模様を囲うな
武田晴信と春日虎綱は碁を打っていた。二人の実力は割と近いのだが、最近は虎綱が勝ち越している。若いから伸びしろが大きいのだというのもあるが、あの子と打っているからだろうとも虎綱は思っていた。
「小山田の出羽殿が快復されました。一刻も早く戦に出られるようにと、屋敷の庭で槍を振り回しておられるそうで」
「ああ、あの子が連れてきた山伏が治したとかいう話か。ここで一生懸命その御利益を語っておったぞ。真言は効くとかなんとか」
「そうですか」
出羽殿も色々と思うところあって誤魔化したのだろうが、それはそれで馬鹿とみられても仕方ないだろうと虎綱は思ってしまった。まともな真言密教の坊主なら、そんな詰まらない現世利益は保証しないだろうに。山伏ならそういう者もいるのかもしれないが、やはりそれを信じて治ってしまうのは馬鹿にみえる。
まあ、信じて治ったから馬鹿なのだが。
「あの子は様子は?」
「模様は囲わない方が良い場面が多いのだとか」
「何故?」
「曰く『模様を囲えば相手にも囲われることになる。むしろ模様に打ち込ませることによって敵の石を殺すことができるかもしれないし、殺せなくとも攻める方向を選べば敵の模様を削ることができるかもしれない。それは殆んどの場合、囲うよりも有益である。もし囲うときには、それらを勘案してから囲うようにせよ』とのこと。屋形様の気風には合いませんかな」
晴信はどうも実利ばかりを気にして模様を囲ってしまう癖があり、そこを虎綱に突かれてより大きく囲われることが負けの方程式だった。
それでも晴信は、ちょっと渋い顔をしてから、やはりそのまま囲い始めた。
「最近の信濃の様子は良くないと言われておるようだ。儂の考えではそれほど悪くはないのだが。むしろ良いと言っていい」
「良いのですか?」
虎綱は少し意外そうな顔をした。
信濃国守護の小笠原長時が村上と手を結んで、諏訪社の御柱祭を潰してやろうと下社周辺に放火して荒らし回ったらしい。
彼らはそうやって武田に恥をかかせてやることで、諏訪の状況を動かしたいのだろう。村上は上田原以降、佐久でも似たようなことを仕掛けていた。
諏訪の上原城にいる武田信繁はこの状況を上手く捌いているとは言えたが、良い状況であるとは言えないだろう。
「あまり佐久と諏方を固めることに時間を割いていると先が苦しくなる。少々荒れている方が一挙に北信まで迫ることが容易になる。模様は囲わない方がいいのだろう?」
虎綱はあまり善悪には触れずに答えた。
「御柱祭の件ですが、典厩様はそのまま行ったと。人夫は集まらんかったようですが」
「それでよい」
「よいのですか」
晴信は考える。
他人の世評を気にするよりも、自らの世評について少しは思うところがないのだろうかと。
自らの世評を気にするものがいないからこそ、信濃の諸勢力は常にまとまりを欠いているのである。
諏訪の社人たちは支配者である武田の恥を気にするよりも、祭を潰されそうになった自らを神に対して恥じるだろう。その憎悪がどこへと向かうかを考える必要がある。
そもそもが信濃国を守護しているというのに、信濃国一宮である諏訪社の祭を潰してしまおうと考えるのがどうかしている。
武家とはなんぞや。本末転倒ではないか。
そして晴信は、自らが全ての原因である侵略者であり、しばしば同じことをしているのを忘れていた。
晴信は諏訪社への信仰篤く、諏訪神号旗を掲げて戦地を回っていた。その旗は晴信の直筆である。
彼は諏訪社の大祝であった諏訪頼重・頼高の兄弟に勝ったのは、諏訪大明神が単なる神職に過ぎなくなった大祝ではなく軍神となるべき自らを選んだからと、固く信じていた。
そして、今もそうである。
虎綱も考えていた。
そもそも上田原で負けるようなことがあったから、このような事態になっているのである。
その後の軍議で屋形様は「板垣には少し強く言っておくべきだった」と神妙にして責任を認めたが、ここに屋形様一流の技術がある。
少し考えれば、これは「儂の言うことを聞かなければ板垣のようになるぞ」と言っているも同然なのだが、神妙にしている屋形様をみるとそのような考えが浮かばないのである。
これを成立させることで、屋形様は負けを勝ちに変えたのだと思った。
もう一つ分かってきたことがある。屋形様は戦を長い時間で捉えているということである。
一戦一戦の勝敗ではなく、最終的に信濃全域を支配するためには何が必要であるかというところから逆算して、戦を行うべきか避けるべきかを選んでいるように思う。
だから、小さな単位で勝つか負けるかはそれほど気にしておらず、最終的に勝つためなら一時の敗北にも平然としている。
あの子が「善光寺平まで達したところで漸く五分」と言ったことが、屋形様と同じ考えであったことに、ようやっと気付いた。




