第二三話 ~ひっでえ目に遭った~
『掃除が長いぞ』
「まあまあ、いいじゃないですか……
綺麗にして、し過ぎるということはないですから……」
巫女の朝の日課、境内の掃き掃除。
もう充分やった。桜の花びら一つ落ちていない。木々から落ちてくるものが多いとわかっている季節に、ここまでやること自体が時間の無駄。
掃いても掃いてもまた落ちてくるものが加わる境内を、その都度まっさらにすることに固執していたら日が暮れてしまう。
しかしアンズは箒を手放さない。新しく落ちてきた桜の花びらをきょろきょろ探しながらでも、それを掃く作業を繰り返して掃除を終わらせない。
『今朝は山波京に行くのではないのかね』
「わかってますよ~?
掃除が終わったら行きますよ」
『いつ終わるのだ?』
「知りません」
踏ん切りがつかないのである。本音を言えば行きたくない。
叱られるとわかっている相手のもとへ、自ら足を運ぶ気の重さとはありふれた拒否感だが、相手が相手だからアンズにとっては切実。
気持ちの良い春真っ只中の晴れた朝、とんと沈んだ顔で溜め息すら吐くアンズの心境たるや見るも明らかですら。
『やれやれ、子供相手の説教を私にさせるでない。
こんな時に親が説く言葉など一つしか無いことはお前もわかっておろう?
自分で復唱してみろ。ほれ、ほれ』
「はぁ……待たせれば待たせるだけより怒らせるだけ、でしょう……
そうですよねぇ~……観念するしかないですよねぇ~……」
主神に皆まで言わせるわけにもいかないので、アンズもようやく当然のことを口にして腹を括り始める。
どのみち逃げられないこともわかってはいるのだ。認めたくないだけで。
申し訳ないが、今日だけイナリ姫様が風邪を引いて、赴いたはいいもののお引き取り下さいと呼ばれる奇跡すら願ってしまう。
もっとも、イナリ姫の性格を鑑みると、アンズが来るとわかっている以上、高熱出そうが無理してでも待ち構えていそうでもあるが。
「……よーし、しょうがない!
死んできます! 上手いこと生き返らせて下さいね!」
『そんな口が叩けるなら大丈夫そうだな』
「いえ全然」
馬鹿なこと仰って箒を片付けに行くアンズに、頭上のテンジンも呆れ笑い。
物置に箒を仕舞い、いよいよ出発だと気を引き締め、再び境内へ。
まだそんなに気を引き締めるには早すぎると思われるが。
「…………んあっ?
もしかしてあれって……」
『ほう、これはこれは随分と珍しい参拝客のようだな』
さあ雷神太鼓と撥を出し、"伏"の字の太鼓を叩いて雲を出し、それに乗って京に向かおうかというところ。
鳥居方面から歩いてくる、山波神社への訪問者がアンズの目を射止める。
参拝客の少なくなった昨今、神社に来てくれる人がいるだけでも嬉しいアンズだが、そんな嬉しさよりもその人物の意外性にまず驚く。
「お、アンズ。
久しぶり」
「おはようコナツ、どうしたの?
参拝に来てくれたの?」
そうだと思うし、普段のアンズなら嬉しそうに駆け寄るところだが、神社にコナツが来てくれるというあまりの予想外に目を丸くしきりである。
穏やかな足取りで歩み寄り合う二人は、普段は声の大きい巫女が今日はおとなしいため、朝の静かな空気に似合ったおとなしいご挨拶を交わすに至っていた。
「いや別に……
あぁ、まあ、せっかく来たんだし手を合わせては行くよ」
「え、参拝目的じゃなかったってこと?
