表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第壱章  山波神社の雷神巫女
18/21

第十八話   ~逆転策~



 一度接近されただけで、アンズには確信できたことがある。

 カムロはキドウマルよりも速い。鬼ほどの怪力は備わっていないかもしれないが、どのみち人の子であるアンズにとって、その一撃は充分致命傷になり得る。

 その攻撃の回避がキドウマルよりも難儀だという時点で、どう見繕ってもカムロの方が怖い。

 接近戦など言語道断の相手に、アンズは雲を纏う足を必死で駆けさせ、一度カムロからの距離を取る戦い方しか選べない。

 雲を浮かせる神力すら惜しまねば、敵を討つための力すら残らなくなりかねないため、胸が苦しいほどの息切れの身体に鞭を打つ他無いのだ。


 カムロをアンズを逃がすつもりなどない。

 鶴瓶落としの数々が、もういいだろうと待ちわびたかのように、アンズの行く先を塞ぐように樹上から降ってくる。

 見上げずともそれらが来ていることもわかっているアンズは、走る先を曲げて、折るが、逃げた先にも落ちてくる、落ちてくる。

 躱しきれなかった鬼火纏いの天牛(かみきりむし)頭に肩を噛まれ、続けざまに蟋蟀(こおろぎ)頭の鶴瓶落としに太ももを噛まれ。

 生気を吸われる、力が抜ける、意識が遠のく。


「それほど疲弊した状態で、暗い森を躓かずに走れるだけでもたいしたものだ」


 そして、真っ直ぐ敵から逃げることが出来ない遠回りになれば、最短距離で駆け迫るカムロにも接近を許してしまう。

 アンズの右側(・・)から聞こえたカムロの声。直後、飛びかかるようにして貫手(ぬきて)を突き出してくるカムロの一撃。

 ()側面からのそれを見もせず、かがんで躱したアンズをぞっとさせるには充分な一撃だった。

 躱していなければ間違いなく、首を横から打ち抜かれてもう動けなくなっていただろう。


「……お前。

 やはり、ここで討たねば相当に厄介な敵となりそうだな」

「っ、ぐうぅ~~~……!

 うるさいっ、死ね死ね言われ続けるのだってつらいんだから……!」


 カムロの方こそ、ある意味ではぞっとしたが。こいつ果たして、今ちゃんとこっちを見てから避けたか?

 アンズの右側から声を聞こえさせてやり、その直後に左から攻めた、妖術を交えた奇襲を、間違いなくアンズは見もしないで躱してみせたのだ。

 確実に、音を頼りに凌いだのではない。歴戦の経験が為せる直感というやつか? それとも神と話せるというのが本当で、神の声を頼りに躱したか?

 いずれにせよ、解明できぬ把握能力を持ち、それに身を委ねる刹那の判断力と胆力を併せ持っているのは間違いない。怖い相手だと再認識するには充分だ。


 乱暴に撥を振るい、離れろとばかりに打ち据える苦し紛れのアンズの一撃も、カムロは腕で防ぐ軽挙など取れず、一歩ぶん後退して躱すことを選ぶ。

 触れれば痺れるかもしれないのだ。この巫女の一挙手一投足を甘く見てはならない。


「はぁ、はぁ……!

 火鼓(ひつづ)……っ、八重咲(やえざき)……!」


「むぅ……」


 撥を前方で交差させ、爆裂雷を発現させるアンズ。

 さらに跳び退がったカムロの動きは速く、アンズも予想していたとおり、敵に彼女の攻撃は届いていない。貴重な神力を費やして相手が無傷では苦しい。

 だが、上方から彼女に襲いかかろうとしていた鶴瓶落としや、背後から地を這い忍び寄っていた七歩蛇は、光と火花を浴びて怯んでしまう。

 目の前のカムロだけでなく、己を包囲していたものすべてを退ける、こうしていなければ終わっていた局面を凌ぐ最前手だったことも確かである。


「まったく、往生際の悪い……

 だが、そんな奴を見くびって野放しにした者が、いらぬはずであった深手を負った話は枚挙に暇がないんだよな……!」


「ううぅ゛~……!

