5:憶測
15時過ぎ。
イーサンが退社してすぐの事だった。
大型案件の資料を手にした1人の悲鳴がみんなの注目を集める。
「この企画書、見てください」
それはイーサンから渡された資料の中に含まれていた、3年程前の日付が刻まれた当時の経営企画書だった。
企業の経営方針、舵取りに関する設計図のようなものだ。
先程イーサンから引き継いだ企業はここ数年程度で事業を大幅に拡大し急成長中のトレンド感のある大企業だ。
しかし、企画書の内容が妙だった。
時系列がやけに細かく明確で、分社化計画、合併予定企業一覧、そして分離化する予定の部の記載。
損益費や社員数の推移、未来の取引先や新事業、未来の開発部まで書かれていた。
どことなく見覚えのあるような文体の構成。
ツリー状に枝分かれした家系図のような分かりやすい図。
こんなものが何故我社の元に?
そして3年前にすでにレールが敷かれていたのか、現在までの成長ルートをほぼ企画書通りに辿っていた。
この企業に多額の資金を投資していた我が社では近しい未来、利益の要にもなり得るだろう。
企画書を皆で回し読み、よく出来ているなと感心していると、最後の最後に出てきた企画書作成者欄に小さく記載された文字を指さした。
その中の名前に皆が釘付けになる。
「E.Wagner」
イーサン・ヴァーグナー。
間違いなく、彼の名前だ。
マネージャーは彼のサインをなぞるように触れる。
3年前であれば彼はまだインターンシップ生だったはず。
仕事のいろはを覚える頃の、まだ学生だったころのイーサン。
現在マネージャーが率いるチームに在籍するほとんどの者が当時の彼の姿をよく覚えている。
4年前、イーサンの配属がうちに決まった時、率直に厄介だと思った。
傲慢で世間知らずな御曹司を想像したが、本人と対面してすぐに偏見であることがわかった。
まだ二十歳そこそこの血の気の多い多感な時期だろうと言うのになんて落ち着いていることか。
それでいて少年のように好奇心と向上心の塊で、誰の教えでも、つまらない武勇伝でも、楽しそうに聞いていた。
彼を羨む者は居ても、嫌う者はいなかっただろう。
まるでずっと前からチームに居たような、ずっと同じ戦場をくぐり抜けてきた戦友のような。
チームメンバーみんなで大切に可愛がって育ててきた。
かけがえの無い家族のように、将来の我が社を担う大きな財産を大事に守ってきたのだ。
その彼は入社僅か一年足らずでこの企画書を密かに作成していたのか。
チームメンバーは唸った。
気付けば彼の抱えていた企業は数年で業績を伸ばしたものばかりだった。
若手にはある程度経営が安定している企業との取引をベテランから譲り受けるが、一大変革を示す勢いのある企業はなるべく避ける。
大きなリスクは若手には追わせない用にすることが司令塔である管理職の仕事である。
だがイーサンが担当となるとどの企業も大化けしてしまう。
その気配はずっと感じてきた。
そのカラクリの一部がここで明かされたようだった。
オフィス全体が神妙な空気に包まれている中、いつの間にか二代目が入室していた。
皆が口々にあいさつをする。
「マネージャー、ちょっといいか」
マネージャーへ声がかかり、すぐに二代目の元に駆けつける。
イーサンの件だろうとチーム全体が思う中、声をかけたその場で二代目はイーサンについて尋ねたため、マネージャーもその場で返答をする。
「フレックスを使用したいと、今朝イーサンから申し出がありました。大きな声で二代目に伝えられるのはここまででして…」
「なんだ、なにがあったんだ」
やはり父である自分には言えないことがあったに違いない。
いつも一緒に居るチームメンバーは事情を知っているだろうと憶測して間違いなかった。
マネージャーがチームメンバーに目を配る、皆がなんとも言い難い表情を返す。
急かす二代目に、声のトーンを落として極秘であることを伝えた上で続けた。
「新規契約のため、女性と、お会いするみたいですよ」
「え!」
イーサンはあの風貌で、身分も申し分もないとなると周りは黙っていなかった。
向かうところ敵なし、女性関係については来る者拒まずのスタンスだった。
しかし、掴みどころのない彼についていけず、さほど時間を掛けずとも勝手にふるい落とされていく女性たち。
彼のレベルに見合ったものは誰1人現れなかった。
女性といるより、オフィスにいる方がうんと楽しそうだった。
チームに入って出会ってからずっとそんな印象だったのだ。
先程まで焦っていた様子の二代目の頬にぽっと明かりが灯った。
両手の指先を口元に当て、目を輝かせている。
そして本日の息子の様子を指折り思い出してみる。
1、夜眠れなかった
2、大きなため息
3、急なフレックス退社
4、新規契約が成立したら報告ができる
5、女性←NEW!
もう、それしか考えられない。
本当に契約なのか?
