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あんずの神様 ~山波雷神幻想譚~  作者: ざくろべぇ
第壱章  山波神社の雷神巫女
12/28

第十二話   ~山波村の人々~



「あらまぁ、大変だったわねぇ」

「お母さん、全然それ大変だったねって感じ出してくれてない」


 イナリ姫の護送序章のお仕事を終えた翌朝、アンズは山波村の玉依御殿を訪れていた。

 玉依御殿の主であるナルミは、巫女アンズへの依頼を集めてくれる人物でもある。

 だから仕事を終えた後のアンズは、義務ではないが、過程や顛末をナルミへ報告に訪れるのが概ね常習化している。

 もっとも、それにかこつけて大好きなナルミに会いにきている節もあるが。


 玉依鳴御(たまよりのなるみ)

 両親を喪い、神社に一人暮らしの神職者の末裔となるところだったアンズを引き取り、幼少の頃より可愛がって育ててくれた人物だ。

 テンジン様が主神であると同時に今のアンズの父同然と言うなら、ナルミもアンズにとっては第二の母と断言できる人。

 ゆえにアンズは主神を除けば、この世界で誰よりもナルミのことを敬愛し、愛し、人目を憚らぬなら甘えて甘えて甘え倒したいほど大好き。

 親と認めた上で恩人かつ、今なお巫女としての自分を助け続けてくれるこの人物に、アンズは頭が上がらないし上げるつもりも一切無い。


「きっと後日、イナリ姫から呼び出しを食らうわねぇ。

 可哀想に、またいじめられちゃうのねぇ」

「待って待って、なんでちょっと嬉しそうなの?

 私がいじめられて喜ぶお母さんは嫌だよ? もっと甘やかして慰めて?」

「だってイナリ姫にいじめられた傷心のアンズちゃんが、後で私に縋りついて甘えてくれそうな気がすると楽しみで」

「げすーーーーー!!」


 ナルミの私室の畳をばんばん叩いて吠えるアンズだが、顔はふくれっ面でも本気の怒りを胸に抱いてはいない。

 こんな濃ゆくて下衆い冗談も、冗談と理解して受け止められるほど、ナルミ本来の人格を信頼してやりとりが出来る間柄なのだ。

 アンズにとってのイナリ姫恐怖症は深刻なので、これを笑い話にして彼女が甘受できるのは、余程に好きなナルミかテンジンぐらいのものだ。


「それでも今日が"大安"でよかったじゃない。

 この後、嫌なことも全部忘れられるぐらいの楽しい時間でしょう?」

「それはまあ、そうなんだけど。

 大丈夫だよ、私それが無くても本気ではもう昨日のこと気にしてないから」

「寝たら嫌なこと全部脇にどけられちゃう、無敵の巫女だもんね」

「わたし心労にだけは滅法強いんだから。

 当日は悩み過ぎちゃうことも多いけど、一夜明けたら全快、それが私!

 頼もしいと思ってくれてもいいんだぞ?」

「はいはい、頼もしい頼もしい。うふふ」


 正座で目上のナルミに向き合うしっかりした姿勢でありながら、拳を天井に向けて突き上げ腋を晒すことも厭わない。

 肌を晒す恥ずかしさには日々敏感ながら、ナルミ相手の場合だけは奔放で、自己表現に体をいっぱいに動かすことにも一切の抵抗が無い様子。

 みだらな姿を晒すのは、たとえ女性同士であろうと憚るのが普通の貞操観念なので、それだけナルミはアンズにとって特別ということである。


「今日も"筆場"をよろしくね。

 こんな所で油を売ってないで早く行ってらっしゃい。

 子供達が待ってるわよ?」

「うん!

 また来るね、お母さん!」


 "筆場(ふでば)"というのが何かはさておき、そこはアンズにとっての楽園とも言える場所。

 六日に一度、筆場に向かうのが楽しみで仕方ないアンズは、正座から両手を畳につけ、ぴょんと跳ぶようにして立ち上がる。

 今日も元気な自分の姿を母に見せることと、筆場が楽しみであることの両方を一挙に表す彼女は、自己表現が自然体にまで馴染んでいる。

 ここまで挙動に感情が素直に表れるのは、十歳にも満たぬ子供が殆どであり、十五を超えた歳でこれほどなのは少数派であろう。


 淑やかに手を振って見送るナルミに、襖を開けて去るに際して振り返ったアンズは、今一度いっそうの笑みを振り撒いていた。

 笑顔一つに、相手への好意がよく表れている。

 よく笑う巫女だ。それも、常に、心から。






「あれ?