神社に何しに来たの」
「いやそれはまあ、お前に用があって来ただけだったからで……
アンズ、これからどこかに行くとこなのか?」
神様じゃなくて私に? とアンズは首をかしげる想いである。
村を歩いていれば声をかけられることの多いアンズだが、だからこそかえって存外、神社にまで彼女に用があって来る者は少なかったりする。
お忙しい巫女であることは山波村でも有名であるし、彼女は神社を出払っての御奉仕が多いので、神社に彼女目当てで会いに来るのは基本無駄足も多いからだ。
そうした事情を知らないコナツが、アンズに用があって神社に足を運んだというのであれば、ある意味では納得かともテンジンも感じるが。
「ちょっと大事な用があって京に向かうところだよ。
コナツが何か用があるなら話ぐらいは聞いていくけど」
「大事な用なら行ってくれていいよ、きちんと話すと長くなるし。
別に次の機会でもいい話だから、今あんまり捕まえても……」
「じゃあ短めでもいいから話して?
ご用があってわざわざ来てくれた人に、話も聞かずにさよならはなんか気が引けちゃう」
「そ、そうか?
だったら話させて貰うけど、近い近い」
遠慮を見せてきたコナツに、ずいずい詰め寄り話を聞かせろと迫るアンズ。
ちょっと気を紛らわせたいのだろう。今から行く場所が場所なので、少しぐらい気分転換しておきたいらしい。
「えーと、今日じゃないんだけどさ。
近いうち、アンズに大きい仕事を頼みたいんだけど……
アンズは、何日か神社を空けることって出来るのか?」
「日跨ぎになりそうな仕事ってこと?
あまり高い頻度では受け付けてないけど、やるにはやるよ。
大抵何でも引き受ける普段とは違って、内容次第なとこもあるけど」
「どんな内容だったらいい?
言っちまうと、大奈国での妖退治を頼みたいんだが」
「ああ、なるほど。
隣国への遠征のお仕事ってことね。
村でのあれこれがあるから準備は要るけど、全然引き受けられるよ」
「そっか、よかった。
アンズがいてくれるとかなり頼もしいからさ」
色良い返事を貰えたことで、コナツは喜ぶというよりも、ほっとするような笑みを浮かべている。
それが、アンズには少し引っかかった。
コナツがアンズに頼もうとしている仕事は、妖魔調伏に類するもの。
そして、アンズはコナツの強さも知っている。あの黒鬼キドウマルを圧倒するほどのものであると。
そんな彼が、アンズに力を借りてでも臨みたいと思っていそうなこととは、果たしてどれほどの苦境なんだろうと勘繰ってしまう。
『こ奴は大奈国の生まれではなかったか。
それがお前に協力を仰ぐほどの仕事となれば、まず――』
(……あぁ、そっか。そうなんだ。
いくらコナツが強くたって、一人で挑めるわけないでしょうね……)
テンジンが添えてくれた一言のおかげで、アンズもうっすら、コナツが見据えているものが読めた気がする。
これは間違いなく、安請け合いしていい内容の仕事ではなさそう。
以来の全容を聞かされる前から既に、極めて危険な匂いがする。
「その、今日のところは私も急ぐからさ。
明日また、同じような時間に来てくれないかな。
詳しい話はその時にちゃんと聞くよ。
きっと、短い話じゃ済まないでしょ?」
「まあ、多分な。
悪い、引き留めちまったな」
「ううん、全然大丈夫。
これからもの凄く大変な試練に挑もうっていうところだったから、気分転換できて良かったまであるぐらいだよ」
「試練……ああ、イナリ姫にでも呼び出しくらったか?」
「すごい! どうしてわかるの!?」
「わかんねーけどお前が怖がりそうな数少ないものを言ってみただけだよ」
出会ってさほど日数の経っていない新しい友達にすら、色々見抜けてしまうほどわかりやすい巫女である。
私ってそんなにわかりやす過ぎる奴なんだろうか、と複雑な気分になるアンズだが、ぐうの音も出ないほどわかりやすい奴なのでしょうがない。
「えーと、まあ、ともかく明日また会ってから、話を詰めよっか。
私も話を聞いてすぐ遠征に出発できるわけでもないから、いつ出発するかもその日に決めよう。
依頼前の手続きだけで日跨ぎさせちゃって、それは申し訳ないけど」
「いいよ、それぐらい。
お前も忙しそうだし、神社を空けにくい神職者だもんな。
無茶を言ってるこっちを門前払いされないだけでも有難いぐらいだよ」
「んふ、お構いなく。
友達に助力を求められたら、私もそれだけで嬉しいからさ」
今日のところはこの程度。
短く済むなら今ここで話を纏めてもいいが、次の急ぐ予定が待つ中で、のんびり話をする構えには入れない。
アンズは雷神太鼓を背負う形に顕現し、左手に撥を顕して握る。
そして"伏"の字の太鼓を叩いて、宙に浮く黒い雷雲を作ると、いそいそ立ち位置を移してから、よいしょとゆっくり足を上げて雲に乗る。
「……あー、悪い。
男がそばにいたら乗りにくいわな」
「ちょっと口にしないでくれる?
