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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第壱章  山波神社の雷神巫女
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第十四話   ~神様が教えてくれたこと~



 クマリと共に、山波村の稲荷御像に向かったアンズは、そこで待ち合わせていたカムロと合流した。

 カムロを桑原村へと護送するついでに、クマリを桑原村まで連れていく運びだ。

 護る対象が二人になったが、その程度ならば手間も特には増えない。

 可愛い妹と親しんだ大人を連れ、晴れた野を行く楽しい旅に過ぎない。


「こないだカムロさんからお譲り頂いた筆、かなり使いやすいですよ。

 ナルミ様も同じこと仰ってましたし、今度纏めて買うことも視野に入れてるとも仰ってました」

「ほっほ、それは何より。

 良い毛を使いましたからね。長持ちするはずですよ」


 商人カムロと共に、山を越えた向こう側の桑原村へ向かう道のりだ。

 従順な牛を引く綱を握り、牛車を引きながら歩くカムロと、アンズの間にクマリを挟んで。

 山林を南から迂回して避ける道であり、牛車の車輪ががたがた音を立てる若干荒い道が続くが、山を避けて桑原村へ向かうには最短の道のりである。


 カムロは山波村の隣国、摂泉国(せずみのくに)で店を構えて手堅い商売をする人物だが、山波国を訪れることも多い商人だ。

 地元の村だけで人生を完結させられる程には商売を完成させている一方で、摂泉と山波の流通や繋がりの一翼を担う一人者でもある。

 隣国同士の友好関係は言うまでもなく重要だ。

 ただでさえ数十年前には、倉鎌幕府が出来るまでの戦乱の世、山波国は民にもたらされる物資や食物すら不足し、摂泉国から買い付けた食糧が不可欠だった。

 海に面した摂泉国が水難に見舞われた際、懇意の山波国の豪族が支援したことで、破産を免れた摂泉の商売人も沢山いた。

 摂泉の豪商をはじめとした有力者と山波の京の繋がり、それを日頃から繋ぐ第一人者は、両国間を往来する商人達。

 国境(くにざかい)を超えた商売をする商人は全国的にも多いが、繋がりの強い山波国と摂泉国の間には、行き交う商人の数と頻度も相当に多い。


 本来そうした行商売は、地盤を持たない修行中の商人が担うことが多いものだ。

 それで商売の手管を磨き、人脈を広げながら、資産を増やし、やがて自分の店を持つ。これが商人達が目指す成功の中で最もわかりやすい形。

 ゆえにカムロのような、地元で既に商売が出来るような腕利きが、地元を離れて隣国まで足を運ぶのはやや変わり種である。

 人里を離れれば獣や賊、妖に襲われてこれまでの成功人生も無に帰す危険性が常にあるのだから、成功者が好まない所業であるのは言うに及ばず。

 若い頃に危ない橋も渡り、やっと安定した人生を歩んでいけるようになったというのに、命の危険がある外界に老いた今なお踏み出すのはかなりの冒険である。


「いつもありがたいんですけど、ご自愛だけはして下さいね?

 山波村発でしたら、私が護送して差し上げられますけど」

「ほっほ、勿論です。

 早死にしてしまっては、私がお売りしたもので喜ぶ皆様のお顔とお声を楽しむことも出来なくなってしまいます」

「両国の繋がりを担う役割を未だ果たされる姿にも頭が上がりませんが、やっぱり私はそういうカムロさんの考え方が好きだなぁ」

「なぁに、そんな目で敬われるほどのことではありません。

 所詮、金持ちの道楽でしかありませんよ。

 死ぬまでにまだ何度でも見て聞きたい病みつきになっているだけで、博打をやめられぬ若者の向こう見ずさとさして変わりませんからね」


 己の利より、他者の喜ぶ顔を見ることが何よりの楽しみだと言うカムロの生き様は、確かに本人が仰るとおり道楽であり趣味と変わらないのだろう。

 しかし、そんな彼のおかげで山波国と摂泉国を繋ぐ線は常に一本増え、山波国では手に入らぬものも流通し、その新鮮さは山波の人々の目を楽しませる。

 ご本人が好きでやっていると仰ることでも、それによってささやかな幸福を幾度も得る人々がいるのもまた事実。

 良き社会とはきっと、こんな人物が集えば集うほど叶えやすくなるはずだ。


「カムロさん、いい人!」

「クマリわかってるねぇ、そうだよ~。

 カムロさんはいい人なんだよ」

「ほほっほほ、それでは私めをもっと贔屓目に入れて貰えますかな?

