第十三話 ~山波村の筆場~
筆場と呼ばれる山波村名物の建物、造りは至極単純明快だ。
まず縁側程度の小さな石段、幼い子供でも登れる小さな階段を一つ置く。
短い柱でそれに合わせた高さの広~い床を用意する。
それを壁で囲い、藁葺き屋根を乗せる。
これで基本は完成である。簡素極まりない。
創始時に突発的であったことも相まって、構造自体は斯様に単純だ。
しかし、特筆すべきはこの筆場と呼ばれる建造物の大きさ。
単純構造ながら、でかい。ひたすらでかい。
何せ壁一つ立たぬ仕切り無き筆場の内装は、実にその広さ九十六畳。
これは御貴族様の宴会場としても、あるいは大将軍様の謁見の間としても、けして恥ずかしくないほどの広さである。
建物内でありながら、元気溢れる子供達が走り回って遊ぶことさえ成立する、村の広場にも匹敵する広大さと言っても過言あるまい。
具体的には、五十人以上の子供達が集まる遊び場として、みんながどたばた走り回っても通用する広さである。
(いや~凄いですねぇ!
今日もみんな元気ですねぇ! めちゃくちゃですよ!)
『うむ、安寧の世を象徴する微笑ましい光景だ。
私には手に余る世界だがな。面倒見きれぬなぁ』
(子供なんてこういうものですよ。
それが愛しい。そして可愛い。大好き)
"筆場"と呼ばれる山波村の名物。
子供好きのアンズは、筆場の前に辿り着くや否や手を叩いて面白がるのだが、その頭上では頬杖ついたテンジンがげんなり顔。
六日に一度の筆場の賑わいは、村の子供達が集まる広場よりも密度が高い。
そして、激烈にやかましい。何故なら、集まる子供達の年齢層が低いから。
赤口、先勝、友引、先負、仏滅、そして大安。
六日周期で巡る、六曜と呼ばれる概念を山波村に導入したのは、元は貴族かつ教養のあるナルミである。
その日その日の縁起を担ごうという想いでかつて提唱されたこれが、筆場においては非常に重要だ。
他の五曜は関係無いが、大安の日は筆場が賑わうのである。
話は簡単。村の子供達にもわかりやすいよう単純明快。
アンズお姉ちゃんと遊びたい子は、六日に一度の大安の日に筆場に寄っといで。
十一歳未満という決まりはあるものの、流石に十一歳にもなって家族でもない年上お姉さんに、遊んで遊んでとせがむのは子供っぽいのであまり関係無い。
十歳を回れば半ば大人であり、思春期を迎えた男の子も女の子も、甘えん坊な自分を見せるのは恥ずかしがる頃合いである。
ゆえに筆場に集まる子供の年齢層は自ずと一桁に纏まり、ゆえにみんな元気の有り余る腕白少年とお転婆少女。
遊びに来た、と最初から意識して集まってくる子供の暴れぶりは凄い。
疲れて寝るのも近くなるが、そうなるまでが溌剌極まりない。
(みんな遊ぶのに夢中で私のことなんかぜ~んぜん気付いてないでやんの。
この無邪気さがたまらない。ずっと眺めていたい)
『お前の子供好きは極端でついていけぬよ』
(私は自分が子供の時から子供好きでしたからねぇ。
一つか二つぐらい年上の人でも、かわいいなぁ~って思って見てましたし)
『周りに年長者が多すぎた弊害ではないか?
