神田仁の供述
―天谷と遥が会う数日前。
「あぁ、わかったよ。全部ゲロってやっから、そう焦んなって!」
窃盗罪はじめその他の容疑が掛けられている男は相手に言い放った。
「命の保証はしてやるがお前も自分の立場をわきまえろ。口の方は元気そのもののようだが、嘘偽りはもちろん御法度だからな。」
相手は牽制する。
ここは市民病院内にある病室。二つのベッドが並んでいたが寝ている患者はこの男一人だけだった。
ベッドに横たわっているのは神田仁。5年前に遥と共に相模原悦子を欺き、一家離散に加担した張本人だった。しかし、その容姿は昔の爽やかな面影などなかった。
髪は全て剃り落とされ、顔には痛々しくも複数の打撲痕があり、片目には眼帯を装着し、もう片方は目元が腫れ上がっていた。鼻には大きなパッドシートが貼られ額には包帯がぐるりと巻かれていた。額だけではない。腕と脚にも片方ずつ副木で固定されながら包帯をぐるぐる巻きにされた状態だった。神田は満身創痍の状態で聴取を受けているのだ。これでもだいぶ容態が持ち直してきた方だった。
「早速だが、城戸遥とはいつ、どこで知り合ったんだ?」
若手の男性刑事の後藤が尋ねる。
「6年前の12月だ。忘れもしねえイブの夜、繁華街のビルの裏路地にあるゴミ捨て場で拾われたんだ。」
ボソボソとした低い声で、神田は答えた。
「当時からお前は借金地獄だったそうだな?その時も取り立てに絞られた後だったのか?」
「あぁ、そうだよ!正直そん時ゃ諦めかけてたんだ。だけど聖なる夜にいきなり綺麗な女が現れて、俺に手当てしてくれて、『あなたお金に困ってるんでしょ?おいくら?…それならお易い御用よ!私が代わってチャラにしてあげる。』なんて言われたら、誰だって女神様に見えるだろ?アンタだって同じ目に遭えばそう思うはずだぜ?」
後藤は軽く咳払いして神田を上目遣いで睨んだ。「あまり調子乗んなよ。」と言うサインだった。
「それがきっかけでお前は城戸の手足となったんだな。」
「…あぁ。今から思えばな。あの時はセレブの恋人気分で浮かれまくってた。あの歳でLマンションなんてでけぇ家に一人暮らしするわ俺に贅沢なメシ食わせるわでどっかの令嬢だと思ってたんだが、俺がそれについて聞くと変な含み持たせてこう言った。『私には今までもこれからもあしながおじさんがついてるの。』ってな。チンプンカンプンだったがこっちも脛に傷を負ってる身だからあまり聞かなかった。それ以外は優しかったぜ。何せ床上手だったからな。こっちも離れられなかったんだよ!時々大金チラつかせてヤバい事やらされたがな。」
「ヤバい事とは具体的に何したんだ。」
「あいつが勤めてた、または縁のある会社に清掃や警備として潜り込んで、間接的に鍵を渡されて指定された薬品を頂戴したり金をネコババした。言っとくが全てあの女の指示だからな!他に会社の人間の身辺調査や表に出せねぇ会社の資料も持ち出して来いって言われたかな。金の心配はなくなったし、正直楽しかったなー。」
神田はその楽しかった思い出の一つとして、T化学工業株式会社の経理部の部長を騙して金庫を開けさせ、隠れていた神田が濃いめのモルヒネで後ろから襲って金庫の中の金を盗んで山分けした話を後藤に話して聞かせた。後藤は面白がるどころか、表情が険しくなってきた。
「金はともかく薬が何かに悪用されるとは思わなかったのか!」
「俺がそんなの知るわけねーだろ? なんでこんなのが必要なんだと思ったけど、説明されても分かんねぇだろうから何も聞かなかった。俺は高校半年でドロップアウトしたからそーゆー知識はサッパリなんだ。」
ここで、後藤は一枚の写真を取り出して神田に見せた。
「この女性を覚えてるか?」
神田は、じーっと写真を見つめた後、大きく頷いた。
「あぁ、覚えてるよ。5年前、トチ狂って遥を殺そうとした女だ。名前は忘れたけど、娘がいたと思う。だけど…あまり思い出したくねーな。」
「なぜだ?」
「それが原因で俺達別れたんだよ。いや、クビになったと言った方がいいや。」
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
後藤は大きな身体を乗り出した。彼は柔道の有段者で、全国大会で優勝する程の腕前を持っていた。
神田は言われた通り話した。突然遥に探偵になれと言われたこと、すぐに架空の事務所としてセキュリティの甘い3階建てマンションを用意されたこと、神田自身は気が乗らなかったが相模原悦子に優しく接し、甘い言葉をかけてその気にさせるよう指示された事、そして明日香を睡眠導入剤入りの紅茶で眠っている隙に自分が犯すつもりだった事を。
「随分と手の込んだ悪戯をしたもんだな。なぜ関係を切ったんだ?どこかでしくじったのか?」
これまで後藤とは目を合わすことなく前方を向いて喋っていた神田は、キッと細い三白眼の片目を後藤に向けて言った。
「俺がしくじったんじゃねぇ!女の聞き違いだ!俺はあの時確かに『織乃田慶子』って伝えた!なのにあいつ、勝手に『織田慶子』って独り合点しやがった!そして最後にゃ報酬も無しに全部俺に責任押し付けてどっかへ消えやがったんだ!畜生!」
当時の事を思い出した神田は、副木のない方の脚の膝で備え付けのテーブルを蹴った。余程理不尽に切り捨てられたのだろう。だが、腹いせに当たったものの、直後に「痛てぇ!」と脚を押さえた。
「あまり暴れない事だな。ここで死なれちゃこっちも困るんだ。」
「…分かったよ。他に何が知りてぇ?」
後藤は一旦口を閉じた。3秒ほど考えた後、神田にこう尋ねた。
「今もそうだが、なぜあんなボロボロになりながらウチへ出頭したんだ?」
「フッ…そんなもん決まってんだろ?」
神田は(バカじゃねーの?)とでも言いたげに若い刑事を見た。
「俺は追われてたんだぜ?この5年間また昔の借金生活に戻っちまった。残った金で株をやって大損喰らって、ギャンブルで全部パー。結局また地獄の一丁目いやもっとその先へ走ってったんだよ。そしてあのクソババァのお陰で殺されかけてアンタらの所へ駆け込んだってわけさ。なぁ、俺は何年くらい入れて貰えんだ?」
神田の目は期待に満ちていた。
「そんなの知るわけないだろう。自分、裁判官じゃないんだ。」
やってられないと言った風に後藤は立ち上がった。神田の主治医から提示された聴取の可能な時間が迫って来たからだ。
最後に、簡潔に神田に尋ねた。
「お前の言ったその『クソババァ』の名前、覚えてるか?」
数秒間沈黙が流れた。
「……寺西美紗だ!!」
神田の怒号が病室内に響いた。