 山波神社の巫女様が後ろ盾について頂けるとあれば、私めの商売にも並々ならぬ利益が……ぐへへへ」

「あ~、いけませんねぇ。

 急にまったく評価したくなくなってしまいましたねぇ」

「あぁ~、やってしまいましたぁ。

 商人としての血がつい本音を。

 まだまだ私も未熟者ですなぁ」


 己の禿げ頭をぺちんと叩いて笑うカムロときたら、口も達者だがそのつんつる額の扱いに慣れ過ぎ。

 若くして頭髪が薄くなれば、それは当人にとって重い悩みの種になることもあり得ようはずなのに、カムロはむしろそれを武器にして客の笑いすら取る。

 豪商の成功の秘訣がどこにあるのかなど、商売人の世界では誰でも知りたがる極意であるが、器こそそうであるというならカムロからもそれは滲み出ていよう。


「今日は桑原村に何を持ち込まれるおつもりですか?

 前回は、摂泉国の味付けを強くしたお漬物でしたが」

「今回は紙と筆と墨です。

 以前好評でしたので、今回はお売りする形で交渉してみようと思います。

 アンズどのが筆場でお仕事している間に、山波村でもいくらか売らせて頂きましがね」

「あ、それもしかしてそのうち筆場にも回ってきます?」

「ええ、勿論。

 人を介してではありますが、ナルミ様にもお売り致しましたので」

「やった!

 クマリ、次の筆場もきっと楽しいよ!」

「そうなの?」


 筆と墨はともかく、紙は未だそれなりの値打ちものだ。

 あんなに薄くてかさばらない、便利なものを初めて作り出した人物は、人類史に残る偉人と見て間違いない。

 庶民はあんな便利でお高いものなど買わず、今なお札にでも字を書くことで情報のやり取りをすることが多い。

 紙束を糸で編んだ書物など、内容の良し悪しに関わらず、情報がぎっしり詰まった媒介として高級品と見られて久しいのも頷ける話である。


 子供達に読み書きと算術を教え、大人になってから便利な教養を身に付けさせるのが目的の筆場だが、教材と呼べるものは慢性的に不足している。

 アンズ自作の、一枚に一文字を記した札だとか、そうした手作り道具を活用して遊ぶことで回しているのが実状だ。

 たまにはお絵描きして遊ぶとすれば、砂地に枝で刻むのが関の山。

 筆場の壁には、平仮名一覧を描いた大きな紙も貼ってあるが、本音を言えば村の子供達全員にそれを配りたい一方、それをするにはお金がかかり過ぎる。

 紙が無限にあれば、いくらでもやれることは増えるのだ。教育も、遊びもだ。


「お絵描き出来るかもしれないよ?」

「ほんと!? お姉ちゃんの絵、見たい!