ナルミにせよナベツナにせよ』
(あ~、そうかも。
玉依御殿は熟年の方々ばかりでしたもんねぇ)
筆場を眺めてうっとりするアンズ。楽しそうな子供達の姿は何よりの眼福。
ただでさえ、力無き子供達が怖いもの一つ無く遊びに夢中になれる姿は、泰平と安寧の象徴と呼べる側面もある。
人の命を脅かすものに関わることの多い巫女だから、そうしたことを意識して心安らぐという部分もあるにはあろう。
そこに生来の子供好きという性分が噛み合った時、平安の世で無邪気にはしゃぐ子供達の姿は、アンズの胸をきゅんきゅんさせるほど愛おしくなる。
(さ~て、そろそろいきますか。
テンジン様、お耳を塞いでいた方がいいですよ)
『はっはっは、わかっておる。
お前の大声はうるさい』
まずは収拾だ。
数の多い子供達はちゃんと統率しないとどうにもならない。
「おはよーーーーーーーーーー!!!!!」
「!!」
「「「「「 おはよー!!」」 ございまーーーーーす!!!」」」
いざ大きい声を出す時のアンズは、あらかじめ心構えをしていないとびっくりするほど凄い。
現に今、たまたま筆場のそばを歩いていた通行人が、アンズの大声に驚いて振り向いたほどである。
そこにアンズがいたのをたまたま見て取れた人に限っては、先んじて耳を塞いでいたほど。
雷神とも呼ばれるテンジン様の巫女であることと全く関連性は無いが、アンズの大声は落雷音にも匹敵するほどだとよく例えられる。
「あー、駄目だねぇ!
私は年上だぞぅ! ちゃんと丁寧な言葉を使いなさい!
おはようじゃなくて、おはようございます!
もう一回やるから今度はみんな揃ってちゃんとやるように!
いくぞー!
おはよーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
「「「「「おはよーございまーーーーーす!!」」」」」
子供特有の、男も女も関係無い、可愛い高い声が返ってくるたび、アンズはその場でぴょんぴょん跳ねて喜びたい気分になる。
可愛くて狂いそう。挙動がおかしくなりそう。
年長者として変な姿を見せると、教育上よくないから必死で耐えている。
「よーし野郎どもぉ!!
さっそく草鞋履いて外場に出てこぉい!!
今日は"札追い"から始めるぞぉ!!
お姉ちゃんが準備して広場に駆けつけるまでにちゃんと集合しておくように!
いいねーーーーー!!」
「「「「「はーーーーーい!!!!!」」」」」
展開が早い。
何せ子供達、アンズお姉ちゃんに遊んでもらうためにここに集まってるので、アンズが来た時点で気分上々。
さっそく遊ぶぞ! と火をつけてくれるアンズに呼応し、みんな今の遊びをやめて筆場の床から飛び出してくる。
筆場の石段の前は、脱ぎ散らかされた草鞋の散らかりっぷりが凄い。どれが誰のだかわからない。
子供達もわかっていない。来るときに履いてきたものがどれかなどもうわからないので、誰のだかわからない草鞋を適当に履く。
自分の足に合わないものを履きかけて、ぺぺいっと蹴り捨てる子多数。ああまたいっそう散らかって。
そんななので、子供達の急く気分とは裏腹に、みんなが広場に集まりきるまではそこそこの時間がかかりそう。
アンズはさほど急ぎもせず、筆場の横に建てられている、そこそこ立派な造りの蔵へと入っていく。
蔵には沢山の、この筆場にとって大切なものが収められている。
アンズはその中から、今日はこれだというものを探して手に取り、蔵の入り口にかけてある麻袋に入れる。
さあ楽しみだ。今日もみんなは楽しんでくれるだろうか。
そして、学んでくれるだろうか。
筆場に秘められた創設時の理念、を胸に、アンズはうきうきの足取りで蔵を出るのであった。
筆場の前は、まったく何一つ無い広場として広がっており、大安の日は基本的に誰もここに寄り付かない。名も無い広場だが、アンズは外場と呼んでいる。
仕切られた敷地ではないが、筆場に集まった子供達とアンズの遊び場として、暗黙の了解がある場所だ。
後から遅れて来た子が遊びに参入するのは構わないが、十一歳以上の年長者や大人達が入ってくる余地は無い。
少々大袈裟な言い方になってしまうが、ここはアンズと遊びたい子供達の聖域であり不可侵だ。
「はーいみんなまずは一旦じっとして! 数えるから!