妙に恥ずかしくなってくるじゃんか」
普段のアンズなら、ぴょんと軽々しく雲に飛び乗っているところである。
近くに異性がいるものだから、自分とコナツの間に雲がある立ち位置に移って、股の裾を握って隠して雲に乗るわけだ。
気まずそうなコナツに罪は無いし、ぶつける矛先の無い妙な羞恥心のやり場を失い、アンズは理不尽な不平を叩くので精々である。
「と、ともかくまた明日ね!
ちゃんと朝待ってるから来てくれますように!
あとせっかく来てくれたんだから、お賽銭はいいからせめて参拝ぐらいはやっていってね!」
「はいよ。
それじゃ、いってらっしゃいな」
顔を赤くしたアンズが下半身を雲に埋め、若干の高所から振り返り気味にこちらを指差して言ってくるのを、コナツは微笑ましく手を振って見送った。
空へと向かって小さくなっていくアンズだが、ある程度の高さまで至ったところで、今一度地上のコナツを振り返って見下ろす。
まだ目を切らずに見上げて見送ってくれている。
そういう姿を見ると、体ごと向き直って、手を振ってしまうのもまたアンズの性分である。
『まあ、良い気分転換になったのではないか?』
「なんか難しいお仕事の予兆も感じますけどねぇ。
今月も、なんだかんだで穏やかなのみでは過ごせそうにありませんね」
たまには、一ヶ月丸々のんびりと、あってもせいぜい簡単な妖魔重複の仕事がある程度の月があって欲しい気分になることもある。
とはいえ、アンズの巫女業が忙しいのは、良いことでもあり嘆かわしいことでもある。
依頼が舞い込み忙しいということは、それだけ妖魔が活発な証拠。
そして同時に、自分を頼りにしてくれる人が増えたということでもある。
前向きに考えよう。暇が無いのはきっと良いことだ。
憂い多きこの世において、自分には誰かを助けられる機会がそれだけ沢山あるということなのだから。
誰に貢献する機会も与えられぬ暇より、それは余程に素晴らしいことである。
もっとも、今日に限って言えば、救って欲しいのはアンズ当人の方だが。
コナツとお喋り出来たことで気分転換し、京へと向かう空の旅そのものは気楽でいられたが、いざ羅刹門をくぐって京に足を踏み入れればいよいよだ。
ここまで至ってしまえばもう、迫る怖い現実から目を逸らす余地も無い。
「ま、頑張れよ。
取って食われはしねえんだからそんなに怖がるな」
「はぁい……
ミツサダさん、お見送りありがとうございました……」
京では浮き過ぎる服装のアンズなので、羅刹門からイナリ姫おわす内裏殿まで、京の名将ミツサダが同行してくれるのはありがたい。
ただ普段のイナリ姫への謁見と異なり、今日は粗相したことで頭を下げに行く日なので、親しいミツサダ相手でもアンズも明るく振る舞えなかった。
今から叱られに行く子が空元気で明るく振る舞うなんて無茶だというのは、ミツサダもよくわかるので特に気にならないが。
むしろミツサダはお偉い側の武者であるため、叱る側に回ることが多く、委縮する顔をした者の気持ちは見てわかる方である。
ミツサダと別れ、大内裏の門をくぐり、宮まで歩いて長い廊下を進み、やがてようやくイナリ姫が待つ部屋の前に到着。
広い大内裏なので長い道のりには違いないが、倍ほど長く感じた距離であった。
足取りが重いせいで歩みも遅いし、心情的にも腰が引けていると、つらい時間も自ら長引かせてしまうという悪例そのものだ。
気持ちが沈むと良いことが無いのはアンズも普段から承知であり、だからいつも前向きに明るく過ごそうとしているのだが、そんな余裕も無い日もまたある。
