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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第弐章  大奈国の鬼退治
23/27

第二二話   ~山波天山と瘴気~



『うぅむ、絶景。

 やはり空高くから眺める泰平の世は格別だな』

「たまに仰いますよね、それ。

 やっぱり乱れた世に空から見る眺めとは、見るからに違うんですか?」

『うむ、見比べる機会が一度でもあればすぐわかる。

 お前は戦乱の時代を経験しておらぬから機会がなかったからわからぬかもな。

 もっとも、生きている間に見比べる機会など一度も訪れぬ方が良いがね』

「それは間違いないですねぇ」


 桑原村からの帰り道、連れもいないアンズは神力で以って生み出した雲に乗って山波村を目指している。

 もこもこの黒い雷雲に腰を深く沈め、仮に周りに誰かがいたとしても、下半身は誰の目にも晒されない。

 それでも普段からの習慣で、股の間が見えぬ座り方として正座が習慣付いている辺り、はしたない姿勢を避ける振る舞いがよく身に付いた証拠である。


 満開の桜が年に一度の華々しい姿を見せるこの時季、空を飛ぶことが出来るのは、他の誰の目にも叶わぬ絶景を見下ろす特権を握っているとさえ言える。

 今は夕暮れ、赤々と照らされた木々に桜色の美しさを目の当たりに出来る時間帯ではないが、西に沈みゆく夕陽の輝かしさを空にて眺められるもまた絶景。

 進行方向にそれがあるのでちょっと眩しいのには目を瞑るしかないが。。

 それもあってか、アンズも少し目を伏せがちの空の旅になるため、自ずと地上の風景を目に入れる形になっている。


「でも、たとえ戦乱の世であったとしても、常にどこかでやり合ってるわけでもないんでしょう?

 どこでも合戦の無い状況でも、やっぱり空から静かな地上を見下ろしても、淀んだ空気みたいなのは見て取れるんですか?」

『まあな。

 具体的に何がどう目に映ってそう感じるというわけでもなく、感覚的なものに過ぎんのだがな。

 やはりいつどこで合戦が起こっても』

「眺め自体はそんなに変わらない?」

『ふ~む……

 妙に不規則な時間に増減する国境の往来であったり――まあ要するに斥候なり急使なりの動きのことだな。

 そうして視覚的な意味でも、戦乱の時代特有の動きは実在する』

「なるほど~、そう考えると穏やかな地上風景にも見えますねぇ」


 そばに誰もいない時は、テンジンと語らうアンズも声を出して話す。

 頭に乗った、ちんちくりん姿のテンジン様を落とさないように――なんて配慮もせず、地上を覗き込むように背中を曲げたり、首を傾げたりもする。

 テンジンは物理的に巫女の頭に乗ってているわけではなく、仮にアンズが逆立ちしたとしても、テンジン様が落ちぬと思えば落ちないので問題無し。


 山波国は山林が多く、国全体の七割はそれが占めている。

 たとえ空から見下ろしたとて、人の動きが見て取れる場所は限られているのだ。

 国々を繋ぐ街道しかり、拓かれた人里しかり、あるいはたまたま木々が群生していない、人の通り道ぐらいのものである。

 空から見下ろし、人の世の流れを見定めるには、山波国の地上風景は大自然が多すぎて、視覚的には向いていない方ですらあるはず。

 それでもテンジン曰く、戦乱の世と泰平の世では眺めが全く変わるというのだから、眼の良い神様がそう仰る以上はそうなのだろう。


「あ、でもね、テンジン様。

 今の話と関係あるような無いような微妙なとこですけど、最近私も妙なものが見えるようになった気がするんですよ」

『お?

 背伸びして慧眼を主張するか?』

「ちっがーう。

 そんな痛い子にしないで下さいよ」

『はっはっは、すまんすまん。

 して、妙なものが見えるとは?』


 人類史において戦乱の世とは、アンズが生まれる十年以上前にあったのが最新で、アンズは平穏を取り戻した倉鎌時代の世代にあたる。

 出来ることなら愛娘も同然のアンズには、あの血生臭い時代の再来に立ち会って欲しくないのがテンジンの親心だが、先のことなど神様にもわからない。

 へらへらとアンズをからかって互いに談笑する中で、内心ではテンジンも、今の話の流れで妙なものが見えると主張したアンズが気にかかり始める。


「なんか最近、ちょくちょく木々や大地に、黒い(もや)みたいなのが纏わりついてるのが見えることがあるんですよ。

 稲光を目前で見過ぎて、目が馬鹿になっちゃったのかなって、たまに自分で心配になったりもするんですけど」

『ふむ、黒い靄とな。

 とうとうお前もそれを可視化できるようになったか』

「あれ、もしかして良いこと?」

『良いことでもあるし、別の視点では悩ましいことでもある。

 とりあえず、お前の目が悪くなったわけでは……そうだな、"山波天山"の場所はわかるか?』

「あれですよね?