 これだけあっちが優勢なんだから、ちょっとぐらい調子に乗ってくれてもさぁ……!」

『……力はあるが人間を甘く見がちな妖魔の隙、そうしたものというのが、あいつには一向にも見られんな』

「そういうとこ突いて、しぶとく逃げ回って、食らい付いて、どうにか生き延びてきたのが私だったんですけどねぇ~……!」


 足がもつれそうだと判断したアンズが、神力を費やしてでも雲を生み出して乗り、カムロから距離を取る動きを再開する。

 ちっとも油断してくれない相手だ。思えば巧遅は拙速に如かずとまで言って、時間稼ぎもさせてくれなかったあの瞬間からそう。

 時間稼ぎをしたいのはこっちの方だったのに、キドウマルを待つよりアンズに時間を与えない方が重要だと、何も知らないくせに勘で見抜いてきたふしがある。

 限界寸前のアンズはテンジンに話しかけて、独りじゃないことを確かめでもしないと、心がへし折れそうなほど追い詰められている。


 鶴瓶落としが前方を塞ぐ。アンズは雲の軌道を操って躱す。真っ直ぐカムロから逃げる動きが出来ない。

 さっきと同じことの繰り返し。体力を削られ、神力を消費し、相手には傷一つ与えられておらず、敵の雑兵は減る気配も無し。

 行き詰まりは目前だ。精神的にも目の前が霞んでくる。血を多く失っているのも無関係ではない。


「終わりにしようか」


 それは、カムロが小さな声で、アンズには聞こえぬよう口を動かした決意の呟き。

 極力カムロは、これから仕留めて屍と化すはずのアンズに対してさえ、新たな手の内を晒さぬよう未だ努めている。

 とどめの一撃と見立てて放った一撃であっても、それを相手がもしも凌げば、それは相手に対策を編み出す時間を与え、今日はもう使えない手にもなり得る。

 ましてや、ついぞ仮に相手を仕留めきれずに逃がそうものなら、いつか相手と再び相見える日あらば、より手の内を知られた難敵となろう。

 カムロは良く言えばどこまでも用心深く、悪く言えば出し惜しみがちで戦略上では踏み込みの足らぬ慎重さがある。


 自覚があるからこそ、カムロは決定的に勝負を決める一撃においてのみ、相手に未だ知られておらぬ隠し玉を出す戦い方を好む。

 それが、本当の決定打になるはずだと思える時にのみだ。

 足元から拾い上げた石を握りしめたカムロは、駆けてアンズを狙い撃てる場所へと駆けていく。

 懐から取り出した紐を、その石に括りつけながら。

 最適の狙撃場所へと最短距離で迫る中、ぐっと石に縛りつけた紐の端を握り、ひゅんひゅんと石を回し振るって遠心力を加えつつ。


『アンズ!!』


「え……っ゛!?」


 決定的な一撃は、唐突に訪れた。

 いや、むしろカムロやキドウマルの攻撃を、ここまで傷だらけの体でも凌いできたアンズだからこそ。

 このあまりに唐突なほどの奇襲でしか、カムロも決定打を与えられないと思ったのだろう。


 迫る鶴瓶落としからの回避に必死だったアンズに突然迫ったのは、彼女の左側面遠くに回り込んだカムロが投じた、紐で結ばれた拳大の投石だ。

 一瞬の風切り音と共に彼女の側頭部に激突するはずだったそれを、咄嗟に左腕を振り上げて防いだだけでも、アンズの反射神経は相当なもの。

 だが、それが二の腕に食い込んで、肌の内側の肉を断裂させ、片腕が上がらなくなる結果を招くにはあまりに充分な一撃。

 防ぎこそすれ何が腕に当たったのかもわからず、過去にそう経験の無い痛みで声も出なかったアンズは、一瞬前後不覚にすら陥る。

 進行方向にある樹木を躱すことも出来ず、まずいと思って一瞬でその樹に背を向け、乗っていた雲を背中と樹の間に滑り込ませることが出来ただけでも上等か。


 自分で宙を進んでいた速度そのままに背中から樹の幹に叩きつけられ、雲で衝撃を和らげたとはいえ、息も詰まって意識が飛びかけて。

 そうなればずるりと地面へと落ちる形の彼女も、足の形が整わず、辛うじてお尻と両足で地面に着地する形を取るので精一杯。

 腰から背中にかけてまで貫く衝撃で、アンズは立ち上がることも出来なくなる。

 投石を直撃させた手応えを感じていたカムロが、アンズが樹に激突した音と地面に落ちた音を頼りに、そこへ駆け付けるのもまた早い。


「う、うぅ~……ぐうぅ、っ……!

 はぁ、はぁ、はぁ……」


「勝負あったな」


 尻餅をついたような姿勢で足を伸ばして座り込み、痛みに喘ぐ表情を隠せもしないアンズは、蜘蛛の巣に囚われた蝶のように為す術なき獲物の姿。

 見よこの無様を。

 あれほど羞恥心の強い巫女が、だらしなく足を閉じきれぬまま座り込み、暗がりの中とはいえ血塗れの太ももの内側を正面の敵に晒す始末。

 彼女を真正面に見据える位置に移ったカムロが、大勢決したと判断するにも妥当な姿であろう。


「っ、う゛ぅ、ぐ……!

 勝負……っ、ついてません……!」


「驚きだな。

 まだ諦めがつかぬのか」


 呆れたような声をアンズに向けるカムロだが、内心では気を抜くどころか、いっそうアンズへの警戒心を強めすらする。

 これほど、立てぬであろうほど追い詰められてなお折れず強い眼差しは、未だ何らかの希望を捨てていないかのよう。

 そもそも諦めていないのだから、雷神太鼓も消えていないのであろう?

 こうした不屈の精神こそが、太古より多くの不退転の中で活路を導いてきたものだと、カムロは自身の経験以上の見聞を遡っても知っている。

 あるいは最悪、己が助からぬならせめて京を脅かすであろうカムロを刺し違えてでも――とでも考えていそうであり、カムロも用心深くならざるを得ない。


「はぁ……はぁ……

 ねぇ、カムロさん……」


「ん?」


 この期に及んで語りかけてくるアンズには、次の行動を起こそうとしていたカムロも挫かれる。

 構わず一気に差し迫って喉元にこの貫手(ぬきて)を突き刺して絶命させるべきだろうか?