 ナベ爺、珍しいねこんなとこにいるの」

「おお、アンズ。

 ナルミ様とのお話は済んだのかのう?」

「うん、楽しかった!

 トキ兄の退屈な自慢話に付き合うよりもよっぽど!」

「おいこら、おめぇ俺のことそんな風に思ってたのか」


 玉依御殿の門をくぐって出ようとしたアンズだが、そこでは珍しい顔が見えたのでご挨拶だ。

 トキ兄と呼ばれる門番の男がそこにいるのはいつものことだが、玉依御殿の家老とも呼ばれるご老体が、そんな場所にいるのは珍しい。

 彼は意図して屋敷から出ることを控え、屋敷の者達の指導と育成に身を捧げるので、門前にまで赴くこと自体が稀なのだ。


「いひゃひゃひゃ~、やめろぉ~……

 おにゃごの肌に気安く触れるにゃあ~……」

「な~にがおなごだ、神職者の皮をかぶったお転婆山猿が。

 女の子扱いして欲しけりゃもうちょっとお淑やかに演じてみせろい」

「むりぃ~。

 トキ兄の助言が良かった試しがないぃ~。

 いっつもてきとー仰るんだものぉ~」

「んだとこの生意気娘が。

 うりうり、もっと強くつねってやろうか? おん?」


「ほっほっほ、相も変わらず仲良しじゃのう」


 遠慮のえの字も無いようなやり取りで楽しそうに触れ合うアンズと"トキ兄"、それを見守る"ナベ爺"。

 まったくもって、三人揃えばいつもの光景である。


 阪田時金(さかたのときがね)

 この玉依御殿で育ったアンズにとって彼は、歳は離れているが、アンズにはトキ兄と呼ばれて親しまれている。

 若かりし頃から武勲の数々を打ち立ててきた武者であるトキガネも、妹のように可愛がるアンズの前では、気さくで朗らかな壮年男性だ。

 勿論、戦場ないし男社会に参ずれば、武人らしく気が短く荒っぽい姿もよく見せる、血の気の多さは未だ抜けない豪傑なのだが。

 その辺りは、山波京でアンズには優しくしてくれるも、武士を指導する際には鬼の顔を覗かせる臼井光貞(うすいみつさだ)と似たようなものである。


 源辺綱(みなもとのなべつな)

 玉依御殿ではナルミに次ぐ立ち位置にある家老である。

 ナルミが山波村で最も地位高い村長にあたる人物で、それを補佐する役目にある人物だ。簡潔に言えば山波村で二番目に偉い人。

 アンズにはナベ爺と呼ばれて親しまれる人物だが、その好々爺とした物腰の柔らかさは、村人みんなに敬われる五十路過ぎの年長者として名高い。

 とはいえ、主君のナルミよりも年上かつ、彼女が京にいた頃から仕えていた侍であり、怒らせれば最も怖い人物としても暗黙の了解がある。

 今はもう実戦で刀を握らなくなって長いため、当人は既に衰えたと自虐気味に語っているが、昔取った杵柄でしばしば見せる剣術はやはり洗練されている。

 現役武士のトキガネとたまに手合わせを行うが、本気のやり合いでないにせよ、まだまだ敵わないなと強いトキガネですら、謙虚混じりとはいえ語るほどだ。

 彼を一言で表現するなら、一線を退き政務に落ち着いた老兵とでも言えば適切であるが、その半生で積み重ねたものが滲ませる貫禄もまた類稀なものである。

 

「ナベ爺ぃ~、どうしたのぉ?

 こんにゃところでトキ兄とお喋りしへるの珍しくない?」

「いやいや、たいした話ではないよ。

 庭の松の木が茂り過ぎて手間じゃから、トキガネに少し切って欲しくてな。

 それを頼みに来たついでにべらべらと与太話をじゃな」

「俺様もう腐っても武勲たっぷりの名高い武士として自負あるんだがなぁ。

 ナベツナ御老公にかかると未だに使いっ走り扱いだぜ?

 こないだなんて使用人が数人風邪引いたから、代わりに掃除してくれって命じられたんだからよ。

 そんなことあるか? 歴戦の武士(もののふ)に雑巾をほいっと」

「かっかっか、何歳になっても修行じゃよ。

 若かりし頃の初心というのを忘れ去らぬのも大事なことじゃ」

「へいへい、仰るとおりですやねぇ」


「ぷぷぷ、トキ兄諭されてやんの。

 偉そうに私を生意気とか言うくせにトキ兄が生意気じゃん、ぷっぷくす~」

「あぁ? おめーは生意気だよ、現在進行形で」

「さわるなっ!