 かつてテンジン様が、鬼族と死闘を繰り広げたっていう」


 桑原村を出発してからしばらくが経ち、山波村へと近付いてきた丁度今頃、アンズの目にもその名高い山は目に入っている。

 山波天山。すなわち、テンジン様への信仰における総本山と呼ぶに相応しかった(・・・)地。

 今は誰一人として立ち寄ることのない、山波国でも最も危険な地として知られる山岳だ。


『山に纏わりつく黒いものが見えるか』

「そうなんですよ、山波天山が見えると必ず目につくから気になるんですよ」

『まばらに、か?

 それとも山いっぱい真っ黒、か?』

「ん~、山全体に、空から大量の墨をばばぁって降らせたみたいに、というか……

 全部が全部黒く見えるわけではないんですが、山全体、所々が真っ黒なものに汚されてるように見えます」


『それは、我々が"穢れ"と呼ぶものだ。

 簡単に言えば、それに侵されている地というのは、(あやかし)が跋扈し領地も同然としている地とも言い表せる』


 穢れという概念は、アンズも巫女として学んだ過程で理解している。

 妖魔はそこにいるだけで、人々が息を吐くのと同様に、その全身から"瘴気"と呼ばれるものを発しているとされる。

 吸ったり触れたりすることで、ただちに人の身に害を及ぼすものではなく、妖魔独特の体臭のようなものとでも考えてよい程度のものだ。

 神々はその瘴気を見たり触れたり、あるいは鼻によってではないが感じ取ることで、妖魔の存在を感知することもある。


「穢れということはつまり瘴気ですよね?

