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星

 小山田出羽守と真田幸綱の行軍は、明け方には出発したというのに夜になっても到着しなかった。月と星の明かりだけが地を照らし、自然色はすっかり姿を消して黒の濃淡だけがそこに居座っている。

出羽守は北極星を指差す。


「あれが北辰。天の星の配列は日や月ですらも動くのというのに、満天の中で唯一つ動かないのが北辰であり妙見菩薩の光なのだそうだ」


「へえ、そうですか」


「真田殿とも全くの無関係ではないらしいぞ。同じ滋野氏の望月は九曜紋というのを使っているだろう」


「ええ、あれは満月を意味していると聞き及んでいますよ」


「それが、太古の昔には月の他にもう一つの意味があったらしい。その意味とは、中央の星を北辰つまり妙見菩薩と見立て、八曜はそれぞれ不規則な動きをする星に割り当てられているのだというのだ。密教には宿曜道といって、その動きを読むことで未来を読むことができる者がいたらしく、山伏の中には秘法としてそれを受け継いでいる者もいるはずだという」


「本当に未来を読む者がおると考えられますか」


「その予兆は持っている者が一人だけいるのは知っているが、あれが星を見て何かを知るのだとは到底思えんのよ。真田殿は如何か?」


「宙の星など眺めたこともありませんが、碁盤にも星というものがありますから。そのことを如何に考えるべきかは、判断を致しかねます」


 出羽守は行範の受け売りで話していることを隠さずにいてスノッブな態度ではなかったから、偉そうには見えなかった。

幸綱も受け売りであることには気付いているけれども、心の中でも馬鹿にするようなことはなかったし、むしろ良い事を聞いたと思った。幸綱は先祖来の紋の意味を少しだけ理解することができたので、一帯を平らげた後に滋野氏の家伝を作るのに役に立つなどと考えていた。


 この頃、星を見るという行為そのものがすっかり廃れつつあった。そもそも日本の人というのは日や月が好きであって様々な暦を作っている割には、星は好きではないようにみえる。

確かに妙見信仰は各地に残っているのだが、その由来はどうも忘れられがちで多くの人々にとって何を崇めているのかも分からない有様であり、星の読み方を知る者は海と山にしかいなかった。

占星は廃れ、方位を知るための実用だけが残ったのだ。


◆◆◆


二人が砥石城に到着した頃には、すっかり深夜であり少数の見張りを除いて、諏訪からの比較的長い旅や前日の深夜の戦いの疲れから多くが寝静まっていた。

城の建物の多くは焼け落ちており、黒焦げで放置されている櫓なんかも多かった。とはいえ堀などはしっかり残っているわけだから、防衛の拠点としての役目は十分に果たせそうでもあった。

晴信は起きて待っており到着した二人を労っていたのだが、矢沢源之助は兵と一緒に寝ていたところを飛び起きて兄と対面しにやってきた。


「久しぶりじゃないか兄貴。俺の妻子は無事なんだろうな」


「無事だ。今は郡内にいる」


 源之助はまず自分が出していた人質の安否について幸綱に確認した。晴信は勿論その安全を保証していたけれども、それを源之助が信用していたのは兄の幸綱が責任を持つという約束だったから、幸綱に確認したのである。

晴信は、重臣たちの前で「矢沢の人質の処遇については心労もあるだろうが、忠臣として為すべきことを為せ」と、幸綱に対して言った。このことを重臣たちは「あえて兄のお前が弟が差し出した人質を殺せ」と解釈した。だから真田に預けることとなって問題となった人質の件が沙汰止みとなったのであるが、幸綱だけは晴信の言葉を「砥石城の攻略に力を尽くすべし」と読み替えていた。


 晴信は嘘をつかないで人を騙してしまうことが多かった。何よりもまず良心が傷まないし、嘘をついてはいないから見破られることもない。

とはいえ甲斐府中にいてはまずいだろうということで移されたのが郡内の谷村である。

なぜ郡内が選ばれたのかといえば、小山田の地である郡内には武田家中の者は勝手に入ることはできなかったからだ。それは晴信も例外ではない。


 ところで、源之助は目の前にいるのが出羽守であると認識していなかった。


「ははーんっ。郡内領主の出羽守様は笠原の女も奪って側室にしたという大変な女好きで知られているから、うちのも手を出されないか心配だなぁ」


 幸綱はいったん天を見上げて出羽守にどの面下げて頭も下げたものかと考え始めたし、出羽守も怒っているというよりは、こうも公然と言われると苦笑いして何を言うべきか困っていた。

ただ一人ここで自由に振る舞える晴信は、何気なく指摘した。


「そこにおるのが出羽守だぞ」


「えっ」


 源之助が硬直しているところ、出羽守がようやく話し始めた。


「あのなぁ、俺の妻も子も甲府の屋敷にいて、今や俺自身はほとんど郡内に帰らない。そもそも俺が色気に走っているのなら、笠原から分捕った側室を甲府の屋敷ではなく郡内に送るのは、どう考えてもおかしいだろう。これを誰も不思議には思わないことが、俺にとっては不思議なことなのだが」


「言われてみればその通りですが」


幸綱は平静をようやく取り戻していたが、出羽守の言うことに少し盲点を突かれた感があった。


「取次をやっている北条の陪臣に笠原の同族がいるから、笠原の妻子は相模に送っただけのことだ。開城については折り合えなかったが助命はしてやるという約があったからな。ただ助命するというわけにはいかなかったから、名目としてそのようにしただけのことだ」


「なんとまあ」


 源之助は出羽守に非礼を詫びて、深く深く頭を下げた。出羽守は「そういう風にみえるように動いているのだから詫びることはない」といって、それを許した。

これにて信濃平定編は終了です。なんか書いてるうちに長くなってしまいましたが。

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