見せられた手紙
この時、遥は動揺していた。
千歳と相模原の音声を聞いても罪悪感の「ざ」の字も感じる事のなかった彼女だが、朝霧秀一との秘密を目の前にいる男に話してしまった事で良心の呵責を大いに感じていたのだ。
一度は天谷に「続きを話します。」と言った。しかし、あくまでそれは亡き秀一のプライドを傷つけない形でと言う意味だった。もしそんな事を吐き出してしまうくらいなら、たとえ天谷の怒りを買ってでも、物事を以下の様に単純化して秀一の名誉を死守したかったのだ。
「私、城戸遥は朝霧秀一さんの事が好きで好きでたまらず、どうしても自分の物にしたかったのですが既に結婚した相手がいると知り、つい衝動的に夫婦に手をかけてしまいました。初めに『嫉妬に狂ってない』などと言ってしまいましたが、あれは嘘です。やっぱり嫉妬心からの犯行でした。」と。
(ごめんね…。秀ちゃん!この人に怒られても殴られてでも私が全て泥を被りたかったのだけど…だめみたい。私も直にそこへ行くから…だから、堪忍して!)
「次に会った時、秀一から何を見せられたんだ?え?」
敵は容赦なく迫って来る。
「彼のお母様からの…長いお手紙です。今、ここにあるのでどうぞ…。」
遥はバッグから洒落た洋型の封筒を取り出した。封筒には秀一が当時住んでいたアパートの住所が記載され、切手の箇所には、去年の三月頃の消印が押されていた。
(今時珍しいな。こいつの事に関する内容が入ってるんだろう。何かの拍子で他人に覗かれないよう用心したか。)
天谷は差し出された手紙を受け取った。
その手紙の内容はこうだった。
「秀一さんへ
四月から新しい部署へ異動になるのですね。あなたがMRとして目覚しい活躍ぶりを方方の先生方から伺って、お父様も私もとても誇りに思っています。あなたの評判は瞳さんのお父様の元まで届いていて、『医療法人黒霧会の未来は楽しみですなぁ!』ともったいないお言葉を頂きました。それくらいあなたは期待の星なのですよ。
未来と言えば、早速ですが秀一さん、あなたも今年で26。そろそろ将来について真剣に指標を定める時です。
瞳さんとは上手く行ってますか? 先日、あの子のお父様と医師会のパーティーでお会いしてお話したところ瞳さんは随分あなたに夢中のようで、秀一君が良ければ今すぐにでも娘をやると太鼓判を押してくださいました。六月半ばに帰国予定との事です。あなたのこれからの進路については、ぜひお役に立てられるなら最大限の協力を惜しまないとも仰っていました。もちろん朝霧家もそのつもりでいます。
確かに理事長は医師でなくとも経営手腕が備わっていれば務まらない事もありません。ですが、鬼に金棒ではありませんが病院はもちろん医科大始め多くの人を率いて行く点を考えた場合、医師であるのとないのとではどちらが説得力があるかは想像に難くないでしょう。お母さんは今からでも医学部に入り直して国家試験を受けるべきだと思います。どうかこの期待を裏切らないで考えてちょうだいね。良いお返事を待ってます。
最後に、大事なお知らせです。
本当は、こんな事を書くのは気が進まない、と言うよりは書くのも嫌なのですが、秀一さんの勤めている会社について不吉な噂を耳にしました。誤解しないでね、会社そのものが悪いと言うのではないのです。
お母さん達が心配しているのは、あなたと同じ会社で働いてる一人の女についてなんです。これも、この綺麗な便箋を汚してしまう事になるのですが、あなたのためを思って断腸の思いで名を記します。城戸遥と言う女です。
この女は現在、本社の研究開発部にいるようなのです。実は、少なからず私達と因縁があって、あなたも覚えているでしょうが黒霧医科大と医療機器メーカーの間で交わした大きな共同開発を木っ端微塵にした曲者なのです。この女は以前そこのメーカーに勤めていた事があって、ここだけの話ですが、開発の機密情報を外部に流出させていたのです!しかも、今日まで1点の罰も受けていないのですよ!
それだけではありません。この女はそもそもの生まれからして、大変禍々しいのです。この続きは時がきたらあなたに直接話しましょう。許されるなら、この女を産んだ母親諸共朝霧家から排除してしまいたいのです。せめてお父様から会社に口利きして、あなたをこの女と同じ場所に配置しないでもらえると安心なのですが。城戸があなたにはもちろん瞳さんにまで魔の手を伸ばすのではと思うとお母さんは夜も眠れません。何しろあの女は人の形した怪物なのです。その怪物が暴れないように寺西先生にきっちり抑制させておきます。秀一さんにもしっかりと警戒して欲しいので、名前だけでもしっかり覚えておいてください。
それでは秀一さん、くれぐれも風邪など引かないよう過ごしてください。お仕事はもちろんのこと、あなたには私生活の方でもうんと忙しくなるでしょうから。
令和〇年 三月二十日 母より
追伸:お父様がたまには実家に帰って来るようにとの事です。あなたの顔が見たくなって来たのでしょう。電話くらいは差し上げるように。瞳さんとの新居も考えないとね。」
天谷はさっきの黒縁眼鏡越しに手紙を読んだ。
(一見、息子の身を案ずる母からの便りのようだが、どこか押し付けがましい気もするな。しかしなぜこれを城戸が?)
遥は執行待ちの死刑囚のように、脚を揃えて俯いていた。
「よく分かった。しかしなぜ君が持ってたんだ?」
「彼がこの手紙を破ろうとしたからですよ。それを私が無理やりひったくったんです。『捨てるくらいなら私にちょうだい。』と。」