 私にもそれが目に見えているようになってると?」

『うむ、お前の日々の尽力の甲斐あって、かつてよりは私への信仰も高まりつつあるのだろう。

 私の神力を日々行使している巫女のお前は、しばしば神たる私の目や肌で感じ取るものと、同じものを感じ取れることもあるのだろうな。

 お前はたった一人の神職者として、私との距離もかなり近い。影響を受ける可能性は十二分にある』

「か、神様が御覧になる景色と同じもの、ですか……

 それはそれでなんだか畏れ多いなぁ」


 なんだか、神様の眼と同じものを我が身に賜ったかのような話である。

 神職者ならば敬虔であればあるほどに、そのような事象を体感することあらば、喜びや光栄に打ち震えるか、畏れ多くも恐縮するかのいずれかに分かれる。

 アンズは後者のようだ。主神とあれだけ軽口を叩き合う割には、神様に対する敬意と畏れが心に根付いている証である。


『私と同じように穢れを目に映せるようになっているのは、信仰が集まっている証拠のようなものであり、それはやはり喜ばしい。

 だが、ある意味ではまだ信仰が不充分である証拠とも言えるかな』

「もっともっと信仰が集まっていれば、見える景色はこんなものではないと?」

『やはりお前はそうした理解の早さが優秀だよ。

 お前も知っているとおり、今は山波天山は妖の巣窟にして総本山ですらある。

 本来、穢れを見逃しようも無い神本来の眼があるならば、山波天山など山いっぱいが真っ黒に見えて然るべきなのだ。

 現状の信仰では、可視化できて精一杯で止まっている、とも取れる』


 山波天山。

 その頂上には、"山波大社"と呼ばれるお社が建立されており、かつて真の意味ではそこがテンジン様おわす本殿とされてきた。


 かつて山波国は、鬼の大親分が統率する鬼の一族が跋扈する、極めて危険な時代があった。

 それを憂いた人々の願いに応え、テンジンは鬼の親分を含む鬼族郎党と幾度も激しい戦いを経て、鬼どもを今は山波天山と呼ばれる地へと追い込んだのだ。

 最後に鬼の親分を討った時には、テンジンのみならず人の世の英雄の活躍もあったのだが、山波天山は神が鬼の一族を討った聖地と語るには充分な逸話である。

 そんな経緯もあり、かの山の頂上には山波大社と呼ばれるものが築かれて、山波天山は雷神信仰の総本山と呼ばれるに至ったのである。

 今は山波村の山波神社がテンジン信仰の中心地とされているが、あれは元々、山波天山頂上までの参拝は大変だろうと同時に建立された分社に過ぎないのだ。

 当時は石段も造られたとはいえ、高く険しい山波天山の頂上まで、テンジン様への参拝に赴く者も決して少なくはなかったのだが。

 まさしくあの頃が、テンジン信仰の最盛期だったと言える。


 ただ、それから様々なことがあって、テンジン様への信仰がすっかり薄れ、神の力が弱まってからは、山波天山もすっかり様相を変えてしまった。

 神様のお膝元であった頃は妖魔も寄り付けなかった山波天山とて、加護が失われれば妖魔も次第に集まってくる。

 退けるものも無いままに妖魔が集いに集い、今となってはもはや山波天山は、妖魔の巣窟と呼んで相応しいほどの実状だ。

 山波国最大の危険な山として周知され、誰一人として近寄ることも出来なくなった山波天山の頂には今、薄汚れ(かび)の群がる大社が寂しく佇むのみ。

 山波天山はかつてのテンジン信仰の全盛期の象徴であったと同時に、今は廃れたテンジン信仰の象徴としてそこにある。


『わかっているとは思うが、たとえ空とて近付かぬようにな。

 今のお前では、あの山の瘴気は触れただけで身体にも障るぞ』

「瘴気もそうですけど、そもそも撃ち落されるんですよね……

 瘴気なるものが目に見えぬ頃に、こんこんとそうお教え頂いたことも忘れてはいませんよ」