ほらそこ、動かない! お姉ちゃんを困らせるなよー!」
アンズの統率力めいたものは非常に高く、わらわらまばらに集まっている子供達も、アンズに命じられれば結構素直に言うことを聞く。
多少体が動き過ぎる子もいるが、その程度はアンズも織り込み済み。
じっとしていられない幼子もいるにはいるが、それも想定済みで素早く子供達の人数を数え切る。
今日集まってくれた五十五人の子供達の人数を、間違えないよう数えられる辺り、慣れと把握力の高さが窺える。
「よし、クマリ!
こっち来て! 出番だよ!」
「はーーーーーい!」
そしてアンズは、そんな子供達の中から、最年長にして最も頭の良い子を招き寄せる。
桑原村に住まうはずの十歳の少女、クマリ。
隣村の子供でありながら、山波村のどの子供達よりもアンズに懐き、アンズからも最も可愛がられている子だ。
こうして彼女だけがアンズの側に招かれることに、やきもち焼く子が一人もいないほど、それが当たり前の光景だと子供達にも認められている。
今朝、タケスエに連れられてこの村に来た、アンズが会いたくて仕方がなかった一番可愛い子とはこのクマリである。
六日に一度の大安の日、アンズが彼女を好いていることを知るタケスエが、女の子一人では越えられぬ山を越え、ここまで護送してくれるのだ。
アンズがタケスエに、深々と頭を下げるわけである。
妹のように愛する隣村の少女と、六日に一度という頻度で必ず会えるのは、アンズのクマリ愛を顧みて行動に移してくれる大人がいるからに他ならない。
「五十五人いるよ。
クマリがこっちに来たから何人?」
「五十四」
「今からいろは札を配るけど何枚多く要る?」
「七枚」
「すっかり計算早くなったね、いいぞいいぞ~」
「まかせとけ~」
「はーいみんな、私とクマリお姉ちゃんの前に並んで~!
今から札を配るから、一枚受け取ったらばーっと広がってね!」
早く遊びたい子供達の動きは素直で、アンズが麻袋の中からまず七枚の札をクマリに渡し、それから加えて数枚を手渡している間に列が出来る。
あとは二人で、一人一枚ずつ配っていくのみ。受け取った子供達の散開も早い。
"札追い"と呼ばれる遊びについては、みんな何度もやってきたため概ね理解が済んでいるようだ。
「それじゃあ、初めてやる子もいるかもしれないから、最初に決まりを説明するよー!
今日の追われ役は、『つ』、『け』、『も』、『の』、の札を持ってる人!
覚えた!? 覚えたね!? みんな、はい、せーの!」
「「「「つけものーーーーー!!」」」」
「私とクマリお姉ちゃんが、その札を持ってる人を探して捕まえるよ!
私達がへとへとになって走れなくなるまで、その札を持ってる人が捕まらなかったらみんなの勝ち!
四人ともみんな私達が捕まえちゃったら、私達の勝ち!
わかるかな!? 『つ』、『け』、『も』、『の』、の札を持ってる人はどうするのかな!?」
「「「「にげるーーーーー!!」」」」
「じゃあ、『つ』、『け』、『も』、『の』、の札を持ってない人は!?」
「「「「まどわすーーーーー!!」」」」
「そう、持ってるふりしてお姉ちゃん達を困らせて、誰を捕まえればいいのかわからないようにするのだ!
みんなで協力して、お姉ちゃん達をやっつけてみせろ!
言っておくけど、私もクマリも体力あるぞ! なかなか疲れないぞ!」
「お姉ちゃんと私は無敵だぞ!
みんな、かかってこーーーいっ!!」
「さぁー、クマリが十数えたら追いかけ始めるぞっ!
