3:路地裏のカフェ
24時過ぎ。
扉のロックを外し、自宅に帰ったアンジュ。
「ただいま」
誰もいない真っ暗な室内に小さく告げる。
電気を付け浴室へ向かい、服を脱ぎ、シャワーを浴びる。
長居することなく浴室を出たあと、髪を乾かし、歯を磨き、寝室のベッドに腰掛け、ふと息つくと先程の出来事が頭をめぐった。
突然現れたイーサンに助けられた上に自宅まで送ってもらうとは。
人に声をかけられることは何度かあったが、その都度自分でも何とかできていたし、店内にいたら誰かがすぐに助けてくれていた。
たまたま、
本当にたまたまが重なった。
一人で夜道を歩く際には気をつけていたつもりだったが、これ程にない不幸中の幸いだった。
スポンサーになってくれると言っていたけど、狙いはなんだろう。
夜勤をやらずに済むなら、とてもありがたい話だ。
でも、あれは勘違いだった、なんてこともあるのかも。
「……」
思考がぐるぐると巡り、疲れと合わさって眠気がどっと押し寄せてくる。
明日も早い、もう寝てしまおう。
◇◇◇◇
6時。
カフェがオープンする。
ガラス扉を開けて、今日のメニューが書かれた立看板を入口前に出し、テラス席の椅子とテーブルを整える。
「おはよう」
アンジュが振り返るとそこには昨夜会ったばかりのイーサンが居た。
「イーサン!」
ぱっ!と花が咲いたように笑顔を振りまくアンジュ。
夜道で会った時には気づかなかったが、イーサンの黒い髪は光に当たると淡いグレーに輝き、瞳は深みのあるグリーンだった。
ライトグレーのスーツがとても良く似合う。
とてもかっこいい。
アンジュは昨日のお礼を伝えぺこりと頭を下げる。
「本当に来てくれるか不安だったの」
「どうして?」
「昨日のこと、冗談だったんじゃないかなって思って」
「じょうだん」
アンジュの笑顔に冗談で終わってしまわないで本当によかったと心底思い、ニコニコと話すアンジュの顔をぼうっと眺めながら店内のカウンターを案内された。
昨日は気が付かなかったが、アンジュはスタイルも良い。
白シャツと黒色のタイトなスカートのシンプルさが彼女のスタイルをより強調し際立てていた。
「ご注文はお決まりですか?」
「では、コーヒーを」
承知しました、と軽く一礼して手元のキッチンカウンターで手際よくコーヒーを注ぐアンジュをぼうっと眺めた。
実はイーサンは昨夜一睡も眠れなかった。
ちょっと眠いくらい、ちょっと心臓が疲れてるくらい、ちょっと身体が動かないくらいの方が丁度よかった。
昨夜は暴走しすぎてどうにかなってしまいそうだったから。
アンジュがコーヒーをカウンターテーブルに持ってきてくれたが、目線が合わない。
少し何かを言いたげだったので顔を覗き込んでどうしたのかと尋ねた。
「あー……あのね、イーサン」
アンジュは、あー、うーん、となかなか言葉出てこない。
そして挙句に困ったように小首を傾げて目を見つめられる。
なんだ、どうしたんだ、この生き物は僕の息の根を止めようとしているのか。
ほとほと可愛い仕草に、イーサンは着席していて本当によかったと思った。
じっと立っていられる自信が無い、卒倒する。
「夜勤のこと、まだオーナーに伝えてなくて」
アンジュは小さな声でそう伝えた。
昨夜あんなに怖い目にあったのだ、報告することが難しい事もあるだろう。
「ああ、僕から言おうか」
「あ、えと、自分から言えます。そうじゃなくて」
スポンサーの…、と言いづらそうに話すアンジュに、合点がいった。
夜勤は恐らく生活のためであることを失念していた。
寝不足のせいで気を回せなかったこと、昨日の今日で金銭の準備がなかったことにイーサンは自分の首を絞めたくなった。
「気を使わせてしまってすまない、今日必ず渡そう。この後の予定は?」
イーサンの話が早くてとても助かる。
どうやら支援してくれることも本当らしい。
「10時から学校で16時には終わります。その後夜勤の予定で…」
「わかった、オーナーさんに言いづらかったら僕から言うから、今日から夜勤は休むように伝えられる?」
アンジュは小さくうなづき、カウンターテーブルに伝票を置いて来客対応のため店内入口へ向かった。
働きすぎだ。
連日朝から晩まで働き詰めだったのか。
コーヒーを飲み干して、会計を済ませアンジュに別れを告げる。
「それでは16時に学校横の大通りで待ってる」
そう告げてイーサンはカフェを後にした。
◇◇◇◇
しばらくして、朝のピークが落ち着いた頃。
「カラさん」
アンジュは小柄な男性に声を掛ける。
まん丸な輪郭に、まん丸メガネ、ぴっちりと纏まった黒髪はサイドが刈り上げられている。
サスペンダーに蝶ネクタイ姿の小綺麗な中年だ。
「アンジュちゃん、どうしたの?」
カラと呼ばれた男性はこのカフェのオーナーの1人だ。
カラ(長男)・カリ(次男)・カル(三男)の3つ子が経営しており、3名が入れ替わりで勤務していた。
アンジュは昨日起こった閉店後の事、そしてこれから夜勤に出られないことを簡潔に話した。
イーサンについてはなんとなく言い出せず、助けてくれた男性がいたので大丈夫であったことを伝えた。
カラはアンジュの話を聞き入った。
そして夜勤に出社しなくても良いと即座に伝えた。
加えて当日担当していたカリに対しての不満が饒舌な口ぶりで溢れる。
感情が高まると女性的な口調がさらに強調される。
アンジュは、夜勤のシフトに入れない事への謝罪と、これからも朝のシフトには入りたいとの希望を伝えた。
一通りアンジュからの連絡事項が終わったところで、カリから収入の面について質問を受ける。
雇い主としてはシフトには入れてあげられないが生活資金について心配である。
「えっと、スポンサー?が付いてくれることになって」
「え?スポンサー?」
「はい、スポンサー…です」
昨夜は私がその顔をしていたな、と苦笑いするアンジュ。
「?」が顔に張り付いているカリ。
「それは……なん…っていうか……男の人?」
ものすごく苦い顔をしながら身振り手振りの割に言葉数が少ないカリに申し訳なさを感じた。
口止めされている訳でもないのに余計なことは言ってはいけないような、悪いことをしているようなもどかしさもある。
「男の人、です」
「まさか同級生ではないわね?信頼できるオトナの人??」
「はい、年上の大人です」
必要以上に話したくないことがアンジュの表情から伝わっていたのか、最低限の質問だけをしたカラはひとまず頷いた。
アンジュはまもなく授業が始まるので慌てて退勤の準備をする。
また明日の早朝から出勤する予定だ。
カラはバイバイと手を振り、アンジュは手を振り返して店を後にする。
カラはアンジュを店内入口まで見送った後、きびすを返してカウンターに戻り電話をかける。
正午のカフェが緊急会議室に変わろうとしていた。