 女子を相手に気安過ぎるん……ふぎゃああ」


 門番であるトキガネに雑務を任せるほどには山波村は平和で、親しい彼に気分転換がてらそんな仕事を振る程には、ナベツナもトキガネを可愛がっている。

 二人のやり取りは横暴な年上に若年が振り回されているようでいながら、お互いその表情は和やかで懇親の色に満ちている。

 割って入ってトキガネをからかうアンズは、せっかく柔くつねられていた頬を解放されていたのに、また相手に攻めの名分を与えてつねられる。

 妖と戦い慣れた巫女とて、戦の本職たる武士に手を伸ばされたら、少しはぺちぺち抗えても結局捕まる。

 両頬をまたつままれて、痛くない悲鳴をあげるアンズの楽しそうなこと楽しそうなこと。


「……お疲れ様です」


「お? "タケスエ"、どうした?」

「おっと、タケの()ぃ。

 お疲れ様です」


 楽しい時間の無駄遣いを嗜んでいた三人のもとへ、農夫の風体の中年男性が歩み寄ってきて、深々と頭を下げるご挨拶を見せる。

 五十路前の彼ではあるが、彫りの深い顔で眼光が鋭く、単なる農民でないことは初見でもなんとなく顔立ちでわかるとされる。

 年下の彼に気さくな返答を見せるナベツナと、アンズを解放して会釈程度のご挨拶と共に敬語を返すトキガネ。

 村長仕えの屋敷の門番が敬語を使う相手なのだから、相応の立場の人間であるのは明らかだ。


「あれ、タケおじさん。

 ちょっと早くない?」


 一番年下のアンズが、敬語も使わず親しく話しかける姿は、年功の観点から見れば特異と見えるかもしれない。

 しかし、タケスエと呼ばれた彼はナルミの忠臣であり、そんなナルミに娘のように育てられたアンズは姫君のようなもの。

 アンズとトキガネがそうであるように、タケスエもまたアンズとはこのように親しまれた間柄である。

 

 浦部武季(うらべのたけすえ)

 京の皇族ナルミに側仕えしていた歴戦の武者とあり、その強さは語るに及ばない。

 そんな彼は、山波村の自警団の長を務める身であり、京で慣らした指導力を以って、村の自警団に属する者達を纏め上げている。

 農民らと変わらぬような服装で村に馴染んでいるが、それはあくまで彼が外目を欺くための着こなしに過ぎない。

 無知なならず者は農民に紛れた歴戦の武者タケスエのことなど見てもわからぬため、認識を誤って山波村に侵入しようとする者は痛い目を見る。

 彼自身の強さも相当なものだが、彼に指導された自警団の者達は、そんじょそこらの農民とは明らかに一段上の強さを誇る模様。

 農民が刀を握ることは許されないため、鍬をはじめとした農具を武器に戦う農民が、武士崩れの野盗を撃退はおろか追撃して捕獲した逸話が山波村には多い。


 玉依御殿の家老、ナベツナ。

 玉依御殿の門番、トキガネ。

 山波村の自警団の長、タケスエ。

 そして、山波京における武士らの長である、臼井光貞(ミツサダ)