みんなっ、散れ~! お姉ちゃん達に勝ってみせろー!」
「いーち! にーい! さーん!」
「「「「にげろーーーーー!!」」」」
あっという間に騒がしくなった、筆場の前に広がる広場。通称、外場。
アンズと、彼女が子供達と遊ぶにあたっては相棒とも呼べる、最も可愛く信頼できるクマリ。
この二人が、追う側。総勢五十四人の子供達が、逃げる側。
その子供達の中に、アンズとクマリが捕まえるべき子供は四人だけ。
つまり、アンズとクマリはその四人を捕まえるまで勝てない。どの子が何の字が書かれた札を持っているのかもわからぬ上でだ。
追う側が相当な体力を使う遊びである。それはそれはもう、追う側はアンズとクマリにしか務まらない。
大人の身体かつ、農作業ないし妖魔との戦いの日々で、並外れた体力を培ったアンズと、山村暮らしでアンズにも匹敵する基礎体力の持ち主たるクマリにしか。
「捕まえたっ!」
「ひゃーーー」
「さあ、札を見せて?
あなたはつけもの?」
「ざんねんでしたー!
わたしは『み』です~!」
「くっそー、騙された!
顔は覚えたぞっ! さあ、また逃げろっ!」
「あははは、やったー!」
「つかまえた~!」
「あわわわ……!」
「札、見せて?」
「うぅ……僕は『も』の札……」
「やったー! 一人捕まえた!
さあ、筆場に戻っておとなしくしておきなさいっ!」
「くっそー! 上手く逃げれたと思ったのにっ!」
アンズもクマリも、次々と子供達を捕まえていく。
しかし、目当ての四人でない限りは、捕まえたとしても無駄。
しかも、はずれのその子達は再び逃げ回る攪乱役を継続し、目当ての札を持つ子の場所をくらませる役目が終わらない。
アンズははずれの子を捕まえてしまったが、その子の顔をちゃんと覚えていなかったら、また無為にこの子を追って捕まえて体力を浪費しかねない。
追う側にとってかなり疲れる、そして記憶力も問われる遊びである。
つくづくこんな役目、ただの子供達に任せるわけにはいかない。さんざん疲れて勝てなかったという、嫌な思い出を相手に作りかねないから。
一方で、こんな場面もある。
「捕まえたぞっ!
さ、札を見せて?」
「あ、あの、アンズお姉ちゃん……
僕、この札がなんて書いてるのか読めなくて……」
「んん~?
あ~、これは『す』だねぇ。
じゃああなたは大丈夫。はい、逃げて」
「よかったぁ……」
「よく見て覚えてね? それ、『す』の札だよ?」
集まる子供達の年齢層は、十歳を上限としてはいるものの幼さに下限は無く、三歳から五歳の子供とている。
字がまだ読めない子だっているのだ。それもアンズは織り込み済み。
彼女なりの"読み"を入れた上で、当たりではなさそうな子を敢えて幼い捕まえて、札の字を読ませる。
わからないと答えるなら、教えてあげればいいのだ。
そして、自分がそうではなかったと知ってまた逃げる側に回るその子を見送って、アンズはしれっとクマリに目配せと指での指示を送っている。
あの子、後でクマリがまた捕まえてねと。
クマリもその指示を受け止めて、しばらく他の子達を捕まえる時間を挟んだ後、機を見てその子を捕まえに行く。
これがアンズの相棒として相応しい所以だ。意図をすべてわかってそうする。
「つかまえた~!」
「うわー! クマリお姉ちゃんはやすぎだよぉ!」
「札を見せて? なんて書いてる?」
「えーと、あー、たしか……『す』、だよ!」
「じゃあはずれかぁ~!
頑張って逃げるから騙されちゃった! くそ~、もう逃げていいよ!」
「やったー!