 あのへたくそなやつ!」

「…………」


「アンズさん、絵心は……?」

「尋ねて辱めないで頂きたい」


 言わせんな恥ずかしい、を地でいくほど、自他共に認める雑魚画伯のアンズは、自分で描いた絵を人に見せることが相当に嫌。

 急に次の筆場の日、六日後が楽しみでなくなってきた。

 紙が提供されるなら、みんなでお絵描き出来る凄く楽しい日にはなるのだが。普段できないことが出来ると、子供達はみんな喜んでくれるからである。

 ただ、そうなるとお手本を要求されるのもいつもの流れ。

 恥を忍んで一生懸命筆を走らせた結果、子供達にも大笑いされ、場合によっては絵を怖がられ、消えてしまいたくなってしまったことが今まで何度あったやら。


「まあいいんですけどね、子供達が喜んでくれるなら……

 それじゃあナルミ様に、(すずり)をもう少し提供頂けるよう頼んでみようかな。

 こないだ一つ割れちゃったし、お絵描きの日に足りないと退屈する子も増えちゃうし」

「筆場用の硯を五つほど提供させて頂きましたよ。

 次の大安までには筆場に回ると思います」

「あぁ~、商人様は先んじて何でもして下さるから本当に頼もしい。

 カムロさん、屈託無くお話して下さるから忘れがちですが、商売人として本当に頼もしい大人ですよねぇ」

「そうそう、そのお顔ですよ。

 それが見たくて商いが辞められないのですから」


「え~と……すずり、四つ増える?」


「…………!?

 この子は、算術が……?」

「あ、お気付きになりました?

 クマリは筆場一番の秀才ですよ?」


 ふとしたクマリの呟きにカムロが目を剥いて驚愕する姿には、アンズはまるで自分が褒められたのと同じぐらい嬉しくなる。

 可愛い妹のようなクマリが褒められれば我が事のように嬉しい。

 算術をこの子に教えたのは自分だが、そんなことが評価されるかどうかなんてどうだっていい次元の喜びである。


 しかし、カムロが驚いたのも当然だ。

 五から一を引けばいくつになりますか、というのは、数字の理屈さえ知っていれば子供にでも充分答えられる問い。

 カムロが驚かされたのは、日常会話の中に潜む数字を聞き取り、そこにある増減を理解した上で、解となる数字を口にしたこと。

 指を使わずに暗算してみせたことも立派だと思うが、何よりクマリは、日常生活の中で自発的な計算が可能な域まで算術を身に付けている。

 これは、算術という教養をまだ必要とはしないはずの農民の子供が見せた頭脳として、優秀と形容してなんら過言無いものだ。


「……これが筆場の成果であるとするなら、やはり教養施設の発足というのは革新的ですぞ。

 我々は、弟子を取る際まず、まずはそれらが数字を日常的に扱えるようになるまでに長い時間を要します。

 筆場はもしや、その手間をも必要としない、商人ともなり得る可能性を秘めた子供達を、庶民から常に輩出し得る総本山では……?」

「そ、それは大袈裟だと思いますけど……

 でも、生きていくにあたって便利な知恵だとは思います。

 山波村に限って言っても、桑原村との俵のやり取りも多いですし、計算が出来るに越したことはないことも多いですから」

「ええ、間違いない、間違いありません!

 これで文字まで覚えて大人になれるなら、その子供達の将来の選択肢は遥かに多くなる!

 摂泉国は商人の国と言われますが、山波国がそれに匹敵する商国となり栄える未来すら夢見てやまない!」


 興奮気味に声を大きくするカムロだが、目の当たりにした筆場の実績はそれに値するほどのものだ。

 カムロは自身に向けられる羨望の眼差しをよく解っている。豪商であり、金持ちであり、身なりの良い一張羅に身を包む成功者。

 不作一発で来年を迎えられぬ覚悟を決めねばならぬ農民らと異なり、飢饉の際にもその財で以って食い繋げる甲斐性の持ち主。

 風邪一つこじらせただけでも、運が悪ければ己や身内の命も危うい農民らと異なり、薬や医者を頼る財産と人脈がある。

 長生きするであろうだけで、明日も見えない庶民には羨まれるのだ。

 カムロ自身も、破産し路頭に迷って長生き出来なかった年の近い商人を、若い頃に星の数だけ見送ってきた身だから、そんな気持ちはよくわかる。

 そうした薄氷の上を歩くような日々の末に勝ち取った今の安定を、過程を無視した羨望のみで見られることに、カムロもお前らに何がわかるとは思わない。

 自分だって若い頃はそうだったのだ。成功者がそれまでにどれだけ苦労してきたかなんて知りもせず、想像すらせず、やっかんだことなんて腐るほどある。


 半年後の生存も約束されてなどいない農民は、果たして成功した商人らの苦労に嫉妬するにも値せぬ、無教養な穀潰しの馬鹿揃いなのだろうか?

