鬼の勝ち方
天文十六年(1547年)秋
今年の秋は大風もなく平穏に終わりそうである。酒折宮での騒動の後、郡内から武士が入ってきた理由はすぐに分かった。武田は大軍で笠原という佐久郡の国衆を攻めたのだそうだ。
この笠原を助けんがために碓氷を越えて来援した上杉勢であったが、板垣信方らが小田井原で散々に破ってしまった。
武田勢は斬った上杉勢の首を笠原の籠った志賀城の見えるところに晒し、士気を下げようと考えたらしい。将の首は槍で、兵の首は棚で晒したという。
これは表向きの話であり、首を晒すに留まるような美しい策ではなかったともいう。
何者も怖れることがない兵たちが、晒していた首を堀に投げ込んだというのが実相だったらしい。しまいには誰が一番遠くまで投げられるかを競って遊んでいた有様で、遠くに投げる者があると武田勢から大きな歓声が上がったという。じきに堀には首がゴロゴロと転がって腐敗が進んで朽ち果て、城兵の士気はますます大きく下がった。
単に城が囲まれ水を断たれて飢えたとして、囲んでいるのが鬼でなければ地獄ではないというのが、晴信公の考えなのだろう。
志賀城は落ち、城内の者は全て人買いに売られたという。
◆◆◆
春日虎綱はぶすっとした表情でいた。わしは星への両ガカリ定石を虎綱に教えたのだが、その後に指導するといって互先で対局すると、両三々の布石で打って手抜きには手抜きで対応したからである。
ところで、自分の打った隅に手を抜いて両ガカリを許すのは、従来あまり良い打ち方とはされなかった。AI時代に入ると、それまでの定石や考え方は単なる先入観でしかなかったという面が顕になってきた。秀策のコスミの見直しやダイレクト三々の隆盛もそうだが、両ガカリも同様である。
本題に戻って、わしの教えも役に立たない場合がある。それが今だ。
「先程までの教えはなんだったのでしょうか?」
指導してやるといって打ちはじめたのだから、虎綱の言うことも当たり前ではある。さっきまで教えていたことがまるで役に立たない。わしは開き直って言った。
「戦も碁も同じでありますれば。常に相手の予想を上回ることで勝つこともできるでしょう。だが、予想を裏切ってしまえば楽に勝つことができる。道が細かったとしても、決して楽な道を避けてはなりませぬ。これも教えに御座いますな」
「それはそれは有り難い教えでございました」
虎綱は大きくため息を付いた。これ以上言ってもどうにもならんと思ったのか、話を変える。
「小山田の出羽殿とお会いになったそうで」
「ああ、とんだ狼藉から助けて頂きました。何か言うておりましたか」
「出羽殿は『手勢の者が乱れるのはいつものことだから、女子を助けるついでに一罰百戒と誅したまでは良かった。そこで助けた女子は幼いが大変に美しかったので、買って倅の相手にやってしまおうかと思った。ところがよく見ると、男子だったから驚いた』と仰っていました」
虎綱はここまで話して、笑いが止まらなくなってしまったらしい。涙を流しながらヒイヒイ言っている。わしは呆れて言った。
「そんなにおかしいですかな?」
「出羽殿は衆道を好みませんからな。戦の合間にも女はどこだと常々口にしておられるような方で御座います。幼子とはいえ男女を見間違うほどとは、余程に美しかったのでしょう。いやはや、某も確かに美しいとは思いますが」
ここでまた笑いが止まらなくなったらしい。まるで全身が痙攣するように、のたうち回り始めた。
「続きがあるのでしょう」
無表情になって促したところ、やっとのことで笑いを止めた虎綱は向き直って言った。
「それでしたら『しかも自らは日本武尊の生まれ変わりであると称し、帝の使いよりも尊大な態度で身共に接する。普通、あのような童子は刀を恐れるし殺生を前にして落ち着いていることがない筈だ。それなのに表情が一つも動かん。本当に憑いていた。別れ際に全く切れそうもない短刀を下賜されたが、あれはどういう意味だろうなあ』とのことで」
このとき虎綱は、早口で低い声の普段とは違う話し方をした。出羽の物真似なのだろうが、あまり上手くはなかった。
しかし助けて頂いた礼をした割に感謝が伝わっていないのは残念である。