 いや、やはり今のこいつには近寄れない。底知れなさが未だある。


「私……たぶん、勝てますよ……

 だってまだ、私……負ける気してないですもん……」


「……果たしてそうかな」


 カムロは手を振り上げて、鶴瓶落としにアンズを集中砲火するよう命じた。

 やはり、玉砕覚悟でも何かする覚悟をした巫女を想定してやまぬ。

 近付く必要は無いのだ。立てぬ敵に無限にも近い尖兵を差し向け、確実かつ不要な傷を負わぬ戦い方を選ぶのが最善手。


「っ、は……八重咲(やえざき)、っ……!」


 樹上から迫ってきたそれらに、アンズは動く方の右手の撥だけ振り上げ、その先を中心とした稲妻の爆裂を叶えさせる。

 迫る妖魔を退けるも、火花は彼女の身をも焼き、ただでさえ擦り切れた彼女がけはっと息を吐いて虚ろな目をする瞬間も見えた。

 そんなカムロをして、まさにその隙アンズにとどめを刺しに迫れなかったのはなぜか。

 身体を前に傾けた瞬間に、もう意識をも失いかけていそうなアンズが、ぐいと力強く顎を引いてカムロを再び睨み返してきたからだ。


 所詮、齢十七の女の眼だ。気迫はあってもカムロを呑むほどの気魄は無い。

 ただし、迸る若き情熱に任せた眼光は、何を仕出かすかわからない怖さもある。

 踏み込んだ一歩に留め、咄嗟に迫ることをやめたカムロの動きは、大人の観点として賢明だ。

 あいつならば、持てるすべての力を解き放ち、我が身滅ぼうとも人の世に仇名す悪を道連れにすることすら、最悪選びかねない危うさがある。

 信念に生きる者を追い詰めきった時の怖さも、カムロは重々承知しているのだ。

 それこそ数年前の京と幕府の戦乱においても、命を捨てる覚悟で大義に殉じた武士の戦いを知るカムロをして、何度目にしてきたものか。


「それを繰り返して少しでも生き延びるつもりか?

 生憎だが、私は焦れてお前に迂闊に迫ることなど……」


「え、へへ……ふへへ……

 さてはカムロさん、ご存知ないでしょ……

 私、最後の最後まで、自分が死んじゃう事でもない限り、絶対に諦めることなんてない巫女だって……」


 片腕は使い物にならず、足腰も立たず、出来ることと言えばかろうじて動く右手と、その手に握る撥を振るうのみ。

 その上で、力無い表情ながらも笑みを浮かべ、へらへらとしたアンズの態度は、絶望のあまり頭がおかしくなってしまったのであろうか。

 カムロにもそう見える。どう足掻いてもお前は詰んでいるはず。

 発する言葉は、強がりか、はったりか。

 未明のこの表情は、慎重に攻め込むべきだと判断するには充分で、カムロの用心深さに(くさび)を刺すには効果的ですらあったのだろう。


 アンズはこの追い詰められた長い時の中で、幾度もそうして時間を稼いできた。

 カムロと再び対峙したあの時、カムロがキドウマルを待つことを選ばず、待たず攻め立ててきた時の不都合を取り返すべく。

 そして、そんな甲斐甲斐しい尽力がようやく報われた今、アンズはやっと真の意味で、希望の見えた、ほぅという息を吐いた。


「よかっ、たぁ……

 わたしの、勝ちぃ……」


「……お前はいったい、何を言っている?

 何を企ん、で……っ!?」


 不可解ながらも、アンズの明確な自信を感じ取ったカムロの察知は早かったが、彼を襲った奇襲はそれ以上に早い。

 突如、右から迫る脅威的な気配を感じ取ったカムロが思わず振り向くも、カムロに迫ったそれの速さは想像を絶する。

 咄嗟に両腕を構えて防御しただけでもカムロの反応は良かった方だが、それでも、咄嗟で守った程度では防ぎきれぬほど、飛来したそれの破壊力もまた高い。


 カムロは見た。

 木々の間を駆け抜けてきた何者かが、カムロの側面から膝を突き刺す跳び膝蹴りをぶちかましてきた光景とその顛末を。

 防御した両腕の骨がみしみしと悲鳴を上げ、相手の膝が刺さった右腕は、恐らく今日はもう使い物にならないであろうほど折れた実感もあった。

 あまりの勢いのあるその破壊力は、カムロが踏ん張る足の力を遥かに凌駕し、カムロを後方にぶっ飛ばす結末を導く。


 なんなんだこいつは。どこから来た、何者なんだ。

 夜目の届く距離以上に吹き飛ばされたカムロは、地面に叩きつけられて受け身を取り、すぐさま中腰に立ち上がることを果たすも、相手の正体を見て取れない。

 その疑問の答えは、カムロに痛烈な一撃を見舞わせたその人物の第一声で解決されることになる。


「間に合ったのか?」


「うん……間に合ったぁ……っ!

 ほんとに来てくれるとは思ってなかったから……本当に、嬉しい……!」


「何かあったら必ず助けてやるって言ったろ。

 呼んでくれりゃあ駆けつけるさ」


 アンズは"若"の字を太鼓を即座に強く叩き、継戦能力を失っていた足腰と左腕を癒す神力を行使した。

 即座に異常無しとするほどの急速な回復は出来ないし、かろうじて左腕が握れるようになり、立って走れる程度まで回復させる程度だが。

 この窮地に立ち向かえる身体を取り戻せるなら充分過ぎるぐらいである。神様の力はやはり頼もしい。

 この時も限りある神力を費やすので楽観的にはなれないが、まだ戦えるだけのものは残せているので、立ち上がるアンズの目には希望の灯も取り戻されている。


 まさしくアンズにとっては救世主。

 只この窮地に救援として誰かが駆けつけてくれたというだけでも値千金なのに、その人物は直近でアンズの知る限り、最も頼もしい強さを持つ一人。

 トキガネ、ミツサダ、タケスエのような歴戦の武将ならばもっとよかっただろうか? いいや、決してそれ程までに強い大人と比較しても引けを取らない。

 アンズと共に、イナリ姫護送の際、八面六臂の大活躍を見せた同い年の友人。

 コナツが額の汗をぐいと拭う横顔は、大人よりも頼もしくすらあった。


「……間に合ったって言っても、早くはなかったな。

 悪い、そこまで追い詰められさせちまったか」


「ううん、全然大丈夫!

