第1話:大賢者の昔話
「あー……生き返る。温かいスープが胃に染み渡るわぁ……」
木のスプーンを置いた女性——社畜エンジニアの神月千鶴さんが、深く満足そうなため息をついた。
「いただきます!」の合図から始まった朝食は、相変わらず賑やかだ。できたての湯気が立つ大きな鍋を囲み、翔太も子供たちも夢中でスープを口へ運んでいる。
「助かるわぁ。ここに来てから、本当に『人間らしい生活』を取り戻せた気がする。……そういえば、大将!」
千鶴さんがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、スープの器を置いて身を乗り出してきた。
「前々から気になってたんですけど、大将の口から詳しく聞かせてほしいですよー! 大将って、私たちを助けてくれる前は何やってたんですか?」
「俺か? 見りゃ分かるだろ、ただの大工だ」
「またまた〜! 街の行商から聞いた噂だと、グランフェルト王国の国王様たちの師匠で、50年前に魔王を倒した『伝説の大賢者』だったって話じゃないですか!」
「大将! 俺もそれ、めちゃくちゃ詳しく聞きたいっす!」
翔太も目を輝かせて食いつき、幼い子供たちまでもが「おっちゃん、伝説の人なの!?」「すごい! すごい!」と身を乗り出す。
「……チッ、飯の最中に野暮なこと聞いてんじゃねぇよ」
俺は手ぬぐいでガシガシと頭を掻くと、呆れ顔でスープの器を置いた。
「『大賢者』だのなんだのは、あのガキどもが勝手に言い広めた誇張表現だ。だいたい、俺がこの世界に放り出された50年前なんてな……」
俺はふっと目を細め、遠い目をした。
「……聞きたいか。あの、血と木屑の匂いしか知らなかった昔話を」
まぶたを閉じると、食卓の賑やかな音が遠のいていく。
脳裏に蘇るのは、50年前のあの暗雲垂れこめる空と、破裂しそうなほどの緊張感だった。
◇
眼前に広がるのは、見たこともない巨大な石造りの大広間だった。
天井には荘厳な宗教画、足元には光を放つ巨大な魔法陣。そして、豪奢な衣装を身にまとった見知らぬ大人たちが、息をのんで俺を取り囲んでいる。
(……は? 召喚? 魔王? ……おいおい冗談じゃねぇ、俺は明日も現場があるんだよ)
つい数分前まで、俺は日本の建設現場でノコギリとノギスを握っていたはずだった。
頭の中に直接流れ込んできた「大魔法陣」「異世界召喚」「大賢者としての適性」という謎の単語群。いくら状況を整理しようとしても、異世界の事情など何ひとつ分かるはずもない。完全にパニック一歩手前だった。
そんな俺の前に、豪奢な冠を戴いた初老の男——当時のグランフェルト国王が、悲痛な面持ちで歩み寄ってきた。
「異世界の勇者殿……不躾な呼び出しを許してほしい。我がグランフェルトは今、魔王軍の侵攻により正規軍が全滅寸前なのだ。王都を守る要塞も破られ、もはや猶予はない……」
国王は震える手で、俺の後方を指し示した。
そこに立たされていたのは、十数人の少年少女たちだった。
年齢はどれも13から15歳程度。国家の特命である『広域素質鑑定』によって選ばれた、平民や下級貴族の子供たちだという。
「……お前ら、その歳で何やってんだ?」
俺の問いに、彼らは一斉に背筋を正した。
身の丈に合わない重そうな剣や杖を握りしめ、必死に胸を張っている。
「僕たちは……グランフェルトの志願兵です! 国と、家族を守るために選ばれました!」
先頭に立つ14歳ほどの少年——幼き日のレオンが、上ずった声でそう叫んだ。
言葉とは裏腹に、その脚はガクガクと震えていた。隣に立つ少女も、唇を噛み締め、涙を必死にこらえて強がっている。
彼らは逃げ出したくて震えているのではない。
