徳川の兄弟
タワーマンションには慣れない。巨大な怪物の腹の中を進むような気がする。
私はエントランスの呼び出しボタンを押した。
「なんだ」
末の弟、徳川賢三の不機嫌そうな声に、ただでさえ気の進まないなか、更に胃が痛む。
「私だ。正光だ。大事な話がある」
返事もなく、ジーッと無機質な解錠音が鳴る。私は怪物の腹の中に足を踏み入れた。
タワーマンションの最上階のワンフロアを丸ごと買ったと、以前賢三から聞いてはいたが、まさかこれほど広く豪華だとは、思っていなかった。
玄関を通り、足元に沈み込むようなカーペットを進む。リビング、プレイルーム、トレーニングルーム。そのいずれにも賢三はいなかった。
私は、ある部屋の前で立ち止まった。魔術による施錠が施されている。
中にいるのだろう。施された魔術の中身を解析し、解錠する。
そこは書室と言うより図書館であった。
均等に立ち並ぶ見上げるような本棚たち。その本棚の林の中心部に、重厚な机とテーブルがあり、賢三は椅子に腰掛けて本を読んでいた。
私が近寄っても顔を上げようともしない。
ため息をつきたくなるのをこらえ、私は自分で椅子を引っ張ってきて、賢三に向かい合う位置に座った。
「あの『犬神』を今度は誰に送った」
私の問いにも、しかし賢三はページをめくる手を止めない。しかし、兄弟だからこそ私には分かった。賢三はこの話題に触れてほしくないのだ、と。
「兄さんには関係ない話だ」
「千代ではないだろうな」
「人のことを気にする前に千代をキチンと躾けたらどうだ。最近、物騒なことに首を突っ込んでいるぞ」
躾け、といわれたとき怒りと悲しみが同時に身中に湧き出す。
「あの娘は、お前の姪だぞ。なぜそんな言い方ができるんだ」
賢三はなお本から目を離さない。
「千代の後見人ならしっかり首輪をつけるべきだな。知ってますか。千代は私を殺す気ですよ」
私は胃を掴まれたように全身が苦しくなる。
「何を根拠に」
「私の周りをこそこそ嗅ぎ回っていること、使途不明な法外な金額の出金、直後に現れた魔術師。痛い目に遭わせることが目的にしては過剰だ」
「お前がそう勘ぐるのは昭彦のことがあるからだろう」
思わず飛び出した言葉に、賢三が始めて顔を上げた。
精悍でエネルギッシュ、そして自信家。そう評されることの多い賢三だが、兄からすれば臆病で疑り深い面を『自信』という厚い鎧で覆い隠しているようにしか見えない。
昭彦。徳川家の長男、千代の父親。そして私のもうひとりの弟。
3人兄弟の中で唯一魔術の才能には恵まれなかったが、明るく真面目で、ビジネスに精通していた。
昭彦が社長として株式会社TOKUGAWAを導き、賢三が副社長として支える。私は、株式会社TOKUGAWAの後ろ暗い闇を背負う。三者三様のあり方を、私は受け入れていた。
転機が訪れたのは昭彦が私の『仕事』を知ったときからだ。
『仕事』に関しては、賢三と私で取り仕切り、昭彦の耳には入らないように私がしていたのだ。神輿は無垢でなければならないのだから。
ある日、昭彦は私と賢三を呼び出し二度と魔術絡みの『仕事』をしてはならないとキツく言い渡した。
魔術には明るくない昭彦がどうやって突き止めたのかは分からない。兄弟の勘、と言うやつかもしれない。
私は弟でもあり、社長でもある昭彦の厳命を受け入れた。元よりやりたくてやっていたわけではない。生真面目さと魔術以外に取り柄のない私が、徳川家で生きていくためにやらざるを得なかっただけの話だから。
賢三も素直に受け入れた。そう思っていた。
昭彦が死んだ。車での事故だという。
病院に駆けつけた私は、徳川家の親族が今後の『会社』がどうなるのかばかりを話しているのを耳にした。私は蚊帳の外だった。
昭彦の娘は、千代はどうなった。
手持ち無沙汰になった私は、看護師に尋ねた。治療中でまだ生死がどうなるかも分からないと言われた。
そんな状態の娘のことを、誰も口にしないのか。
徳川家という集団が無機質で冷たい、虫のような存在に感じた。そしてそんな連中のために口するのも憚れるようなことに、平気で手を染めた自分のことが、恐ろしくなった。
千代の後見人になると申し出た。
賢三も含め、親族たちは特に反対はしなかった。どうでもよかったのかもしれない。
事故から回復した千代と話し合い、私は正式に彼女の後見人となった。
「ありがとうございます」
病室から出る際、私に千代が頭を下げた。
なぜ、そんなに強く振る舞えるのか、私には理解できなかった。あまりに自分とは違う、まぶしい存在に感じた。
後見人にはなったが、私は千代の人生に口を出す気はなかった。
しかし私のいらぬ心配をよそに、千代はひとりでも立派に明るく、正しく生きていた。一生を数回繰り返せるほどの財産と、不動産、動産を持ちながら、彼女がそれらを浪費することはなかった。
千代との面会の際、私は少しくらいは自由に使ってもよいのだと提案した。
千代は腕組みして「うーん」と目を閉じた。
