もっと深く
寺西先生から『一緒に来はりますか?』と言われて、沙織は黙りました。私を手離したくないのは山々だったみたいですが、かと言って自分まで他人の世話になりに行きたいかと言われれば、私にはよく分かりませんが彼女のプライドが許さなかったのでしょう。
『本当に一日だけですからね!』と私を託しました。
ですが、今度は赤の他人の秀臣さんの奥さんがしゃしゃり出て来ました。
『ちょっと、どういう事!あなたがこの子を預かるだなんて!あなた企業ローヤーでしょう、他人の家庭に口出す権利があるの?』
寺西先生はそれ見たことかと奥さんに応じました。
『権利も何も、私はあなた方に呼ばれたからここまで来たんです。この会合の一番の目的はこの子に幸せな人生を送って欲しいからとちゃいますか?』
『そんなこ…。』
『それだけやありません。奥様もご存知の通り、私らの仕事はあなた方の事業運営を円滑に行えるようになるべく被るリスクを小そうする事です。簡潔に言いましたがこれは全ての基幹です。現に奥様方が今一番気になさってるのはそれやと思います。あえてここでは申しませんが、今大人達がしっかり朝霧家の一大事を慎重に対処しなければ、折角跡取りとして生まれてきた秀一君にも後々負担を背負わせる事になりかねませんよ。』
秀一さんの名を出されて、さすがの奥さんもこれ以上言いませんでした。
そうして私はその日は一晩だけ寺西先生の実家にお世話になったのです。沙織はその日、近くのビジネスホテルに泊まりました。お互いの連絡先を交換したのに、あれだけ離されるのを嫌がっていた母は一度も寺西家に電話をしなかったそうです。
これを皮切りに、東京へ帰ってからも寺西先生との交流は続きました。中学生になって、私が道を踏み外しそうになったり本気で自殺しようか悩んだ時も寺西先生の家に上がりこみましたが、一度も迷惑がられた事はありません。先程母から『援交でもしてたんでしょう!』と言われてぶたれたと言いましたが、確かに私は中一から隠れてそういう事をしていました。その当時は好奇心とお小遣い稼ぎとしてね。案外楽し…。」
コンコンコン!
天谷が再びテーブルを叩いた。
「なるほど。かなり前から君と寺西弁護士は付き合いがあったんだな。」
「…?…はい。」
遥はわけが分からなかった。嘘はついてないし、誰かを侮辱した訳でもないのに天谷に話を遮られたのがどうしてなのか理解出来ていなかった。
「その晩、他に寺西弁護士から何か聞かなかったか?」
「いいえ、私も仕事帰りで夜も遅かったもので、昔の話だけ聞いて終わりました。」
「後、聞いてて疑問だったんだが。」
天谷は座り直した。
「朝霧秀一は君と少なからず血縁があると知っていた様子だったか?」
「出会って半年くらいは知らなかったと思います。でも…あの日秀一さんと彼のお母様の口論を聞いた時、前から知っていた様な話し方でした。それに…彼が仕事を休んで三日目の水曜日に私が電話したのは…。」
遥は下を向いて黙った。
「電話したのは何だ?彼の容態が心配だったからと言っただろう?」
天谷が不思議そうに尋ねた。
「それは確かにそうでした。もし一人暮らしの彼に何かあったらって…。それだけではなく尋ねたい事があったんです。
『あなた、私がお祖父様の子だって知ってたの?それは、いつからなの?』って。ですが聞く勇気が出ませんでした。わざわざあの電話を録音していたのは彼の返答が目的でした。何かを企んでいたわけではなく、個人的な記録です。だけど、出来なかった。だって聞かれた方は穏やかではいられなくなるでしょう?脅迫と捉えられるかもしれないですし。それを理由に秀一さんに嫌われるのは避けたかった。誤解されたくなかったんです。」
「なぜ脅迫と捉えられると考えたんだ?」
「あの時私がアパートの外から盗み聞きしていたと自白するようなものですし、風邪だった事を抜きにしても秀一さんの話し方に違和感を覚えざるを得ませんでした。病気で弱っていると言うよりは何かに怯えているのが電話越しにも分かりましたし、最後の方なんて誰かに追われているのかとも思いました。だから私、心理的に追い討ちをかけるような事しませんでした。」
(やれやれ…。)
天谷は目を逸らし、悟られない程度に小さいため息をついた。
(この娘は理系出身として数字には強いのかもしれないが、肝心の想像力が欠落しているようだ。仕方ない、少々野暮かもしれないが。実父の話は過ぎたし、もっと話を引き出すために仕掛けてやるか。)
そこで、思い切った質問をした。
「血縁関係とか既婚云々は一旦置いといて、彼の反応について、こうは考えなかったか?朝霧秀一は君からの積極的なアプローチに閉口していて、断りたかったが君が職場での先輩である以上そうもいかず、未来の黒霧会のトップとして今は面倒事に巻き込まれたくないからわざと電話を切り上げたと言うのは。最初の話も、さっきの話もこっちにはそう聞こえるのだがな。」
導火線になりかねない聞き方だと自覚していた。それでも構わないと天谷は考えた。
相手はまだ何かを隠している。自分で用意したストーリーを語る事で逃げ道を作っているのが天谷には丸分かりなのだ。
もちろん子ども時代の話はちゃんと自分の調べた事と一致している。そもそも当時彼女は記憶にないくらい幼かったのだから、どういうやり取りがあったとしても本人に責任はない。しかし、大人になって責任を持つべき立場になった最近の話となると、忘れたでは済まされない事もある。
(さぁ、城戸遥。君はどう出る?俺にカップを投げつけるか?それとも再び薬を嗅がせるか?)
部屋の窓の外は、すっかり暗くなっていた。
二人のいるホテルの部屋の窓から見える高層ビルの一室は、黄昏時まで明かりが点いていたが、今では消されていた。