 神様の力、凄いんだよ! 傷なんてすぐ塞げるから!」


 あれほど追い詰められていた表情から一変、ぱあっといつものような明るい表情のアンズだ。来たばかりのコナツにはその変化の程はわからないが。

 切り刻まれた体の痛みは全くもって洒落にならず、流石に表情も歪むし、立った直後の身体も少し傾くほど脚がふらつくも。

 もう一度彼女が"若"と"咲"の字の太鼓をこつんこつんと叩き、傷を癒す神力を行使すれば、未だ血を流していた全身の傷はすぐに塞がる。

 消耗した体力、奪われた生気も取り戻し、はぁ~っと整った体調に安堵する息を吐く。

 継戦するための神力を残すため、これ以上血を失わぬ程度に最低限の神力しか費やさない、応急処置程度の治療でしかないのだが。

 まだまだ厳しい実態でありながら、それをおくびにも出さないアンズの明るい態度は徹底したもので、コナツも案外大丈夫なのか? とは騙されかけそうだ。

 拭われていない全身の血を目にしながら、あぁもう大丈夫なんだろうなと思うほどコナツも楽観的な阿呆ではないが。


「っ、ぐぅ……!

 貴様はアンズと共に屍人を薙ぎ払っていた厄介な若者か……!

 よくもまあ、こうも都合よく駆けつけてくれたものだな」


「こんなくそ晴れた月夜にばかすか雷が鳴ってりゃ、アンズがどこかで戦ってることなんて明らかだっつーんだよ。

 なかなか終わらねえみたいだし、苦戦してるのは言葉なんて無くても明白じゃねえか」


「……そうか、そうであったか。

 きっかけは、はじめの方に鳴っていた大雷(おおいかづち)か。

 あれは私も、思わず振り向いたほどであったからな」


 そう、アンズがキドウマルとの抗戦の中で、幾度か鳴らした稲妻音。

 そして最も決定的だったのは、キドウマルを迎え撃つかのように放った、特大の稲妻を自傷も厭わずに導いた"八種火(やくさのひ)"の雷。

 樹上よりも天高くから落としたその稲妻は、遠方のコナツが、アンズがこの山林のどの辺りで戦っているのか、あたりを付ける最高の指針となった。

 まして今宵は晴天である。雲一つ無く月の綺麗な。

 先日共に戦った時にも見せなかったアンズの大技に、只事ではないと山を駆けたコナツは、続き鳴る雷音を頼りにアンズのもとへ駆け付けることが出来た。


 こんな手段で救援を呼ぼうとするなど、分の悪い賭けには違いあるまい。

 だが、アンズはカムロとキドウマル、さらには鶴瓶落としらをも同時に独りで相手取るという、どうにもならぬ状況だけは打破したかった。

 上手く嵌まらなければどのみち終わりだ。ならば命を張る価値は存分。

 諦めなかった者の勝利だ。賭けなど結果が全てである。


「で、あいつも鶴瓶落としも厄介そうだけど、なんかもう一匹壁蝨(だに)がいるみたいなんだよな」

「え、コナツ……?

 つ、鶴瓶落とし……?」


 きょろきょろと周囲を見渡したコナツは、近場にあった手ごろな小石を拾って掴む。

 何気ないが、ここに参じたばかりで戦況を把握する時間もさほどなかろうに、鶴瓶落としにも言及している。

 その気配はとうに感じているのだろう。

 コナツはアンズが思う以上に、彼は妖魔と戦い慣れている。


「あいつ、強いのか?」


「ぬが……っ!?」


 コナツが握りしめた石を投げた先は、木々の間を駆け抜けてここに迫っていた黒い鬼。

 ようやく立ち直り、アンズにいよいよ追い付こうというところ、額めがけて唐突に飛んできた石を、キドウマルは辛うじて咄嗟に拳を振り上げてはじいた。

 常人には叶えられよう筈もない、奇襲への対処なのは間違いないので、強き鬼としての能力を示して面目を保てる防御ではあった。

 あったのだが。


「こいつかよ、雑魚じゃねえか。

 アンズ、お前よっぽど酷い策に嵌められたんだな」

「……え、えへへへ、わかる? わかってくれる?