 京にあった頃のナルミに最も近しく仕えたこの四人は、玉依鳴御(ナルミ)に最も近しく仕える忠臣として、玉依四人衆と呼ばれ敬われている。


「……朝、早くに起き過ぎた。

 桑原村に向かうのも早くなってしまったが、あの子は既に待っていた。

 当人も早く行きたいと言ってくれたので、もう連れてきた」

「えっ!? もう筆場にいるの!?」

「うむ」


「楽しみにしてんだなぁ、あの子。

 六日に一度、山波村に来れるのが」

「知れたもんじゃろ。

 どれだけアンズに懐いておると思っとるんじゃ」


 タケスエが育てた自警団が強いこともあって、彼は六日に一度、朝方に山波村を留守にする。

 日も昇らぬ早朝に村を出て、馬を駆けさせ、隣村の桑原村に向かうのだ。

 そこで、六日に一度、山波村に遊びに行けることを楽しみにしている、とある少女を連れて戻ってきてくれる。

 その少女というのが、アンズに相当懐いているのも確かだが、アンズもその子が大好きで大好きでしょうがない。


「いつもありがとうございます、タケおじさん。

 ちゃんとあの子、お礼言いました?」

「うむ。

 最近は、きちんと敬語が使えるようになってきている。

 腕白なようでいて賢い子だ」

「そうそう、あの子ほんとはすっごい偉い子なんだよ~。

 可愛いし頭いいし元気だし、あんな子なかなか他にいないよぉ~」


「親馬鹿だな」

「妹馬鹿じゃろ」


「うるせぇですよ! おっさんと爺さん!」

「兄さんからおっさんに格下げされたんだが」

「その方が年相応の呼び方になったんではないかのう?」

「ナベツナさんはいいっすよね、じじいって言われないだけ」

「そこはほれ、普段の行いがそなたとは違うから」


「アンズ。

 あの子はお前と会えることを心待ちにしている。

 準備を怠ることはせず、速やかに会いにいってやれ」

「うん、そうする!

 じゃあ私もう行くね!

 トキ兄以外今日もご健勝で!」


「俺以外!?」

「かっかっか、からかい過ぎて今日は嫌われてしもうたな」


 筆場と呼ばれる場所ではもう、大好きなあの子が待っている。

 そうとわかれば居ても立っても居られないアンズは、三人を目の前に含められる立ち位置に移って、元気な声でご挨拶。

 胸を押さえて傷付いたとばかりによろめくトキガネも、べっと舌を出してざまあみろと示すアンズも、尖ったやりとりしながら双方楽しそうなものだ。


 筆場へ向かう前に、神社に一度戻って準備をしなくてはならないアンズは、山波神社へ向かって駆けていく。

 充分離れたら、一度振り返って、御殿の門前の三人に向けて大きく手を振る仕草。

 相手を選んでよく見せる、いつもの彼女の仕草だ。三人とも、微笑ましい気分で手を振って返す。

 腋を見せるはしたなさを昔から何度も注意している親心も、未だ全く通じていないのが歯痒くもあるも。

 そうせずにはいられない程、自分達を愛してくれる愛娘も同然のアンズには、やはり彼女の成長を見守ってきた親心の親愛感情が勝るというものである。











「――おや?

 アンズさん、そんなに弾む足でどちらの方へ?」

「あら、"カムロ"さん?

 こんな時頃に山波村にいらっしゃるのは珍しいですね」


 玉依御殿を駆けて離れてしばらくすれば、少し汗が出てきたので歩く足取りに戻したアンズ。

 それでも早く神社を経て筆場へ行きたい、逸る気持ちはその早歩きに現れており、足取りの軽さも目に見えて明らか。

 山波村の住人なら、今日が大安である以上、誰もがアンズのそんな足運びの根拠はわかりきっているため、誰もいちいちそれに言及することはないのだが。

 そんな彼女の足取りをきっかけに声をかけた人物はすなわち、ここ山波村に長く住む者ではないということである。


「今日はちょっと楽しみなことがあって、態度に出るぐらいうきうきなんですよ。

 カムロさんにまで見え見えでしたか?

 あんまりそうだとちょっと恥ずかしいな……今さらではあるんですけど」

「ふほほほ、結構、結構。

 アンズ様のそんなご機嫌な姿をお見まえるのも眼福ですよ。

 商人は、人様の幸福を買うのがお仕事ですから」

「売るのではなく?」

「買うのですよ。

 財を投じてでも拝むに値する絶景ですからね。ふほほほほ」


 カムロと呼ばれた中年の男性は、恰幅の良い――いっそふとっちょと呼んでも差し支えない、服の上からでも膨らんだお腹の目立つ人物だ。

 商人を自称するに似合い、商売盛んな隣国摂泉国(せずみのくに)を生まれ故郷とする人物であり、一方で各国を渡り歩く行商人としての性質も強い。

 京に次いで山波国の中心地である山波村に顔を出すことも多く、アンズならびにこの村に住まう者にはもはや馴染み深い顔でもある。

 着ている服も生地が良く、初対面でも財の豊かな人物であるとはよくわかる一張羅であり、商人としての初歩的な貫禄というものは存分だ。

 その一方で、四十路過ぎの目尻の垂れた目元、たるみの多い顔は対面する相手に緊張感を抱かせない柔和なもので、子供でも話しやすい空気も併せ持っている。


「今朝この村に?」

「いえいえ、昨晩は宿をお借りしましてね。

 実は今日はアンズ様に御用が……しかし、お忙しそうですね」

「あ~、今日はちょっと……

 いえ、今お伺いしておきましょうか。

 ご希望に沿えるかは、今日に限りお約束が難しくもありますが……」

「よろしいのです?