あの短刀は持ち物がそれしかないから、くれてやっただけだ。
尊大だとは言うが、わしが誰なのかを考えると尊大とも言えない。むしろ今は虎綱に対しての言葉遣いがおかしい。
出羽がわしを知らなかったのもあるのだろうが、百姓上がりの春日とは違って、国衆である小山田に対しては別の礼法が必要であったのかもしれない。
わしは尋ねてみた。
「助けた小僧から短刀を貰ったというだけのことだろう。わしは何か間違えましたかな?」
真摯に尋ねたのに、返ってきたのは笑いながらの嫌味であった。
「さあ?予想を裏切ったからではありませんか?」
仕返しとしてはまあまあの出来であると思う。目の前にいるのが五才児であることを考えないという条件付きの話ではあるが。
◆◆◆
この時から虎綱は政の話をわしにするようになった。真田や矢沢と話していたのを知って制限することに意味を感じなくなったのか、それとも屋形から指示があったのか。わしは虎綱の性格からすると、後者である気がする。
「そういえば出羽殿ですが、笠原新三郎の室を獲ってきて妾にしたそうです。その他にも乱取りが止むところがありませんでした。少々やり過ぎたやも知れませぬが、降らなかった者たちに対して禁制を出すわけにも行きませぬ」
兵を出すからといって、どこでも乱取りをしていいというわけではない。降った衆や村や寺社などは禁制という触れを出すのだ。この禁制があるところで乱取りを行えば、逆に将兵の側が処罰されることになる。禁制で保護することによって多くの人々を味方につけるのである。
だからといって別に武田が優しいわけではない。
逆に、早くに降れば禁制を出して守ってやるが、降らなければ焼いて奪って殺すという脅しの意味でしかない。だから、あまりに綱紀が緩んでいるのを危惧したからといって乱取りを止めるわけにはいかない。それでは禁制を出す意味がない。
虎綱は晴信公の言葉を借りて、今度の戦を総括した。
「屋形様は『勝ちは五分が上、七分が中、十分が下だ。五分は励、七分は怠、十分は驕を生じる。十分の勝ちを得ても、驕を生じれば次には必ず敗れる』と、そう憂いておられました。勝ち過ぎましたかな」
わしには晴信公の言葉が示しているのは、虎綱が考えているのとは全く別のことに聞こえた。
晴信公の最も深い理解者である虎綱が言うなら、彼の解釈が正しいのだろう。
しかし、それでは神学論争にならずつまらんのである。
遊びだと考えて自分なりに考えたことを話してみることにした。
「勝ちに過ぎるということはない。驕が生まれるのは五分の勝ちを十分の勝ちだと思い違えているからだ。次の戦はないと確信するまで勝つのでなければ、それは十分の勝ちではない」
言葉遣いが少し変わったことに虎綱は訝しげにしたが、構わず続けた。
「上杉を追い笠原を討ったとして、それは五分にも達しておらん。春日殿、勝ち過ぎたなどと考えているそなたにも既に驕りがあるのだ。屋形がどこまで先を見通しているかは分からんが、わしは善光寺平まで達したところで漸く五分だろうと思う。そこまで見通してこそが上だ」
虎綱は首を横に振って言う。
「それは屋形様の言葉の後半に繋がりませんが」
やはり彼にとって晴信公の言葉は絶対であり、伴天連にとっての聖書の一節なのである。わしの正しい言葉などいくら聞いたところで、伴天連に経を読ませるが如く意味がない。彼は、わしが晴信の言葉を正しく解釈することを期待している。別の人間であるわしの正しい言葉をぶつけたところで、何一つ彼の考えは揺らがないし面白いとも思わないのだろう。
少し声を潜めて言った。
「いいか春日殿、もう一つの考え方がある。これは屋形の言葉と思ってよーく聞かれよ。十分の勝ちでは甲斐の国衆や家臣を掣肘できん。勝ち過ぎれば増長し、いつかは不満を持って牙を剥く。適当に負けて死んでもらった方が良い老人もいるのではないかな。武田は分家が多すぎるから、減った上で勝つのがより良いだろう。要するに、それが五分の勝ちだ」
武田の分家で力を持っているものといえば……つまり、この『老人』が板垣と甘利を指しているのは明白だ。
虎綱はようやく満足し、だからこそ何も答えなかった。




