19:ダンジョン
イーサンとの食事が終わり、玄関先まで見送る際に折りたたまれた緑色の紙袋を手渡された。
「ごちそうさま。お金は取っておいて。それじゃ、おやすみ、また明日」
「ありがとう。また、明日」
手渡された紙袋には、また昨日と同じように封筒の中にお金が入っているのだろう。
足早に去っていく彼に手を振って扉が閉まるのをぼんやりと見つめていた。
ぱたん、と扉がしまったところで、昨日彼が忘れていったカフスの事を思い出した。
彼からグラスのプレゼントがあったためかすっかり渡しそびれてしまった。
また明日伝えて渡せばいいか、とのんびり考えながら廊下を進む。
土曜日のシフトをオーナーにお願いして、明日の講義はなんだっけ、それから、…休日のデートだ。
どこかふわふわした気持ちのままダイニングキッチンに続く扉を開け、キッチンに目をやる。
「…!」
シンクの隣に、見覚えのない白色のカントリーチェックのハンカチ。
その上に腕時計がそっと置かれていた。
先程使用した食器類はすでに片付いていたため、シンクやカウンターには物がない。明らかに彼が食器を片付けてくれた時に置いて行ってしまったものだと思う。
だけど隣で食器の水滴を拭いていた時には、ここには何も置いていなかったような気がする。
腕時計を手に取り、手首に巻き付けてみる。
少し大きめの文字盤。
繊細であまり主張しない美しいデザイン。
バンドのサイズが自分と合わず少し大きい。
「……。」
食器棚から小皿を1枚取り出して、昨日のカフスと時計を皿に並べ、ハンカチは綺麗に洗ってから返すために洗濯機が置いてある脱衣所へ持っていく。
ふと手洗い場の鏡に映る自分の顔がほんのり緩んでいることに気がついた。
彼の前で自分がどんな顔をしているのか想像できてしまい、恥ずかしさから目を背ける。
頬っぺたをむにむにと触りながら、彼以外のことを考えようと集中するものの、先程のハンカチが目に入ってしまいまた思い出してしまう。
「やられた…」
恐らく彼が仕掛けている罠だと思う。
忘れ物はわざとだ。
すっかり乗せられてしまい悔しい反面、真面目でお茶目な彼の作戦にちょっと笑ってしまう。
とりあえず、「忘れ物をしがちな彼」という事にしておこう。
◇◇◇◇
翌日の5時30分。
アンジュが出社し、オーナーが声をかける。
「おはよう、アンジュちゃん」
「カリさん、おはようございます」
「月曜日ぶり?毎日のように会っていたから不思議な感じね」
仕込みに励みながら小言を漏らすオーナーに申し訳なさを感じながら、小柄な彼の目線に合わせて屈んで近寄る。
「カリさん、ちょっとお願いが…」
「え、なに?どうしたの?」
オーナーは小柄な体型をきゅっと寄せてアンジュの声がよく聞こえるように耳を傾けた。
「これから土曜日のシフトも休みたくって…」
「え!!!」
店舗に響き渡るオーナーの叫び声に他のパートスタッフ達が振り返る。
慌てて両手を口元に合わせてオロオロとするオーナーに、両手のひらを顔の前で合わせて謝罪する。
「突然でごめんなさい」
「いや、いいのよ、ごめんなさいね、びっくりしちゃって。学生のバイトは土日入りたい子ばかりだから、ホント、全然、シフトは大丈夫」
おでこをタオルでペタペタと吹き、なかなか落ち着きそうもないオーナーを見て全然大丈夫ではなさそうな雰囲気だが、とりあえず了承は得られたようでほっとする。
「ところで、理由を聞いても?」
「人に会うので…その、スポンサーと」
「あら、やっぱりスポンサーね」
「すみません、よろしくお願いします」
オーナーはコーヒー豆をミルにかけ始め、なるほどなるほどと頷きながら仕込み作業に戻る。
アンジュは隣でサンドイッチ用のえびとアボカドとツナの下処理を行った。
6時、いつものようにカフェがオープンし、店先に看板を出しテラス席を整え、お客を出迎える。
今日も春らしいカラッと晴れた日で気持ちがいい。
いつもオープン時間に来てくれていた彼の姿を探すが、今日は来ていないらしい。
看板を出したと同時に通りがかりの女性客が来店し始める。
えびとアボカドとツナのサンドイッチは通常の朝食サンドよりもうんと豪華だ。
あっという間にオープンから2時間以上経った8時過ぎ、
イーサンが来店したようだったが別のお客の対応に追われて声をかけたのは帰りがけになってしまった。
アンジュはカウンター裏からいつもの緑色の紙袋を持ってきてイーサンに手渡す。
「お疲れ様、いってらっしゃい」
