アゲハチョウの名刺が満月と魔術師を繋ぎ、平面世界への回帰を誓う
翌日、俺は株式会社TOKUGAWAにメールを送った。
『御社の株を買えるだけ買いたい。ただ、社長と会って見極めたい』と。具体的な金額を添えてメールを送ったところ、意外にも数時間後に返信が届いた。
まずは社長付きの特別秘書が応対する。後に必要に応じて社長との面会も前向きに検討する。可能ならば翌日の午前10時に本社までお越しください、とのこと。
スーツを探したが無かった。本物のお金持ちはあえてのファストファッションというネットの受け売りに従って一式服を購入した。
揚羽は「マネージャーがいる方がそれらしくてよ」と同席を願い出たうえに、自分だけスーツを用意していた。
メール送信の翌日、俺は揚羽とともに、株式会社TOKUGAWAの本社を訪れた。
駅から直結のビル丸ごとが本社らしく、忙しく走り回るサラリーマンたちを横目に、俺たちは受付に向かった。
受付にアポイントを取っている旨を伝えると、しばらくお待ちください、とソファーを案内された。
俺と揚羽は大人しくソファーに座った。便利屋猫の手の事務所のソファーが、コンクリートブロックに思えるほどフカフカだ。
俺はソファーにもたれながら、建物全体に目を配った。
結界が張られていた。魔術を感知するタイプで、教科書通りの丁寧な仕事っぷりに思わずため息が出る。
俺が、魔術を使えることは既に感知されているだろう。一方揚羽も、本来の力は隠しつつも、魔術が使えるかな、と少し身構える程度には『あえて』魔力を誇示していた。
「昨日も遊んでたな」
手持ち無沙汰になり、揚羽に話をふってみる。
揚羽は、基本事務所でのんびりしながらも、ふらりと出かけることがあった。
「ええ。博多ラーメン無限替え玉に挑戦してましてよ。何玉いけたと思いますか」
「2、いや3かな」
「ふふ。20玉ですわ。店員が止めてくれと泣いておりましてよ」
「朝から胃もたれするからやめてくれ」
「ここからですわ。そのあと二郎系ラーメンにも挑戦しまして、」
お待たせしました、とおずおずと受付が声をかけてきた。どこまで聞こえていたかわからんが、ひきつった表情から全部聞こえていたのだろう。
俺は感じる必要のない羞恥心を抑えつつ、会釈してソファーから腰を上げた。揚羽は「差し上げますわ」と受付に二郎系のクーポンを手渡していた。
通された応接室は、小部屋といった程度の広さながら天井が高く、落ち着いた木目のテーブルと、鈍い光沢を放つ革張りの上質なソファーが、TOKUGAWAの経済力を嫌がおうにも感じさせてきた。
横並びで座る。揚羽が持つキャリーケースの中の札束も、TOKUGAWAからすれば日常扱う程度の金額だろう。
コンコン。ノックの音が。
「失礼します。お待たせいたしました」
若い女性の声ののち、重そうなドアが開かれる。
俺は、声を聞いた時点でしっぽを巻いて逃げ出したい気分に陥った。仕事じゃなかったら、窓からダイブして逃げたかもしれない。
後ろ手にドアを閉めて、真っ直ぐに俺たちに向き合った女性は、俺のよく知る人物だった。
女性が、眼鏡越しに鋭い視線で俺を睨む。
「メールの時点でそうとは思ってたけど。何を企んでるの、ハジメさん」
「将来に備えて投資を始めただけだよ」
「何が将来よ。ラーメンばっかり食べて。高血圧になる未来しかないじゃない」
「二郎系は俺じゃない」
軽口を叩くのは嫌いじゃないが、今回はどうにも胸が痛むし、居心地が悪い。
揚羽が「どちらさま」と言いたげな視線を向けてくるのもうっとおしい。
黒のタイトスーツに真っ白のシャツ、細いフレームの眼鏡をかけた特別秘書が、バインダーを脇に挟み、射殺さんばかりの厳しい視線を俺たちに浴びせる。
「一応、渡しておくわ」
裏があると勘繰りながらも、名刺を差し出してくるあたり、律儀な性格は変わってないように思えた。
『株式会社TOKUGAWA 社長付特別秘書 源百々子』
俺は苦笑するしか出来なかった。名刺なんて持ち合わせていない。
揚羽は名刺を受け取ると「ご丁寧にありがとうございます」としおらしく半歩下がった。映画鑑賞モードに入ったらしい。
俺は百々子に向き合った。