 毎日畑を耕して、雨の日も、風の日も、嵐の日ですら己と家族の命を繋ぐ畑を案じ、常に不安と戦いながら生きている。

 毎日毎日働いて、それでも生存は約束されない。農民に生まれただけで、その生涯は定められているにも等しい。

 口さがなく、商人様はいいですねぇと、嫌味っ気なく仰る農民らの羨望は、ある意味でカムロに、自分はどれだけ恵まれているかを痛感させるもの。

 摂泉国で生まれたから、たまたま地元に弟子を探していた師匠がいたから、それを取っ掛かりに商人人生を歩み始められて、今がある。

 農民達には、はじめからそのきっかけすら無い。


 修行中の商人は、ある意味で農民以上に不安定な時期もあり、決して楽な道ではない。

 だが、成功すれば天寿を全う出来る可能性も高くなるという、夢のあるその道のりを、覚悟を決めて選ぶ権利すら与えられないこの世の中は世知辛い。

 農民に、そんな道を歩み始められ得る素養を根付かせる、筆場という教育施設が実在することは、カムロの人生観を以って革命的であるとさえ感じる。

 所詮人生、何が起こるかわからない。

 だが、自分で自分の人生を選ぶことが出来るなら、きっとその人生は、選べぬ人生よりは遥かに希望がある。

 カムロは今の自分の人生には満足している。その一方で、自分が摂泉国に生まれておらず農民の出であったなら、今の人生も無かっただろうと思うから。

 子供達の先行きに、選択肢を与え得る筆場という概念には、興奮して声が大きくなるほどの感銘を受けてやまないのだ。


「筆場はナルミ様がお作りになられたと世間には知られておりますが、アンズさんの提案がきっかけであるとも存じています。

 途轍もない発想ですよ、これは。

 あなたは、歴史を変え得るほどのことを……」

「やっぱり、そうなんですね。

 テンジン様のお教えを、私はナルミ様にお伝えしただけですから。

 やっぱり神様の仰ることって、何年も先すら見据えてるんだなぁ」

「ほ? テンジン様とは、山波神社の神様で?」


 あ、まずい、とアンズは思った。口を滑らせてしまった。

 筆場は実際、テンジンの発案したことをナルミに伝えたことで、乗り気になったナルミが創ってくれたものである。

 子供達に読み書きを教える場があれば、農民にだって選択肢が増えるのではないだろうかと、ある日アンズにふと告げたテンジン。

 神社でアンズが一人きりの時、神様との何気ない世間話の中での小さな一幕ではあったが、それはいいと思ってアンズがナルミに筆場を提案したのが始まりだ。


 さて、アンズは実際に神様と言葉を交わせる間柄にあるが、それが出来ることはナルミをはじめとした身内にしか明かしていない。

 それが出来ることを証明……出来なくはないが、どうも少し胡散臭いというか、妖術の類にも思われ得るような証明方法しかないのが問題で。

 神様と対話することが出来ない普通の人々に、私は神様とお話できますよと声高に主張しても、現実離れし過ぎていて信用して貰えない算段が高い。

 むしろ、嘘臭いことを言う神職者だと白い目で見られる可能性すら孕む。神々が広く信じられた太古ならともかく、信心の薄い昨今では危うい。

 これもテンジンの授けてくれた知恵であるが、アンズは公に、神様と対話できること自体は言い広めない傾向にある。


「あ~、え~っとですねぇ……

 我が家の隠し蔵に、神様からの御教えが記された巻物がありまして……

 最近、それを読んでそういう記述があって……それをナルミ様にお伝えした感じです」

「ほほう、そんなものが?

 是非一度目にしてみたいものですが……流石に門外不出ですかね」

「そ、そうですねぇ~、流石に神職者以外の目に晒すのはちょっと。

 あんまり詳しくお尋ねしないで貰えると助かるかも?

