7:契約の壁
「さて、契約について話そうか」
イーサンが手に持っていたブリーフケースから2枚の契約書を取り出し、ボールペンを添えテーブルに並べる。
分厚く上質な紙だ。
イーサンは1枚をアンジュへ、もう1枚を自身へ向け契約書を読み合わせる。
1、スポンサー契約について
スポンサーは、レシピエントに対し、援助金を提供する。
2、援助の趣旨
本援助金は、スポンサーの自由意思および善意に基づく支援を目的とするものである。
3、返還義務
本援助金について、レシピエントはスポンサーに対して返還義務を負わないものとする。
4、見返り
スポンサーは、レシピエントに対して見返りを一切要求しないものとする。
5、その他
本契約に定めのない事項については、誠意をもって協議し、解決するものとする。
そして、用紙の1番下
スポンサー欄に「E.Wagner」とサインされていた。
レシピエント欄は空白だ。
「僕は2枚ともサイン済みなので、あとは君の名前を書けば契約は結ばれるが……」
イーサンは用紙右肩の余白部分を指差した。
「しかし、サインをしたところでこの契約は有効にはならない。契約日を入れなければいけないが、ここで問題がある」
イーサンは目線を契約書から離し、アンジュの目をじっと見つめる。
「君は19歳だと言った。残念だが双方が成人でなければ、このスポンサー契約はできないんだ。下調べが甘くてすまない」
申し訳なさそうに眉を下げるイーサンの話にアンジュは、自分の顎先に指を添え少し考えるような素振りをした。
「そこで僕から重ねて提案がある」
ふぅ、と口から息を吐くイーサン。
「多額の資金援助は難しいが、君が成人するまでの間、少額の援助を重ねたい。
週に1度以上、書面を交わさずに援助を行う。
税金の兼ね合いがあるから足がつかない直接の手渡しが手っ取り早い。そしてこれが本日分だ」
蓋が閉じていない真っな封筒をアンジュに差し出す。
アンジュは封筒の口から中身を覗く。
あまりの分厚さに怖気付いた。少額とは言い難い。
「えっと、ちょっとまって、こんなにもらえない」
この堅苦しい契約書は一体?
流れるように進む提案は何?
パパ活ってこんな感じなの?
混乱するアンジュとは対照的に、イーサンがわざとらしく困った顔をする。
「発起人の僕の顔を立ててどうか受け取って欲しい」
頼むよ、と食い下がるイーサン。
うーん、と少し悩むアンジュ。
前金を渡してくるというのは単純に契約までの繋ぎのため?
契約書には公言についての記載はないけど口止め料として?
夜に働かなくても良いように、という名目にしては大きすぎる金額。
そしてこの契約はスポンサーが主導権を握っているようでそうじゃない。
何か問題が起きた時、契約書をチラつかせたて脅すことができるのは、被支援者である私だ。
まるで彼のためではなく、私のための契約書に思える。
彼に理由を聞いてしまえばいいものを、聞いてしまったらこの関係が終わってしまう気がした。
しばらく間が空いたあと、アンジュが口を開いた。
「じゃあ、私が領収書を持ってくるから、その分を都度ください」
まさかの提案返しにイーサンは驚いた。
アンジュは考えるのをさっさとやめて、置かれたペンを手に取り、スラスラとレシピエント欄にサインを書き始めた。
「A.Porter」
アンジュ・ポーター。
「私の誕生日は11月なの。11月11日、覚えやすいでしょう?」
そう言って出来上がった契約書の2枚の内1枚を手に取り、もう1枚をイーサンに向けて返した。
「11月に一緒に日付を書きましょう」
ね?とアンジュがにっこりと笑みかけ、ぼんやりと頷いたイーサンはアンジュに差し出されるまま、契約書を受け取った。
「さ、プリムラの花畑に!」
この話し合いの主導権を握っていると思っていたのに、すっかり彼女の巻き返しを受けて調子が狂った。
アンジュと会う約束は「1度きり」にならずに済んだ。
契約書にサインをして、ではこれで、と別れてしまっては元も子もない。
少なくとも契約書に記載する予定の日付、彼女の誕生月には会えることになる。
この契約で保護者が出てくる可能性もあったが、さほど心配はしていなかった。
自分にはステータスがある。
仮に失態した場合は社会的にも制裁を受けやすい立場を考えると、失態を行う確率は低いと判断されるだろう。
そして彼女を助けた前情報もあり、言いくるめられる自信があった。
あとは多少のはったりでよかった。
会える口実を作るために金をチラつかせた。
多めに渡せば、彼女は遠慮するだろう。
分割で渡すことになり、会う回数が増える。
もしも多めに用意した金をその場で受け取れば、また翌週にも同様に用意する約束をしたら良い。
金を受け取らなかった場合は、カフェで働く彼女に会えばいい。
夜のシフト辞めないなら、送迎だけでも構わなかった。
アンジュと会う時間、きっかけさえあればなんでもよかった。
理由もなく会える口実なんて考えもしなかったから。
「「じゃあ、私が領収書を持ってくるから、その分を都度ください」」
彼女の言った言葉が、自分の浅はかさを思い知らされた。
金で彼女の時間を買おうとしたんだ。
こちらの要求を適度に受け止めて、ひらりと返された様だった。
「……。」
早く早く!と急かすアンジュをイーサンは慌てて追いかけた。