いや、フレックスを選んでいる時点で業務外、プライベートであると思っていていいはず。
「契約」と称する息子の言葉選びが大変それらしく微笑ましい。
早く家に帰って妻に報告したくてたまらない。
チームメンバーは上司たちの会話を見聞きしていた。
二代目の表情がどうも緩い。
成人した息子の初めての浮ついた話だ。
気持ちもわかるが、いい歳をした大人の表情とは言い難く、なかなかに複雑なものがあった。
マネージャーはふと一代目の事を思い出した。
たった一代で大規模な財閥に成長させた敏腕経営者だった。
二代目は豪快そうな雰囲気とは裏腹に保守的で石橋を叩いて渡るタイプ、数字よりも会社の存続と社員を守ることを重んじている。
だからきっと意欲的で好戦的なイーサンには一代目に通ずるものがある気がする。
一代目のスタートアップと同じようなことが起きるかもしれない。
我が社の将来が楽しみだ。
イーサンが時期代表となって会社の舵を切った時、自分もここに居られるように励まなければ。
感極まったようにマネージャーは二代目の背に向かってこう言った。
「三代目が、本当に楽しみです」
くるりと振り返った二代目の顔は、仏頂面に戻っていた。
「私はもうお役目御免という事か?」
マネージャーは言葉足らずであったことを謝罪した。
◇◇◇◇
時は戻り12時。
近隣の飲食店が続々とオープンし始め、ランチ帯では人がまばらであるカフェだが本日は趣が違う。
オーナーが招集をかけたからだ。
集まったのは全オーナー3名とパートスタッフ数名、早朝常連の老夫婦、と言う顔ぶれだった。
1人のオーナーである招集者のカラから昨夜の事件、そしてアンジュの今後のシフトについて共有がなされた。
昨夜の夜勤担当オーナーであったカリがテーブルに頭を打ち付けメソメソと泣いた。
アンジュの無事が何よりだったが自分が居ながらなんて事を。
「あの日はクローズから2時間も居座る奴がいたのよ。でもあたしどうしても行きたいところがあって。
アンジュちゃんもお客を待ちながら課題をやるって言うから、無理を言って帰らせてもらったの。ああ、なんて事を」
カリが話し始めると、この人はカリであったか、と皆がわかった。
3人のオーナーは同じ見た目で見分けがつかない。
昨夜の犯人はきっと最後まで居座っていた客の1人だろうとカリは続ける。
皆はカリの反省の色を見て必要以上に責めなかった。
そしてカラが再び話し始める。
パートスタッフに夜勤シフトのフォローについて。
アンジュが夜勤に出られなくなったが、アンジュ目当ての客が引くまでの間だけなんとか埋めて欲しいと。
実はこのカフェは朝の時間帯と夜の時間帯は千客万来である。
アンジュ目当ての客で埋め尽くされるからだ。
パートスタッフたちはシフトフォローについて快く引き受けた。
恐らくアンジュが居ないと分かれば、アンジュの居なかった頃の夜のカフェに戻るだろうと感じていた。
「そういえばアンジュちゃん、スポンサーがついたから夜勤なくても大丈夫って言ったのよ」
皆の顔に混乱の表情が浮かぶ。
「スポンサーって、何」
「男の人って言ってたわ」
あの子が軽率に変な男に引っかかるとは思えないんだけど、絶対なにか隠してるよね…
と続ける。
みなが顔を揃えて「芸事?」「助成金?」「まさか融資?」などと口々に言い合う。
すると1人のパートスタッフが「パパ活?」 とつぶやき、皆でそれだ!と指を鳴らした。
パパ活と聞いて老夫婦がなんの事かと問い、オーナーが「資金援助してくれるおじさんのことよ」と答えると夫婦はがっくりと項垂れた。
「援助という手があったか…」
「アンジュちゃんはうちの孫に絶対ピッタリだって思ってたのに…」
ぶつぶつと続ける老夫婦にオーナーが肩をぽんぽんと叩く。
夫人が諦めたように、ため息を漏らしてこう言った。
「アンジュちゃんは19歳でしょ?20歳になったらうちで働いてもらえば良いかなって…」
遅かったか、と続けて悔しがる。
「彼女が決めることだからとやかく言うことでもないだろう」
夫君がそう自分にも言い聞かせるように発し、皆でコーヒーを飲んだ。
オーナーたちは、アンジュの出勤率から今後の売上が大きく変動するだろうと予測し仕入れを調整するための打ち合わせを開始した。
すると、カルがぽつりと言った。
「私たちを見分ることができるのって、アンジュちゃんだけなのよね」
お客もスタッフも自分たちを「オーナー」と呼ぶ。
しかしアンジュだけが名指しで呼んでくれていたのだ。
アンジュは賢い。
ここから近くの難関校に通っており、文字通り勉強ができる賢さがあるが、能力をひけらかさない。
1度聞いた名前は忘れないし、過去にお客が注文されたメニューも細かく記憶している。
接客も素晴らしいし、ファンに対する対応も嫌らしくない。
しかし多くを話さない。
どこか壁がありミステリアスだ。
まだまだか弱い10代の女の子が決断したこと。
周りがとやかく言うことでは無いが、
どんなことがあっても彼女のことを応援したいし、背中を押してやりたいと思う。
でももしもの事があったら?いいえ、あの子が考えもなしに変な事に首を突っ込まないはず。
本人からのヘルプは出ないかもしれないが、些細な変化も見逃さないでおこう。
直ぐに手を差し伸べられるように。
いろいろと思考は巡る。だがこれだけは言えた。
「アンジュちゃん、絶対幸せになって欲しいな」
1人のオーナーの発言に、その場にいた皆が頷いた。