 山そのものが妖魔の城塞も同然と化している今の山波天山は、たとえ妖魔と戦い調伏する力を持つアンズでさえも、近付くことは自殺行為に等しい。

 跋扈する妖魔達は、自分達の棲み処である山を脅かす神の使いが迫れば、何が何でも滅しにかかってくるだろう。

 アンズが空を飛べようが関係ない。妖魔には、空の敵を撃ち落とす手段などいくらでもある。

 そうして地上に落とされてしまったら、百をも超える妖魔に群がられて終わりだ。

 山波天山にだけは近付いてならぬというのは、元より山波国において広く知られることであるが、ことテンジンはアンズに対して相当に太い釘を刺している。

 テンジンにとってもアンズにとっても、山波天山の奪還は悲願に他ならないのだが、思い上がって挑むにはあの地はあまりにも危険すぎるのだ。


『私も今や力が及ばぬゆえ、お前と同じように山波天山を覆う靄はまばらに目に映っている。

 だが、正しい神の眼で見つめるならば、その本質はそうであるはずがない。

 山全体が真っ黒に塗り潰されたかのように瘴気が視認できるようでなければ、まだまだ信仰は足りておらぬ証拠と言えるだろうな』

「良いことでもある一方で、悩ましいとはそういうことなんですね」


『いや、悩ましいというのはそういった話ではない』

「え?」


 そもそも、瘴気そのものも、決して完全に無害なものとは限らないのだ。

 吸って触れても実害無き妖魔の体臭のものとは例えたが、いくらなんでもそれが濃すぎれば、触れた人間の身体に有害なのも確かである。

 極論、ただの悪臭とて、仮に肥溜めをそばに囲まれた場所で三日三晩過ごせと言われれば、鼻を介して体調を崩してしまうだろう。馬鹿には出来ない。

 瘴気も同様で、一匹二匹の妖魔が放つものならともかく、百も二百もの妖魔の密集地に満たされた、濃厚な瘴気ともなれば話も変わってくる。

 まさに妖魔の群生地たる、濃い瘴気に満たされた山波天山に足など踏み入れれば、仮に妖魔に触れずとも、瘴気に身体を侵されて倒れる者すら出てくるだろう。


 アンズは、そんな瘴気への認識能力が完成されていないことと、それが信仰の不足に依るものであることが、悩ましいと仰られた根拠だと思ったのだが。

 どうやら、そうではないようだ。


『お前が認識できる瘴気というものを、桑原村で見たことはあるか?』

「いや、特にあそこで見た覚えは無いですが……」

『では、山波京には?』

「……………………うっすらと」


 高所ゆえ、北に離れた山波京も、豆粒以下の小ささではあるも、今のアンズの位置からも概ね場所を見て取れる。

 ふとそちらへ目を向けたアンズだが、確かに、微かにだが、京に黒い靄めいたものを感じるのだ。

 視覚的にではなく、直感的にと言った方が正しいのだろうか。

 神様と同じような眼を得たアンズが、己の感覚がそうなったと認識した後で、京に穢れの気配を感じられてしまったことには、少し背筋が寒くなる。

 穢れとは、妖魔のいない地には生じない。


『京に妖が潜んでいる、とは言わぬ。

 だが、何らかの形で妖が接近するか、既に関わりを持っていることはまず間違いないと見ていいだろう。

 本来、人里に妖魔のああした気配が沁みついていることなど、なかなかあり得ぬことであるはずなのだがな』

「……京の帝様や皇族様に恨みを持つと宣っていた相手と戦ったばかりの今、そんな話を聞いちゃうと魔手の気配がしますよね」

『たとえ今、京に赴いたとて尻尾は掴めまい。

 だが、何らかの形で京を蝕まんとする悪意が既に動き始めていることは間違いない。

 お前が穢れを認識できるようになったのは良い傾向だが、それによって見えてきた新たな現実というのもまた重かろう?