「もも、いや、源さん」
どうにも歯切れが悪くなる。百々子の眼尻がぐっとつり上がる。
だが、俺も仕事だ。内心で自身に喝を入れて気持ちを切り替える。
「まとまった数の株を買うつもりなんだ。その会社の長と直接話したいっていうのはおかしくないだろ」
「ええ、普通の人ならね」
百々子も俺の意図を汲んだのか冷静な口調で答えてきた。
「普通じゃない方。特に平さん、あなたのような魔術を操る人を相手にするのが、私の仕事」
『平さん』という言い方に棘がある。俺は分の悪さを感じざるを得ない。
「兄弟子の実力は俺がよく知ってる。俺が何かしようとしても、余裕で止められるだろ」
「危険物を近づけないのが、最優先よ」
「空港の手荷物検査じゃないんだ。ベルトもスマホも忘れずかごに入れるさ」
おどけた仕草でスマホを机に置く。百々子はぴくりとも笑わない。
ダメか。他の人ならともかく百々子には通用しない。
俺は攻め方を変えることにした。
「正直に話すよ。実はある企業からの依頼で来たんだ。オタクの社長にあったときに妙な黒い靄みたいものを見たってね」
百々子は無表情で探るような目で俺をじっと見ている。
「オカルトに興味がある社長でね、今後の取引に関わるかもしれないから調べてくれって」
「株を買うお金はどうしたの」
百々子は身体を動かさず、目線だけで揚羽の足元のキャリーケースを指し示す。
俺は肩をすくめてみせた。
「実際会えたら何だかんだ理由をつけて買わないつもりだったよ。これはほとんど紙切れ」
百々子は無言になり、無意識だろう、眼鏡のフレームに手を当てた。何か居心地の悪いときのクセだ。むろん、昔と変わっていなければの話だが。
コンコン。ノックの音が。
百々子がびくっと肩をかすかに震わせる。
「失礼するよ」
低い、よく通る声。ドアが開かれ、入室してきたのは、徳川賢三だった。
スマホで調べた写真よりも、実物の方が若く、エネルギーに満ちているように見える。
会えればラッキー程度だったので、まさか向こうから来るとは思っておらず、俺は顔にこそ出さなかったが驚いた。
徳川賢三は室内をぐるりと見渡し、やがて俺に向かって大股で歩み寄ってきた。蒸気機関車なような熱を感じさせる動きだ。
「初めまして、平さん。弊社の源から魔術師とは聞いていたが、まさか旧知の仲とは思わなかったよ」
賢三から差し出された手は分厚く日焼けしていた。
俺は握手に応じ、賢三の熱や力強さに気後れしている自分に気づき、ぐっと力を込めて握り返した。
賢三が、にこっと口角をあげる。
「この部屋の会話は全て私の元に届くようになっていてね。悪いが、全て聞かせてもらっていたよ。魔術的なものではなく、文明の機器を使ってね」
「要は盗聴ですね」
賢三の大きな声に、俺はつい苛立って皮肉で返す。
「まあ、そういうことだ。平さん、文明こそ現代の魔術だよ」
賢三は悪びれもなく、からっとした態度を崩さない。場の主導権が握られていることに、俺は内心舌打ちした。
百々子は賢三が現れてから明らかに気配を消していた。それが秘書らしい態度なのかどうか俺には判別できなかった。しかし、百々子の様子は明らかにおかしい。まるでこの場から逃げたがっているように、俯いている。
さて、と賢三が芝居がかった仕草で手を打つ。
「私に憑いている『黒い靄』についてだったね。依頼主は、千代だろう」
「職業上、ノーコメントです」
俺の言葉を無視するかのように、賢三が続ける。
「あの娘もまだ甘いな。TOKUGAWA系列の金融機関から大量の出金をして、私の耳に入らないと思っているところがね」
全て手の内か。俺は見えない壁が迫ってくるような圧迫感に襲われた。
「お見せしよう。そのために来たんだろう」
「徳川社長」
これまで沈黙していた百々子が突然鋭い声をあげる。しかし賢三は百々子を一顧だにせず、不敵に笑った。
俺は望んだ展開が訪れたはずなのに、知りたくない秘密を聞かされる前のような胃の痛みを感じた。
賢三が短く呪文を唱える。
直後、百々子の姿が煙のようにかき消え、賢三の分厚い彫刻のような身体に巻き付くように、黒い靄の『怪物』が現れた。
『怪物』は狼の姿をしていた。