クマリお姉ちゃんをだませたぞ~!」
幼い子は捕まえやすい。でも、その子が攪乱役だとわかっていれば、捕まえてやっても悲しませることはない。
団体戦で騙し役が成功したという嬉しさを与えつつ、読めなかった札の字を復習させてあげることも出来る。
きっとこの子は、『す』の字が意味する発音を今日、覚えて帰ることが出来るはずだ。
子供は興味があることなら、遊びに役立つことであるなら、大人が手も足も出ないほどにも秀でた学習能力がある。
札追いと呼ばれる、アンズが作ったこの遊び。
それは追いかけっこの体裁の中、子供達が手にした札の字を、その日一日ではっきりと学んで覚えることに大きな一役を買っている。
体力が続く限り、恐らく"当たり"の札を持っていない子ばかりを積極的に捕まえて、持ってる札の字を捕まえた子に復唱させることを厭わない。
そもそも、子供は素直だから。
札を預かり、捕まっちゃいけない札の字を見てしまった子供の反応さえ見逃さなければ、概ねアンズには誰を捕まえれば終わりなのかも見抜ける。
それを、そこまでは見抜けないクマリにも指示を出し、『つ』『け』『も』『の』の札を持つ子を敢えて、可能な限りで泳がせる。
こうしてこの遊びに参加した子供達は、おしなべて少なくとも自分の預かった札に書かれた字だけは学んで帰れるというわけだ。
ぶっちゃけ、アンズにとっては子供達相手の勝ち負けなんて些事には違いない。
子供達に、文字を覚えて貰う事こそが目的であり、それが筆場の初心の一つ。
それは間違いなく、そうではあるのだけど。
「はぁ、はぁ……
クマリぃ、頑張ってぇ……!」
「まかせて~!
さあ捕まえたぞっ!」
「うわぁ!? く、クマリお姉ちゃん……!」
「はぁはぁはぁ、さあ札を見せてっ!」
「うぐぅ……ぼ、僕が『け』の札……」
「やったぁーーーーー!
四人目を捕まえたぁ!」
「く、クマリありがとぉ……
よく頑張ってくれ……へぐぁ!?」
早々に四人とも捕まえて遊びを終わらせるようなことをせず、わざと時間をかけ、出来るだけ沢山の子に札の字の学習と復習を促して。
その上で、最後まで体力切れの音を上げて降参宣言などしないアンズとクマリである。
だって年長者だもの。強くて頼もしいお姉ちゃんでいなくては。
今後も同じ遊びをする機会は何度でもある。雑魚お姉ちゃんだと思われるようになってしまっては遊びも盛り上がらない。
汗だく、息切れ、演技抜きで疲れ果てるほど頑張って、最後の最後には勝ちだけは持って行く、そんな二人として君臨することもまた欠かせない。
余力たっぷりの余裕勝ち、それもアンズの見極め能力の高い眼なら出来ないこともないが、それはそれで子供達にとっては面白くない負け方だろう。
アンズと、そんな彼女に指示を受けるクマリは、疲れ果てるほど体力を惜しみなく使い果たした末、きっちり勝つ結末を叶えることで最高の幕切れを果たせる。
まあ、そんな計算がしっかり出来るアンズはともかく、今日もぎりぎり勝てたと思って心から嬉しいクマリには、多少の感情のずれがある。
二対多で勝った喜びでクマリがアンズに駆け寄ってくる。ぶつかり気味にアンズに抱きつく。
喜びの感情の表し方が体当たりに出る子だ。
正味ではまだ余力があるとはいえ、演技ではない息切れもまた出るアンズの体前面に、人の子相応の重みでぶつかられては詰まるものもある。
意地でも踏ん張って押し倒されることもなく、抱き返す形で受け止めるアンズではあるが、息が出来ない数秒の間も苦しく目の前が白くなりかける。
「はぁはぁ、お姉ちゃん、ほめて!
