148_帝国激震
バーレン特別州軍が壊滅したと、キミリス城に入った王太子の下に情報がもたらされた。
王太子はまさかこんなに早く負けるとは思ってもいなかったようで、怒りよりも情けなさによって首を振った。
その二日後には西進していた諸侯軍も負けたと報告を受け、天を仰いだ。
「逃げ帰ってくる兵士たちの受け入れと、怪我をして動けないものたちの回収を急ぐように」
王太子はキミリス城に残っていた諸侯軍(主にシュテイン州とバレッド州の貴族)とデーゼマン軍、そして王国軍(キミリス常駐軍)にそう命じたが、ブリッグス団長が待ったをかけた。
「下手に動けば帝国軍と遭遇戦になります。今は逃げ帰ってきた兵士たちの受け入れだけにするべきです」
「なるほど……。ブリッグスの意見はもっともだ。デーゼマン中将の意見はどうか?」
「私もブリッグス団長の意見に同意いたします。これまでに逃げ帰ってきた兵士たちは、皇帝デラーズが前線にいたと言っております。さらに皇帝が指揮する軍は十万にも達するとのこと。おそらく、我々は皇帝にハメられ、まんまとおびき出されたのでしょう」
「帝国皇帝め……狡猾な男だ」
王太子は奥歯をギリッと噛み、顔に悔しさを滲ませる。そのうえでアレクは、提言する。
「敵軍の数はかなり多いと聞きます。王太子殿下にはアレクサンダー城に戻られるのがよろしいと存じます」
「左様にございます。殿下に万が一のことがあってはなりません。どうかアレクサンダー城にお戻りください」
「デーゼマン中将やブリッグス団長が、余の身を案じてくれるのは素直に嬉しい。だが、この事態を招いたのは、余の不徳。ここで指揮を執りたいと思う。皆にはそれを支えてもらいたい」
こうまで言われては、これ以上退去を勧めるわけにはいかない。アレクやブリッグス団長、そして他の貴族たちは、王太子をなんとしても守り抜くことで意見の一致をみる。
▽▽▽
帝国軍に散々な目に遭わされ、這う這うの体で逃げ惑うソルダーク三等勲民は、息子のミディアムの姿がないことにも気づいていない。
暗闇の中で周囲には数人の家臣しかいないことから心細いことこの上なく、不安を隠そうと家臣に威張り散らす。そんなソルダーク三等勲民がぽつりと漏らす。
「なんだというのだ。皇帝が指揮しているなど聞いてないぞ」
皇帝の姿を見たわけではないが、皇帝の旗印が大軍の奥に見えたと物見から報告を受けた。それだけで諸侯は尻込みする始末だった。ソルダーク三等勲民もその一人であり、総司令官がこれでは戦いにならないのも当然である。
ソルダーク三等勲民もまた戦を経験したことのない貴族である。皇帝が怪我をし内乱が続いていると思っていたことから侵攻したのに、皇帝が指揮する十万の大軍に奇襲されてしまった。そうなっては、戦いを知らない貴族たちは右往左往するしかなかった。
戦いも知らないソルダーク三等勲民が、五万五千もの大軍の指揮を執ることなどどだい無理な話だったのだ。ただ家柄がいいだけでは、戦には勝てない。敵が家柄を見て手加減してくれるようなことは、あり得ないのだから。
帝国軍は味方の兵数に倍する兵数を出してきた。士気の差、指揮官の差、そして兵数の差によってソルダーク三等勲民が率いていた諸侯軍は負けたのだが、それさえも当人は分かっていないのだ。
「あの落とし穴。あれは、デーゼマンではないか! 味方を落とし穴に落とすなど、デーゼマンは何を考えているのだ!? これだから平民出は信じられないのだ!」
あの場にアレクがいるわけもないのに、ソルダーク三等勲民はアレクを詰った。誰かのせいにして、自分が悪いのではないと主張するのは、上級貴族がよくやる手である。大概のことはそれで方がつくが、今回はそうはいくだろうか?