 ぺらぺら話していい内容でもないですし」


 目が泳いでいるアンズである。即興の作り話は苦手だ。

 自分の挙動が少し普段と違うのもわかっているし、暑くもないのに冷や汗だって出る。

 嘘を見抜く目には肥えた商人様相手だし、作り話なのはばれていると想定して、これ以上踏み込まないでとも暗に告げているほどだ。


「ものは人目に触れさせなくとも、出来ることならそれほどの教えであれば、もっと広く流布されてはいかがでしょう?

 筆場といったものの発案の外にも、革新的な何かが他にもあるでしょう?」

「うえ? え~、あ~、そのぉ……

 た、達筆すぎる上に、ようやく読めても言葉の使い方が古すぎるせいか、正直解読に時間がかかってまして……

 ぜ、全部の内容は私も未だよくわかっていないんですよ。

 巫女としてまだまだ未熟な限りですぅ……」

「う~む、なんとかその巻物を、外側だけでも一目見てみたいもの……」

「こ、この話は終わりですっ!

 カムロさん、いや~な目つきしてますよ!?」

「ほっほっほ、すみませんな、意地悪が過ぎました。

 わかりました、アンズさんの言葉を全面的に信じますよ」


 くそぅ、作り話だってのを分かった上で、しどろもどろする私をいじってるな。

 これ以上詰められてはたまらんとばかりに、アンズは無理矢理にでもこの話を打ち切った。

 商人様のことは基本的に尊敬するが、隠し事をしたい時には厄介な相手でもあると、改めてアンズも実感する次第である。


「すべて、神様のおかげ。そうですよね?

 アンズさんは、巫女の鑑です」

「ええ、ええ、そうですとも。

 私は立派な巫女ですとも。

 未熟者ではありますが、心は偉大なる先人にも劣らぬ気概です」


『隠し事を勧めたのは私だが、こうして追及されると苦しいな。

 上手く躱すようになって貰えれば有難いのだが』

(難しいですよ~、相手が悪いですし。

 無理矢理にでもすべてを神様のおかげにしちゃう、苦しい巫女の布教理屈とでも捉えられたんだろうなぁ)


 隠し事はあまりしたくないものだ。繕い切れなかった時、どうしたって弊害が出る。

 嘘も方便とはよく言われるが、やはりそれとて、完全に騙しきるか、相手が甘んじて騙されてくれる時のみに限るものだ。

 特にこのような、どう転んでも苦しい類の嘘は、よほど上手にやらないと出来の良い方便にはなり得ない。

 本当のところを言えば、世の中正直なのが一番だ。それだけで万事丸く収まるとは言えないから、世の中は難しいなというだけ。


(私がカムロさんのような人にも、神様のことを信じられるようにしていくしかないんだよなぁ。

 神様への信心を集めるっていうのは、改めて大変だなぁ)

『頑張ってくれ、私も知恵はなるべく貸す心積もりだ。

 頼りにしているんだぞ、今代の巫女』

(んふ、そう仰って頂けるとやる気がむんむん上がってきますね。

 励みにして精進して参ります)