こんなに沈痛な面立ちで、顔を上げることも出来ずに歩くアンズの姿など、山波村では見られまい。
さて、それにしてもここまで来たのだ。腹は括らねば。
イナリ姫の部屋の襖の前に姿勢正しく座り、深呼吸。覚悟を決めろ。
「――恐れ入ります、水原稲荷様。
山波神社の巫女アンズ、畏れ多くも馳せ参じました」
「うむ、入ってよい」
あれ、想像していた反応と違うぞ。
とても穏やかな声だ。自分に対してそんな第一声で応じるイナリ姫を見た覚えがないのだが。
怒鳴り声か、低く不機嫌な第一声で迎えられる想定していなかったアンズは、肩透かしとも言うし想定外とも言える返答に戸惑う。
しかし、困惑している暇はない。ちんたらしていたら、はよう入れとでも言われる形でイナリ姫を怒らせるかも。
対アンズにおいては雀蜂のような一触即発感のあるイナリ姫なので、駄目だ駄目だもたついては、とアンズは慌てて襖に手をかける。
その上で、落ち着いてそっとおとなしく襖を開ける。動転して乱暴な襖の開け方はしない。
冷静さを失いかけても挙動に表さない慎重さがあるとも言えるし、余程にイナリ姫相手では神経を遣っているとも言える。
「うむ、よく来た。歓迎するぞ。
もっと近う寄れ」
ぞぉ、とアンズの全身の鳥肌が立った。
何あの上機嫌な笑顔。幼い顔立ち、無邪気な笑み、不機嫌の気配一切なし。
しかも、歓迎するだなんていう、今まで絶対あり得なかった言葉まで発して。
私、あなたにそんな顔で、そんな快い言葉で迎えられたこと今まで一度もありませんでしたよね。
深読みしなくてもアンズには一瞬で確信できた。
この日イナリ姫は、姫君が中におわす籠を焦がしたアンズを、その大失態を責める口実を掌握した上でアンズを招いているのだ。
打ち首を命じても罷り通るほどの失態である。誇張でもなんでもない。
今から自分がアンズにどのような沙汰を下しても理不尽にはなり得ない、そんな舞台にのこのこ現れたアンズのことは、そりゃあ大歓迎というものだ。
いらっしゃい、鯉。さあ、まな板の上においで。
「ぉ…………ぉそれぃります……」
恐怖心で汗だくになったアンズが、あっという間に痺れたような気がする足で立ち上がり、躓きそうにすらなりながらイナリ姫に近付いていく。
いや私、本当に今日死ぬんじゃないか?
あぁやっと憎き巫女に堂々と首ちょんぱを命じられる、楽しみ楽しみ~、というイナリ姫の上機嫌な顔にしか見えない。
それはいくら何でも姫君を鬼畜扱いし過ぎな気もするが。
「ふむ? なぜそんな所で膝をつく?
もう少し近う寄ってもよいのじゃぞ?」
「ぇ…………ぁ、ぁの…………
そ、それでは、ぉそれぃりますがもぅすこし……」
短い時間で何回恐れ入るのだろうか。語彙力も死んでいる。
あと三歩でイナリ姫と目と鼻の先、という場所から、両膝をついたまますりすりと歩み寄っていき、止まっても、また手招きされ。
もっと近寄れと? 怖がりながら前進。また手招きされる。
流石にこれ以上のお近付きは普通に不躾では……という辺りも越えてなお、招かれて。
いつの間にやら、手を伸ばし切らなくても一段高い場所のイナリ姫の御尊顔に触れられるほどの距離に。
これはもしも、イナリ姫が懐から脇差を抜いて振るいでもすれば、アンズが死亡確定する距離である。
そんなことイナリ姫がするわけないのに、されてもおかしくないと心底震えているアンズは、恐怖のあまり頭がおかしくなっているのだろう。
「んふふ、どうしたその顔は?