 ふほほほ、それでは駄目元で」

「あっ、今日も禿げてますね」

「つんつるてんです」


 カムロは頭を覆っていた頭巾を取り、額から頭頂部にかけて毛ひとつないつるっぱげ頭を晒す。

 そもそも彼は頭巾のかぶり方からして、額とその少し上、つまり毛の無い部分を隠さない浅いかぶり方だったのだが。


 自分の名にも絡めた若禿げ頭を人に隠さず、むしろ逆に目立たせるようにすらして、人目を引かせる剽軽さがあるカムロだ。

 そして、商人ゆえに人の事情を気遣う目敏さはあり、しかし相手が許してくれるならお忙しそうでもお言葉に甘える図太さもあって。

 それを頭巾を取りながら禿げ頭晒しにより、相手を笑わせ図々しいなと思われる暇さえも無くさせる。

 こういう計算高さはその瞬間にはアンズにもわからず、後から考察して流石商人様だなと唸らせられるのが精々の、現場では隙の無い立ち回りだ。


「実は、今日か明日にでも桑原村に向かいたい用事がありましてね。

 よければ、アンズ様に護衛を頼めないかなと思っているのです。

 今日がお忙しいなら明日でも構いませんし、明日も無理なら私も他の手段を考えます」

「あ、そういうことですか?

 問題ありませんよ、今日で。

 夕前でよければ……それが不都合なら明日にされても大丈夫です」

「おお、それはありがたい。

 でしたら、今日お願い致したいですね。

 今日中に桑原村に着けるなら、その方が良いですので」

「馬車はありますか?」

「ありますね。

 南道を使って頂ければよいかと」

「はい、かしこまりました。

 今日の用事が終わればお迎えに上がりますね。

 どちらでお待ちになられます?」


 商人相手だと話が早くてアンズもやりやすい。

 細かい説明を向こうが省く時は、それらが重要でないことだと信じられるからだ。

 今日の待ち合わせ場所さえ取り決めて、陽がどの程度の高さにある時に迎えに行けばいいかさえ取り決めれば、それだけで今日の予定は簡潔に纏まる。

 護衛を頼む他の一般人と比べ、商人は時間の取り決めに対してより正確な傾向にあるため、アンズも見越した動きがしやすい。


 夕前に村の広場、イナリ姫を象った稲荷御像の前で待ち合わせ、という約束を果たし、この話はあっさりと纏まった。

 それさえ決めれば、あとは馬車で何を運ぶつもりなのかなど、軽い話を重ねて。

 仕事上の話だけで終わっては味気ないとして、多少の談笑を弾ませる程度に締め括り、切り上げて双方が別れる流れになるのもまた早め。


「それでは、また後ほど!