 この黒装束さんの作戦が周到で、想像以上に苦戦しちゃってさぁ……」


 姿を見せたキドウマルを視認するや否や、鼻で笑うような息遣いと共に、思いっきり敵を見くびる発言をするコナツ。

 無論、挑発である。鬼は強い。コナツとて流石にわかっている。

 こんな雑魚にお前が手こずるなんて、余程の事情があってだろうとアンズまで引き合いにしての挑発だ。

 アンズも咄嗟に乗っかった。頼れる仲間が意図あってやっているんだろうなと思ってすぐ、こうして乗っかれる判断の早さはなかなか。


「やっと来たか、キドウマル。

 お前がもたもたしているせいで、敵が増えて厄介なことになっているぞ」

「……その小僧は俺にやらせろ。

 骨も残さねえ」

「はいはい、好きにしてくれ。

 私は私なりに立ち回るよ」


 コナツに蹴り抜かれた片腕が上がっていないカムロだが、その口ぶりは余裕があるようにも見えて無いようにも見える。

 飄々とした語り口ではあるも、一応はお前が上だということにしてあるキドウマル相手に扱いがぞんざいである。痛む腕は軽くない傷なのだろう。

 しかしここまで策士の一面を見せてきた以上、上がらぬと見せかけた腕が実は動かせて、接戦の中で想定外の武器としてくる可能性はアンズも見越している。

 コナツが来てくれたことで一息挟めたアンズであるが、未だカムロへの警戒は一切怠っていない。

 むしろ今やキドウマルのことなんてどうでもよく感じられ気味で、それこそがカムロの意識誘導かとすら思って気を引き締めるほどである。


「アンズ、あの装束野郎とまだ戦えるか?

 どうしてもきついなら二人とも俺がやるけど」

「ううん、見くびらないで!

 私は天満雷(てんまんらい)真道(さねみち)天神(てんじん)様に仕える巫女!

 こんな苦境は一人でだっていつものこと!

 コナツまで来てくれてるこんな恵まれた状況、負けっこないからね!」

「よーし、そんだけ噛まずに喋れるなら信じるぞ。

 あの装束野郎は"だいたい"お前に任せるからな」

「あははっ、よろしく!」


 短いやり取りだったが、アンズは勇気百倍だ。

 もうわかった。自分が思っている以上にコナツは強くて頼もしい。

 もう負ける気がしない。これほど体力を消耗し、限られた神力を削がれる戦いを経た今でも、尚。


「コナツ、鶴瓶落としも怖いけど七歩蛇もいるから気を付けてね!

 どこから来るかわかんないよ!」

「お、そうか。ありがとな。

 そんな雑魚に足掬われる気はしねえが情報は助かるよ」


「やるぞ、キドウマル。

 敵を侮るなよ」

「殺す……!」


 真綿で首を絞められるかのように、じわじわとアンズが追い詰められて敗北するしかなかった展開は一変した。

 カムロはアンズに、キドウマルはコナツに襲いかかる。

 傷はありながら、衰えの見えない速度だ。今しがた戦い始めたばかりの万全な動きと例えても遜色なかろう程に。

 コナツはともかく、そんなカムロに迫られるアンズは、先程までの劣勢を鑑みるに未だ危うい実状は違いない。


 それでも、決したはずの大勢は覆ったとも言える。少なくともアンズはそう確信していた。

 勝負は水物、どれだけ思い通りに進んでいたとしても、いつ何が起こるかわからない。

 それなりに場数を踏み、そんなことなど百も承知のアンズが確勝を信じられるほどには、コナツが駆けつけてくれたことは例えようもなく大きかったのだ。


「所詮は一番格下の黒鬼だな。

 一丁前に名前なんて名乗ってる割にはたいしたことねぇわ」


「てめえ……!

 殺す……! 殺す殺す殺す、殺してやる……!」


 カムロとの戦いに集中しているアンズには、それを見届ける余裕などありもしないが。

 コナツは無表情にも近い涼しい顔色で、キドウマルの強襲を凌ぎ、傷一つ負わずにあしらっている。

 コナツも人の子、鬼の怪力による攻撃を受ければ只では済まないはず。ただし、当たらなければ何ということもない。

 突き出される爪先を、振り抜かれる蹴りを、打ち降ろされる拳を、いずれも躱すか横から掌で叩くなりして軌道を曲げ、連撃の数々を我が身に掠らせもしない。


「もういいや、俺も忙しいんだよ。

 様子見してる時間が勿体なかったわ」

「ぐが……!?」


 相手を好きに攻めさせてみて、どれほどのものかを確かめて、取るに足らない相手だと見做せばあとは攻勢に移るだけ。

 コナツが鼻っ柱狙いの拳を返し、それをキドウマルが腕で防ぐも、人の子とは思えぬ剛腕が繰り出す重みに直撃箇所の軋みと痛みを重く知る。

 なんなんだこいつ、本当に人の子か?

 先日と同様、改めて絶句するキドウマルに、付き合うことをやめて一転攻勢に移るコナツは、負けるはずのない相手を蹂躙する戦況に移していきつつあった。




 キドウマルが想像以上のコナツの強さに瞠目する中、カムロも似たような心境ですらある。

 こいつ、さっきまでの死にかけの顔はどこに行った。

 まるで別人ではないか。急に本気を出してきたのか?

 だとして、さっきまでの窮地でここまでの本気を出してこなかったこと自体、あり得ぬほどだとカムロが思うほどアンズの戦いぶりは豹変している。


「ったく……それが貴様の真の全力か……!?

 今までが手を抜いていたかと思うほどではないか!」

「んぐぐぅ……! いーえ、私はいつでも全力ですよ!