そんな引き攣った顔で貴人を見るのが楽しいか?」
「ぃ、ぃぃぇ……めっそぅもぁりません……」
別に全然引き攣ってない。怯えて震えているだけ。
そんなアンズの頬にそっと手を添えて撫でるイナリ姫と、触れられた瞬間にびくぅと肩を跳ねさせるアンズ。
大袈裟だろうか。存外、そうでもないのだが。
一年以上、逆らえない相手に、顔を合わせるたび、殺意すら匂う形相で罵声を浴びせられ続けてくると、こうもなるというものである。
「まあ、いじめるのもこの程度にしておこうか。
本題に移るとしよう」
(テンジン様、今までありがとうございました。
私はもう終わりです)
『終わらん終わらん。
妖魔相手に殺されかけてすら諦めの悪いお前が、今日に限って何故そこまで諦めが早いかね』
いじめるのは終わり、一思いにとどめを刺してやろう、とアンズの耳には聞こえたらしい。
恐怖心に満ちていた顔が、突如として、すんと無表情になった。
死期を悟った熟達の侍の如し。十七歳でそんな境地の真似事しなくてよろしい。
「よもや、忘れてはおらぬよな?
そなたは妾のいる籠を、妖魔をも滅する力にて撃ち抜いた。
それそのものが、京に弓を引くにも等しい行為すら上回る、謀叛そのものの行為であったとは認めておるな?」
「はい。
決してイナリ姫様に叛意を抱いたわけではありません。
しかし、私の所業はそう誹られて然るべきものであったと、どのような沙汰をも受け入れるべきと存じています」
「お、おおぅ、急に開き直りよったな……
覚悟が決まり過ぎであろう」
アンズは突然無敵になった。
真顔で凛々しい、どのような運命が待ち構えていようと動じない、戦う時の巫女の顔である。
もう死を逃れられないと確信してしまったら、怖いものなど何も無くなってしまうらしい。
走馬灯が駆け抜けてしまうと未練も残るが、もはや努めて何も考えないようにして、未練すら抱かず沙汰を受け入れるべきと腹を決めているようだ。
極端な子である。もっともそうした切り替えが出来ないと、いつもやっている命懸けの戦いなんてことも出来やしないのも事実ではあるが。
「そなたは、妾が斬首を命じてもそれに背くことは出来ぬ。
理解はしておるな?」
「はい」
「むぅ」
なんだかつまらなくなってきたイナリ姫である。
怖がらせていびり倒したいのに、もう何も怖がらない無敵巫女になっている。
流石に連日、死をも恐れず妖魔に挑んでいる巫女というのは伊達ではないのだな、と、少し敬意めいたものも感じすらする。
蛇蝎の如く嫌っているはずの相手に、敬意めいたものを感じられる辺り、意外とイナリ姫もアンズを正しく買っているふしもあるが。
とはいえ、この攻め方では駄目だと思ったらイナリ姫も悪知恵が利く。
絶望を通り越して開き直っている相手には、別の角度から攻めねば。
「……言っておくが、妾はそなたを死罪にするつもりはないぞ。
厳しく罰するつもりではあるが、命までは取るつもりはない」
「…………えっ。
ほんと……?」
「泣くなぁ!!
そなたは妾を何と思うておるんじゃ!!」
「ひぃっ、ごめんなさいっ!?」
跪いたまま覚悟の表情でイナリ姫を正面見据えていたアンズの表情が、急に唖然と力が抜けるや否や、つぅっと一筋の涙が頬をつたう。
死なないことが確定したのだ。なんという望外の幸せ。(望外なのか?)
