15:テイクアウト
火曜日の朝6時。
イーサンがいつものようにカフェのオープン時間に到着すると、すでに先客がいた。
アンジュは忙しそうに店内を動き回っている。
イーサンはカフェの扉を開け店先から目線だけ彼女に送ると、気がついたアンジュが駆け寄ってくれた。
「イーサン、おはよう!今日ちょっと混んでるんだけど…」
そう言って店内のカウンターに案内されるが、店内の様子を確認すると、オープンと同時に団体客が入ったらしく賑わいを見せていた。
さすがに遠慮して入店を断ると、ならばとその場で待ってるようアンジュに命じられ、しばらくする何かを持ってきてくれた。
「これ、昨日言ってたランチ」
テキパキと緑色の紙袋と共に、コーヒーも渡され、差し出されるまま受け取る。
紙袋は底が広く、やや重みがある。
「お会計は大丈夫だよ」
またね、と手を振って店内に戻って行ってしまった。
アンジュが風のようにあっという間に去ってしまい、心ここに在らずの状態だった。
手に持たせてくれた紙袋とコーヒーを見つめる。
温かいコーヒーを口に入れながら、まっすぐ職場へ向かった。
◇◇◇◇
今日もまた一番乗りしたフロアで、ひとり自席に座る。
手渡された紙袋の中にテイクアウトボックスと水色の可愛らしい小さな封筒が入っているのが見えた。
封筒を手に取り開封する。
『お仕事お疲れ様です。領収書を同封します。午後も頑張って!』
小さなカードに簡潔に書かれたアンジュの女性らしい繊細な文字をじっと見つめる。
朝あんなに早くから働いているのに自分の分のランチを準備して、手紙まで添えて手渡してくれたことにじんと胸が染みる。
封筒の中には小さく折りたたまれた領収書も入っていた。
昨日の日付が印字された食品類と日用品の領収書がそれぞれ1枚ずつ。
領収書の合計金額はランチ代に箔が付く程度だった。
財布からいちばん大きい金額の紙幣を5枚取り出し、丁寧に折りたたんで領収書と合わせて小さな封筒に入れる。
小さなメッセージカードはカードケースに入れ、自身のビジネスバッグにしまった。
テイクアウトボックスが入った紙袋はデスク脇にあるフックに掛け、昼までそこに居てもらうことにした。
出社したばかりなのにランチタイムが楽しみで、ちらりと紙袋を覗いては今か今かと待ち遠しくて仕方なかった。
◇◇◇◇
8時30分、マネージャーが出社した。
今日も一番乗りであったイーサンに真っ直ぐ向かっていき声をかける。
「イーサン、おはよう。今日も早いな」
「マネージャー、おはようございます」
彼の今日の様子は昨日に引き続き大変良好のようだ。
顔に「ゴキゲン」の文字が浮かんでいる。
「昨日は助かった。あとから時間が欲しい、報告を頼みたい」
「了解です」
1部チームメンバーにも声をかけ、昨日の状況を把握できるようスケジュールを組む。
正直、彼らから報告を聞いたところで他社への再現性は難しいし、再共有程度になるだけだろう。
しかし午前中、来客が長引いたせいでイーサンに声を掛ける事が出来ぬまま昼を迎えた。
マネージャーは慌ててフロアに戻りチームメンバーに声をかける。
「すまん、午後からも予定が詰まっているから、今からランチミーティング大丈夫か?」
各デスクから了解の声が入り、昼の調達に急いでオフィスを出るものたちの中にイーサンの姿はなかった。
「先にミーティングルーム行ってますね」
手には紙袋を持って移動するイーサンを目で追って、珍しいなと思った。
待ちに待ったランチタイム。
イーサンは急ぎ足でミーティングルームに入り、適当な席につき紙袋からテイクアウトボックスを取り出し、蓋を開ける。
厚切りの肉とキャベツが挟まっているサンドイッチだった。
彩り鮮やかなザワークラウトとポテトソテーも付いている。
食欲を唆る見た目に、さっそく両手を合わせた。
「いただきます」
小さく呟き、サンドイッチを手に取る。
重量感のあるボリューミーなサンドイッチにかぶりついた。
「うま…」
甘辛いソースをが染みた肉の衣と水水しいキャベツの食感がたまらない。
がぶり、またがぶりと食べ進めていく。
付け合せを口に運びつつ、サンドイッチを食べ進めると、あっという間に残り1切れとなってしまった。