 カムロさん、私に依頼した時点で安全確実な旅になったのは間違いないですから、安心して待ってて下さいね!」

「ええ、ええ、存じております。

 頼りにさせて頂きますよ」


 深々とした礼、そしてお別れ。

 山波神社の方へと歩いていくアンズを、カムロは見送り商人として村を歩く本分へと足を運んでいく。

 二人が離れてから、改めて振り返り相手を見やることはなかった。

 アンズが、離れてからももう一度振り返って、大きく手を振る仕草を見せることはなかったということである。


 腋を晒すはしたない所作を見せる相手は、アンズだって選んでいる。

 カムロとは顔馴染みになってから長く、親しみ深い相手には違いない。

 それでも、特別な相手ではないのだ。特別という言葉は決して軽くない。


 山波村の村人には、こんな言葉がある。

 あの子と生涯を共にする間柄になりたい男は、話して別れてから、振り返って手を振って貰えるようになってからが第一歩。

 彼女のあの仕草が、特別な相手にしか見せない仕草であることは周知の事実である。

 村で名高く、広く親しみ以って接して貰えるのは嬉しいが、そうして正しく分析されてしまっている辺り、個人としては考えものだとアンズも時々思う。


 だって、恥ずかしいもの。

 自分の挙動と内心が誰の目にもすっけすけだなんて。

 裏表が無さ過ぎてもこうなってしまうから、人は大人になるにつれ、嘘を上手につくことを覚えたくなるのかもしれない。

 よくある話である。幼い子供が気のある異性に、つっけんどんな態度を取ってしまうのがありがちなのと同程度に。






 山波神社の境内はいつも綺麗だ。

 たとえ落ち葉の多い秋頃であったとしても、朝の掃除でアンズが綺麗に掃いてしまうからである。

 春の今頃はそれすらないが、そのぶんアンズの掃き掃除は境内を細やかな所まで行き届き、平たく砂地の凹凸すら目立たぬほど均しきられている。

 神職者にとって境内は聖地だ。

 目に届く限りのごみは一つ残らず取り除くこともまた、主神のお膝元を汚さぬための重要な使命の一つである。


「――あっ」


 昨今、わざわざ山波神社に参拝に訪れる者はめっきり少なくなり、朝に綺麗にした境内をアンズ以外誰も踏んでくれない日も多いほどだ。

 寂しくもそんな日常に慣れつつあるアンズにしてみれば、今日は朝からとても嬉しい光景があった。


 ナルミのもとへ訪れていた短い時間を経て帰って来たら、境内の砂地が少し模様を変えているではないか。

 足跡と呼べるほどのものではないのだが、人が訪れ砂を踏みしめた気配がするような、擦れた跡をうっすら見て感じる。

 出発前と地面がどう違うか、具体的に説明できるほどではないのだが、神社を訪れた誰かの気配を目で見て取れるのだ。

 誰か参拝してくれてるのかな? それとももう帰った後なのかな?

 まだいてくれれば嬉しいな。参拝してくれてるなら、それに対して面と向かってお礼が言えるから。

 心なしか浮き足立つように、アンズは鳥居をくぐって本殿の方へと進んでいく。


 やはりいた。

 本殿の前で手を合わせ、背中を丸めて拝む後ろ姿。

 錫杖を手に袈裟を身に纏う修験者のようなその着こなしは、村人らしきものではない。

 アンズにとってその姿は、知り合って長い、とある顔見知りの特徴そのものだ。

 振り返る前から、相手の顔と名前はもう予想がついた。


「――おお?

 アンズどの、お帰りか」

「おはようございます、"クラマ"さん」


 本殿に手を合わせて拝んでいたその人物が振り返ると、離れてそれを見守っていたアンズと目が合った。

 主神に拝んで下さっている人の邪魔をせず、それが済むまで黙って眺めるのも巫女の暗黙だ。

 相手が祈りを終え、自分に向き合ってようやく声をかけたアンズは、はたはたと相手のそばへと駆け寄っていく。


 "クラマ"と名乗る修験者は、ちょうどアンズが巫女として就任した日、神社を参拝してくれた流れ者。

 根無し草の彼が山波村に居着くことはなく、まばらに村を訪れてくれる日がしばしばある程度だが、その日は必ず山波神社にも顔を出してくれる。

 忙しい身のアンズは必ずしも常に神社にいるわけではないのだが、彼はこの村を訪れれば、時間を作ってでもアンズに挨拶をしてくれる人物なのだ。

 神社を断続的に訪れてくれるだけでなく、主神の従者たる自分との対面も軽んじないクラマには、アンズも神職者として相応の好意を抱いている。


「今日もありがとうごさいます。

 テンジン様も、喜んで下さってますよ」

「いや、毎度申し上げているが私のこれは参拝とはまた違うのだがな。

 山波の平安を司る神様を奉るのは、私個人の嗜みに過ぎぬのだから」

「それはもう、参拝ですよ。

 テンジン様の実在を信じて下さるだけで、私にとっては本当に嬉しいんです」


 両手を差し出して握手を求め、主神の実在を信じてくれる人に最大限の感謝を告げたいアンズながら、その手をむずむずさせながら耐えている。

 みだりに自ら異性と肌を触れ合わせてははしたないとされる女人、ましてその身は主神のものであるという前提ありし巫女。

 感情表現が行動に出やすい身にして、振る舞いには存外よく気を付けている。


「すいませんクラマさん、本当はクラマさんの行脚の話を沢山お聞きしたいんですよ。

 でも今日はちょっと忙しくって、クラマさんとじっくりお話しできる時間が無いんです」

「くはは、何故そんな申し訳なさそうな顔をするのかね。

 いいじゃないか、巫女が忙しいのは主神様にとって良いことだ。

 私になど構う暇も無い巫女殿でいてくれた方が、テンジン様のことを想う私にとっては何よりも嬉しい傾向だよ」

「いや~、まあ~、そのぉ~……

 クラマさん、お話するのが好きそうな人でもありますし」

「お? 聞くか?