あんまりにも酷な姫君だと思われていることに腹が立ったので、いつもの怒鳴り声が出るイナリ姫である。
びびって両腕で顔を覆って腰が引けるアンズ。普通のアンズに戻った。
「とりあえず顔をこっちに出せ。
涙を拭いてやる、流石にいじめ過ぎたわ。すまんな」
「あぁいえ、そんな……
こちらこそお恥ずかしい姿を……」
少し前に出して目を閉じるアンズを、イナリ姫は着物の裾で目元と頬を優しく拭う。
短時間であるが、この瞬間だけは普通に関係の良い皇族と庶民のよう。
姫君が袖を汚して涙を拭ってくれるなんて、普通は絶対に無い話である。普通に甘えて受け入れる辺り、アンズも頭が回っていない。
「はい、気を取り直して。
正味で話すぞ。
そなた、やったことがやったことじゃから、それなりにきつい罰を当てるぞ。
それぐらいの覚悟はしてきておるよな?」
「あ、はい。
打ち首でなければなんでもいいです。ありがとうございます」
「はぁ……」
真顔で言って、深々と畳に額をつけて礼を述べるアンズに、イナリ姫もちょっと反省した。
確かにさんざんきつく当たってきたが、思った以上に怖がらせ過ぎてきた、要するにいじめ過ぎてきたと自覚せざるを得ない。
色々わけあって、どうしようもなく妬ましく憎らしい巫女なのだが、原因がアンズにあるわけではないのもわかっているので、流石に悪い気がしてきた。
「もうよい、回りくどいことは無しにしよう。
とりあえず全部脱げ」
「はい?」
「脱げ」
イナリ姫がいびるのをやめると、急に話が簡潔になった。
皇族の籠を焦がした巫女への沙汰を下す時間である。
「…………あの、イナリ姫様?
大変申し訳ないのですが、聞き間違えがあったようでして……
も、もう一度、お聞かせ頂けますか……?」
「全部脱げ」
「はーーーーー!?!?」
思わず立ち上がるアンズ。
目を見開いて、座したイナリ姫様を見下ろす形になる。不敬である。
まあ、イナリ姫もそれを咎めるつもりは一切無い。楽しくなってきた。
「何度も言わすな。脱げ。
ひとまず、さらしと褌は身に付けたままでよいぞ。そこまで脱げ」
「な、なんですか!? どういうことですか!?
姫様に申し上げていい言葉遣いかどうかはわかりませんが、意味わかんないんですけど!?」
「意味などそなたが理解せんでもよい。
妾が命じれば、そなたには従う義務がある」
顔を真っ赤にしたアンズを、頬杖ついて見上げるイナリ姫の顔。
にんまりうきうき。すっごく楽しそう。
ぐうの音も出なくなって、言いたいことは山ほどあるのに口をはくはくさせることしか出来ないアンズの姿が、イナリ姫には最高の見世物。
先ほどまでのような開き直った鉄面皮ではなく、感情が素直に出る巫女の、心からの動転を目に見える形で眺められる時が一番楽しい。
「そなた、己の所業を忘れたわけではあるまいな?
首を刎ねられてもおかしくないそなたを赦すにあたり、傷ひとつ与えずしながら充分な罰をよう考えた妾の慮り、受け入れられぬというか?」
「ま、待って下さい……た、確かに傷はつかないかもしれませんが……
その……は、裸を晒せと……?
それはもはや、操に傷をつけるにも等しいと存じるのですが……」
「妾とそなた、女同士であろう?
妾の素肌をそなたに晒すとなれば大事であるが、逆ではそうでもあるまい?
