、私だって世間知らずではないですよ」


 布団を敷きながら、脳裏に語りかけてくるテンジン様と声を出して語らう。

 アンズもテンジンも、キドウマルに対しての評価がやたら低い。

 だって、黒装束の男が敷いた陣、鶴瓶落としや七歩蛇もいる包囲網の中でこそ苦戦しただけであって、一対一で怖い相手ではなかったのである。

 態度のでかかったあの黒鬼だが、所詮、あの黒装束の男にいいように使われていた三下に過ぎなかったことなど、歴戦の巫女や神様の目には見るも明らかだ。


「だいたい鬼の大親分といえば、かつてテンジン様でさえも調伏までには至れなかった、"山波三大災妖(わざわいのあやかし)"でしょう?

 ええと、何でしたっけ……しゅてん、までは覚えてますが……」

酒呑導(しゅてんどう)獣郎(じゅうろう)だ。

 私もついに討つことは叶わず、山に追い込むのが辛うじてだったからな。

 最後の引導を渡す役目を人の手に譲った形になったのだが、今にして思えば、あれが私への信仰が弱まった歴史の始まりだったかもしれぬなぁ』

「まあまあまあ、そうは仰らず。

 たとえそうであったとしても、テンジン様がいなければ未だかの大災(おおわざわい)は世にあったのかもしれないのでしょう?

 信仰はまあ、その、お気にはなるかもしれませんが……」

『よいよい、私もあの時はよくやったものだと誇っている。

 結果として人の世の泰平は保たれたのだ。胸を張っているよ』


 昨今、陰陽師と呼ばれる皆様も多くなり、極論、テンジンやアンズがいなくても、人の手で妖魔を調伏できるようにもなってきた。

 人の手で災いを退けられるようになってきた世になるにつれて、かつて人智及ばぬ脅威を退けてきた神様への、人類の依存度は下がるのだ。

 人類の自立はすなわち神々への信仰と反比例しやすいものでもあるから、かつての大妖魔を討ち果たしたのが人の手であったのなら。

 それがテンジンへの信仰が薄まり始める歴史の始まりであったと、主神が仰る意図もアンズには理解できる。


 同時にアンズは、テンジン様がいなければ、最初から人類だけで討てるわけではなかった大妖魔がいたという事実を、忘れて欲しくもないのだけど。

 快挙を為した、たった一人の英雄が持て囃され、その道のりの中にあった数多くの英傑が後の世で顧みられぬというのは、いつの世でもある歯痒い話である。


「全盛期のテンジン様でも苦戦された鬼という存在を、私が軽んじることなんて絶対に考えられませんよ。

 私も未だ見ぬ、想像を超えた鬼が実在するであろうことぐらい、努めて想定するまでもなく自明の理なんですから」

『お前はそんな鬼どもが跋扈する山に参じようとするわけだ。

 ほぼ二つ返事で応えた姿に、まあ軽んじておるほどお前も馬鹿ではないと思ったが、どこまでわかっておるのだろうかとも私は思うのだよ』

「いや~……実際どうなんでしょうねぇ……

 過去最大級の死地に自ら飛び込んでいくようなものだと意識はしていますが、その想定すら上回られるのも存分にあり得るとも思ってますし……

 怖くないなんて言いませんよ、今すっごく怖くなってますから」


 一度わざわざ巫女服を脱ぎ、寝巻の襦袢に着替え、布団の上にばすっと仰向けに寝転がるアンズ。

 外を歩いた巫女服は砂も塵も付着している。あれで布団の上には寝そべられない。精も根も尽き果てて神社に帰り付いたあの日とは違う。

 まだ日は高く、気持ちを整理したらまた巫女服を纏って外出する心積もりながら、手間をかけてでも布団を砂塵(すなちり)で汚さないのは意識高い。


「だって大和龍山って今や鬼の総本山でしょう?