私がんばったよ! 今日も勝ち!」
「っ、っ……す、すごいねぇ、クマリはやっぱり……
今日も……っ、たのもし、かったよぉ……」
「でへへ~」
筆場に集まる子供達の中では年長者の枠に入るクマリだが、アンズに対しては何歳か幼く見えるほど懐っこい。べったりだ。
必死で呼吸を取り戻そうとしながら、抱きついてくるクマリの頭を撫でてあげるアンズ。
苦しいけど、可愛い。しんどいのも今だけ。
今日もきっと、札追い遊びは成功だ。息の合うクマリの協力もあってだ。
子供達は楽しんでくれたはず。
ひらがなというものに、遊ぶ形で親身に触れた上で。
筆場の理念。子供達が楽しい時間を過ごせたことと、それを両立出来たことは、アンズが今の息の詰まりっぷりなど些細極まりないと言い切るに値する。
札追い遊びの後も、アンズ考案の様々な遊びを経て、昼過ぎほどまでの時間が過ぎた頃に昼食。
その後も西の空が赤らむ前ほどまで遊び、程々の時に至れば解散だ。
集まってくれた子供達に昼食は振る舞うが、夕食はそれぞれの家で食べるのが一番いいし、その前に畑のお手伝いをする時間も必要。
農民にとっては子供達も立派な労働力だ。大人ほど頑張って貰わなくていいが、ちょっとの手伝いぐらいはして貰いたいところ。
それぞれ加味した上で、暗くなり始める時間の、さらのその少し前ぐらいに、京の筆場の時間はおしまいというのが通例である。
「それじゃあみんな、また次の大安にね。
また来てね」
「うん!
アンズお姉ちゃん、クマリお姉ちゃん、さよなら!」
「「「さよならーーー!!」
アンズは子供達を可愛がって遊んでくれるし、アンズよりも年下を甘やかしがちな筆場常連の年長者クマリも、村の子供達には大人気。
帰りたがらず、一日中ここにいたがる子も珍しくはない。むしろそれが多数派。
名残惜しそうに筆場を去っていく子供達は名残惜しそうだが、アンズも名残惜しさを我慢して、楽しかった今日の時間を締め括っていた。
「ん~~~っ、今日も遊んだ遊んだ。
楽しかったねー、クマリ」
「楽しかったー!
次もまた来たい!」
子供達が帰路へと去った後、アンズとクマリは村の広場に二人で向かって歩いていた。
アンズは握った両手をうんと上に掲げ、背筋と腕を伸ばす仕草も見せている。
腋が丸見えになってしまうので、衆目のあり得る場所ではあまりやらないことなのだが、余程楽しかった上に疲れたからついやってしまった模様。
何十人もの子供達と遊ぶのは体力を使うのだ。それも、相当に。
子供達ってば、身体が出来上がっていない割には遊んでいる間だけは無尽蔵の体力だから大人を存分に振り回す。で、帰ってから普段より長く寝るのである。
「タケスエのおじさんにもちゃんと感謝するようにね?
いつも、あの人のおかげだからさ」
「うん!
今日も朝ごはん用意して待ってた!」
「…………!?
え、偉いねぇ、クマリ……
早起きしてそんなことしてたんだ……」
初めて聞いたが、今日"も"ということは、これは今日だけに限ったことではなく、今までにも何度かやっているようだ。
幼いクマリが一人で山を越えて隣村からここまで来れるわけがないので、タケスエの善意による護送が必須なのは当然の話。
日頃からそれに感謝するように、とアンズは教えているが、クマリはどうやらタケスエを、朝餉を用意することで感謝を行動と形に表しているらしい。
米を炊く時間を加味すると、確実に東の空が明るみ始めるより早く起きている。この幼子にしてはとんでもない早起きだ。
無邪気で子供っぽい甘えん坊だと思っていたら、いつの間にかここまでしっかりした子に育っていたとはアンズも驚愕である。
筆場では年長者として、お姉さんらしい姿も見せるようになってきているクマリだが、あれはもはや付け焼刃の格好付けではないとわからされた。
子供は知らぬうちに成長しているものとされるが、アンズは我が子もこさえないうちに、それをクマリに痛感させられる次第である。
「クマリ、きっとすごく立派な大人になるよ。
私なんか目じゃないぐらいさ。本当に贔屓目抜きで」
「おおもの?