人払いは済ませてある、女同士で肌を晒し合うことの何がそんなに傷であるというのじゃ?」
傷である。女同士であろうとも、丸裸を晒すのは相当に恥ずかしいのが普通の貞操観念だ。
しかし、イナリ姫が言うことも、困ったことに一理ある。
なぜならイナリ姫ほど高貴なる立場とあれば、公の場に立つ前の着付けなどは、側近の女中の手を借りて果たすものだ。
つまり、身分の高いイナリ姫にとっては、同性同士であるなら肌を晒すことも、決して言語道断ではないのである。
アンズはそうではない。
庶民ですら、女同士でも肌の晒し合いなどは控えるもので、まして神職者のアンズは貞操観念がとりわけ固く羞恥心も強い。
嫌々ながらに来ている腕と脚を丸々晒したこの巫女服が本当に限界で、これ以上脱いで胸やへそを晒すなんて、女同士でもあり得ない。
あの恥を忘れられるのは、命懸けの戦いの中で服を裂かれ、柔肌を晒すような局面のみである。ああいう時は流石に恥ずかしがっている場合じゃないから。
相手が年下の姫君様でその命令であったとしても、さらしまではずしてほぼ全裸を晒せと言われたら、恥辱で死ねと言われているにも等しい。
恥ずか死ぬ、というのは本当にあるのだ。実現例が無いだけで。
「脱ぐのか? 脱がんのか?
言うておくが、脱ぐぐらいなら腹を斬って詫びると言っても聞かんぞ。
そなたの大罪を雪ぐには、妾の命に忠実に従う他に道は無い。
その程度のこと、そなたも理解しておろうよな?
よもやそなたは、筋を通せぬ巫女とやらではあるまいよな?」
「ぁ、ぅ……そ…………そりぇ、は……」
筋を通さないのは絶対に駄目だ。まして、自分に明確な落ち度があれば尚更に。
イナリ姫は、アンズが逆らえなくなる言葉を的確に選び抜いている。
本当に、アンズを追い詰めるための知恵は世界一回る人だ。元々若くして聡明なのではあるが、それが悪い方向に活かされると本当に始末に負えない。
「とっとと腹を決めて脱げ。
そして、腰の後ろに手を回せ。
妾が何をしても、そなたは一切抵抗せず受け入れろ。
それを以って、先の不始末は不問としよう」
「!?!?!?
ま、待って下さい!?
まさか、お触りになんてなりませんよね!?」
「知らんわ。そなたが脱いでからどうするか考えるよ。
まあ、妾が何をしたとしても、そなたに拒否する権利など無いがな」
確定した。これは、死ぬよりもきつい罰だ。
首を刎ねてもらえるなら一瞬で済む。
この罰は、一瞬では済まない。長く、長く、アンズを苦しめる。
紅潮した顔で両胸を庇い、震え上がって怯えるアンズも、観念するしかない現実を目の当たりにして腰すら抜けそうだ。
せめてもの救いは、流石にこれは私が見てよいものではないなと、姿を消して去ってくれたテンジン様の紳士ぶりぐらいのものである。
「さて、もうごねても聞かんぞ。
従え、巫女アンズ」
「……………………い、イナリ姫様。
一言だけ申し上げて、いいですか……
極めて無礼な言葉ではありますが、せめてこれだけ、何の咎も無く受け入れて下さいませんか。
そ……それさえ受け入れて下さるならば、私も覚悟を決めて、あなたの仰る言葉に従いましょう」
「うむ、よいじゃろう。
何でも良い、言うてみよ」
イナリ姫は上機嫌だ。
仮に、死ねと言われても許す心積もりである。
そんなもの、涙目にすらなっているアンズの顔を拝めた時点で、多少の不躾などお釣りを返していいぐらいのものである。
「お、おぼえとけ……!
このくつじょく、ぜったいにわすれませんからね……!」
「うむ、聞き受けた! 赦そうとも!
さあ脱げ! 帯を解き、無防備に、妾の前にその肢体を晒してみせい!」
満足いっぱいのイナリ姫。
暴言を赦されて尚、これから始まる、一秒が数分にも感じられよう長き恥辱の時を前にしたアンズが、震える両手で帯を解いていく。
そんな様を、イナリ姫は頬杖をついて、これ以上ない楽しい時間の始まりに舌鼓を打つのだった。
これ以上のことは描写しない。アンズの名誉のためにも。
とりあえず、一生忘れられないほど恥ずかしかったとだけ。
つくづくイナリ姫は、アンズが嫌がることを考えさせれば、天才的かつ容赦無い。