 きっとお前が思っていた以上に、山波国というのは未だ相当に危ういのだ』


 泰平の世。誰もが、今はそうだと信じている。

 アンズとて、そうだったからこそ、戦乱の世からかけ離れた今の幸せを、決して軽んじることなく意識してきた。

 だが、それはあくまで人の世としてだ。

 妖魔の脅威は、アンズが想像していたよりも遥かに、この山波国に深く根差し、この国で最も平安と思われた京にすら浸食を始めている。


『若いお前に過剰な重圧を与えるべきではないと思い、今までは黙っていたことだ。

 とはいえ、話した。意図はわかるか?』

「……僭越ですけど、思い切ってお答えしてみていいです?」

『うむ。

 きっと正しいぞ』


「今の私ならば、それを受け止めてなお怖がらず、立ち向かえると信頼してお話し下さったと思っていいんですよね?」

『ほう、怖くないと?』

「んへへ……怖くはなってきてます……

 先日の森で追い詰められたのも記憶に新しい中で、あれよりももっと恐ろしいものが山波国には潜んでるってことですもんねぇ……」


 アンズは感情が顔に出やすいので、長らく彼女をそばに見てきたテンジンでなくとも、僅かに身震いした彼女の心境は誰に目にも明らかだろう。

 気丈を振る舞い苦笑いに留めているつもりでも、口の端を上げながらも唇をぎゅっと絞り、怖い未来を想像する胸の内は隠しきれてなどいない。

 真の意味で、テンジン様への信仰を取り戻すためには。

 この山波国に潜んだあらゆる人類への妖魔の脅威を、完全に一掃することが究極的な目標となってくる。


 つまり、この道を邁進する限り、今ようやく目の当たりにした、瘴気を撒くほどの更なる脅威に、今後も命を賭して挑んでいくことは避けられない。

 きっと、幾度も。きっと、その都度死に瀕する。

 カムロと思しき黒装束の男に、本当に死に瀕するほど追い詰められた、一生に一度経験できればもう懲り懲りな窮地と、今後何度も直面することになるのだ。

 覚悟できていたつもりのことも、現実味をいっそう濃く帯びれば、やはり怖くもなるというもの。

 さらに言うなら、それを怖くないと思ってしまうほど心が焼き切れてしまったら、それはそれで結局の所、己の命を軽んじた早死にの未来を急ぐのだ。

 妖魔と戦う者達は、決して死の恐怖からは逃げられない。そしてそもそも、逃げ切るべきでもない。

 その恐怖から逃れるためには、武器を手放し、戦う道を放棄するしかない。

 そして、アンズにはそれが出来ない。戦乱の世にあって、戦うことをやめる道が無かった武士と同様に。

 人はそれを、現世の地獄と呼ぶ。泰平の世の貴さを強調する表現としてよく言ったものだ。


『誰に、何と言われようと、思われようと構わぬ。

 私は、お前に巫女をやめて欲しくはない。

 私をこれほど信じ、愛してくれる唯一の存在はお前だけなのだからな』

「ええ、やめません。絶対に。

 そんな勿体ない御言葉を賜るまでもなく、私は私が選んだこの道を決して覆さない。

 あなたに捧げると決めたこの生涯を、誇りに思います」


『ふふ』

「なんですか? その笑い。

 なんか私もその笑い方、聞くと嬉しくなりますが」

『巫女として、私に生涯仕えることは、そんなに嬉しいか?』


 ああ、これだから私はテンジン様のことが大好きなんだ。

 そんな訊き方されてるけど、私にどう答えられれば喜んでくれるかがよくわかる。

 嬉しい答えが欲しいんだ。ええ、お応えしますとも。

 神様でありながら、流石にあまりにも直接的に嬉しい言葉を欲しがるようでは照れ臭い、そんな人間的ですらあるあなたに応えたい。


「主神でありながら、私のお父さんですから。

 寂しかった私をずっと可愛がってくれたお父さんに、恩を返したいって思うのは、きっと当たり前のことですよ」

『……神を父などと馴れ馴れしく呼ぶようでは、お前も神職者としてはまだまだ未熟だな』

「んへへへ、申し訳ないです。

 きっと私は、ずっと未熟者ですねぇ」


 照れ隠しの言葉を発した主神の穏やかな含み笑いを、アンズは何よりもむず痒く受け取っていた。

 主神を家族のように呼ぶことが、巫女として僭越であることなど百も承知。

 それでテンジン様が少しでも喜んでくれるなら。きっと、大人じみて父と呼ぶことをやめて、テンジン様が少しでも寂しく感じられるのであれば。

 私は一生、未熟者でいい。

 テンジン様のことが大好きなこの心からの感情は、巫女という肩書きにだって絶対に譲らない。


 神とそれに仕える者。

 アンズとテンジンの心の繋がりは、そうした的確で表面的な言葉で形容して尚足りぬものがある。

 きっと、これからもずっと、変わらない。











「先ほどにあたる頃、イナリ姫が京へお帰りになったそうよ。

 つきましては、明日あなたに京へ赴くようにと通達があるのだけど」


「ひぃええええええええぇぇぇぇぇ!?

 とうとう来たるべき時が来たあああああぁぁ!?!?」


 玉依御殿にてナルミから聞かされた衝撃発言。

 ここ数日、とある意識の問題で玉依御殿に通う頻度を高めていたアンズに、ついに、永遠に先送りにしておきたくすらあった難題が突きつけられた。


 倉鎌国へと赴くイナリ姫の護送任務を務めたあの日から、そろそろ十五日が経とうというのが今日この頃である。

 数日をかけて里帰りしたイナリ姫は、しばし故郷の倉鎌に滞在し、将軍様を含む親族らとの時を過ごしてきた。

 そうして、ついにこの日の夕頃前、京にお帰り着きになったそうな。


「イナリ姫の籠を焼いてしまったのでしょう?

 流石に申し開きも無しでは示しがつかないわよねぇ……」

「もう言い訳はしました!

 あれは已むを得なかったと思います!」

「だけど皇族の籠に矢を向けるようなことは、どんな理由があったとしても」

「だめですよねーーー!!