 勝つために全力です! 賢く立ち回るんだーいっ!」


 カムロの基本的な攻撃手段は、徒手空拳の接近戦だ。

 それ以外の攻め方、仕込みは様々あるのだが、それを披露するなら確実に仕留めなくてはならない。

 カムロには"次"がある。京の皇族を討つため攻め入る日、ここでアンズを仕留められなければ必ずこいつは再び立ち塞がる。

 手の内を晒し過ぎて仕留めきれなければ、いつか訪れるその日、対策を得たアンズがより強敵になるだけだ。

 なんとか今日のうちに勝ってしまいたい本心と、計画的を根本から揺るがしかねない悪手を避けたい本心が、カムロの足を引っ張る葛藤にもなり得ている。


 とにかくアンズに触れられない。いや、惜しいところまでは至れる。

 振り抜いた手刀の爪先が、跳躍したアンズの脛を掠ったかと思えるような場面も。

 彼女のさらに上まで跳び、脳天を割るべく振り下ろした踵が、彼女の鼻先を掠ったと思えた場面もあった。

 だが、未だ彼女は軽快に跳び、駆け、身を翻し、空中で頭を一度下にするほどの器用な動きも容易に果たす。

 少なくない血を既に流し、鶴瓶落としに幾度も噛まれて生気を吸われていながら、まるで今戦い始めたかのように元気いっぱいですらある。


「――せいっ!!」


 まして今は一対一どころか、鶴瓶落としがアンズを襲撃する援護もある。

 しかし、かつんと"火"の字の太鼓を撥で叩き、逆の手の撥を振るったアンズが、その撥の先から稲妻を上方に放つ。

 細い光の筋が稲妻の形で無数に上方へ。それらは寸分違い無く、彼女を襲おうとしていた鶴瓶落としらへ直撃する。

 ぱぱん、ぱん、と鶴瓶落としに着弾した稲妻は炸裂し、しかもそれらは小さな鶴瓶落としを調伏する威力すら無く、怯ませるのみ。

 それで充分なのだ。その間に彼女は身を逃がし、たいして威力の無い稲妻を放つ最低限の神力の消費で、危機から免れてみせている。

 しかもそんな彼女の逃げた先めがけ、樹上から飛びかかっていた二匹の七歩蛇すら、一振りの撥であっさりとしばき落とす始末である。


 もう鶴瓶落としや七歩蛇は、戦力になり得ないとカムロが割り切らざるを得ないほどだ。

 樹上に密集するそれらがある以上、彼女を上天、空の上まで逃さぬための蓋にはなる。それだけ。

 こちら一人と多数の雑兵で押し潰す構図はもはや崩れていると見做さねば、頼りにならぬ兵力をあてにして、やがて滑って痛い目を見るだけだ。


「私の方がキドウマルよりも戦いやすいかねぇ……?」

「いーえ、あなたの方が強敵! しんどいですよ!