 世の皆様すべてが神様の実在を信じられるようになれば、アンズも堂々と神様と対話できることを声高に主張できるだろう。

 それそのものは目的ではないし、究極的な話でしかない。

 だが、目指すところはそれに尽きるとも言える。信仰の拡大。

 今の歯痒さも、こんな悩みを抱えることも必要ないほど、テンジン様への信仰を広めることが出来れば解決できる話だ。

 本質的にそうであるかはさておき、アンズはそう考えることにした。


 常日頃からの責務に対し、何気ない日常の挫折すら、目標達成に向けての気持ちを高める糧に出来ればしめたもの。

 前向きな者は強い。アンズの強みの一つである。











 アンズ達が桑原村に着いたのは、すっかり陽が西の山に沈みきった暗い時間だった。


 カムロの引いた牛車に乗っていた穀物や野菜は、桑原村への売り物だ。

 桑原村は日々の食生活に困るほど畑も枯れてはいないが、日頃から質素な食事を心がける程度には裕福でもない。

 腹六分目に食を抑え、常に備蓄を怠らぬようにせねば、不作一撃で村ごと餓死しかねないため、やむなく清貧を是とする小さな村なのだ。

 桑原村に限らず小さな農村とは、豊作が続いてそろそろ備蓄も駄目になりそうだという頃合いのみ、腹一杯の幸せを堪能できる。

 満腹は贅沢。農民の共通意識だ。

 可愛い我が子には、親が腹を空かせてでも幼い間ぐらいは腹一杯可愛がってあげるか、贅沢を覚えさせぬか、まず子育てがそれで二分化されるほどである。


 そんな桑原村にとって、今日明日だけでも村人がお腹いっぱい食べられる余地あるものが売られるのは嬉しいことだ。

 桑原村は、山波村の隣村ということで、国一番の栄えし村に行き来する商人が稀に訪れるというだけで、辺境の農村よりもその点では恵まれている。

 桑原村とて金銭の裕福な村ではないが、カムロのようにこの村を訪れる商人ならば、そんなことも百も承知。

 銭の代わりに藁でも茅でも、村で余した銭になり得る物資を支払い代わりに牛車で持って帰れば、地元に帰った後にでも元手になる。

 たとえ裕福でない村であろうと、必ず銭になるものは必ずあるため、村相手の商売で取引材料がまるで無いということはそうそうない。

 村民すべてが働き手である農村なのだから、彼らが一日も休まずに築き上げてきたものが、そもそも万事に無価値であるはずもないのだ。

 働くことが特別ではない貧しい世界であろうと、労働が生み出すものの価値は決して揺るがない。


 暗くなってからの村への到着であったため、本来商人カムロの腕の見せ所である、村人の皆様に触れ合って縁を繋ぐことが出来る機会は今日なかった。

 ゆえにカムロは、ならびにアンズもクマリもそれに付いていく形で、三人が向かったのは村長(むらおさ)のもと。

 ひとまず村を相手にした商談を纏めてしまおうというカムロに、商人でもない二人が興味を持って付いて行ったという形である。


 何にでも興味を持って見聞きしたがるアンズはともかく、クマリも同じような気持ちで付いていったというのは、ある意味で特筆点かもしれない。

 大好きなお姉ちゃんに似たと言えばそれまでなのだろう。

 だが、幼い少女が退屈そうな商談というものに興味を持つとは。

 ともすればそんな子こそ、加えて学もあるならば、今宵得た教訓を胸にやがて商人となっていける器ともなり得るのかもしれない。




「でしたら、こうしてみればいかがでしょう?

 鼠の絵の上に、"ね"の字を添えてみるとか」

「ふおおおお!

 カムロさん、それすっごい素敵! 子供達の目にも一目瞭然!」


「かははは……

 クマリもすっかりお休みなのに、止まりませんな……」

「すぴ~……すぴ~……」


 生憎クマリは、カムロと村長の商談を横から眺めながら、やっぱり難しそうな話に退屈して寝てしまったが。

 今は村長が膝枕してあげて頭を撫でている。

 そんな村長の目の前では、アンズとカムロが夜分にも関わらずでかい声で盛り上がっていた。

 今は夜とて遅い時間でもないし、各家でも夕食時で家族団欒の時間帯なので、騒がしくしても近所迷惑ではないが。


「ねえねえカムロさん!

 これってめっちゃ大発明じゃないです!?

 みんなで遊べるおもちゃの可能性秘めてますよ!」

「ええ、ええ!

 前例のないおもちゃとして馬鹿売れする予感がします!

 なんならアンズさんには、筆場に提供という形で無償提供すらしますよ!」

「ほんと!?

 私は絵が描けないから作って頂けるとすっごい嬉しい!

