野蛮で粗暴で女の子相手に平手でぶてる毒舌冷血漢
アイツは一言も発さずにエレベーターに乗り込んだ。
俺も、何も言わずにそのあとに続く。
無音で動くエレベーターが、静かに停止する。
ドアが開くと、眼前には眩しいくらいの、青い空が広がっていた。
「屋上か、ここ?」
頷くアイツは、ゆっくりとフェンスが張られた対面に向かい、歩き出す。
反射的に、その腕を俺はつかんだ。
「あんなバカげた事を言われたくらいで、自殺しねえだろうな?」
紡がれた俺の声は、自然と剣呑なものになっていた。
「自殺はしない。けど、バカげた事じゃなくて、事実」
だが振り返ったアイツは、気が立っていた俺をたじろがせるほど恐ろしい、空っぽの瞳を向けてきた。
「あたしが精神を患っているのは、事実……脳の点数が高くても、彼みたく可哀想な人間もいるでしょう?」
「は?」
今コイツ、何て言った?
彼みたく、って言ったよな? ……まさか……
「オマエさ、まさかとは思うけど、俺がオマエを可哀想だと思っている、って思ってんの?」
「違うの?」ウソは許さないと、その黒瞳が告げている。「なら、どうして病院でエレベーターを待っている時に、『真っ当』って言った直後に、黙り込んだの?」
……はぁ。そういうことかよ。
「現代ではどうか知らねえけどよ、俺は親父に『こういうことする奴は漢じゃねえ!』って言われた事柄が、いくつかあってよ」
親父はタバコばっか吸ってたせいでガリガリだったのに、その体格に反して筋を通そうとする人だった。
家族が贈ってくれた厚めの手帳を収めている胸元に手をやり、それからアイツを見据えた。
「で、親父の教えの一つに、その人じゃどうしようも出来ない事で、その人が気にしている事を言うな、ってのがあってな……家が貧乏だとか、出っ歯だとか、滑舌でうまく喋れないとか、そういう身体や家の事で悪口を言うな、って言われてよ。今は、そういう事を言っちゃいけません、とかって親御さんは教えないのか?」
アイツはしばし考え込むように眼を閉じ、
「……大半の親は、言わないと思う」
そういうとこ、うんざりしちまうな。
舌打ちしたいのをこらえつつ、俺は青い空を見上げて、
「だからよ、あれは俺の完全な失言だったんだよ。悪かった……そりゃ同情してない、って言えばウソになるけど、あのエセ英語採点ウエーブ野郎と同列には見てねえぞ」
「エセ英語採点ウエーブ野郎? 誰?」
「オマエがぶった奴だよ……エクセレントだの、トラッシュだのエセ英語言って、何点だっていつも人のこと採点してるじゃねえか、あのウエーブ野郎。胡散臭ぇったらありゃしねえ」
アイツは納得出来る事でもあったのか、なるほど、と呟いていた。
「そういやオマエ、エセ英語採点ウエーブ野郎と話している時に、俺の方を見てただろう? あれ、なんだったんだ?」
「アイコンタクト」
「何の?」
「味噌汁を彼にかけたいから、離れて欲しいって」
「……今、何て言った?」
「味噌汁を彼にかけたいから、離れて欲しいって」
俺があんまりにも間抜けなツラを曝していたからか、アイツは再度そう言った。
「味噌汁かけんのか、あのエセ英語採点ウエーブ野郎に」
無言で頷くアイツを見て、想像する。
あの見事なウエーブが、味噌汁と中身の具で台無しになる図を。
「はははは、それは大失敗だったな! チクショウ、面白いモン見逃しちまった!」
なるほどね。
あのまま味噌汁かけてたら、俺にもかかるだろうから、しょうがなく差し出した右手を引っ叩く事にしたのか。
笑っていると、アイツはいつも通りの無表情で俺を見上げていた。
「あたしって、おかしい?」
俺は表情を改め、その視線を真っ向から受け止める。
「ああ。俺からすると、狂ってるとしか言いようがない」
ウソをコイツは望まないだろうし、俺もコイツ相手に世辞なんて言いたくない。
「バカみたいに死んで、アホみたいに身を投げて、マヌケみたいに自殺しやがって。そう言うの、俺の時代ではアンポンタンって言うんだ、覚えとけ」
「……あたしみたいな人をアンポンタンって言うの、ウソでしょう」
「さあね? 知りたかったら自分で調べてみな」肩を竦め、道化のように笑う。
これは、病院のエレベーター前で言ったジョークの借り。
「おかしいと思うなら、治せばいいだけの話だろ。テストで失敗したら、本番は失敗しないように練習すりゃいいのと同じだ。違うか?」
んでもって、今のはその利子。これで病院での一件は、チャラだ。
「貴方でも、そういうためになることを言えるんだ」
……オイ……なんだそのビックリしてますと言いたげな眼の丸さはっ!
イラッとくるぞ、今の発言と態度!
「……前々から聞こうと思ってたんだけどよ、オマエ、俺のことを何だと思ってやがる?」
「野蛮で粗暴で女の子相手に平手でぶてる毒舌冷血漢」
「どこの悪魔だそりゃっ?!」
無言無表情で、何の躊躇もなく俺を指差しやがったっ!
病院での一件とか、俺に味噌汁かからないように配慮してた事を知って、ちょっとはマシな印象を持ち始めていたが、やっぱコイツロクな奴じゃねえっ!
眉間の辺りが、脈打っているのが自分でもよ~くわかる。
「オマエ、本当にいい性格してるな? 病んでるのは心じゃなくて性格じゃねえか?」
「貴方みたく根性ひんまがっていないから、性格は大丈夫」
いいだろう。
この際だ、白黒はっきりつけとこうじゃねえかっ!
俺は顔を真っ赤にし、頭から湯気を立てて罵詈雑言をアイツに浴びせ始めた。




