告白② 哀しき再会
今まで秀長は俺にあの様な怒り方をした事がなかった。
俺は絶対に遥さんの事は言わなかった。父さんに堅く口止めされたから。ホテルで対面した時も父さんから念には念をと言うことで下の名前しか名乗らなかった。と、なると唯一秀長に告げ口したと考えられるのは寺西弁護士だ。記憶の限りではあのパーティー(と呼べるか分からない極々ささやかな会)にいたのは俺達親子と遥さんを連れて来た寺西弁護士だけだった。しかし客観的に考えて自分の大きなクライアントのヘソを曲げるマネなんてするだろうか。帝人の中でもエース的存在である彼女が顧問弁護士としての自分の立場を危うくしかねない行動をとるとはどうしても思えない。それともあの人は秀長に後ろめたい秘密は一切持ちたくなかったために遥さんの誕生会に孫である俺も出たと報告していたのか…?今までそう考えていたが、答えは後で記そう。
その夜を境に、遥さんの存在を知った秀長の並々ならぬ態度に違和感を覚えた俺は少しずつではあるが不審な思いを募らせていったのだった。もちろん表に出せなかったが。
〈略〉
亡くなる半年ほど前から、秀長の様子はおかしくなっていた。
彼は黒霧医療法人下ではなく、長年親交のあった医師仲間の経営する病院で最期を迎えたのだが、入院中は看護師―主に20代くらいの女性―を見てパニック状態を起こすようになったのだ。それは本来の徹底した男尊女卑観からと言うよりは、むしろ恐怖から来る怯えから来ていた。当時の何も知らない俺は子ども時代に出会った「秘密の友達」とされる少女と少なからず因果関係があったなんて、微塵も思わなかった。と、言うより既に頭から記憶が消えかかっていたのだ。進路について一悶着あったものの、結局親の言いなり通りに父さんと同じW大学医学部に入学して膨大な量の勉強と実習に目が回っていたし、学内に蔓延する学生同士の派閥、私立大と言うこともあってか本人の学業成績だけではない家柄等の競争意識に酔わされて過去を振り返る余裕は皆無だった。
秀長の死後、再びあの人と相見えるまでは。
全てはここからと言っても良い。自分が如何に井の中の蛙だったかを血が出るほど実感させられたこの数年間。豪華絢爛な衣装の裏側の手の施しようのない黒い垢にまみれた我が家の歴史。本当は知らなかった方がこうならずに済んだのではないか、それも事実かもしれない。しかし、それにはずっと「悪い意味で」の枕詞が生涯まとわりつくのもまた事実なのだ。
それは、秀長の死からひと月以上経った寒い日の日曜だった。
実家から大学まで決して通えない距離ではなかったが、その頃俺は大学から目と鼻の先のマンションで一人暮らししていた。しかし、
大学入試のシーズンだった事や偶然―これは本当にたまたまなアクシデントだった―俺自身がインフルエンザに罹ってしまい日常生活もロクにできないくらい身体の節々が痛んだためにその前から実家に帰って来ていた。その日の前日には、もう熱も下がっていたが、両親からは「明日は寺西先生が来られる。その間は絶対に階下に降りるな。」などと奇妙奇天烈な命令をされた。黒霧会の顧問弁護士として、今までだって寺西弁護士が家に来た事は度々あったのに。幼い頃ならともかく、なぜ成人した長男に厳命せねばならなかったのか?却って俺は家政婦達を上手く丸め込んで秘密の現場を覗いてみたくなったのだ。
この試みが正しかったのかどうかは分からない。
結果として当日は様々な感情の嵐に襲われた。
驚愕、絶望、怒り、悲しみ、ガラスの割れる様な裏切り……
そして密かな感動と愛おしい気持ち。
朝霧家の最大の秘密を目の当たりにしたのは、不思議な事に現在も悔いはない。
でも、それを遥さんに打ち明ける勇気は今はない。
なぜならあの日の彼女は…謂れのない侮辱を受けたのだろう。眉間に皺寄せた表情で、庭の隅に立っていたのだ。なぜ庭師は気を利かせていつも俺達にしたみたいに自分が手掛けた庭園を説明あるいは案内してあげなかったんだ?彼は本来、あんなに気難しいヤツじゃない。よく笑い、冗談の一つや二つ軽く言える男だ。
俺は大人になった遥さんが窓の中の俺に向けた敵意に満ちた顔を、知り合った今でも脳裏から拭い去ることはできない。