「ほしーものはあるっちゃ、あるんですけど」
砕けた口調になったのは、私に気を許したのか、単に周囲の影響なのか。
「なんかアソビのために使うのはちがうかなーって。なんてゆーか、『お天道様が見てる』的な。ちがうかな」
千代が照れ笑いを浮かべ「あ、なんかいまのおばあちゃんの小言みたいになってる」と言った。
「いや。分かるよ」
私は下らない提案をした自身をより一層恥じた。
ある日TOKUGAWAグループ系列の銀行の頭取から私に電話が入った。千代が莫大な金額を引き出そうとしているが、許可してよいのか、と。
私は許可した。よほどの理由があるのだろうし、千代が道理に反したことに使うはずがないと思ったからだ。
私は、久々に真正面から賢三の顔を見た。
メディアに見せる爽やかでエネルギッシュな経営者の顔ではない。無表情といってもよいほど、感情がない。
「兄さんは、私が昭彦兄さんを殺したと、本気で思っているのですか、弟よりも姪を信用すると」
私は返事が出来なかった。
賢三の言っていることが事実ならば、千代は叔父である賢三に害を成そうとしている。そしてその理由は、父親を殺した犯人が賢三だと確信しているからだと。
そして私も、賢三が昭彦を殺したと思わざるを得ない理由がある。
私が千代の後見人となったあと、千代の治療にあたった医師から、千代が事故の原因は『黒い靄のような怪物』のせいだと言っていると聞いた。医師は続けて、辛い記憶が見せる妄想の可能性が高いが、いずれ克服するだろう、と。
私は医師の話を聞いたとき、『仕事』で対峙したり、使用したりした薄暗い魔術のことを思い出した。しかし、現実的に考えれば医師の言う通り一時的な妄想と捉えるべきだろう。
事実、千代は治療後は『黒い靄のような怪物』のことは口にしなくなった。
だが、その『黒い靄のような怪物』が賢三の側に現れた。
いつの間にか賢三が雇い入れた源という魔術師。並の魔術師でないことは容易に見て取れた。TOKUGAWAで働く魔術師たちの仕事を軒並み一手に引き受け、改善してみせた。
だが、そんなことは些末なことだ。
私は賢三が『犬神』を使役して、自身の利益に反する人物を排除していることに気づきいた。
昭彦の意思に反することを止めさせる。最悪、実力行使に至るとしても。
社長室に乗り込んだ私は賢三と源という魔術師と対峙した。2対1でも勝てる。そんな自信は、賢三の使役する『犬神』を見せつけられたときに、打ち砕かれた。
戦慄した。勝てないと本能的に、経験的に察した。
賢三は動けずにいる私を冷たい目で一瞥した。
「これ以上は止めておく。出ていってくれ」
私は、従うしかなかった。
『止めておく』理由が、『家族』だからなのか、『魔術師』としての使い道が残っているからなのか。
戦わずに敗れた屈辱と、この場を五体満足で去れることに安堵する卑屈な気持ちが混じり合うなか、私はふらふらと立ち上がった。
その時、賢三の背後にいた『犬神』、源という魔術師が私に向かって微かに頭を下げた。
まるで謝罪するかのように。
私は、源という魔術師が、賢三に『使役されている』のだと、思った。
賢三の書室にて、私は賢三が『犬神』を何らかの事情で『使えない』のだと気付いた。
賢三は『犬神』の使役に力を割いている。
源という魔術師はどうしたのだろうか。まさか一緒に住んでいるわけではないだろうが、私の魔術では全く関知できない。
今なら、賢三を押さえつけることができる。
しかし、私はしなかった。
「私は千代を信じている。それと同じくらいお前もな」
「矛盾してるな」
「どちらも家族だ」
私の言葉に賢三は、特に反応しなかった。
「ともかく、私の意見は伝えた通りだ。あとは千代に聞けばいい」
「そうするよ」
私が背を向けると、賢三が背後から呼びかけてきた。
「千代は葵山に行くつもりだ」
私は足を止めて、振り返る。
葵山。徳川家が所有している山で、昭彦が生前妻と千代のために小屋を建てた場所。
「どうして千代の居場所をお前が知ってる」
「兄さんの知らない情報を整理して推測した結果だ。千代が雇った魔術師もいるだろう。まず間違いなく、な」
賢三は閉じていた本を手に立ち上がった。なにやら経営について書かれた本のようだが、私にはよく分からない。
「兄さんに聞きたいんだが、もし仮に千代が私の殺害を依頼していたらどうする」
「止める」
「なぜ」
「家族間で争うなど許されない」
賢三が始めて口角をあげた。
「千代が雇った魔術師は中々に手強い。葵山に行けば対峙することになる」
私は返事をしなかった。
賢三の顔から笑みが消える。
「愚問だったな。兄さんに限っては」
私は振り返り、書室のドアに手をかける。
「兄さん」
賢三が再び呼びかける。
「私が唯一、一対一で戦いたくない相手が、兄さんだ」
私は返答せずにドアを開け、振り返らず後ろ手にドアを閉めた。
もっと早くその言葉を聞きたかった。
そういえばよかっただろうかと自問しながら。