黒い靄をまとい、長い尾で主である賢三を守るように巻き付いている。尖った口吻からは、鋭い牙がのぞき、ピンッと立った耳の下には、滴る血のような赤い瞳がギラつく。
俺は何も言えなかった。
賢三が変わらず尊大で大袈裟な態度で両手を広げる。
「犬神を私なりにアレンジしたものだ。我ながら『自信作』だよ」
賢三が再び呪文を口にすると、犬神はふっと消え去り、賢三の背後にひざをついた百々子が現れた。
隠すように俯いたその顔は見えない。
俺は、身体の内側から煮えたぎるマグマのような熱に、頭が沸騰し、掌を突き破らんばかりに拳を握り込む。
殺してやる。
最適で最悪の呪文を唱えんとした俺は、はっと気付いた。
賢三の背後、足元で羞恥と悔しさを滲ませながらも百々子はハッキリと俺を見ていた。
やめて。
言葉でない。魔術でもない。しかし確かに百々子の目が訴えていた。
俺は呪文を血の混じったツバとともに飲み込んだ。
賢三は、「つまらない」と見下す目つきで余裕たっぷりだ。
「あら、まぁ、ワタクシとしたことが」
揚羽が突然声をあげる。賢三が初めて揚羽に視線を向ける。
揚羽はスーツのポケットから、名刺入れを取り出した。あまりにものんびりとした口調と態度に、賢三が興を削がれたように冷めた顔になる。
「今日のために名刺を作っておいたことをうっかり失念しておりましたわ。お受け取りくださいな」
賢三の足元から、よろよろと百々子が立ち上がる。揚羽がふわふわした足取りで近寄り、名刺を渡した。
「確かに、いただきます」
百々子が絞り出すように呟き、震える手で自身の名刺入れにしまった。
賢三はふぅと息をはいた。
「ご要件はこれでしまいかね。では、失礼するよ」
賢三はくるりと俺に背を向けて歩き出した。百々子が、ふらつきながら、ドアを開き、賢三はそのまま立ち去った。ドアを閉める際、百々子がかすかに俺を見たが、しかし何も言わずに、彼女もまた去っていった。
残された俺は、大切な物を踏みにじられた屈辱とやり場のない怒りに、眼の前が赤く染まった。
株式会社TOKUGAWAの本社を出たとき、太陽が真上で嫌なくらい輝いていた。
「貴方にも渡しておきますわ」
揚羽が俺に名刺を差し出す。
『便利屋猫の手 所長 平 一』
猫の肉球のスタンプがレイアウトされた簡素な名刺だった。
「これは」
「第三者には絶対に盗み見れない連絡手段ですわ」
揚羽が俺の手を取り、名刺をくるりと裏返す。白紙だった。
「対になる名刺が揃えば、結界にもなりますわ。ただし、使えるのは一度切り」
揚羽が、重い空気を払うようににっこり笑う。
「さて、ワタクシは二郎系ラーメンのリベンジに行きますので、ここでお別れですわ。お一人で帰れますこと」
俺はつい笑ってしまった。
「はじめてのおつかいって年じゃないんでね」
「では、アディオス、ですわ」
揚羽がさっそうと歩き出す。
「揚羽」
俺はその背に呼びかける。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「でも、スーツで二郎系いくなよ」
「総帥に対する礼儀ですわ」
ほほほ、と笑い声を残し、揚羽は人混みに紛れた。
俺は名刺を、命綱のように大事にポケットにしまい込み、どんな言葉を送るか歩きながら考え始めた。
23時の『鹿の目』はシックな雰囲気だった。
千代が二郎系クレープなどと言っていたので、少し構えていたが、通された席は仄明るい落ち着いたカウンターテーブルの2人席だった。
俺がひとりでコーヒーを飲んでいると、百々子がやってきた。昼間と同じスーツ姿だった。
「何飲む」
「ウイスキーのストレートがいいわ」
「いきなりか」
「ハジメさんこそ、コーヒーでいいの」
「休肝日なんでね」
「オジサンくさいわね」
百々子が席につき、眼鏡を外して、ふわりと疲れた笑顔をみせた。
ウエイターに注文し、再び向き合う。
百々子が口火を切った。
「料理はしてるの」
「してる」
「インスタントラーメンは料理じゃないわ」
「ゆで卵入れてるから料理みたいなもんさ」
「そればっかりね」
ウエイターがグラスをテーブルに置く。
百々子がグラスを細い指でつまみ上げ、ぐっと飲み干した。