 普通は打ち首ちょんぱですよねぇ~~~!!」


 アンズはその場でひっくり返って大の字になって天井に叫んでいた。

 大股開いてはしたない。お母さんと二人きりの時にしか見せない子供の姿である。

 そうしてアンズが馬鹿を晒す姿は、母としてナルミも本来微笑ましく見守るのだが、今日ばかりは少し気の毒そうな顔で眺めている。


 イナリ姫の籠に稲妻を当てて焦がしてしまったことは、問題行動には間違いないものの、事情はイナリ姫もちゃんと理解しているだろう。

 しかしそれでもイナリ姫にとっては、色々あって憎らしいアンズに、ちょっかいを出せる最高の好機である。

 現に、ナルミを介してアンズにそれを伝えんとしたその迅速さに、京に帰ったらアンズを一日も早くいびりたいイナリ姫の思惑が垣間見える。

 ナルミもそれがわかるからアンズが気の毒だし、アンズはもっとそれがわかるから危機感も凄い。


 よく考えてみて欲しい。

 夕頃、京に着きました。それではアンズに京に来るよう伝えよう。

 翌朝ナルミにそれが伝わる。アンズにそこから呼び出しが伝わる。

 しかし、もしも既にアンズが仕事を請け負っていたら? 明日にして下さいという話になるだろう。

 皇族様の命令よりも優先されることなど無いが、イナリ姫もアンズが日頃、どんな仕事をしているかは知り及んでいる。

 アンズが受けた仕事を蹴ってイナリ姫のもとへ赴くことがあるとすれば、護送依頼を蹴ってということになる可能性が充分にある。

 それは、山波国の民の安全を蹴らせることにもなりかねない。流石にそれは、とイナリ姫も気を遣うのだ。

 皇族でありながら、我が事情よりも大事なものはいくらでもあるというのを意識する程度には、やはりイナリ姫は人格者なのである。アンズ以外に対しては。


 イナリ姫は、推測になるが、今日の朝か昼頃、近滋国から山波村に入る頃合いに、この日京に着くことを見越し、その時点でナルミに使いを出している。

 だから、イナリ姫が京に着いた頃合いと、アンズがナルミを介してその事実を知った今の頃合いが概ね一致しているのだ。

 護送依頼なんて、山波村を昼過ぎにでも出発すれば成り立つ。アンズは神社を丸一日空ける遠征を好まないから、遠出する依頼を受けることも少ない。

 だからこうして、明日の朝にでも来いと伝えてしまったら、アンズは予定が入ってるからちょっと待って下さいという言い訳も成り立ちにくい。

 一日でも早く会いに来い、というイナリ姫の徹底した根回しがそこにあるのは明らかである。

 それがいっそう、アンズには怖い。


「お母さん! 一緒に来て!」

「無理よ、無理無理。

 私、これでも山波村の長のようなものよ? 子供のお使いについていくような時間の割き方が出来るものですか」


 脚を振り上げ身体を起こし、両脚を伸ばした子供の座り方のまま、ナルミに無茶な懇願をするアンズ。

 正面から褌見えてますよ。人の目にも触れぬ空の上で、雲に隠した下半身すら行儀よく座る巫女がこれである。

 よほど余裕が無くなっている表れだ。イナリ姫は本当に怖い。


「だいたい、無理を押して一緒に行ってあげたとしても、そんな後ろ盾を連れていったらあの子を余計に苛立たせるじゃない。

 あの子は根に持つから、どうせ近々一人で来るまでしつこく要請してきて……」

「やめて!

 正論なんて全然聞きたくないっ!」

「あなたが聞いたようなものでしょうが」


 両耳を塞いでぷんぷん首を振るアンズに、そろそろナルミも苦笑いを通り越して呆れてきた。

 イナリ姫はナルミを尊敬しているので、彼女がそばにいてくれるなら、イナリ姫も堪えて無茶を言うのを控えてくれるかもしれない。

 その場凌ぎの浅はかな策は、相手を余計に怒らせるだけだが。

 後日、一人で来るよう呼ばれた時にでも、溜まりに溜まった怒りをぶつけられ、余計に苦しむだけである。

 そんな簡単なこともわからないぐらいアンズは動転しているらしい。イナリ姫だけは本当に駄目なのだ。


「間違っても首をはねられるようなことはないから。

 こってり絞られると思うけど、頑張っていらっしゃい。

 きちんと始末をつけられれば、何日もあなたが心のどこかで気にかけていたこの問題も終わるんだからね」


「やだ~~~~~!

 明日なんてもう来なくていいのに~~~~~!」


 うずくまって頭を抱えるほど、報告一つで参りきっている。

 まだ見ぬ妖魔との戦いを見越し、それが現実的に感じられて恐怖心を覚えても、我が道を覆すことは無いほどに芯の強い巫女であるはずなのに。

 彼女にとっては、どうやら命を奪いにかかってくる妖魔よりも、イナリ姫の方が怖くて怖くてしょうがないようだ。

 危険性の高さとそれに対する忌避感は、常に比例するとは限らないのも確かだけど。


 黙って眺めるテンジンも失笑しきりである。

 人の身にありながら妖魔よりも怖いものがあるなんて、お前も随分変わり者の枠に足を突っ込んだ巫女だなと。

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