 こないだ夜雀と遭遇してしまった私の、機転に溢れた凌ぎぶり。

 いや~、あの日は我ながら本当によく出来た立ち回りだったなぁ。

 もう一回やれと言われても出来ないであろうほどに。

 聞いて貰えるのか? 一日中話せる自慢話だぞ?」

「うぅ、聞いてみたい……

 でも今日は忙しくてお聞き出来る時間が無いんですよぉ。

 明日も村にいてくれます? 宿代、お出ししてもいいですよ?」

「かははは、冗談も程々にされい。

 日々ひたむきな献身に明け暮れる巫女どのが積み上げた尊き財を、私如きがせしめるなど言語道断よ」


 求道の体現者たる修験者を名乗るクラマだが、その語り口は小気味よさを感じるほど俗なものだ。

 お喋り好きで、自慢話もしたがるし、しかしそればかりでは相手もつまらないだろうと遠慮する根拠は、人間関係を意識したものに過ぎず求道者ゆえではない。

 見た目が厳かでも、話してみれば気の良いお兄ちゃんである。

 男前の顔立ちは二十歳過ぎのものと見えるのだが、話す内容はそれ以上の年季を匂わせるものであることも多く、話せば話すほど実年齢がわからなくなる。

 クラマに歳の程を尋ねても、はぐらかすか、はっきり"ないしょ"と言われたりで誰も知らない。そんなところもなんだか俗。


「いいんだ、私は。

 アンズどのにお会い出来ればそれだけで充分に満足だよ。

 今日もお天道様のような笑顔だったからな、眼福、眼福」

「うへへへ、それはクラマさんが私をそうさせてるだけなのだ。

 私、クラマさんのこと十番目以内に入るぐらいには好きですよ」

「たは~、そいつは光栄だなぁ。

 アンズどのの十指に入るというのは相当な上位だろう」


 一番以外に価値を見出さない考え方であれば十指入りはなんの名誉にもならないが、クラマは自分がアンズの上位になれぬことなど重々承知である。

 ナルミやらクマリやら玉依四人衆やら、アンズの大好き上位の顔ぶれは知っているし、五指に入ることなど不可能なのはわかりきっている話だ。

 だいたい、彼女の一番はテンジン様で不動なのだ。一番好きです、なんて冗談でも言われるわけがないし、そんな彼女であって欲しくもない。

 クラマはアンズを、人としてでもあるが、巫女としても好いているから尚のことである。敬虔かつ話のわかる神職者はそれだけで尊敬に値する。


「曇るなよ、アンズどの。

 苦難はあるぞ、常に身近にな。

 何にも負けないそなたの姿が、私にとっても見失いたくないお天道様だ」

「へへ~、お任せを!

 生涯不屈の不撓巫女! 誓って私はそう在り続けますとも!」


 胸を拳で叩くアンズの姿もまた、女性らしくはないと世間には囁かれがちなもの。

 お構いなしだ。心弱き巫女ではこの世知辛き信仰の世では何の役にも立てぬ。

 見せつけて、自身の前言に責任を持ち、失望されぬよう常に在らんとする彼女の大袈裟な態度もまた、未だ裏切られぬ以上頼もしきそれと見てなんら過言無い。


「ではな、アンズどの。

 暗がりを抜けたそなたの絶えず明るい姿と、また会おう」

「はいっ!

 クラマさん、またお会いしましょうね! 約束ですよ!」


 神社を去っていくクラマを見送るアンズ。

 本殿を背に見送る彼女は、鳥居の前で立ち止まり、これ見よがしにちらっちらっと振り返ってみせるクラマにちょっと笑ってしまう。

 相手を選ぶ自分の仕草を待ってくれているのだろうか。ああいう人懐っこさも、相手が年上と承知の上で可愛く見えてくるからたまらない。

 今日だけは敢えて腋を隠しもせず、手を挙げて振るアンズの姿を見て、クラマは朗らかな笑みを浮かべて手を小さく振り返してくれた。

 人たらしってああいう人のことを言うんだろうな、と、アンズは今日もクラマに対し、皮肉抜きの賞賛の想いを抱くばかりである。


『まったく、食えん男だなあ』

「今日も目が合いました?」

『会釈の瞬間、お前と目が合っていなかったのはわかっていただろう?

 そうでなくともいちいち釘を刺してくる辺り、図々しいというか豪胆というか』


 クラマが去ったのち、アンズの頭の上であぐらをかいて、頬杖ついていたテンジンがぶつくさ取り留めのないことを呟く。

 彼はテンジンのことが視認できている。アンズ以外の誰にも見えぬはずの、姿を現した時のテンジンの姿が。

 クラマの過去の目線や挙動を鑑みれば、断言できることなのだ。


「釘とは?」

『おや、わからぬか?

