自然居士
宮についてみると既に中々に盛況で、予想された通り女性が多いのだが、地元の百姓たちだけではなく商人やら在番の武士なんかもそれなりの数がいる。社殿を舞台とするようで、正面は誰が座るのか決められなかったのか、誰もおらずに空けてあった。
こりゃ幸いだなと勝手にどかっと座ってしまうと、周囲が波を打ってわしらから間隔をとった。皆からすると、何者か分からないが二人の男はやたら立派な着物で色気があったし、師は袈裟も所作もそれなりに高位の僧であることは明らかだったし、それを引き連れている童子はやたら態度が大きいようにみえるのだろう。
気分は王様である。
猿楽の演目は熊野ではなく自然居士であった。
「熊野ではなかったな」
「子方を使いたかったのではありませんか。熊野では役がありませんから」
「シテの子なのかねえ?それにしてはと思うのだが」
多分デビューしたばかりなのだろう。素人の子が舞台に上がっているようにみえる。
「そういうこともありましょう。自然居士が難しいのは子よりもシテですからなぁ」
自然居士というのは若い説教師が、人買いから幼女を救い出すというストーリーで進む。この救い出す過程が重要なのだ。ここで居士が人買いに披露する芸が、この良し悪しの全てを決定してしまう。
「あなた様はまるで自然居士とはあべこべで御座いますな」
大弐は虚ろ気な顔で、現実と猿楽の境界を探っていた。
「わしが童子なのにシテで、子方がそなたらであるという意味か?逆に銭を与えて衣を買わせた人買いに近いからか?わしが芸達者ではないという意味か?それとも自然居士と比べて信心の深さが足らんという意味か?」
「はあ、全てですな」
「それは、お前たちが小袖と諷誦文を納めて両親を供養しようとしないからだ。わしは信心が深いから、お前たちがそのようにしていれば、自然居士と同じように涙を流しながら供養してやろうとしただろう。わしの生まれは極楽浄土なのだから。それに、わしほどの人物ならば素晴らしい舞を披露することも出来ただろう。ナンマンダブナンマンダブ」
大弐は全く笑うことがなかったけれど、二位は大弐と違ってわしの冗談でよく笑ってくれる。やっぱり、笑ってくれる方がうれしい。
◆◆◆
しかし今回の自然居士は酷かったのである。やはりシテが下手だとどうしようもない。喝食面をつけたシテは長身で見てくれは悪くなかったが、舞が最後までてんで駄目だった。あれでは子方に舞わせた方がマシではないのか。
流れの座なんてものは実際のところ男も女も色を売るためにやってくるようなものだから、別に猿楽の出来などどうでもいいのだろうか。
それが大弐には分かったので、自分と重ね合わせることがあったのかもしれない。表情が虚ろだった理由が少しわかる。
「そもそも土百姓に舞の良し悪しは分からんだろうから、どうでもいいことではないか。熊野をやれば比べられるだろう。優れたやり方である」
これが励ましになっているかどうかも分からないが、大変よくないことを励ましのつもりでぼそっと言った。
わしも実は良し悪しがそれほど分からんから、父はともかく母は土百姓の生まれなのだと思う。それでも分かるくらい酷いのだが。
この演目、途中に「人買い船!」と叫ぶ場面があるのだが、そこで「甲斐なら居士も売られるぞ」と野次が飛んでいた。
ちょっとだけ静かになったので最後まで続けられるか不安になったが、じきに笑いがあちこちで起きはじめた。こういう野次も含めて、客はみな最後まで田舎的な暖かさがあった。
この暖かさから、一座はいくらかの稼ぎを得たであろう。
◆◆◆
客は満足していたが、わしは帰りに少し不満を言った。現代の能は一度だけ見たことがあるけれど、それに比べると全てが安っぽい出来であった。
「あの舞じゃあ娘は帰ってこんぞ」
「ここは甲斐ですから人買いに舞の良し悪しは分らんということではないのですか?」
大弐はチクリとわしに釘を刺した。あまり文句ばかり贅沢ばかり言うものではないということか。
「しかしなあ、自然居士が都に連れ帰った娘はどういう命運が待っているのだろうな。まさか尼にするわけにもいくまいてよ。かといって居士は坊主にもなれるか怪しい身だろうし、身請けができると思えん。どうなるのだろうな」
「そう長くはないでしょうな。人買いに連れて行かれる方が良いということすら有り得るでしょう」
大弐はどこまでも悲観的で、表情が乏しかった。