「国のために選ばれた」という逃げ場のない重圧を背負い、怯えを必死に隠して、大人ぶって強がっているのだ。平民ゆえに文句も言えず、ただ家族や故郷を守るために、震える拳を握りしめて覚悟を決めようとしている。
国王が俺に向かって、深く、深く頭を下げた。
「この子たちは国の宝だ……! 必死に強がり、国のためにと立ち上がってくれた。どうか……どうかこの子たちを死なせないでくれ! 戦い抜き、生き残れる強さを与えてやってほしい……!」
さらに、傍らにいた王室筆頭魔導士が焦燥感を露わにまくし立ててきた。
「勇者殿! 魔法とは体内の魔力を練り上げ、空間に精密な『術式』を組み上げて発動させる高等技術! 彼らにはその時間すら惜しいのです! あなたの絶大な魔力で、どうか術式の指導を——」
その説明を聞いた瞬間、俺の頭の中で『カチリ』と音が鳴った。
(……あぁ? なんだそれ。要するに【魔力=木材やコンクリート】で、【術式=設計図や骨組み】ってことじゃねぇか)
魔力という資材を使い、空間に柱と梁を組む。
どこに荷重がかかり、どこを補強すれば強度が跳ね上がるのか。逆に、どこを叩けば一瞬で全体が崩落するのか——大工として長年叩き込んできた『構造解析』の視点を通した瞬間、世界中の魔法の仕組みが驚くほどシンプルな『建築物』として俺の頭の中に組み上がった。
異世界の事情? 魔王の脅威? そんなものは相変わらずさっぱり分からん。
だが、この世界の理と、目の前にある『事実』だけは、ハッキリと理解できた。
(——ガキがそんな痛々しい顔して背伸びしてんじゃねぇよ、バカ野郎が)
戸惑いは一瞬で消え去った。
俺は大きな溜め息をひとつ吐くと、膝を折り、震えるレオンたちの目の前にドカッと屈み込んだ。
「ひっ……!?」
驚いて身をすくめるレオンの頭に手を伸ばし、ガシガシと乱暴に、けれど包み込むように撫で回してやる。
「おいガキども。国がどうとか召喚がどうとか、そんな難しい顔すんじゃねぇ。お前らが背負うべきなのは国の命運じゃなくて、自分と仲間の命だ」
「な……なにを……っ! 僕たちは、覚覚悟を決めて……!」
「強がんな。震えてるじゃねぇか」
俺はニッと口角を上げ、腰の道具袋から無骨な玄能を取り出した。
「いいか。俺がついたからには、お前らを絶対に死なせねぇ。戦うためじゃなく、生き残るための術(大工)を叩き込んでやる。……腹括ってついて来い!」
♢
これが、俺の50年間の始まりだった。
異世界の事情も知らぬまま、ただ目の前のガキどもを守るためだけに腹を括った、あの日の始まり——。
♢
国王の懇願を受け入れ、俺はその日のうちに「勇者候補」と呼ばれたガキどもを引き取り、王都の隅にある荒れ果てた訓練場へと移動した。
「……あの、義一さん。これからどんな厳しい戦闘訓練が始まるんですか?」
身の丈に合わない大剣を背負ったレオンが、緊張で顔をこわばらせながら尋ねてくる。セシリアや他のガキどもも、かたずをのんで俺の動きを見つめていた。
俺は道具袋から一本のノコギリと、角材を取り出して地面にドカッと置いた。
「よし、まずはこの角材をきっちり真っ直ぐ一分(約3ミリ)幅で挽いてみろ」
「……はい?」
拍子抜けしたように目を丸くするガキどもに向かって、俺は不敵に鼻を鳴らした。
「剣の振り方や魔法の詠唱より前に、手元を狂わせねぇ『身体の軸』と『構造の考え方』を叩き込む。道具ひとつ扱えねぇ奴が、自分の命を守れるわけねぇだろ。ほら、手動かせ!」
後に『大賢者と伝説の勇者たち』と呼ばれることになる俺たちの過酷で泥臭い日々は、剣の振り合いではなく、木屑が舞うDIYの手ほどきから幕を開けたのだった。