 きっと深入りすれば、黄鬼や白鬼と遭遇することだって充分あり得るわけじゃないですか。

 それならコナツと一緒ならどうにかなると仮定しても、赤鬼やら青鬼と対峙しようものならどうしたものか……」

『充分あり得る話であろう。

 それも覚悟の上で引き受けたのだろう?』


 鬼にも格というものがあり、それは見た目の肌の色で判別することが容易だ。

 黒鬼は最下級である。

 鬼の巣窟と呼ばれる大和龍山においても、小鬼から中鬼まで、黒鬼の数は非常に多い。

 キドウマルのように、名を賜った鬼は黒鬼の中でも上位に位置するのであろうが、所詮は鬼の中では三下に過ぎない。下の上といったところだ。


 しかし、その上の色となればぐっと数が減り、京の言葉で言うならば官位持ちのような存在となる。

 黄鬼や白鬼というのは黒鬼より一つか二つ上の地位に過ぎないが、黒鬼と比較すると急激に格段上の立場となる。

 当然、妖魔としての強さや脅威度も、黒鬼などとは比較にならないだろう。

 赤鬼や青鬼というのはさらにその上で、もはや鬼の中では五指に入るほどの怪物と言って相違無い。

 最上位の紫鬼というのは、実質、鬼の帝のようなものだ。

 鬼の格というのは、肌の色だけではっきり人の目にもわかる。


「いえ、まあ……でも、勢い半分もあったというか……

 だって断れないでしょう、困ってる友達の切実な頼みを。

 どうせあの場で"考えさせて"って言って先延ばしにしても、我が身可愛さでお断りの決断なんて出来るわけないんですから。

 だったら話は早い方がいいじゃないですか、って話だっただけで」

『確かに熟考しようが短慮だろうが、結論が同じであるなら下げは早い方が良いな。

 遅巧は拙速に如かず、というのはこの場合にも当て嵌まる』

「ですから別に、軽んじて快諾したわけではないんですよ。

 ただ、その……はぁ~…………私、生きて帰れるのかなぁ……」


 布団の上に枕も置かずに寝転がり、両手で目を抑えて見えぬ天井を仰ぐアンズは、内心かなり参っている。

 鬼の巣窟に自ら参じるというのは、決して何ら誇張無く、自殺行為と呼ばれて相応しい程の蛮勇なのだ。

 使命のためなら命も惜しまぬ巫女とはいえ、やはり死ぬのは怖い。

 死することあるならば、それに至るまでに必ずある、肌を裂かれ血を流し、骨を砕かれるといった、それに伴う泣き叫びたくなるほどの苦痛も免れまい。

 生きて帰ることが結果叶えられても、傷一つ無くなんてまず想定できない。先述の痛苦はほぼ確約されていよう。

 それへの恐怖をはなから忘れて使命に殉じられるほど、十七歳のアンズも頭が壊れてはいないのである。

 

『やるからには、もう仕方あるまい。

 撤退の選択肢もある、まずは生きて帰ることだ。

 お前に死なれては私も困るのだからな』

「存じてますよぉ……

 あぁ~、怖いなぁ……でもコナツの前では、こんな顔できないなぁ……

 絶対コナツ、気にしちゃうだろうもんなぁ……」


 自分を頼りにしてくれる人を、いたずらに不安にさせるようなことはしたくない。アンズに限らずよくある感情だ。

 それを抱え込み過ぎると肝心の当人が潰れてしまう懸念もあるのだが、その点アンズは、こうした弱気を隠さず話せるテンジンが常にそばにいる。

 神力を授けてくれるだけでも頼もしい神様ではあるが、常に言葉を交わせること自体もまた、アンズにとっては神力にも勝り有難い。


 ある意味で、当人がその気になって婿探しをすれば引く手あまたのアンズでありながら、彼女が何らその気になることのない遠因の一つなのかもしれない。

 優しくて、敬えて、頼もしくて、いつでもそばにいてくれるひと。

 ずっと寄り添ってくれる夢のような人物が、ずっとそこにいてくれれば、旦那様なんていなくても一生寂しくないのである。

 主神に操を捧げると誓って憚らないアンズだが、巫女としての心掛けと言うよりも、テンジン様さえいて下さるならそれで充分だというのが恐らく根底にある。


「ごめんなさいね、テンジン様。

 こうやって吐き出すことを聞いて下さるだけでも、私は救われてます。

 巫女って大変ですよ~、まだまだ未熟者だって痛感します」

『お前も私だけでなく、心を寄り添えて頼れる相手をもっと増やすことだ。

 多少の泣き言ぐらい、嫌な顔せず聞いてくれる相手などいくらでもいるぞ?

 お前は人を見る目も悪くはないのだから、自信を持って人を選んでみろ』

「まあ、考えてはいるんですけど……

 やっぱり人々の不安を払拭するお仕事をしているわけですから、なんか塩梅が難しいんですよねぇ。

 私は今のところ、テンジン様さえいて下さるならそれで身に余り幸せですよ」


『まったく』


 共に鬼に挑もうというあの若者も気立ては良さそうだし、何かしら上手くいくなら、跡取りを幸せそうに抱くアンズを見れそうだという楽しみもあるのだが。

 そんなテンジンのささやかな親心も、今のアンズには一切通じていなさそう。

 主神であるだけを理由とせず、慕い、敬い、愛してくれるアンズのことは可愛いが、そのせいでこの子を嫁き遅れさせそうなのがテンジンには歯痒くもある。

 かと言って婿を取るよう急かそうにも、この手の話は周りが尻を叩いて進めるべきものではないとテンジンもわかっているから、あまり本気では迫れない。

 せいぜい時々、からかうような言い草で性を意識させる程度しか出来ないのだ。


『まあ何にせよ、重ね重ねだが生き延びることだ。

 敵は強大、諦めずに挑んでも今のお前では破れぬこともまた想定すべきだ。

 場合によっては、撤退も視野に入れるように。それは恥ではないのだからな』

「んへへへ、存じています。

 私だって、果敢と無謀は履き違えないよう常々意識していますから」


 複雑な笑顔で見下ろすテンジンの顔は、心配してくれるお優しい神様の表情とアンズに見えたようで、なんだか嬉しそうな笑顔で見上げてくるばかり。

 単にともかく愛娘が長生きし、幸せな天寿を全うして欲しいのだがという、普通の親心が単純明快に解釈して貰えないのは、神様だからこその悩みだろう。

 決して多い事例ではないが、尊敬され過ぎても良いことばかりではない。

 普遍的かつありふれた願望を抱くことぐらい、神様にだってあるというのに、しばしば信者はそんな簡単なことすらあっさり失念する。

 相手がテンジンでさえなければ、人の心を汲み取って態度や言葉も選べるはずのアンズが、テンジン様が相手の時のみこうも鈍感なのが何よりの証拠である。


 神の心、巫女知らず。

 親の心が子に伝わらぬ儘ならなさよりも、いっそう解決しづらい難題かもしれない。

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