やっとのことでキミリス城に逃げ帰ったソルダーク三等勲民は、直ちに王太子の前に引き立てられた。ソルダーク三等勲民は数日の逃亡の末の酷い姿をしていた。
「殿下。此度の件、デーゼマンの策略にございます! あ奴めは、帝国軍と戦う我らを不意打ちし、味方を落とし穴に落としたのでございます!」
ソルダーク三等勲民は思いのたけを王太子にぶちまけた。それを黙ったまま聞いている王太子の瞳には、怒りが溢れていていた。
「ですからデーゼマンを捕縛し、罪を償わせるべきであります」
ソルダーク三等勲民はこの主張が通ると、本気で思っている。それは自分が上級貴族であり、アレクが平民出身の成り上がり者だからだ。さらに言うなら、三等勲民はかなり減ってしまったため、自分は保護されるべき対象だとなんの根拠もなく思い込んでいるのである。
「ソルダーク三等勲民」
王太子はゆっくりと口を開いた。
「はい、王太子殿下」
「なぜデーゼマン中将が味方を攻撃するのか? その証拠はあるのか?」
「味方を攻撃した理由は分かりかねます。それについては、デーゼマンを捕縛し尋問して明らかにするべきでしょう。また、証拠は落とし穴にございます。あれだけの落とし穴を作り出せるのは、デーゼマン以外にいないはずです」
「土魔術士であれば、落とし穴を作ることができるだろう。デーゼマン中将がその落とし穴を作ったと、証明できるのであろうな?」
「とてつもなく大きな落とし穴が、味方の兵士たちを飲み込みました。あれほどの規模の落とし穴は、デーゼマン以外に作れるものではないでしょう」
「ふむ、それほど巨大な落とし穴だったのか?」
「はい。数千人の味方兵士がその落とし穴に飲み込まれていくのを、某はこの目でしっかりと見ました」
「それはいつのことか?」
「七日前のことにございます」
そこで王太子は嘆息した。王太子だけではなく、ソルダーク三等勲民と王太子のやり取りを聞いていた貴族たちも呆れてものが言えなかった。
「七日前のことであれば、デーゼマン中将は朝から余と軍議を行っていたと思うが、ブリッグス団長、どうであったか?」
「殿下の仰る通りにございます。アレクサンダー・デーゼマン中将は、このキミリス城において朝から軍議、昼食を挟んでキミリス城の防壁などの防御面の強化を行っております。また、夕食は殿下を始め、主だった貴族と摂っております。つまり、七日前にこのキミリス城から遠く離れた戦場に、デーゼマン中将がいることは不可能にございます」
「つまり、ソルダーク三等勲民が嘘をついているか、帝国にもデーゼマン中将に比肩する土魔術士がいることになるな」
「そ、某は嘘など!」
「嘘かどうかは逃げ帰った兵士たちに聞けば分かるだろう」
ソルダーク三等勲民はホッと息を吐く。だが、これはソルダーク三等勲民が冷や汗を流すのはこれからである。
「それはそうと、ソルダーク三等勲民はデーゼマン中将に、あらぬ疑いをかけて誹謗中傷したが、謝罪はせぬのか?」
王太子が悪戯っ子のような目をした。貴族というものは、名誉を重んじる生き物である。ちょっと調べれば分かるようなことで、誹謗中傷されたアレクに謝罪することは当然の話である。もし、謝罪がないのであれば、家と家の紛争にも繋がる事柄なのだから、ソルダーク三等勲民は慎重に判断して謝罪するべきなのだが……。
「殿下。某は三等勲民にございます。平民出のデーゼマンに謝罪するなど、ありえませんな」
ソルダーク三等勲民は平然とそう言い張った。これには王太子も笑いを堪えるのに四苦八苦したようだ。