私もっとおっきくなれる?」
「どこ見てどこ触って言ってるの。
こういう所はまだ子供だけど……」
自分の胸を両手でぽんぽん触れながら、アンズの胸元を眺め、大きくなれると言って貰えたことが嬉しそうなクマリ。
なかなか背が伸びなかったり、女らしい成長が見られないことを少し気にしているクマリにとって、発育の良いアンズはクマリにとっては理想の大人の女性。
憧れの眼差しを向けられるのは悪い気はしないのだが、女の子同士とはいっても露骨に胸をじろじろ見られると恥ずかしい。
はっきりそう意識させられると、さっき腋を晒すようなことを無意識にやってしまったことも思い出して、アンズの顔も少し赤らんでしまう。
「お姉ちゃん、雲に乗せて欲しいなぁ。
タケスエさんも好きだけど、お姉ちゃんと一緒に帰るのもしたいよぉ」
「雲はちょっとね。
あれは、神様に仕える私だけの力だからさ。
クマリのことは好きだけど、だからって安売りはしてあげられないんだよ」
「んむ~、我慢する……」
「えらいえらい。
我が儘を耐えられる子になったね、クマリ」
クマリを筆場に招くにあたり、あるいは帰りに送るにあたり、本音を言えばアンズも自分がクマリの送迎をしたい気持ちもある。好きだから。
だが、一人の子だけをそこまで特別扱いするのも、筆場の主としては考えものであるし、神力で生み出した雲に乗せるのはもっとそう。
乗せてあげたことはある。だが、アンズも言うとおり、この力はやはり神様に身も心も捧げた者だけに貸し与えられるべき特別なものだ。
有事の際には惜しまずその恩恵を振り撒くこともあるが、分別として平常時には安売りしないと、アンズも心に決めている。
クマリほど好きな子であっても、軽い気持ちでねだられても断固お断りするぐらいで丁度いい。
『私は別に構わんのだがな。
神力の披露は信仰に無関係ではないのだから大義は立つぞ?』
(安売りはありがたみを薄れさせると最初に教えて下さったのもテンジン様でしょう?
お気持ちは嬉しいですけど、初心を忘れるわけにはいきませんよ)
テンジンの言葉を要約すると、お前がそれだけ可愛がっているクマリ相手なら、多少は雑に神力を使って喜ばせてやってもいいぞ、ということである。
大義は立つのだから、という言い方の時点で、良くはないけど理屈は通るから大目に見てもいい、という遠回しな優しさだ。
しかし、巫女に初心を教え込んだかつてのテンジンが仰るとおり、軽々しく神力を振る舞っても、それで集まる信仰は質が悪い。
敬意無く神の実在のみを肯定するだけの信仰は、ほんの少し自分の思ったものと神のもたらすものが違っただけで、あっさり掌を返されるだろう。
都合の悪いことを神様のせいにするだけの似非信者は、やがて必ず神敵という存在に成り下がる。
目先の尊敬を目当てに、軽はずみに神力で信者を甘やかすことは、長い目で見て確実に悪い反動を招くというのは、テンジンに言わせれば自明の理である。
「――クマリ、今日は私と一緒に帰ろう。
二人きりではないんだけどね」
「えっ、本当!?
やったー! お姉ちゃんとまだ一緒にいられる」
歩きながら、跳ぶように少し体が浮き気味になるほど、アンズと一緒の時間が少し長引いただけで大喜びのクマリだ。
つくづく、可愛い。アンズにとっては本当の妹のように。
不幸なことも多かったこの子が幸せにするためなら、きっとアンズは罪と不義理以外なら何だって出来る。
巫女としてではなく、アンズ個人として、この感情は一生変わるまい。
それでいて、巫女としての力に頼ってばかりでもいられないのもまた、神職者としての大切な心掛けだ。
人を超えた力を預かる巫女とて、それで何でも望みを解決とはいかない。
むしろ、叶えたい数々のことに対し、神様の力でもどうにもならないことなんて沢山ある。
それを、神の力ではなく自分の力で叶えていくことが大切なのだとも、十七歳という若さながらアンズもしっかりわかっている。
自力で叶えた方が嬉しいに決まっているのだ。
明るく彩られた人生を築き上げていこうとするならば、不条理溢れるこの世に騙されることなく、ずっと忘れてはいけない道理である。