 子供達にも大人気の予感がしてなりません!」


 カムロと村長の商談そのものは上手く纏まり、あとは雑談という流れが最初にあったのだが。

 ついでにこれはどうか、と、カムロは紙を桑原村に売ろうと新たな商談を切り出したのがきっかけであった。

 紙が便利であるのは村長も承知である。しかし、お安くはない。

 流石に贅沢品を取引する余裕は……と渋る村長に、カムロがあれこれ紙の魅力を説いたのが、今のアンズとの盛り上がりに繋がる第一歩だった。


 あれこれ紙に書いてみて、記録やら伝達やらに使えますよ~、と木札でも可能なことを話していたうちはいい。

 そのうち紙と木札を触っているうちに、アンズとカムロが急に閃いて、新しいおもちゃを作り始めたのである。


 木札に絵を描いて、その絵の頭文字も合わせて書いて。

 それらを遊びたい人の前にばら撒いて。

 "読み手"の一人が例えば『ねずみ!』とでも言えば、鼠の絵を描いた札を最初に取った人が勝ちという遊びを考え始めて。

 そうすれば遊べる上に、鼠の絵の上に書かれた"ね"の字が何と読むものなのかも子供達に教えられそうな気がして。

 これは大発明の予感! とめちゃくそ盛り上がっているところである。

 クマリったら勿体ない。ここまで起きていられれば、彼女にとっても面白くてたまらない話だったであろうに。


「……はぁ、随分と話し込んでしまいました。

 ところで村長様、紙はいかがです?」

「見送りで」

「ほっほっほ、すみませんな。

 勝手に盛り上がって時間を潰させてしまいました」

「いえいえ、聞いている限りでは面白かったですよ。

 アンズさんも楽しそうでしたしね」

「ごめんね村長さん~。

 商談の邪魔しちゃった。てへ」


 まあ、カムロから見ても紙の売り込みは上手くいかなそうだったので、楽しくお喋りしていただけである。

 紙の値打ちは周知されやすいが、村の懐具合も鑑みれば、桑原村に紙を売るのは難しいことぐらい、カムロだって元々わかっているのだ。

 商談だけしてさよならでは味気無いので、カムロは話を広げて、お話上手なアンズも巻き込み、村長を面白がらせただけの時間であった。

 村長もお世辞ではなく、話を聞いていて楽しかったようなので、やはり豪商の話術というのは大したものである。

 話していて面白い人物だ、と思わせられれば、商人世界でどれほどしめたものであるかなど、想像に難くない話であろう。

 カムロほどの大商人になれば、後の利を意識してのことですらなく、人を楽しませること自体を常に目指しているというだけであろうけど。


「クマリのこと、ありがとうございます。

 ほらクマリ、起きて。村長さんの足が痺れちゃう」

「んみ…………

 おねえちゃん、おこして……」

「はいはい」


 そろそろ切り上げ時なので、アンズは村長の膝に頭を乗せたクマリを揺さぶる。

 お昼はあれだけ筆場で遊び、歩いて隣村から帰ってきただけあって、幼い身体が疲れていたクマリは短く寝た程度ではまだ眠そう。

 子供は遊ぶ時は大人の倍ほど元気だが、楽しい時間が過ぎ去ってしまえば、成長していない身体に大人の倍溜まった疲れで、早くも長くも寝てしまいがち。

 自分で体を起こすのも億劫で、両手を伸ばして引っ張ってよと甘えるクマリを、手を引き自分の胸元に寄せると、アンズは抱っこして迎えるのみ。

 十歳の女の子のクマリは、同い年の中では小さい方ではあるも、流石にそこそこの重さはあるはずなのだが。

 けっこう簡単にひょいと胸の前に抱きかかえて、ぎゅっと固定できてしまうアンズである。細身の腕力とは見えづらい。


「それでは私めもこれで失礼させて頂きます。

 またお伺い致しますね」

「はい。

 村人一同、いつも良きものをお持ち頂くカムロどののことを、心待ちにしておりますよ」

「村長さん、お邪魔しました!

 私も、また遊びに来ますね!」

「ええ、また。

 クマリも、村の子供達も、アンズさんのことをお待ちしていますよ」


 また来たい想いと、また来て欲しい想いを快く交わし合い。

 クマリを抱いたアンズと、カムロは、村長の朗らかな笑顔に見送られてその家を後にした。

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