互いに手を振りあってイーサンは店を後にした。
忘れ物のこと、土曜日のシフトのことも伝えることができなかった。
また夜にでも会えるかなと思い、学校の準備のために控え室に戻った。
◇◇◇◇
8時30分。
以前と同じ時間に出社するイーサンの手に今日も緑色の紙袋が掛かっていた。
「おはようございます」
「イーサンおはよ」
「おはよー」
つい昨日まで「ゴキゲン」という顔つきで過ごしていたイーサンの顔に、ほんの少し、ほんの僅かな疲れが見えていた。
特別誰かが声をかける訳でもなく各自業務に取り掛かる。
先週から彼の動向を気にしすぎているチームメンバーは些細な変化にも気がつくようになってしまい、チラチラと視線をマネージャーに寄越してくる。
何でもかんでもマネージャー、マネージャーと頼らないで欲しい。ただでさえうざがられる中間管理職に加えて、うざったい嫌われ者のお父さんになりたくはなかった。
その日の業務も何事もなく終了し、定時刻になった。
しかしイーサンはそのまま自席に座ったままだった。
何処と無く元気がないような気がする。
しょうがないので、うざいお父さんを買って出ることにした。
「今日は定時で帰らないのか?」
「もうすぐ、帰ろうと思います」
「なんかあったのか?」
ぽんっと肩に手を置くとイーサンは「あー…」と目線が彷徨き、顎に手を乗せ何かを考えるような素振りをした。
煮え切らない彼に「飲みに行くか!」と誘う。
しかし彼はまた「うーん…」と唸って悩んだ挙句に答えを出した。
「マネージャー、奥さんとの初デートってどこに行きました?」
「「「「「!!!????」」」」」
聞き耳を立てていたチームメンバーのデスクが分かりやすくガタつく。
「え〜?なんだったかな、確か映画だったかな」
「映画、ですか」
「だけど映画選び失敗したんだよ、俺の奥さんラブストーリーよりバイオレンス好きでさ。一緒に見る映画は一緒に選べば良かったな〜」
「なるほど」
「イーサン、デートするのか」
「はい。映画、すごく参考になりました」
「そうか、頑張れよ」
ぽんぽんっとイーサンの肩を叩き、マネージャーが自席に戻る。いつもの残業メンバーが取り残されてしばらくした頃にイーサンが立ち上がり、オフィスをあとにした。
「お先に失礼します」
「おう、お疲れ」
「お疲れ様です」
その姿を目で追っていたチームメンバーのひとりのが、椅子ごとゴロゴロとマネージャーに近寄る。
「マネージャー、ちょっと」
「どうした」
以前のランチミーティングに参加したひとりだった。
「イーサンのお相手がわかっちゃったかもです」
「え!」
突然探偵じみたことを言い出すメンバーにまだ残っていた近辺のメンバーもゴロゴロと集まってきた。
「最近、朝から持ってきているお昼ご飯、今までなかったですよね?」
確かに、と頷くマネージャー。
イーサンはだいたい誰かを誘って昼を取る。
でも最近は事前に持参して準備していた。
珍しいなと思っていたところだった。
「で、あの緑の特徴的な紙袋。あれ、路地カフェのやつです」
と断言するメンバーに、まさか、と他のメンバーから声が上がる。
「路地カフェには朝と夜にめちゃくちゃ可愛い女の子が働いてるんですよ」
まさか、まさか、と周りがざわつき始める。
「イーサン、出社前にカフェに行ってるんじゃないですか?それに定時で退社、夜のカフェも行ってるとか?」
偶然ですかねぇと目を光らせるチームメンバーに、マネージャーの目が輝いた。
「そのカフェってどこ?」
「ここから徒歩で行ける距離の、あの学校の方面です」
ほう、と少し考える。
これは憶測と推理だけで成っている。
人のプライベートに土足で侵入するのは良くない。
深く追求するには遊びが過ぎるし、彼にも失礼だ。
「ちょっと…コーヒーとか…飲みたくなっちゃったかも…?」
断じて『めちゃくちゃ可愛い女の子』に惹かれたわけではなく、カフェの話を聞いてしまったからだ。
それにしてもやけにそのカフェに詳しいなと思っていたらどうやら有名なお店らしい。
そして「行くのはやめた方が良い」と皆から止められる。
「行きたくなってるところで残念ですが、我社の初代夫婦がカフェの常連なんですよ」
「え!!??」
行く時は注意してくださいね、と釘を刺される。
あの鬼の初代が、その店に。
大きなブロッカーが阻む、めちゃくちゃ可愛い女の子が居ると噂されるカフェ。
近いようで遠いダンジョンのようだった。




