146_帝国激震
アレクサンダー城にて、バーレン特別州の諸侯が無断で帝国領に侵攻したと聞いた王太子は、烈火のごとく怒った。
開戦を判断するために、自分がここまで出張ってきているというのに、それを無視したバーレン特別州の諸侯への怒りは想像を絶するものだった。
「あの者たちは、王家の威光をなんと心得ているのか!?」
王太子は日頃滅多に怒りを面に出さない。その王太子の珍しい姿に軍務大臣、フェフナー大将、ブリッグス団長、そしてアレクも困り顔で怒りが収まるのを待つ。
だが、その怒りは各州から集まった貴族たちにも向けられ、火に油を注ぐ結果になった。
「殿下。過ぎたことをとやかく言っても仕方がありません。彼らが侵攻に成功した時には命令違反を理由に褒美を与えず、失敗したら罰を与えればよろしかろうと存じます」
王太子の怒りが収まりそうにないと見た軍務大臣が、王太子を鎮める役を買って出た。この場にいる者たちの中で、軍務大臣しかこの役割はできないと言えるだろう。
軍務大臣の言葉を受け、王太子は自分自身を顧みる時間ができた。大きく息を吸って吐き出すと、軍務大臣に感謝の気持ちを伝えた。
「話を蒸し返すようですが、すでに帝国への侵攻は始まってしまいました。よって、今後の対策を考えなければなりません」
フェフナー大将がそう前置きし、地図上の駒を動かした。
「バーレン特別州軍は帝国の南東部に進軍しており、諸侯軍は南西部へ進軍しております」
バーレン特別州の戦力は約一万五千、諸侯軍は約五万五千。キミリス城に入ったのが約五千。
「わざわざ二手に分かれて、後方支援しにくくしてくれた。まったく何を考えているのか?」
ブリックス団長が嘆息する。それはアレクも同じ思いだった。
帝国領に侵攻した以上、戦は避けられない。だから補給を行わなければならないが、二手に分かれてくれたため、補給が面倒になった。
「余は予定通りキミリス城に入り、指揮を摂ることにする」
王太子はキミリス城に入って指揮を執ると言うが、アレクたちはこのアレクサンダー城で指揮を執ってほしいと説得した。だが、王太子の意志は固く、最前線に近いキミリス城に入ると考えを改めない。
説得を諦めたアレクたちは、王太子の身の安全を第一に考え動くことになる。
「それでは、某とフェフナー大将はこのアレクサンダー城に留まり、後方支援を行います」
「うむ。叔父上には苦労をかけるが、補給を絶やさぬように頼みましたぞ」
「はっ」
▽▽▽
バーレン特別州軍が侵攻した帝国の南東部は、森と山が多く思ったような進軍ができていない。
では、なぜそんな土地に進軍したかというと、森と山を抜けた先に海があるからだ。海があれば、塩が作れる。海があれば魚が獲れる。海があれば交易ができる。つまり、海に面した土地は経済力を蓄えるのに、持ってこいの場所なのだ。
バーレン特別州に移封された貴族の多くは、元々はそれなりに豊かな土地を領地にしていた者たちだ。しかし、今のバーレン特別州には目立った産業はなく、困窮している貴族が多い。
移封された時に、石高が半分にまで減らされた元大貴族もいる。それでいて家臣の数はあまり減っていないため、財政は火の車である。そういった貴族にとって、海は正に宝の山に思えて仕方がなかった。
「どこにこれだけの戦力があったというのだ……」
バーレン特別州の貴族であるセジル五等勲民は、帝国軍に包囲された自軍を顧みて、そう呟くしかなかった。
バーレン特別州軍は一万五千、対してバーレン特別州軍を包囲する帝国軍は四万にもおよび二倍以上の兵力である。
そんな大軍が突如バーレン特別州軍を包囲するように現れ、セジル五等勲民は顔を真っ青にして忙しなく周囲を見渡す。
セジル五等勲民は元々三等勲民であった。帝国に奪われた土地を奪い返すために、シュテイン州を始めとした各州の貴族や国が軍事行動を行っていた時、王命に逆らって軍を出さなかったのだ。
セジル五等勲民に先見の明がなかったというべきことだが、本人は運が悪かったとしか思っていない。その運を引き込むのも自分の判断だということを忘れ、酒を飲んでは失地奪還作戦によって大領を得たアレクのことを、口汚く罵ることで憂さを晴らしているのだ。
「閣下! 後方にも帝国の部隊が展開しています!」
「どうやって我らの動きを知ったのだ? どうしてこれだけの軍を動かせた……。帝国は内乱中ではなかったのか……?」
「閣下。ご指示を!」
「分からぬ……分からぬ……なぜだ……なぜ帝国が……」
「閣下!」
「分からぬのだ! どうしたらいいのだ!? どうしたら、ワシは生き残れるんだ! コーエン、どうすればいいのだ!?」
セジル五等勲民には軍を指揮した経験も、戦争の経験もない。勢いに乗っていた時はよいが、周囲が帝国軍に囲まれてしまった今では、何をどうすればいいのか分からない。
「閣下。貴方が指示を出さなければ、誰が出すのですか! 貴方が皆をここまで連れてきたのですよ!」
「そんなこと……言われても……」
血の気を失ったセジル五等勲民は、どさりと床几に腰を下ろした。目から光が失われていく。部下は首を振って嘆息し、「ダメだ」と漏らす。
コーエン家は代々セジル家に仕えてきた家系だ。王家が総動員令を出した時は、当主であるセジル五等勲民に出兵を促し、今回は出兵するべきでないと止めた。
しかし、結果は見ての通りである。セジル五等勲民はコーエンの言葉を聞こうとはしなかった。
「コーエン殿、どうであったか?」
セジル五等勲民のテントを出たコーエンは、貴族たちに囲まれた。
「残念ながら、閣下は……」
首を振る。それで貴族たちに意味が伝わった。
「仕方がない。ここはアッシュ殿に指揮を執ってもらおう」
「そのアッシュ殿も使い物にならぬと聞いたぞ」
アッシュ五等勲民に指揮を執ってもらおうという声があがると、ある貴族がアッシュ五等勲民の近況を語った。
彼らはセジル家とアッシュ家の分家や寄子である。ここまで両家についてきた彼らだが、選択を間違えたと後悔した。移封された時、訣別していればこのような地獄に連れてこられなかったものを、と。
命令もないのに独断で帝国領に侵攻した以上、彼らには戦功を立てるしかなかった。しかし、その戦功を立てる前に帝国の大軍に囲まれ、もはや彼らの命は風前の灯火になった。たとえ生きて帰れたとしても、勝手に戦端を開いたのに負けて帰ったら、彼らは処罰の対象になる。集まった貴族たちに絶望という言葉がのしかかる。
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