どうしたもんかなぁ
どうにか屋上に辿り着いた俺は、カラッと晴れた青空を見上げて、思いっきり憂鬱なため息をついた。
「あぁ……これでもう完っっ全の、完っっ璧に敵に回しちまったな」
世界一の金持ちに、ケンカを売ってしまった。もう後戻りは出来ない。
なんであそこで、冷静になれねえかな?
頭を冷やして考えれば、あのクソ女にケンカを売っても、百害あって一利無しだ。そんな相手に真正面からケンカ売ってどうするというのだ?
頭が幾分か冷えた今なら、バカな事をした、と思えるのだが、クソ女が再び目の前に立ったら、そんな計算は吹っ飛んでしまうだろう。
「しかし、ケンカ売ったはいいけど、どうするかね?」
それにしても具体策が何もないのに、後先考えずに宣戦布告したのはマズッた。
何より、相談相手が誰もいない、というのが痛い。
アツシに今日の事を言ったら、ツバを飛ばしながら酸欠になってぶっ倒れるまで罵倒の言葉を吐き続けるだろう。ナガイさん辺りであれば、あの素敵な青筋を浮かべた笑顔で、ドラム缶に俺をコンクリ詰めにし、海に沈める事でクソ女の機嫌を直そうとするかも。
「……ドラム缶コンクリ海投棄のコンボは、シャレにならねえぞ」
頭を抱えたくなる……現代で本当の意味合いで『死ぬ』ことはないと言っても、溺死は、すごい苦しそうだ。
「カグラの手が届かない、海外のド田舎にでも移住すっかなぁ。さすがにそこまでは追ってこねぇだろうし」
もう一度大きくため息をつくと、鋼鉄製の扉が開く音が聞こえた。
世界一の金持ちにケンカ売った男に近寄ろうとする物好きなんかいるとは思えない。
いるとすれば、当の金持ちだけだ。
「何の用だ?」
顔を見るのも嫌なので、屋上の手すりに頬杖をつき、ビルの群れを見渡しながら切り出す。
「……ごめんなさい」
?
今、何て言った? ごめんなさい?
声はあのクソ女のだ。何故?
今度は心理的に揺さぶりをかけようというのか?
後ろを振り返ると……表情はほとんど無いが、いつにも増して引き締められた口元のせいか、今まで会った中で、もっとも真摯な態度に見えた。
「貴方の知人には、今後一切手を出させない。貴方も、ここに入学しなくていい。貴方の好きな高校に入学して」
??? 訳がわからんぞ。
クソ女は頭を深々と下げて、
「ごめんなさい」
そう言うと、屋上から去っていった。
*
状況の把握が全く出来なかったのと、校門の位置が正確にわからなかったために、一時間かけて校舎を出ると、そこに待ち構えていたのはナガイさんが運転する車だった。
「? ナガイさん、何かの仕事かい?」
「マズロー様、まずはこちらへ」
とりあえず、促がされるまま助手席に乗り込む。
「で、どうしたんだい?」
「マズロー様は、一体どんな手品を使われたのです?」
「手品って、何だ? 何の事を話しているのかわからない」
アクセルが踏み込まれると同時に、車体が僅かに浮き上がり、ゆっくりと前進する。
「ご謙遜なされなくても。一時間程前、唐突にカグラ家の遣いがやってきました。マズロー様をバリーヒルズ高校に入学させる工作は、今後一切しなくていい、と言う内容でした。しかも、迷惑をかけたと、慰謝料まで我が社とアツシの探偵事務所の口座に振り込まれています」
「……マジ?」
俺の口調からウソ偽りがないと見て取ったのか、ナガイさんはブレーキを緩やかにかけ、車を道の脇に止めてから俺の方を見た。
「マズロー様が手を回されたのではないのですか? 我々はアカリ様の指示を覆させられるほどの人脈を、カグラ家には持っていませんし、勿論それ以外の世界七大財閥にもありません」
今後一切『手を出させない』。アイツはそう言っていた。
アルファード社や二人を脅迫していたのは、他のカグラ家の人間、あるいはアイツの取り巻きだったのか?
もし、アイツが日頃口にしているように、本当に、ウソツキが嫌いなら、俺のブチ切れ気味のタンカで事情を知ったアイツが、この悪どい脅迫を撤回させた可能性は有る。と言うより、俺にカグラ家に知り合いなんて、一人もいやしない。
あの自殺魔を除いて。
「ナガイさん。車、止めてくれ。ちょっと用事が出来たから、先に帰っててくれ」
……ああもう。
登校した時よりも憂鬱な気分で肩を落とし、俺は車から降りた。
俺、アイツ、嫌いだ。
言葉が一々癇に触るし、わけわかんない、って勝手に自己完結しやがるし……何より頭にくるのは、自分の命を何だと思っているのか自殺ばっかしていること。
自殺しようとした時にかわした言葉や、ラーメン屋で平手かました事に対しては、謝る気は無い。その事については、俺は一切悪いと思っていない。
……ただ、今回は俺が悪い。
俺は、アイツに対して、不当な暴言を吐いた。
その謝罪はしておかなければ、人として恥ずかしい。
でも俺、アイツ嫌い、という相反する感情がグルグル胸の中で渦を巻いている。
「どうしたもんかなぁ……」
重いため息を吐き出し、頭をガリガリと掻き毟りつつ、巨大ロボットじみた校舎に戻る為、俺は踵を返した。