「師匠、お父様のこと本当にごめんなさい。裏切るような真似をしてしまって」
「仕方ないさ。それに親父も言ってたよ『源の力になれなくて無念だ』ってね」
「優しいわね。言い訳だけど、どうしても時間がなかったのよ」
「いや。百々子の判断は合ってるよ。未だに手詰まりなんだからな」
俺はコーヒーを一口飲んだ。冷えているのに美味しい。百々子が手を上げて、同じウイスキーを注文した。
時間。時間、か。俺はコーヒーカップをテーブルに置いた。
「徳川についているのはそのせいか。そんなにもう時間がないのか」
「徳川社長に山を丸ごと買い取ってもらう代わりに、私は使役されてる。そういう契約なの」
再びウイスキーグラスを百々子が一気に飲み干す。
昔とは違う、飲み方。
「人狼の一族のためなら、私は何でもする。そういう覚悟を決めてるの」
魔術師で、兄弟子で、人狼で。
そしてかつての恋人の源百々子の瞳が満月色に染まる。
「犬神として呼び出されたときには『私』じゃないと思って」
空のグラスがテーブルに置かれ、百々子が両手を添える。
「『私』じゃないの。いいわね。躊躇わないで、ね」
百々子の満月色の瞳が潤んでいるのは酒のせいか。
深夜。俺は便利屋猫の手に戻った。
事務所には誰もいない。
俺は真っ直ぐに自室に向かい、ソファーベッドに倒れ込む。
疲れた。
酒も飲んでいないのに瞼が鉛のように重い。それなのに眠れない。
ぐるぐると思考がとりとめなく、意味もなく廻る。
楽しかった日々が自然と溢れてきた。
親父のもとで、百々子と俺は魔術を学んだ。
百々子の魔術の才能は図抜けていた。親父が『平面世界は近い』と興奮気味にいつも鼻高々に語っていた。
一方の俺はというと、魔術の才能が開花したのも遅ければ進歩も遅かった。
筍みたいにメキメキ成長する百々子を妬ましく思った。
しかし百々子はそんな俺にも常に手を差し伸べ、導いてくれた。
『平面世界を早く実現するの。いえ、しなければならないの』
使命感に燃えて邁進する百々子が、次第に眩しく、そして俺は惹かれていった。
月日が経ち、俺は百々子と付き合うようになった。
そしてあの最高で最低の夜がきた。俺と百々子は、親父の留守を狙って、俺の家で痛飲した。
気持ちも確かめ合い、酒の力もあって、もはやためらう理由ななかった。
服を脱ぎ、目を閉じて唇を重ねた。
ふと、俺は妙にふさふさした感触を覚え、無粋と思いつつ、薄目を開けた。
俺は犬とキスしていた。
ちょうど人懐っこい大型犬が、飼い主の肩に前足を乗っけて口周りをペロペロ舐めているような格好で。
目の前に突然凛々しい犬が現れ、俺はパニックになり、飛び上がった。一方、犬の方も何故が大慌てで走り始めた。
俺は裸で室内を走り回り、犬も走り、お互いに地球と月のように一定の距離を保ってグルグルとひたすら走った。
俺はベッドに飛び乗り、シーツを身体に巻きつけた。犬はベッドの下に潜り込んだ。
俺の脳に魔術師としての非現実的な発想が浮かんだ。
「百々子、か」
ベッドの下から、クゥーン、と恥じらうようなか細い声が聞こえた。
百々子が人狼だと知ったのは、翌日だ。親父から『聞いてなかったのか』とあきれ顔で言われた。
あの夜以降、俺と百々子はなんとなく気まずくなって、会うのを避けるようになった。
折しも悪く親父が体調を崩し、バタバタしている最中、百々子はふいにいなくなってしまった。
話し合う機会もなく百々子は消えた。
親父は『実家の山を守るために弟子入りしてきたが、なにかのっぴきならない事情があるんだろう』と寂しげに肩を落とした。
俺は、きちんと話し合っておけばと悔み、何時まで立っても手がかりすら掴めない『平面世界』の実現に、疑念と苛立ちを身勝手に感じ始めた。
そして親父が亡くなり、俺は親父の属していた平面世界の実現を目指す組織『平面會』と距離を置いた。
『世界を平面にする』など、やはり無理なんだと自分の力不足を棚に上げて。
俺は、目を開いた。
便利屋猫の手の自室は相変わらず静かだ。
『平面會』に行こう。
魔術のことで頼れるとすれば『平面會』しか無い。
自室のカーテンを開くとそこには沈みかけの満月が、俺の背を押すように光っていた。