 こう見えて私だって必死なんですってば!」


 木の幹を蹴って高所のアンズへと跳び迫るカムロの回し蹴りを、空中で膝よりも下に顔を持って行くほど体を曲げて躱すアンズ。

 カムロは仕込みの切り札の一つを封切る。口の中に含んでいた含み針。

 撥を叩いて空中のカムロを撃とうとしていたアンズに顔を向け、ぷっと吐いた針はアンズの眼球めがけて的確に向かっている。


 それを、まずいと思った表情こそ浮かべて気付くや否や、撥を振るってはじき落としてしまうのである。

 今はじめて見せた攻撃である。初見の攻撃に対して反応が良すぎる。

 こいつは信じ難いほど、奇襲的戦法への警戒が厳重だ。果敢と臆病を理想的に融合させている敵ほど、討つに厄介な敵はいない。


「だったら、楽になれ! もうよかろう!」


「んひええっ!?」


 アンズから離れていく中で、腕を振るったカムロの装束の袖口から、五匹もの七歩蛇が飛び出してアンズに襲いかかる。

 まあ情けない声を出す巫女だこと。そのくせ、めちゃくちゃな体勢で落ちながら、迫りくる七歩蛇すべてを撥で叩き落としているではないか。

 小刀でも持たせれば、ある程度の近接戦闘だってこなせるのではないだろうか。忙しく太鼓を叩く戦闘に慣れているせいか、得物の扱いが素早く的確だ。


 しかしながら、落下中にそれほどの芸当を無茶に叶えては、落下姿勢は整わない。

 なんとか無理くり足を下にして着地したものの、落下速度を落としきれなかったアンズが、両手まで使って重い着地だ。

 胸を地面にかなり近付けた形の着地は腰に響いたはず。次の動きに移るまで刹那かかるはず。

 木の幹に到達したカムロは、その五本指を幹に突き立てて一度そこに身を留めている。

 すぐに好きなように動ける状況で、敵の体勢が崩れた。好機のはず。


「貰うぞ……!」


 半信半疑で口にした勝利宣言だ。幹を蹴り、我が身を矢に見立てたかの如く、高所からアンズ目がけて自らを飛来させる。

 カムロにキドウマルほどの剛力は無いが、速さはキドウマルのそれを上回る。

 どのみち人間のそれを超えた力と速さ自体はあるのだから、キドウマルほど過ぎた力が無くとも、今の満身創痍のアンズには直撃一発で勝負を決められる。

 極論すぐには動けぬ今の彼女に、触れられることさえ出来れば勝ち。

 勝負ありのはず。そんな当たり前の予想を上回られる予感も微かにある。


「――――えへ?」


「してやりおる……!」


 両手着地で撥をも落としていた彼女が、飛来するカムロを撃退するために太鼓を叩く暇も無い。それもまたカムロが確勝を信じられた根拠。

 だが、顔を上げたアンズがカムロを見据え、その掌の上にばちばちと火花散らす雷の球体を浮かせている。

 いつそんなものを生み出すために撥で太鼓を叩いた? 今やもうカムロにはわからない。

 含み針を撥ではじいたあの時、しれっと"火"の字の太鼓をこつんと叩いていたことなど、時を遡れぬ以上はもはや確かめようもないことだ。


 判然としているのは、既にアンズはカムロを迎え撃つ稲妻を構えており、今のカムロは飛んで火にいる夏の虫。

 雷球をカムロに見せつけ、ちょっと得意気に、子供っぽくすらある笑みを浮かべ、私もなかなかやるもんでしょというアンズの顔にカムロも思わず笑えた。

 ああ、たいしたもんだ。私の想像をこうもあっさり超えてくるのだものな。


「ぐうあ、っ……!」


「んぎいいっ……!」


 小さな雷球は、カムロがアンズに最も近付いた瞬間に、炸裂あるいは爆発とも言うべきほどの凄まじさではじけ飛んだ。

 それこそ飛んできたカムロの肉体を逆方向に吹き飛ばすほど、そしてその爆心地に最も近いアンズの全身をも焼く勢いでだ。

 彼女を護るための神力である以上、アンズの身体に敵に浴びせるほどの威力を及ぼすことはないが、痛いものは痛い。火花はばしばし彼女を打ち据える。

 何よりもカムロを押し返したほどの炸裂は、アンズ自身の身体をも後方に押し出し、ごろんごろんと後ろ周りに転がる彼女は木の幹根元に頭を打つ。


「ぬ、ぐ、ううぅ……!」


 カムロもまた、装束越しに全身を貫く稲妻に全身を焼かれながら、後方の木の幹に背中を打ち付ける甚大な痛みを負っている。

 それでも顔を隠した装束の小さな目元穴から、アンズの惨状を見逃さず、二の腕ふたつで木の幹を叩く受け身を取った手を振り上げる。

 今が好機だ、奴を討て鶴瓶落としども。的確に撃ち落される光景を目の当たりにして怯んでいるんじゃない。

 そう喝を入れるカムロの所作に、周囲の妖樹は瀕死と見えたアンズ目がけて、一気に鶴瓶落としを無数に迫らせた。


「もう遅え」


「な……っ、が!?」


 地に足を着けた直後のカムロがアンズから決して目を切らぬ中、それはあまりにも想定外の所から迫った。

 かすかな気配に嫌な予感がして目を向け、敵が言葉を発する前にその接近に気付けただけでも、カムロの勘は賞賛に値する。

 しかし側面から顔面を打ち抜いてくる目にも止まらぬ速度の鉄拳を、咄嗟に腕を上げ、離れる方へと跳んで尚、その拳の破壊力は余りある。

 使える方のもう片方の腕も駄目になったかと思うほどの威力に押し出され、カムロは吹き飛ばされて地面を転がった。


 キドウマルはどうした。なぜこいつを抑えられもしない?

 いや、結論を出す暇も無い。確実に追撃が来るのだ。

 一瞬で目をその敵に向け直すや否や、追って迫るコナツの姿は間違いなく、今日最もカムロを戦慄させたに違いない。


「っ、かあっ!!」


「っとと……」


 一瞬でこの窮地を逸しなければ終わりの局面、仰向けに倒れたままカムロは両肘で地面を叩き、自分が背を着けた地面を爆裂させた。

 そんなカムロに駆け迫っていたコナツも冷静なもので、爆散する土が目に入るのを腕で防ぎながら、しっかり急停止している始末。

 自ら起こした爆発で背中に痛打を浴びながら、それによって身を浮かせたカムロはどうにか宙で身を回し、片膝着く形で着地。

 土煙が晴れるまでの短い時間の中で、すぐには動けぬ自分の身体に、息を入れることで無理にでも動ける状態に持っていく。


「っ、がはっ……!

 キドウマルは、どうした……?」 


「問題になるかよ、あんな雑魚が。

 お前の方が余程に問題だろうがよ」


 ああ忌々しい。足止めも果たせぬあの黒鬼も、状況判断能力が極めて精緻なこいつも。

 こいつ一人が駆けつけただけで、あんなに色気づいて活力を取り戻したアンズの動きも、今なら身に沁みてわかる想いだ。


 なるほど、納得できた。

 アンズは序盤、手を抜いていたわけではない。どうせ一人ではカムロとキドウマル二人を相手取れば、全力でやっても無駄だから力の消費を抑えただけだ。

 手の内を明かしきらず、己の全力が如何ほどかを悟らせきらず、生存し続けることにのみすべてを懸けて。

 そして勝利のために必須たる札が揃った今、全身全霊で勝ちにきていたというだけだ。

 甘く見ていたつもりは無い上で、その割り切った賭けっぷりと勝負勘が、彼女をここまで生き残らせてきたのだと、カムロは痛切に理解するに至る。


「……まったく、してやられたものだ。

 なあ、アンズよ」


「はぁっ……はひっ……

 こんなんですよ、私の戦い方は……いっつも、ぎりぎり……」


 息を切らせてアンズに語りかけるカムロは、とうに鶴瓶落としを凌ぎきり、樹木に背中を預けて立っている。

 どうやって凌いだかはもうわからないが、どうせ上手くやったのだろう。散々想像を超えてきた奴の、見てない数秒前を想像で補うなど時間の無駄。


 そんなことよりコナツの方が、今のカムロにとっては問題である。

 もう動かない左腕を、これ見よがしにだらんと降ろして好機と見せつけてやっているのに、迂闊に追撃、とどめに動くことをしてこない。

 来るなら相応のしっぺ返しの策もあるのに。今やアンズに並び、消しておくべき相手だと認識しているから、仕留められるなら切り札を切るのも厭わぬのに。

 これだけ弱った姿を見せつけて尚、うかうか近付いてはいけない相手だと、しっかり正しく認識してくれていやがる。

 そんな高評価や光栄など要らないというんだ。


「でもっ……生きてるんだから勝ちですよね!

