さいごのブルークリスマス
その夜、課長は街を歩いた。
クリスマスがもうじきやってくる。課長にとって最後のクリスマスだ。
目の前に三階建てビルほどの高さの人工クリスマスツリーがあった。
コンクリートの幹にプラスチックの葉をつけたモミの木。
金色の星が無数に飾りつけられ、さまざまな色に輝くたくさんのデコレーションボールがつるされている。
その木の下を、勤め帰りの人々が足早に歩く。人々のなかで立ち止まって、課長はその木を見上げる。
すると不思議な感じ。
課長が課長の体を離れて、ツリーのてっぺんの大きな星の飾りのところまで昇った。
昇った課長は、見上げる課長の顔を見下ろしている。自分が自分から離れて、死を目の前にした男の顔を眺めていた。
「まあちゃん、まあちゃん」
そう、私は課長・田村正夫。まあちゃんとは、小さい頃の課長の愛称だ。
星の上から、下界にいるまあちゃんに自分が呼びかけたのだ。
課長は天上にいるみたいなもう一人の自分に手をふった。そしてまた街を歩く。
色々なものが目にうつる。
ライトアップされたビルの窓、イルミネーション、お菓子屋さんのショーウィンドウ、並んだケーキ、つれだって歩く奇麗なドレスの女性とトレンチコートの男、蒼い噴水、コンクリート舗道の煉瓦色の敷石、ガードレール、並木の黒い影・・・
乱雑に目に飛び込むひとつひとつが、まるで、違う星の物体に見えた・・・
私はもうここに存在していないみたいだ。
いやだ、いやだ。いやな気持で、でたらめに歩いたら、本屋で立ち読みしていた。
手にしていたのは、有名人たちが臨終の際にどんな様子だったかを書いた嫌な本だった。
四十七歳で死んだ人は、大正天皇、新島襄、コルべ神父、カミュ、夢野久作、アラビアのロレンス、四十六歳だとケネディ・・・
そうか。わたしゃケネディ大統領よりも、すでに一歳長生きか。
いつの間にそうなった、田村くん。いやあ、でももう、あと半年ですよ、田村くん・・・
課長はうすぐらいショットバーに入った。
白い服がやってきて、白い歯がみえた。
何か注文した。水色の液体が注がれた逆三角形のグラスを爪ではじいた。
飲んだ。もっと強い酒を注文した。飲んだ。それを何度もくりかえした。
店の客たちが目に入る。みな宇宙人のようだ。
「・・・・」
ごくごくとカクテルを飲み、すると一筋、涙が流れ出た。
もうすぐクリスマスか。
いつ店をでたのかわからぬくらい酔っていた。課長は歩いた。
気がつくと、大きなホテルの入口前に立っていた。
クラシックで荘厳な石づくりの建物。ぼんやり柔らかな光をまとっていた。
ぴかぴかの真鍮で枠どられたガラスの回転扉にすべりこみ、そのホテルの中へ入った。
ボーイがとんできた。真紅の服、金モール、また、白い歯。
いつのまにか白いテーブルの前にすわっていて、目の前にスープ皿が見えた。
縁が厚めの安定した真っ白な皿に、透明な黄金色のスープがゆったり注がれた。
コンソメスープだった。課長が手にしたのは、使い込まれて微細な傷が無数にあるスプーン。
かじってみると銀の味がするなつかしいスプーン。
コンソメスープの味は極上。
課長は目を閉じて夢見ごこちになった。
次に気がつくと、部屋の中にいた。
そのホテルの部屋だ。どうやら課長はそのホテルに泊まることにしたのだ。
その部屋は、すべてが好ましかった。
濃い茶色のドア、漆喰壁、ベッド、間接照明、カーペット、家具。いつまで見ていても飽きない空間だった。
ベッドに横たわり、天井を見て、ぼんやりした。目を閉じた。
すると、そのとき課長は思った。
「まあちゃあん」
という誰かの声のほかに何の音も聞かなかったのじゃなかったっけ。
何の音も覚えていないじゃないか。
そうだ、何も音がしなかった。
世界の音が死んでしまったのだ。
「そうか・・・」
課長は眠りに落ちた。
それから何時間が過ぎたのだろう。「音」がした。
大きくて鋭いびっくりする音。
それは「ピン!、ポン!」というチャイムだった。
課長は飛び上がるかのように目覚めた。
課長はドアの前に立った。
・・・つづく




