寺西弁護士の言い分①
「…あぁ、そないしい。大丈夫、大丈夫や。あのおっさんはそんなことせぇへん。…いやいや、こちらこそ今までようしてくれたな。ほんだら遥、切るで。」
天谷と遥のいるホテルの近くにある高層ビル「Tree Building」の中の一室で、1人の高齢の女は電話を切った。
彼女こそが、今まで遥の味方をしてきた寺西美紗だった。年齢63歳。身長は160あるかないかの小柄で、グレーのスーツパンツを履き、夏用の紺の薄手のジャケットを羽織っていた。両耳には大きなブルーダイヤのフックピアス、おかっぱ風のショートカットの髪はレモン汁を落とした紅茶のような明るい色に染めていて、手の指には色とりどりの宝石が光る指輪を複数装着していた。装いのみならずこの弁護士は顔つきや話し方からして天谷とはまた異なる意味で只者ではない雰囲気を漂わせていた。
部屋には寺西だけでなく、警察の捜査一課に所属する捜査員達も居合わせていた。
「ほれ、お望み通り言うたったぞ。」
寺西は自分のスマートフォンを机に置きながら今までの遥に対する優しい言い方とは対照的に、ぶっきらぼうに目の前にいる女性刑事の園谷に言った。
「ご協力感謝します。」
40代前半の園谷刑事は、一応の礼を述べた。相手が相手だけに下手にぞんざいに扱うと後の裁判で面倒になるからだ。しかし、逆にこの対応は弁護士の気に障った。
「何が『感謝します』じゃ!ホンマやったらあの場に私が居らなんだらアカンやろが!しかも相手は今は警官でもないタダのおっさんや。お前らこんな事して安心して寝れる思うなや。ヘタな事さしてみぃ、あの子の言いよった通り違法捜査で全員クビ飛ばしたるさかいな!」
寺西は親指を立てて首を切るジェスチャーを交えて啖呵をきった。目の覚めるようなハスキーな声の大きさに加えて、巻き舌で「ラ」行の言葉を発音するため上着に弁護士バッジがなければ極道の女幹部そのものだった。
「ご存知かもしれませんが。」
園谷は怯むことなく言った。
「その言葉が場合によっては脅迫行為になりかねない事をお忘れなく。」
「事実やろがい。脅迫やのうて警告しとんのじゃ!」
寺西も負けてはいない。
「寺西弁護士!」
男性刑事が間に入って諍いを止めた。班長の名嶋だった。彼は天谷の後任だった。
「男女二人きりにしてご心配なさるのはよく分かりますが、あの男は誓って不埒な真似はしません。確かに彼は現在一般市民ですが上からは特別な許可を得ております。もし、あなたの不安が的中した時は私がこのビルの最上階から飛び降りてみせます。」
慇懃に言う名嶋に向けてチェーン付きの金縁の色眼鏡の奥から鋭い眼光を放ちつつ寺西は黒革製のソファの上で居住まいを正した。
「言うたからにはお前、そんな事なったら飛べな。」
本当はこう言いたかったが、こいつらの思う壷になると思ったので堪えて飲み込んだ。
両者共に分かっていた。天谷が謹厳実直な男であることも、遥が世間一般に言う「悪女」であることも。こんな議論が不毛なのは数々の裁判で百戦錬磨の弁論を重ねてきた寺西だって承知していた。
言うなれば、これは寺西の悪あがきだった。
遥。大人になって、これまで自分の弁護士としての功績に貢献してくれた遥。実際には何の血縁関係もなかったものの自分の娘だったらどんなに良かったことか!あれは悪い娘なんかじゃない。ただ家族の愛情と言うものを知らなかっただけ。あれでも立派に、いや立派過ぎる程成長したのだ。自分の実力で薬剤師になったのだから!そんじょそこらのヌクヌクした家庭で育っても、クソの役にも立たない大人になるのも珍しくないのに、遥は様々な苦労を切り抜けて才色兼備な大人になったのだ。だけど、あぁ、あんな出会いさえなければ!あの人の息子と恋に落ちなければ遥は…。
「早速ですが、寺西弁護士。」
寺西の向かい側に座った名嶋は切り出した。
「あなたは帝人法律事務所から籍を退く数年前から、城戸が会社から機密資料を漏洩させていたのを黙認していたみたいですね。」
「名嶋はん。」
寺西は目を光らせた。弁護士としてのスイッチが入ったのだ。
「アンタ日本語下手でんなぁ。あの子は『漏洩』なんかしてへん。あれは内部告発や。会社に勤めとる者が自分の属する組織を正そうとすんのは自然な事でっしゃろ?『公益通報者保護法』に則っただけや。前の記録読んでもろたら分かるけど、あの子のお陰で会社の不祥事が明らかになって多くの人の命救った事実もあるんやで?」