 私、一対一で負けたことないんですから!」

「ああ、覚えておく。

 お前を討つには、徹底的な袋叩きが必要なのだとな」


「おっさん、勝手に終わらせようとしてるんじゃねえぞ。

 アンズは殺生を嫌うかもしれねえが俺は容赦しねえからな。

 連れをここまで傷だらけにした奴、生きて返そうとする奴いねえだろ」

「よしよし、来い来い。

 やれるものならやってみろ、分の悪い勝負ではあるま……」


「ッ、ガアアアアアッ!!」


 骨が折れて尚この飄々とした態度、敵対する側からすれば扱いづらい。

 余裕があるのか無いのかわかりにくいからだ。ただ、コナツは虚勢と見た。

 そんな彼の慧眼を遮ったのは、別に討ち取られてもいないのに打ちのめされて倒れただけで、放置されるという屈辱を味わった、怒り狂いし黒鬼だ。


「はいよ、おかえりさん」


 とうに角を一本折られ、顔の形も顎が曲がっているキドウマルが、正気を失った目で背後から迫ってもコナツは動じない。

 狂乱した咆哮にアンズも思わず振り返ったほどであったのに、コナツは容易にキドウマルの拳を躱し、その顎元に掌底をぶちかまし。

 ぐらついたキドウマルの腕を取り、一本背負いで放り投げ、離れた樹木の高い場所へと叩きつけてしまう。

 本当に問題としていない。現に彼は無傷である。


「アンズ!」

「うん……!

 火鼓(ひつづ)春告(はるのつげ)!」


「うむ、よくやった」


 コナツの一声に込められたものを、アンズは一切の誤解無く受け取っていた。

 カムロから遠い場所にキドウマルを放り捨て、それを撃って完全調伏しろと。

 カムロも怖いが今はキドウマルを消滅させ、完全に相手一人の状況にしてしまえば詰みだというのを、アンズもわかっていたということだ。


 しかし、カムロもまたアンズ達の想像を超える動きをここ一番で叶えてくる。

 "火"の太鼓を叩き、目を剥いたキドウマルへの稲妻の砲撃を放ったアンズだが、それがキドウマルに届くよりカムロがキドウマルに触れる方が早い。

 キドウマルをぎりぎり使える右腕に抱えたカムロは、そのままキドウマルが叩きつけられた樹を蹴って、自ら共々稲妻の砲撃から身を逃がす。

 あのままであれば神のいかずちに消滅させられていた、キドウマルを救出してみせたのだ。


「どちらにとってもお生憎様、ここまでだな。

 アンズ、そしてコナツといったか。

 いつか必ず、再び相見えることもあろうよ」


「覚えてろ、ってことですか?

 へーん! 捨て台詞! 三下お決まりの!」


「別に覚えていろとは思わんよ。

 少なくともお前さんには、嫌でも忘れられぬ思い出を充分刻んでやれた気がするからな」


 カムロはキドウマルを脇に抱えたまま跳躍し、樹上の枝の根元に両足をかけた。

 追撃の難しい位置だ。接近戦が主であるコナツは元より、アンズが狙撃しても凌がれる距離。

 もはやカムロが勝利を諦め、逃走の下ごしらえに入ったことは明白だ。


「苦々しいが、京でまた会おう。

 きっとその日はコナツとやら、お前も居合わせるんだろうな」


「話が見えねえけど、まあそうなんだろうよ。

 お前が俺の友達をまた傷つけようとするなら、充分覚悟して臨むんだな」


「ああ、勿論だ。

 その日は真っ向から、お前達共々、すべてを真っ向から滅ぼしてみせよう。

 ……お互い、楽しみにしていようぞ」


 そう言い残し、カムロは樹上の枝を跳び移っていく形を以って、その場を去っていった。

 同時に、妖魔と戦い慣れたアンズとコナツの直感が、周囲の妖樹の持つ殺意が静まっていくのを感じ取る。

 曖昧に言うなら、獲物を取り囲んでいた者達が、しゅーんと萎えていくような、そんな気配。

 鶴瓶落としや七歩蛇なんてものともしない、雷神巫女と得体の知れない武闘派を前に、親分格を失ってしまってはもう無理だ。

 どうやら妖魔とて人の軍勢と変わらず、主柱たる将を失っては士気も萎れてしまうというのは同じらしい。


「ああぁ~~~~~よかったぁ~~~~~……!

 コナツありがとう、本当に助かったよぉ~~~!!」

「ああ、お疲れさん。よく頑張ったんだな。

 助けになれて俺も嬉しいよ」


 敵将と副官は逃走し、残された敵の雑兵は戦意喪失。

 危機は去った。完全勝利だ。

 その場にへたり込むように腰砕けに座り、しれっと目元を指先で拭ったアンズの挙動を見逃さなかったコナツは、友達の力になれた実感が心地良い。


 嘘泣き出来る巫女なのは知っている。彼女自身が教えてくれたことだ。

 でも、アンズは案外それ以上に、普通程度には涙腺が弱いのではなかろうか。

 死に瀕していた危機を逸し、思わず溢れた涙を隠すように手早い仕草を見逃さなかった身からすれば、そんなことも思うわけである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