 では、自分で考えて答えを導き出せるよう努めてみることだな』

「え~、そんな!

 私巫女ですよ? 教えて下さいよ。

 情報を共有した方が献身しやすいですよ?」

『はっはっは、察するもまた修行だ。

 そなたの成長の機会を剥奪するなど、人の良い私には出来ぬことよ』

「あ~またお調子の良いことを仰る。

 そうやってすぐ秘密を作るんですから」


 そりゃあテンジンにだって、秘密を作りたいこともある。

 クラマの言葉の端々にあった、主神がこの巫女を泣かすようなことはするなよという、かすかな眼差しをも加味すれば確実に在った意図。

 どうやらクラマは本当にアンズのことを気に入って、普段から激励してくれている立場に違いなく、見えるテンジンにもこっそり意志を送ってくるほど。

 こんなこと、アンズを調子に乗らせるかもしれないので、いちいち教えてやれないのが主神の難しいところでもある。


『しかし、今日のあやつは不穏であったな。

 まるで近々の、凶兆が見えているかのような語り口でもあった』

「あ~、う~ん、やっぱりそうですよねぇ。

 クラマさんのああいう念押し、結構当たるから怖くなるんですよねぇ」


 その一方で、アンズとテンジンはクラマの別れ際の言葉尻に、不穏なものも感じ取っていた。

 苦難はある――暗がりを抜けた――ちょっとした言い回し程度なら激励だと見ていいが、今日は恐らくそうではない。

 二度にも渡り、このような縁起の悪い言葉を使うクラマは、どうも先行きに待ち構える凶兆を示唆しているかのよう。


 意図してのことだとアンズには感じる。

 基本的に彼は、明るい言葉を使って元気付けようとしてくれる人物であり、日頃の付き合いからしても間違いなくそうなのだ。

 現に、凶兆を匂わせる言葉以外は今日もそうだったはず。


「なんか嫌なこと起こるんですかね?

 今まであの人がああいうこと言って、何も起きずに安穏と出来た試しがない」

『さあな。

 先のことなど誰にもわからぬよ。神にもだ。

 徳を積んだ修験者であれば未来すら見通すなど、眉唾を通り越して絵空事だよ』

「でも実際どうでしょ?」

『元よりお前の行く先は茨の道だ、神職者よ。

 妖退治などというのを日々の習慣にしている以上は尚更な』


 凶兆を暗示したクラマ、それが当たるかどうかを問うたアンズの問いに対し、テンジンの答えは曖昧なものであった。

 どうせ暗示されようがされまいが、苦難は常にあるだろうと。

 クラマの予示が当たるものであろうがあるまいが、覚悟と備えを怠るなという教えであり、アンズにしてみればそりゃそうかと感じるまでのこと。

 元より怪我も苦悩も山積みでここまできた巫女、仮に未来を完全に見通せる予言者に不吉を言い渡されようとも、いつものことだしお構いなしの精神である。


『まあ、何が起ころうとそなたなら問題あるまい。

 生涯不屈の不撓巫女、だろう?』

「テンジン様も常に御傍にいて下さいますしね」

『はっはっは、わかっておるなら結構よ』

「でへへ~、結局それが一番安心できる根拠ですから」


 そんなアンズであることもわかっていて。

 そして、主神たる自分がそばにいるのだからいたずらに不安がるなと。

 言葉は強いがそう励ましてくれるテンジンの遠回しな気遣いも、アンズは正しく受け止めて喜べる。

 伊達に何年も神様に傍仕えしてきてはいないのだ。

 幼い頃から、両親を亡くした自分をずっと見守ってきてくれた神様の厚意など、誤解一つ無く理解できるようでなくては巫女など務まるまい。


「さぁて、気を取り直して筆場に向かいますか!

 楽しい楽しい時間が待ってますからね」

『六日に一度の楽しみだろう? 存分に遊んでこい』

「はーい!」


 アンズは神社の本殿に向かわず、その脇にある住まい家へと足を向ける。

 筆場に行くなら、持って行くべきものがいくつもある。

 それを取りに来たのだから、家の物置に秘めてあるそれらを麻袋に詰め、あとはうきうきの足取りで筆場へと向かうのみ。

 それも、やや小走りでだ。

 鳥居を抜けて神社から出れば、大人と呼ばれる十七歳とは思えぬほど、子供のような浮き足立ちぶりで、彼女にとっての浄土とも呼ぶべき場所へ駆けていく。


 "筆場"はアンズの楽園だ。

 早く着くのが、楽しみで楽しみでしょうがない。

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