第5話 同じ話を、少し違う順番で
雪が降った夜は、不思議と客足が戻る。
外を歩くのが億劫になるぶん、腰を落ち着ける場所を探すのかもしれない。すすきのの光も、雪に反射して少しだけ柔らかく見える。
店の中も、いつもより静かだった。
グラスを拭いていると、ドアが開く。
冷たい空気と一緒に、白いものが舞い込む。
「こんばんは」
あの女だった。
コートに雪を少しだけ乗せている。
それを軽く払って、カウンターに座る。
前と同じ席。
「寒いな」
そう言うと、女は小さく笑う。
「ほんとですね」
前より少し自然な感じだった。
距離が、わずかに縮まっている。
「何にしますか」
「今日は……」
少し考える。
この間も、もう見慣れてきた。
「同じので」
ギムレットだな、と思う。
「いいですよ」
そう言って、ライムを手に取る。
切る。
絞る。
ジンを入れる。
シェイカーを振る。
氷の音が、規則的に響く。
その音を、女はじっと聞いている。
「その音、好きなんです」
ぽつりと言う。
「そうか」
「前にも言いましたよね」
手が止まる。
「……言ったか?」
「ええ」
女は頷く。
「同じこと」
記憶を探る。
だが、出てこない。
「すまないな」
正直に言う。
女は少しだけ首を振る。
「いいんです」
グラスを差し出す。
女は受け取って、一口飲む。
それから、少しだけ間を置いて言う。
「この味も、同じですね」
「そうだな」
「でも——」
そこで止まる。
「でも?」
聞き返す。
女は少し考える。
「前は、もう少し酸っぱかった気がします」
その一言に、わずかな違和感が走る。
「分量は変えてない」
そう言う。
「そうですよね」
女はあっさり頷く。
否定もしないし、納得している様子でもない。
ただ、そう言っただけ。
グラスを回す。
氷が鳴る。
その音が、少しだけ違って聞こえる。
「雪、好きですか」
女が聞く。
「どうだろうな」
少し考える。
「昔は、嫌いじゃなかった」
「今は?」
「面倒だな」
正直に言う。
女は笑う。
「分かります」
その笑い方に、少し安心する。
自然なやり取りだ。
「前も、そう言ってました」
その一言で、また崩れる。
「……そうか」
「ええ」
女は当たり前のように言う。
「雪は面倒だって」
記憶がない。
だが、違和感はある。
言いそうなことではある。
だが、それを“言った記憶”がない。
「覚えてないか」
聞く。
女は少しだけ考える。
「覚えてますよ」
静かに言う。
「全部じゃないですけど」
その言い方が、妙に引っかかる。
全部ではない。
一部だけ覚えている。
それは——
「順番が違うだけかもしれません」
女が続ける。
「順番?」
「ええ」
グラスを見つめながら言う。
「話したことは、たぶん同じなんです」
少し間を置く。
「でも、順番が毎回違う」
その言葉に、背中がわずかに冷える。
「……どういう意味だ」
「分からないです」
女は首を振る。
「ただ、そういう感じがするだけ」
曖昧な説明。
だが、不思議と納得してしまう。
これまでの違和感と、繋がる。
同じことが起きている。
だが、並びが違う。
順序がズレている。
「それでいいのか」
思わず聞く。
女は少し驚いた顔をする。
それから、柔らかく笑う。
「いいと思いますよ」
あっさりと言う。
「全部同じより、その方が面白いじゃないですか」
その言葉が、妙に残る。
面白い。
そういう問題なのか。
グラスが空になる。
「もう一杯、いきますか」
聞く。
女は少しだけ迷う。
「……今日はやめておきます」
この間も、どこかで見た気がする。
立ち上がる。
会計をする。
ぴったりの金額。
これも変わらない。
ドアに向かう。
その前で、少しだけ止まる。
「また来ます」
振り返らずに言う。
「順番が変わっても」
その言葉を残して、外に出る。
ドアが閉まる。
雪の音だけが、わずかに残る。
しばらくそのまま立っている。
カウンターに手をつく。
「順番、か……」
小さく呟く。
これまでの違和感が、少しだけ形を持つ。
同じ出来事。
違う並び。
だから、覚えているようで、覚えていない。
だから、同じ人間が違って見える。
だが——
それが本当だとしたら。
今、この瞬間は、どの順番の中にあるのか。
グラスを片付ける。
氷が静かに溶ける。
その音が、やけに規則的に聞こえる。
まるで、決まった順番で鳴っているみたいに。
ドアの方を見る。
次に来るのは、誰か。
それとも——
もう来ているのか。
分からない。
ただ一つ分かるのは、
この夜は、一度きりではないかもしれない、ということだった。