なんとも名残惜しい。
しかし腹は満たされつつあり、量はちょうど良かったはずだが、もっともっと味わいたかった。
「イーサン、お待たせ」
チームメンバーが弁当を抱えて入ってくる。
「すみません、先いただいてます」
断りを入れつつ、最後のサンドイッチを口に含みテイクアウトボックスを紙袋に仕舞いながら、どうぞと席に誘導する。
チームメンバーはじっとイーサンの緑色の紙袋を見つめ、何かを思い出そうとする仕草を見せるものの何も言葉は出てこない。
その後マネージャーともう1人のメンバーが到着し、ミーティングが開始され、イーサンは昨日の報告と現在までの進捗を共有した。
――午後も忙しなく業務を遂行し、あっという間の定時となった。
引き続き定時で退社するメンバーの中にイーサンの姿があった。
「お疲れ様です」
各方面からお疲れ、と声を掛け合いイーサンはフロアを後にした。
今日も定時で帰宅する中、アンジュの学校付近をドライブした。
分かっていたが偶然ばったり見つけられる訳もなく。
ふとアンジュの家の近くの小売店の領収書を思い出した。
印字されていた購入時間は18時前後だったような。
何気なくその店に立ち寄って、ぐるりと店内を回る。
分かってはいたがその姿を見つけることもなく。
少々ストーカーじみているな、と思いさっさと立ち去ろうと出入口に向かう。
「イーサン?」
丁度入店してきたアンジュに声をかけられた。
カフェではない別の場所で偶然出会うと、一瞬誰だか認識できなくなる。
(自分好みの、可愛い女性に話しかけられてしまった)
呑気にそんなことを考えていたが、自分から彼女を探しておいて、下心が伝わってしまうのが嫌で嫌でしょうがない。
しかし会えた嬉しさで顔が緩んでしまうのを止められない。
「やぁ、偶然、だね」
イーサンが絞り出したセリフにアンジュがあはは、と声を上げて笑う。
「偶然、かな?」
くつくつと笑うアンジュは買い物かごを手に取り、店内に進んでいく。
「今から夕食の買い出しなの。イーサンは?」
「あー…、買いたいものは特にないけど、一緒に行こうかな。スポンサーとして」
アンジュからかごをもぎ取って、横に並ぶ。
アンジュはまだくつくつと笑っている。
なんだよ、可愛いな。
「今日のランチとても美味しかった。ありがとう」
「よかった、好みを聞いてなかったから少し心配だったの」
カツサンド、おいしいよね、とアンジュが話しながらゆっくりとした足取りで野菜を眺める。
「何か食べたいものある?」
「え?」
「夕食の参考にしようと思って」
「あ、ああ」
アンジュの言葉で一瞬で思考が奪われた。
今日、夕飯を共にできるようなニュアンスに聞こえたから焦った。
「昼が肉だったから、夜は魚かな…?」
「魚ね、じゃあパプリカ買おう」
魚という一言で野菜が決まったらしい。
ツヤのある形の良いパプリカを赤と黄色かごに入れた。
店内を進み、鮮魚コーナーでアンジュの足が止まる。
魚を熱心に見ている。
「うーん、ちょっと大きいかな」
「小さいよりはいいんじゃないか?」
「ひとりで食べるには大きいよ」
アンジュは魚から目を離しそっとイーサンを見た。
「1匹、大きいの買ってもいい?」
「もちろん」
「食べきれないから一緒に食べてくれる?」
「え」
「だめ?」
もしかしなくても、これは罠、ハニートラップだ。
アンジュと一緒にいると思考が鈍ってしょうがないし、全く断れる気がしない。
金ならいくらでも出すぞ、と意気込んだ。
「うん、一緒に食べよう」
イーサンがそう言うと、にこーっと笑って、鮮魚コーナーのスタッフに魚と貝類を注文するアンジュ。
意図なんかどうでもよかった。
一緒にいられればそれで良かったから。
会計を済ませて、買い物袋に食材を詰める。
一緒に食べるのはいいがこの食材はどうするのか?
「うちでいい?」
「え」
「だめ?」
もうだめだ。
もしかしなくても、これは罠、ハニートラップだ。
イーサンは首だけを縦に振り返事をした。
アンジュと一緒にいると思考が鈍ってしょうがないが、
イーサンの頭によからぬ事ばかりが過った。




